しかし、それ以上に特筆すべきは内面主観です。留学体験者の夢見る「英語を使ったお仕事」もゲットして花のOLライフをエンジョイしていた成田さんですが、これまでの対世間スペックを揃える優等生的ありかたに、徐々に「やってられっか」って気分になり、その全てをガンガンと叩き壊していきます。これは、その壮絶なスクラップ&ビルドの物語です。
成田さんは、オーストラリアとかワーホリの検索でAPLACに辿り着いたのではなく、ブランキー・ジェット・シティ(という日本のバンドがあった)でした(過去のエッセイに
を書いてる)。15歳からブランキーをこよなく愛する少女が、何を間違ったか優等生ライフを送っているという根本的なズレに段々耐え切れなくなり、歌詞にあるような「自然の掟に生きるケダモノの世代」に自己回帰していこうとする。
ちなみに本当に「15歳」という曲があるのですね。「15歳で家出して、彼女は彼に出会ったのさ」に始まり「ギターケースの上に座り、クリーム色のバスを待ってたとき」「遠くの方でカミナリが光るのが見えたよ」とラウンドの情景を彷彿とさせるような情景が、未来を暗示する予知夢のように歌われるという。出来すぎというか、「ソーダ水の粒のように楽しそうな日々は流れる」「人はかつてみんな無邪気な子供だったよ」という歌詞全部引用しておけば紹介文になるんじゃないかって気がするくらい。
といっても、当然ながら一気にコトが進むわけではない。シドニー時代からラウンドの初期にジンベイザメ観光をやってるくらいまでは、これまでの優等生ノリがメインフレームになります。なんとかそこから脱したいんだけど、どうにも切り口がわからない。わからないままニュータウンでレジュメ玉砕したり、知・情・意に優れたシェアメイト達から学んだり、ケンブリッジコースでチェコ人と飲み歩いたりしてます。まずは充実した、でも本質からは隔靴掻痒の日々。
それがバコーン!と大洗礼を浴びるのが、カナーボンでのエビ採り漁船です。あまりの船酔いで植物人間化して港に送り返されるという。優等生もクソもないド現実。その後ベトナム人の唐辛子ファーム、カナーボンのチャイニーズカフェで稼働する一方、台湾人6人との、まるでTVのフレンズみたいな、あったか〜い友達家族環境に浸ります。段々面白くなってきますね。
そしてフィジカルからメンタルへ完全にギアシフトが行われたのが、森の中のアーティストのウーフ生活でしょう。生き方や経営スタイルまでアートしてるような森の生活、陶芸、イベント、日本総領事、量子力学、チベットの坊さん、そして一時期パートナーになる男性との邂逅。あれこれの出来事がどうというよりも、それらの出来事が触媒になって、本来の課題であった精神的、哲学的な方向に収斂されていきます。一過性のラウンドでどこで何をやるかではなく、自分はどう生きたらいいのか?という大テーマ。
そして、最終局面になるタスマニアへ。楽しい観光トリップに次いで、クリスマス繁忙ホテルジョブをゲットし、ホバートの屋根裏部屋で猫と暮らすというリアル魔女の宅急便的情景に喜んだのも束の間、そこのマダムと大喧嘩して飛び出すことに。元旦直前に職ナシ家ナシで、魔女転じてマッチ売りの少女になる。二人で迎える暗い正月。彼とも隙間風が吹き始めるテント生活。めげずにジョブ探しをしたら廃坑の街Queenstownのインチキローカルカフェをゲット、彼と別れてまで遠路を赴くもハズレ。また喧嘩してやめて、彼と再会。オンボロ車を買えば、いきなりエンコして廃車同然。もう踏んだり蹴ったりの波状攻撃ですな。これでもかってくらい。
このあたりが大底で、この後GumTreeでヘルプを求めたら、天使のようなオージーが出現し、面倒な手続きからなにからやってくれ、おまけにありえないくらいの額で車をひきとってもらえる。捨てる神あれば拾う神あり。一か八かのローンセストン突撃ジョブ探しで見事レストランジョブをゲットし、しかもシェアメイトにも恵まれるし、仕事ってこうやるのかって達人的な人にも出会え、新たに良質な車を安く売ってくれる人に出会えるし、所持金8ドルになるも全体には上げ潮になる。
が、彼との関係が友達なんだか恋人なんだかというイミフ状態になりつつ、日本語教師の広告やら、折り紙ボランティアやら、思いつくままあれこれやる。この時期、とりあえずは生計は立つものの、状況的には中途半端というか、すべてが浮動状態で、精神のバランス力が強く求められる局面になります。そしてこの時期に成田さんは一気に考えを深めていきます。もう「ハチワンダイバー」のディープダイブのように。
「どう生きればいいか?」というのは、単なる高踏的な抽象思考ではないと思います。日常においては、絶え間なく目の前に突きつけられる現実に向かいあい、これをどう捉えるのか、どうしたいのか、どの角度からどう取り組むべきのか、瞬時に、あるいは悶々と眠れぬ夜を過ごしながらその決断をし続けていくこと。切れば血が出るような具体的なレベルの問題でしょう。いわば抽象と具象の交差点に常にいるようなものです。
成田さんに関して、僕が一番凄いと思うのは、ここを踏ん張ってやり遂げている点です。何をしたからどうとかではなく、小刻みに現実を変え発想を変え、何をするとどう気分が変わるかを注意深く観察し、自分の価値観や主観を点検していく。なぜ不安になったりイライラするのかという本質までさらに掘り下げていくにつれ、徐々にもつれた糸が解けていく。途中で放り出さず、いい加減なところで分かった気にもならず、やり続けている。この過程こそが、彼女の1年のワーホリの、そしてこの体験談の白眉になる部分だと思われます。
ここは非常に興味深いので、リアルタイムのメールのやりとり(
メールのやりとり抜粋抄)もオマケにつけておきました。さらに補充質問で突っ込んで聞いています。
ラウンドを終えて、帰国直前
結局どういうことだったの?といえば、これは本人しかわからないでしょう。
そりゃ理屈では言えますよ。例えば優等生って何?っていえば、なんでも想定内に収めようという予定調和であり、全てが整理整頓されてキチッと隙のない状態、その状態価値だと思われるのですが、それがゆえに大きな欠点がある。第一に現実はそんなに整理されてないから収拾がつかなくなって破綻する、第二に破綻を恐れて小さな予定調和の箱庭世界に安住しようとする、第三に最終的な価値決定権者が状況(世間)なので、それに合わせて自分を作るから自分が自分でなくなっていく。ま、この程度のことはちょっと考えれば分かることですが、しかしそれをどう打破するかが難しい。WHY?はわかってもHOW?がわからない。また打破して自己奪回したときの生理的な感覚(コツ)がこそがキモになるのだけど、それは本人にしかわからない。「逆上がりができたときの感じ」「自転車に初めて乗れたときの感じ」のように、極めて主観的で体感的なものだからです。
ヒントらしきものは、例えばここで出てくることでは、意味に囚われない、なんでも白黒つけようとせず、曖昧なグレー領域を墨絵のように楽しむとか、自分の核心たる中庸を知るためには一度両極に振れてみる必要があるとか、いろいろありますが、それは読んでて分かるというものではないでしょう。自転車でいえば「バランスを取りながらペダルを踏め」というアドバイスのようなもので、それはそうなんだけど、それを知識として得たところで何の解決にならない。
だから成田さんの発見は成田さんしかわからない。でも、それを得るために彼女がどういう道のりを歩いてきたのか、また山あり谷あり、船酔いあり、恋あり、喧嘩ありの出来事が、いかに感覚や価値観に影響を与えているか、その影響をいかに解釈咀嚼するか、その姿勢ややり方は大いに参考になると思います。
ラウンドを終えて帰ってきた成田さんにお会いした時、「やあ、変わったなあ」と思いました。ラウンド終えると誰でも変わるし、僕も見慣れているんだけど、これだけ変わったのは珍しい。大人の女性になったというか、子供も産んでないのにもうお母さんになっちゃった、みたいな。優しくて、柔らかくて、だから折れようがない。「柳に雪折れなし」って諺があるけど。
さて、1年を終えての短い日本の休日で、オーストラリアの体験を誰に喋っても理解してもらえない(そうだろうな)成田さんですが、そんなの全く気にせず日本の日々をエンジョイし、さらに旅は続きます。今は二年目でオーストラリアに来ておられます。トランジットのマレーシアでまた発見と課題(英語人格と日本語人格のズレの補正)があり、当分自分が自分であること、自分であり続けながら生きていくことを、乗りたての新車の性能を確かめるように慣らし運転をしているでしょう。よく晴れた日、人っ子ひとりいない山奥で一人で峠を攻めているような。ソーダ水の粒のような楽しそうな日々。