この項、全面改訂します。
初稿は1999年に福島が著したもので、それは
「単語の覚え方(初版本)」として残しておきます。当時は、英語に関する「よもやまエッセイ」として、のほほん風味で書いていました。それはそれで面白いし、実は内容的もかなり深いことが書かれているのですが、もう少しシリアスに勉強したいという人、特にわざわざ「単語、覚え方」という検索をかけて辿り着いてきた人には若干「芸風」が違ってミスマッチな部分もなきしもならず。
そこで「新・単語の覚え方」として別稿を起こし、もう少しシリアスに書いておきます。英単語の記憶術にはかなり多くのノウハウがあり、考えうるもの全て列記しておきます。長くなりそうなので、ぶつ切りにして順次あげていきます。
記憶術一般〜人間の「記憶」とは何か?
英単語が中々覚えられないとお悩みの方も、自分の名前は覚えているでしょう?あったり前じゃん!と怒らないでください。でも不思議だとは思いませんか?両者とも脳内のデーターという意味では同じなのに、なんで前者がダメで後者は鉄板に覚えられるのか?
同じように、現住所は当たり前に覚えているけど、今のところに引っ越す前の住所を覚えていますか?今の携帯番号は覚えているけど、その前の携帯、その前の番号はどうですか?中高生の頃を思い出してください。クラスの座席の位置、出席番号は、当時だったら鉄板に覚えていたでしょう。今思い出せますか?高校2年生のときの出席番号は?
ある物事、ある時期においてはガチガチな強固な記憶になるのに、ある物事や時期がズレると途端にあやふやになってしまうのはなぜか?これが人間の記憶のメカニズムです。このあたりの点については大脳生理学や心理学など数々の本がありますし、素人向けに平易に書かれた本も沢山あります。
英単語の記憶法、さらに英語の勉強についてはどうも苦手だという場合、英語以前に、そもそも「勉強のやり方」があまり上手ではないケースが見受けられると思います。これは大いなる損です。せっかく時間をやりくりし、ストレスに耐えて勉強しているのですから、そのリターンは最大にすべきです。ただ「頑張る」とか「気合だ」とかいうだけではなく(それは大事なことなんだけど)、各界の専門家が日々研究、応用してくれている巨大な英知を利用しない手はありません。是非、勉強のやり方→人間の脳味噌のメカニズムとその応用について考えてみてください。この基本が分かれば、以下の個々のノウハウは自然発生的に出てくるでしょうし、自分なりのオリジナルな方法も開発できるでしょう。
勉強嫌いだった僕の中高時代のバイブルは、多湖輝さんの「ホイホイ勉強術」、続編の「スイスイ受験術」でした。中学の頃これをなにげに読んで、「そうかあ、そうだったのか、なるほど」と目からウロコが2、3枚は落ち、発想の原点のようなものを掴ませてもらい、それが以後の司法試験受験や、実務、さらにオーストラリア滞在での英語習得に役に立っています。一回知っておくと一生役に立つという意味でオススメです。って、かなり昔の本なので絶版になり、相当古本屋巡りをしないとダメだろうな、、と思ってたのですが、ダメ元で検索してみたら、なんと復刻版が出ていました。
平成版ホイホイ勉強術―脳力UP162の作戦です。
多湖さんの著作は心理学からのアプローチですが、大脳生理学からのアプローチもあり、これは
過去のエッセイで紹介した池谷 裕二氏の
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)
です。これも目ウロコ系です。勉強方法への応用に書いているわけではないのですが、脳の作業興奮などはいいヒントになります。あと「いい加減な思い出し方をするとその記憶は消える」などもショッキングな事実だったりします。
このあたりの本を読むなりして(他にも良書は多々あると思います)、記憶や勉強についての造詣を深めておいてください。これはマストと言ってもいいかもしれない。闇雲に単語を1000個覚えるよりも価値があると思います。
データーリンク!連想と水路付け 別の記憶とリンクさせること
人間の記憶データーというのは空気の中を舞っている木の葉のようなもので、ちょっと目を離したらすぐに分からなくなってしまいます。
孤立したデーターは無力です。そこで
孤立させず、何か他のデーターとリンクさせることが大事です。木の葉を大樹の枝に括り付けておくように、七夕の短冊を笹に括り付けておくように、社寺のお神籤を木の枝に括り付けておくように。
それが
記憶を蘇生させるときの重要なインデックスになります。そして、その
リンクの数は多ければ多いほどよく、またより大きな記憶と連結させておくと良いです。上述の「ホイホイ勉強術」では、これを「脳の水路付け」という言葉で説明していたように記憶しています。
「夏が来れば思い出す、遙かな尾瀬〜」という歌がありますよね。たぶん作者は夏の尾瀬を訪れ、そこでガビーンと感動したのでしょう。曲名からして「夏の思い出」ですから。その印象があまりにも強烈だったから、夏→尾瀬という水路付けが頭の中に出来てしまった。このように「AといえばB」という連想は、人間の脳の特徴的な傾向らしいです。論理的・階段的に進んでいくのではなく、いきなりピヨ〜ンとワープする
連想型です。Aという記憶データーとBというデーターが、連想ワープによってリンクされているという。
この連想による水路付け、データーリンクの原理は英単語の記憶に留まらず、学習一般のコツだと思います。文法知識としてはあるのに、いざ現場になったら出てこない、使えない、、、というのは、このデーターリンクが弱いということになります。だとしたら、その文法を使う典型的場面になったら自然にその用法が立ち上がってくるように水路付けしてやれば良いということになります。
別の項でも書きましたが、オーストラリアの語学学校で僕が実際に受けた授業では、折り紙を使って占いをやるというものがありました。相手に数字を選んでもらい、その数字によって運勢を占うという。これが未来形(will)の活用練習になっているわけです。「あなたは来週素敵な恋人に出会うでしょう」という占いをすることは、すなわち未来形で語ることですから。この占いを何度も反復することによって、未来のことを考える頭になったら自動的にwillが立ち上がってくるように脳の水路付けするわけです。
最強最速の情況記憶
データーリンクの最たるものは
「その場の情況」です。ある単語を一瞬にして永久記憶レベルに固定する最高の方法は、「現場でその単語を使って、大恥をかくこと」です。別に大恥までかかなくても良いかもしれませんが、その種の出来事は強烈なイベント性がありますから、何年経っても覚えています。ある単語を言ってみたけど全然通じない、半泣きで何度も何度も言っても通じない、発音が悪いのかと思って手を変え品を変え言うけど、それでも通じない。結局別の言葉と勘違いされていたことが分かり、「なーんだ」になる。そして、その場で正しい使い方を教わる。そういった体験記憶は薄らぎにくいし、その体験に直接リンクしているその単語もまた、そう簡単には忘れません。
したがって、最も有効な方法は、「現地にやってきてやたらめったら喋れ、使え!」ということに尽きます。それが最強最速です。
実際、今こうして振り返っても、自分が知ってる英単語を見ていくと、「ああ、この単語は○○のときに覚えたんだよな」とか結構覚えていて、言えるんですよね。今でも鮮烈に覚えていますが、17年前にオーストラリアにやってきて、初めておっかなびっくりバスに乗ったときです。当時は「行き先を告げて料金を支払う」というバスのシステムなど誰も教えてくれませんでしたから、全線均一料金だと思いこんでいた僕はバスの運ちゃんと「いくらですか?」「どこにいきたいの?」「だからいくらですか?」「だからお前は何処に行きたいのか?」「そんなの関係ないでしょうが」みたいな押し問答になり、最後はキレ気味になった運ちゃんから
「デスティネーション!」と大声で言われちゃいました。このとき、ああ目的地のことを
"destination"というんだ、という強烈な記憶になりました。今でもこの単語が出てくると、既にとっぷり日も暮れたシティのチャイナタウンでのバス停での光景が鮮やかに甦ります。
あるいは、アンミステイカブル(unmistakable)という長ったらしい単語があります。「間違いようがない、明白な」という意味ですが、これを覚えたのは語学学校時代、宿題を提出したのだけど自分の名前を書くのを忘れて、「先生、名前を書いてませんでした」と言いに行ったら、「キミのはコレだろ?キミの字は
アンミステイカブルだよ」と言われたのですね。字がとても個性的(てか汚いんだけど)なので、名前なんか書かなくても一発で分かるよと。「ほう、そういう表現があるのか」と思って、それで一発で覚えました。今でもそのときの情景はリアルに思い出せます。絵に描けといわれたら描ける。ああ、アッシャー先生、お元気かなあ。
このように同じ単語を覚えるにしても、実際に生き生きした情景描写や会話で使われている状態で覚えた方がいいです。いちいち現実に体験するといっても限界がありますから、「追体験」という手があります。小説などストーリー性のあるものを読んで覚える。これはその現場の状況がリアルに書かれていますから、情景とリンクしやすく、覚えやすいです。また、単語の本質的意味、使い方の微妙なニュアンスを知るという意味でも非常に有用な方法です。ということで、ボキャを増やしたかったら沢山小説を読むといいです。"
munch"(ムシャムシャ、もぐもぐ食べる)なんて単語は、村上春樹のノルウェーの森の英訳版(日本で文庫本になってる)だったかで覚えました。
また、情景がなかったら自分で作るという方法もあります。その単語を使った映画のワンシーンを自分で創作するのですね。これ、単語の意味やニュアンスを正確に理解しないと作りにくいから、その点でもイイです。例えば、今テキトーに作ってみると、"
bestow"という単語があります。「授与する」という意味で、giveと同じ意味なのですが、もうちょっとニュアンスとしては上下関係があり、単に「あげる」 というより「授ける」って感じ。貰う方としても、貰うのではなく「賜る」って感じ。例文で "bestow knighthood on him"(彼に騎士の称号を授けた)というのがあるから、脳内スクリーンには、ロード・オブ・ザ・リングスとか、「アーサー王と円卓の騎士」というか、あのテのシーンを思い浮かべ、「勇者○○よ!そなたに騎士の称号を授けよう!」と高らかに宣言されるその声の感じ、石造りのホールに反響するエコーの感じまでリアルに思い浮かべ、「べすとう!」と。
逆に、
何時間も机に向ってシコシコ覚えようとしているのは最悪に効率が悪いと言えます。なぜなら、「机に向っている」という「情況」は全く変わりませんから、リンクしようがないのですね。Aという単語を覚えているときも、Bという単語を覚えているときも、その情況に変化が無かったらリンクしようがないです。じゃあ、どうするかといえば、同じ覚えるにせよ、チャッチャと場所を変える。これはトイレで覚えて、これは庭先で覚えて、、、と。あるいは買物にいくとき、バスに乗ってるときなどなど。あるいはある単語を覚えているときに、偶然コーヒーをこぼしてしまって「きゃー」となったら儲けもので、「○○はコーヒーをこぼしたときの単語」というリンクを作っちゃうのです。ノートや教科書のシミの形状までしっかりリンクさせる。○○を覚えているときに近くに大きな落雷があったとか、焼き芋屋さんが通り過ぎていったとか、なんでもかんでもリンクさせる。
勉強する「河岸を変える」という意味では、
通勤通学のバスや電車は絶好のチャンスです。なんせ車窓の風景はボンボン変わるし、周囲の人も変わる。それ以上に、ナマの現場でオージーが使っている英語表現というのは宝石レベルに価値があります。自分の頭で英作文した表現というのは涙が出るくらい通じないのですが、実際に現場でネィティブが使ってる表現というのは面白いように通じるのです。「こういう場合はこういう」という決まったパターンがあって、そのパターンを守ってるとポンポン通じるけど、そこから外れたら途端にダメ。車内が混雑しているとき、誰かを通してあげるために身体をズラして道を空けてあげることを
「スクイズ」ということもバスの中で知りました。引率の先生が生徒達に「ほら、降りる人がいるからスクイズしなさい」と。"squeeze"=レモン果汁等を「搾り取る」「搾取する」という意味ですが、ここから野球の「スクイズ・バント」が出てくるのですが、「かき分けて進む」という意味もあるのですね。てか実際の現場ではこの場面以外でスクイズって単語を使ってるのに出くわしたことがないくらいです(ジュースのラベルくらいか)。
まだまだ記憶のコツは沢山あります。長くなるので、とりあえず一回切ります。
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