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オーストラリア・ワーホリ・留学体験記


第三分冊/203頁〜297頁 



  298頁〜最新
記載時期 2010年9月〜現在

  第三分冊 203頁〜297頁(このページ) 記載時期 2009年1月〜2010年09月
  第二分冊 101頁〜202頁 記載時期 2006年6月〜2009年1月

  第一分冊 1頁〜100頁  記載時期 2001年9月〜2006年6月


297頁目、 298頁目、 299頁目、 300頁目、 301頁目、

 Yさん(男性)です。神奈川県出身、大学出てから悩みつつオーストラリアへ。
 彼の体験談はさらりと書かれているのですが、本当はもっと複雑というか、ドラマチックというか、面白いです。というかYさん自身のキャラが陰影が深くて面白いのですね。そのあたりをインタビューで突っ込もうと思ってたら、うーうー唸って書いているうちに時間切れになってインタビューもナシです。惜しい。ですので多少補充的に書いておきます。
 彼は見た目、都会派の遊び人で、それなりの遊び人的実績もあるのですが、でもチャラついてない。すごい昔の言葉でいえば、良い意味での「軟派の不良」。頭は良くて高校入試でもペーパーはバッチリだけど内申書で落とされたり。某有名私大の法学部を出て、順風満帆に就職すればいいのに、何かがひっかかってそうしない。一見チャラチャラ遊び歩いているようで、実は反骨精神が強いからそうなってる風なのです。僕と彼との会話は、政治、経済、国際系のハードネタが多いです。かなり突っ込んだことを聞いてきますし、水準も高い。また日本でも新聞の営業のバイトを真面目にコツコツやり続けたり。だから素材は硬派なんだけど体質が軟派だからうまいこと統合出来ないというか、そこが彼の面白いところです。
 体験談でも、学校1ヶ月目は馴染めなかったと書いてますが、普通の日本人留学生やワーホリでは馴染みにくいと思います。下に書かれたAPLaC出身のM君やI君とは友達としてラウンド中も親交を深めていたようですが、普通の学校生活では物足りない。内申書が悪いわけよね。で、2か月目でブレイクしたのは、トルコ人やコロンビア人達と遊ぶようになってからです。
 これもさらりと書かれてますが、実はサッカーで思いっきり顔面を蹴られて鼻骨骨折か?というシリアスな事態に至ってます。地元の医者の見立てでは骨折はしてないと、しかし本当にそうかと心配になり、そのときにヘルプ電話をいただきました。イケメンのY君の鼻が曲がっちゃってたらしいです。M君の話によると、「Y君は俺はイヤだ、やりたくないって言ってたのを無理矢理僕らが連れて行ったんですよね。で、あんなケガになっちゃって、だから、もう可哀想で、、」と。
 体験談に書かれている「4人の仲間」というのはベトナム人やドイツ人ですが、彼以上にワイルドな連中らしく、彼はもっぱらいじられキャラだったそうですが、そのくらいの方が彼には合っているのでしょう。でもってM君がドイツ人の彼女と宜しくやる頃には、彼もまたオージーの女性(こちらで生まれたベトナム系)と親密になったり、なかなかいろいろあったようです。全然体験談に書かれてないけど。
 今、彼はオーストラリアを出てシンガポールに飛び、そろそろベトナムあたりにいるのかな。アジアにはその仲間達が先に行って待ってるそうです。でもって、その彼女も待ってたりして。男Y君、悩んでましたね。彼の硬派の血は、やはりビシッとしたプロフェションになりたい、ナニゴトかを達成したいということを求めます。確かに、他を寄せ付けないだけの技量を身につけ、一匹狼のプロとして生きていくの が彼には合ってると思います。しかしその為には地獄の修行期間が待ってます。修行だけだったら彼はこなすでしょう。しかし、反骨的軟派体質がその袖を引っ張ります。素敵な人も待ってます。仕事に生きるか、恋に生きるか、ああ、どうしよう、、ってな感じでしょう。いいなあ、青春してるよなあって、僕は無責任に目を細めているのですけど(ごめんね〜)。はて、どうなることか。


293頁目、 294頁目、 295頁目、 295頁目、

 Mさん(男性)です。大阪出身、沖縄の大学の中途でワーホリにやってきた、ナイスガイです。
 大阪弁全開の彼の体験談は傑作です。「俺、文章書くの苦手やし、、」とか言っては書きあぐね、2枚くらい破って捨ててましたが、出来上がってみれば、インパクト&面白度で歴代ナンバー1の声が高いマグロ漁船のKさん(25、33、34頁)に雰囲気がよく似た、素晴らしい体験談でした。目の前にいて大阪弁でしゃべられているような気がするくらい肉声度が高い。そういえば二人とも珍しくヨーロピアンの彼女作ってたけど、この手のタイプはモテるのかな。あと共通点といえば、サーフィンやって、学校時代死ぬほど勉強していたという点ですね(かなり上級クラスまでいけてたし)。
 内容的には読めば一読了解のわかりやすさですが、内容よりも放出されるオーラ量が凄い。日光浴のように浴びてください。
 文章だけ読むと、弾けまくった豪快君なイメージがあるかもしれませんけど、実物は案外と物静かで、シャイだったりします。ビデオもメモリアルとして撮ったんだけど公開はなし。こっぱずかしいからと。皆、あなたを見たいと思うと思うよ(^_^)。
 Mさんの文章は子供がそのまま大人になったような生き生きしたものですが、本人は子供っぽいわけでもなく、それどころか20歳という年齢からしたらかなり大人だし、相当に賢いですよ。子供は誰でも強い生命力を持っているのですが、大人になっていく過程でだんだんとそれが擦り切れていきます。でも、彼の場合はそのスポイル度が低い。萎(しお)れない。オーストラリア人やヨーロピアンによく見られるタイプです。だから子供のように強いです。文中をみても「たのしかった」「おもろかった」であり、通ってた学校が倒産しても「あれはあれでおもろかった」になるし、英語でも「じみちにしこしこがんばるしかない、でもそれがたのしいのです」と。普通の人がネガティブモードになるところを彼はならない。なぜか、面白いからでしょう。何を見ても聞いても面白く感じる。
 Mさんは、大学に帰っていよいよ就活。やってるのかな、今頃。企業に入っても擦り切れたサラリーマンにならないように。まあ、彼は大丈夫だと思うけど。
 内容面で若干の補充をしておきますと、ヌーディスト・ウーフが「半分ハズレ」の意味は、スパに入るのはおっちゃんばっかで実際問題、銭湯の男湯と変わらんかったことと、半分アタリは、そのかわり人間的にはいい人ばかりで楽しかったことです。でも、メシ、まずいんか。書いてないけどシドニー時代、お金がないので週5日ジャパレスで働いていたMさんですが、しかし1日3時間程度。オーナーはメチャクチャな人だったらしいのだけど、あそこまで破綻してると逆に気にならなくなるし、賄い食べまくりだったので、Mさん的には「まあ、メシ食いに行ってたようなもんです」と。彼からヘルプ電話をもらったのはマルーブラのシェア先で泥棒に入られたときと、所持金100ドル以下になった時点でアデレードからレンマークに行くかどうか迷ったときでした。後者の場合は、周囲から「絶対止めろ」と言われまくってたらしいのですけど、「でも、行くつもりです。そんなん行かなわからんし」と言い切ったところがMさんの強さなのでしょう。


288頁目、 289頁目、 290頁目、 291頁目、 292頁目

 Iさん(男性)です。彼の体験談は一風変わっていて、とても面白いです。
 東京の広告制作会社でコピーライターをされていたIさんは、SFや、中世西欧史の研究など引き出しを沢山もっている知性派です。来た時点でTOEIC860点(帰国時965点)という英語の実力もさることながら、SFの新刊を読みたくて原書で3年くらい読んでたら自然に出来るようになったという部分が凄いです。文中にも出てきますが、ラウンド中に小遣い稼ぎに翻訳のバイトもこなしています。彼の英語勉強法は参考になります(てか、近道はない!に尽きるのだけど)。
 英語力も、資金力も、そして現場のビジネス経験も相当な水準で有していたIさんですので、視点や行動がいわゆる一般的な「ワーホリ」のイメージと違ってくるのは当然と言えば当然。目的が「はやぶさ目撃」「世界SF大会出席」であり、やり残したこととして「せっかく来たんだから学位(修士号)くらい取ってけば良かったかな」と言うわけですから。でも、僕が一番Iさんをエラいなと思うのは、これだけ実力がありながらも、ジャパレスのバイトとかファーム仕事とか、ワーホリ的なことも躊躇わずにトライしていることです。ジャパレスのオーナーのお説教も、支給される給与も、彼にとっては微々たるもので、だから「大ハズレ」という結論になるのだけど、そう言いながらも黙々と何ヶ月か働いています。ファームを求めて放浪したり、カーナボンでリアル蟹工船体験をしたり、やることやってるのですね。全然報われてないけど。でもやるところがすごい。
 で、当然ながら視点が違うので面白いです。バンダバーグを地元の英語情報をもとに客観的に評してみたり、かつて仕事でやった博物館学に照らしてオーストラリアの博物館の水準の高さを評したり。はやぶさ突入の際も、どこからどう見えるか事前情報がないので、自分でデーター(突入角度など)を元に三角関数(タンジェント)で計算してそれをネットで公開し、世界中の仲間と情報交換しつつ見事目撃に成功し、NASAの人や日本の国立天文台の人達と交流したりしています。日本をはじめ世界に配信された有名なはやぶさ写真には彼のシルエットも写っています。
 彼の奥行きは、彼のブログをみてもお分かりになると思います。「2010年ヒューゴー賞候補作を読む」とか。だからこの体験談は、いわゆるワーホリ体験談というよりも、作家の紀行文(「街道を行く」みたいな)的なオモムキがあります。もっとじっくり書いてもらうべきでした。ところで、彼の体験談が異色に見えるのは、それはいわゆるワーホリの「イメージ」から離れているだけで、現実には彼のような方は沢山おられると思います。「ワーホリ」や「留学生」という名前の人はいないのだし、そんなカテゴリー、よその国のビザの種類に過ぎないんだし。
 現在、Iさんは残り少ないワーホリ生活をメルボルンの世界SF大会に費やしているでしょう。日本に帰っても仕事に自己実現を求めるのはもう止めます!とキッパリ言い切り、文芸翻訳を人生のメインに据えようというIさんですが(既に何本かの短編も訳しているし)、いずれ書店の棚でお会いしましょう。



286頁目、 287頁目、
 Tさん(女性)です。兵庫県で医療事務をされておられました。
 彼女はいつもニコニコしてて、屈折度の少ない素敵な方でした。「すこやか」という言葉がよく似合う。

 性格にふさわしいとっても素直な体験談を書いていただいています。サラリと読んでしまいそうですが、しかし実はけっこう微妙に深かったりします。書き終わった後のインタビューで結構突っ込んだのですけど、彼女の1年のパターンというのはとても興味深いのですね。彼女、学校が終った後に、シティに住んでシティ近くのジャパレスで働いて、ラウンドではケアンズに長逗留し、そこでも又ジャパレスで働いています。結局ファームはなし。これだけ見てると、結局日本人村の引力圏内に留まっていたかのようですが、実は全然そうではなかった、というところが微妙に深いです。

 学校もエンジョイされていますが、ランチを食べるテーブルでも国別テーブルではなく、多国籍テーブルが面白いので指定席になってましたし、シティに住んだといっても日本人は彼女一人だけ、シティ近くのジャパレスもOxford St近辺だからお客さんもオージーが多く、スタッフも日本人以外、ケアンズのジャパレスも2軒掛け持ちしていたそうですが、オージーのお客さんが多い店が楽しかったという。結局、日本人村にいるようでいて、常に非日本人的な環境にあり、その非日本人的な環境を楽しんでいたという。

 Tさんは、最初Sydenhanというドローカルなサバーブに、与党政党に勤務しているオージー女性(ラッド元首相、ジラード現首相それぞれとのツーショット写真が飾られていた)とシェアしています。しかも通学4か月中楽しくやってます。つまり全然ローカルでもOKなのですね。それがその後に日本環境になっていくのはなぜかというと、@いちいち現状が楽しすぎること、A次のステップに向うときに安全策をついとってしまうこと、でしょう。通学中にバイトしたって良かったのですが、学校があまりにも楽しいので働く時間がなかった。卒業後思い切って旅立てばいいけど、手堅く資金を貯めようとして、安いシティ近くのシェア+ジャパレス生活に入った。しかしそのジャパレスがあまりにも楽しく、ついついシドニーに長っ尻をしてしまった。ラウンドでももっと奥地に行けばいいけど、とりあえず手堅く馴染みのあるケアンズに行き、ジャパレスで働くが、そこでもローカルのオージーとのふれあいが楽しいからまたエンジョイしてしまうという。「えいや!」という苛烈な瞬発力はないのだけど、その分どこにいっても現状のローカル色を存分に楽しんでいる。

 彼女の場合、バリバリ野性的なラウンドも多分余裕で出来たでしょう。でも自分のポテンシャル(潜在能力)と意識との間にギャップがあって、とりあえずは手堅く日本人的なベースを辿るのですが、それはキッカケに過ぎず、実際にやってみたらローカル的にエンジョイしているという。でもって、どこにいても楽しくてたまらないから、終ってみたら「楽しかった!」という充実感だけが残るという。というわけで、結局、Tさんって、どこで何をしてても楽しいんじゃないかな?って気がしますね。「触れるモノみな黄金になる」ではないですが、楽しい環境を構築するのが上手というか、そこが「すこやか」だと僕が感じるゆえんです。そして、それが十分だったら、そもそも苛烈な瞬発力も何も必要ないのかもしれませんね〜。ね、深いでしょ?

 ちなみに全然彼女は「問題児」ではありません。Why did you say so? Got to be proud of ! それと友達のカード・スキミング事件はヘルプ電話をいただきましたが、ナニゴトもなく、杞憂に終りました。


282頁目、 283頁目、 284頁目、 285頁目
 福岡から来られたSさん、千葉から来られたOさん、ともに女性です。
 このお二人は、日本から友達だったわけでもないし、シドニーでの生活も軌跡もバラバラであり、本来ならば別々に掲載すべきなのですが、敢えて同じ項に掲げます。理由は、同じ週に来た”同期生”であり、最後に挨拶に来られ、このノートを書かれたとき(+UP予定の動画インタビュー)もご一緒だったというだけではありません。本質的なテーマ性が似ているからです。ともに二回目ワーホリがありえないオーバーサーティであること、そして何よりも真剣な恋愛関係が1年間のワーホリ生活、さらに将来の人生に深い影響を与えているという点で共通するからです。キーワードは、「女30歳、ワーホリ、恋と結婚、そして人生」です。なんかこう書いてしまうと陳腐に見えるかもしれないけど。

 まずはSさん。日本旅館でビシッと働いていたしっかり者のSさんですが、体験談には全く触れられていないのですが、渡豪前半の最大の課題はお金でした。「ああ、お金が十分貯まってない、しかしワーホリのタイムリミットが!」という見切り発車でやってこられたSさん、頑張ってキングスフォードの個室120ドルという掘り出し物シェアに行かれます。いよいよシェア移動の際になって、「やっぱり120ドルなんか安すぎますよね、怪しいですよね、超ボロいし、床なんかコンクリートで、、」とネガティブモード炸裂のSさんですが、実際に僕が一緒に行ってみると、麗しくはないものの十分だし、床もきれいなフローリングだし、なによりもオージーのおっちゃん二人が、これぞオージーという感じでナイスな人達でした。また家も、これぞ伝統的なオージーの家って感じでした。「全然いいじゃん」「そ、そうですよね」でシェア生活が始まったSさんでした。

 さっそく仕事探しに入るのですが、お金がないない言ってる割には見つかってないようで、おかしいな?と思いきや、来豪1か月目で素敵な彼氏を見つけてしまっていたのですね。以後お金の話はあんまり出なくなり、体験談でも全く触れられなくなり、さらに「なんか簡単に生活できちゃうので、バイトはむしろ控えめに」なんて余裕の発言をしてました。それよりもSさんのワーホリを彩っていたのは彼氏との生活でした。韓国人の彼氏で、日韓カップルは良くあるパターンなんだけど、あまり韓国人っぽくない人らしく学生ビザで頑張って永住権を目指しておられるそうです。Sさんの悩みは、念願のラウンドに出たい、しかし彼がワーホリではないので同行できないという板挟みです。そのためパースに出かけ、マーガレットリバーで執念の仕事ゲット(街中の全店にレジュメを配って歩いた)をしたものの、彼氏が心配になりシドニーに帰参、しかししばらくして東海岸にまた出かけ、悪名高いバンダバーグでまたしても根性でファーム直契約をもぎとり、最高のシェア先にも恵まれます。で、またシドニー帰参という行ったり来たりを繰り返してます。一見中途半端に見えるのだけど、限られた時間と機会だからか、漫然とありきたりのラウンドにならずに、高密度のものになってます。

 来る前も来た後も、お金もないし英語もダメだし、、で年中不安がってたようなSさんですが、終ってみれば、恋もラウンドもシェアも仕事もかなり美味しいところをしっかりゲットしています。Sさんって見た目は普通の現代女子なのですが、九州出身+いかにも和服の似合いそうな旅館勤務という先入観のせいか、どこかしら「明治・大正の女」というイメージが僕のなかにはあります。与謝野晶子みたいな。恋も人生もひたむきで、その直向き(ひたむき)さが胸を打つという。一旦帰国のあと、再び学生ビザでオーストラリアに戻ってくるSさんは、11か月間育んだ彼との恋を将来的にカタチにしていくという新たなステージに上ります。

 恋愛でいえばOさんは渡豪時点で既に人妻でありました。東京近郊の自動車ディーラーで働いていた、都会的な若奥様風のOさんは、ダンナさんの理解を得て、かねてから念願だった海外生活をカド番ギリホリで始めます。期間はおよそ半年だけという前提で来られたOさんですが、結果的に言えば1年滞在してしまい、ダンナさんとは離婚、シェアメイトと結婚かという、まさに本人が体験談で書いているように、「いや〜、人生変わっちゃいました!」という変転を迎えます。

 Oさんの体験談は、ご本人の性格もあってかサラリと流していますし、さかんに自分の弱虫ぶりをアピールしてますが(^_^)、かなり注釈が必要だし、相当深いです。まず、「弱虫だから日本人シェアになった」と書かれてますが、シェアメイトは日本人といっても中学からはイギリス、そしてカナダの大学を出て、バリで起業し、シドニーにも二店舗経営しているということで、日本国籍で日本語も問題ないのですが、頭の中身はオージーというよりも文字通り世界市民です。だから日本人シェアというよりも、日本人じゃない部分が良くてシェアを決めているのですね。

 第二に、そのシェアメイトと恋に落ちたから離婚したのではない、ということです。彼女が半年期限を延長したのは、そういう恋愛沙汰とは関係ないレベルです。自称弱虫のOさんは、それがゆえにお店で何を買うだけでも大冒険であり、同時にそれは「出来た!」という大きな達成感を産みます。その達成感がひたすら心地よく、日本にいるとき忘れかけていた「生きている!」という実感と快感を甦らせ、その蘇生快感の強さが彼女に延長を選択させています。そして、それによって生まれ変わったのか、もとに戻ったのか、ともあれ脱皮アップグレードしたOさんが前向きに選択したのが離婚であり、シェアメイトの人と一緒にやっていくというのはその後の話です。

 なんでそんなに解説できるのかといえば、インタビューでそこを突っ込んだからですし、なによりも僕自身がそういった経験をしているからです。僕もこちらに来て、そのあとに離婚してますから。僕も、そしてOさんも、相手との間がダメになったとか、そういった愁嘆場ではなく、自然と互いの生きていく道が違ってきたので、「じゃあ、こっからは別行動ね」という発展的解消です。なんかこう書くとキレイゴトっぽくて嘘くさく感じられるかもしれないけど、そーゆーことってホントにあります。てか、実は多いんじゃない?

 日本に帰国し、未だに夫婦別姓になってない日本で、名義変更などあれこれ”事務作業”にいそしんでいるOさんですが、時を置かずまた来豪され、第二幕を始めるのはSさんと同じです。しかし、Sさんにせよ、Oさんにせよ、同日にシドニー空港に着かれ、僕もお迎えにいきましたが、1年経過してこうなるとは。でも、ほんとに人生なんか簡単に変わっちゃうし、もっといえば変わらない人生なんかこの世にあるんか?ってくらいです。


278頁目、 279頁目、 280頁目、 281頁目
 I君(男性)。横浜の大学を休学してきた20歳のナイスガイです。
 長めの髪、物静かでニコニコしているI君は、見た目女性的で芸術家タイプだったりするのですが、実は内面は剛毅で、行動もサクサク&ガキガキやってくれてます。シェア見学初日も、あちこち行かねばならない難易度の高いルートになってしまったのですが難なくこなしていたのを覚えています。飲み込みが早く、又あまり大仰な感情表現をしない人なので、大変なことをやってても大変そうに見えないし、ネガティブな愚痴もまず言わない。危なげがないというか、僕からしたら物足りないくらい手がかからない人でした(^_^)。シェアはNewtownのタイのおばちゃんの家でしたね。ここは過去にも二人行ってます。

 ラウンドでは、タスマニアできっちり働いています。タスマニアって誰もが良いというのだけど、仕事となるとあまり見つからない傾向がありますが、I君はここで幾つも仕事を見つけており、それだけでも珍しいです。その他レンマークやキングストンなどでも仕事を得てますが、印象に残ったのは短期間だけどWWOFFだそうです。家族だけの小さな家なので、何でも作っており、収穫だけではなく、オリーブオイルを作ったりヨガをやったり毎日やることが違うという。総じてWWOFFはお金は出ないけど良い体験をされる人が多いですね。

 I君は食に興味があり、日本でもレストランでバイトしていたそうです。それもあってシェア先のニュータウンはシドニーの食のメッカでもあるし、WWOFFのオーガニックファームは大きな体験だったようですね。また、彼の体験談にはちょこちょこと食に対するこだわりが記されています。帰国した後の就活でも、食関係の方向に進むか、それとも専門(経営学)の方向に進むか迷っておられます。

 温厚な実力派のI君ですが、これから日本でヒラからスタートするでしょうが、僕としては40代くらいの上司になった彼を見てみたいですね。物に動じない彼は、人の上に立ったときが本領発揮という気がするからです。いい上司になりそうで。超氷河期といわれる日本での就活、頑張ってください。でも、行く先々で仕事をみつけること、そして仕事の中から「何か」を抽出する技術と経験は十分に積んだと思いますよ。

加藤聡子さん

269頁目、 270頁目、 271頁目、 272頁目、 273頁目
 福井県出身、看護師さんの加藤聡子さん(女性)。
 加藤さんとはオーストラリアに来られる1年前からメールでやりとりしていました。来られた頃はドキドキ、ガチガチという感じでしたが、このノートを書く頃になると、ふてぶてしいまでの(^_^)貫禄がついてましたね。本当にいいラウンドをされたと思いますが、基礎力錬成のシドニー時代に、Ashfieldのシェアから4か月間、じっくりしっかり英語を勉強して、レベル3から5までいってます。語学というのは範囲が膨大すぎて非常に成長実感に乏しい領域であり、体験談でも「この時期に一番英語が伸びた!」と書ききれる人は少ないです。そう言えるということは、それだけしっかりやられたということでしょう。

 ラウンドの内容ですが、「私、全然働いてないんですよ〜」と言っておられましたが、確かにそれほど働いていない。しかし、お金もそんなに使ってないし、盛りだくさんにエンジョイしています。結果的に非常に要領のいい形になっているのですが、旅先で知り合った人の車でアボガドファームで2か月働き、また旅先で知り合った人の紹介でウーフに滞在して二回目ワーホリもちゃんと取ってます。アボガドは仕事も比較的楽で、給与も良く、ウーフに至っては殆ど何も仕事がなく、大自然の一軒家でのんびりペンキ塗りをするくらいでした。ラッキーといえばラッキーなのですが、最初の計画に固執せず(計画してたところは全部ダメだった)、その場その場の人の出会いを大事にしていった成果でしょう。大体、成功パターンというのはこれで、計画にこだわればこだわるほどドツボにはまるという。

 しかし、加藤さんのラウンドのクライマックスは、タリーでババナファームに挫折して(バスのジャンピングもダメ)以降で、ヒマしてるならということでトコトコと近所の養老院にボランティアに出かけるようになってからです。そこで知り合った、気のいいオージーのおっちゃんの家に無料で何ヶ月も住まわせて貰い、日がな一日のんびり癒され、料理を作ったり、色んな事を語り合ったりしていた時間が宝石のような体験になります。ちなみに、他人の家に何ヶ月も居候なんてありうるのか?なんか下心とかあるんじゃないか?と警戒してしまうのですが、全然そんな心配もなく、善意100%というか、「善意」というほど改まった感じでもなく「部屋があいてるから使えばいいじゃん」くらいの感じだったそうです。加藤さんの前はコリアンのカップルが同じように住んでたそうです。

 もう一点、加藤さんの体験談では、オーストラリアの風景の素晴らしさをちゃんと書いてくれています。ここは誤解されがちというか、簡単に分った気になりがちな所なのですが、風景がキレイだとか凄いというのは、単に絶景とかいうレベルを超えて、途方もない情報量があります。見る人の人生観を揺さぶるし、「生きていることの意味」すらも大袈裟ではなく分らせてくれるだけのパワーがあります。もうそこに居るというだけで、とても意味深い体験になるという。目の前の風景を、単に「○○に来ました」という”情報”として処理しちゃったら勿体ないです。これは、加藤さんのウーフ時代やタリー居候時代の「何もしてない時間が一番の宝物になった」という感覚と同じなのですが、チャカチャカやればいいってもんじゃなく、「味わえ」ってことなのでしょう。

 さて、加藤さんのオーストラリアの旅はまだ途中です。シドニーから北上し、またダーウィンから南下し、タスマニア経由で帰ってきたという東部と中央部を制覇しただけで、一番おいしい西部は最後に取ってあるということです。二回目ワーホリ期間はまだ1年近く残ってますので、これからが楽しみです。

 下の中野さんもそうですが、加藤さんも動画で長いことインタビューを撮ったのですが、これがなんと3GBもあり、且つ他にも動画は山ほどあって編集作業が遅々として進んでません。もうあまりにも溜まりすぎてうんざりしているという。しかし、直筆体験談の内容を直接で喋って貰うとかなりニュアンスが正確にわかりますので、頑張って編集してます。

ラウンド中のインタビュー(ワーホリ14か月目)



Part 1:シドニー時代、英語学校、シェア、全然働いてないこととこれまでの収支決算、ロックハンプトンでのWWOOF、バンダバーグでの”やってられるか”体験 
  
Part 2:Tullyでのバナナのジャンピング、フランキーの家での居候生活、ナーシングホームでのボランティア体験、マリーバでのアボガドピッキング、風景論=単に良い景色という以上の意味、ラウンドのススメ
  
Part 3:ワーホリに来て一番大きく変わったこと、何もない自由で豊かな時間、仕事観の変化、日本での逆カルチャーショック、日本のことをもっと知りたい、オーストラリアの故郷


 ※この頃はマトモにインタビューを全部編集してたのですが、バサバサ削りまくり、ブチブチ分断しまくっても、それでも全部で16ファイルに及びます。
 これで疲れ果ててしまい、以後、「全部編集」という”暴挙”は殆どやってません。本当はやるべきなんだろうけど、何千時間要るんだ!?って世界ですので、無理。逆に言えば学校からラウンドまで網羅的に聞いているのはこの加藤さんのものだけで、その意味ではとっても貴重です。



 その後の加藤さんですが、先日Facebookで話しかけられました。帰国後、看護士として稼働しておられますが、ご結婚されたとのこと。新しい姓でメール貰って、「誰だ?これ」と思ったら、加藤さんでした。
中野彩香さん

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 中野彩香さんです(女性)。愛知県出身。保育士さんです。
 中野さんが来られた週は、一気に4人という仲間が多い週だったのでよく記憶に残っています。Crows Nestからちょっと入ったナレンバーンの住宅にシェア。体験談中「いろいろあって6週間で出た」と書いてあったので、「”いろいろ”って何?」って聞いたら、オーナーの女性はいい人なんだけど遊びに来る彼氏(らしき人)が、その人もいい人なんだけど、妙に波長が合わなくて、、ということです。ああ、このムニャムニャ感分るような気がするな。

 中野さんは、アデレードから奥に入ったRenmarkでファーム仕事をされてます。僕がサジェストしたことになってますが、Remarkという地名は、たまたま帰ってきた人数名から聞いたから、「そういえば」で言っただけです。今もAPLaC出身者が何人か居るそうですが、この種の微妙な流行みたいなものはあるみたいですね。いっとき誰も彼もがPembartonにいってたり、Albanyにいってたり。

 優しい老夫婦二人のファームで温かい雰囲気で働き、続いてバッパーのオーナーのファームで働いていた中野さんですが、事故で大怪我をしてしまいます。詳細は体験談に書いてありますが、トラクターにひかれたという足の怪我で、セスナ機でアデレードまでビューンと飛んでいったという得難い体験をしています。費用も労災で自己負担ゼロ。痛い思いをされたのはお気の毒ですが、まず後遺症はないだろうし、怪我は治るが経験は一生モノです。

 しかし、「一番しんどかったのは?」と聞いたら、怪我のことではなく、財布を無くしてパニックになったことでもなく、語学学校の最初と最後だったそうです。まずレベル4から入って打ちのめされ、最後に僕が「黒帯レベル」と呼ぶレベル5に進級してボコボコにされたことが一番しんどかったと。逆に「一番心に残る宝物になったことは?」と聞いたら、台湾人の親友を得たこと、シドニー以上に長期滞在したレンマークだそうです。ああ、これも分るような気がする。かけがえのない財産ですよね。

 さて、これをUPする頃には1年ぶりの日本に帰国されていることでしょう。すっかりオーストラリアに馴染んで、「ところで今の日本の首相知ってる?」「え、麻生さんでしょ、え、違うの?あ、政権交代したとか言ってたな〜」という逞しい浦島ぶりでしたので、逆カルチャーショックを楽しんでください。


ラウンド終了時のインタビュー



シェア移動と二回目のシェア探し/ファームでの負傷→救急セスナ搭乗体験/財布を無くした!事件/英語の壁の洗礼/ファーム生活/台湾人の親友/「まったく全然違う」展開になった/来て良かった!/最後に〜日本の皆へのアドバイス




260頁目261頁目262頁目263頁目264頁目
 Iさんです(女性)。九州は福岡出身。
 僕の感覚では、Iさんってもう長いことこちらにいるような気がします。一回目のワーホリで来られたのが2007年10月で、終ったのが2008年10月。二回目ワーホリが始まったのが2009年10月。しかし、1年間のブランクの間もちょこちょこ観光ビザでオーストラリアに来られ、荷物の差し替えその他でよくウチに立ち寄ってくれているので、僕の印象ではずーっとオーストラリアに居るような気がします。なんかもう永住権取って住んでるみたいな感じ。

 Iさんって、スラリとしてわりとクールな雰囲気で、あんまり「汗かかない」ような印象があるのですが、体験談を読むと汗かきまくってますね。「ラウンドしなかった組」とか言いながらも、べった5か月ファームで土と作物と格闘しているのだから、立派にラウンドしてるんじゃ、、、。というよりも「ラウンド」の定義が人によってバラバラなんですよね。なにも「グルリと一周」することがラウンドではないと思うのですが。
 それはともかく、Iさん、記憶力がメチャクチャいいのか、コマメに記録を付けているのか、ファームジョブの内容と給与がビシッと列挙されています。これはかなり参考になるのではないでしょうか。ファームジョブは運だけど、競争率が高く、わりと儲からない(ファーム側の買い手市場)東海岸でよくこれだけ頑張ってきました。またよく見ると、女性にしてはコントラクト仕事(請負制、時給ではなく一カゴ収穫したら幾らという出来高払い)が多いなという印象です。コントラは体力勝負の場合が多く、本人も「めっちゃ、キツイ(コントラに限って言ってるわけではないが)」と書いてますけど。またバッパーの情報もオマケに書いてくれてます。 

 これからは西の方も廻ってください。もうキャリア十分だし、ディープに廻れると思います。

 そうそう、ビールの差し入れ、ありがとうございました。丁度、ウチに来ていたピカピカの1年生(来て数日のシェア探し最中)の彼女たちは、あとでIさんのことを「カッコいい!」「なんかもう”大人”って感じ」と眩しく感じたそうです。まあ、オーラが違うもんね。



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 Kさん(女性)です。
 これからWWOFFに行くという直前にノートを書いていただきました。本当はWWOFF体験も書いて欲しかったのですけど、そのまま帰国されるということで。もっともまた9月には戻ってこられるというので、お楽しみはその後に。

 マイペースのKさんは、淡々とシェア探しもこなしていました。本人は「ビビりながら」とか書いてますけど、あんまりそうは見えなかったけど。でも、なぜか電話をかけそびれていたGreenwichの物件を3日目に見に行ってそこがドンピシャとハマり、ご機嫌に過ごされてました。

マイペースなだけに、自分の好き嫌いの基準はハッキリしているようで、こういう人は動くにあたってもパキパキしてて楽でしょう。シェアもパキッと決めてたし、学校での先生の好き嫌いも如実に出てて、ダメ期はサボってひとり遠足=クロヌラまで行ってるという。ここで家でウジウジしてなくて、シドニーの南端のクロヌラまで行くというところがエラいですよね。大体においてマイペースな人というのはフットワークが軽く、何の予兆もなくポンと動く傾向がありますが、マイペース=自分の好き嫌い価値観がハッキリしてることが、行動の原動力になっているのではないかと思います。

 ラウンドの相談も受けましたが、行き先をパースにするのもパキンと決めておられましたね。「あ、いいね、それ」と思ったらもう動くという。ラウンド先の行動を見ていても、あまり必死度が感じられず、そうかといってまったり沈殿しているわけでもなく、いい感じでやっておられます。マーガレットリバーでは一人で毎日トコトコ歩いて違うビーチに行ってみたり、”なんちゃら”灯台(多分The Cape Leeuwin Lighthouseだと思われる)に、YHAのチャリを借りて、雨に降られ、自転車が壊れそうになりながらも行ききったことに誇りを感じていたり。ファームの仕事もあれこれやってますし、そこで親友と呼べるような素敵な出会いもあるし。そうかと思うと、いつの間にかシドニーに戻ってきて、グリーブ(フォレストロッジ)のパブでバイトを始めたり、二回目ワーホリの日数が足りないので慌ててWWOFFに出かけたり、、、

 この紹介文を書いていて僕も段々わかってきたのですが、Kさんの体験談はそのまま「マイペースとは何か?」を考えるよい教材(笑)です。行動の基準になるのは自分自身の感性だけで、それ以外はない。もう徹底的に無い!って感じ。「皆はどうしてる?」とか「一般的には〜」とか考えない。だから、ワーホリ的なドラマツルギーにも当てはまらない。誰かの作った感動的なワーホリスートリーになぞらえて、自分の居場所を確認し、自分を当てはめようという気もサラサラない。動くときも常に一人ですしね。大体二回目ワーホリ日数が足りないなら、シドニーに帰ってこなくてもうちょいファームをやったらいいじゃんってツッコミもあるわけですが、Kさんにとってはそーゆーものでもないのですね。僕は、こういうKさんのやり方は、ワーホリ(ひいては人生)において、最強レベルに正しいと思います。だって自分の時間なんだから、どう使うかの判断は自分以外に無いはずですから。もっとも、こんなこと言っても、Kさんにとっては正しいかどうかなんか興味ないと思いますが(^_^)。

 本人は「スロースターター」と書いてますが、それがKさんのタイム感なのでしょう。9月以降の二回目ワーホリが楽しみです。気がついたら何故か南アフリカにいます、とかいう展開になってたりして。なにしろ展開が読めないですから。



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  Tさん(女性)です。彼女はとても頑張り屋さんで、「英語が出来るようになりたい」「海外でちゃんと働いてみたい」という誰もが思うような希望を、彼女ほどガチで取り組み、突き抜けていった人はいないかもしれません。時速160キロのド真ん中ストレート一本って感じ。「まあ、そこそこでいいか、、」という、よくある「逃げ」を一切打たず、愚直なまでにトライし、トライし、トライし、トライしきって遂に獲得したという。
 まず第一段階では英語。ある程度英語慣れはしているけど、その分、基礎文法を曖昧なまま誤魔化してきているという、これもよくあるパターンですが、この弱点の徹底克服を心がけ、学校でも上のレベルにあがれるのに敢えて下のレベルに留まり、地道な文法習得。これは出来るようで出来ないことです。「上に上がりたかったら足下を固めろ」という定番の必勝法なのですが、実行は難しい。これをやりぬいて、クラスのテストで95点をゲットし、満を持して黒帯レベルのレベル5に上がります。
 バイトも、通学中はローカル仕事に挑戦し続け数十連敗。目先をかえた(シティではない)サバーブのジャパレスに入ったら、これが転機になり、ベビーシッターなどガンガン自分から貼り紙をしたところ、予期せずオージーネットワークが広がっていき、あれよあれよの人つながりで第二のシェア先をゲット。このあたりからこれまでの蒔いた種が発芽していき、世界がひろがっていきます。
 学校卒業後は本格的に100%ローカルのオフィスワークを探しますが、ここで2か月間、学校ナシ仕事ナシの停滞期を迎えます。マシンのように履歴書を送り続け、なんと200連敗。それでもメゲずにやっているときに、昔の布石が効いてきます。シェアハウスのオーナーをはじめ、現地でのtwitterで知り合いを広げ、そして将来のボスと知り合い、めでたく仕事をゲットします。サーキューラーキーのオフィスの日本人ゼロ環境で、ちゃんと給料も人並みに貰って仕事が始まります。が、やってみたら仕事そのものは日本と同じだったという。まあ、でもそれを確認するのは大事なステップです。

 しかし、仕事そのものよりも、仕事を取り巻く環境が大きな経験と学びの場になります。オージーの仕事スタイル、それにも増して週末のパーティー&パーティーの世界。会社持ちの会費400ドルのオージーバブルを体現しているようなゴージャスパーティにも参加したり。そして、ネガポジのように後半戦は、いきなり30%の人員削減、さらに毎週コンスタントに人が去るという、「海外のリストラというのはこういうもの」という凄まじい現場体験をします。でも本人は「もう体験したし、いいか」と思ってたので退職勧奨+1か月分の予告手当をにんまりとゲットし、最後の2か月オーストラリア中を旅行で飛びまくります。ローカルの正社員の給料は高いですからね。軍資金には事欠かなかったでしょう。
 ということで、初期の優先順位に忠実なだけに、旅行はしたけどラウンドはせず終いでしたが、シドニー生活をここまで充実させた人は珍しいでしょう。ほんといい経験をされたと思います。特に、オーストラリア人の本当のスタンダード世界(普通の暮して普通に働くという)、「普通」にここまで肉薄できたのは計り知れない体験だったと思います。海外における仕事をとりまくダイナミックな環境。ジョブゲットまで数百連敗はザラであり、馬鹿正直に履歴書を送るだけではなく、あらゆるコネ、ツテを活用すること。そういえば彼女には言い忘れてましたが、永住権取った後の最初の仕事(とにかく最初が難しい)については、400連敗、1000連敗という話も聞いたことあります。そこまで超ハードな思いをしてゲットした仕事なのに、その仕事にしがみつくかというと全然誰もしがみつかない。考えてるのは週末をいかに楽しく過ごすことだけというパーティ三昧。そして、数ヶ月単位であっさりクビになり、「また探せばいいじゃん」という繰り返し。これが「海外で働く」ということです。サーフィンみたいにダイナミックに浮き沈みし、そして波をつかむ。つかんだと思ったらすぐ終る。でもそれで良いという。よくぞここまで辿り着き、ここまで体験したものです。エライです。
 彼女は今、日本に帰国しましたが、「とりあえず着替えとシャワー浴びに」日本に帰るだけで、人心地ついたらまた別の国に行くでしょう。ここまでノウハウが分かったら、あとはそれをフル活用しなきゃ嘘です。世界中に友達もできたことだし。世界中を見ておいでなさい。

 彼女も筆まめ君でしたので、律儀に経過報告メールを送ってくれてました。編集してHTML化してますので、あわせてご覧下さい。また、彼女自身のブログもあります。


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  大阪のAさん(女性)です。荷物を取りにウチにこられたときに半強制的に書いていただきました(^_^)。最近体験談が少ないのですが、皆さん「日本に戻ったらまた送ります」「メールで必ず」とか言いながら、多忙な日本環境に呑み込まれるのでしょうか、未完の約束の嵐になっています。いい話は山盛りあるのですが、全然発信されない。これではアカンと、飛んで火に入るAさんに「はい、じゃこれね」と書いていただいたものです。それでも、「私、根性ないし」「全然苦労してないし」「皆の参考にならないし」と盛んに固辞するAさんですが、聞いてみたら山あり谷ありでメチャクチャ面白いのですね。とりあえず第一部シェア生活編だけでもということで。ただ、これも、会話してれば山ほど「あんなこともあった」と出てくるのですが筆を取るとピタッと止る。
 シェア6か月、ラウンド(カナナラ)9か月というシンプルで骨太なワーホリ生活ですが、カナナラも一ヶ月全く仕事がないときもあり、4回クビになったり、結局仕事がないまま消えていった仲間が沢山いたりと、それこそ皆が聞きたいエピソード山盛りなのですが、これは次回ということで(書いてくれい)。ファームどっぷりだったので、シドニーに戻ってくるとき上空からビルが林立するのを見ただけで、もうイヤって感じになったそうです。「日本に帰ったらどうなっちゃうんだろう?」と多少不安げ。しかも、その日本不適応体質を助長するかのように、彼女はこれからインドに旅立つそうです。ラウンド先で世界中のバッパー達と話していると、「行きたい」という思いが募ったそうです。1か月の予定ですが、どうなることやら。というのは、彼女、もともとオーストラリアのワーホリは半年だけの予定だったのですね。「半年で必ず帰りますから」と来た当初はかなりキッパリ断言してたのですが、それが二回目ワーホリを取って未だ滞在途中、そしてこれからインドでしょ?一ヶ月というのもどうなることやらです。世界一周しちゃいそうだな。そうなったら、体験談書いてくれるのかしら。てか、そもそもオーストラリアに戻ってくるのかしら(元シェア先に荷物を預かって貰うそうだから帰ってはくるだろうけど、しかし、、、)。


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 富山県の建築事務所に勤務しておられたMさん(女性)です。
 微笑んでいる顔しか思い出せないような、いつもニコニコして屈託のないMさんは、文中にも出てくるようにスノボが大好きで、毎朝10キロ走ってるスポーツウーマン(本当はシドニーマラソンにも出たかったそうです)です。でも体育会系的なノリは全くなく、態度もいたって物柔らか。天真爛漫といっていいくらいジメついたところがなく、ちょっと古い言葉でいえば”のんしゃらん”とした感じ。この雰囲気は、一つ前のOさんに共通するものがあります。

 こういうタイプの人は強いです。おそらく芯が強いから、表面上は穏やかでいられるし、マイペースでもいられるのでしょう。この強さは決断力、瞬発力、突破力という形で出てきます。シェア探しでも、前に出てきたワーホリ長者のO君と同じ遠距離Earlwoodをさくっと決めてます。大体シェア先が遠い人ほど成功するという大雑把な法則があるような気がしますな。ちなみにシェアを見に行って、家の人に引き留められ5時間も過ごしたというシェア見学一カ所最長滞在記録歴代二位です(一位は11時間という人がいる)。

 でもって、ブルームでの職探しでも、同じ会社に断れても断れても毎日毎日顔を出し、ついに4日目に向こうが根負けして雇ってくれたという。その頃は1日十数件日課のように廻ってたそうです。それほどの苦労をして決めた職も(しかも給料もいい=祝日時給33ドル)、スノボやりたい一心であっさり辞めて雪山へ行っちゃう。タメライの少ない決断力、ここぞというときの集中突破力、さらにポーンと方向転換できる瞬発力、これって心の根っこが強くないと出来ないですよ。だからこそ、”のんしゃらん”と出来るのでしょう。ちなみに英語でも”nonchalant"っていうからもともとは英語?


 「食べ物にだけは恵まれているんです」と言うMさんですが、なんかこの人見てるとゴハン食べさせたくなる衝動にかられます。シェア時代には、いつもご近所さんに呼ばれてゴハンをご馳走になっていたという。こんな人初めてだわ。スキー場のバイトではキッチンのシェフ達と仲良くなっていつもゴハンを貰うわ、ファーム見学にいけば大量の野菜を貰って帰るわ。この体験記を書いてくれているとき、僕もなんか作ってあげねばという気になり、ソーメンを茹でたりしたのですが、何なんだろう、彼女のこの不思議なパワーは。

 金銭面でもあんまりケチらず、シドニー時代もラウンドもガンガン遊んでいたMさんですが(4000ドルのツアーに参加してたりするし)、あんまりお金も減ってないのですよね。オーストラリアIN/OUTで結局トータル幾ら全財産が減ったの?と聞いたら、正味50万円くらい、最大見積もって100万くらいだそうです。でも現在の手持豪ドルが9000ドルなら減ってないじゃん、、。

 こう書くと、いかにもノホホンとやってるうちに周囲が上手く廻っていくラッキーパターンを想像するかもしれないけど、でも、これ実力だと思います。凄いことやってるんだけど、ほんわかキャラのせいで凄いと感じさせないだけでしょう。知らない街で断れながらも毎日毎日同じ会社に顔出せますか?それをやれちゃう突破力あればこそだと思います。年齢的に二回目ワーホリは無理なのだけど、でも、これだけ堪能すればいいでしょう。そういえば、直感とひらめきで動いて、結局エアーズやメルボルンなどナイスなエリアをミスっている点も、下のOさんと似てますね。

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 Oさん(女性)。ほっそりして背が高く、物静かでニコニコしているOさんは、モデルさんかお嬢様風なのですが、実はコテコテの大阪人でありました。

 門真の名門パナソニックに勤めていたのも実はチアリーダーやりたい一心からだったり、表情を崩さずに時折ボソリと面白いギャグをかますという渋い芸風が好きだったり、一筋縄ではいかないところはやはり大阪人。

 そんなOさんらしい1年4か月だったと思うのは、例えばシェア探しでたまたまランチを買い求めたケバブ屋で、店の人から「シェア探してるの?ウチの2階空いてるけど、見る?」と言われて、そこに即決しちゃったりするような所にも現れています。


 また、ラウンドの最初の目的地もWAのデンマークという小さな町に”ガイドブックで見て気に入ったから”で直行したり、そこで仕事を探している最中に意気投合したカナダ人のおっちゃんの車で一ヶ月二人きりで旅に出ちゃうし。ニコニコしながらボソっと結構凄いことをカマしてくれるのですが、本人は「意気込んでいたほど冒険も挑戦もできなかった」等と書いてて、あんた、やっとるやんけ!ってツッコミ入れなあかんのかしら。

 ただ、真面目な話、この人は本当に決断力があるし、洞察力があるのでしょう。
 行き当たりばったりに決めているようですが、実はこれが一番難しい。自分の判断力に自信がなければポンと即決できないし、またその判断が正しくなければドツボにはまったりもしますもんね。それを難なくまとめあげてるあたり大したものです。

 また、細かく見てるとそこそこヒドイ目にも遭ってるのですが、ぜーんぶ「これも良い体験です」でクリアしちゃってるんですよね。この咀嚼力、”精神の胃袋”が強いというか、こういう人は強いです。ちなみに英語力的には、某学校のビジネス2という相当難易度の高いクラスまで上がってます。直前のHさんもそうですが、大体このクラスで揉まれた人はラウンドにせよ何にせよ危なげないですね。

 時折旅先からメールをくれていたので、これも添付しておきます

 ところで、タスマニアとかブルームとかナイスなエリアをミスっているので(本人も心残りとか)、まだ2回目ワーホリ期間は8か月残っているので気が向いたらリターンしに来てください。
 
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森雅彦さん

 森雅彦さん(男性)は、ギターとバイクが趣味のシェフです。日本ではイタリア料理屋で腕を振るっていました。
 のんしゃらんとした、ベトつかないたたずまいの森さんは、ドカティ(イタリアのバイク)を買うかワーホリに行くか迷った挙句ワーホリを選択。


 彼の最初のシェア先はMarrickvilleで、ちょっとアーティスティックな年長の女性とのシェアでしたね。庭にハーブが沢山あったのも覚えています。そうそう、その前にデポジットを300ドルも渡してしまったBurwoodのシェア先に「キャンセルしたいんだけど、幾らかでも戻ってきませんか?」と交渉して200ドル返して貰ったこともありましたね。「言ってみるもんですね」って。

 饒舌でもないし、かといって寡黙なわけでもない森さんらしい体験談になりました。何の脈絡もなく、いきなりサビから始まって終わるという、まるで路上襲撃ギグのような体験談でした。でもって文面から巧まざるユーモアがにじみ出ているという。らしいな〜。もの静かな彼ですが、ある意味とっても男っぽい人で、愚痴や泣き言いってるの聞いたことないです。「いやあ、ちょっとヘコみましたかね、はは」てな感じで流してしまえる強さがあります。友達多そう。

 今も二回目ワーホリ続行中で、シドニーでシェフの仕事を探しているようですが、なかなか苦戦しているようです。そうそう、先日は、ビール1カートンさくっと「お土産です」と持ってきてくれて、重かったろうに、ごっつあんでした。また、帰る前にお立ち寄りを。↓で、義理堅い彼は立ち寄ってくれました。


★AUS2+NZ1=WH3年制覇時点でのインタビュー

動画館ショートクリップ集
CLIP No.05 :「友達は、ほんっと広げてくれるなあ、ありがてえ!」って。

 いい感じでオーストラリアWH2年をやっつけ、さらに「ここまで来たら」でNZワーホリもやってきた時点でのインタビュー動画です。貫禄あります(^_^)

 上のギター持ってる写真は、まだ来た当時のもので、「ギターが趣味のシェフ」と言われたら「なるほど」という感じですが、3年修行すると、今度はなんか「武芸者」みたいな佇まいになりますねえ。
 もっとも、気さくで、のんしゃらんとした感じは相変わらずでしたが。



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 広島出身Nさん(女性です)。
 ちょうど1年目ワーホリが終わりこれから2回目に入るという時期に、たまたまウチに荷物を取りに来られ、「時間がたつと忘れちゃうから途中でもいいから書いて!」ってお願いしました。白紙の用紙に隅々まで元気一杯に書いてくれました(スキャンすると端が切れちゃうのですが、なんとか読めるでしょう)。

 Nさんはスキューバのインストラクターをやっており、かつアマチュアながらサックス奏者でもあります。シャイな照れ笑いが印象的なほっそりしたNさんですが、実は結構アウトゴーイング。サックス演奏がもとで多くの人たちと知り合いになってますし、ブルームでは真珠取りの船にのってクジラやジュゴンに癒されるというアクティブな日々を過ごします。シェアはボンダイのバングラディッシュ人夫婦のところで、本人いわく”大正解”という日々を過ごしました。シェア先まで送りにいく車中、「いやー、一週間前(まだ日本にいる)とき、まさか自分がバングラデシュ人と暮らすようになるとは全く想像してませんでしたねー」と言っていたのを覚えてます。

 このようにワーホリ生活を120%満喫されているNさんですが、最初からトントン拍子に進んだわけでもなく、むしろ逆。来るときには荷物を多く持ってきたり、シェア探しも最初ビビったり、お金がなくて不安でしょうがなかったり、誰もが通る道をキチンと通ってます。ラウンドに出るのも僕に「ウダウダ言わずに行ってきんしゃい!」と背中を押されて行ったようなものでしたし、行った当初も仕事がなくて苦労します。でも必ずどこかで”運命感じちゃいます(本人記)”的なターニングポイントがあり、1000ドルだけ持って出た旅先でも瞬間最大風速1万3000ドルまで増やし、過ぎてみれば日本に一時帰国した後、猫まっしぐら状態で再びブルームに飛んで帰ってます。

 誰もが感じる不安を抱え、誰もが通る道を歩いてきたNさんは、「1年前の自分へのアドバイス」というこの体験談の基本コンセプトに忠実に、最後にまとめてアドバイスを書いてくれてます。1年後にまたヴァージョンアップした体験談を書いてください。

 なお、同じ週にこられた同期のYさん(女性)は、学校卒業頃からプロのダンサーとしてシドニーの舞台に立ち、やがてマカオや日本でも定期的にステージをこなし、今は永住権申請の準備に入ってます。彼女にも体験談書いて〜ってお願いしてるのですが。

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 島根県のSさん(女性)です。大学生卒業後ワーホリに来られました。彼女もかなり頑張っていて、壁にぶつかる度に上にあがっていくという典型的なパターンで、最初のシェアも中々決まらず取りあえず「3週間だけ」という暫定シェアに行ったらオージーの優しいお姉さん方3人に可愛がられてハッピーなスタートを切り、さらに3週間で精力的に見て回りベストシェアを確保しました。以下同じパターンで、突撃しては壁にブチ当たり、クリアしてはまた壁にの繰り返しです。

 したがって本人の体験記を読むと、主観的な浮き沈みが前面に出ているのですが、客観的にはこの人かなり凄いことやってます。

 例えば語学学校でいきなりレベル5から始まる人は少ないですし、また学校で月間MVPに選ばれるのも凄いことです。シェアもNewtownで135ドル・オウンルームというのは掘り出し物ですし、レストラン街でレジュメを配りまくってアフリカ料理屋で働き、しかもオーナーと喧嘩するところまでやってます。この部分はシドニー時代の一つのピークですが、こうやって英語でガチンコで喧嘩できるのようになるかが英語修行の一里塚です。だってフレンドリーな雰囲気だったら言葉要らないもんね。マジに険悪になったときにどれだけ駆使できるかが本当の語学力でしょう。ラウンド先でも楽しくやってます。最後のケアンズでは地元の人に可愛がられてステージにギター持って出たくらいです。

 だがしかし、ああ、それなのにそれなのに。どこでどう魔が差したのか、里心がついて9か月で日本に帰ってしまいました。本人的にはあとでメールで「後悔の涙が止まらない」と書いてあったくらい”魔が差した”のでしょうが、その思いが強いせいか、冒頭(215頁)から「突然ですが日本に帰ります」という帰国話から話が始まるという映画のような展開になってます。オマケに体験談の添え書き(227頁目228頁目)もつけておきましたので、分かりにくい人はそちらから読んだ方がいいかも。

 ちなみに、早く帰って後悔するパターンは「早くラウンドに行かないで後悔する」パターンと並んで非常に多いです。過去のHさんもそのパターンで、彼女は今オーストラリアに学生ビザで帰ってきてケンブリッジコースを受けています。海外に長いこと居ると、あるとき、ふと日本がとてつもなく素晴らしい所のように思えるときがあるのですね。でも、そんなに素晴らしかったら最初からオーストラリアなんか行こうと思わなかったわけで、帰国してから何故渡豪しようと思ったのかを思い出すという。

 Sさんには、僕が日本に帰省するときハウスシッティングもしていただきましたし(ありがとうございました)、僕のサブのギターを貸してあげたギタリスト仲間でもあります。メールの返信にも書きましたが、日本に帰ってきたと思わず、「また別の国にきた」と思ってオーストラリアと同じ感じで頑張ってくださいまし。あの調子でやっていったら相当なレベルまでいけるよ。今は不況感漂う日本で就活しておられるでしょうが、雇い主の皆さん、Sさんを採用しなさい。この人、大物になりますよ、雇って損はしませんよ。

町田さんと樋口さん
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 町田裕美さん

 北海道出身の町田さんは、保育士さん。オーストラリアに来たのはワイルドフラワーを見に来たというMさんは、”今なら死んでもいい!!”(原文ママ)というくらいの絶景体験をして所期の目的を貫徹。しかし、読んでたら、僕も見てみたくなったぞ。

 ”英語は気合だ”という力強くのたまう町田さんですが、実は学校でも真剣に勉強もしてました。シェア先はCampsie。学校からの帰り道、Newtownにある Kai on King(僕もレストランガイドでオススメしてます)で働きつづけてます。通学期間の最後の方だけシティでシェアしたのですが、「こら、あかん」と一刻も早くシェアに出たかったそうです。

 町田さんはワイルドフラワーに憧れて渡豪したくらいですので、感性が大らかで、芯が強いというか芯が太い方だと思います。300ドルだけ持ってラウンドに出たり、勉強もかなりしてるのに一言も触れてなかったり、やや距離のある通学通勤をしてるけどそれも触れてないし、ベジマイト好きだし、日本人特有のヒヨワで、線の細く、ネガティブなところが殆どないのですね。感受性はかなり鋭いのだけど、ヒヨワではない。この差は巨大でしょう。

 それは、TOEICの試験勉強で、分からない問いは空白にしたいのに「空白にしたらダメ」という受験指導を受けて悲しい気分になるところにも現れています。ヒヨワさに伴うセコさやズルさが全くない稀有な魂の持ち主だと思います。最後の最後にのんびりしてて飛行機に乗り遅れ、ウチでもう一泊した町田さんの所持金は「宿代払ったら空港まで行けないじゃ、、、!?」という豪傑ぶりでした。今頃は、故郷の札幌にアイリッシュの彼氏を招いているのでしょうか。しばらくしたら彼と二人でNZワーホリに行くそうです。そうですね。あなたには日本は狭すぎるかも。

 可愛い鳥のイラストが散りばめられていますが、宿主に頼まれてバッパーの壁に絵を描いた人というのは、僕の知る限りあなただけです。

 ちなみに上の写真(新たに付加)の左側の方が、下記のメールの文中に出てくる「永住権を取って暮しているとされる樋口さん」です。ここでも体験談を書いてくれてます(164頁以降)。彼女も頑張り屋さんで、わずか4か月間で語学学校のレベル2→5まで駆け上がったという最速記録保持者です。9か月で燃焼して切り上げた筈のワーホリも、帰国中の飛行機で「やべ、間違ったかも、、」と思い、帰国3か月で辛抱しきれずまたオーストラリアに学生ビザで舞い戻り、そうですか、永住権取れちゃいましたか。また、その後のお話も聞きたいものです。

 →その後、連絡があり、今では現地の方と結婚され、一児の母となっておられるそうです。Belmoreに住んでおられ、一括パックで頑張ってシェア探しをしている人を見かけ、「もしかして、田村さんのところの?」「渡しもやらされましたよ〜(^_^)」と話しかけてくれたそうです。

 そういえば、お二人とも、シェアはCampsieのコニー宅でしたね。「シェアは西に行くほど成功する原則(というかジンクスというか)」が、また確認されてしまいました。

3年後のメール〜 NZ、アジア、アイルランド、そして今はカナダ

 上の紹介文の最後に「日本は狭すぎるかも」と書いたとおり、その後もNZ、アイルランド、今はカナダで3度目ワーホリをやっておられます。といっても「出ずっぱり」ではなく、帰国時にはキチンと就職しておられます。しかし!その仕事も、海外輸出をしている社長秘書として英語に携わるだけではなく、アジア(シンガポールやマレーシア)などに嬉々として出張に行っておられます。さらに退職後も、社長の旦那様の不動産投資のためにフィリピンに同行されるなど、だから「帰国就職」といっても、より海外に出るためにやってるような観もなきにしもあらず。

 ご紹介するメールは体験談として書いて貰ったものではありません。単なるエッセイのファンレターであり、「お久しぶりメール」に過ぎません。また「ワーホリでこんなに頑張ったから人生が開けました」みたいなテーマのもとに書かれているわけでもありません。本当に普通の世間話のようなメールなのですが、それだけに”大事なもの”が「垣間見える」と思います。

→3年後のメール〜 NZ、アジア、アイルランド、そして今はカナダ

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 O君(男性)です。ラウンド(ファーム仕事)でトータル2万7000ドル稼いだというのは、APLaC史上(この時点での)長者番付筆頭でしょう。1万ドル台はそこそこいますけど、2万7千というのはすごい。

 彼と次のSさんはカップルですが、最初からそうだったわけではなく、学校で顔見知りになり、ラウンド先で再会し、以後1年以上仲良く旅をしてこられました。

 O君は、ご本人も書いているとおり学校に入っても一番下の初級クラスから始めており、シェア探しでも2週間丸々かかって、”ダブりのOさん”というありがたくない異名を献上されておりました。最初は結構大変で、シェアの見学にいった先の女将風の豪快なオバちゃんに、「あんた!もっと自信をもって大きな声で言いなさい!」と説教されてたのを覚えてます(そういう女将自身、名詞は全部単数だわ、時制は全部現在形だわのスゴイ英語だったけど)。

 よく頑張ったわけですが、彼の頑張りはナミではないです。本人はサラッと書いてますけど、上のSさんによると学校時代のO君は「勉強一筋って感じで接点がなかった」そうです。また、ファーム時代の彼を知る人によると、"He is a machine!"と言われていたようです。物柔らかでサラッとしたナイスガイなのですが、「当たり前のことを当たり前に出来る」人としての強さが彼をして稼ぎ頭に押し上げたのだと思います。決して要領のいいタイプではないのですが、要領の良くない人が結局は一番強いんですよね。

 貯まりまくった貯金で中古の四駆を即金でポンと買って、Sさんとラウンド後半戦に乗り出しますが、これだけ稼げると強いですね。所持金が殆どゼロになるまで遊び、底をついたらまた働いて貯めるという。ほんとオーストラリア全土でタイムリーにガツンと稼いでますが、そのコツは、多分彼に言わせれば”当たり前のことを当たり前に”やればいいだけなんでしょう。割のいいファームを探す、見つかるまで探す、それだけ。それが出来る人と出来ない人がおり、彼は出来る人だということです。しかし、本人的には”当たり前”のことなので、体験記はそれほど力説されてません。

 その代わり、あの美しい海で有名なエスペランスでイカが釣れて、しかも美味という初耳情報が多いです。しかし、「アクセル踏んでないとエンストする車」でブルーム=シドニー間を突っ走ってきたのはすごい。それって日本〜インドネシアくらい離れてない?

 新潟出身のOさん、今ごろは雪の降り積む故郷でしょうか。あ、先に(Sさんの)神戸に行くとか言ってたな。
 後日談:OさんとSさんは、帰国後、めでたく挙式されたそうです。末永くお幸せに!

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 Sさん(女性)は神戸出身。Oさんと一緒に挨拶に来てくれて、ウンウン唸りながら、5ー6時間かけて書いてくれました。折りしもその日、シドニーは40度という溶けるような暑さ。でも二人とも「いやあ、ファームで慣れてるし」としれっと黙々と書いてくれました。

 彼女のシェア探しそのものは順調だったのですが、最大の難所は気に入ったところが週200ドルと高い点でした。「うーん、、」としばし沈思黙考。「決めた!」とそのブラジル人の超陽気なオバちゃんの家に行きましたが、これが正解。以後、お金の呪縛から解かれたのか、もとからそんなものないのか、学校時代は飲み歩き。ラウンド先でも所持金200ドル切っても「大丈夫!」と力強く書いてくれています。APLaC仲間でもあり、学校の知り合いでもあったO君(↓)とラウンド先で知り合い、以後O君と旅を続けます。相方のO君がガンガン稼ぐので霞みがちですけど、実はSさんもしっかり稼いでます。

 旅の内容は、同行者のO君と同じものなのですが、書き手が違うとやっぱり全然違います。旅先情報も豊富です。バッセルトンやエスペランスは僕も行ったけど、沈没船ツアーなんか知らんかった。いいなあ、ワーホリ。旅先で時間がたっぷりあるもんなあ。しかし、豊富なのは時間だけではなく、このカップルの場合軍資金も豊かですね。しかも、どこででも稼ぐ自信があるから、ギリギリまで使い果たせるというのが強いです。NZ温泉めぐりまでやって、キッチリ使い果たしてきました。この豪ドル安だし、それで正解でしょう。

 今ごろは、日中でも10度以下という真冬日の神戸で、O君と二人でこごえているのでしょうか。


  298頁〜最新
記載時期 2010年9月〜現在
  第三分冊 203頁〜297頁 記載時期 2009年1月〜2010年09月
  第二分冊 101頁〜202頁 記載時期 2006年6月〜2009年1月
  第一分冊 1頁〜100頁  記載時期 2001年9月〜2006年6月


皆の写真館
APLaCを訪ねてこられた皆さんのスナップショット集。単あるパーティ写真だけではなく、シェア探しのリアルな記録や、1年でこんなに成長した”Before/After”など

みんなの動画館
一括パックで来られた方々の最初の一週間終了時のインタビュー、実際にシェア先の中まで入っていっての映像、レストランや移動中などのオマケ映像、さらにはワーホリを終えて帰る方々のインタビューも掲載しています。

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