今週の1枚(05.01.04)





ESSAY 189/英語の学習方法(その6)−スピーキング(4)


-とにかく現場でいっぺん困ってみなはれ〜困ったあとの二つの果実


写真はサーキュラーキー



 おめっとさんです。今年もよろしくです。
 こちらで過ごす「夏の元旦」というのは10回経験しても今なおピンときません。なんか新年になったという気が全然しないので、儀礼的な挨拶はそのくらいにして、とっとと本題に入ります。長いシリーズになってしまいましたが、まだまだいきます。スピーキングの第4回目です。

 これまで書いてきたように、英語能力は、4スキルズ+グラマー、基礎力としての発音やボキャブラリなどの集大成であり、どの場面を切り取ってもこれらのスキルが複合しています。よって、スピーキングならスピーキングという一つのパーツを磨こうとしても、スピーキング単独でそれをやっても仕方なくて、他の諸スキルを磨くことによって成立します。「喋ろう!」と思っても、その喋る内容のキーワードになるべき単語を知らなかったら、つまりボキャブラリがなかったら始まらない。単語が分かっても、文法という意味内容の接着&変形方法が分からなかったら表現力が大きく制約されます。言うべき内容がわかっても、今度は発音がダメだったら通じない。そして、「こういう場合なんていうのか?」という知識を仕入れるのは、インプットの局面であり、そのためにはリーディングもやり、リスニングも出来なければ仕入れてくることが出来ない。しかしリーディングを頑張ろうと思っても、ボキャブラリがなかったら知らない単語ばかり出てきて中々読み進めないし、文法知識がないと意味もわからない。リスニングで知識を仕入れようにも、知らない言葉を知らない用法で言われても聞き取れるはずがない。また発音の知識がダメだったら聞き取ることも出来ない。だから仕入れが出来ずに、いつまでたっても「こういう場合になんて言えばいいのか分からない。だから喋れない、、、という具合に、相互に深く関連しあっています。

 大きく複雑に入り組んだニワトリタマゴみたいなもので、AをやるためにはBとCができないとならず、BをやるためにはCとAができないとダメで、でもCをやるためにはDとBが必要で、DをやるためにはAが必要で、、、という。ゴチャゴチャにこんがらがった毛糸玉みたいもので、どこから手をつけていいのかわからない。しかもその毛糸玉たるや、直径が100メートルもありそうな超巨大な毛糸玉で、圧倒的に巨大なオブジェを前に呆然と立ちすくんでしまう、、、というのが、英語をある程度勉強された方の心情だろうと思います。





 そうかといって呆然と佇んでいても始まりません。とりあえず手近なところから始めていかねばなりません。
 ここでグッドニュースがあります。すべてが複雑に入り組んでいるということは、逆に言えば、ここから始めなければならないという出発点が別に決まっているわけではないことを意味します。まあ、超初心だったら、アルファベットを覚えるとか、I とかYOUとかそのあたりの基礎単語から始めないとならないでしょうけど、今の日本人だったら大体そのくらいは知ってるでしょう?それだけ出来たら、あとはバトルロイヤルというか、どこから始めても特に問題はないと思います。それにですね、どーせ一回やったくらいじゃ覚えないんだから、もう当るを幸い、手当たり次第にやったらいいと思います。

 「手当たり次第と言われても、、、」と思われるかもしれませんが、あなたが既に現地に来ている場合は、空港手続に始まって実際に困る場面には事欠かないでしょうから(笑)、順次片付けていけばいいでしょう。あなたがまだ日本にいる場合、基本的には「スピーキングに困る場合」ってのはそうそう無いと思いますし、あったとしても職業的、立場的にそうだという場合でしょう。例えば外国人客が多く来る観光関係の人とか、外資系の会社に勤めている人です。こういう方々は、日常的に英語を使っているといっても、24時間ではないでしょう。いくら日本語厳禁の外資系の会社にいるとしても、地下鉄の切符を買うのは日本語でしょうし、コンビニで買い物するのも日本語、引越しのときに運送屋を手配するのも日本語なら、泥棒に入られたので警察に電話するのも日本語でしょ。当たり前ですよね、日本に住んでいるのですから。でも、現地にいるとこれらも全部英語です。トイレの個室で頑張っていてノックされて「入ってまーす」と返事するのも英語。そこはやっぱり違うわけで、現地に来ると、一日中、朝から晩まで困りっぱなしなわけです。だから、思わぬところで、「うわ、こんなことまで英語で言わないとあかんのか!」ということになります。ですので、困る場面には不自由しないと思いますし、本当に「手当たり次第」という感じになるでしょう。日本におられる場合、英語を使う場面が限られていますので、その方面において「困るような場合」を順次片付けたらいいでしょう。

 「困ってからでは遅い!」と日常英会話集などを買い込んで頑張って準備しようとされる方も多いと思いますが、あなたが神様のような記憶力を持っていたとしても、それで困らなくなるってことは、まあ、無いと思いますよ。だって、どんな場合に困るか?ですが、これはほんとに「全部」ですよ。身も蓋もないけど、でも本当にそうなんだから仕方ないです。「トイレに関する用語だけは日本語で言ってよし」なんて例外ルールは特にないです(あるとしても柔道の「イッポン」「ワザアリ」くらいか)。そして「全部」といっても、あらかじめ全てを思いついたり準備したりすることなんか不可能でしょう。

 じゃあ、どうすんのさ?というと、とりあえず一回困ってみなさい、ってことです。
 実際の現場で、「うわ、くそ、どういえばいいんだ?ぐあー!」とパニックになるような経験をすると、少なくとも「こういう場合に困る」「こういう表現が言えない」ってのが分かります。実際に困ってみないと何に困るかすら分からんもんですし、困ればとりあえず一つ課題が明瞭になります。また、実際に恥かいてますから印象はクリアだし、殆どトラウマみたいに記憶にも残ります。事前に準備するのは悪いことではないですが、紙の上だけで勉強してても記憶の定着力は非常に弱い。安物の付箋みたいに貼っても貼ってもはがれてしまうから、かなりエネルギー効率悪いです。そんなことするくらいだったら中学の教科書でも復習して基礎文法をおさらいしてた方が労働効率は高いと思いますよ。





 さて望みどおり(?)、現地で困ります。そこで困って、パニくって、恥かいて、ヘコんで、それで終わりだったら勿体ないわけです。ここから先がキモなんですけど、また同じような局面になったとき、次回はなんとか言えるように、一人で頑張って調べてみてください。これが大事です。辞書を調べても、文法書を調べても構いません。ゆっくり時間をかけて、今度同じメにあったら「こう言おう」というフレーズを自分なりに用意してください。

 このとき別に完璧を期さなくてもいいですよ。いや、完璧になるべく調べまくったり、考えたり、自分で添削&推敲をするのはいいのですが、最終的に完璧である必要もないです。いや、完璧にしようとあまり思い込まない方がいい。何を言ってるかというと、別にオーストラリア人などのネィティブスピーカーに聞いて確認する必要はないって言ってるんです。

 これは普通言われているのと逆ですよね。普通はネィティブに聞くのが一番だって言います。一般論としては僕もそう思うけど、これも時と場合によりけりでしょう。以下、理由を言います。

 理由その1は、「こういう場合になんて言えばいいか?」というのは、その内容にもよりますが、ネィティブにとってすごく答えにくい質問だったりするからです。英語を始めたばかりの頃は誤解しがちなのですが、言語というのは数学のように答えが論理的に一つだけに絞りきれるものでもないです。それどころか、どんな言語でも同じ内容を表現しようとする場合、最低でも50通りは言い方があるといいます。ネィティブは殆どすべての言い方を知ってるわけですが、そのうちから何をセレクトして、何を勧めたらいいか?これは迷うところでしょう。内容は同じでもニュアンスが違うというヴァージョンが無限に近いくらいあるから、「どういうニュアンスで答えたいのが」「誰が答えるのか」などの付帯状況がわからないと答えにくいと思います。

 "How are you?"といわれたらなんて答えたらいいの?なんてのも、ある意味答えようがないです。答え方なんか無限にありますからね。中学校で習った"I'm fine thank you, and you?"でも別に構いませんし、"Good!"でもいいし、"Not too bad"でもいいし、人によっては"good, good,good!"の3連発をカマす人もいますし、"I'm doing well"という人もいるし、こんなの正解が何かというよりは、「趣味」の世界だったりします。これは、日本語で「おおー、ひさしぶりー、どう?最近?」って聞かれてなんて答えるかというのと同じで、「いや、まあ、ぼちぼちですわ」って答えようが、「おかげさまで」「相変わらずです」「元気ですよー」「なんとかやってます」「あきまへんわ」「絶好調!」「あ、もう、全然ダメ!」「お天気と一緒ですわ、晴れたり曇ったり」って無限にバリエーションがあるでしょう?そのなかから「これ!」と一つだけピックアップして教えろっていうのは、かなり難問なんですよ。

 もう少し突っ込んだ例を挙げます。あなたが女性で、今晩クラスメートの男性からディナーに誘われたんだけど、どう答えたらいいですか?みたいな質問なんか、聞かれた方も答えにくいと思いますよ。それってそのクラスメートの男の子はキミに気があるのか?つまりデートの誘いとして言っているのか、そしてキミ自身はどうしたいのか?下心があったとしても行きたいのか、望むところなのか、そんなのだったらイヤなのか、基本的にはOKなんだけどあんまり二つ返事でOKを出すのもなんだかなって気もするので、多少の”引き”をもたせながら答えるのか、、といろんな答え方があるわけでしょ。そのあたりはっきりさせないまま、例えば「下心系だったら絶対イヤだけど、パーティーみたいに皆で行くなら行きたい」というつもりなのにそれを言わずに、「キミとしては行きたいの?」「行きたいわ」「じゃあ、”もちろん、行くわ!”という言い方がいいね」みたいな教え方になっても困るでしょ。"Of course, I will""That would be nice"とかいう英語表現だけ教わってもしょうがないというか、逆にリスキーでもあるわけです。そういう場合は、「何料理を食べに行くの?」「他に誰が来るの?」「私の友達も連れて行っていい?」とかいう言い方だってあるわけですよね。つまり、答えを何通りも知っているネィティブに聞くには、聞く方も正確に聞かないとマズイわけですね。でもね、そんなに正確に状況やこちらの意図を英語で説明できるくらいだったら、最初から答えているわいって気もしませんか?

 何度も強調しているように、言葉というのはコミュニケーションで、その言葉に乗っかる情報というのは、単にその言葉が直接的に意味するだけのものではなく、ある特定の状況、特定のタイミング、特定の単語や言い回しでいうことで、もっといろんな意味が付加されてくるわけです。男女ネタばかりで悪いけど、高速道路沿いのモーテルに入ってエッチしませんかという意味で、「ちょっと休んでいこうか?」という場合もあれば、皆で登山をやってるときに「ちょっと休んでいこうか」って場合もあるわけです。前者は「休む」といいながら、全然「休」まなかったりするわけで、意味が違う。状況によって同じフレーズでも意味が違うという原理は、日本語も英語も同じです。

 難しい表現でいえば、コンテクスト (context) =文脈ですけど、コンテクストが分からないまま言葉だけ取り出しても意味がないです。言葉というのはそれ自体だけでは完成されていません。使われる場面情報とあいまって、意味の化学反応がおきて、初めて本来の意味を持ちます。これは徹底的にキモに命じておいたらいいですし、これからも事あるごとに言おうと思いますが、単語を覚えるにしてもコンテクストを抜きにして覚えた単語は使えない場合が多いし、また使うのは危険です。だからネィティブに質問しても、「どういうコンテクストで使うの?」と逆に聞き返されることが多いでしょう。こうやって聞いてくれるネィティブは、優秀というか、言葉というものをちゃんと理解してると言えるのでしょうが、そんな優秀なネィティブばっかりでもないです。これが以下の理由その2以降と関連していきます。



 ネィティブに聞くのが必ずしも正解ではない理由その2は、同じネィティブといっても使っている英語の範囲や癖はかなり個人差があるということです。これも段々わかってきたのですが、日本語だったら大体どの日本人も似たようなボキャブラリと似たような言い回しを使いますが、英語圏の場合は使う人間の棲息範囲が広く(ほぼ地球全体)、人種も社会も歴史も違ってるからでしょうか、かなり差が激しいように思います。アメリカ語とイギリス語、オーストラリア語で違うというのはよく言われますが、同じオーストラリア、同じシドニー、同じ年齢層であったとしても尚も違う。あるネィティブに聞いたら、「そんな言い方絶対しない」と言い切られ(学校でそう教えられたりもする)、別のネィティブに聞いたら「大体僕はいつもそう言うよ」「みんな言ってるよ」と全く正反対の答えをしてくれたりもします。だから、ネィティブといえども必ずしも正解を言うとは限らない、あるいは正解のうちの1つでしかなく、且つその表現についてはネィティブの中でも賛否両論あるということは、常に頭に入れておいた方がいいです。

 これは程度の差こそあれ日本人でも同様で、その人の日本語能力の高低や、社会経験や交友範囲が広狭によって違ってくるでしょう。交友社会が狭い人は、その狭い社会の「オタク言葉」がメインになってしまったりしますし、「いまどきそんな言い方はしない」という判断も、それはあなたがしないだけでしょ、あなたの地方ではそういわないだけでしょ、あなたの世代では使わないだけでしょ、あなたのレベルの連中がモノを知らないだけでしょってことも往々にしてあるわけです。

 例えば、「続貂(ぞくちょう)の栄にあずかる」って難しい言い回しがあります。優れた前任者のあとを継いだ後任者が謙遜していうフレーズですが、「いまどきこんな言い方しない」って人も多いでしょうが、するって。嘘だと思うなら、マンガ「課長島耕作」読んでみなはれ、出てくるから。10年以上の前の僕の記憶が正しければ、日本を代表する電機メーカーハツシバ(東芝みたいなもんでしょうね)の中沢部長が新社長に任命されたとき、取締役会で彼が挨拶するときに言ってるはずです。あのレベルでやっていこうと思ったら、「このくらい知ってて当然」なんでしょう。もっと一般的なフレーズで「巧言令色」くらいだったら、「知ってて当然」「知らなくて当然」という日本人は分かれると思います。あるいは死語になったのかどうか微妙な言葉なんてのもあります。「フィーリング」なんかそうだと思うのですが、完全死語という人もいれば、いや、まだ使ってるよという人もいるでしょう。「洋品店」なんてのも、いまどき絶滅したって言う人もいるでしょうし、じゃあ全部が全部「ブティック」になってるというの?東京の巣鴨のトゲ抜き地蔵前商店街も大阪の千林大宮の昔ながらのおっちゃんの店もぜーんぶブティックになってるんだな?ほんとだな?って問い詰められたら「むむ」と思うでしょう。「兄妹」とかいて、「きょうだい」と読むか、「けいまい」って読むか、これも人それぞれでしょ。金太郎飴的な日本ですら、細かく見てたらこれだけ個人差があるわけです。ましていわんや英語をや、です。



 理由その3はスピーカーにおけるTPOです。これはもう死語だと思うけど、十数年前に「るんるん」という言い方が流行りましたが、30歳過ぎて「るんるん」してたら許されないとか言ってましたよね。20歳って人もいるし、25歳って人もいましたが、要するにその言葉を使うにしても「年齢制限」があるということです。同じように、ネィティブが喋るなら許されるけど、僕らヘタクソな英語力の奴が喋るのは許されないって場合があるということです。

 そして、これは教える側のネィティブの言語能力に関ってくるのですが、ネィティブといっても英語がヘタクソな奴も沢山います。いや、別に日常生活はバリバリ成立してはいるのだけど、基本的に言語能力、国語能力が劣ってる奴はいます。読み書き能力をリテラシーといいますが、オーストラリアの小中高校生のリテラシーの低下は現在政治課題にすらなってるくらいです。ここでいうリテラシーは、国語としての英語の読み書きレベルで、シェークスピアやバイロンを読みこなせるかとか、高度な論文や文芸作品を書けるかってことだと思うのですが、それらの能力と僕らに英語を教えられるかどうかは直接にはリンクしません。しかし、間接にはリンクします。つまり言語センスが悪いってことであり、言語センスが悪かったらこのあたりのTPOもはっきり踏まえて人にものを教えられないんじゃないかってことです。

 僕らノンネィティブが喋る場合、「ノンネィティブで、あなたくらいの英語力の人間が喋っても違和感のない英語表現」こそが求められるのです。ノンネィティブの片言で喋る場合は、あんまりこなれたカジュアルな表現ではない方が望ましいです。日本語に置き換えてみたらわかりやすいですが、日本語が片言で、「す、すみません、と、トイレはどっこ、どこ?ですね、、ですか?」みたいな外人さんがいたとします。すなわち我々の英語ですな。そんなドモリドモリ必死に喋っている人間が、ある部分だけ「それって超イケてんじゃん、ヤバイっすよー」とか喋ってたら寒いでしょ?変でしょ?それと同じ事をやる危険があるのですよね、英語の場合でも。彼らが喋るとおかしくないけど、僕らが喋ると爆笑モンって場合が往々にしてあります。だから、ネィティブに教わるしても、そのネィティブの言語センスがそのあたりまで見抜いて、「キミにはこれ」って感じでみつくろってくれるかどうかですよね。

 いや、実際、スラングとかカジュアルなストリート用語は、聞く分にはいいけど喋る分にはかなり気を使いますよね。恐くてよう喋れないです。"G'day mate"なんていうオーストラリアの超定番フレーズでも、「グダイ」までは許されるにしても、「グダイマイ」とマイトをつけるところまでは許されないんじゃないのかとか思っちゃいますよね。別に喋るのは自由だし、法律で禁止されてるわけでもないのだけど、なんか違和感があるんじゃないかなって。

 これもねー、英語が全然ヘタなうちは許されるんですよね。「ビジターの愛嬌」みたいなもので、日本語がかなりダメダメな外人さんが「もうかりまっか」とか喋ってるようなものだから、聞いてる方も温かい笑顔で迎えられる。犬が芸してるみたいなもんですわ。しかし、かなり流暢になってから「もうかりまっか」とかいうと寒いでしょう。「なんだこいつ」「馴れ馴れしいな」とか思われちゃう。実際、大阪に住んでる人でも「もうかりまっか」なんて言って違和感のない人は少ないと思いますよ。いまはもう死語と言い切る人もいるくらいですが、実際にはまだ使われてると思います。バリバリコテコテの中小・零細企業のおっちゃん、東大阪あたりの町工場や船場で番頭丁稚時代を本当に体験してこられた年齢の人だったら、昔ながらの大阪弁を使う頻度は高いでしょうし、僕も仕事でそういうところを廻ったりして「ほう、本当に言うんだ」って思ったもんです。だけど、こういったオーセンティックな大阪弁を使う資格&日常にある大阪人は少ないと思います。「キミがゆうたら、なんかヘン」って。「もうかりまっか」ほどではないにせよ、「マイト」も似たような部分はあるのですよね。同じオーストラリア人でも一生「マイト」なんか言わなさそうな人も沢山いますしね。

 なんの話かというとTPOの話でした。そして、言語というのは、カジュアルになるほど、ストリート英語になるほど、スラングになるほど、TPOは逆に厳格になる傾向があると思います。場面制限、年齢制限、人種制限、英語力制限、性別制限そして賞味期限、もうガチガチに見えない規則が張り巡らされているから、「お前が言うな」ってのがあって、恐くて喋れたもんじゃないってことです。これらは「仲間として認知されない限り使ってはいけないコトバ」なんでしょうね。それを破ると、無理やり若者言葉を使おうとして自爆してるおっさんみたいになっちゃう。だから、ヒップホップ系の"Yo! Bro!”なんて口が裂けても言えないですよね。ギャグでいうならともかく、このモンゴリアン丸出しの顔して言えるかっつーの。ですので、ネィティブに聞くにしても、そいつがこういったTPOをちゃんと知ってるかどうかって大きな問題だと思います。



 理由その4、これが一番重要な理由ですが、正解だけベタ覚えしても応用がきかないってことです。
 なんでそういう表現になるのかわからない、その表現を使ってもよい射程距離もニュアンスもわからないままベタ覚えしてもしょうがないです。原理がわからないから応用力がない、だから発展性もない。まあ応用力も発展性も特に関係ない「紋きり型フレーズ」「定型フレーズ」というのもあり(「いらっしゃいませ」などの類)、それはそれで知っておくべきでしょうが、それだけ知ってても発展性はないです。


 以上の難点をすべてクリアできるのならば(単純に名詞を聞くだけの場合とか)、あるいは難点を常に頭にいれて注意深く接するのであれば、ネィティブに聞くという選択肢は大いにアリです。また、初心者ではなく上級者になってきたら、ネィティブに聞くのは非常に重要な情報源になりますし、特にライティングなどの場合はネィティブに見てもらったほうがいいって言います。これは、上級者になれば、言いたいニュアンスを的確にネィティブに説明できるだろうし、出てきた答えを吟味し、再質問し、精錬していくことができるからです。でも、そのあたりがクリアできない初心者レベルで、「とにかくネィティブに聞こう」とべったり頼るのは、危険な部分もあるということは知っておいて損はないと思います。



 でも、、、、、と、お思いでしょう。ネィティブの危険性はそれなりに分かった。でも、だからといって自分で考えたってもっとメチャクチャ英語になりそうだし、そもそも思いつかない。そんなんだったらまだしも答えの出てくるネィティブに聞いた方がいいんじゃないか?って。そうなんだけど、そうじゃないです。

 第一にメチャクチャな英語でいいです。一歩進んで、ヘタクソな方がいいとも言えます。
 なぜかというと、ヘタクソのうちは「ああ、こいつヘタなんだな」ってことが相手にも分かりますから、多少のミスは大目に見てもらえるからです。多少文法がメチャクチャでも、かなり失礼な言い方をしたとしても、寒い言い方をしたとしても、「まあ、しょうがないや」って思ってくれる。また、必死になって喋れば必死さが相手に伝染するから、必死になって相手も意味を考えてくれたりします。「むむ、こいつは何が言いたいんだ?」って。

 そりゃあ、ヘタクソがゆえに馬鹿にされたり、舐められたり、相手にされなかったりすることもあるでしょう。上手に喋ればそういう屈辱的な事態は避けられるでしょうけど、でも「出来るの?」ってのがあります。千変万化する実戦会話で、すべての場合にネィティブ並に流暢にやれるんだったら、それはもう喋れているわけで、そんなことが出来るくらいだったら苦労はいらないです。仮に教えてもらってワンフレーズだけ必死に練習してすごく流暢に喋れたとしても、そんなの一瞬の花火みたいなもので、ちょっと会話が進行したらもうダメでしょ。「あのね!」「ね、ね、ちょっと聞いて!」という意味で、"guess what?"って言い方がありますが、そこだけ覚えたって意味ないでしょ。「あのね」だけ覚えて、「なあに?」って言われたらもう続かなくなる、1秒後には確実に死が訪れるようなことやっててもしゃーないでしょってことです。

 人間というのはおかしなもので、無意識的に相対評価をしようとする場合があります。「こいつのレベルからすればよく頑張った」と誉めてくれたりもする。例えば、赤ちゃんが初めて歩いたら周囲の家族は絶賛の嵐でしょ。スタンディングオベーションです。でも、僕が歩いても誰も誉めてくれない。町内会の野球でちょっとファインプレーをすればその日に打ち上げではヒーローになれます。しかし技術的にはそれよりもはるかに高いプロ選手がちょっとミスしただけで「死ね、死ね!」とか罵声を飛ばされるわけです。つまりは相対評価なんですね。もし常に絶対評価でやってるなら、プロ選手のミスであれだけ罵られるんだったら、町内会の試合なんか全員即刻地獄行きでしょう。

 英語も同じで、赤ちゃんのハイハイのような英語を喋ってれば、その一所懸命さが通じて、相手も「頑張れ!」って感じになりやすいんです。だから、妙に背伸びしないで、自分の英語レベルそのままのことを喋ってる方が、多くの場合、一番安全だと僕は思います。一部分だけ突出して上手くても意味がないですし、妙に高いレベル設定をされてしまったら自分の首をしめることになりますからね。



 メチャクチャな英語でいい、別に完璧な正解でなくていいという理由のその2は、そもそも自分で考えるというところに意味があるということです。今は勉強方法の話をしているのであって、英語が出来るかのように見せかける誤魔化しのテクニックの話をしているわけではないです。

 「こういう場合になんて言えばいいんだ?」と思うとき、それは単語が分からないからかもしれないし、言い回しが分からないからかもしれません。いずれにせよ、辞書をひくなり、本を調べるなりするわけですが、その過程に意味があるわけです。そうやって調べていけば、その途中で「へえ、そうだったのか」というような思わぬ副産物も得られるでしょう。また、「あ、そうか、完了形というのはこういう場合に使えばいいのか」という本当に意味のある実戦的な文法(の使い方)を知るキッカケになるでしょう。また、単語にしても、似たような単語が複数あがってきたときに、単語相互間のニュアンスの違いなどについても目を向けることになります。要するに、よく勉強できるわけです。勉強というのは具体的にテーマがあった方が進みやすいし、また実際に困ったという体験を踏まえた方が切実さが増します。一般的に本を1ページ目から読んでたって、「本当にこんなこと言う機会があるのかな」といった感じで漠然とした意欲しか持ち得ないですが、本当に現場でそれで困ってるわけですから、そんな曖昧さはない。

 そして、最終的には、「よし、次回からはこれでいこう」という模範文例を自分で作り上げるといいです。もちろんそれは完璧でなくてもいいですし、完璧でありえよう筈もないです。自分で作りながらも、「これ、絶対間違ってるわ」としか思えないものでもいいです。でも、とりあえず「現在の自分の最高水準」というものを形にする。これはとても意味のあることです。

 このシリーズの最初の方に、勉強には二つの方向性があって、@既にある知識を活性化させる勉強、A未知の知識を仕入れる勉強があると書きました。中学高校6年英語をやってきてるわけですし、特に成績が抜群でなくても、常に5段階で3くらいの学力であっても、そのくらい知ってたら、既存の知識を活用するだけで、かなりの程度日常生活はこなせる筈です。もちろん完全には程遠く、まどろっこしい言い方になったりはするでしょうが、それでも全然ダメって事はないはずです。そして、この既存の知識の活性化として、自分の脳味噌の奥から手持ちの知識を引っ張り出してきて、あーでもないと組み合わせていって、いまの自分の最高水準を作るというのはかなりいい方法だと思いますよ。

 あと、実際に困ったところから出発しているわけですから、前述の「コンテクスト」はバッチリな筈です。なんせ自分自身が実際に体験してるわけですから、どういう局面で、なにをどう言いたいかというのは、これ以上ないくらい把握しているでしょう。



 なかには結局答えが出なかった場合もあるでしょう。全然見当がつかない、調べても分からなかった、自分で作るにしても方向性も分からないという場合もあるでしょう。それはそれでいいです。ただ、それは「宿題」としてよく覚えておいてください。

 いずれの場合も、「こういう言い方が知りたい」とか、困った場合にはすぐさまその場でメモするといいです。だからメモ帳必須でしょう。時間がたつとすぐに忘れてしまうのですよね。「なんか調べようと思ったんだけどなあ、なんだっけなあ」って。

 そして調べている過程で出てきた知識、新発見などは、全部ノートに書いておくといいです。

 ただ、ちょっと話は脱線しますが、ノートというのは功罪があって、注意すべき点もあります。
 なんの勉強でもそうですが、ノートを作り出すと、ノート作りが面白くなったり、ノート作りが目的化してしまう部分がありますよね。でも、それって意味ないです。やたら凝りだしたり、完璧を期したりしないこと。これをやりだすともう泥沼で、完璧なノートは出来たけど、頭には何も入ってないってことになりがちです。試験本番、英会話本番では当然ノートなんか見てるヒマはないですから、いかに完璧なノートを作りこんでも意味がないです。また、ノートを完璧にしようと思うほど、逆に頭に入りにくくなるものです。ノートに書いたらそれでもう終わったような気がしてしまうから。だから、受験勉強でよく言われる「ノートは知っている」という現象になるわけですね。ノートには書いてあるけど、自分の頭には何もないから点が取れないという。

 ですので、ノートに書くといっても、できるだけ体裁にこだわらず、完璧を期そうという気が起きなくなくなるような感じで書いていくといいです。だから、高価でファンシーな麗々しいノートなんて買ってきたらダメですよ。美しいレタリングで「英会話実戦表現ノート VOL1」なんてタイトルもつけたらダメですよ。綺麗なカラーペンで色分けしたりしたらダメですよ。やりがちなんだけど。僕もさんざんやったけど。経験的にいっても、やればやるほどダメですね。覚えない。極論すれば、チラシの裏紙かなんかをホチキスで止めるくらいでいいです。ノートなんかね、作ったら最後、どーせ読み返さないんだから。もう感情移入したくても出来ないような、ボロボロの体裁でやるといいです。途中で白紙のページをわざと入れたり、ど真ん中から書き始めたり。英語なんか始めも終わりもないんだし、どっから始めてもいいんだから。

 じゃあなんでノートを作るのかといえば、書くという行為に意味があるんです。記憶というのは、人間の五感の全てに関連させるといいです。これは聞きかじりだけど、単に一つの情報だけだったらあんまり脳味噌に記憶されにくい。してもすぐに見失ってしまう。しかし、いろいろな情報と関連させ、数多くの情報を一緒にダマにしてぶち込んでおくと比較的忘れにくい。だから現場経験は、その場の雰囲気、情景、匂い、自分の感情などすべての情報がダンゴになってるから、忘れにくい。辞書を読んだだけだったら、「辞書をひいて読む」というビジュアル情報しかひっつかないけど、ノートに書くと、実際に書いたという触感、書きあがったノートの自分のヘタクソな字、ノートの隅にコーヒーをこぼした跡、などの情報が付加されます。それで記憶力補強に役に立つ。辞書でもそうでしょ?右のページの上段あたりにあったなとか、挿絵を覚えているとか。

 また、書こうと思えば、どうしたって内容をある程度まとめないと、具体的な一文字一文字になりませんから、その過程でもう一回考えるのですね。「結局、これはなんなんだ?」と。思考というのは、ただやってるだけだったらアメーバーみたいに不定形だけど、それを形にする(書き出す)過程で、頭のなかで整理/凝縮作業をやるから、それがまた理解を深め、記憶を深める。こういった部分に意味があるわけです。だからこれも極論だけど、ノートというのは作ったそばから燃やしてしまっても構わんです。だって読み返さないノートというのは、燃やしてしまったノートと価値的には一緒だもんね。

 というわけで、ノートに書く段階で、理解や記憶の深化が生じるから意味があるというわけで、そこで「美しいノートを作る」という野望が芽生えてしまうと、美しいノート作りに神経がいっちゃうのですね。「やっぱり見出しは赤色だよな」とかどうでもいいようなことばっかり一生懸命考えて、本題はやらない。そしてまたノート作りの方が図画工作のように面白いから、人間の快楽原則・逃避本能からいっても、無意識的にもそっちにいってしまう。




 さて、このように「こういう場合にどう言うか」というのを沢山メモって、考えて、自分の現在の最高水準をひねり出して、わからないところは(多分、ほとんど全部確信持てないと思うけど)宿題にしておく。そして、この「宿題意識」が財産になるのですね。ほんと、これが最終的な目的といっていいくらいです。「なんて言えばいいのか分からなかった、自信がもてない、だから知りたい」という意識。「問題意識」ですね。

 こういうことをしばらく続けていくと、頭の中には宿題や問題意識が数十数百という単位でゴロゴロしてるようになる筈です。「あれも知りたい、これも知りたい」という情報飢餓状態になる。これが大事です。これがあるから、次の章以下で述べるインプット作業、つまりリスニングやリーディングが深まることになります。

 何の気なしに英語に接していても得るところは少ない。BGMのように流れていってしまいがちです。でも、頭に問題意識があれば、それにヒットする表現に出会ったときに、「あ!」と思うはずです。「あ!出てきた!」って。それで、「なるほど!こういえば良いのか!」って強烈に記憶に刻印されるでしょう。そういう取っ掛かりというか、引っかかりというか、なんか凸凹がないと、大河のように流れ込んでくるインプット情報を右から左に全部覚えることなんか不可能ですし、やろうという気にもならないです。大河の中の魚(問題意識に対する回答)を見つけようとすればピックアップしやすしい、記憶も鮮烈。


 あと、「現在の自分の最高水準文例」を作り、次回に本当にこのとおりに言うとします。この実戦現場で、本当にこの言い方でいいのかどうか最高の実験ができるわけですね。多くの場合は、そのままではスンナリ通じなかったりするかもしれませんが、なんとかかんとか意味が通じたときに、相手のネィティブなどは、「ああ、こういうことか?」「これが聞きたいの?」と言いかえてくれると思います。これが「正解表現」なんですよね。すかさずバシッとゲットすべし。

 例えば、「雨天中止」という言い方がわからず、今のあなたの最高水準で "if it rain, is it cancel?"とか英語で言うとします。ちょっとヘンだけどこれでも十分意味は通じます。で、「そう、雨天中止になりますよ」と答えてくれると思います。そのときに、"Yes, it's gonna be rain out (off)" と言ってくれたりしますから、そうか雨天中止って rain outと言うのかってわかるわけです。もっとも、多くの場合「れいなう」としか聞き取れないから、「はあ?」ってことになるでしょう。その場合、相手もさらに、"put off'”とか''postpone"とか類語を言ってくれたりもしますし、もっとわかりやすく、"If it rain, no games, no tours, nothing. You don't have to come."とか言うでしょう。そして、あなたに余力があったら、そしてなごやかに会話が進んでいたら、もう一歩突っ込んで、「れいなうってなあに?」と聞くと良いです。"What did you say? ' REI....REINAU'?"とか聞けば、"Oh, I said "rain out", RAIN OUT"とかゆっくり区切って話してくれたりするから、そこで分かると。






 以上を整理しますと、「とにかく現場でいっぺん困ってみなはれ」というのは、困ることによって問題意識が芽生え、まず自分で調べるという過程を通じて、既存の知識を整理し活性化するチャンスが生まれ、また知らない単語や表現も得られる。これが第一の果実。そして、そうやって問題意識を抱えておくことは、今後のインプットにおける新たなチャンスを生み出すわけで、これが第二の果実。第二の果実は、なんというのか、漁をやってるときの「仕掛け」みたいなものです。問題意識が100あれば、100の仕掛けがあり、どっかにヒットする可能性が高くなり、問題意識が1000あればヒット率は10倍になる。

 加えて、実際の現場で困った順番に、つまり「手当たり次第」にやっていけば、実際に生活する頻度順に、つまり重要度順に困るわけです。「いっつもここで困る」とかね。だから、必要な順番に勉強することが出来るから一番効率的だというわけです。

 これをしばらくの間(数ヶ月)地道にやっていたら、ある程度は喋れるようになるはずです。基本的な日常生活用例なんか、そんなに数多くないですからね。そりゃ細かく数えれば無限にありますよ。でも、「最低限用を足す程度」でいいなら、数百もないでしょう。おそらくは数十レベルでしょう。文法上の表現方法にしてみたら、Can you? とか Could you tell me 〜?とか、十数個、あるいは数個かもしれないです。意味さえ通じればそれでいいのであれば、です。

 そして、ある程度勉強が進んだら、「トイレはどこですか?」「お釣りが間違ってますよ」みたいな機能性オンリーのソリッドな用例から、もう少し自由自在に会話や雑談を楽しみたい、微妙なニュアンスを出したい、あるいはより専門的、特定の的確で正確な言い方が知りたいとレベルがあがってくると思います。次にそれらについて述べます。





文責:田村

英語の勉強方法 INDEX

(その1)−前提段階  ”量の砂漠”を越える「確信力」
(その2)−波長同調
(その3)−教授法・学校・教師/スピーキングの練習=搾り出し
(その4)−スピーキング(2) コミュニケーションと封印解除
(その5)−スピーキング(3) スピーキングを支える基礎力
(その6)−スピーキング(4) とにかくいっぺん現場で困ってみなはれ〜二つの果実
(その7)−スピーキング(5) ソリッドなサバイバル英語とグルーピング
(その8)−リーディング(その1) 新聞
(その9)−リーディング(その2) 新聞(2)
(その10)−リーディング(その3) 小説
(その11)−リーディング(その4) 精読と濫読
(その12)−リスニング(その1) リスニングが難しい理由/原音に忠実に
(その13)−リスニング(その2) パターン化しやすい口語表現/口癖のようなボカした慣用表現、長文リスニングのフレームワーク
(その14)−リスニング(その3) リエゾンとスピード
(その15)−リスニング(その4) 聴こえない音を聴くための精読的リスニングほか
(その16)−ライティング 文才と英作文能力の違い/定型性とサンプリング


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