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Bワーホリ・留学〜直筆体験談+α


経験者は語る/先輩からのアドバイス



右はノートの表紙→
最初の方は2001年頃まで遡りますから、この間何百人というワーホリ&留学生の人が真剣に読み、あるいは書いてきたノートですので、いい感じに貫禄がついてます。現在は、保存のためのバラして分冊ファイリングしています。現物はAPLaCにあります。

もう、どこに出しても恥ずかしくないものばかりで、全員に銅像を建ててやって"Hall of Fame"(栄誉の殿堂)に飾ってあげたいくらいですが、それは「○○をしたからエラい」なんて低レベルの話ではなく、それぞれに「その人らしさ」「リアル」が出ているのが素晴らしいです。

大まかなストーリーは誰もが同じです。「最初シドニーに来て、学校いって、バイトしたり、ラウンドに出たり」と、いわば似たり寄ったりの大筋なのだけど、読後感は全くといっていいほどカブりません。全然違う物語になっている。それは「目が二つあって、口が一つ」とスペックは同じなんだけど、人の顔立ちは千差万別であるのと同じこと。「一人の人間が生きるリアル」というのは、とんでもなく凄いことなんだなと、改めて感じます。

したがって、読みドコロは、個別の学校情報、ファーム情報ではないです。皆の「生きざま」というか、生身の感覚、息づかい、オーラと体温を感じてください。その方がずっと意味があるし、役に立つと思います。オーストラリアに興味ない人でもかなり面白く読めます。

長いことやっているので、10年前にお世話した方から「おひさしぶりです」とメールを貰うようにもなりました。それもあって、最近では、「留学/ワーホリの後」もフォローするようにしています。「その後の話」です。日本に帰国したあとの再就職とか、オーストラリアに留まったり、他国に行ったり。

これらを単にオマケの「後日談」みたいな位置づけではなく、むしろ同等のウェートを置くようにしています。オーストラリアで得た貴重な体験をその後の人生でどう活かすのか?は、それ以上に大事ですから。ということで、既に体験談を書かれた方(書かれてなくても)、何かありましたらお気軽にメール下さい。「付け足したい!」という。

技術的なことですが、
@これまでもそうでしたが、いよいよ「直筆」にこだわりません。後日談は遠く離れたところからメールでいただいたりしますし。メールでもかなり突っこんだやりとりして仕上げていってますから。
A、レイアウトも、今までのように単に時系列的に並べていません。大きく新作追加があったものは「アゲ」進行にしてTOPに持っていきますが、そうでないものは「サゲ」で従来の場所に追加するなど。


 一時期、APLAC卒業生の専用掲示板のラウンドスレで、よりリアルタイムで、より濃くて、より実戦的な体験談(ファーム詐欺の見分け方とか)を掲載してました。卒業生しか見られませんけど。


←2015年10月よりAPLACのFacebook Pageで、よりリアルタイムの体験談を頻繁にあげています。断片的ではありますが、ダイナミックな感じが伝わると思います。


 トータルの完成度でいえば、この体験記が一番まとまっていますので、じっくり読みたいならこの体験記を、細切れにはなるんだけど「こんな感じ」という速報性とライブ感を得たいときはFB Pageが良いです。この体験記が「書籍」だとすれば、FBは雑誌や新聞みたいなものです。

さらに過去のコンテンツですが、以下のものもあります。

みんなの写真館
みんなの動画館


  298頁〜最新(このページ)  記載時期 2010年9月〜NOW
  第三分冊 203頁〜297頁 記載時期 2009年1月〜2010年09月
  第二分冊 101頁〜202頁 記載時期 2006年6月〜2009年1月
  第一分冊 1頁〜100頁  記載時期 2001年9月〜2006年6月

辻麻衣子さんの留学体験記

一括パック時〜同期の越智くんと

 辻さんのオーストラリア留学期間は2014年11月から7ヶ月間です。1〜2年単位のWH記に比べれば期間は短いのですが、体験談のボリュームも密度も濃厚です。

 辻さんは東芝の花の東京本社人事部などに10年勤務、またご結婚もされていて、いわゆるスペック的には順風満帆に見えるのですが、退職&離婚でオールリセットして渡豪されました。しかもワーホリ年限に間一髪間に合わずという痛いタイミング。日本の世間常識でいえば、なにもかもがアゲインストな「暴挙」なわけですが、同じ暴挙をやってきた僕からしたら「わかるわー」です。そうなんですよね、スペックなんか積み上げても何処にもいけない。むしろ積み上げるほどにそのことがよく分かる。なお東芝が傾く以前の話ですから、先見の明があるといえばそうなのですが、別にそういう問題でもなく、あくまでも主観・内心世界の話です。

 本文末尾にFB記事のリンクを載せてますが、辻さんの現況は、NZのダニーデンでジャパレスのマネージャーとして壮絶なビザ争奪戦を展開しています。その苛烈な日々の詳細はそちらをご覧いただくとして、今回の体験談は、第一章日本スペック物語と第二章海外転戦物語との転章部分にあたります。人生におけるパラダイム転換の半年間の記述です。

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奥村謙一さんのワーホリ体験記

一括パック終了時、ヨルダン人とのシェア移動時にて

 奥村さんの渡豪期間は、2014年6月から翌年2月頃までで1年に満たない期間です。しかし、僕からすると、奥村さんとの付き合いはむしろワーホリ後の方が深くなってますし、彼自身の「活動」も、ワーホリ後の方が進化/深化しているように思われます。むしろ「ワーホリ体験談」としてワーホリ期間だけ切り取ってしまってはその意味が十全に表現されない。以下、この紹介文では、帰国後の展開に力点を置いて書きます。

 本文をお読みいただければわかりますが、彼のワーホリ時期は、そんなにガシガシ掘り進んでいくような感じではないです。むしろどちらかといえば攻めあぐねている。

 学校や現地での英語の壁がありますが、マンネリ化して進まないことから、よし!と思い立って、ホリデーを取ったりシェアを替えたり、バイトに励んだりするのですが、それをやってもブレイクしない。付き合いやすい日韓人グループでやってるだけで、日本の生活の延長のようになってしまう。ならば創造的破壊リセットで、ラウンドに出るのですが、一箇所に留まって孤軍奮闘して橋頭堡を築き、征服とかお宝発見!という感じにはならず、短期間で転々とするようになります。ところどころでとても楽しい時間や、貴重な経験はたくさんしているので、世間並みのワーホリでいえばまあ満点なんでしょうけど、本人的にはしっくりいかない。なんせウチの歴代の卒業生が化物揃いなんで、どうしても足りない感がある。

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荒井潔子さんのワーホリ体験記

着いたばかりの頃、シェア移動先にて

オーストラリアワーホリ終了後、現在カナダのアラスカ国境付近まで出撃して永住権王手までこぎつけている荒井さんの満を持してのワーホリ(オーストラリア版)体験談です。筆まめな荒井さんは、卒業生掲示板の他己紹介やラウンド通信、後にFacebookの記事など逐一経過は書かれています。特に本体験談後になるカナダ編(〜現在)は、FB過去記事で読めますので、体験談の最後の方にリンクを貼っておきました。

さて、荒井さんの日本時代は、普通に東京の花のOLさん。キャリア的にはANAの国内線CAを振り出しに、住友商事、日本ユニシス、最後は三井不動産の中国不動産部局の秘書というメジャーどころ。そして普通に我孫子〜都心の遠距離電車通勤族。僕も研修所時代に馬橋(松戸)から常磐線〜千代田線で同じ路線で、最終電車が酔っぱらいオヤジだらけでしかも超満員という地獄列車だよねーとか、来た当初そんな話で盛り上がってました。また私生活もいろいろやってて、YOGAの全日本チャンプになったこともあるし、ダンスもディズニーランドで踊ったり、シカゴの舞台に立ったり。ピアニストでもある。

こう書くとリア充の丸の内OLでちょいタカビーな感じもするのですが、実像はなんでもキャッキャ素直に喜ぶ、おっとりしてて、あたりの柔らかい方です。てか、もっと自信もちゃいいのにって感じで、事前に一括パックの打診がありつつも、直前に日和(ひよ)ってブリスベンの語学学校へ。これが絵に描いたように「シティ引きこもり」の典型的な日本人ワーホリ状態になってしまって、ヤバイ!と危機感抱いて、強引にシドニーに移動し、遅まきながら一括パック受講されました。

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三谷和葉さんのワーホリ体験記

来たばっかりの頃、まだ日本のお嬢さん風な

静岡県で薬剤師として働いておられた三谷和葉(かずは)さんのワーホリ体験記です。

最初にオーストラリアに来られた時の三谷さんの印象は「おっとりしたお嬢さん」という感じでした。物腰は静かで上品だし、薬剤師という堅い職業だし、しかも地元で就職という親御さんも喜ぶ堅実属性。

ところがぎっちょん、そうではなかったというお話です。いや、客観的にはそのとおりなのですが、問題は本人が「そういう自分をどう思っているの?」という部分です。実のところ、あまり良いとは思ってなかった、変えたいなと思っていた、いや、それに慣れきってしまって問題意識すらも十分にあったわけではなかったと書かれてます。「おっとり」見えるのも対人関係で当惑してて、どうしていいのかわからないから口数が少なくなって、結果的に「おっとり」見えていただけだったり、堅実であることは退屈であることでもあったり、そんなこんなの屈折の上に乗ったナマの感情は、なんか生き辛いな〜、居心地しっくりこないな〜ってものだったと。

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植木さんのワーホリ体験記

ワーホリ終了・帰国時 ジャカランダがきれい

東京でIT関係で働いておられた植木さんのワーホリ体験談です。
いや〜、ついに!です。ワーホリ自体が2011年で、初稿がカナダ滞在時の2013年で、最終修正稿が2016年という数年がかりのプロジェクト。皆さん忙しいから、どうしてもそうなっちゃうんですよね。

しかし、物語は数年前でもテーマそのものは今なお現在進行形です。カナダから帰国された時の就職相談、去年シドニーに遊びにきてくれて、そして今月末の僕の帰国時に品川オフでも再会しますし、これからも折りに触れ音信はあるでしょう。誰でもそうなんだけど、植木さんは特に。

というのは、この編集作業をやっていて僕自身見えてきたものがあるのです。キーワードは「積分」、そして植木さんって50歳過ぎてから本当に始まるのかもね〜と。謎かけみたいですけど、この人、引き出しというか「領地」が広大なんですよ。面積でかすぎ。それをフルに開花させるには、またそれをマネージできるだけの力量をつけ、いい感じに動くようになるのは50歳過ぎくらいになるかなと。50歳というとのけぞるかもしれないけど、経験的に言わせてもらえば、すぐ、ですよ(笑)。

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渡辺絢也さんのワーホリ体験記(Part1) (Part2)

ラウンド先のRoadtripのスナップ
 満を持してというか、オーストラリア2年、そしてNZワーホリもほぼ終局を迎えつつある渡辺絢也さんのワーホリ体験記です。今回はオーストラリア編。

 これから渡豪という読者には、参考になる話が山盛りあります。英語上達のためのメンタル切り替えのコツとか、ファームその他でのやや険悪な状況での交渉術とか、フリアコやバスキングやら、そこだけ読んでいても十分に価値あると思います。そのあたりについては、渡辺絢也資料集でリアルタイムでのメールでのアドバイスなどケーススタディと対策をまとめてますのでご参照ください。

 さて、他の人の体験談やらA僑やらで頻繁に出てくる渡辺さん、通称JUNJUNですが、僕も付き合いが長いし、結構濃密なメールのやりとりをしてますので、以下一般的な話題よりも、彼の2年間の本質部分をDEEPに掘り下げます。

 彼、賢いです。阪大だからというのではなく地頭がいい。また性格がいいです。すごい優しいし真摯だし。でもってイタリア語やらドラムやら多芸多才でもあります。いいじゃん、何が問題なの?なんですけど、世界でただ一人、本人だけが悩んでいるという(笑)。まあ、ありがちな。

 思うに彼の場合、自分の特性という「自分探し」は概ね良くて、その特性に合わせた「自分の使い方」のところで手こずっているように感じます。素材を活かしきれてないというか、過剰な自己規定が素材の良さを殺しているというか。

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糸数美香さんのワーホリ体験記

最初のシェア移動の時のスナップ。
偶然ながら、↓下の体験談の岡田優君のシェア先の隣(てかほとんど同じ)
 2013年08月に渡豪された沖縄出身の糸数さんの体験談です。

 えーとですね、一回目のワーホリとしてはほぼ百点満点で、それどころか人生百年に必要なものはこの1年でほとんどゲットできたんじゃないですかね?

 とまあ、こんなことをいきなり軽〜く書いちゃうと嘘臭く感じるかもしれないけど、でも20年間同じようなものばっか見てれば、誰でもそのくらい分かるって。

 だって、やること全部やってるし、得るもの全部得てる。そりゃ細かく見れば、書かれているように色々ビビったりしてるんだけど、でも結局やりませんでしたってことはないし、人にもめちゃくちゃ恵まれているし、運不運のサイクル感覚(骨折したからこそ、サイコーのウーフを見つけるとか)も実感しただろうし、それどころか「悟り」レベルの認識まで得てます。例えば文中に「草が土から芽吹くことに神秘を感じ、「人は自然の一部だ、ただそれだけなんだ」と理解したような瞬間がありました。あの時の不思議な感覚は今でも覚えています」とか、そこまでの認識を生理感覚で得たらもう「達観」ですよ(笑)。

 ただ、それでOKか?というとそんなことないのが難しいところです。必要なものは全部食べた、十分咀嚼して、胃袋でも消化はした、しかし、まだ十分に栄養素として行き渡ってないってところですかね。物理的には咀嚼してるけど、アミノ酸やらATP回路やらの生化学反応まではまだ済んでないって感じ。

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成田真衣子さんのワーホリ体験記 Part2
 ★C/W 特別付録〜成田さんのダーウィン情報

 成田真衣子さんの2回目ワーホリの体験記です。

 成田さんの一年目は、客観的な出来事も山盛りあるんですけど、むしろ自分自身を模索する主観面が圧巻でした。優等生的な役割を演じるというか、外部的なペルソナとしての自分、「対世間のプロパティ」のメンテナンスみたいなものがだんだん剥がされていく過程です。肩から力が抜けて、あるがままにあるナチュラルさを獲得していったというのが「前回までのあらすじ」でした。

 ということで”解脱”した成田さんの二年目ワーホリですが、開けてびっくり玉手箱で、打って変わって客観的な筆致で首尾一貫します。前回の紹介文の最後に「乗りたての新車の性能を確かめるように慣らし運転をしているでしょう。よく晴れた日、人っ子ひとりいない山奥で一人で峠を攻めているような」と書きましたが、まさにそれ。

 浮いた!沈んだ!きゃ〜!という成分も、また「これだけのことを成し遂げたんだ」感も殆どゼロ。ほんと、言うならばただの旅行記、滞在記であり紀行文です。やってることは一回目と変わらないくらい、いやローカル仕事を掛け持ちしたり、シェアの選び方や交渉が進化したり確実にヴァージョンアップしています。例えば、本文では全体のバランスを考えてサラリと流されてますが、APLACの卒業生用の掲示板のラウンドスレで、求めに応じて「ダーウィン生活情報」を細かく書いてくれています(もったいないので公開します)。ローカル職からバッパー、シェア相場や、オススメ飯まで、かなり「住み込んでいる」感が漂うもので、日々の濃厚さが窺われます。また、バッサリ割愛されていますが、ローカルジョブでINPEXという日本の石油・天然ガスの会社のファンクションの仕事でもぱりっとしたカッコでサーブしたりしてます。写真はそのとき(翌日のランチ・クルーズ)のものです。

 このように細かく見れば濃厚な日々があるんだけど、でも、それらが主観自我にそんなにリンクされていない。

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内田康弘さんのワーホリ体験記


 2014年に渡豪された内田康弘さんのワーホリ体験談です。この体験談は、日本でうつと診断され薬も処方されていた人が、こっちにきて「療法ワーホリ」的にあれこれ頑張っていく物語です。

 本文中、内田さんは「修行」ではなく「療法」だと書かれてますが、僕は「大修行」をされたと思います。コトバの問題ですけど、「好ましい自分になるために、あれこれトライし、めげそうになりつつもそれでも前に進む」という意味では修行でもあるし、それがなんらかの心身治癒という側面を含むなら療法でしょう。以前の水貝さんの場合も同じですけど。

 内田さんとのメールのやりとりは、渡豪3年前の2011年03月にまで遡り、現在(2015)でもNZでの奮闘経過を通じてよくメールしあってます。トータルでは優に往復100通を越えます。
 別に僕はカウンセラーでもないんですけど、これだけやってると僕もちょっとした「内田くん博士」みたいな感じになりますが、それを踏まえていえば、1年間のワーホリの「純粋な飛距離」「当社比」でいえば、彼はバケモン揃いの歴代の中でもかなり上位にランクされると思います。ウチの場合、だいたい誰でも1年たったらスーパー化して、その人間的成長を比喩的に可視化すれば身長3メートルくらいになってるんですけど、内田くん4メートルくらいいってるかも。

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成澤圭佑さんの留学体験記

 過去に登場した田村梨衣さんのハズバンドであり、同じく吉田佑紀さんの弟子(笑)でもある、成澤圭佑さん留学体験記です。

 一応カタチのうえで「留学」体験記ってことになってますが、実体は「人生体験記」であり、「出会い体験記」です。なんせ僕個人が読んでて一番面白かった部分が、オーストラリア体験ではなく、帰国後に両家のご両親に「実は〜」と挨拶にいくくだりだったりするしますからね。そうですか、嵐で、雹が降りましたか〜、さもありなん。

 大学一年生で「なんか違う、、、」と鬱々としていた、まだ少年の面影をとどめるハタチ前の成澤くんが、「これじゃいかん」と一念発起し、びゅーんとオーストラリアに飛び込み、「うおりゃ!」「とわぁ!」とかやってたら、いつしか人生を変える出会いがゴンゴンゴンと玉突き衝突のように生じ、ゴゴゴゴと海底火山が爆発して、ぶわーっと一気に隆起し、火山新島が出来ちゃって、一児のパパになりましたさ、と。まだ21歳。

 こう書くと、やたら擬音の多いイキオイ一発系のヤンキー人生みたいですけど、実は全然違うのが面白いところです。素顔の彼はむしろ真逆で、おっとり温厚な育ちよさげな白面郎。またびっくりするくらい細かい気配りの出来る人で、かなり礼儀作法のうるさい古典的な日本企業でも満点取れます。音声消してビジュアルだけ見てたら「では、お父様、おやすみなさいませ」とか言ってそうな感じ。それがなんでヤンキーどっぱ〜ん!系になるのかというのがこのお話のポイントです。

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フィナーレのシドニーagain時
Airiさんのワーホリ体験記 Part2
(NZワーホリ+AUSセカンド)

 一回目の紹介文↓(下の方にあります)

 過去に登場した沖縄出身のAiriさんのその後のワーホリ体験記です。ときおりメールで経過報告いただいていたものを編集しました。一回目もそういう感じだったんですけどね。

 えーと、「これまでのあらすじ」ですが、前回は、2009年5月から1年間AUSワーホリ→2年間日本に滞在→NZワーホリ突入直後までの3年間のメールでした。今回はその続きで、ニュージーランドWH→オーストラリアWH2回目(リベンジ)体験→沖縄に帰郷というところまでです。次はカナダだ!と書いているから3回目もありそうですな。あ、その前に「東京ワーホリ」(ちょっと住んでみたい)が入るらしいです。

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帰国時のスナップ
五百川和人さんのワーホリ体験記

 新大阪でIT系のお仕事をされていた五百川さんの体験です。広島→岸和田→小学校から島根県ですので、事実上島根のご出身と言ってよいのかな(仕事で大阪も長いけど)。スラっとした五百川さんですが、どことなく高校生的な面差しがあって、最初にお会いした時からずっと(今でも)、なんとなく高校野球のイメージがあります。「野球部でしたよね?」とか何度も間違えてしまうという。

 さて、五百川さんの体験談を一読して、ああこれはいつものようにねちっこく補充質問したらあかんなと感じました。体験談自体がそういうことを拒むというか、素材の味を壊さないで、生成りのまますっとお出ししたほうがいいなと。

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柴山武士さんのワーホリ体験記

来たばかりの頃
 静岡県出身、現在は千葉大工学部に在籍されている柴山武士さんのワーホリ体験談です。

 彼の紹介文は、他の人と違ってちょっとやりにくいです。なぜかといえば、ワーホリで来られる約1年前から、連綿とメールのやり取りをしたり直接的にも頻繁に会ってます。現在もA僑系の掲示板などでリアルタイムでやりとりをし、将来的にもそうでしょう。つまりは足掛け3年に及ぶ「長くて濃い付き合い」なので、ワーホリ区間だけ切り取って語るのが難しいのです。氷山の一角というほどではないけど、それに近いニュアンスはあります。

 逆に言えば、そういう現状になっているということが、彼の人となりをよく示すのでしょう。

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石渡航平さんのワーホリ体験記

帰国直前 いい感じで力が抜けて
 東京は赤羽出身の石渡航平さんです。神田の理髪店で働いておられました。

 かなり奥行きのあるキャラで、ベーシックには東京下町赤羽ボーイという飾らない庶民キャラがあって、服と音楽とバイクと旅がめっちゃ好きで、しかし同時にマイノリティ魂!ともいうべきナチュラルで硬質な反骨がある。

 大体、普通の進学校にいながら理容師(美容師じゃなくて)方面に行くというのが変わってますよね。それも神田の、経団連の大物クラスがやってくる老舗。たしか本人から聴いた記憶ですが、そこの親父さんが北海道出身で、小さい頃には家が貧乏で水道も止められ、雪を溶かして飲んでたってくらいのハードで筋金入りの職人さん。その人に5年間みっちり鍛えられているからハンパじゃない。口頭で聴いた彼の髪切り技術論は面白かった(予想日数よりも早くお客さんが再訪したら、「俺も甘えな」と反省したとか)。

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N.中嶋さんのワーホリ体験記

シェア先に移動した際のスナップ
 愛知県出身のN.中嶋さんです。電力関係の営業と事務をやっておられました。

 中嶋さんは、温厚で物腰の柔らかい方です。いつも優しげなはにかみ笑いを浮かべているイメージが僕の中にあります。趣味の間口も広そうで、どこの職場にも一人はいる「釣りバカ日誌」のマイルドヴァージョンというか、休みの日にはいつも子どもさんと一緒に海や山を楽しそうに歩いているパパ、よき家庭人というイメージですね(本人はまだ独身ですけど、あくまでイメージ)。

 しかし、その優しげな風貌とは相反して、物事の好き嫌い、興味のある/無いについては、アグレッシブなまでに激しいです。

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茜(Akane)さんのワーホリ体験記

シェア先に移動した際のスナップ
 茜(Akane)さんは、アート&デザイン畑の人です。Webデザイナーでもあり、フリーランスで仕事もこなしています。flickr Tumblerに作品を載せるだけではなく、世界のインディペンデントアーティストのオンライン作品販売サイトEtsyにお店もあります(もうすぐ再開予定らしい〜 Portfolio )。

 というわけで、いかにもアーティストって感じの赤い帽子(たまたまだとは思うが)がオシャレな茜さんは、既にロンドンでデザイン系の充実した1年3ヶ月の滞在経験もあり、今回はガチに永住権取得も視野に入れつつのワーホリ渡豪でした。

 僕も血筋的にアート入ってて(弟はデザイン会社社長、イトコは芸大出の彫刻家)、僕自身ヘタの横好きでアートは嫌いじゃないです(茜さんのWEB掲載の作品見せてもらって、「うわ、絵うめー」「かっけー」とひとしきり小学生状態で喜んでました)

 で、ふと思うのは、アート系の人って二種類いるなと。

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成田真衣子さんのワーホリ体験記 Part1

Croydonのシェア先に移動した際のスナップ

 愛知県出身の成田さんの1年間は、外形的事実を並べるだけで映画一本作れそうなくらい波瀾万丈。

 しかし、それ以上に特筆すべきは内面主観です。留学体験者の夢見る「英語を使ったお仕事」もゲットして花のOLライフをエンジョイしていた成田さんですが、これまでの対世間スペックを揃える優等生的ありかたに、徐々に「やってられっか」って気分になり、その全てをガンガンと叩き壊していきます。これは、その壮絶なスクラップ&ビルドの物語です。

 成田さんは、オーストラリアとかワーホリの検索でAPLACに辿り着いたのではなく、ブランキー・ジェット・シティ(という日本のバンドがあった)でした(過去のエッセイにブランキー小論を書いてる)。15歳からブランキーをこよなく愛する少女が、何を間違ったか優等生ライフを送っているという根本的なズレに段々耐え切れなくなり、歌詞にあるような「自然の掟に生きるケダモノの世代」に自己回帰していこうとする。

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(成田さんのワーホリ体験記Part2はこちら↑)
S.Naomiさんのワーホリ体験記

写真中央。最初の一週間。同期の三人と。
左隣の男性は中島さんと
福島からお越しのS.Naomiさんのワーホリ体験記です。10年お勤めになったデザイン系のお仕事を辞めて、えいや!でやってこられたという30歳前後のいわゆる「ギリホリ」さんです。実は、APLACではこの年齢レンジが一番多いです。次に多いのが20歳前後の「就活前」のレンジです。20と30とでツインピークスになっているという。

20と30とではワーホリの内容も違って、(個人差はありつつも一般論として言ってしまえば)20ワーホリはこれから出て行く「世間の荒波の予行練習」って要素が強い。でも30ワーホリはそのあたりは既に知ってる。知った上で「じゃあ私はどうすんの?」という、自分の人生の方向性や方法論を考える部分に重きが置かれるように思います。そして方向性よりは方法論(こんな感じでやっていけばいいんだ的な)でしょうね。方向性は難しいですから。てか方法論ができていけば方向はなんとでもなる。車の運転をマスターしてしまえば方角はどちらでもいいのと同じ。

なんか禅問答のように抽象的な話なのですが、Naomiさんの体験記は そのあたりが鮮やかに浮かび上がっているように思われます。

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吉田佑紀さんの留学体験記

着いた当初、学校巡りのあとに行った
Petershamのポルトガル料理屋で
 広島から三児のパパである吉田佑紀さんの留学体験記です。「留学」というというよりも、「一家移住の先遣隊」の「奮闘報告書」ってところでしょう。既に他の方の体験談でも頻繁に登場している吉田さん、広島弁の謎のTATOOおじさんです。

 渡豪時34歳ですから、実は皆とそう大した年齢差はないのですが、破格の人間力とオーラで皆の親代わりでいろいろ人生相談に乗っていたようです。その分僕はラクさせてもらいました。そして腕から覗く刺青のせいか、APLAC卒以外の日本人は怖がって近寄って来ないという残念な(笑)現象もあったようですね。

 すごーく特異な吉田さんの、すごーく特異な体験記だから、ドロッドロに濃いのも当然。

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R. Oさんのワーホリ体験記

 Oさん(男性)は、昔の僕と同じような法律専門職の難しい資格試験に挑戦しておられたのですが、やっているうちにワーホリ年限に来てしまい、ワーホリにやってこられたというパターンです。

 しかし、単に「そこにワーホリという制度があるから」的な渡豪ではなく、日本の近未来であるポスト財政破綻をにらみ、なんで日本だとそうなるのか、じゃあ自分はどうしたらいいのか、そこらへんが渡豪の焦点だったりもします。これだけの抱負をもって渡豪する人も珍しいかもしれない。いや、「これからどうやって生きていこうか」ということは誰もが考えるのだろうけど、ここまで明瞭に言語化して考える人は珍しいというべきか。

 それがOさんの良いところでありますが、物事は常に表裏一体で、それが彼の弱点でもありました。

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岡田優さんのワーホリ体験記
着いて二日目。Ashfieldの小籠包を囲んで。
ひとしきり食べてから、
「あ、写真撮るの忘れた!」で撮ったもの

 高校を卒業したばかりの18歳(当時)の岡田さんの体験談です。大学在学(休学)中ワーホリは多いですけど、高卒後・入試前に来られるのは珍しいパターンです。もっと増えても良いパターンだと思いますけどね。こっちでは大学前に世界一周するのが珍しくないくらいだから。

 一括パックやってる頃の岡田さんは、まだ初期の緊張もあったのでしょうが、年齢不相応に大人びてました。同期の中尾さんも人間的に深みのある落ち着いたビジネスマンだったので、この週は割と大人な週でした。

 岡田さんは地頭が良くて、僕も「東大、いけばいいじゃん」って普通に言ってました。気楽に言えるのは、僕の前職では東大京大卒がマジョリティで「大体このくらい」ってアタリはついたし、また僕の弟弟子(彼も東大)に背格好や雰囲気が似ていたので、なんとなく僕の中では重なってたってのもあるでしょう。

 でも、岡田さんが「大人びて」感じられたのは、地頭の良さだけが原因ではないなあって彼の一年を見ていて、また体験談を読んで改めて思いました。

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T.柴田さんのワーホリ体験記


 名古屋から来られた柴田さんのワーホリ体験談です。一つ下の古橋さんと一緒に来られて、メールの連絡係は柴田さんでした。百貨店でバリバリやっておられただけあってメールの文章もしっかりしたもので、これだけきちんと書ける人は珍しいので印象に残ってます。

 さて、柴田さんのワーホリですが、学校に行って頑張って、ゴールドコーストに移ったところでブチッ!と終わってます。看護士という新しい方向性を見出し、速攻で受験のために日本に帰ってしまい、そのまま終わっているという。ほとんど「強制切断」って感じ。

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古橋祐也さんのワーホリ体験記

 名古屋からこられた古橋さんの体験ですが、スラリとした長身イケメンのお兄さんのリア充ワーホリ体験記!みたいに思ってたら外します。そう見られがちだろうし、多分の彼のこれまでの半生もその種の捉えられ方をしてきたと思います。誤解されやすいタイプだし、別に誤解されても社会生活上なんの問題もない。だからややこしい。会った時の彼は、温厚でニコニコしてて、礼儀正しい物腰、言ってることもしっかりしてるし、行動力もあって好感度高し。別に問題はないんだけど、なんかちょっと違和感があったのですね。

 それが今回体験談を書いていただいて「ああ、なるほど」とその違和感の正体がわかってきた気がします。

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田村梨衣さんの留学体験記

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補充質問と回答

 久しぶりの「直筆」です。大学を休学して約10ヶ月の語学留学にこられた田村梨衣さんの体験談。紀州和歌山の産。大学は広島。

 就活前に1年休学して留学というよくあるパターンですが、事前のメールで「ワーホリという手もあるよ」「とりあえず半年だけ申し込む手もあるよ」とアドバイスしたのですが、「いや、キッチリ勉強したいです(キリッ」という意欲的なお答え。「ならばOK!」だったんですけど、蓋を開けてみれば体験談1ページ目に出てくるように「10ヶ月行けば英語はペラペラになるかも!と思ってた自分を殴ってやりたい 笑」ということに---

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水貝拓真さんのワーホリ体験記

写真右。最初の一週間。かなり硬直してます。
 体調不良のために数回にわたる渡豪延期に苦しんだ水貝(すがい)さんの体験記です。いきなり「暗黒期」というスゴい表題のもと、渡豪までの激しい心身の葛藤描写から始まるのですが、万人にとって学びどころ満載です。メンタルの恐さ、そして「強い」ってなに?と。

 渡豪が近づくにつれ、マリッジブルーのように誰もが不安にかられます。最初は「逆流性食道炎」という診断名から始まった水貝さんの不調は、食欲不振、悪心、過呼吸、動悸、胸部圧迫で、電車に乗ることも、坂道を歩くことすらも”冒険”というヘビーな状況になります。が、検査しても器質異常はなく、ついには心療内科を勧められ、最後の方は不安神経症に陥り一日中ネットで病気を調べ、「死」という言葉に異常に鋭敏になるという、か〜なりヤバイところまでいきます。

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★★要請により非表示
中島漢さんのワーホリ体験記

第一部:シドニー前期 〜シェア探し、シェアメイトのマイケル、パーティビジネス起業
第二部:ラウンド(1)〜キャンプ・ジャーニー、失望ファーム
第三部:ラウンド(2)〜ウーフ編 SA、VIC、QLD+1
第四部:シドニー後期 〜ビッグ・イシューのボランティア、ハリウッド映画出演体験、今後の展望

 中島さん(写真左)は、来た時点で既に世界一周をしています。イギリスのリバプールから一括パックの申し込みをしてきたという。また学生時代にもインドに丸一年滞在していますし、海外練度でいえば「ワーホリ4年目」くらいの地点から始まってます。

 彼の体験談は、当然のことながら長くて濃いです。メディア(テレビ局)出身ということもあってか、文章も既に自分のスタイルを持ち、プロ並みといってもいい。でもそんな「フリル(周辺装飾)」はどうでもいいってくらい中身が良いです。事実を、そのニュアンスの襞(ひだ)を損なうことなく、ジャーナリスティックに的確に描写する。そこで感じた自分の心の揺れや流れを、評論家風にならず、かといって青春的に酔いもせずに、煮詰めて煮詰めて蒸留させる。ファームで気持ちがすっと冷める部分、日が暮れるまで突堤で悶々とするくだり、ウーフで「生きる」ことの何たるかを染み通るようにわかっていくさまなど、一つ一つのストロークが深くて細やかです。

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長谷部圭さんの留学&ワーホリ体験記

一括パック終了時。同期の天野さんと。
まだ初々しくて可愛い。
 長谷部さんの体験談はロングシリーズとなりつつあります。オーストラリアに約3年おられたのですが、語学留学(半年)→ワーホリ(2年)→再度総仕上げの語学留学(ケンブリッジCAEなど5ヶ月)です。最終更新時(2014年01月)でそろそろ帰国であり、今回の体験談(3)(4)が出てワーホリ終了時までトレースできてます。まだ最後の部分が残っているという。長い分だけ、成長の経過がこまかくわかり、とても興味深いです。



長谷部圭さんの留学&ワーホリ体験記(1) 語学留学編

 東京出身の長谷部さんは、下に345頁目に出てくる天野さんと同期、同じ週に来られました。

 長谷部さんは、最初は半年間シドニーで語学留学、WHビザで1年、今は2年目をやってます。
 一回目WH時代は、ワイナリーでWWOOFをやって、僕の所にワインをドーンと送ってくれたり、メルボルンで窓拭きや引越のバイト、さらには金土2日で250ドルという売春宿の掃除のバイトまで挑戦してます(期待したほどドラマチックな展開は何もなかったそうだが)。2回目の今は、ターゲットを絞った業界に「おしかけインターン」攻勢をかけ、且つさらなる展開を模索中です。

 あとになるほどディープになるわけですが、今回は、「第一部」ということで、最初の半年、まだキャピキャピの新入生的な可愛いシドニー時代です。

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長谷部圭さんの留学・ワーホリ体験記(2)ラウンド編(その1)WWOOF編 (2012年11月13日UP)

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長谷部圭さんの留学・ワーホリ体験記(3)ラウンド編(2)WWOOF編(2)(2014年01月02日UP)
長谷部圭さんの留学・ワーホリ体験記(4)ラウンド編(3)メルボルン編)(2014年01月02日UP)

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青木大介さんのワーホリ終了5年後の考察 (2013年10月10日追加)

+PLUS 三大豪華付録 補充質問・回答+ワーホリ後の近況+ラウンド写真集 (2013年10月10日追加)

 青木大介さんがワーホリで来られたのは2006年8月(丁度7年前)。二回目ワーホリを取得し、1年5ヶ月のワーホリを終えて帰国されたのが2008年1月。「その後の体験談も募集してます」という本ページ冒頭の呼びかけに応じて、帰国後5年半以上経過した青木さんが書いてくださったのが本稿です。

 本稿は「体験談」というよりも、時を隔てることでその体験の意味をより深く咀嚼し、また発酵させ、それが現在の自分にとってどういう栄養素になっていったか?についての「考察」です。一種の論文や研究レポートみたいなものです。

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吉田宏隆さんのワーホリ&永住権取得体験記
第一部:ワーホリ編 (2013年09月22日追加)
5年前に来たばかりの頃の吉田氏

 吉田宏隆さんのワーホリ&永住権体験記です。

 吉田さんがオーストラリアにこられたのは2008年1月。5年半以上前のことです。今では永住権も取られ、ゴールドコースト近くの、ほとんど白人しか居ない小さな町でイタリアンシェフとして稼働しておられます。この町におられるのは、永住権の条件である地域2年居住条件のためだそうです。

 既に期間も過ぎ、いよいよシドニーやメルボルンなどの大都市に行こうとか視察に来られ、ひさしぶりにメールをいただいた際、飛んで火に入る夏の虫とはこのことで、すかさずバシッと掴んで体験談をお願いしました。「やっぱそう来たか〜(笑)」と体験談本文に書かれていますが、はい、そういきます。だって、読んだらやっぱ凄いんだもん。頼んでよかった。

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K.美代子さんのワーホリ体験記

来たばかりの頃のアカデミックな肖像
 兵庫県から来られたKさんは、同志社の博士課程を終えられた学者さんの卵。多様な人材が来るこのAPLACにおいても、本格的なアカデミズム度が最も高く、メールのやり取りでも知的な歯ごたえがシコシコ心地良い方です。オーストラリアの大学院への留学も視野に入れて(修士課程のオファーはゲット)、日本にいる段階でIELTSのWriting, Readingは既に6.5をマークしておられました。このように知的スペック装備は十分なのですが、実際に彼女の一年間は「ド根性物語!」。これに尽きます。

 最初の頃のメールのやり取りで、

>お金がないのを嘆くヒマがあったら、一本でも多く電話しろ、足を使え、手を使え、頭を使えで、どんどん前に出て行けたら、別にそう大した問題ではないですよ。それが出来るかどうかです。

大丈夫です、できます!ちょっと事情がありまして、何が何でも早く日本を出てオーストラリアに住みたいのです。 なので、やってみせます!

 というくだりがあるのですが、彼女の1年は、この「やってみせます!」の一文に凝縮されています。「あらま、本当にやっちゃったよ、この人は」って感じで、最もアカデミック度の高い人が、最も泥臭い、地べたを這いずり廻って、叩き上げて、叩き上げて、這い上がってきたという。これまでの諸先輩方も、ワーホリ1年の成長度=過去の全人生分くらいの飛距離を叩きだしている人も多いのですが、このKさんも飛距離ではトップクラスでしょう。キャリーで300mみたいな。ゼロから別人生を作り上げたような。

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K. 美代子さんのワーホリ体験記 +PLUS (2013年08月03日追加)
 「途方もなく大変」でした。かなりバシバシ削ったけど、それでも15万字あります。400字詰原稿用紙375枚分で、ちょっとした中長編小説くらいですね。作業中「そこまでしてやる意味あんのか?」とも思いましたが、出来上がったものを読み直してみたら、「ある!」と言い切れます。

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ゆかり.Aさんのワーホリ体験記 (シドニー編)

 東京出身のゆかり.Aさんの滞在8か月、ラウンドに出かけるまでのシドニー時代の体験記です。

 この人も面白くて、本一冊は無理にしても「ゆかり.A論」という論文くらい書けそうです。まず表層面では、パワフル&クレバーで、その昔、田中角栄のことを「コンピューター付ブルドーザー」と呼んだそうですが、ゆかりさんもそうです。出来る人ってのは大体そうなんだけど。

 まず凄いのは、ワーホリに行くのに「英語を勉強しなきゃね〜」とは誰でも考えるのだけど、日本にいる段階でケンブリッジのFCEに合格してしまっていること。それも建築士として稼働しながらという、クソ忙しい日本の仕事環境でそれをやり遂げていること。第二に、シェア探しも、いくら去年チラと下見したとはいえ、最初の二日(実質1日半)で20件見学し、トータルで40件。泣き言ゼロ、愚痴ゼロでしれっと見て回ってました。この「必要なことは絶対やる」というパワフルさが一つ。第二にクレバーさ。エクスチェンジ探しでも、オーソドックスな手が難しいとなると、すぐに別の手、さらに別の手を次々に考えて実行する。「一を聞いて十を知る」というやつで、一つのハウツーを学ぶと、自分の頭で即座に10倍に応用活用できること。結果として、シドニーに居ながら、第一目的だった「プロの建築士として働く」ことを、インターン→有給という出世魚パターンで達成。

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ゆかり.Aさんのワーホリ体験記 Vol.2 (タスマニア・ラウンド紀行編) (2013年07月23日)

 前段に書いた通りの展開になりました。「建築士の仕事をさっさと片付け」ちゃったゆかりさんは、タスマニアに飛び、ほんとうに「世界と戯れ遊んで」こられました。

 なんというのか、この人のラウンドはもう「ワーホリ」じゃないです。

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吉池竜矢さんのワーホリ体験記

来たばかりの頃。春風のような。
 長野県から来られた吉池さんです。
 日本では車の整備士をしておられて、ときおりウチに遊びに来られたときには、僕のクルマも見てもらい、オイル交換までやってもらったりして、その節はたいへんお世話になりました。m(__)m

 彼のワーホリ体験ですが、語学学校時代に既に地元ローカルの整備工場で働くわ、WWOOF体験、ラウンド財政破綻体験(残金100ドル以下どころか完全ドボンでバッパー代4週滞納まで追い込まれる)、うって変わって素敵なファーム体験、ウールワースのトロリー(ショッピングカート)集め、、など、どれ一つとってもピークになりそうな体験が目白押しにあります。

 しかし、それすらも色褪せて感じられるくらい、彼本人の方が僕には面白い。

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田中秀明さんのワーホリ体験記

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Adelaide、Barossaのホステルにて
 兵庫県から来られた田中さんは、当時弱冠19才の大学生。勉強のかたわらWebデザインの仕事もされてました。

 その彼の体験談は、これぞいわゆる「ワーホリ体験」的に明朗で、シメの言葉にあるように「感想は、『楽しかった!』これに尽きますね』というものです。それはそうなのだろうけど、彼がこんなセリフを書けるようになるまで、どれだけの道のりがあったことか!最初に一読したあと、その過程の方がむしろ重要だろうという気がしました。

 というか、ぶっちゃけた話、来た当初のシドニー時代を知っている僕としては、彼が体験談を書いてくれるとはあんまり予想してなかったし、ましてやこんな内容になるとは思ってもいませんでした。「こんな具合に世の中が見えるようになったんだ!」というのが鮮烈な衝撃だったし、さらにそれ以上に、ラウンドから帰ってきてからじっくり話をする機会がなかった僕としては、「俺、本当の田中君のことを知らない」「紹介文書けない」と思ったくらいです。その思いは、体験談の添削で彼とメールのやりとりをするにつれ深まっていきました。もう別人格。レスポンスは早いわ、的確だわ、グイグイ踏み込んでくるわ。Who are you?です。

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飯村淳平さんのワーホリ体験記(1年経過時点)

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 東京は府中出身の飯村淳平さんの体験記です(右の写真→は、着いて二日目のトルコ料理屋での一枚)。

 「飯村さん」というよりも「ジュンペー君」と呼んだ方がしっくりくる彼は、大手ビル管理会社の入社5年目のサラリーマンの23歳でした。と、ここまでは書けるのですが、以降紹介文を書こうとしてズブズブ泥沼にはまってます。彼のケースは、(本人は全然そんな自覚ないと思いますが)とても特異で、考えるほど難しい。エッセイ3本分くらいの社会学的・哲学的なエッセンスが入ってるんです。

 彼はごく普通の日本人のサラリーマンであり、ごく普通に礼儀正しくて快活な若者です。おそらく会って話して違和感を覚える人はいないでしょう。しかし、この1年のワーホリ生活で彼がやってきたことは、およそ普通の日本人(ワーホリ)からはかけ離れています。やってることは、「英語で苦労して、バイトして、でも金が無くて、恋があって、サーフィンがあって、仲間と飲んだくれて、それだけ」という、絵に描いたようなワーホリ生活なんだけど、普通ここまで「絵に描いた」ようにはならないです。一番かけ離れているのは、ローカルのオージー社会に入っていくのではなく、彼自身がローカルのオージーに「なっちゃった」という点です。入っていける人は多いけど、「なっちゃう」人は少ない。

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Hayato.Mさんの留学体験記

 広島の療法士Hayatoさんの半年間のシドニー語学留学体験記です。現在、彼は、満を持してワーホリビザを取ってタスマニアに渡り、Helpex等を通じてユニークな体験をしています。

 右のライフル射撃の写真は、今回のシドニー留学体験談ではなく、リアルタイムのタスマニアのものですが、このカッチョいい写真をトップにもってきたのは意味があります。それは「(超)ロングレンジで狙ってる」という意味です。

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Kenny(K.M)君のワーホリ+留学体験記

シドニー時代: 374頁目375頁目376頁目377頁目378頁目
ラウンド・ファーム時代379頁目380頁目381頁目382頁目383頁目384頁目385頁目386頁目386頁目387頁目
ワーホリ後とケンブリッジ検定+まとめ:388頁目389頁目

 茨木出身のK.Mさんですが、こっちにどっぷり浸かった今では「ケニー」というEnglish nameの方が馴染んでしまったそうです。が、日本を出る前からメールで付き合ってた僕にはMさんの方が通りがいいです。ケニー?Who?って(^_^)。

 さて、Mさんですが「濃い」です。僕は「酸性度(着火性と腐食性)の高い精神土壌」と感覚的に呼んでますが、暑苦しいくらいに一生懸命な修行僧になるかと思えば、徹底的にグータラになる時期もあります。また自己評価も「俺ほどの男が」というヒマラヤのように高い矜持を持つ反面、マリアナ海溝のような深いダメダメ意識を抱えているという。日本でも高難度試験を目指し続けて挫折し、「もう俺の人生は終った」とばかりに適当にあれこれ起業したり、アンダーグランドすれすれいったり、堕天使ジゴロ生活になったり(そのあたりは簡単に出来てしまうらしい)、でも「こんなんじゃダメだあ!」でまた一念発起してド修行モードでオーストラリアへ。もうシンプルなんだか複雑なんだか。

 そんな彼の体験ですが、やっぱり濃くならざるを得ません。

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米山翼さん

ワーホリ(一回目)体験談274頁目、 275頁目、 276頁目、 277頁目

最初のライカードのシェア先の前で。
 米山翼さんです(女性)。北海道出身で、リハビリ関係の作業療法士さんをやっておられました。

 彼女はにこやかで知的な方なのですが、スロースターターというか、尻上がりに良くなっていく典型。「だんだん良くなる法華のタイコ」という殆ど死語に近いような日本語がありますが、後になればなるほどハッピー度が増すパターンです。

 その代わり立ち上がりの初動期は大変。
 サクッとシェアを決めたと思ったらやがて煮詰り移動(不和というより、最初は好感度だったフレンドリーさが徐々に暑苦しくなってきたという程度だけど)、学校でもイマイチ弾けられずに悩んでキャンパスを変え、ライカードに住みシティに通う→モスマンに住みマンリーに通うというパターンになってます。また、バイトのジャパレスでは、いきなり厨房でフライパンを振らされ、4つのコンロを同時に駆使して火と戦うハードな日々。そのうえ、最初のシェア生活が始まった直後、シティで妙にフレンドリーなオジサンから1000ドル騙し取られるというトラブルに見舞われます。ちなみにこの手の被害は他にもあり、HPの治安の章にも対策を書いてますのでご参照を。

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ラウンド終了時のインタビュー

動画館ショートクリップ
CLIP No.06 :オーガニックファーム体験〜毎日メロン一個食べてました

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2回目ワーホリ&ワーホリ"後"体験記

長い旅〜2回目ワーホリ&"日本ラウンド"体験記 (2012年09月07日追加)
登別、バリ、メルボルン、NZ、ウルル、WA、ダーウィン、ニセコ、日本WWOOF、京都のゲストハウス、そしてリハビリルームに戻る
付録その1:一回目ワーホリ時の写真集
付録その2:スーパーツッコミ対談「ネガティブループ」の正体。

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堀江沙代さん

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 堀江沙代さん(女性)。大学在学中の堀江さんは、英語も出来るし賢いし、気だての良い優等生タイプになるのでしょうか。しかしそれが足枷にもなっていて、「今までみたいなチマチマやらないで、ぶわ〜っと弾けたい」というのがワーホリのテーマでもありました。だから、普通に予算考えたら8週間なのを12週申し込んで、学費とシェア代(ボンド)払ったら残金数百ドルという崖っぷちから敢えてスタートしました。筆まめな堀江さんはコマメに経過報告をくれましたが、最初は「お金が〜」と言っていたのが、途中から全然言わなくなり、終わってみればそんなことすっかり忘れているという理想的な展開になってます。

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★3年後のインタビュー〜世界一周ハネムーンの途上にて
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★世界一周後〜オーストリアでの新生活編 (2012/09/05追加)
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あれから1年半〜オーストリア、 フェルトキルヒでの日々 (2014年01月01日)
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Airiさんのワーホリ体験記

 沖縄のAiriさんのワーホリ体験記です。
 これは2009年5月の渡豪前の最初のメールから、1年間ワーホリを終え、2年間日本に戻り、そしてNZワーホリに突入後まで(ごく最近)を3年間のメールを、ご本人の監修のもと整理したものです。とても筆まめな方で、コンスタントにメールを書いてくださいました。NZワーホリ突入メールを受け取った際、「これ、順番につなぎ合わせただけで体験談になるんじゃないの?」と思ってやってみたら、十分すぎるほど立派な体験談になったという。

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Airiさんのワーホリ体験記 Part2 (NZワーホリ+AUSセカンド)

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MFさんのワーホリ体験記

 MFさん(女性)は、愛知から来られた芸術家肌の女性です。
 「芸術家肌」といっても、見た目や言動がエキセントリックとかそういうことではなく、佇まいは普通のOLさん、いや微妙にストイックなところがキャリア志向に見えるかもしれません。僕も、Fさん(苗字)のことを「ああ、芸術家なんだな」と思うようになったのは、彼女のワーホリ後しばらく経ってからです。

 なにがどう芸術家っぽいのかというと、この人の軌跡をずっと見てると、美しいものだけに反応するのですね。「美しい」というのはビジュアルだけじゃなくて、アーティスティックな感動というか、まあ、いわばピュアな感動です。そんなの誰でも同じじゃないかと思いきや、普通、もうちょっと別の価値観が入ります。やれお金が稼げるとか、偏差値高そうで周囲に自慢できるとか、老後がとか、キャリアとかスキルとか、、、でも、Fさんの場合、こういった価値基準には不導体で、あまり動かない。

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M.Iさんの留学体験記

 昨年から今年にかけて約6ヶ月間の語学留学をされていたIさん(女性)が、帰国後に頑張って体験記を書いてくださいました。最初はあっさり風味の体験談だったのですが、例によって僕が「ここは?」「ここは?」と原文と同じくらいの分量の追加質問をしたので、かなり掘り下げた体験談になったと思います。

 I さんは、物静かで、おっとりしていて、口数も少なく、そんなに派手に目立つタイプではないです。というよりも、そもそも「派手にする必要がない」のでしょう。自分の世界がしっかりあるから、それをじっくりやれば自然と充実してしまい、それ以上バタバタ騒ぐ必要がない。

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柏崎美香さんのワーホリ”4か月だけの”体験記


 帰国後しばらくしてから、柏崎さんから「悔しい」体験記が寄せられました。自分の体験でもなんか皆の役に立つのではないかということでしたが、それから数回、僕との間で「ここをもっと詳しく」など修正、校正、また修正をやっていただき、かなり充実したものになりました。

 柏崎さんは、僕の印象では、とても有能で礼儀正しく、その面差しとあいまって「端正」なイメージがあります。ところが本人曰くは、それは「第一印象」に過ぎないと。よくその種の”誤解”に遭うらしいのですが、彼女自身の自画像は、すぐに、どうしよ!どうしよ!でアップアップしてしまい、石橋を叩きたいタイプなくせに、思いこんだらポーンと行ってしまうという、自分でも持て余している感じらしいです。

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細谷健太さん
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 東京(出身は茨木)から来られた細谷健太さんです。柔和な物腰で長身を折り曲げて握手するジェントルな彼ですが、やってることは「獰猛」の一語に尽きます。特に語学学校に通っていた4か月のシドニー時代は、「よくまあそんなに」と笑っちゃうくらい”チャレンジ”してます。シドニーフルマラソン完走!(ジャージで)というのは、普通ワーホリ生活の白眉を飾ったりするのですが、彼の場合、新聞の最小活字の訃報くらいの扱いです。着いて一週間のシェア探しでも31件という件数もさることながら、裸足のオージーに対抗して自分も裸足で歩いてシェア探しをする。シェアが決まった翌日には、もうノースシドニーからPacific Highway沿いにローカル店に絨毯爆撃でレジュメを配りまくり、その日のうちに多国籍ピザ屋(ネパール人とかモンゴル人とか)に仕事を決める。冬の海を泳ぎ、ビーチで野宿し、深夜に空港まで歩き、うさんくさい会社の面接まで話のネタで受ける。

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藤田知宏さん
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 大阪の大学生、藤田知宏さんの体験談です。清々しいまでに短いです。2時間くらいかけて机に向かってるからさぞや大作が出来たかと思いきや、「いやあ、先輩の書いたのを読みふけってました。これ以上付け加えることがなくて〜」と悪びれもせずにニコニコ笑って出してくれました。”ちょっと長めの年賀状の添え書き”くらいのボリュームです。僕のこの紹介文の方が数倍長い。

 しかし、そこがトモちゃんの いいと・こ・ろ。普通直近の畑中さんの超大作を見て、次に自分がUPされると思えば肩に力が入りそうなものなんだけど、全然入らない。そのあたりの呪縛から軽々と自由なのが彼の特質であり、それは最大の飛び道具としてこの1年のワーホリに発揮されたと思います。

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畑中章さん
畑中章さんのワーホリ体験記 本編(1)
畑中章さんのワーホリ体験記 本編(2)
畑中章さんのワーホリ体験記 (3)オーストラリア魚介と魚突きの辞典
畑中章さんのワーホリ体験記 (4)WA州えび漁船操業記録&魚介記録


 彼の体験記は凄いです。まずボリューム。道中書き綴ってきたので、WORD文書で印刷して40枚あります。また1年半のワーホリ生活で稼いだ額も4万ドル弱で、これはおそらく過去最高でしょう。もっとも編集しているうちに気づいたのですが、ボリュームそれ自体は、ビッシリ手書きをWORD換算するともっと多い人もいるかもしれません。稼ぎ高も、 アバウト4万という人は過去にもいました。でもこのくらい稼ぐようになると、皆あんまり正確に覚えてないんですよね〜。「そのくらいかなあ?」という。

 しかし、そんな”最高記録”的なことよりも内容のディープさです。車を駆ってオーストラリアを一周し、28針縫う怪我をしつつもオーストラリア中の海で魚突き趣味を力一杯満喫し、あまつさえ漁船生活までした彼のワーホリ生活は、いわゆるワーホリの一つの理念型といってもいいでしょう。

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荒尾康平君の留学体験記


 下から佐賀、福岡と九州勢が続きますが、今度は熊本から来られた弱冠19歳(当時)の好漢、荒尾康平君です。
 彼は正規の一括パックではなく、既に1年留学を申し込んでしまった後にAPLaCを発見してしまった、いわゆる有料シェア探し組です。しかし僕の中では正規フルタイム組以上の存在感があります。コンスタントに報告メールをくれたり、またよく遊びに来てくれましたし。

 体験記にも書かれてますが、こちらに来る前はちょっとキツかったようです。地元の秀才高専に行くのですが、どうにもやってることに意味が感じられず中退。その後、地元のコンビニなどで働くも、これがまた最低時給600円台だわ、盛り上がりに欠けるわで、どんどん迷宮失速。このままいけば、工場などを転々として、最後は秋葉原にクルマで突っこんでたかもしれない、、、というのは半分冗談だけど、笑ってばかりはいられない恐さが今の日本にはありますよね。

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谷口直美さん
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 福岡から来られた谷口直美さんです。ナース歴10年の谷口さんは、オーストラリアでは趣味のダンスを満喫し、また介護ケアのバイトにも励み、最後はメルボルンの医療研修にも行かれています。こうやって結果を羅列すればかなり充実のワーホリであり、本人的にも大満足なのですが、それは「結果」。過程はとてもしんどかったそうです。

 ナイスなシェアも見つけ、順調な滑り出しをした谷口さんですが、徐々にモヤモヤしてきて、ついには活動停止の準ひきこもり状態にまで陥ります。どスランプで、学校も徐々に遅刻早退が多いヤンキーパターンになり、最後の方では登校拒否状態になってしまったという。何が起ったのか?

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立部尚士さん
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 日本では証券会社でバリバリやっていた、佐賀出身の立部尚士さんの約4か月の語学留学体験記です。

 彼はいろいろな意味で他の方々とは違い、むしろ僕自身が最初に来たときに似てます。昨日まで日本で第一線の激務に追われつつ、30歳過ぎてから海外に新展開を模索して、とりあえずは最初は語学学校をして、、という方法論が似てます。似てないのは、僕と違って立部さんは海外での就職機会・キャリア機会を模索していた点です。オーストラリアの前には、ブラジルにも視察にいっているそうです。視察と英語研磨がメインなので、学生ビザをとるまでもなく観光ビザだけで修了してます(途中ビザリセットのためにNZ旅行を挟んでます)。

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天野むつみさん
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 島根から来られた天野むつみさんです。
 スラリとした上背、あくまでも口数は少なく、英語や実務能力も高く、埃を鎮めるような静かさで仕事をし、気がついたら全部出来ているという。なんか近寄りがたい有能な秘書みたい、静かな佇まいは女優さんみたい。同じ週に来られた同期の長谷部君(今はワイナリーファームにハマって転々としているそうな)と「ちょっと話しかけにくい感じだよね」「ですよね」とか話していたものでした。

 が、その内実は、可愛らしい体験談でもお分かりのように、日向(ひなた)の匂いがするホコホコした人柄です。「おっとり」という言葉がよく似合う。イメージギャップがあるのですが、要はシャイなだけなのですね。シャイだからあくまで無口で控えめ、そしてシャイだから地味にコツコツ努力するのは得意だという。それが結果として、ある種の近寄りがたさに見えるという。

 彼女くらい「気負い」の無いワーホリさんもまた珍しいです。

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佐藤礼子さん

 佐藤さんは山形出身の美容師さんです。
 →右の写真は、Marrickvilleのシェアへ移動した際のもの。

 シェア探しの際、持たせてあげた肉じゃが弁当を食べながら、自分のダメさ加減に情けなくなり、バス停でポロポロ泣いてたという佐藤さんは、頑張って陽気で優しいロスさんを探し当てます。
 そして、家賃の高さ(195ドル)にめげそうになりながらも稼ぎ続けました(4か月の学校時代のバイトで4500ドル)。

 しかし、ここでの体験が、あとになって大きな大きな飛躍のタネになっていきます。
 なんか作った話みたいな、まるで嘘みたいな、とってもわかりやすい図式なんだけど、でも、事実なんだから仕方がない。でも、世の中って結局そーゆーもんだと思います。意外とベタなんだよね。

最初の一週間終了時点
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滞在1年半時点、ラウンド中にて
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 これは中間報告です。右の写真は再出発前のパッキングで途方に暮れている図。

 美容師歴9年の佐藤さんは、そのキャリアを遺憾なく発揮、滞在期間のほぼ半分はオーストラリアのローカルの美容室で働いています。語学学校時代では、ジャパレスでのバイトの傍ら、シェアメイトのロスさんに助けられてシェア近くのローカル(Marrickville)の美容室で働きはじめます。

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追加報告:日豪美容師事情


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追加報告:キネシオロジー・トレーニング受講体験談
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 さて、その後の佐藤さんですが、なんとケアンズで待望の彼氏と巡り会えたそうです。フランス人だそうな。
 帰国後、WH時代に知り合った人々を訪ね歩いて「日本ラウンド」を行い、今は、故郷山形でフランス人の彼氏と住んでいるとかいないとか、待たれよ、続報。

 →その後、彼氏とカナダワーホリで頑張っているというところまではフォローしてます。

 →さらにその後、カナダで永住権取れた?とかいう未確認情報が。

堀江教弘さん
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 最初の一週間終了時の動画インタビューでも登場していただいた堀江教弘さんです。

 彼のワーホリ生活を一言でいえば、「心の旅」だったと僕は思います。今回、かーなりディープにインタビューしててそう思いました。堀江さんのワーホリ経過は、最初シドニーの語学学校に行き、教職を持ってることもあってJ-Shineも取り、その後ラウンドに出てファームで働き二回目ワーホリをゲット、さらにパースに流れてそこで半年ジャパレス生活になるという。いわゆる定番のワーホリアイテムが順調に登場したりするわけですが、しかし、こういった外見的な流れはあんまり本質に関係ないです。

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池孝太さん
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 大阪出身の池孝太さんです。奥さんの小百合さんとご一緒にワーホリで来られました。

 孝太さんは大阪出身なのに綺麗な標準語を喋ります。東京、福岡と勤務が続く中で自然とビジネス用語的に標準語が身についてしまったという。人材派遣の会社で営業職をしておられた彼は、いわゆるキチンとした日本のビジネスマンです。日本のキツイ営業をやってるからシェア探しも「こんなに簡単にアポが取れるなんて嘘みたいに楽ですよ」とクリア。

 人材を斡旋する会社の営業職ですから、常に一定比率で出社拒否になる人が出てきて、得意先から文句を言われつつ、その人の自宅まで行ってカウンセリングみたいな相談をするなど大変です。土曜の朝に起きて携帯をみたら着信50件とかなってると「あ、週末ぶっ飛んだ」で終日対応に追われるという。

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伊藤友生さん

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 島根県出身(島根の人、多いんです)の伊藤友生さん。「同じモノは続く」というジンクスか、長身眼鏡の理系男子の伊藤さんも、実は自転車野郎だったのでした。といって最初からそのつもりだったのではなくく、こちらに来た初日に自転車屋を目にしていきなり火がついたという。

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浅井雄一さん 332頁目


 動画館でも登場していただき、その飾らないひたむきさで一部に絶大な人気を誇る、19歳の好漢・浅井雄一君ですが、自転車でのオーストラリア一周を達成し、帰ってきました。

 いやあ、もう、よく無事で帰ってきてくれました。うれしいです。すっかり顔つきも大人になっちゃって。

 この体験談は、そのときに書いていただいたものですが、一頁だけだけど、美辞麗句や遊びが一切ない、まるで卒業文集のような体験談は、それだけに直球ド真ん中です。一球入魂。

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 その後の浅井君〜二回目ワーホリ経過報告
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 さらにその後の浅井君(その2)〜帰国直前
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 さらにその後の浅井君(その3)〜台湾自転車一周〜帰国後
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宮崎恵さんのワーホリ体験記
 「直筆」ではないのですが、メールで体験談を書いてくださった宮崎恵さんです。
 とても素直に、しかし的確に書いていただいたので、ほとんど編集や修正する必要がありませんでした。
 また長文なのですが長さを感じさせない文章のうまさというか、そのときそのときの状況と心の動きを、リアルに、飾らずに書いておられるので、後から来られる方にはとても参考になると思います。
 なお、本編の後に経過報告メールを2本を付加しています。リアルタイムに状況を書かれていますので、臨場感倍増です。

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ワーホリ後3年〜大阪→ケニア転勤・出産・テロ→帰国。そして〜 (2014年04月22日)
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林香菜子さん

 林さんは生まれも育ちも東京の看護士さんです。林さんの場合、ワーホリ期間中たくさん協力していただきました。
 →右の写真は、最初の一週間(とか着いて二日目)にAsfhieldのチャイニーズ料理をランチで食べたときのもの。

最初の一週間終了時点

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シドニー4か月を経て、ラウンドへ旅立ち時点

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ラウンド終了、1年間のワーホリを終えて

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錦織千絵さん

 錦織さんはコンテンツが多いのですが、それ以上に軌跡が破格です。
 最初、おずおずと「お試し」的に3週間だけオーストラリアにやってきて学校通いをしたのが起爆剤になり、以後本格的なワーホリ。シェア探しも35件以上という件数よりも濃密さが破格。一軒最低30分滞在目標のほか、見学先の人の個展に行ったり、決めなかったシェア先3−4件から後日パーティにお呼ばれされている。語学学校時代にバイトの傍ら英語教師養成をみっちりやりとげると、今度はラウンドで森の中の原始生活を堪能、そうかと思えば毎日トロンボーンのバスキング(大道芸)で小銭を貯めてはバッパー代を払い続け、2000ドル騙し取られてスッカラカンになったら地の果てから(正味数千キロ離れている)オージー達がヘルプに駆けつける。

 日本に帰国するや、国際訟務事務所でアメリカ人弁護士&鬼のように英語が出来る日本人のおばさま達に囲まれて楽しくすごしたと思ったのも束の間、今度は早稲田大学の国際学部の図書館に勤務、そこで留学生のイケメンのインド人のお兄さんと意気投合し、実際にインドまで遊びに行ってしまい、さらに現在はインドでの就職レディだそうです。「どこまでいくんだ?」って感じで楽しい限り。ほんと、ワーホリなんか通過点の一つに過ぎないんだなってんがよく分かります。

 →右の写真は、最初の3週間お試しの際。この頃はまだ普通のOLさんというか、日本人旅行客って感じです。

序章:3週間だけの高密度体験談

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シェア探し直後動画インタビュー

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ワーホリ終了時の体験談

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帰国後〜インド行き

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  第三分冊 203頁〜297頁 記載時期 2009年1月〜2010年09月
  第二分冊 101頁〜202頁 記載時期 2006年6月〜2009年1月
  第一分冊 1頁〜100頁  記載時期 2001年9月〜2006年6月


みんなの写真館

APLaCを訪ねてこられた皆さんのスナップショット集。単あるパーティ写真だけではなく、シェア探しのリアルな記録や、1年でこんなに成長した”Before/After”など

みんなの動画館

一括パックで来られた方々の最初の一週間終了時のインタビュー、実際にシェア先の中まで入っていっての映像、レストランや移動中などのオマケ映像、さらにはワーホリを終えて帰る方々のインタビューも掲載しています。



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