また、新しいシリーズを起こします。現代世界シリーズは、あれはあれで続けていきますが、それとは別に。
APLaCのHPを立ち上げて10年以上経過しますが、久しぶりに独立して大きな章を起こしたくなりました。
オーストラリアという海外に住み始め、あれこれ思うことを綴り始めたのがこのHPの原点ですが、チリも積もれば何とやらで、今となれば僕ですら把握しきれないくらいの膨大多岐なコンテンツになっています。どんどん広がり、どんどん詳細になるのはいいのですが、それだけに異様に細かい現地の技術論や、あるいは大きな文化論など、ともすればマニアックになってきてしまったキライもなきにしもあらず。なんか、肝心の中間の部分というか、原点の部分が薄くなってしまったような気もするのですね。
問題に気づいたら即対処!ってことで、このシリーズを書くことにします。
ここで想定している読者層は、これまで「海外で暮す」なんてことを殆ど考えたこともなかったような日本人が、ふとしたキッカケで「ふうん、海外かあ」と1ミリくらい興味をもった状態、、、を考えています。
要するに昔の自分です。昔の僕も、海外なんかぜーんぜん考えてなかったし、海外旅行なんか好きでもなかった。実際行ったことも殆どなかったし、「パスポートってよく聞くけど何なの?」みたいな感じ。およそ自分が日本語以外の言葉で外人と喋るなんてことは、まあ生涯に殆どないだろうと思ってましたし、どうしても必要だったら通訳雇えばいいじゃん、と。
そんな人間が一念発起して「えいや!」で海外に渡り、今年でなんと17年も住み続けています。事情が許す限りこれからも住むでしょう。なんで?って自分でも不思議です。僕は、いわゆる「海外大好き」系のタイプではなく、そのテの趣味嗜好が嵩じて海外に住んでいるわけではありません。性向でいえばむしろ真逆。それが実際に海外に住み続けているのは、純粋にライフスタイルの選択としてです。海外が好きだから行ったのではなく、自分らしく生きていくためにどうしたらいいか、どういう環境が良いかと考えていって、出てきた答がたまたま海外、オーストラリアだったというだけのことです。
ということで、ここで書こうと思っているのは、そーんなにマニアックなことでもなく、切れば血が出るバリバリの実戦技法でもありません。そういうことは他章で鬼のように書き散らしてますし、必要とあればリンクも貼ります。ここでは、もっと取っつきやすくて、もっと大きくて素朴なことです。例えば、、、
それまで日本に暮していた日本人が、いきなり海外なんて行っちゃっていいの?
なんで行く気になったの?
具体的にはどういうダンドリを考えてたの?
幾らくらいかかるの?
行くとなんかイイコトあるの?あったの?
でもやっぱり日本に帰りたくなったりしないの?
みたいなことです。
能書きはこのくらいにして、とりあえず書いていきます。
例によって章編成もあんまり考えてません。いきあたりばったりで書きつづり、たまってきたらまた編集するくらいの感じでいきます。
いいです。
最も簡潔な回答は以上。
それじゃあんまりだからもう少し。
「海外」という国や地方はなく、アマゾンも南極もイラクも「海外」ですが、とりあえずオーストラリア程度のことを念頭に置いて語るならば、別に遠慮も、準備もすることはないですよ。来たかったら今日にでもお越しやす、です。Welcome!です。
主観的な「異郷感」はすぐになくなること
着いた初日から17年後の今日まで一貫して思うのは、海外といったって、そんなに別に大したことじゃないよってことです。「住めば都」と言いますが、本当にそうです。住んでしまえば、「海外」だなんてイチイチ思わないもん。最初は確かに違和感バリバリかもしれないけど、同じベッドに二晩も寝れば、なんとなく「自分のねぐら」感が出てきて、そこにいるとちょっぴり安心できたりして、それが段々広がって、「見慣れたいつもの街角」「いつもの人々」になっていけば、数ヶ月もしないうちに「私の町」になります。
人間の適応能力というのは凄まじいものがあります。舐めてはいけない。
ワーホリさんや留学生さん達は、僕から見れば「ほんのひととき」シドニーに暮しただけですが、それでも数年後にまたオーストラリアに来たときには、「ああ、帰ってきた!」と胸が熱くなるといいます。それどころか、わずかな期間旅行に行ってただけでも、シドニーに戻ってきたら「ああ、帰ってきた」感があります。僕も最初に来たとき、3か月目に2週間だけ国内旅行をしたのですが、旅行を終えてシドニーに戻ってきたときは、「ああ、帰ってきた」と思いましたもん。なんでそんなに嬉しいのか自分でも不思議だったけど、自宅のフラットに帰ってくつろいだら、日本人みたいに「やれやれ、やっぱりウチはいいなあ」とか口走ってたましたもんね。そんなもんですよ。
それまでよそよそしかった「海外」が、灯火恋しい「我が町」に変るときというのがあって、今でも覚えているのはバスに乗ってたときのことです。時刻は夕方、天候は雨。冬だったのでつるべ落としに暗くなり、シティのジョージストリートを南下するバスの窓からは、雨の水滴越しに町のネオンや灯りが見えました。バス停に停まる度に、わらわらと現地のオージー(や留学生や観光客やその他判別つかない大勢の人)が乗ってきて、ほっとしたように着席します。"excuse me?"と言われて僕の横の席にも勤め帰りのオージーが座って、何事もなくバスは発車。すぐに信号待ちで停まる。バスのエンジン音がルンルン響いている。頬杖ついて窓の水滴とネオンを眺めていた僕は、そのときに、「ああ、自分の町なんだな」って感じました。今でも覚えているくらいだから、よほど強烈な印象だったのでしょう。
なんでそう思ったのかよく分からないけど、この異空間において、自分はとっても「普通」な存在なんだって実感したからでしょう。外国からの「お客さん」でもなく、「よそ者」でもなく、社会の一員に自然になっていたという意識がそうさせたのかもしれません。
また、別の機会では、これもよく覚えてますけど、Petershamという駅前、電車から降りてきた勤め帰りのローカルの人達が、三々五々自宅を目指して歩いていく風景です。夕陽に照らされた人々の長い影が路上に落とされていました。仕事を終えて家路につく、何とも言えないほっとした感じ、”勤め帰りオーラ”みたいなものがあって、それを感じたときに「ああ」と思った。オーストラリア人といっても、「グダイマイとか言ってる陽気な人達」ではなく、普通に生きて普通に頑張ってる普通の人達なんだという素顔が見えた感じがしました。
つまり、外国とか海外という国境感覚は、実は自分の心の中にあるだけで、自分で勝手にそう思いこんでるだけ。「オージーの素顔が見えた」とかいっても、そんなの初日から惜しげもなく素顔を見せてくれていたのですね。だけど、こっちがテンパってるから、それを理解できない。自分で勝手にボーダーを作って、あっちだとかこっちだとか言ってるだけなんだよな、そんなの幻想なのね、というのが腑に落ちる瞬間というのがあって、そうなるとストンと腹が据わります。すると「海外にいる」というテンパった感覚は大分収まってきて、「俺の町」になります。
着いたばかりのワーホリさんや留学生さんのシェア探しをかなりムキになってサポートしてますが、あれも「地元の人達と暮した方が英語が上達する」という学習効率面だけを考えてやってるのではなく、一刻も早くこの感覚になってもらい、「海外」とか「外人」とかそういった心理バリアを減らすという部分にむしろ大きな眼目があります。シェアといえば学校の友達同士でするもんだみたいな認識が一部で持たれているようですけど、すごい勿体ないなあって思いますね。むろん、友達同士のシェアは楽しいだろうけど、「よそ者」同志でつるんでいても、自分がローカルにすっと溶け込んでいくキッカケがないのですね。こういうことってミスってしまうと、自分がミスってることすら気づかない、もっと自然に、楽に、豊かに暮らせる世界があることに気づかないので、そこが恐くもあります。実際、もう何年も暮しながらミスってる人も結構いるようなので(言うこととか発想とかを聞いていると大体わかる)、こういうことって最初が肝心なのかもしれないです。
「これまでの海外経験」よりも「日本での生活経験」
前述したとおり、僕は海外旅行経験も殆どないまま(社員旅行で香港ツアーに参加しただけ)、いきなりこちらにやってきました。また、着いたからといって空港に誰が待ってるわけでもなく、誰がサポートしてくれたわけでもありません。全部自力。まあ当時にAPLaCみたいな所(自力で頑張るのを必要な限度でのみ補助)があればお世話になったかもしれませんが、当然そんなのもなし。というか、誰もやらないから自分でやってるわけですけど。
しかし、やってみて思うのは、これまでの海外体験なんか別に要らないよなってことであり、むしろ無い方が先入観に囚われないので良いのではないかとすら思います。なぜなら、僕は人生の選択、ライフスタイルの選択としてこちらに来ているわけであり、いわば「生活者」として来ています。観光客や、駐在員、出張、留学生として来ているわけではないです(ビザ上は学生ビザだったけど)。必要なのは海外体験ではなく、これまでの「生活体験」なのだと思います。外国社会における様々なシステム、しきたり、パターンを学ばねばなりませんが、そのときに一番役に立つのは、これまでの生活体験、社会経験なのですね。
僕が最初にオーストラリアに来たのは34歳のときでしたけど、「もっと早く来ていれば」とは別に思わないですね。今も思わない。まあ当時は永住権取得が比較的楽で、34歳でもお釣りがくるくらいの点数が取れたということもあるのですが。34年間日本で暮して、結婚もし、仕事もし、また弁護士という稼業で日本社会や人々の人生を色々な角度から見られたという経験こそが、海外で一番役に立ちました。賃貸借契約や銀行口座の約款などの社会のシステム、マーケティングや企業経営、さらには破産、離婚などのトラブルなど、社会における生理&病理&解決パターンが頭に入っていると、知らない国の社会を見ても、「ははあ、多分」というアタリがつき、理解が早くなるという部分で現れます。
例えば家の賃貸借。僕はホームステイもシェアもすっ飛ばしていきなり自分でフラットを借りましたが、賃貸広告の出し方から契約、終了時の明け渡しなど、いちいち何が同じで何が違うかが分かって面白かったです。赤の他人に家を貸す以上、そいつが家賃を滞納したり、家を汚したりするリスクはあります。これは国境を越えた普遍的なリスクです。リスクが普遍的だったら対応もまた普遍的である筈で、日本では保証金とか敷金という形でリスク保全をするけど、こちらにもやっぱりボンドという制度がある。「多分あるんじゃないかな」と予想していれば、不慣れな英文でも何となく理解はできます。
と同時に、日本とは違う部分に新鮮な驚きもあります。「うわ、すごい合理的」と感心したのは、居住用賃貸の場合にはボンド(保証金)の上限が法律で決められていること(日本ではない)、また日本では当たり前のいわゆる「敷引」という慣行がない(ありえない)ということです。後者はちょっと説明が必要ですが、敷引というのは、出ていくときに修繕費など様々な理由をつけられて敷金や保証金からさっ引かれることで、往々にして殆ど戻ってこなかったりします。ところが、オーストラリアの場合、ボンド(敷金・保証金)は家主のもとにいかず、公的機関がこれを管理し、退去時にが家主と店子両者がサインした紙を持っていかないと引き出せないという。お金の移動をめぐるトラブルの場合、お金を持ってる側が圧倒的に有利ですからね(話がつかなければ事実上勝ち)。そうさせないために保証金を家主に渡さないという。また、日本の不動産屋さんは、ときとして違法ではあるのだけど家主と店子両方から斡旋手数料を取ったりしますが(いわゆる”両手”)、こちらでは不動産屋の斡旋手数料まで法定されていて、それもわずか数千円(僕のときは2000円足らずだった)。ただしこの制度はシェアなどカジュアルな場合にはありません(但し救済を求めることは出来る)。
もう一つ例を挙げると、公共交通機関においても、東京などの大都市においては、特に利用客が多くなる通勤ピーク時に緻密なダイヤを組み、さらに特急、急行、快速、通勤快速など停車駅をスキップさせる便を増発しますよね。シドニーの公共交通機関は日本ほど緻密に作られていませんが、それでもバスの系統番号に「L」とか「X」とかいう頭文字が入ってる便があり、それぞれリミティッド(停留所が限定されている)、あるいはエクスプレス(急行)の意味です。これも日本で快速などのシステムに慣れていれば、「ははあ、なるほど」と理解が早いですよね。
ホームステイなどでも、40代とか60代の方がされる場合は、あまり問題は生じません。彼らは、家族生活を日々切り盛りしていくシンドさを知っているからです。手がかかる子供を何人も育て、自分も働き、さらに夕食の用意をすることがいかに大変か。ハッキリ言って留学生なんかに構ってる余裕はないでしょうし、夕食の手配が出来ずに店屋物(こちらではピザとかテイクアウェイ)や冷凍モノでお茶を濁したくなる気分もまたよく分かるでしょう。夫婦といっても、常にラブラブなんてわけはなく、ときとして冷たくギスギスすることもある。そのあたりが骨身に染みて分かってるから、あんまりホストファミリーに多くを要求しませんし、忙しいなか頑張って時間を作ってくれて、こちらに対応してくれる好意のありがたみもよく分かる。ところが、育児経験どころか結婚経験も、どうかすると仕事経験もない若い人は、そのあたりの大変さが分からないから、「○○してくれない」とかブーブー言ったりする。まあ、全てがこのパターンというわけではないのです。若くても洞察力がある人もいますし、年取っても分からない人は分からないけど、同じ
能力だったら経験がある方がよくモノが見えるでしょう。
知らない国や社会にやってきて、一番役に立つのは、こういった社会や生活に関するベースとなる知識や経験だと思います。観光のように名所旧跡の知識が幾らあっても、日々の生活にはあまり役に立たない。また、過去の海外旅行経験も、どういう旅行をしてきたかによりますが、その国の普通の人の普通の生活を体感するような経験は難しいでしょうから、あまり役に立ちません。コアラやカンガルーを幾ら見ても、オーストラリア人はわからない。それはトキや丹頂鶴を幾ら見てても、リアルタイムの日本人を閉塞感を理解するのに何の役にも立たないのと同じです。それどころか、「オーストラリア人はこういうもの」という先入観が、却って目の前の現実を歪めて映すリスクもあります。
ということで、それまでの海外体験というのは、(それが良質な経験であれば)あるに越したことはないのでしょうが、別にそれほど本質的なものではなく、ベタな日本人でも、いやベタな日本人だからこそすぐに馴染めるという局面も多いと思います。
そうは言っても海外生活は大変ではないのか?
はい、そりゃ、もう!言葉が違う、習慣が違う、社会のシステムが違う、アレも違うしコレも違いますよ。それに、ビザという鬱陶しいハードルはあるし。「大変ですか?」と聞かれたら、「はい、そりゃもう、ムッチャクチャ大変ですよ」とお答えしましょう。
だけど、この種の大変さというのは、「生きていくことの大変さ」であって、どこに住んでも同じだと思ってます。日本で生きいくことも、ムッチャクチャ大変ですよ。それはあなたもよくご存知の筈です。「環境の変化」という点でも、日本にいたとしても、転職したら周囲の環境は総取っ替えに近いでしょうし、転勤したらアレも違うコレも違うの嵐でしょう。さすがにビザという問題に頭を悩ませることはないけど、社会的なステイタスだの世間体だのというハードルが多々あって、それをクリアしようと思えば、オーストラリアのビザに匹敵するくらいのダンドリと努力(例えば有名大学や難関資格を取るとか)、そして本人の努力ではどうにもならない外部環境や運というものがつきまとうでしょう(就職とか)。
だから思うのですが、これらの大変さというのは、一見「海外なるがゆえの大変さ」のように思えるのだけど、本質を突き詰めていけば「生きていく上での大変さ」だと思うのですよ。その意味でいえば、「別にどってことないよ」「同じだよ」とも答えられるわけです。もちろん海外のなかには、その国で生まれたネィティブでさえ生きていくのに大変な努力を強いられる国もあるわけですから一概に言えません。しかしオーストラリア程度でしたら日本とそう違わないと思います。大変さの種類や質は違いますけど、トータルの絶対量がものすごく多いとは思えません。
それに「大変だからやめる」「楽だからやる」ってものでもないでしょう?
ものぐさ太郎じゃあるまいし、人生の選択というのはメンド臭いかどうかだけで決まるものでもない。総じて人が輝いているときというのは、例えば世界チャンピオンを目指すとか、自分で興した会社を維持発展させるとか、エベレスト登るとか、子供を育てるとか、オリンピックで金メダルを取るとか、いずれも超面倒臭いことをやってるときです。
また、成功率が高いからやる/やらないという問題でもないですよね。むしろ成功率が低ければ低いほど燃えたりしますよね。「1%の可能性にかける」とか。まあ、限りなく可能性がゼロに近いことに取り組むのは不毛かもしれませんが(不老不死の秘薬を開発するとか)、それでも「人類初の!」みたいなイトナミというのは、要するにこれまで誰もやっていない、やっていたけど誰も成功していないという、成功率が限りなくゼロに近いことを意味するわけでしょ?偉業になればなるほど、気が遠くなるくらい面倒臭いわ、まず絶対無理というくらい成功率が低いわってことです。
問題は大変かどうか、成功率が高いかどうかではなく、その大変さの種類が自分に合ってるかどうかであり、最終的にはその大変さを自分が納得できるかどうか、その納得度が高いかどうかだと思います。
「大変さ」「しんどさ」というのは、言葉を換えていえば肉体的&精神的負荷(ストレス)になるのでしょうが、ポイントになるのは精神的な部分でしょう。肉体的ストレス=身体を動かして疲れること=は、それだけだったら価値的にニュートラルですよね。例えば「1キロ歩く」という肉体に負荷をかける行為も、それが恋人とのデートのためだったらさして苦痛では感じられないでしょうが、取引先まで謝罪に行く道のりだったらかなり苦痛でしょう。ジョギングやスポーツは、肉体に多大な負荷を掛けているのですが、本人が好きでやってるなら問題ないし、ビーチに遊びにいってクタクタになるまで泳ぐのも同様で、「心地よい疲労」に感じられます。だから本人がどう思っているかどうか=精神的な部分がポイントになるという。
では、何をもって精神的に辛く感じ/どういう場合に感じないかといえば、これは本人が納得してるかどうかに尽きると思います。本人が納得してたら、どんなにハードなことをやってても、それほどストレスには感じないでしょう。プロレベルのスポーツ選手の練習というのは、過酷の一語に尽きるでしょう。ボクサーなんて毎日地味に走って、基礎連やって、それでいて食べたいものも食べられないし、水すらもろくすっぽ飲めないという地獄のようなことをやってるのですが、本人が納得してやってたらストレスにはならない。まあツライのはツライでしょうが、じゃあ止めますか?といったら止めないでしょう。全ては本人の納得次第です。やっぱ納得できないことは、どんな些細なことでも精神的にツライでしょう。先日来られた方でも、日本にいるときに納得できないセールスをやらされていて(廉価なものをブームに便乗して法外な値段で売りつけるという)、心が痛くて、夜も眠れなくなったそうです。
話を海外、オーストラリアに戻すならば、それが海外であれ国内であれ、生きていく以上は一定レベルのしんどさはあって当たり前ですし、無い方が気持ち悪いですよ。僕が何となく思ってたのは、日本で生きていくシンドさの量の、まあ1.5倍か2倍くらいまでは許容量だと。何しろ、呼ばれもしないのに勝手に他人の家に押しかけて、あまつさえオマンマを食わせて貰おうという虫のいいことをやってるわけですからね。そんなのしんどくて当たり前じゃん。ただ、余りにもキツイのは、僕もヘタレですから耐えきれないでしょうから、せいぜい二倍くらいかなと。まあ、いい加減な数字ですけど。英語もビザも大変ですけど、英語に関していえば、勉強するのがツライと思ったことはないです。客観的に大変過ぎるくらい大変なんだけど、自分のワガママで来てるわけですからね、文句は言えないです。それに英語が出来ることによるご褒美が想像以上にデカかったので、僕の中ではメチャクチャ黒字です。少なくとも詐欺まがいの商品を売りつけて、スズメの涙のような給料貰ってるのに比べたら、バチが当たるくらい楽です。ビザだって、これがなければ不法侵入なんだから、入る以上は正式に許可してもらい、堂々と正門から入りたいですからね。
それに、海外に出るとそれまでの人生はなんだったの?というくらいの断絶があり、二本立て映画のように人生がもう一本始まったような感じがします。普通のルールだったら、人の人生は一回だけなんだけど、それを2回もやらせてもらってるんだから、贅沢な話じゃないですか。命が二つあるようなものです。それを考えたら、多少の苦労はあって当たり前じゃないですか。
そもそもベーシックな部分で、自分の意思で来ているわけですから、もう丸っぽトータルで納得づくです。これが会社から海外赴任を命じられたとか、親や親族に引っ張られて来てしまったとかいうなら、根っこの部分で納得しにくいから、ストレス度は高くなると思います。ちょっとイヤなことがあっただけでも、「あー、もー!」って気分になるかもしれない。しかし、最初から誰に頼まれたわけでもないのに、全くの自由意思でやってるんだったら納得度も高いです。
前にも何度か書きましたが、過労死で倒れるのは大体が給与所得者で、自由業・自営業の人には過労死しにくい。客観的な労働量は自営業の方がむしろ多いのかもしれないけど、不思議と死なない。なぜか?といえば「自分でやってる」からだといいます。本当にしんどかったら自分で仕事量を調節できますし、止めることも出来ます。そういう自由があり、管理権がある。ところが宮仕えの身にはそういう自由がなく、コントロール権もないから、同じことをやっていても疲労度(特に精神的な疲労度)が違うそうです。分かるような気がしますね。ゲームとかにハマって徹夜同然でやってしまうこともありますが、あれは好きでやってるからやれること、寝ようと思ったらいつでも寝れるからこそやれるのであって、同じ事を仕事でやらされていたらたまらないですよ。
ですので、大変かどうかというのは、実際にやってみたら、それほど大きな問題にはならないです。まあ、問題は問題だし、大変は大変なんだけど、それで死にたくなるとか、心身をむしばむってことはないです。
ただ、まあ、僕の場合、結果的にいえば、苦労の絶対量のトータルでいえば、日本の2倍どころか半分以下で済んでるんじゃないでしょうか。なんか、こんなに楽でバチが当たらないのだろうか?というか、ちょっと罪悪感を感じるくらいです。
逆に、「あのまま日本にいたら、、」と思うとゾッとしますね。僕も来るときには身体にガタが来る前兆があって、健康診断を受ければ、ガンマGTPがどうしたとか、十二指腸がそろそろヤバイって話を聞かされ、実際胃とか胸のあたりに時々痛みを感じてました。飲んだらよく吐いてたし。おそらくは、胃かどっかを手術するハメになっていたでしょう。糖尿の一つも患っていたかもしれない。「健康に留意して」とかいうけど、それが出来るくらいなら苦労してないし、そんな職場環境でもなかったですしね。やっぱストレスあるから、浴びるように飲んでた時期もあったし。ところが今では、身体が酒を欲しないというか、月に一回飲むかどうかで足りてます。ワインやビールは美味しいですけど、別に無くてもいいやって感じになってます。
あ、「楽」とか言ってますけど、それでも住み始めて3年くらいは事実上無収入だったですよ。「どうなっちゃうんだあ」って奈落の底に沈むような不安もあったのだけど、それにも慣れます。蓄えがあったということもあるし、いよいよ金が無くなったら働けばいいやって、のんびりやってました。APLaCを始めたのも別に営業目的でやったのではないし、まさかこんなもんでメシが食えるなんて思いもしなかった。それに20代前半に5年間やってた司法試験の受験時代に比べれば、努力量にせよ、不安量にせよ、そう大したことでもないです。また、どんな商売であれ、独立自営をはじめたら、最初の3年は赤字なのは常識でしょう。日本で独立開業してたって同じ事だったろうし、いずれにせよ数年単位の不透明で不安な時期を通り過ぎて初めて一人前だろって意識はありました。
でも、あんまり「楽だ」とかそういうことは言いたくないです。しんどさをウリにするつもりはもっと無いけど。僕の場合は自分の納得基準に全ての物事が収まってたから「楽」に感じたのですが、そんな基準は人それぞれですからね。僕は楽に感じたけど、人によってはものすごくしんどく感じるかもしれない。そこまでは責任持てませんしね。
もし、海外という選択をお考えならば、楽だとか大変だとか、あんまりそういう視点で物事を考えない方がいいと思います。「オーストラリアは楽そうだから来た」みたいな渡豪をすると、かなりの確率で失敗するかもしれません。ていうか、海外に限らず、なんでもそうですけど「楽だから」という理由で物事決めると、だいたい後は地獄が待ってますよね。逆に一番しんどそうに見える道が、トータルでいえば一番楽だったりするという。そこが世の中のトリッキーなところです。一括でポンと払うのはすごくしんどいのだけど、でもリボルビングとか分割で払うよりは金利が浮くからトータルでは遙かに安い。英語でも "A stitch in time saves nine"という諺がありますが、タイムリーに的確な一針をやっておけば、あとの9針をやらなくて済む。「転ばぬ先の杖」と訳されたりしますが、意味はもっと深いと思います。やるべきときにビシッとやっておかないと、あとで9倍大変になる、後々取り返そうと思ったら、とてつもなく大変だと。これを意訳して現場に合わせて言うなら、「楽そうに見えることはするな、後で死ぬほど大変な目にあうぞ」ということだと思います。
というわけで、海外が大変か、楽かということに関しては、"it doesn't matter"、「そーゆー問題じゃないよ」というのが一番正しい回答なのだと思います。そんなことより、あなたがやりたいかやりたくないか、そのあたりの好き嫌いの方がずっと大事です。本気でやりたかったら納得できる範囲も広いでしょうし、納得できれば、そんなに大変だとは感じない筈ですから。逆に「楽だから」というのが動機部分だと、納得範囲が極めて狭くなるし、そうなるとちょっとイヤなことがあっただけで容易に挫折しかねない。つまりは、楽か大変かという要素を行動の動機部分に持ってきちゃいけないんだと思います。だって、構造的にどう考えても成功率が高くなるとは思えず、端的に言って地獄への一丁目なんじゃないかな、と。
文責:田村