Watershed/分水嶺〜あまりに高い言葉と文化の壁
自己投資と創造的破壊
なんでも勝ち組/負け組に分けるイヤな物言いが流行りましたが、ワーホリにおいても「勝ち組/負け組」があるというのは現地でも時折語られたりもします。人生に勝ちも負け無いだろうと思うのですが、ただし、表現はともかく、その種の対照的な現実があるのは否定できないです。
何をもって「勝ち」といい「負け」というか、究極の基準は「本人がどう思っているか」ということに尽きるでしょう。人の価値観は千差万別、一概に言えるわけがないのですが、わざわざ若い時期にワーホリビザで海外にやってくるということは、それなりに思うところがあってのことでしょう。
日本社会の風潮(特に上の世代の発想)をシビアに考えれば、ワーホリで1年海外に出ることはプラスよりもマイナスに働くケースも多いです。未だに旧態依然とした日本の労働環境においては、「腰の据わらないフラフラした奴」「採用してもどうせすぐに辞める辛抱のない人間」とネガティブに受取られる可能性も否定できません。また、18−30歳という時期は、社会人として最も伸びる時期であり、この時期に固めて「一人前の職業人としてのプロスキル」を身に付けるかどうかが人生の分かれ目にもなります。その大事な時期に海外に行くというだけで、戦線離脱の烙印を押したがる人々もいるでしょう。
1年こちらにいれば、そこそこ英語は出来るようになりますが、それが直ちに今後のキャリアアップにつながるか、英語のプロになれるのかといえば、そんなに甘いものではないです。日本人ワーホリのうち、世界レベルで「まあまあ英語が出来るかな」と土俵に上れ、仲間に入れてもらえるレベルに達するのは100人に一人くらいだと言われます。あとはもう”隠し芸的”な英語レベルであり、それで人生が開かれるかどうかは微妙。また、ワーホリのあとこのまま現地に留まりビジネスビザや永住権を取得するといっても、ビジネスビザ自体が取得が難しいですし、永住権については尚更でしょう。
そうなってくると、
ワーホリのメリットとは何か?
リスクを背負ってまで何のためにやってきたのか?
ということになろうかと思います。
勿論いろんな理由があるでしょう。単なるヒマツブシとして来ている人、失業中の息子が家でブラブラしてると外聞が悪いので親に半強制的にオーストラリアに送られた人もいるかもしれない。しかし、そんな人は少ないと思います。
多くの人にとって、ワーホリに出かけるのは、
自己投資のための「創造的破壊」「リセット」だと思います。
このままレールの上に乗っかって一生いってしまっていいのか、今目の前のある人生の選択肢の全てがしっくり来ない、人生こんなもんでいいのか、あるいは自分はこんな甘やかされたままでいいのか、なんかもっとブワーッと弾けられるんじゃないか。それは一種の自己奪回であり、自分自身は自分の納得のいくように積み上げてみたい、そのためには強制的にリセットをかけ、全く異なった環境で、それも自分の人間性の底の底まで問われるような環境で、自分を確認し、強くたくましく成長させ、再び自分の人生に真正面からメンチ切ってみたい。
いや、あなたがそうだとは言いませんし、人によってニュアンスは様々だと思いますよ。単純に「楽しい」という話を聞いてとにかく来たという人もいるでしょう。それはそれで全然アリです。実際、楽しいですもん。てか心から楽しい!って思えることには、必ずやなにか大事な栄養分が入ってますからね。
異物と化学変化
でも、多くの場合に共通するのは、
日本では得られない強烈な「異物」を自分自身にぶつけることによって、なんらかのポジティブな化学変化を期待している
であり、この点は一緒だと思います。
そして、それは大いに期待していいです。
だとしたらワーホリの「勝ち」とは
(これはワーホリに限らず、自分の意志だけで海外に行く日本人に共通していると思いますが)、
★いかに日本では得られない「異物」を自分にぶつけられたか
★いかに好ましい化学変化を生じさせたか
だと思います。
強烈な異物ストレスと同質性への誘惑
しかし、異物に衝突するのはストレスがかかります。
誰だって同質的なものに包まれてヌクヌクしていた方が楽チンです。
言葉は思った以上に通じないわ、システムも分からないわ、周囲の人間の行動の予測がつかないわ、ゴハンは馴染めないわ、、、という厳しい現実があります。鬱状態になる人もいるでしょうし、僕の知人にもかなり深刻なノイローゼになった人もいました。「異物」というのはそれだけ強烈なインパクトがあります。それらを乗り越えて、「げげっ」という違和感を、笑って面白がれるようになれるか、そしてそこから何かを学ぶか、ひたすら嫌悪感を抱くか、そのあたりが結構分かれ道です。
その異物ストレスのキツさに耐えかねて、日本人同士の同質的環境で過ごしていってしまう人も多いです。日本人ばかり6,7人固まって住んで、いわゆる日系の情報センターに毎日出かけて数日遅れの少年ジャンプを読みふけり、週遅れくらいの日本のTVドラマを録画したビデオをレンタルし、日本人同士で日本食レストランに行き、日本人のカラオケボックスや日本人ばかりのパブにいき、家に帰ったら借りてきた新しい日本のドラマを見る、と。そういう生活はシドニーだったら楽勝で出来ます。日本の古本屋も、カラオケも、漫画喫茶すらあります。シドニー全体の日本人比率は400人に一人程度。殆ど「居ない」といってもいいくらいの人口なのですが、大海原に点在するブイのような「日本人の溜まり場」だけを器用に遊泳していけば、英語なんか使わないで生きていけます。
それは別に悪いことだとは思いません。他人様の生き方にあれこれ口出しできるほど僕はエラくもありません。また、永住や労働ビザなど滞在が長期になればなるほど、こういった本国カルチャーはむしろ精神安定剤的にも必要です。イタリア人だって、オーストラリアにやってきたらパスタ食べるななんて馬鹿なことは言わないでしょう。現地のことを貪欲に学びつつも、自分にとって快適なライフスタイルを模索すればいいですし、それはどんな民族もやってます。なんせワーホリなどの短期滞在と違って、そこに居ること自体は目的でもなんでもないのですから。
ちなみに上の写真は2004年当時のものですが、それから数年後のものも掲示しました。なんか「進化」してるというか、「すごいな〜」と思ってしまった。今はもっと”進化”してます。
しかし、ワーホリなどの「短期決戦」(1年なんかあっと言うまです)の場合、「日本では得られない異物をいかに自分にぶつけられたか、それによっていかなる好ましい化学変化を生じさせることが出来たか」という所期の点からしたら、異物ストレスから逃げてしまった、あるいはストレスマネジメントが上手くできなかったという恨みは残ると思います。その
不本意さや
初志「不」貫徹さ、そこに問題があるとするなら、日本人ワーホリの過半数、ないしは大多数が何らかの問題を抱えていると言ってもいいと思います。
これは何も馬鹿にしていっているのではないです。これから来る人に対し「そのくらい難しいことだ」ということを知っておいて欲しいのです。それだけ、言語の壁、文化の壁というのは、なんとなく日本人が想像しているよりもはるかにはるかに高いですし、強力です。乗り越えられないのが普通だし、乗り越えられなくても恥かしいことではないと。極論すれば、平均的な日本人が普通にやってたら「まず無理」といってしまってもいいかもしれません。
やり方ひとつ〜しかし、それが難しい
しかし、この高い壁も、ある特殊な角度から入っていけば嘘のように消えることがあります。思いっきり殴りつけてみたらいきなりガラガラと崩壊しちゃうこともあります。あるいは、毎日の積み重ねでいつのまにか壁がまたげるくらいに低くなってるということもあります。決して超えられない壁ではないし、特別な超人的な才能と努力が求められるというものでもないです。僕個人としては、ほぼ誰にでも出来ることだと思っていますし、難易度それ自体は、だいたい「自転車に乗れるようになる程度の努力と根性」があればOKだと思ってます。要するに
「やり方」なんですね。「入っていき方」「進入角度」が微妙に難しく、コツがいるのです。
事実、これまでサポートしてきた方々は殆どこの壁をクリアしてきました。数年前からシェア探し特訓をやるようになってからは尚更です。犬の散歩のバイトをやってるのが縁でRandwickの競馬場の厩舎で働くようになりビジネスビザも出してもらった人(男性)、ラウンド途中のパースからシンガポールまで単身飛び、そこからマレーシア、タイ、ラオスの奥まで村から村へ地続きで旅を続けていった人(女性)、ワイナリーでブドウの収穫からワイン作りまで一貫して働いてワインに魅せられライフワークを見つけてしまった人(男性)、ピッキングしてたファーム先で家族同様になり離れるときは一家抱き合ってワンワン泣いてた人(男性)、自分で歩いてチャイルドケアのボランティアを探し半年以上地道に続けていった人(女性)、高給に魅せられマグロ漁船に乗り込んで半死半生のメにあった人(男性)。その他生涯の伴侶を見つけた人は沢山いますし、相手はもちろん日本人に限りません。オーストラリア人と結婚してオーストラリアの地方にいった人、韓国、タイ、ドイツ、ブラジル、ブルガリア、オーストリア、、、数え切れないくらいいます。自転車でオーストラリア一周した人もいれば、バイクで一周した人も何人も知ってます。永住権まで取れた人も沢山いますし、自分のお店を持っている人もいます。
このあたりは論より証拠で、
皆の体験談、リアルタイムには
APLACのFacebookPageをごらん下さい。
実際、オーストラリアで起業するなどして頑張っている人々で、もともとはワーホリだったという人は全然珍しくないです。それどころか、その方が主流といってもいいです。現地の日本人社会では「ワーホリあがり」というのはとても強いんです。このあたりは、
オーストラリア移住についてPart 4戦略/意外と使えるワーホリビザを参照ください。あなたがワーホリ可能年齢で永住権をも射程に入れているなら、「まずワーホリから入れ!」と言いたいです。学生ビザなんか60歳過ぎてからでも取れますから。
では、これらの人々は
最初から超人的な語学力と行動力を持っていたのか?というと、別にそんなことはないです。これは声を大にして言いたいです。体験談を読むといかにも凄そうな感じですが、あれって終わってから書き出して、編集すると「すごく」なるんです。書いてる皆さんは、「え、僕なんかが書いていいんですか?」「全然ダメダメで恥ずかしいんですけど」「でも、こんなダメな私でも出来た!というのは後から来る人に是非知ってほしいです」という感覚で書かれています。つまり、どうだすごいだろう?と自慢げに書いているのではなく、「みんなのために、恥をしのんで」って感じで書いている。でも恥ずかしいのをこらえて赤裸々に書けば書くほど、すごい人間ドラマになってしまって、通して読むと偉人伝みたいになってしまうのですよね。だからあなたの場合もそうなります。
ステイ先までお連れしたとき、緊張してガチガチになってて手の平に「人」と書いて飲んでた人もいますし、「ハロー」と言われた時点で真っ白に固まってしまった人もいました。シェア探しで最初に電話するときに手が震えて携帯電話を満足に握れず、ダイヤルするまで3回電話機を床に落とした人もいます。いきなりホームシックになってシクシク泣きながら帰りの航空券をネットで調べている人もいました。ほんと、そんなもんなんです。最初の一歩は皆さん似たり寄ったりですし、むしろそのくらいの方が将来弾ける。
「三日会わざれば刮目して見るべし」と言いますが、三日はともかく1年経過してみたら、「これが同じ人間か?」と思うくらい人間的に成長して大人になった人も沢山いました。その成長比率や爆発的なものがあります。みんなの写真館の
「Before/After 三日会わざれば」の項を参照してみてください。1年で、あるいはわずか数日でどう変化するか。
他方では、全然成長しないというか、変わり映えのしない人もいます。APLaC卒では殆どいないから横目で散見するくらいだけど、実際「本当に1年いたの?」というくらいオーストラリアのこともシドニーのことも何も知らないし、到着して数ヶ月経つけど、未だに恐くて一人でバスに乗ったことがないって話も聞きましたし、シドニーに1年住んでいてもハーバーブリッジを渡ったこともないって人もいます。1年どころか数年以上も住んでいても地元の常識を知らない。東京に3年住んでて未だに「日暮里」を「ひぐれさと」、「渋谷」を「じゅうや」と読んでるみたいな感じ。英語もゼロ同然という人もいます。英語恐怖症になってむしろ来たときよりも喋れなくなっているという人も多い。
なんでこんなに差が出てくるのか?
びっくりするくらい巨大な差が出てくるのは、いったい何処にポイントがあるのか。どこにその別れ道=watershed(分水嶺)はあるのか?です。
取りあえずは最初の一週間でしょう。
一括パックでも書きましたけど、
最初の一週間で心が折れるか、自信をつけるか
だと思います。極論すれば、空港についてからの48時間くらいで、ほぼ運命は決まってしまうと言っても過言ではないと思います。
ではその一週間なり、日々の生活で何が違うのか?と、さらに突き詰めていくと、結局は大したことではないのです。それはほんの些細なことの積み重ねです。ちょっとした勇気です。現地に着いたあなたには、さまざまな選択肢が波状攻撃のように突きつけられるでしょう。
空港から自爆覚悟で自力で電車やバスを使うか/タクシーにするか、
最初の宿で部屋を変えてもらうようにフロントに交渉するか/しないか、
バッパーのコートヤードで談笑しているヨーロピアンの群れの中に話しかけていくか/遠巻きに見守るか、
思い切って地元のレストランに入るか/そこらへんのコンビニやマクドナルドで済ませるか、
シェア探しで英語で電話するか/しないか、
1時間に一回くらいの割合で「さあ、どっち?」と選択の交差点に立つのですが、そのときに「勇気を出して〜する」という方向をチョイスできるか、そしてそれらの積み重ねでしょう。
何回か勇気を出して進んでみて、滑って転んでやってるうちに段々度胸もついてきますし、そうなると浮力がついてきて、上昇気流に乗れるようになっていきます。最初に上に角度をつけられるかどうか。それができたら1年経過したら自分でも予想していなかったくらい遠く、高く飛べるようになってます。簡単といえばこんな簡単なことないです。でも簡単そうに見えることほど難しい。それなりにコツがいると思います。
なぜなら、いざというときにビビって「また今度〜」とかやってる回数・頻度が多くなればなるほど厳しくなるからです。逃げれば逃げるほど次がやりにくくなる。借金みたいなもので、どんどん増えていく。学校や会社でも1日サボっただけなら翌日行きやすいけど、これが3日、1週間と長くなるほど行きにくくなる。
要するに着いたその瞬間からプラスにもマイナスにもカシャカシャ増えたり減ったりしているわけで、一週間もあればおおよその方向性はほぼ決まってしまう、、、これはすごい恐いことだと思います。
ということで、どうやって上昇気流に乗るか。以下、その「ちょっとしたコツ、心構え」を述べていきたいと思います。
まあ、一歩引いて自分で自分にツッコミを入れるなら、「読んで出来るくらいだったら誰も苦労はしないよな」とクールに思う部分もあります。だからこそ、一括パック(特にシェア探し)の初動の部分はつきっきりで絶えずフォローしますし、背中も押し続けます。もうボクサーのセコンドみたいなもので、「よし、このラウンドはこっちが取ったあ!」みたいに。自転車の練習で後ろを押さえたり、励ましたりするようなものです。叱咤激励というけど、1:9で激励が多い。だから、どうしてもそういう役回りの人間は必要なのかもしれない。読んだだけなら無理かもしれない。でも、それでも書きます。「どうせ無駄だし」といってやらないのはイヤなので。
WH経験と就活
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ところで、
世界経済の動向と留学・ワーホリ、編成替え&追加第5章や
ワーホリ・留学の新局面でも書いてますが、日本企業の海外シフトが顕著になってます。縮小する国内市場よりも、拡大する世界市場に活路を見出すしかないからです。それに並行して、海外留学生(海外留学していた日本人)を積極的に採用しようという動きも定着しているでしょう。海外に興味がある人々にとっては追い風です。
ただし!それだけに審査は厳しいと思います。企業が切実に求めているのは、「海外で実際に使える人材」です。そういう人材が欲しいからそういう流れになっている。普通の新卒採用のような「御社の色に染めてください」という白無垢素材が欲しいわけではないから(そういう本音はまだ強くあろうが)、単に海外に「行ってきました」だけでは話にならない。もっと突っこんだところを聞いてくるでしょう。「で、何してきたの?」「何が出来るようになった?」「何を得てきた?」と。当然、企業の中でも海外経験バリバリの人が聞いてくるだろうから、適当に、もっともらしく答えたって見抜かれるでしょう。
ここで気をつけるべきは、「結果を出す」とか言いますが、資格とか「○○してました」的な結果ではなく、そこに行くまでの過程で、どれだけ滑った〜転んだ〜頑張ったか?です。これはWHにかぎらず全ての採用面接に言えると思いますが、学生時代の「結果」なんか、海千山千の大人達から見たら子供の遊びみたいなものです。彼らが見てるのは、どれだけダメ状況でトライしたか?でしょう。めげずにトライしたこと=結果だと。なぜなら「伸びしろ(成長可能性)」を見たいからです。ハイレベルの就職先になればなるほどそうでしょう。
立場を逆にしたら分かりやすいでしょう。あなたが起業、仲間を集めるとします。Aさんは野球部でレギュラーでした、Bさんはずっと補欠で球拾いでしたっていっても、Aさんを取るとは限らない。なぜなら、例えば地区大会で三回戦にも進めないレベルのレギュラーといっても知れてます。またそもそも野球チームを作ろうってわけでもないんですから、野球の技術なんかどうでもいい。それをレギュラーでした!とか誇らしげに言われてもピンと来ないです。一方、3年生になってもずっと腐らずに球拾いをやって、チームのムードメーカーになっていた、縁の下の力持ちを実践してた人の方が、仲間として頼りになるのです。「結果」というのはそういうことだと。
それだけに、何となく思う以上にキツいだろうなと僕は推測します。なぜって、そう聞かれて(上述のように)日本人村に埋もれていました、ひきこもってました、英語も大して伸びてない、トライも全然してません、だったら、逆のマイナスキャリアになっちゃうからです。つまり「チャンスがあっても活かせない奴」というレッテルが貼られてしまう。殆ど人間力のネガ証拠みたいになっちゃうから、そこがキツイだろうなーと。
しかし、「チャンス」というのは本来そういうものです。
単に宝くじが当ったみたいな棚ぼたラッキーではない。チャンスというのは、それが大きければ大きいほど、強烈なリスクとプレッシャーがかかるものです。ピンチヒッターに選ばれるようなものですから、ここでヒットを打てばレギュラーへのチャンスですが、凡退だったら「やっぱあいつは使えん」とさらにダメ評価がキツくなるという。だから、チャンスというのは本来そうしたものだと。チャンス=リスクを負って勝負できる機会だと。
もっとも海外である程度やってこれた人だったら、この程度のプレッシャーは屁でもないでしょう。逆にこの程度のプレッシャーを負担に思うようでは海外でもやっていけないでしょう。だから、まあ、バランスは取れているのでしょう。
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