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今週の1枚(05.01.31)





ESSAY 193/英語の学習方法(その10)


−リーディング(その3) 小説



;color: #002B2B; font-size:95%; line-height: 115%; text-align:left">写真は、BalmainのBallast Pt。なぜこの波止場が閉鎖されているのかについては、本頁末尾を参照。




 リーディングの第三回です。
 一回二回と新聞をやりましたので、今度は新聞以外のリーディングについて。


小説のリーディング

 新聞と並んで小説や物語などのリーディングもオススメします。
 小説リーディングは、新聞や評論などとは違ったいろいろな特徴があり、その特徴を踏まえて読めばかなり威力を発揮すると僕は思います。小説の特徴を挙げてみると、だいたい以下のようなものがあると思います。





@.とりあえず面白い
 これは読むにあたって大きな長所でしょう。面白くない小説は小説じゃないというか、小説というのは面白いから読むものです。新聞やニュースや評論は実際の事実関係を客観的に伝えるもので、読者はその客観的な情報や分析を知りたいから、つまりインフォメーションを求めて読むのですが、小説に書いてあることは基本的には「嘘」です。まあ、ノンフィクション小説もありますし、小説には「人間の真実」が書かれているんだという見方もあるでしょうが(それに異論はないですが)、でも事実関係を情報として知りたいから読むわけではないです。面白いから読むものです。「面白い」という表現が薄っぺらで気にいらないのでしたら「感動を得るために読む」と言い換えてもいいです。

 いずれにせよ読んで面白いように小説は書かれているわけです。主人公の設定にせよ、物語のプロットにせよ、読者になにがしかの知的・感情的な快感を与えるためのものであり、読めばそれなりの感動を得られるように最初から作られている。このエンターテイメント性が新聞やニュースと根本的に違うところです。もっとも、ニュースのエンターテイメント化は昔から言われているところで、その弊害も多く指摘されているわけですよね。例えば面白おかしく嘘八百並べるとか、報道される側の人権を踏みにじるとか、問題の構造よりも下世話な興味本位に編集されるとか、パパラッチとか。そういう意味ではニュースも小説も変わらないっちゃ変わらないです。しかし、それを論じだすと話が別の方向に逸れますのでここでは止めます。それにいかにニュースがエンターテイメントになろうが、所詮は脚色潤色レベルであり、最初から本腰を入れて虚構の王国を構築しようとする小説ほど深く面白くなるわけでもないでしょう。


 ところで、英語の勉強という観点で言えば、とりあえず量的に多くの英語表現に触れることが大事なわけで、その過程が面白かろうが本質的な問題ではない。しかし、同じやるなら面白い方がいいですよね。そして、面白くて楽しい方が、勉強に伴う苦痛も少ないから長続きしますし、また量的にも沢山こなせます。これが大きな長所だと思います。




 以前にも触れたことを重ねて言いますが、勉強というのは、カラカラに乾いたドライな認識でいえば、単なる生化学反応に過ぎません。英語に触れる→シナプスに電流が走り脳内神経細胞が増幅され、英語に関する記憶、思考回路が増強されるというのが「上達」の本質でしょう。だから勉強というのは、要するに一定量の刺激→一定量の生体反応という単なる生化学反応に過ぎず、その過程が楽しいかどうかなんか関係ない。眉間に皺を寄せ、背筋を延ばして勉強しようが、寝そべってオセンベ食べながらヘラヘラしてようが、一定の生化学反応をもたらせばそれで良い。

 日本人の習い事はどうも形から入る方法論がメインであるため、「神聖な勉強」みたいな感じに思われがちです。教科書をまたいだらダメとか、机に向かっているビシッとした姿勢、そういったビジュアルなものがないと勉強として認めないという困ったクセがあるように思います。もっとも、それはそれでイイコトだとは思いますよ。茶道、華道、柔道、武道、、、身体技芸を「道」という哲学的・全人格的なものに昇華させ、その技芸を極めることと人格を磨くことを同一視するという傾向は、これはこれで素晴らしい伝統であるとは思います。しかし、同時に、常に意識的・批判的に考えていないと、単なるくだらない形式主義に堕落してしまう。つまり、「形さえ整えておればそれでいい」という具合になりがちなんですね。この安易な形式主義は、実際にどれだけの効果があるか、より効率的な修行方法を模索するといった真剣な思考を妨げ、効率が悪いばかりか、「道」的本質にすら反するでしょう。

 この誤った形式主義が、以前に述べたゲームや笑いを取り入れたコミュニカティブメソッドへの理解を妨げたり、単に学校に行ってればそれでいいんだと怠惰に流れたり、一見”科学的な”「安易で効果的な方法」を囁かれるとすぐ乗ってしまったり、、、という思考停止を招いているように思います。ときとして「本気で上達したいと思ってるんか?」と胸倉掴んで問い質したくなるくらいなもんで、「これだけやってれば大丈夫」なんてものはこの世にないです。本気でやりたいなら、街の看板だろうが他人の着ているTシャツだろうが、英語で書いてあるのを見たらもう飢えた狼のように襲いかかってください。ケダモノのような勢いで勉強すると同時に、脳漿が耳から垂れてくるくらい「どうやったらいいんだろう?」と常に勉強方法も必死に考え工夫してください。本気でやってる奴、メキメキ上達する奴というのは、だいたいどっかで独創的な修行方法を自分で編み出したりしているものです。”勉強してるふり”をしてて誉められるのは小学生までです。


 話を戻しますが、ドライでプラグマティックな視点からいえば、量の制覇を阻害する最大の敵は「つまんない」という感情であり、この感情をいかに宥和するかが勉強における大きなポイントになります。リーディングにおいては、同じ読むにしても面白ければ量がはかどる、つまり沢山勉強できる、ゆえに早く上達する、というのは見過ごせない重要な観点だと思います。

 そして、同じ小説でも、より面白い小説を探すのが第二のコツになります。どういうジャンルの小説がいいか、です。





A.ジャンルについて
 僕の体験及び意見としては、SFとか刑事小説が良いように思います。いや、別に恋愛小説でも、エロ小説でもいいですよ。純文学でも、時代小説でもいいです。それで貴方が面白いと思うのであればなんでもいいです。

 SFと刑事(推理)ものを挙げたのは、単純に僕が好きだということのほかに、この分野は純粋にストーリーの面白さで読ませるからです。ストーリーを追いかけているだけで面白くなれるように、ストーリーが立っているし、わかりやすい。これは結構大事な要素だと思います。なんせ英語で書かれてますからね、実のところ読んでもあんまり理解できないことも多いです。というよりも20%くらいしか理解できないってことも珍しくないです。それだけに骨太でよっぽど分かりやすいストーリーでないとついていきにくい。

 逆に純文学系が難物でして、ストーリーそのものは大したことない場合も多いのですね。夏目漱石の小説だって、粗筋そのものは思い出すのが難しいくらいどってことなかったりします。高等遊民である主人公が書斎でウジウジ考えたり、散歩したり、会話したりするくらいです。それでも「坊ちゃん」などは、いきなり四国にいくわ、生徒達とドンパチやるわ、赤シャツとドンパチやるわでストーリー展開が立ってるから読みやすいです。でも、「それから」「門」あたりにいわゆる三部作になると、主人公の胸中に流れる晦渋な近代的自我の確立と葛藤がテーマですから、そう派手な大立ち回りは無い。全然ないといっていい。

 このように文学系は、人間存在の不思議さや本質について、いかに深く掘り下げて、いかに的確に表現するかという、表現そのものに重きがおかれたりしますから、表現の良し悪し自体を鑑賞できないと面白くなれない。ところが、1行に5回くらい辞書ひかないと何がなんだか分からない英語力レベルで、「うーん、清冽な筆致だ」なって分かるわけないですよ。書いてあることの意味すら理解できないのに、「思春期の揺れ動く心情を、彩りのある文体で鮮烈に表現した感動巨編」なんてのはレベルが高すぎてしんどいんじゃないんですか。そんなんだったら、エイリアンがミギャーミギャーと鳴いて、宇宙船がスワーッと飛んできてドカーンと爆発して、めでたしめでたしの方が分かりやすいでしょう。「犯人はお前だ!」とかやってくれた方が分かりやすくはないですか?

 オススメは、、、うーん、特にないけど、好きな作家があればそれにトライされるといいでしょう。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズものが好きでしたらそれでもいいし。ただ、あまり古い作品だと使われている英語がやや古くなる恐れもあります。そうそう、シドニー・シェルダンは一回読んだことありますが、文章がとても平易で、ストーリーもわかりやすいし、いいかもしれないです。





B.役に立つかという視点/ソーピーズのススメ
 しかし、英単語や表現を学ぼう&パクろうというのであれば、SFや犯罪小説などはやや問題もあります。なぜなら、そこに出てくる単語や表現というのは、およそ日常使いそうもないものが多いですからね。警察小説での「ガイシャの身元は?」「鑑識に回してくれ」なんていう表現やスラングというのは、あなたが外国で日常生活を送る場合別に知らなくても差し支えないし、一生に一度使うかどうかって気もします。SFに至ってはさらに顕著で、「その宇宙船は35世紀に流行した反陽子エネルギーを使用していた。陽子と接触して対消滅する際の大爆発を防ぐために周囲の空間を歪曲してある」なんてセリフは、おそらく死ぬまで使う機会はないでしょう。

 出てくる表現が右から左に実戦に使えるという点を考えると、要するに自分の日常生活に近いことが書かれていたらいいわけですよね。でも、自分の日常なんかそんなにドラマチックではないから、これを小説にしたところでストーリー展開としては退屈になってしまいがちで、痛し痒しです。普通の人々の日常的な生活が舞台になるものとしては、小説ではなくTV番組ですが、いわゆるソープオペラがあります。日本における(今は絶滅したのかも)「昼メロ」ですね。その昔、アメリカの昼メロのスポンサーに石鹸会社が多かったことからソープオペラと呼ばれ、ソーピーズと略称されたりもします。この種の昼メロ、つまり、「奥さん、、」「いけませんわ、私には主人が、、」という百年一日のように繰り返されている退屈なドラマは、そのかわり日常用語例の宝庫でもあります。

 そのあたりは個々人の好みという気もしますが、アクションシーン満載でストーリーとして面白くなるほど日常から遊離するわけで、それだけ日常生活への実戦性が薄れ、逆に日常に近付くほど実戦性は高まるけど筋として地味になるという相関関係は、ちょっと頭に入れておいたらいいかと思います。

 もっとも、日常から遊離していたとしても、そうそうイチから十まで全然違うって事はないはずです。ピカピカの宇宙船に乗っていたって、人間同士の会話や葛藤はあるはずですし、世間並みの会話もしています。それに、新単語を仕入れたり、表現をパクッたりするだけが勉強ではないです。それはあとで述べます。

 あと、Load of the Rings とかハリーポッターみたいな一種の時代的SFも、僕の個人的な意見ですが、あんまり役に立たないようと思います。これは普通のSFよりも役に立たない。なぜなら時代ががった大袈裟な言い回しばっかりで、まず読むのに非常に骨が折れる。しんどい割には日常使わない言葉ばっかりなので効率が悪い。ロード・オブ・ザ・リングスも英語字幕で見ましたけど、「久遠(くおん)の闇を棲家とする邪悪の化身」とか「我ら騎士の剣に宿るは誇り高き王への忠誠」とかなんとか(例は今適当にデッチ上げました)、「こういうもってまわった言い方は普通せんわなー」という表現ばかりでした。日本語に置き換えたら「義によって助太刀いたす」みたいな時代がかった表現で、ここまでくると日常に使えないにもほどがあるって気がします。まあ、ストーリー的にも南総里見八犬伝みたいなものですしね。同じ理由でシェークスピアとか、バイブルなどもちょっとなあって思います。教養として読むのはいいですけど。ディカプリオの主演映画ロミオとジュリエットも、喋り言葉は古文の世界だったです。普通の生活で「あなた」のことを「汝(なんじ)」なんて言わんでしょ?つまり、”you ”がみんな”thee”になってたりするわけですね。





C.とっつきやすい日本関係の小説
 日本に関して書かれている小説もまたオススメです。これは外人さんが日本での滞在記を書いたものと、日本の作品を海外用向けに英訳したものの二つの領域があります。どちらもいいです。

 日本に関すること、日本を舞台にしたものは、僕らはもう十分に予備知識を持ってますから、かなり楽に取り組めます。英語それ自体の訳に苦労したとしても、日本の背景がわかってるから、「これはこういう意味だろう」と比較的容易に推測がつきます。例えば、「渋谷駅の夜の雑踏を超え、電車の高架下を通り過ぎてさらに歩くと、さすがに人影はまばらになった」という文章によって、あなたの脳裏のスクリーンにはその光景が生き生きと照らされるでしょう。しかし、これが「19世紀のペテルスブルグの風景」とかになったらどうですか?あるいは現代でも、アフリカのどっかの小国の話だったら、イメージが湧かないでしょう? ジンバブエが舞台になって、ジンバブエの首都の風景、田舎の風景、ジンバブエの電信柱はどうなっているのか、電車はあるのか、駅はどうなっているのか、キセルはあるのか、自動改札なのか、普通の民家はどうなっているのか、全然わからんもんね。「未亡人は彼を家に招き入れ、応接室に通した」と書かれてあったとしても、世田谷かどっかの閑静な住宅街だったら風景は目に浮かびますけど、ソマリアかどっかだったら民家の応接室といっても思い浮かばないです。

 それに、「なんのこっちゃ?」と意味をとるのに非常に苦労するような描写も、舞台が日本だったら推測もつきます。例えば、「ミスタータナカの家の狭いラウンジルームに不似合いなくらい巨大な黒光りする木製らしい箱が置かれてあった。前面にある伸縮式の扉を開くと、黒と金を基調とした装飾性の高いアンティークめいた小物が所狭しと並べられていた」と書かれていたとしても、ちょっと考えたら「ああ、仏壇のことだろ」と簡単に推測がつきます。しかし日本には存在しない物体なんかが出てきたらお手上げですよね。そういう意味で、日本を舞台にしてくれると、非常に楽チンなんですね。安心して読んでいけます。

 あと、外人さんが書いた日本の風物の描写や評論は、それ自体がカルチャー的に面白いです。日本人だったら絶対に思いつかないような盲点を突かれたりします。例えば、肉じゃがという料理がありますが、日本人にとってはあくまで肉じゃがは肉じゃがですが、西欧の人から見たら「ビーフシチューの一種」として表現するかもしれないし、インドや東南アジアの人からは「カレーの一種」としてとらえるかもしれない。シチューといい、カレーといっても、要するに味付けした汁で煮込むことですからね。だから「ソイソース(大豆ソース=しょうゆ)味のシチューを出してくれた」という表現になったりして、これがなかなか斬新で、「ほー、キミらにはそう見えるのか」と面白かったりします。


 日本の小説を英語に訳したものも、これはこれで面白いです。なんせ原典がありますから、解答というか、訳はバッチリですよね。アンチョコ見ながら読めばいいのですから楽です。楽であるだけではなく、英作文的に、「なるほどこういう英訳の仕方をするのか」と英語的な表現を学ぶにはいいです。

 前者の外人さんの日本滞在記では、”Pictures from the Water Trade: Adventures of a Westerner in Japan"という本をたまたま見つけて、非常に面白かった記憶があります。どっかにいっちゃって今手元にないのですけど、数ヶ月滞在したイギリス人(だったと思う)John David Morley氏の日本見聞録です。筆致が知的かつ誠実で、よくありがちな「こんなにヘンなニッポン」という興味本位で下世話な外人本とははっきり一線を画しています。真摯に日本を理解しようとしているし、イギリス人独特の隠し味的なユーモラスな記載も素敵でした。逆に、「オノレは日本の何を見てきたんじゃ、ボケ」と言いたくなるようなクソ本もあります。そっちの方が多いかもしれないです。

 後者の英訳小説では、村上春樹の作品がよく英訳されています。うれしいことに日本人向けに文庫本で出ていて、巻末に難しい英語表現の解説も載ってたりします。「ノルウェーの森」「羊をめぐる冒険」を読破しましたが、良かったです。これは日本語を理解している英語ネィティブが訳したと思われますが(アメリカ系の英語かな)、非常にこなれた英語でした。よく日本人が教科書的に訳しているものもあるのですが、これはあんまり英語の勉強になりません。「そんな表現あんまり使わないよ」というのもよくあるし、タテのものをヨコにしただけという感じであんまり英語としてこなれてない。この本は、村上春樹の独特の雰囲気を、結構うまいこと英語にしていた記憶があります。あの人の文体は、まさに村上的としか言いようがない独自の清潔感と透明感があり、時として冗長に流れるユニークな比喩もその透明感を損なわないし、どんなに書き込んでも文章の”温度”があがっていかない不思議な文章ですよね。英語で読んでもそのニュアンスがなんとなく伝わります。こなれた英語という点でいえば、今でも覚えているのは、「羊をめぐる冒険」の冒頭で、「彼女の家ってどこにあるんだ」「さあ、わからないな」という部分の、「さあ、わからないな」を、"I don't know"とは訳さず、"You got me"と訳していた部分です。英語を始めたばっかりの僕はもうこれだけで混乱してしまい、「貴方は私を得た?何それ?」ってパニクってましたね。"You got me"は、「そんなん知らんわ」って言う場合の慣用句です。なんでこういう意味になるのかは知らないけど、洋画とか見てると、ときどき出てきますよ。ATMにカードを入れたら出てこなくなってしまったという状態を、eat=食べる、ATM eats my card!といいますが、これも日本人的には思いつきにくい表現でしょう。全編通じて、日本語で書かれた村上的世界をよく汲み取って、それをナチュラルな英語にしているいい訳だと思います。

  ここまで書いてたら気になったので訳者を調べてみました。アルフレッド・バーンバウム/ Alfred Birnbaumという人ですね。日本で育ったアメリカ人のようです。調べてみたら多くの仕事をしておられるようです。講談社英語文庫におさめられています。興味のある人は下記のリンクをどうぞ。

羊をめぐる冒険〈1〉講談社英語文庫
羊をめぐる冒険〈2〉講談社英語文庫
ノルウェイの森〈1〉講談社英語文庫
ノルウェイの森〈2〉講談社英語文庫
風の歌を聴け講談社英語文庫

 洋書でも良いのでしたら、もっと沢山あります。アマゾンで検索したら75点もあり(もっともドイツ語訳などもありますけど)、かなりの作品が英訳されているような感じがします。また意外と1000円前後の手頃な値段のものも多いです。

英語で読む村上春樹

 別に村上春樹に限らず、吉本ばなななんかも多く英訳されているようですね。


 あと、上記で紹介したPictures from the water tradeですが、調べてみたら日本のアマゾンでも売ってました。しかし、在庫切れだそうです。まあ、読む人なんかいないでしょうしねえ。一応リンクを載せておきます。

Pictures from the Water Trade:...






D.とっつきやすいその他のジャンル
 その他、自分の好きな領域の本だったらどんどん読めると思います。釣りが好きな人が、釣りを題材にした小説を読めば、「そうそう、ほー、うんうん」と楽しく読めるでしょう。

 あと海外に住んでいる人だったら、自分の住んでる街が舞台になる小説はいいですよ。知ってる地名が出てくるだけで、なんとなくうれしくなります。シドニーを舞台にした小説も沢山あると思います。最近(でもないけど)読んだ本では、John Dane著の”Dark Angel”という小説があります。作品としての出来は、退屈で凡百なハードボイルドですが、舞台がシドニーなだけに妙にうれしいですね。なんせ、シティのリバプールストリートのスパニッシュエリアのバーで働き、住まいはクージーのフラットで、チャイナタウンで乱闘があったり、相棒の女性がアースキンヴィルの一軒家に住んでたり、ウォータールーの寂れた公団住宅に人を訪ねにいったり、モスマンの豪邸に行ったり、知ってるといちいち映像が浮かんできて楽しいです。以下はチャイナタウンの描写ですけど、シドニー在住の方だったら「はいはいはい」とすっと理解できると思います。

 "Chinatown had grown rapidly over the last few years. Once confined to a few dark alleyways around Dixson Street it now streched in a large triangle from Central Station across to Darling Harbour and back up Liverpool Street. In the Haymarket it spilled east as far as Castlereagh. The old centre had been spruced up with new paving stones and Chinese lanterns flying coloured ribbons overhead. A pair of sleepy lions guarded an archway. Tourist stuff, Jack knew, but it worked. It was harder to get a park here than anyplace in town."





 まあ、でも、小説などのリーディングを楽しめるのは、基本的に読書が好きな人なのかもしれませんね。読書が嫌いな人はそもそも英語に向かないというか、言語に向かないのかもしれません。こう言っちゃうと身も蓋もないけど。特に映画やTVだったら楽しめるけど、活字だと楽しめないという人は、脳内における言語処理分野が視覚処理分野に比べて未発達なのでしょう。言語→イメージ→言語という双方向の回路が細いから、言語情報が頭に入ってきても、それが頭の中で生き生きと映像化されたり、動き始めないのでしょう。

 でも、「じゃあ、俺なんかダメじゃん」と簡単に諦めない方がいいですよ。あなたが日本人だというだけで、世界的にみればかなり活字中毒の部類の属すると思いますから。だって、日本の出版点数というのは人口比でいってもとんでもないレベルですし、小説や文学は嫌いとかいってる人でも雑誌は読んでたりしますもんね。それがどんなに下世話な雑誌であろうが、エロ小説であろうが、マンガであろうが、活字は活字。言語によってなんらかの快感を得ることに変わりはないですからね。列車内のヒマ潰しになんか読んでる人は、自分が読書嫌いだなんて思わない方がいいですよ。ブンガクだけが読書ではないのですね、この場合。


 最後に、シドニー在住の方で本を購入されたいのであれば、DYMOCKS(ディモックス)あたりが有名ですが、別に何でもいいんだったら古本屋でいいと思います。安いですしね。しかし、古本屋という存在が意外とありそで無いのですね。シティの南半分のダウンタウンにちょこちょこありますし、あとニュータウンですね。シドニー大学のお膝元なだけにちらほらあります。一番大きいのは、名前は忘れましたが King St沿い東側で、番号のかなり若い方=つまりニュータウンの殆ど外れで、最もシティ寄り、シドニー大学寄りのあたりですが、体育館か倉庫みたいな巨大な店があります。入口は狭いけどドアが無くて開けっ放しになって中が見えるからすぐに分かるでしょう。一応分類別になってますけど、狭い通路を通り抜けると(特に中二階)積み上げられた本がガラガラと崩壊したりして、かなりアナーキーな雰囲気で楽しいです。奥の方には日本語の本もあったりしますし、子供の絵本や、古いレコードなんかもあります。もしかして骨董的価値のあるお宝があるかも。







 さて、巻頭の写真の波止場がなぜ閉鎖されているかですが、すぐ近くに記念の石碑がありました。
 ←左の写真がその石碑ですが、はい、ここでリーディングの問題です。この碑文を読んで、なぜ閉鎖されているか答えてください。クリックしたら別窓が開いて大きな画像が開きます。こういう碑文とか何気に読まずに通り過ぎてしまいがちですが、読んでみたら「へー、そうだったの」というような面白いことが書いてあったりします。

 しかし、公的な碑文なんだけど、最後のイラストはすごいですね。日本の住民運動からしたら、こういう「官民一体となった住民運動」などあまり想像できないけど、政治というものがいかにこちらでは身近なものであり、しかもイラストが示すようにカジュアルで、ユーモラスで、風通しのいいものかがしのばれると思います。去年の2月に設置されてるから、まだ1年前の話ですね。








文責:田村

英語の勉強方法 INDEX

(その1)−前提段階  ”量の砂漠”を越える「確信力」
(その2)−波長同調
(その3)−教授法・学校・教師/スピーキングの練習=搾り出し
(その4)−スピーキング(2) コミュニケーションと封印解除
(その5)−スピーキング(3) スピーキングを支える基礎力
(その6)−スピーキング(4) とにかくいっぺん現場で困ってみなはれ〜二つの果実
(その7)−スピーキング(5) ソリッドなサバイバル英語とグルーピング
(その8)−リーディング(その1) 新聞
(その9)−リーディング(その2) 新聞(2)
(その10)−リーディング(その3) 小説
(その11)−リーディング(その4) 精読と濫読
(その12)−リスニング(その1) リスニングが難しい理由/原音に忠実に
(その13)−リスニング(その2) パターン化しやすい口語表現/口癖のようなボカした慣用表現、長文リスニングのフレームワーク
(その14)−リスニング(その3) リエゾンとスピード
(その15)−リスニング(その4) 聴こえない音を聴くための精読的リスニングほか
(その16)−ライティング 文才と英作文能力の違い/定型性とサンプリング


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