問1
美代子さんは大学のアカデミニズムにいたわけですけど、それって高校から進学する時点でそういうつもりはあったのでしょうか?あるいはやっているうちに段々面白くなっていって入っていったのか。それプラス、実社会で就活もな〜、、、、という億劫な気持、ややモラトリアム的な気分もありましたか?
高校時点で、「日本史の研究者になる!」と決めていました。
高校の時に予備校で受けていた日本史のクラスの先生が、今となっては分かるのですが、いわゆる右翼・・・というかとても保守的な政治観の人で(とある公立の大学院の博士保持者で、学術的訓練はきちんと受けている)、でも授業そのものは飽きさせない工夫が沢山施してあり、初めて歴史を面白いと思えたからです。
で、その面白い授業というのが愛国心というか、「日本最高」みたいなナショナリズムを煽るものでした。だからこそ面白く感じたというのもあったと思います。
歴史への興味をもたせてくれたことは今でも感謝していますし、17・18歳の歴史リテラシーがないまっさらな状態でナショナリズムを煽る授業をされたら抗うのは大変に難しい、あるいは不可能なのだということを体験しました。
そして大学に入り日本史を専攻しますが、歴史学というより文化史学だったので、自分が想像していたのと違い、全く面白くありませんでした。
今思えば、私が興味をもっていたのは文化史ではなく思想史なのですが、当時は思想史、文化史という区分があることも知らなかったので、大学の歴史学ってつまらないんだなあ・・・とがっかりしていました。それで授業には出ましたしレポートも書きましたが、単位を取るだけで入学当初の様な熱意はなかったです。しかし、この時期が自分の中にあった熱狂的なナショナリズムが解毒されたのでこれはこれでよかったと言えばよかったのではないかと思っています。
だから卒業後は企業に就職するつもりで、就活もしました。就活は大学3年の10月から大学4年の4月までやりましたが、あのシステムは本当におかしいと思いました。
「自己分析」ばかりして、まだ22歳で何も社会のことが分からないのに企業の美辞麗句が並んだ各々の会社のHPを隅々まで見て、それをもとにしての「企業分析」「業界分析」をして、もっともらしい応募動機をひねり出さねばならない、さらにA3の用紙にびっしり手書きでそれを記述するなど。それを何十社も。
それでいてやっとこぎつけた面接では人事のプロでもない、若者と久しぶりに喋ることができてテンションが上がっているだけのおじさんや、圧迫面接という名の元に応募者に無礼な態度を取り、潜在的顧客を失っているという企業的損失を計算できないような面接官ばかりでほとほと嫌になり、もう精神的に限界になって、ある日いきなり就活をやめました。いくら考えても、どこの業界にも応募動機が浮かばない自分がいました。
また、4年生直前に、当時所属していたゼミで卒業論文のテーマを決め始めるように言われ、2年生の時に教職課程のため履修していた日本の教育制度に関するクラスで推薦図書の一つとして挙げられていた内村鑑三『代表的日本人』が面白かったのを覚えていたので、それを何となく卒論のテーマにしました。いざ卒論に取り組んで、初めてまともに「研究」をやってみたら、面白くて驚きました。
また、4年生になってからたまたま履修した一般教養の「アメリカ宗教史」という神学部の先生の授業も感動した程に面白くて就活に嫌気がさしていて限界だったのもあり、「就活を辞めて大学院に進みたい」と思いました。
卒論のテーマにした内村鑑三がクリスチャンで、卒論を書いたものの彼の思想のコアにまで踏み込めなかったこと、すでに自分がいた文化史学がつまらなかったこと、また感動した授業をした教授の所属先が神学部であったことから神学研究科に進むことにしました。
正直に言えば、就活からの逃げの要素もあったと思います。
ただ何のプランもなく就活をやめるというのでは格好がつかないけれど、大学院に行くと言えば格好がつく、と。どこかで自分は逃げたんだという後ろめたさがありました。この時点で博士を取ると周囲に宣言しましたが、実は大学院が修士2年、博士3年、最短でも計5年という事も知りませんでした(笑)勝手に全部で3年くらいだろうと思い込んでおり、大学院に入学してから5年だと知りました。危なっかしい限りです。
問2 :「問1」さらに敷衍します。現在の大学院後の就職状況、いわゆるポスドクなどをみるに、大学院という方向性は、決して平坦な道ではなく、それどころか苦労するためにやっている(「詩人になる」みたいな)面もあると思います。それは無論承知の上だったと思うのですが、その時点での将来設計はどうだったのでしょうか?
もっといえば、美代子さんは、僕がみるところ、「学究の徒」としての純粋性をもっている(つまりは学問の面白さを知っている)のですが、同時にそれでは収まりきれないパーソナリティがあるように思います。いわゆる日本の「大学人」としての共通属性みたいなもの、例えばなんだかんだ言って根っこの所の人生設計では保守的であるとか、キャリア形成=人生スゴロクみたいに見立てるところとか、そういう部分が乏しいと思うのです。「もっと大事なものがある」というか。それが例えば地震、放射能による日本脱出などに連なってくると思うのですよ。キャリア第一だったらそうはしないと思うし。そのあたりの自分分析とその当時の将来像などはどうだったのかな?と。
将来設計はなかったも同然です。日本では起業も考えたことがなかったです。何の計画も立てず、漠然と「自分は優秀だから、就職できるだろう」と思っていました。実際には無理だったんですけど。
あと、自分は平均くらいで、特に優秀ではなかったです。博士課程に入ったらどこかの大学で非常勤講師をして、政府からの奨学金をもらって、良い学会発表をして顔と名前を売って、博論を書き上げて、助教か准教授のポストに就職、といった甘い考えでした。しかし実際には、優秀であっても運がなければ就職は難しいし、学閥がなければ非常勤講師の口すらないというのが実情でした。東大京大にあらずんば人に非ず、というような。芸能人や野球選手をめざすようなものだと思います。
博士課程に入り、学会で発表をするようになってから、学問とは一体何だろうと疑問が出てくるようになりました。
私の専門であった神学は「信仰者でなくてはできない」学問とされており、極めて閉鎖的な学問です。方法論も確立しておらず極めて曖昧で、ひどいものになると論文の結論部分が筆者のただの信仰告白というものまであります。
神学研究科の博士課程を出たところでクリスチャンではない自分は研究職につくのは不可能だと悟りました。
自分の専門テーマに近い求人があっても、条件として「クリスチャンであること」が必ず付帯しており、そういったポストはただ大学で教鞭をとるだけでなく、大学のチャプレンとしての役割を同時に求められるポストばかりであり、応募すら不可能でした。
博士課程1年生だった時の私は野心にたぎっており、じゃあ受洗してやろうと、教会に行き受洗しました。
同志社は世俗?の学界での学閥はありませんがキリスト教業界では立派な学閥があるので、教会のなかでも牧師と伝道師が同志社出身である同志社系の教会を選びました。自宅から電車で一時間弱の所です。
受洗に際して牧師と数回面談したり教会で委員会の人達と会う必要がありましたが何を言えばいいか全部わかっているので、クリアするのは簡単でした。信じていないので、「受洗なんて頭に水をかけられるだけ。それで研究職への応募が可能になるならば」と考えていました。しかし毎週日曜午前中にまったく興味がない話を聞きに行くために早起きしするのは無理で、受洗早々幽霊信徒になっていました。
また、神学研究科に入った時点で、教会に行く前から教会の裏事情を知っていた影響というのもあると思います。
基本的にどこも「神学研究科」は神学校であり、牧師養成所の役割もあり、牧会の現場の裏話なんかが自然に耳に入ってきます。
「○○教会の牧師は独裁者だ、しかし長年勤めているためその教会はもはや組合教会の信徒委員会がもつ牧師罷免権の行使を忘れているかのようだ」とか。
「○○教会は建物自体がなく実体がない、しかし神学の研究者になりたい院生と牧師になりたいが実際に教会での研修は面倒くさい神学生(学部生)が月に一度集まってかろうじて教会の名を保っているだけで牧師もいない。そいつらはそんな教会に所属?して何がうまみかというと、教会への奉仕なしに補教師への試験資格を、また教職への応募資格も得られることだ」とか。
そういうのを教会に行く二年前から日常的に聞いていました。
神学校の基本は牧師養成で研究者養成は正直サブです。
牧師をまず養成し、その牧師が研究者志望であったり優秀であったら、神学校の教職として将来的に招聘されるという流れです。牧師になってから貯金したり、奨学金を取って海外留学に行ったりする人もいます。
しかし、研究職志望の学生と牧師志望の学生は取るカリキュラムが全く異なり、あちらはひたすら宗教法人法、つまり教会を運営していくにあたっての法律やその神学校の母体の教団、同志社であれば日本基督教団の成立とその歴史を勉強しているのですね。
神学はとてもねじれている学問で、このような牧師志望の学生(実践畑)は、あるいは牧師は試験勉強と、試験に必要な部分の神学の知識はあるのですが、何というか学術的ではないのです。正直、聖書をあまり読んでいない人も多いのですね。
彼らは教会で日曜礼拝の説教を作るために、教会ではどのように聖書が読まれてきたかに重点を置き、過去の説教集を読んだりなど。
一方で私のような研究者志望の者は(理論畑)、特に自分の研究対象でもない限り、そういうものを読まず、聖書を読み、主に西洋の神学者の議論を読んでいる訳です。
戦争論、宗教右派がアメリカ政治に及ぼす影響、キリスト教生命倫理などテーマは無限です。だから、同じ聖書の同じ個所でもお互いにどのように解釈するか知らなかったりします。理論と実践の乖離が非常に激しいのです。理論畑と実践畑の人はお互いに「あっちは何も分かってない」と反発しています。
このようなことが見えてくると、
「神学は教会のための学問というが、どこが教会のためなんだ?何も現場の役に立っていない」
「教会のためだからこそ、神学徒を信徒に限定していたのではないのか?」
などの疑問が出てくるようになりました。
また、上記のとおり神学は方法論が確立されておらず極めて曖昧な学問であり、研究を進めていくうちに、神学の論文では歴史学や宗教学など他分野からの引用がされているが、その逆はないということに気づき、神学に失望し始めました。現代学術の平均水準に達していないのだと。
なので、自分の理論の背骨を作ろうと隣接分野である宗教学や宗教社会学などの宗教○○学の方に足を突っ込み始めました。
そうしてみたところ、そちらでも理論と実践が乖離していました。
宗教○○学は、特定の宗教を信仰していない人が「客観的に」宗教を研究するというものです。宗教○○学会の懇親会に出た時に、酔いが回った参加者の一人から「宗教なんか信じてる奴は・・・」と本音が出て、何らかの宗教を信じている人を見下す発言を聞きました。
宗教なんか信じてる馬鹿な奴らを聡明な自分達が分析してあげる、といった口調でした。でも、その人の研究は、宗教○○学である以上、広い意味で宗教研究の有用性、ひいては宗教の有用性を説いているわけです。言っている事とやっていることが違う、と意味が解らなくなりました。
また、哲学系の人が、「他者」とはどこまで行っても分かり合えないのだから、それを前提に据え、それに共に絶望しながらも連帯することが重要なのだという説をお持ちの先生が、「他者」である生徒に自らの権力を振りかざした暴力的な振舞いをしていたりと。
その人の論文は色んな所で引用されています。つまり、学術的にその理論は優れていると認められているが、提唱者の当の本人が実践できていないということです。提唱者すら実践できない理論に何の意味があるのかと。
「もっと大事なものがある」というか。それが例えば地震、放射能による日本脱出などに連なってくると思うのですよ。キャリア第一主義だったらそうはしないと思うし。
これは家庭環境の影響も大きいと思います。
キャリアは大事だったと思うのですが、私が一番大事に思っているのは健康なんです。私が幼い頃に父が脳梗塞で倒れ、今に至るまで半身不随で苦しんでいる姿を見てきているからではないかと。父はリハビリの甲斐あって日常生活は不便ながらも一人で送れますが、それでもやはり辛そうです。それをずっと側で見て育ってきたので、
仕事も趣味も人間関係も、健康あってこそのものなのだと考えています。病気だったら何もできないですし。
あと、自分の体験として、24歳の時に自律神経失調症となり食欲不振が5年間続いて苦しんだというのも大きいです。
命に別状は全くないし、外見上も体重は落ちたもののそんなに不調とは周囲には悟られず、でもQOLが著しく下がるという経験でした。食欲がないと力が出なくて体力がなくなって、友達と外へ出かけるにも研究をするにも論文を書くにも何をするにも不便でした。
食欲がないといっても食べないと死ぬので仕方なしに食べるのですが、それは本当に砂を食べているようでした。それが日に三度。味はわかるけれども、おいしいと思わなかったんです。義務で口に食べ物を文字通り押し込んで水で流し込む日々、それでも一向に快方に向わず、しまいにはそれに起因する体調不良がストレスとなり入眠障害も併発し睡眠薬なしに眠れない生活でした。当時は、出口が見えない地獄のように思えて、「健康がないと何もできない」と痛感しました。
そのような状態が続いている中で、チェルノブイリの事故で「チェルノブイル・エイズ」と言われているように、全ての免疫力が落ち「病気の花束」を抱えた状態に自分が陥り、体調がさらに悪化する可能性があることに恐怖を持ちました。
さらに政府が放射能希釈拡散政策を取っている、国民は「痛みを分かち合う」「絆」というスローガンのもとにそれを支持している、放射能を拡散するのではなく安全な土地と食べ物を西日本に残して被災地の人達の受け入れ先を確保し安全な食べ物を提供しようと政策に反対する人々を「自分勝手」「非国民」とののしっている・・・という状況が第二次隊戦時下の日本の状況と完全にオーバーラップして見えて、自分の国は戦後70年が経過しても何も変わっていないのだ、もう未来はないと国を捨てる決意をしました。
勝算のない戦争をし、「日本は戦争に負ける」といったら国民から非国民扱い、優秀なはずのエリート達がインパール作戦などという無茶な特攻作戦をたて崩壊していった戦中の日本と完全に重なりました。
健康を損ねる可能性が上がるものを避けられることがわかっていながら避けないというのは、私の中で選択肢としてありませんでした。何事も、命あっての物種だと思うので。
また、原発事故以降、学界に失望したというのもあります。政府の上記の政策に総力を挙げて反対するかと思いきや、まるで鈍感で、全く気にしないか、あるいは放射能を気にしている私のような人間は「非科学的、学術的でない」という扱いでした。
放射能が人体に対した影響を及ぼさない事は「学術的」に証明されているのだと。しかし、その「学術的」データが蓄積されていった歴史を見ると、どう見ても完全には正しいとは思えず、疑問の余地がおおいにあるものでした。たとえば、日本政府が「放射能は、4年間は人体に大した影響を及ぼさない」という論拠としているデータは旧ソ連政府のものです。なんで4年間かというと、事故4年後にソ連崩壊が始まったので隠しきれなくなって出てきたのではないか、それで4年後なのではと。調べればすぐわかるこういうことを調べず、放射能を気にする人、いわゆる「一般人」を「これだから学術的訓練を積んでいないやつらは」と見下す研究者もいます。
とある歴史学の教員もそうでした。データ成立の歴史をきちんと見るのは、それこそ歴史屋の仕事ではないのかと腹だたしかったです。手弁当で、日々の多忙な生活の合間を縫って一から思考錯誤しながら勉強する一般市民を一笑に付し、勉強してお金をもらう大学の教職についている時点で発言に一定の権威を帯びる者が自身の不勉強から「一般市民の取った市民測定所のデータなど信用できない」と公言し、結果として国家のイデオロギーに加担している様を見て何が学術的訓練だ、学術は絶対ではないぞと自分は憤っていました。
といっても、大半の研究者はあまり気にしていません。
というか、気にしてはいますが、自分達は事故前と同じ生活をし、放射能の影響は福島だけで、自分の住んでいる地域は離れているし大丈夫だろうと構えています。
ただし、東大で教鞭を取りながら放射能による被曝をとてもご懸念され、事故発生当初から、若い女性と子供は関東から全員避難するのが望ましいと公言し、精力的に政府への反対活動をされている宗教学の先生もいらっしゃいます。
日本政府が安全論の根拠として出してきているデータや、そのデータを出している団体の歴史的経緯からその政治性とデータの根拠の疑わしさを暴露し、先日ついにその本が岩波書店(だったと思います)から出版されました。そのような方を見ると「日本の学術にも良心はあるんだ、戦時中と異なり検閲もないのに曲学阿世をしている学徒ばかりではないんだ」と本当に力づけられます。その先生は、自分のおじい様が東大医学部の教授で、かつて水俣病隠蔽に与した方だったので自分はその轍を踏みたくないとのことです。
他にも書ききれないほどの「学術的訓練」(笑)を受けた人達による脱力エピソードを体験し、その先生の良心に勇気づけながらも、やはり全体としての学界の鈍さに失望し命と健康さえあれば他のものは全部失っても取るに足らないし、もう一度取り戻すことだってできるのだからと考えて脱出した、というところでしょうか。
問3 :「あまり思い出したくない」という「みじめなシドニー時代」ですが(^_^)、しかし、思い出すべき、覚えておくべきだということはお分かりでしょう。実際、美代子さんの(かつて一度も伸ばされたことがなかったかのような)「伸びしろ」は、シドニー時代の「世間を知る」という「一般教養過程」によって開花し、ハッキリいってシドニー時代に「変身完了」してたように思います。以後のラウンドは、変身した自分を身体に馴染ませていく過程=「路上教習」みたいな。
さて、ここでお聞きしたいのは、「問2」との絡みです。
大学アカデミズムに隠れていた「もう一人の自分」がむくりと起き上がってきたような実感などはありますか?
実感はなくとも、世間的なやりくりなど「生きるということの具体性」を知ること、その価値を賞味しているのは、「アカデミックな自分」なのか、「もう一人のナマの自分」なのか?体験談では、アカデミックな自分がやや書いている部分があると思うので、そのあたりを聞きます。
実感はないですね。
でも、「学術的にはこう行動するのが正しいんだろうけど、正直自分には出来ないなあ」と考えることはなくなった気がします。
「生きるということの具体性」を知ったのは間違いなく大きなプラスです。
その価値を賞味しているのは、うーん、両方の自分だと思います。
うまく説明できないのですが、多分「アカデミックな自分」「もう一人の生の自分」という区切りはない気がします。アカデミックに隠れていたもう一人の自分が出てきて、それがアカデミックな自分と統合した感じというか・・・。難しいですね。
ニュースなど見た時にぱぱぱっと頭の中でアカデミックな分析が出て来ますが、それはわざわざやろうとしてやるのではなく、勝手に出るというか。
でも、自分をどこかで押し殺している感覚はもうないです。
今はもう一人の自分が表に出て、アカデミックな自分は隠れてはいないのだけれども、後ろで補佐しているような感じですかね。
問4 :体験談でお書きになっていたジャパレス最低賃金論ですが、一応の学問水準でいえば、以下のような批判が当然考えられます。
まず、本当にジャパレスが完全に法律を守っていたら=ローカルジョブしかなかったら、多くの日本人ワーホリ・留学生は職を失い、苦しい現地生活を送っていたでしょう。というか、そもそも無理!ということで、裕福な階層しかワーホリができないという結果すらをも招くでしょう。絶対そうなるとは言わないまでも、そうなる可能性は高い。そもそも美代子さん自身が700ドルどころではない数千ドルレベルの負債を背負い、どうしようもなくなって帰国というシナリオもリアルにあったと思います。その点をどう思うかというのが一点。
第二点は、法律があるから守れではなく「その法律は正しいのか?」論です。一方では最低賃金無用論もあるわけですよね。賃金は正しく需給バランスで決まるべきであり、労働条件の改善は他の面(休憩時間とか衛生とか)でやればよく、経済的に決まるべき賃金を一律に決めてしまっても、結局守られないから無意味であるか、あるいは労働者から仕事を奪うという結果になりはしないか。
ここで、「法律至上主義 VS 悪しき現状追認主義」と戯画化したら、当然ながら不毛な話になります。そうではなく、それを止揚できないか?法や制度が持っている本質的な偽善性、欺瞞性、逆進性を念頭におきつつ、他方では現実が持っている残酷性や猥雑性を睨んで、どうしたらいいか?です。例えばオーストラリアの最低賃金でも、徒弟的なアプレンティシシップには安く適応されますが、それと類似した制度、ワーホリや留学生などについては、状況の特殊性を考えて18ドルを12ドルに引き下げ、その代わり厳正にやるとか。
ま、どうでもいい議論なんですけど、美代子さんの知的レベルからすれば、やや「やっぱり守って貰いたい」だけの記述では、それが体験談であって論文ではないということを割り引いても、やや粗雑な論議だという気がしましたので。
私は、最低賃金がどうとか、働かなくては生きて行けないというのは資本主義を前提にした考え方で、それらの問題をどうするかという問い自体が起こってくる社会の状況自体が不正義だと考えます。
私は、地球規模の再分配政策を、そして分配は国境も国民国家も越えなければならないと考えています。
ですから、昨今日本で話題になっている、国家を在日外国人は生活保護制度を利用するなという議論に私は真っ向から反対しています。
全ての人間にきちんと文化的な生活をして生きて行けるだけのお金を分配し、その上で働きたい人は働いて相応の賃金を受け取ればよいし、働きたくない人は働かなくてよいというようにすべきです。
生存に条件はいらないはずです。
働かなければ生きて行けないというのは生存の条件を狭くすることで、それに値しないと判断された人を排斥する仕組みとなっています。
「働かねば生きて行けないという仕組み」こそが、社会をして若・壮年男性を基準に据えることにつながり、ひいては充分に労働力を提供できない障害者、高齢者、女性、子どもを不遇の状況に置き、彼らが時に「ごくつぶし」などと呼ばれる要因となのですから。
こちらに来てからずっとうまく言語化できずもやもやしていたのですが、最近「福祉排外主義」と「啓蒙的ゼノフォビア」という言葉を覚えて、それでようやっとしっくりきました。
前者は「福祉制度を食い物にする外国人を追い出せ」という言動、
後者は「みなさんは外国人に酷い目に合わされています、気づいてください」という言い方で、どっちも欧州の右翼にまず見られたものだそうです。
どの国でも、移民の職の議論をするときによく聞く言説ですよね。ブラック企業や、非正規雇用にもかぶる問題です。
「英語がろくにしゃべれないんだから、違法賃金でもありがたく働け」というのは、「自発的にその立場を選んだのだから差別に甘んじろ」ということです。
私のケースの場合、「ジャパレスに限らず、エスニックレストランの違法営業を指摘すると今そこで働いている従業員を批判することにもなる。だから全部やめろ。自由意志で働いてるんだからいいじゃん。自分が差別されてないと思えば差別なんか存在しないんだよ。勝手に代弁するな」という反論がきます。
この意識は当事者にさえ根強いです。
この手法による「差別告発の無効化」は本当に多いです。
ですが、それを言い出すと構造的差別を俎上に載せることが不可能になるんですよね。
これを今の日本本土に応用すると、「ブラック企業や風俗の問題を指摘すると今そこで働いているブラック社員や風俗嬢を批判することにもなる。だから全部やめろ。自由意志で働いてるんだからいいじゃん。自分が差別されてないと思えば差別なんか存在しないんだよ。左翼は勝手に代弁するな」って感じですかね。
橋下市長の従軍慰安婦正当化発言を周りの人達から尋ね続けられていて、そちらの切り口から考えているうちに、こちらの質問の答えが浮かびました。
もちろん、私の場合もジャパレスがなければ、万策尽きて帰国というシナリオも高い可能性としてあったことは事実です。
しかし、嫌なものを見て、「現実は汚いんだ!」と叫ぶだけでは前に進めません。
汚い現実に立ち向かうには、綺麗な建前が必要です。
問5 :さて、まーったく思ってもない展開になってるわけなんだけど(大学院進学→アイリッシュのダンナさんと営巣活動)、このようにわずか数か月スパンで前世と来世くらいに人生が変ってしまうという現実を身を以て体験して、、、、これまでの「美代子理論」はどうこれを受け止めているのか、です。
「美代子理論」というのは、これまで日本で学び、体験してきた知識や認識(世界観や社会観)のことです。例えば「人間というのはこういうもの」とか「人間がつくる社会における法則性はこうで、指導理念はこうで」という認識です。そういった自分の理論世界において、この目の前に現実をどのように咀嚼し、整合させるかという、知的な遊びみたいなものです。
ここ、わかりにくかったらパスしてもらって構いません。
体験談にも書きましたが、これまでの「美代子理論」は、「自分の思い通り/計画通りに生きていけるかどうかは努力の量次第で決まる」というものでしたので、こちらに来てからそれが壊されました。
で、これまでの「美代子理論」のキャパシティーを超えたというか、あまりに想定外な事態に分析ができなくなって、今自分に起こっている/目にしている事象をどう解釈したらよいか分からなくなって、それでヒントや答えが欲しくて田村さんにたくさんメールを出していたんだと思います。「これは、一体どう解釈すればいいんですか?」と。
たとえば、体験談にも書いたように、「どうしてレジュメをたくさん配っているのに全然連絡がないんでしょうか?私の何かがいけないんでしょうか?(=努力しているのに、何で思う通りに行かないのでしょうか?)」とかですね。
答えは、「究極のところ運ですよ」ということでしたが、運という発想がそれまでは全くなかったのですね。
頭では分かっていたけど、腑に落ちなかったというか。
今こうして書いていて気付いたのですが、たぶん自分は「運とは、努力できない弱い人間がより頼むもの」みたいに考えていた気がします。今では運に対する考え方が変わったのですが、それでもまだ少し努力できない人に対する偏見というか、そういうものが自分の中に少しあるなとも感じます。
たとえば、知り合いにほとんど英語ができない日本人ワーホリがいるのですが、その人は「来年TAFEに入る!」と目標を持っているものの、TAFEの入学要件であるIELTS6に届くような努力を全くしている様子がないのですね。税金還付をしたいけど、政府のHPが英語で読めないからいつまで申請すればいいのか教えてくれ、セカンド申請したいけど、申請フォームが読めない、教えてくれ、と都度私に聞いてきたりとか。
IELTSに出題される種類の英語はまさに政府のHPにあるような固い英語だ、それを読もうと頑張れば勉強になるでしょ、と言ったら、「そうなんだ!」・・・。IELTSがどんな問題を出題するかもいまだに把握していないという。
すべきことが明確なのに、それをやろうとしない人に腹が立ってしまうというか。
もちろんこれは私が勝手に思っているだけで、上に出した人も、かつての私のように口で「研究者になりたい」って言いながら(実際には自分をだますような形で心でもそう思いながら)本心は自分でも気づいていないだけで違うからしたくない、する必要がないのかもしれないし、だから私が考えることでは全くないのですけれど。
何が何でもしたいことであるなら、人から言われなくても自分で勝手にしていると思うのです。だから、腹を立ててるのも私の独りよがりなんだろうと思います。もしかしたら、自分は自分にも人にも少し厳しすぎるのかもしれません。そういえば、彼氏にもYou're so strictってよく言われます。
他方、「人間というのはこういうもの」という人間観は、そう変わっていない気がします。
私の人間観のベースというのは、デール・カーネギーの『人を動かす』という本に多くを負っています。
今ちょっとGoogleで探してみたら、内容をダイジェストでわかりやすく紹介している
ページを見つけましたので、リンクを以下に貼っておきます。
http://d.hatena.ne.jp/hmiyaza1/20070411/1176222242
要約すると、
「人間は自分が大好き。だから、自分に関心を持つ人/重要感を持たせてくれる人を好きになる。どんな人間も自分は正しい、自分はできるだけの努力をしていると思っている」
という感じです。
いいとか悪いとかじゃなくて、本当にそうだなと個人的には感じます。以下は本の中に出てきた印象的な言葉ですが、人間の心理を言い当てていると思います。
「あなたの話し相手は、 あなたのことに対して持つ興味の百倍もの興味を、自分自身のことに対して持っているのである。
中国で百万人の餓死する大飢饉が起こっても、 当人にとっては、自分の歯痛のほうがはるかに重大な事件なのだ。
首にできたおできのほうが、 アフリカで地震が四十回起こったよりも大きな関心事なのである。
人と話をするときには、 このことをよく考えていただきたい。 」
問6 :一方で、「大学的な生き方」と純アカデミズムがいい感じで(^_^)分離されてきたと思うのですが、今後の人生における「知」との付き合い方はどう感じていますか?以前、メールでスキャンして送った小松左京の「志さえあれば先哲の叡智は目の前にある」的な感じになりますか?それとも腰を落ち着けて、アナザーな大学ライフにも興味を惹かれますか?それは例えば、子供を連れて大学に通うなどのライフスタイルです。
今のところ、答えは全然わからないですね。
最近は通勤時間が一時間半と長いことを利用して、その間日本から持参した学術論文のコピーを読み、帰宅して夜20時に彼氏が寝てから自分の就寝時間の22時まで少し時間があるので、読書ノートを作っています。
飛行機に次のるときに超過料金を払うのが嫌なので荷物の紙を減らさないと、という目的もありますが、楽しいからやっています。
ただそうする一方で、感動するような素晴らしい論文を読んだ時に「ああ、こんな論文を自分も書けたら」「研究したい」「図書館に行って、時間を気にせず思う存分本を読めたら」と思います。
でも、「・・・それからどうするんだ?」と考えてしまいます。
勉強した成果を一人で楽しむだけではなく、共有したい、発表したいと思うのですがアカデミアは現状在野の研究者には開かれていません。
非常勤講師でも無給研究員でも何でも、とにかく大学に籍がなければ所属先がないということで学会に参加することも、また発表もできないことも多く、何より研究をするための資料にアクセスできないのです。図書館や学部が年間何十万を払って購読してる電子ジャーナルとか、アクセス権限がないのです。
それに、研究者になりたいのか?というと、それもまたどうだろう、という感じで・・・。
ワーホリを経験した今、研究者の世界に戻っても、何だか色々嘘くさく見えてしまって嫌気がさすのでは?とか。
最近してる倉庫の違法仕事で色んなものを梱包しているのですが、先日梱包したものにどこかのNPOかNGOの機関紙でEthicsというような題名の冊子があって、中をぱらぱらと見ましたが、名前の通り現代社会の倫理について考えるという趣旨のものでした。
で、送付先は上院議員とか、どこかの大学の教授や、病院の要職ドクターなどホワイトカラーの頂点にいる人たちだったのです。あとは、大学図書館も送付先でした。
それを見て何だか、何とも言えないもの悲しい気持ちになってしまって。
「この人たちは、自分たちが倫理について考えるヒントを与える雑誌が、言葉の不自由な外国人労働者が違法賃金で雇われてる場所で梱包して発送されてるって、知らないで綺麗なオフィスでこれを読んで、それを知らないまま倫理について考えるんだろうな。倫理って、アカデミズムって何なんだろう」
と考えながら、一個一個宛先のラベルに載ってる肩書きを見ながら梱包しました。
自分も、かつては送付される側の人間だったな、と考えながら、院生時代に日本の大学図書館でそれを見つけたら読んでいたであろう自分の姿も頭に浮かびました。
この雑誌に限らず、倉庫での梱包作業はどれも非常に単純で、まるでロボットのように一日中同じ単純作業ばかりしています。頭を使ってばかりだった院生時代とはまるで逆で、今は手は忙しいけど頭が暇、といった状態で。それがなんだかおもしろいです。
梱包しながら、自分も院生時代に研究費が出ていた時は便利だからとよくamazonで書籍を購入していましたが、あの便利さの影には物品倉庫でこうして注文品の拾い出しのために機械のごとく働く人びとがいたのだと今更のように悟ったりしています。このような人間のロボット化はグローバルな流通産業を支えているのですね。
こういうことをもっとちゃんと学術書を読んで考えたいなと思うのですが、考えたところでそれをどうするんだ、どこにも持って行き場がないじゃないかと思うのです。知見を共有したいというか。。
でもアカデミアに戻っても、研究分野的に私の場合は日本語書籍の現物に触ったり、学会発表などで日本に行くのは間違いなく避けられないと考えると、現在のアカデミアでは、放射能を怖がらないことこそが知的とされているので笑われるだろうな、とか、たとえ一瞬たりとも放射能汚染の中に舞い戻りたくはないので、ならば諦めるしかないのかな、とも。
まだ結論が出ていない状態です。