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2012年10月10日


青木大介さんの5年後のワーホリ考察

田村さん

ご無沙汰しています。
団子3兄弟の三男、青木大介です。

さて、APLaCの「先輩からのメッセージ」のページで、「既に体験談を書かれた方(書かれてなくても)、何かありましたらお気軽にメール下さい。「付け足したい!」という。」という記載を発見してしまいました。(^_^)

帰国してから5年以上経過していますし、ここでまさに「その後の話」を書きたくなりました。

「オーストラリアに来たばかりの自分へのに向けてのアドバイス」と「オーストラリアの経験が今の自分にどう生かされているか」という観点を考えています。

 三部構成としました。
 第一部が、ワーホリ前〜中〜後を含めた自己紹介+ワーホリ生活に対する全体的な振り返り(反省メイン)です。
 第二部が、第一部の反省を踏まえた過去の自分への具体的なアドバイス(叱責)です。これは前回のメールに書いたことを踏襲しました。
 第三部が、一番重要で、ワーホリ生活が今の自分にどう役に立っているか?です。

 長いので、3通のメールに分けて送ります。このメールには第一部が書かれています。

APLaC卒業生、青木大介です。

僕は2006年8月から2008年1月までワーホリビザでオーストラリアに滞在しました。帰る時には、APLaCノートに手記を残しました。

それから5年半以上が経過しました。改めて「過去の自分へのアドバイス」という観点で体験談を書きました。思いっきり僕の主観ですが、少しでもお役に立てれば幸いです。


第一部 自己紹介

(1).ワーホリに行った動機

2006/08/26撮影
同期の二人と"団子三兄弟"揃い踏みの図
シェア&ステイ先に移動する不安満載の日


ワーホリに行こうと思ったのは、「自分に自信をつけたかった」からです。
大学3〜4年生の頃の自分は、とにかく自分に自信が無く、コンプレックスの塊でした。このまま就職して社会に出てやっていけるのかどうか、漠然とした不安を持っていました。そんな中、海外で修行という選択肢が出てきました。

色々調べる中、APLaCを知りました。他の留学エージェントの「安心のサポート」とは一線を画す「強くなるサポート」というコンセプトと「日本では得られない強烈な「異物」を自分自身にぶつけることによって、なんらかのポジティブな化学変化を期待している」という一文に「これだ!」と思い、お世話になることを決めました。2006年3月に大学を卒業し、その後バイトで資金を貯め、同級生のように就職することなく、同年8月に渡豪しました。

(2).ワーホリ生活概要

2006/09/05撮影
学校が始まって2週目くらい。
まだおっかなビックリ感があります

シドニーで4ヶ月間、語学学校に通いました。通った学校は、今は亡き「StMarks Bondi校」です。
通学中のうち、最初の1ヶ月間はホームステイ、その後の3ヶ月はRoseBayでニュージーランド人・中国人とシェア生活を送りました。

学校を卒業した後、ラウンドを開始しました。最初はセカンドワーホリをする予定はありませんでしたが、目標としたオーストラリア一周が1年では無理だったため(のんびり周ってたため)セカンドビザを獲得することに決めました。その後、合計約1年をかけてシドニーに戻りました。ラウンド中はファームの仕事をいくつかした他、ダーウィンではホテルでのハウスキーピングの仕事をしました。(シティ中のホテルにレジュメを配りまくって仕事をゲット)

(3).その後の日本での生活の概要


帰国後、Webデザイナーとして就職しましたが、過酷な業務で体調を崩し、わずか1年での退職を余儀なくされました。
「オーストラリアで修行したのに…」と自信を失いました。

その後、再就職しました。前職とはジャンルを変え、IT系の企業に就職しました。
徐々に経験を積み、オーストラリアでの経験が直接的・間接的に活きる機会が増えてきました。

そして、帰国から5年半、当時の生活を振り返って、今だからこそ分ることも出てきたため、改めてこの体験談を書くことにしました。


(4).ワーホリ生活、今だから分かる反省点


1年半、23〜24歳でのオーストラリア生活を今(30歳)の自分が振り返って、一番の反省点は、とにかく当時の自分がイマチュア、人間として未成熟であったということです。

いや、今でもまだまだだと思っていますが、当時はもっとダメでした。当時、特に初期の段階でいろいろ苦労したのは、海外生活が初めてだったこと、(海外”旅行”はしたことあったが)、特に高い英語力を持っていたわけではなかったことが原因だと思っていました。それは勿論そうなのですが、今考えて見ると、それだけが原因ではなかったと思います。それが、まさに冒頭で言った、人間として未成熟であったことです。

当時の僕は、学生のアルバイトとして働いた経験しかありませんでした。親元を離れた経験も無く、「自分の稼いだお金で生活」したことがありませんでした。友達付き合いも同世代、それも住んでいるところも、趣味嗜好も近い人ばかりでした。言わば狭い世界でしか生きたことがなかったのです。それが関係してるのかは、分りませんが、かなり経験不足・未成熟でした。23歳〜24歳というワーホリの日本人では若い部類だということを考慮にいれても、それでも未熟だったと思います。
2006/09/29撮影
学校が始まって1ヶ月。
大分リラックスしてきたような

一般的に、学校を卒業して、初めて就職した社会人1年生は最初の職場でかなりの苦労をするでしょう。当時の僕はその苦労をすることのないまま(新卒で就職することなく渡豪したので)、初めての学校卒業後の戦場が海外でした。しかも本人は、英語力や海外での経験不足が原因と不十分&不正確な分析をしていました。それは苦労をして当然と言えば当然です。

ただし、かと言って、あの時(大学卒業後すぐ)に行かずに、今になって行けばよかったかと言うと、そんなことはありません。その苦労がまたいい経験だったからです。むしろ、オーストラリアでの経験が無かったらと思うと、ぞっとします。当時は辛いことも多かったですし、それ以上に周りに迷惑をかけましたが…。

反省していることがもう一つ。1年以上も、それも海外で好き勝手に過ごせるというのがいかに貴重な機会か、当時の自分は分かっていませんでした。それを分っている今なら、もっと頑張れたのではないかと思います。今になってみると、当時の自分が苦々しく思えるわけです(^_^)。


第一部をまとめると…以下のことが最大の反省点です。

@.芳しくない現状の認識・分析が間違っている
 仮に正しい結論に行き着いても、時間がかかる。あるいは行き着いた結論をすぐに忘れるか、実践出来ないことが多い。

A.1年以上も海外で過ごせるのがいかに貴重な機会かを分かっていない。



第二部 当時の自分へのアドバイス

第二部では、これらを踏まえたより具体的な当時の自分へのアドバイスです。

ここからは第一部を踏まえた、当時の自分への具体的なアドバイスです。過去の自分が相手なので、言いたい放題です(笑)。お読みになっている方は、参考になる部分だけ、自分に置き換えて読んで頂ければよいとか思います。もし鬱陶しいと思われたら、流して頂いて構いません(^_^)。

(1).英語上達に必要なのは「勇気」と「根気」


言葉にしてしまうと陳腐ですが、これが僕の正直は気持ちです。「勇気」は主に短期的な視野で見た時に必要です。対して「根気」は主に長期的な視野で見た時に必要です。

では、まず「勇気」から。気が必要なのは、日々直面する英語を使う場面ひとつひとつです。母国語である日本を使う時は、あまり勇気は必要ないでしょう。でも、外国語である英語の場合はそうはいきません。毎回の様に勇気を振り絞ることになります。

2006/11/17撮影
学校も3ヶ月目に。だーいぶ慣れてきてます。
自分の頭で一生懸命に組み立てた英文は、通じる文になっているのか?仮に文章としては成立していたとしても、発音が悪くて通じなんじゃないか?最初の文章は、話しかけるまでに考えられるからいいとしても、その次の切り返しは出来るだろうか?・・・などと不安に思うことでしょう。実際、なかなかうまくいかないでしょう。相手の「え?何言ってるの?」みたいな反応。せっかく勇気を振り絞ったのに、通じないと辛いものです。でも、最初はそれでもいいんです。それが普通なんです。だって母国語じゃないんだから。少しづづ、慣れて上達していけばいいんです。

通じなくてもいいので、とにかく英語を使うことです。特に最初は、通じることを目標にするのではなく、英語を声に出すことを目標にして下さい。黙っていたら、0点です。でも、口に出せば、たとえ赤点でも何点か取れるかもしれません。少なくとも、勇気を振り絞ったという意味では、点を取れているんです。わずかな点の積み重ねが、徐々に血肉となっていきます。

これは、自分が聞く側になっても同じです。分からなかったら、勇気を振り絞って、ちゃんと聞き返して返すことです。うなづくことが目的はありません。少しづつでも英語が上達すること、そして意思の疎通を図ることが目的なんです。とにかく分ったふりをしない。全然わからなくても問題ありません。

「分からない」と正直に申告できるようになった時点で、既に日本人の中では頭一つも二つも抜きん出ています。

僕の場合、勇気を振り絞れるようになるまで時間がかかり、それでかなりスタートダッシュが出遅れました。だから、語学学校時代はやや思い出が少ないです。だから、ラウンドに出たころも最初はかなり自信が無い状態でした。もっと早くから勇気を振り絞る週間が出来ていたら…と思ってしまうことがあります。まぁ後半からかなり楽しくなってきたので、終わりよければすべてよし、辛いことも今は笑い話ですが(^_^)。でも、それは今でこそ言える話ですし、何にせよ、早く軌道に乗れるならそれにこしたことはありません。

次に「根気」についてです。外国語の習得には時間がかかります。年単位で考える必要があります。数か月では大した変化しません。少なくとも自分では実感できません。成果が目に見えなくても、投げ出さないことです。投げ出さなければ、いつか「あ、伸びてるかも」と思える瞬間がやってきます。投げ出さないためには、最初から短期で成果が出ると期待しない方がいいです。

・・・などと言っている僕自身が、シドニーで語学学校にいた頃、なかなか勉強の成果が出ずに苦しみました。「数か月過ごせば、そこそこ出来るようになるだろう」と誤った期待をしていたました。こうなるとツラいです。短期で成果なんか出るわけないのに、本人は出ると期待しているのですから。

そもそも、「成果」が何なのか分かっていませんでした。英語が伸びれば「成果」なのか、それとも・・・。これは大事なところなので、後の項目で詳しく触れます。

(2).目先の「通じた」「通じない」に一喜一憂しない!年単位で捉える


これは(1)の項目と重複します。

自分の英語が通じなかったら、ショックでしょう。逆に、通じたら嬉しいでしょう。でも、通じなかったとしても(最初はほとんど通じないでしょうが)落ち込んではいけません。いつまでも落ち込んで、行動が消極的になったら、そして英語や海外が嫌いになったら逆効果です。そして、うまく通じたとしても、喜ぶのは、その直後だけにしておきましょう。「自信」として次の行動につながるなら良いことですが、「過信」や「慢心」して手を緩めたら、本末転倒です。通じようが通じまいが、オーストラリアにいる間は、とにかく場数を踏んでください。英語は短期間で上達しません。何回通じて、何回通じなかったなんてどうでもいいんです。通じた、通じないなんてのは目先のことです。長いスパンで考えて下さい。オーストラリアでの滞在を終えて、日本に帰国する際に「オーストラリアに来てよかった」と思えれば万々歳です。

野球に例えるなら、仮にチャンスで凡退したり、エラーしても試合に負けても、シーズンを終えた後に優勝すればいいようなものです。野球などのスポーツの場合は、席が決まっていて、相手が勝てば自分は負けます。ですが、幸いにもワーホリや留学の場合は、勝者の席の数は決まっていません。自分次第です。


(3).トホホな状況を英語力のせいにしない


2006/11/17撮影
学校も3ケ月から最終4ケ月目の移行期。クラスも上がって、ヨーロピアンが増えてきます。
これはまさに第一部の反省点の@にピッタリと当てはまるところです。

特に最初は、クラスメイトやシェアメイトとのコミュニケーションがうまくいかないと思います。道を尋ねたり、買い物したり、あらゆる場面で四苦八苦するでしょう。ローカルの仕事をしようとしたら、玉砕が続くと思います。「英語さえできれば…」と思うことでしょう。でも、状況が思わしくないのを、自分の英語力不足のせいにしないで下さい。

実際には、英語力が高い人の方が、あらゆる面で有利です。そういった意味では、トホホな状況の「主犯」は英語力不足です。でも、そう思っていても何も解決にはなりません。なぜなら、(1),(2)でも書いたように短期間で英語を上達させるのは不可能だからです。「英語さえできれば…」とタラレバの話をしていても始まりません。

英語を勉強しなくていいという意味ではありません。むしろ、必死にやって下さい。英語を勉強しつつも、並行して、現在の不十分な英語力で何とかしないといけないんです。

仮に無人島に流されたとします。「食料が無いのは、ここが無人島だからだ!」と言うのは、正論です。でも、それで食べ物が降ってくるわけではありません。無人島だと分ったら、その無人島という状況の中で、どうやって飢えを凌ぐのか考えないといけません。

ただし、「英語さえできれば…」がモチベーションになるのなら、悔しさをバネにして頑張れるなら、英語のせいにしてもいいと思います。要は自分の英語力不足を言い訳にして、逃げなければいいんです。仮にブルーマウンテンの一日ツアーに参加するとします。日本語ツアーと英語ツアーで英語ツアーを選択できるなら、そして、ガイドの解説を全然理解できなくても「くそー、全然分んねぇ、でも今に見てろよ」と思えるなら、きっとやっていけます。

浅はかだった当時の僕は、自分の現状が芳しくないのを英語力のせいだと誤った分析をしたおかげで、苦しみましたが、それは(5)で詳しく触れます。


(4).日本人の中で英語力を比べない


これも反省点の@に当てはまることです。

2006/11/17撮影
もしかしたら、日本人の友達で、自分より英語力の高い人が周りにいるかもしれません。自分が全然英語が出てこない、理解できないのに、その人はスムーズにコミュニケーションをとっているかもしれません。羨ましく思うかもしれません。でも、日本人の中で英語力を比べても、あまり意味がありません。

なぜなら、英語を使うのは、外国人(正確には日本語が通じない人)と話す時だからです。目の前にいる外国人の言うことが理解できる、自分の言うことが理解してもらえるレベルになる必要があるんです。日本人の中での順位なんてどうでもいいことです。逆の立場になってみて下さい。あなたが日本語を話す外国人Aさんと話しているときのことを想像してみて下さい。Aさんの日本語学習仲間で、どれくらいの位置にいるなんてどうでもいいはずです。問題は、あなたがAさんの話を理解できるかどうか、Aさんがあなたの話を理解できるかどうかです。

順位は相対的なもです。たまたま出来る人たちに囲まれれば、自分は出来ないと思うでしょう。あまり出来ない人たちの中にいれば、自分は出来る方だと思ってしまうでしょう。それは、日本人の中だけで通じる話で、外の世界(英語が公用語の世界)に出たら、意味がありません。

もちろん、自分より出来る日本人の友人から、何かを学ぶのは良いことです。同じ日本人だからこそ、分ることがあります。陽気なブラジリアンには、「聞き返す勇気が無くて、ついつい分ったふりをしてしまう」という悩みは多分分からないでしょうから。

それに、英語が出来る友人に触発されて、「やってやる!」とモチベーションにするのはアリです。でも、仮にその友人に追いつき追い越せたとしても、問題は解決するとは限りません。傍から見てると凄くできる人も、実際には相当苦労してるかもしれませんから。

僕がここでお伝えしたいのは、日本人同士で英語力を比べ、「なんでB君はあんなに出来るのに自分はダメなんだ…」と凹んで、モチベーションが下がっりしたら、勿体ないということです。実際には自分もB君も、ネイティブから見れば大差が無い可能性が高いのに・・・。逆に「俺はこの学校の日本人で一番できるぞ、ガッハッハ!」と思っていたら、それこそ「胃の中の蛙」です。

当時の僕は、どうも日本人の中での順位を地区予選、日本人以外での順位を甲子園大会と捉えていたようなフシがあります。今考えると、むちゃくちゃな認識です。日本人でも甲子園どころかプロ、それもメジャーリーグに行けるような人はいます。逆に日本人以外でも一回戦敗退レベルの人もいます。おそらく、同じ日本人の方が比較がしやすいからそう考えたのでしょう。英語の悩みについて英語で言えるほどの英語力もなかったのでしょう。
ほんの少しでも自分が出来る実感が持ちたかったから、少しでも自分より下の人を作りたかったのでしょう。ネイティブから見たら大差無いのに・・。この誤った認識で僕は辛い目に合いました。それは次の(5)で詳しく触れます。


(5).英語は道具。これは死んでも忘れない


これがまさに声を大にして言いたいところです。(3),(4)とも関連しますし、反省点の@にも勿論当てはまります。

英語はコミュニケーションのための道具に過ぎない、とよく言われます。これは、どんなに強調しても強調し切れません。ですが、ついつい忘れてしまいそうになります。僕自身も何度忘れたことか・・・。今でも忘れそうになる時があります。「いかんいかん!」と自分にダメ出しをしています。

2007/01/20撮影
ラウンド開始時期。
青木さんの解説によると「キャンベラのYHAで会った母子です。
YHAをチェックアウト後、バスの出発まで時間があるのでロビーでぼけーとしてたら、この子が話しかけてくれました。 なんだかんだで数時間話し込み、おかげで後ろ髪引かれる思いで出発しました。ちなみに、先日久しぶりのこの母子とスカイプで話しました。この子が大きくなって、声変わりもしてて驚きました。(当たり前じゃん)
オーストラリアに着いたら、必死で英語を勉強することでしょう。でも、それ”だけ”では足りないんです。なぜなら、英語を勉強するということは、道具をより優れたものしている”だけ”だからです。

それの何か悪いの?と思うかもしれません。

写真に例えるなら、英語力はカメラに相当し、カメラ(=英語)でコミュニケーションをとった結果が写真だとします。英語が上達するということは、前よりも良いカメラを持つということです。カメラが良くても、それを使うカメラマンが未熟だったら、良い写真は撮れません。

英語も同じです。英語力が上がってもコミュニケーションがとれるようになるとは限りません。そうかな?そんなの英語が上達すれば自然と出来るようになるんじゃないの?と思うかもしれません。

「半分正解」です。

なぜなら、人間のコミュニケーションにおいて、言語の占める割合は低いからです。人間は、言語だけでなく、表情、声のトーン、身振り手振り、オーラなどなどによってコミュニケーションをしています。仮に英語が完璧だったとしても、死んだような目をしてロボットみたいに喋っていたら、誰かと仲良くなるのは難しいです。英語が上達しても、(良いカメラを手に入れても)コミュニケーションが成立するとは限らない(良い写真が撮れるとは限らない)のです。

これは日本語で話している場合でも同じです。ネイティブの日本人なら、日本語は流暢に使いこなせるはずです。でも、日本人となら誰とでも仲良くなれて、楽しく過ごせるわけではないですよね。

英語を勉強するのに必死になるあまり、表情を失ってしまい、友達が出来ず・・・なんてことになったら勿体無さ過ぎます。実を言えば、初期の僕がまさにそれでした。それに気づかせてくれたのは、同じ日本人のクラスメート(APLaC出身)です。仮にCさんとしましょう。(名前を出しても大丈夫だと思いますけど、念のため)Cさんは僕より英語力が低かったです。でも、あっという間にクラスに溶け込み、明らかに僕よりも楽しい毎日を送っていました。「自分の方が、多少は英語はマシなのになぜ?」と思い、ムキになってさらに勉強を頑張りました。

でも全く好転しません(それ以前に、その比較が無意味だったのは(4)の通りです)。その頃、おそらく僕は苦悶の表情をしていたと思います。話しかけにくいようなオーラが出ていたと思います。周りにいる人たちが、楽しいわけがありません。

繰り返しますが、英語はオーストラリア生活を満喫するための道具です。いくら道具を磨いていっても、それを活かせないと意味がありません。だから、英語を必死で勉強するのと同時に、一緒にいて楽しい奴でいることが重要です。

これはまさに(1)で書いたことと被りますが、海外生活での「成果」はそこでの生活を楽しむことです。そのために語学力が必要なのです。語学力それ自体に「成果」をもとめると、辛くなります。(2)で書いたように成果なんてすぐには出ませんから。でも、海外生活を楽しむ「成果」ならもっと身近にあります。道に迷っていたら、親切に教えてもらえたことか、拙い英語でもシェア探しのアポがとれたこととか、これらは毎日でも見つけられます。


(6).せっかく長期滞在してるのだから・・・。


これは、反省点のAに関連します。これは当時の自分にしては、比較的マシに出来たのではないかと思える部分です。「十分」かと言うと全然足りないのですが・・・。

数日程度の短期間の海外旅行なら何度も行く機会があるでしょう。でも、年単位で海外に滞在できる機会は、頻繁にありません。人によっては、オーストラリアでの滞在が人生で唯一の海外生活かもしれません。かなり貴重です。精一杯活用して下さい。短期旅行では、出来ない体験が出来ます。それも沢山あります。これから、思いつくままに書いてきます。

(6-1).のんびりこそ最高の贅沢

日本の、それも大都市での生活は、あまりのんびりできないでしょう。だから、オーストラリアでは思いっきりのんびりすることをお勧めします。

特にお勧めなのが、天気のいい日に公園でのんびりすることです。寝そべって大の字になって雲を眺めていると、かなりリラックス出来ます。日本の公園の多くは狭い上に人が多すぎます。それ以前に公園の数が少ないです。特に都心には。オーストラリアの公園は、ひとつひとつが馬鹿でかいです。しかもそんなに混んでいません(人口が違うのだから当然ですが)。さらに、シドニーやメルボルンなどの州都クラスの街の都心から歩いて、あるいはバスで簡単に行けます。これが、個人的には一番凄いと思うところです。羨まし過ぎます。

(6-2).行きたいところリストをどんどん潰せ!

短期の旅行では、行けるところは限られてしまいます。泣く泣くあきらめることもあるでしょう。ですが、ワーホリの場合は違います。全部とは行きませんが、かなり色々なところに行けます。行きたいところリストを作って、どんどん潰して行ってください。これはかなり贅沢です。社会人になって、短期の旅行しか行けない身になると、あらためて実感します。

(6-3).「普通の風景」こそラウンドの醍醐味


2007/09/14撮影
そして青年は荒野を目指す
短期の旅行では、どうしてもA地点とB地点とを点と点で移動することになってしまいます。でも、時間があるワーホリの場合、点と点ではなく、線で楽しむことが出来ます。有名観光地は有名になるだけの理由はあって、確かに魅力的ですが、ワーホリ生活を終えて印象に残っているのは、名前も付いていない(或いは付いているけど、知られていない)ような風景だったりします。

例えば、タスマニア。僕はタスマニアをローカルのバスで旅しました。驚いたのは、出発地と目的地の途中の風景が、とにかく良かったこと。山はあるは、谷はあるは、川はあるはで至れり尽くせりです。どこを切り取っても風景画に出来そうです。バスに乗っていたので、当然止めてもらうことは出来ないんですが、自分で車を運転していたら、止めて写真を撮っていたでしょう。タスマニアで有名なのはクレイドル山です。勿論、これはこれで良かったです。素晴らしいと言ってもいいくらいです。でも、それに勝るとも劣らないのが、そこに行く途中の何でもない風景です。当然、地球の歩き方には載っていません。

せっかくなのでもうひとつ(^_^)。僕はアリススプリングスからアデレードに車で移動中に立ち寄った、塩湖が印象に残っています。地球の歩き方には載っていません。それどころかロンリープラネットにも載っていません。その頃は友人と車で旅をしていました。「なんだあれは?」と車を止めて、しばらくのんびりしました。これこそワーホリの醍醐味です。

(6-4).僻地こそ真のオーストラリア


短期の旅行では空港のあるような大きな街を基点に観光するのが普通です。ですが、反則クラスに巨大なオーストラリアです。都合よく、大きな街の近くに見所があるとは限りません。むしろ、大きな街から離れたところに、本当の見所があると言ってもいいくらいです。例えば、パースから700km程離れたところに、エスペランスという小さな町があります。そこの海は、信じられないくらい綺麗です。しかも、不便な場所だけに人も少ないです(それも魅力のひとつです)。とても短期の旅行では行けません。行ったとしても、かなりの強行日程になるか、他の見所をあきらめることになります。そんな僻地にも、ワーホリなら行けます。どんどん行きましょう。


(7).事件は現場で起きている。オーストラリア、そして世界の現場を体感する


これも反省点のAに関連します。

2007/10/11撮影
野生化していく日々
オーストラリアは広いです。冗談みたいに広いです。僕はその広さを実感したくて、ラウンドする際に、「海を渡る時以外は飛行機禁止」という馬鹿なルールを課しました。当然、時間がかかりました。疲れもしました。大した見どころが無い(少なくとも、「地球の歩き方」基準では)ようなところを数日かけて移動したりもしました。何時間もバスに乗ったのに、地図上を見たら全是進んでいなくて、叫びたくもなりました。でも、おかげで、オーストラリアの広さを、これでもかというくらい体感しました。

これを1〜2週間の短期旅行でやったら、それこそ「馬鹿」です(笑)。でも、そんな馬鹿をやる機会ってなかなかないです。オーストラリアが広いことは承知の事実です。世界地図を見れば、一目瞭然です。でも、知識として知っているのと、体感するのは大違いです。

また、オーストラリアでは色々な人に会うでしょう。ベジタリアンの人にも会うかもしれません。僕はベジタリアンのドイツ人と、車で旅したことがあります。食生活が全然違うからと、鍋は別のものを使っていました。一緒に旅しているのだから、同じものを食べるのだろうと無知な僕は勝手に思っていました。豆で作った、ハムやハンバーグ(に見えるもの)があるのを初めて知りました。

ダーウィンに数か月間、住んだ時の話です。その時のシェア物件のオーナーがベジタリアンでした。住む人も肉は食べちゃだめというルールがありました。日本で同じ事をやられたら「それを俺に押し付けるなよ!」と怒ってしまいそうですが、なぜかその時は「うーん勉強になるなー」とか、妙に物分りのいい奴になっていました(^_^)。

ベジタリアンのことも、オーストラリアの広さも、知識として知ることは日本にいても可能です。でも、繰り返しますが、知識として知っているのと、体感していることは全然違います。

インターネットが普及し、簡単に情報を得ることが出来るからこそ、現場経験の重要性は増すのではないでしょうか。

事件は現場で起きている、とはよく言ったものです。オーストラリア、そして世界の現場を思いっきり体感してください。


(8).ラウンドでは凹んで当たり前。


この項目は、今まで書いた項目の集大成と言えます。反省点の@とAが両方当てはまります。

*別にワーホリではラウンドをしないといけないわけではありません。逆にそういう決め付けた発想こそ勿体無いです。ですが、ワーホリでないと、ラウンドをする機会がなかなか無かったりします。学生ビザや観光ビザでは期間の制限がありますし。就労ビザや永住ビザでは、おそらく仕事でそれどころじゃないと思います。(あくまで想像です。)ラウンドの定義がまた微妙なのですが、ここでは「余裕のある日程で(パックツアー等のギリギリのスケジュールではなく)数ヶ月単位で、それも出来れば働きながら(or一箇所の町に中長期で滞在する経験をしながら)オーストラリアの広い範囲(必ず一周する必要はない)を旅すること」と勝手に定義します。

2007/11/18撮影
顔が徐々に変わっていきます

シドニーで語学学校に通い始めた頃は、学校卒長後のことはあまり詳しく決めていませんでした。なんとなく「色々やってみよう」くらいにしか思っていませんでした。田村さん・APLaCの先輩方からラウンドの話を聞き、だんだんと興味が沸いてきました。同時に不安もありました。「語学学校でさえ四苦八苦しているのに、シドニーを出て大丈夫なのか?」と。その不安は的中しました。いや、的中以上です。

語学学校みたいに、ヘタな英語に理解のある先生&同じレベルの生徒が集まっている「安全」な場所ではありません。英語ネイティブであるオージは勿論、イギリスやアイルランドなどの他の英語圏から来た連中、母国語が英語に近いヨーロピアン、あるいはアジアでも日本人より英語がマシな連中は山ほどいます。

ラウンドに出たら、そんな連中に囲まれます。語学学校が自動車の教習所だとしたら(基礎を叩き込むという意味では、これはこれで重要)、ラウンドが路上です。「現場」です。

学校生活での後半、結構スムーズにコミュニケーションがとれるようになっていても、そういった過去の栄光は忘れましょう(^_^)。(別に栄光でも何でもないですが)じゃあどうすればいいか?もう、そういうもんだと思うしかないです。

もし特効薬があるのなら、過去の僕に真っ先に伝えます。僕なんぞは、タスマニアのバッパーにいたオージーにバーベキューに誘われて参加したまでは良かったものの、そこでの会話が数%しか分りませんでした。半泣きでソーセージを食べてました。

2007/12/07撮影
ダーウィンでのハウスキーピングの仕事中
中には嫌な奴もいます。「やれやれ日本人は英語出来ないよな」みたいなことを言われて溜息をつかれたりとかしました。でも、良い人も絶対います。嫌なことが続いて落ち込んでいるときに、いい人にであって救われたことは何度もあります。相手が受け入れてくれいるのは、顔をみれば分かります。

それに、言葉が通じなくても、言葉に頼らないでコミュニケーションをとってもいいんです。写真を見せ合ってもいいし、地図でお互いに行った場所を指さしてもいいです。「グローバル時代において、各国はどうすればいいか」みたいな議論は出来ないかもしれませんが、逃げなかったという意味では大きな収穫です。それを繰り返せば自信になります。

ラウンドを初めてしばらくたつと、さすがの当時の僕でも少しは学んできます。英語についても、(1)〜(5)に書いたことは「頭では」多少分かってきます。でも、今思うとそれでも不十分です。やっぱり人間として未熟だった(今もだけど)のです。現状の認識が甘かったです。分かっていても、それでも英語のせいにしたり、英語の勉強自体が目的になっていたんだと思います。(当時の自分に言いたいことの@ですね)そして、今の自分ほど、ワーホリが貴重な機会と分かっていないから(Aですね)、腹をくくるのに時間がかかったりします。バンジージャンプになかなか飛べないようなものです。このバンジーの待ち時間が、今の自分からすると勿体無く感じたりするわけです。


第三部 ワーホリ生活が今の自分にどう役に立っているか?


 ワーホリ生活が今の自分にどう役に立っているか?です。これぞまさに今だからこそ書けることです・・・が、一番難しかったところです。理由は2つあります。

 一つは、普段はそれほど意識しないからです。あるいは、それ以前に、自分では気がつかなかったりします。「これはオーストラリアでの経験が活きているんだなぁ」と思うのは、ふとした時です。まとめておかないと忘れます。だからこそ、今回文章にしておこうと思ったわけです。

 二つ目は、なんだか文章にしてしまうと、陳腐になってしまうというか、それほど大したことでは無いように読めてしまうんです。これは僕の文章力が拙いのが大きな原因でもあるのですが・・・。

 あくまで、僕の場合はこのように思っているという一例に過ぎません。少しでも参考にして頂ければ幸いです。


(1).〇〇人が嫌い!という発想が無くなった。


昨年(2012年)あたりから中国・韓国との領土問題に関するニュースを多く聞くようになりました。センセーショナルなデモの映像がテレビに映し出されるのを何度も見た方は多いと思います。そのため、漠然と両国に対して良い印象をもっていない人は多いのではないでしょうか。あるいは良い印象を持っていはいけないような雰囲気が日本全体で作り出されていないでしょうか。

2007/12/15撮影
段々リラックスしてきて、子供の頃の自分に戻っていくような。
でも、個人的に「中国人のAさんが嫌い!韓国人のBさんが嫌い!」という日本人がどれだけいるでしょうか。おそらく少ないと思います。それなのに、まるで中国人全体、韓国人全体に良い印象を持たなくなってしまう、個人と国がゴッチャになっています。これは、ニュースでしか(それもネガティブな部分)その国(+その国の人)を知らないからではないでしょうか。個人的な韓国人・中国人の友人がいれば、こうはならないと思います。

僕は両国に対して、悪い印象を持っていません。悪い印象をもっているのは、個人的に恨み(国単位ではなく)の無い人達やその人たちの財産を攻撃するような暴力的なデモや、自分の支持率を上げるために「反日」を利用する政治家に対してです。

そう思えるのは、オーストラリアで両国の友人が出来たからです。それですべてが解決するわけではありませんが(デモやテロの被害にあったりして、もっと酷い目にあったら、同じように考えることは出来ないかもしれないですが)、少なくともニュース映像やネットの中傷合戦に”洗脳”された雰囲気に対して、一歩引いて「おいおい!」とツッコミを入れることが出来ます。

こういう天邪鬼な奴が沢山いれば、少しは国と国の関係は良くなるのではないでしょうか。念のために言っておきますが、これは別に僕が賢いという意味ではありません。単に、日本人以外の個人的な友人がいるだけです。そして、それは誰にでも出来ます。僕にできたんだから(^_^)。もっと大規模に国策として留学生の送り出し、受け入れをすればいいのにな…といつも思います。でもやりそうにないですね。外に「敵」を作れるようにしておいた方が、国内をまとめるのに都合がいいんでしょうか…。

(2).日本を客観視できるようになった。


海外にある程度の期間住むのはおもしろいです。
と同時に、それを終えて日本にある程度の期間住んで「更生」していくのもおもしろいです(完全には更生しないけど)。

最初は海外で、カルチャーショックの嵐にもまれます。
電車の路線が真昼間に、全面運行禁止になってメンテをしていると「言語道断!」と叫びたくなります。でも、だんだんそれに慣れてきます。真昼間のメンテにも「そういうもんだ」と思うようになります。(これには文句言っても何も変わらないという諦めもありますが)。いつのまにか、自分にとっての「そういうもんだ」がすっかり変わっていたります。変わってしまったことすら意識しなかったりします。

時が流れて日本に戻った後、今度は新たなる外国である日本で、逆カルチャーショックを受けます。今度は山手線の神業ダイヤに、驚きを通り越して気持ち悪く感じたりします。しかし、その逆カルチャーショックにも再び慣れてしまいます。

でも、ここが面白いところなんですが、この頃は、日本的感覚とオーストラリア的感覚が共存していたりします。
「恐ろしく正確に電車が走っているけど、オーストラリアではそうはいかないんだよな」とエラそうに思っていたりします。時間がない時はそんな分析はしてられませんが、多少の余裕があるときは、そうやって日本を(+オーストラリアも)客観的に見られます。おそらく、こういう感覚は、ほぼ単一民族の日本(と韓国)以外の国の人は普通なんじゃないかな…と勝手に推察します。

(3).多数派に流されなくなった〜天邪鬼になる勇気


日本に住んでいて、世の中の多数派と異なったことをするのは、結構勇気が必要だったします。去年買った服が今年はもう古くなっていたりします。スマホ全盛の今、頑固にガラケー(個人的に見事なネーミングだと思う)を使い続けている僕は、周囲から、かなり珍しい人間と見られています。「なんでスマホにしないの?」と何度聞かれたことか。"Mind your own business!"と言いたいところです。

元々天の邪鬼なところがありましたが、オーストラリアで生活して、よりそれに拍車がかかりました。だって、色々な人がいて、何が「多数派」なのか分かりませんから。多数派に合わせないといけない(…わけではないけど、色々面倒なことになる)のは、ほぼ単一民族である日本特有の現象でしょう。

でも、常にその時の多数派に合わせていれば、人生順風満々かというと、それではないと思います。
話が大きくなりますが、多数が常に正しければ、原発事故もバブル崩壊も無かったはずです。皆で一緒に赤信号を渡って事故にあわないためには、天邪鬼になる勇気が必要です。

その勇気は、海外で生活すれば自然とついてくるのではないでしょうか。空気を読んで多数派に合わせるという、「一見」無難なワザが日本以外では使えません。だから、自然と「自分は自分」と考え、自分で考えて行動し、責任をとるチカラが身に付きます。先行き不透明な今日、なかなか使えるチカラだと思います。周りの「普通の人たち」との間に溝が生まれるという代償もありますが(笑)


(4).年齢を数字としか考えなくなった。あくまでも属性の一つ


「おいくつですか?」「○歳です。」

2007/12/17撮影
もう、かなりスコーンと突き抜けてきてます。
日本人同士の会話としては何の違和感もないです。でも、場所を変えると、そうではなくなります。約一年半のワーホリ生活で、このような会話をした記憶はほとんどありません。ただし、例外があります。同じ日本人同士での会話と、韓国人との会話です。

日本で生活していると、ありとあらゆるところで年齢が問題になります。就職する際も年齢が大きな柵になります。でも、実際にそこまで年齢を気にしないといけないのでしょうか。年齢は一つの属性に過ぎないのではないでしょうか。年齢がすべてのように考えることは、健康診断の結果で、一つの項目だけで健康状態全体を判断するようなものではないでしょうか。

ある程度の年齢が上になったら、新しいことに挑戦してはいけない(あるいは挑戦しても不利)かのような雰囲気があります。でも、年齢が上の方が、経験も積んでいて、人脈もあり、さらに資金もある可能性があるから、逆に成功率は高くなるのではないでしょうか。体力は若い人の方があるかもしれませんが、体力がすべてを決めるわけではありません。しかも、山登りの愛好家や武道の師範など、若い人に負けないようなお年寄りだって、探せば日本にもいます。

それなのに、年齢が上の人はおとなしく現状維持、どころか衰えていきます、みたいな雰囲気は、「新しいことに挑戦」するのを国全体で忘れさせてしまうようで非常にもったいないです。

オーストラリアのお年寄りは非常に元気です。元気な無い人の方が少ないくらいに思えます。ラウンド中、キャンピングカーを乗り回しているお年寄り夫婦を何度もみました。ああいうのを見せつけられると、年を取るのが怖くなくなります。自分次第だなぁって思えてきます。そう思えることは、実際に自分がそれなりの年齢になってから、強みになると思えます。だって、周りの人は守りに入りつつある人が多くなっていくんですから。


(5).インターネットの限界を知った。


僕はワーホリに行く前、根が心配性なので、インターネットでいろいろ調べました。でも、実際にワーホリ生活を終えてみると、インターネットで知れるのは、ごくごく一部分だけでした。表面上のことや、事務的なことはいくらでも調べることが出来ましたが、実際の充実感や「これは日本では経験できなかった」感は、とてもインターネットで調べら
れるものではありませんでした。

これは、写真でどこかの風景を見るのと、実際にそこにいくことの違い以上に大きいです。プロの写真家なら、相当な感動を与えることが出来るでしょうが、ネットに出回っている情報はズブの素人が発信してるものが多く、質の高いものに出会えるとは限りません。それ以前にどれが質が高いか判断するのが困難です。だったら、とっとと現場に行ってしまえばいいんです。「事件は現場で起きている」のですから。

これだけインターネットが発達すると、何でもネットで調べらるような気になってしまいます。ネットで調べらることがすべてになります。ネットに載っていない美味しいお店には行けなくなってしまします。ネットを使うのはいですが、ネットに振り回されてはダメです。視野が狭くなります。ついついネット”だけ”で調べものをした時、「気をつけないと、ワーホリの現場と、ネットのワーホリ情報の違いみたいな巨大な差を見落とすぞ」と自分にツッコミを入れることは、すぐ目の前にある美味しいお店を見落とさないのに有効です。


(6).海外が特別ではなくなった。今後の人生の選択肢が増えた。


オーストラリアに行くまでは、海外は「特別」でした。”海外”なんて”外”という文字が含まれていること自体が、その特別さをより助長している気がします。(島国だから間違いではないのですが)。

実際、日本と違うことが沢山あるため、ある意味では特別なのかもしれませんが、同時に「同じこと」も沢山あります。人間が生活しているという意味では同じです。少なくとも、一から10まで違うわけではありません。食事をして数時間たてば空腹になります。きれいなサンセットをみればきれいだと感じます。たまたま生まれ育った場所の「初期設定」に強く影響されているだけで、同じ人間です。(まぁこれは平和なオーストラリアにいたからこそで、内戦をしている国に行ったらまた違った発想になるかもしれませんが。)

その同じ人間が、それぞれの国で生活してるだけです。そう考えると、今後、海外に行くことがあってもビビらず、「海外」を必要以上に意識ません。

これは今後の人生の選択肢が増えることにもつながります。仕事を変える場合、海外というのも選択肢に入れることが可能になります。実際に出来るかどうかは、また別の話ですが、少なくとも最初から除外して、日本の中だけで探すことはなくなります。


(7).「自分の当たり前」は当たり前じゃないことがわかった。視野が広がった。


「大学を卒業したら、そのまま就職する。そして、問題が無ければその職場で働き続ける」これを「当たり前」だと思っている方は多いと思います。僕も以前は、そう思っていました。でも、今はそうは思いません。僕が「大学を卒業したら、ワーホリでオーストラリアに行く」と言った時、周りで賛成する人は誰もいませんでした。「大丈夫なのか?」「就職出来るのか?」などという声が相次ぎました。

2007/12/20撮影
この頃になると日本人特有のオーラが消えてきてます。
「リオ・デ・ジャネイロで出会った現地の少年」みたいな。
何をもって「大丈夫」なのかにもよりますが、少なくとも就職は出来きました。しかも2回も。2回とも、今となっては、(いわゆる非正規雇用に比べれば)恵まれている正社員です。まぁこれは運が良かったという言い方が出来ますし、別にそれで僕がエライとか凄いとういことでは全くありません。ただし、当時の周りの、一見当たり前の意見が的外れであったとは言えます(少なくとも僕の人生においては)。

なんで、周りの人たちはそう思ったのか?それは、その人たちの中で、僕みたいな行動をする人がいなかったからでしょう。僕が圧倒的な少数派だったからです。(3)でも書きましたが、日本で少数派として生きていくのは、結構勇気が必要だったりします。なんだか「多数派と同じ行動をとらないと、リスキー」のような雰囲気があります。

でも、そんな「常識」は場所を変えれば通用しません。オーストラリアで出会った人達の中で、日本人に限定しても、ほとんどが少数派の人たちでした。ほとんどが仕事を辞めてオーストラリアに来た人達でした。想像ですが、彼らも仕事を辞める時に「大丈夫?」と聞かれたと思います。でも、周りのほぼ全員が仕事を辞めてきた連中に囲まれると「やりたいことがあるなら、仕事を辞める選択肢は大いにアリ」と考えるのが「普通」です。この時点で日本の常識とは正反対です。

これが日本人以外になると、話ははるかにダイナミックになります。仕事を辞めるくらい可愛いもんです。シドニーを出て、ラウンドをしていると、18〜20代前半くらいの若いヨーロピアンに(…と言っても見た目は日本人より老けている人が多いけど)やたら会いました。聞いてみると「大学卒業後、あるいは在学中に1年くらい世界を放浪するのが割と普通」とのこと。実に羨ましい話です。

日本では、そんな自由な時間はヘタすりゃ定年退職後しないと無いのではないでしょうか。そんな日々を過ごすうちに、「常識」は、自分がたまたまいるとことの多数派で決まることに、身を以て気が付きました。結果、視野が広がりました。いや、むしろ今までが狭すぎたのかもしれません。



以上です。ここまで駄文を読んで下さり、ありがとうございました。

この項目は特に、後で追加したくなる項目が出てくる可能性が高いです。前述の通り、普段はオーストラリアの恩恵をそれほど意識はしませんから。

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