↓前回(ラウンド編1)廻ってきた所
↓今回、行ってきた所
A:ジュリア in Adelaide Hills 2011年09月上旬〜同月中旬
ここでのWWOOF体験は一番寂しいものだった。
ホストのジュリアは助産婦(midwife)でとても忙しくてほかのホストみたいに一緒に仕事をすることはあまりなく、こちらの住居も敷地内にある弓道場(日曜日に弓道同好会みたいな人たちが使ってた)だったので触れ合いみたいなものは少なかったからである。
しかし、彼女の日本食を食べたいというリクエストに応えてかつ丼と味噌汁を作ったり、近くの街を車で案内してくれたり、彼女の息子が日本のアニメやゲームが好きだったのでその話題で盛り上がったりと、楽しい思い出もあった。
※滞在した弓道場
仕事は、忙しい彼女の代わりに家の掃除や犬の散歩などの雑用、ガーデニングなどをやった。真面目に仕事はこなしたが、前述のとおり一人ですることがほとんどだったのであまり楽しくはなかった。
それまでの予定を決めず気ままに行き当たりばったりで滞在先の取り決めをしていたことを反省して、この頃からきちんと計画的にWWOOFホストに連絡を取るようにした。4週間前から滞在候補先を選別し連絡を入れて少なくとも訪れる2週間前には受け入れの約束を取り決めるようにした。うまくいったときは、1軒だけでなく2軒先の滞在先が決まったこともあった。
ここには2週間滞在して、一気に南オーストラリア州の最南端近くにある次のホスト先へ旅立った。
B:ピーター&ケイ in Conawarra 2011年9月中旬〜10月初旬
次なる滞在先はFish farm。
今までとはタイプが違う仕事が面白そうだったことに加えて、ワイン生産地として有名なPenolaと鍾乳洞で有名なNaracoorteの近くだったので選んだ。結局、観光はできなかったがFish farmの従業員からPenolaのワインをもらいおいしくいただいた。
Fish farmは40代くらいの夫婦で経営していて、夫のピーターはいかにもな農場のオヤジで仕事後のビールを飲みながらTVを見ている姿が似合っていた。
奥さんのケイはすごく働き者で、南オーストラリア州最南端の町Mt. Gambierで助産婦をしながら休日はファームの仕事をしていた。初めて会ったとき、「名前の発音が一緒(スペルはKaye)ね。親近感が沸くわ」と言ってもらえたのを覚えている。
※広大な土地の一部
ここでの仕事は印象深いものだった。
養殖している魚の内臓や骨を黙々と取り出す仕事や広大な土地の中にある30以上の池に住むyabby(ザリガニ)をトラップを使って捕獲したり、羊の予防接種と去勢の手伝いなどをした。
※魚だけでなくアルパカや羊も
魚の屠殺はいかに素早く綺麗に内臓・骨を取り除くかが大変だった。
私は虫などの生き物はなるべく殺したくない性格だが、そこでおこなったことは単なる作業に過ぎず、特に何の感情も湧かなかった。
また、yabbby捕獲のトラップを回収しているときに池の近くで毒ヘビを見つけたことがあった。結構な大きさでものすごくビビったけど音を出さないようにゆっくり後ずさりながら逃げた。怖い思いをしたが、この経験で多少耐性が付いてその後ヘビを見かけてもさほどパニックに陥ることはなかった。
また、ここは農家だったからなのか食事が伝統的イギリス田舎料理のようでおいしくなかった。昼はハムをはさんだだけのトーストで夜はポテト・豆・肉セットとかだった。ただ、自分で捕ったyabbyを蒸したやつはうまかった。
C:ハリー&イヴォーナ in Dunkeld 2011年10月
州とタイムゾーンが変わって、ヴィクトリア州の山登りやキャンプで有名なGrampiansエリアのDunkeldに移った。
次の滞在先は、町から離れたbushの中にあるAquilaというエコロッジ。
ホストのハリーは見た目はおじいちゃんだけどすごく働くし、博識のうえ力持ちで優しかった。
この後私がメルボルンで住むことになるBoxhilが千葉県の松戸市と姉妹協定を結んでいて、以前そこに住んでいたハリーはその関係で文化交流プログラムの一環として松戸市に招かれたこともあったそうだ。
また、ファミレスのサイゼリアのオーストラリア工場を建てるときにも関わったと言っていた。
奥さんのイヴォーナはポーランド出身で、ハリーを手伝うためにAquilaに移住する前はメルボルン警察の科学班で働いていた有能な人だが話していると安心感を与えてくれる茶目っ気たっぷりの良いおばちゃんだった。
※エコロッジの散歩コース。
この遊歩道を掃除するのも仕事のひとつだった
ここでの仕事も特殊で、ハリーの友人でB&Bを経営していたが後にカフェを開くポール&ポーリーン夫婦による一大プロジェクトの手伝いがメインの仕事だった。
それは、年に一度開催されるDunkeld祭りに合わせてarboretum(樹木園)に特別な敷石を作ることだった。
敷石は仏教絵画(ポールは仏教徒の元牧師)を元にした迷路のデザインでとある亡くなった人への記念碑として作り、その手伝いはとても貴重な経験になった。セメント作りや敷石を敷き詰める作業もさることながら、Dunkeldという小さな町の住人たちに混ざって最初から最後まで関わって何かをやるのは達成感を得るのと同時に、その町に対して特別な思い入れも持つようになった。
作業初日は日曜日ともあって20人くらいの住人が参加してくれたけど、2日目以降は5,6人で作業をしていた。
※敷石の作り始めと完成
※わざわざポールが用意してくれたご褒美
ポール、ポーリーン、私の3人だけというのもざらにあり、夏間近の暑さもあって大変なときもあったが2週間かけて完成にこぎつけた。
完成披露会でポールからみんなの前で感謝の言葉とご褒美をもらったときは、緊張と嬉しさのあまり"My pleasure!"と裏返った声で応えてしまった。
祭りの後の打ち上げにも連れて行ってもらい、住人のみんなと祭りの成功を一緒に称えることができて、この町に来て本当に良かったと心から思えた。
Dunkeldは居心地がいいところだったので1ヶ月ほど滞在したが、その長さから終わりのほうは食事のときの会話のネタが無くなってしまい困った。
そんなときに、ハリーとイヴォーナが夕食時にケンカをしてとても困った。
何も口を挟めなかった。家族の一員のように迎えられてはいるが、いざ家族間の問題が起きたとき、干渉していいものかどうかわからなかった。
時間が経った今でもどうすればよかったのかわからない。
口を挟めばよかったのか?そうしたら、何を言えばよかったのか。
これが自分の家族ならば「飯がまずくなる。ケンカなら後でしろ」とか呆れた口調で言うだろうが、同じような対応でいいとは思えない。ただ少なくとも、何か口を出したら嫌われるかもとネガティブに考えていた当時とは違って今ならその時に感じた何かを言うだろう。
結局、Grampiansエリアの自然を満喫して都会の生活が懐かしくなったので夏の暑い期間はWWOOFをやめてメルボルンで過ごす計画を立てて、仕事&住居探しのためにメルボルン付近のホスト宅へ移ることにした。
D:デビッド in Frankston 2011年11月
メルボルンCBDから電車で1時間ほどのFrankstonはメルボルンでの仕事&住居探しの拠点としてはまずまずな場所だった。久しぶりの都会は、自分で好きなトコに電車やバスを使って移動できる自由さとレストランに入って好きな料理を選択して食べられる自由さがあった。その分、対価としてお金が必要ではあったが。
仕事は週休2日で1日4時間だけというすばらしい待遇だったが、内容が広大な庭園の雑草取りだけだったので辛かった。一人黙々とラジオを聴きながら毎日手で雑草を引き抜くだけというのはさすがに飽きる。
ホストのデビッドは寡黙なおじいちゃんでクリント・イーストウッドにちょっと似てた。でも、孫にはいつもデレデレだった。
デビッドは趣味が自分と同じサイクリングで、きたるチャリティサイクリングイベントに備えて家の近所や近くのビーチを練習として一緒にロードレーサーで走った。聞いた話では、そのサイクリングイベントのためにフリーウェイを封鎖して1日貸しきりでやるというからスケールがでかい。
奥さんのフィリスは優しいおばあちゃんで何かとこちらを気にかけてくれた。
そして、ほぼ毎晩一緒にscrabbleという単語を作るボードゲーム(「言葉のパズル文字ぴったん」というTVゲームとルールが同じ。恐らくScrabbleを元にして作られた)をやった。英単語の勉強になるかと思ったが、日常生活ではまず使わないような単語を作成しなければ勝てないので単純にゲームとして楽しんだ。余談だが、2年後の2013年に遊びに行ったときも住んでいたドイツ人のWWOOFerと一緒にこのゲームで遊んだ。
土日の休みを利用して住居&仕事探しをしたがすぐには見つからなかった。
シドニーで田村さんから教わったやり方で、平日にGumtreeやDomainをチェックしてアポイントを取って土日のインスペクションで15軒くらい見てまわった。
そして、オーナーの人柄が良かったBlackburnというCBDから電車で30分くらいのsuburbにある家に決めた。
シェア探しの初日に2回も電車で乗車券をチェックされたのでメルボルンは取り締まりにとても厳しいところなのかと思ったが、住み始めてからはたまにしかチェックはされなかった。
仕事のほうは、デビットの家でハウスシェアメイトとして同居していた中国人学生(元WWOOFer)のツテでホテルのstewardを紹介してもらったが、ワーキングホリデービザの最長6ヶ月までしか働けないという制約により採用されなかった。ただその経験を通じて、よく話を聞く「人づての方が仕事を得やすい」というのが実感できた。
結局仕事が見つからないまま、新しい住居に移るべくデビットの家を離れた。こうして半年ほどのWWOOF生活を終えてメルボルンでの都会生活が始まった。
まとめ WWOOF生活が与えたもの
半年間の期間ではあったが、この時間がオーストラリア生活で一番濃密なものだった。そして、オーストラリアの田舎の一般住宅に家族の一員のように住み込みで働いた経験は、こういう生き方があるんだという多様な生き様を教えてくれて私のライフスタイル観に大きな影響を与えた。
ゆっくりした時間の流れ
まずは、そのゆっくりとした時間の流れだ。
オーストラリアに限らず、田舎生活は時間の流れが都会生活に比べてゆっくりである。
WWOOF生活を始める前は、東京・シドニーで生活していたのでその違いにはじめは戸惑ったけど、じきに気持ちの良いものとなった。
オーストラリアの田舎は、どこに居ても何十km先まで見渡せる。時間を気にせずに見晴しの良い景色と空を眺めながら、ボーっとできる。この環境を当たり前のものとして享受できるのはすばらしい。
そのおかげで、セカセカしなくて追いつめられる感覚がない。
また、フレキシブルに時間を使えるという点も大きい。
仕事でいえば、8時-5時という決められた時間で働くわけではなく、その日その日で働く時間が違う。
Dunkeldのハリーでは仕事は朝の10時以降だったし、暑い日はあまり仕事をしなかったり、突発的に町に買い物に行ったりした。
もちろん、ピーターやデビットのところのようにある程度時間が決められていたWWOOFホストもあったが、結局ホストの裁量次第でいかようにも変わるゆるいものだった。
しかし、今はその時間の流れに慣れたとはいえ、私のように管理された方が楽に感じる人間やいつも忙しい状態でありたい人にとっては、そののんびりさは逆に苦痛に感じるかもしれない。
Tanundaで一緒に生活した日本人女性のWWOOFerは、日本での仕事で忙しい生活が好きだったので田舎の何も無いところで何もすることがないことに不満をこぼしていた。
似たようなことをBoshackのデリックのところで私も感じたが、結局は感じ方を変えればいいだけのことだ。
何も無いところには何も無いところなりの楽しみがあるのだが、今まで生きてきた中で経験したことが無くてそれを知らないだけなのだ。それに知ることができただけでもWWOOFをやってよかった。
料理や食物への興味
次に、料理や食物への興味。
WWOOF生活を始める前からオーストラリアの野菜や果物をおいしいおいしい言いながら食べていたのだが、WWOOF生活を通してより興味を持つようになった。
WWOOFはWorld Wide Opportunities on Organic Farmsの略なので、ホストが栽培している野菜や果物はオーガニックなのだ。つまり、取れたてのオーガニック食物が使われた料理が食卓に毎日並んでいたので、本物を知ることで舌もより良いものを求めるようになった。
そういった意味では、Denmarkのサヒマと後に滞在するViolet townでは料理も上手だったのに加えて、さまざまな食物を栽培していたりchook(ニワトリ)から新鮮な卵も得ていたのですばらしい食事生活だった。
WWOOF生活で2,30種類の野菜や果物を植えたりピッキングしたりしてきたので、自分でもいつか何かを育ててみたいという気持ちは強くある。
また、Dunkeldのハリーとポールはパン作りがものすごくうまい。
ハリーはエコロッジの客用に毎朝オーブンでパンを焼き、ポールは経営しているカフェと近くの町のカフェ用に毎朝窯で焼いていた。
ハリーのパンは滞在中いつでも食べられたけど、初めて食べたときは焼きたてのパンがおいしいことは知っていたが本当に感動した。
メルボルンに移ってから自分もパン作りに挑戦してそれを写真にとってハリーに送ったほどに感銘を受けた。
そして、それまではあまり飲まなかったビールとワインもWWOOF生活で飲むようになった。
Tanundaのウェインのところはvineyardということもありおいしいワインがタダで飲めたし、Barossa Valleyのワイナリー巡りもしてますます好きになった。
特に、ウェインのところで作っていたShirazとCabernet Sauvignonの赤ワインが好きで、ワインを飲むときはたいていその2種類を飲むがやはりウェインのSmall flyのShirazとCabernet Sauvignonが一番好きだ。
その当時同居していたオージーのおっさんがしょっちゅうワインと一緒にビールを買ってきて一緒に飲んでたので、南オーストラリア州のビールCoopersは今でも好きで特にExtra stoutという黒ビールがお気に入り。
外国産だとアイルランドのギネスビールやハリーの奥さんイヴォーナの出身国ポーランドのZywiecが好き。
日本とは違っていろんな国のビールが安価で買えるのは自分好みのビールを探す楽しみを与えてくれる。時間があれば、オーストラリアの地ビール巡りもやってみたい。
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