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2020年05月20日初掲


塩澤夏那子さんのワーホリ体験記
2014年7月〜2015年7月

出発まで

【わたし、ワーホリに行く!】

ぼーっと大学に通っている途中で将来について考えた時、小さい頃から大好きな犬に関わる仕事がしたいと思い、大学を早期卒業して動物の専門学校に通い直しました。しかし、専門学校に通っている途中で犬猫をはじめとする動物全般のアレルギーがあることが発覚し、途方に暮れていました。

日本が大好きで一歩も日本から出たくないくらいだったのですが、専門学校で出会った海外志向の友達がグアム旅行に誘ってくれ、生まれて初めて海外(グアム笑)に行きました。ほとんど日本語だけで通じましたが、帰りの飛行機に乗る直前、空港で日本語が一切通じない現地民と身振り手振りで会話してなんとか通じた時に、今までに感じたことのない興奮を覚え、ずっとワクワクしていたことを覚えています。その後少ししないうちにはもう心に決めていました。「わたし、ワーホリに行く!」と。

長野県出身で暑いところは苦手なのでカナダに行こうと思いましたが、日本すら一人で旅をしたことがなく、家族を溺愛しているので、いきなり16時間も時差があり家族と電話ができないなんて耐えられない!と思い、NZに行こうと思いました。しかし、当時NZで大きな地震があった後だったので母に反対され、じゃあ隣のオーストラリアにしよう!と軽い感じで決めました。

オーストラリアならなんとなくオシャレそうなメルボルンがいいなと思い情報収集を始め、田村さんのウェブサイトを発見しましたが、すぐに引き込まれ、朝も夜も1カ月間コラムを読み続けていました。最初はこれを全部マスターしてメルボルンで実践しよう!と思っていましたが、1カ月読み続けても全く終わりが見えないほど莫大な量の文献、、、「いやこれ本人に会ったほうが早いな。」と思い田村さんにメッセージを送りました。

特にこれといった理由がなくワーホリに行こうとしている私を田村さんが見逃すはずもなく、返信ですぐに叩きのめされ、あまりに図星すぎて悲しいのとなぜか嬉しい気持ちで涙が止まらなかったことを覚えています。

田村注:
あの〜、いきなりで悪いんですけど、このあたりをもう少し詳しく。読んでる側としては、これだけ新聞のテレビ欄みたいに煽っておいて、中身が書かれてないと、すごいフラストレーションがたまるというか、なんの話なんだろ?って思うんじゃないか。


塩澤回答:この時の衝撃的な気持ちはずっと残っているのですが、久々にメールを見返してみたらものすごく不安定なものにしがみつこうとしていた自分がめちゃくちゃ恥ずかしくなりました。


↓以下ちょっと長いのでタックしておきます。ご興味のある人はクリックしてください↓


なんだかんだありましたが、なんとか一括パックに参加させていただけることになり、生まれて初めての一人旅に向かいました。


シドニー時代

【ギリギリ飛べるくらいの石】

そもそも飛行機に乗るのも人生3回目くらいで、入国や検査もさっぱりわからず、オーストラリアに到着した後もなんだかわからず列に並んでいたら市民権を持っている人の列に並んでいたり、空港から出るのも一苦労。やっと出られて田村さんに合流できた時は本当に安心しました。

シティ置き去りまでは何とかクリアした!と思いましたが、悪魔のシェアアポ取りが始まりました。(笑)
田村さんに「はい、じゃあ今電話かけて〜!」と言われたときは本当に悪魔かと思いました。(すみません、、笑) でもなんだかんだ、、(というかほとんど田村さんの助けを借りてしまいましたが)、アポを取ることができ、田村さんが「こんなん初日にやれって言われたってできるわけない。でも、スーパーに行って、シティ置き去りがあって、その後だったらできるでしょ?辛いけど、頑張ればギリギリ飛べるくらいのところに次の石を置いてるんだよ。近すぎると伸びないし遠すぎると諦めちゃう。ギリギリ飛べるところ。」と。


一括パック実施時の僕が撮った写真から〜Marrickvilleでベトナム料理のランチ



同じくMarrickvilleの住宅街で。笑ってるけど、もう不安で泣きそうな感じ


次の週に山崎夫妻が来て、一瞬かぶってたと思います。もうこの頃は先輩として余裕で指導する立場に。


【英語を話してくれてありがとう】

がむしゃら体質の上に生真面目なので、とにかくできるだけ多く見て回ろうと思いシェア探しに没頭しました。

シェア探し中に出会ったあるイギリス人のおばあさんのお話です。当時はほとんど英語が分からなかったので、とりあえずにこにこしていたのですが、その時おばあさんに「あなた、私の言ってることわからないでしょう?」と言われ、「え、、、」とおろおろしていたら、「分からなくてもにこにこしているアジア人をよく見かけるけど、私たちはにこにこされると理解しているのかそうでないのかわからないのよ。わからない時はきちんとわからないって言ってくれないと困るの」と言われ、怒られたと思い「ごめんなさい、、、」とシュンとしてしまいましたが、そのおばあさんは続けて、「違うのよ。私はあなたに感謝しているの。だってあなたの第一言語は別の言語なのにこうやって一生懸命英語を話してくれているでしょう?あなたが英語を話してくれなかったら私はあなたとコミュニケーションをとることすら出来ないのよ?だからもっと自信を持っていいのよ。英語を話してくれてありがとう。」と。

本当に感動しました。こんなに片言で意味の分からない英語でも私が英語を話すことを諦めたらコミュニケーションすら取れない。なんだかものすごく自分を肯定してもらえたような気分になり、英語に対しての恐怖感がここですごく減ったと思います。このタイミングでこのおばあさんに出会えたことはものすごい財産となりました。

※ただし、当時の私は英語が全然わからなかったのでおばあさんのお話もフィーリングで理解しています。全く別のことを言われていた可能性もありますが、当時の自分にガツンと響いたのでまあよしです。(笑)

【ジェントルマン】

たくさん見て回りましたが逆に迷ってしまい、決めかねているときに過去の体験記を読んで、「値段とか立地とかもあるけど結局は住人との相性で決めたほうがいい」というアドバイスを見て、一番この人好きだなあと思ったバーウッドのアパートにすることにしました。

このアパートに見学に行く前に、予定を詰めすぎたのと距離感を理解していなくてバスでは全然アポの時間に間に合わなくなってしまい、とりあえず全力で道を走っていたときに、見知らぬおじいさんが車を寄せてくれて、「どこに行くの?乗せてってあげるよ!」と。私は「なんて親切な人だろう!やっぱりオーストラリアっていい国だなあ」と感動しました!おじいさんに「いまからアパートの見学なの」と伝えると、「じゃあ終わるまで待っててあげるよ!その後お茶でも行こう!」と言ってくれて、ほんとなんて親切なんだ!と思いました。

電話番号を交換し(名前は聞き取れずGentlemanと登録)、ウキウキでアパート見学に行き、その話をするとKelly(オーナーの女性)に「え!!!なんて危ないことするの!連れ込まれてた可能性もあったのよ!」とかなり怒られました。私は訳が分からず「え、でも、、おじいさんだよ?70歳とかくらいだよ?」と言うと、「この国ではおじいさんとか関係ないのよ?知らない人の車になんて絶対乗っちゃだめだからね!本当に危なかったのよ!」と言われ、そんなことがあるのか!と驚きました。(私が世間知らずだっただけですが、、)

でも、初対面の私のことをそんなに心配してくれるなんていい人だなあと思い、ここに住むことにしました。

シェア移動でもお約束の一枚

シェア先のKelly一家 Kevinの誕生日ケーキのデコレーションを私がしたのですが、綴りが分からずKebinと書いてまい、何とか直しました。

【ハーイ(^O^)/】

日本に居た頃の私は、美容院に行くのにも何と言ってオーダーするのかお母さんとリハーサルをしてからじゃないといけないくらいビビりで、地元の子がいない高校に行ったら誰とも話せずずっとうつむいていたので、知らない間にクラスで「あの子は日本語がしゃべれないらしい」と噂になっていたこともあるのですが(笑)、ずっと"人見知り"を盾に生きてきたのだと思います。

語学学校の初日もエレメンタリークラスに入るとき、知らない人だらけで(当たり前)、パニックになってしまい、とりあえず誰も周りに人がいない席にちょこんと座り下を向いていました。

でも、この時思ったのです。私は一体何をしにオーストラリアに来たんだ?と、下を向くために留学資金を貯めたわけじゃないのに、と。そして、下を向いた顔をくいっとあげ、田村さん直伝の「ハーイ(^O^)/」を繰り出しました!(笑)

他の人にとったら全然大したことないと思いますが、ここで顔を上げたことが私にとって、すごく大きなターニングポイントになりました。その後ブラジル人の友達がたくさんできて、4カ月間最高に楽しい学校生活を送ることができました。

あれ以来、人見知りという単語に逃げることがなくなり、初めましてが前ほど怖くなくなりました。


このクラスが一番好きでした。なんとカナダで担任のLilyと再会しました!

学校の卒業式に仲良しブラジリアンのEdがケーキを用意してくれました!プレゼントでくれたブラジリアンパーカーは今でも宝物です!


【死ぬな】

楽しかった学校生活が終わりに近づき、日本にいた時には想像もつかなかった"ラウンド"が現実的になってきました。マンリービーチですっごい小さいバックパックを買って(多分25Lくらいしか入らないw)、とりあえず一番遠いところに行こうと思いパース行の飛行機を卒業4日後に予約しました。

そして、出発前に田村さんに挨拶に行ったときに、言われた言葉はこの後のラウンドだけでなく人生を変える言葉となりました。

「死ぬな。」

家族はもちろん知り合いも誰もいなかったオーストラリアで、私に死んでほしくないと思ってくれている人がいるなんて、こんな心強いことはあるだろうか?これだけは今後の人生で絶対に守らなきゃいけない約束!そう、強く思いました。


田村注:これはよく皆に言ってますけど、要はリスク管理のポイントで、ワーホリや留学で来て本当に気をつけるべきは死ぬこと(or死にたくなるくらいの後遺症)に尽きるのであり、死なないんだったら、たとえ全財産盗まれようが、パスポート無くそうが、バイト首になろうが、骨の一本や二本折れようが、どってことない。全部回復可能だし、ちょっとたったら全部笑い話になるし、武勇伝にもなる。それよりも、些細な不幸に気を取られて二次災害に遭うほうがよっぽど恐い。財布無くして目の前真っ暗になって、注意力散漫になって車に轢かれて即死とか。
ゆえに「死ぬな!」という一点だけに集中し、死なないんだったら「大したこたぁねえよ」と思えと。それは精神の平衡を保つためのものでもありますが、なによりも「事実」でもあるし。自分自身でも思うようにしてます。英語で言うなら、"It's not a big deal"。口癖にしちゃうといいです。



ラウンドに全然お勧めできないサイズのバックパック。

ラウンド編〜WA州・パース

【ハエ100匹】

パースに到着して、まずは一生自分とは縁がないと思っていたバックパッカー宿に泊まることにしました。初めてのバッパーだから慎重に決めようと思い、すでにパース入りしてた同期のだいさん(岡本だいすけさん)としょうさん(澤井聖さん)の協力もあってパースにあるバッパー10件以上全部見て回りました。

どんなものかと思っていましたが、想像していたよりは綺麗でどこも全然泊まれるな。って感じでした。ただ、その中で1軒だけ「ここだけは無理!」と思う宿があったので、そこに泊まることにしました。
それは、唯一そこが無理なのであれば、そこに最初に泊まってしまえばその後はどこでも大丈夫になるだろうと思ったからで、これは大成功でした。こんなに汚いバッパーは後にも先にもここだけで、もうこの後はどこに泊まっても「めっちゃ綺麗!」としか思わない体を手に入れました!(笑)

とりあえず3泊予約して、男女共同部屋に通されました。(当時は女性専用ルームがあるなんて知らず、、、) とりあえずシャワーを浴びようと思ってシャワーカーテンを開けたら、ハエが100匹くらいブワッ!って飛んできて、床もびっちょびちょでとても素足では入れない感じのお風呂でした。

近くの別の宿に泊まっていただいさんとしょうさんと私の泊まってるバッパーの庭のベンチで話していたら、オーナーのおっちゃんが話しかけてきて、すごい酔ってるなあと思っていたんですけど、どうやら大麻を吸ったりとかもしていたみたいで、そのうちに「お前の部屋の鍵を俺は持ってるんだからな〜」とか言い始めました。「これは怖すぎる。無理無理!寝よう。」と思い、解散しましたが、疲れていたのでぐっすり眠れました。(意外と図太くなってきた私。)

ちなみに起きたら隣のベッドで猫が寝てました。(道理でくしゃみが止まらない笑)

朝起きたら隣のベッドにいた猫

【いいなあ】

Perthでだいさんしょうさんに別れを告げ、私はとにかく南に向かいました。なんのリサーチもせずに向かったので行けるところまで行こうと思いワンデーチケットで行ける南の端っこの駅に着きましたが、もちろんなんの当てもなく、なんなら宿もなさそうな場所についてしまい、やたら綺麗な海を眺めて途方に暮れていたら通りすがりのジョギングおじさんに"Are you Okay?"と聞かれました。気丈な嘘をつく余裕すらなく、"No"と答えました(笑)

その後なんとかしなきゃと、行先を決めずにいい感じのところがあったら降りようと思って、一番遠くまで行けそうなバスに乗り込みましたが、めぼしいところは見つからず1時間くらい乗ってついに終点。バスの運転手さんに「どこに行きたいの?」と聞かれ、半分泣きながら「分かりません。。。」と答えました(笑)

シティではとにかくレジュメを配りまくるということができますが、田舎のファームではそれは難しいと学習。さらに移動してなんとかブドウ園っぽいところがありそうなのを駅前の地図で見つけたので、そこに向かって歩いて歩いて、周りに牛しかいない場所まで歩き、もうこれ以上は歩けない、日も暮れてるのに今日の宿はまだない、ってなったときに牛に向かって「いいなあ、あなたたちは草を食べるっていう仕事があって今晩寝るとこも決まってて、、、」と言ってしまうほどでした(笑)

ラウンド用に準備した食料は水と食パンだけ。牛を眺めながら素パンを食べ、水で流し込み、ひたすら途方にくれました。この時はまさに「上を向いて歩こう」状態で、上を向いていないと涙がこぼれちゃうので上を向きながら誰もいない道を歩き続けました。

【運と出会い】

結局あまりに情報持ってなさすぎ!ってことで、いったんPerthに出戻り、情報収集をすることに決めました。だいさんが教えてくれたEast Perthのバッパーにたどり着き、ここで韓国版田村さんに出会いました(笑)
着いた瞬間から、Perthのハウツーを叩きこまれ、仕事を探していると言ったら電話番号を渡され「ここに電話しろ!」と。デジャヴュ(笑)

そしてあっさり仕事が決まり、次の日からウールワースの早朝クリーニングの仕事が始まりました。

韓国版田村さんは韓国語のパースでの仕事サイトでよくいろんな場所のクリーニングのお仕事を見つけていて、彼の仕事が決まると一緒に私の分のスポットも確保してくれたりしました。別の人が決まったからとウールワースの仕事を突然辞めさせられた日に、ぼーっとバッパーのベンチに座ってたらいきなり「仕事したい!?」とオーナーのおばちゃんに聞かれて何が何だかわからないまま連れていかれたのがショッピングモールに入ってるアパレルの立ち上げの仕事だったり(結局、辞めさせられた仕事はボスと喧嘩して交渉した結果、次の日にすぐ取り戻しましたが笑)、また別の日にベンチでにこにこ座ってたら、住人のおばちゃんに「あなたのことを紹介したい人がいるのよ!」と言われてオーストラリア人で日本語を勉強してる人を紹介され、家庭教師のバイトが突然始まったりとここでも本当に運と出会い!に恵まれていました。

住人の大道芸人のみなさん

にこにこ座ってたらいろんな仕事が舞い込んできたお気に入りのベンチ

ラウンド出発前に再会しただいさんしょうさんと行った、オーストラリア大陸で2番目に大きい(笑)独立国・ハット・リバー公国。ここでは実際パスポートにスタンプを押してくれますし、独自の通貨もあります(ただし通貨の購入には豪ドルが必要。笑)

首相?と記念写真

ハット・リバーに行く途中に見つけた三つの波が交わる場所


WA州/Manjimup

【そしてラウンドへ】

あまりに居心地がよく、結局このバッパーへは2か月くらい住んでしまいましたが、ラウンドに行かなければ!と思い、とりあえず南に行くことにしました。Manjimupが良いとバッパーにいたイタリア人に聞き、すぐにバスのチケットを取りいざラウンドへ!

Manjimupに到着し、たまたま一緒に降りたフランス人の子に着いて行って同じ宿に泊まらせてもらうことにしました。その子は仕事が決まっていましたが、どうやら私は閑散期に行ってしまったらしく、仕事は今ないよと言われてしまい、またしても途方に暮れていました。そのホステルにはWi-Fiがなく、調べものもできないしどうしようと久しぶりに落ち込んでいたら、イタリア人のお兄さんがHelpexというサイトを教えてくれ、私が仕事探しをできるように彼のスマフォを使わせてくれました。
そのサイトでManjimupと検索して一番上に出てきたところにすぐに連絡をし、そこでWWOOFをさせてもらえることになりました!

あとで知ったのですが、ここは口コミがめちゃくちゃ悪く、悪魔のようなおばあさんが経営していたのです。(口コミ読まない悪い癖発揮)

【クレアおばさんとバイオレット】

ここはいわゆる犬のブリーダーファームで、私が毛嫌いしている職種の一つでした。(もう一つはペットショップ)しかし、敵を知り己を知ればなんとやらで、いい経験になると思いました。

ここにはオージーのおじいさんとその奥さんの南アフリカ人のクレアおばさん、ギリシャ人のワーホリの男の子の3人と犬が50匹以上居ました。

私が到着した次の日に来た子犬のバイオレットは私の相棒となり、ここにいる間はいつも一緒に居ました。

大好きな相棒バイオレット

クレアおばさんの何が悪魔かというと、その神経質さ!ほんの少しでも彼女のルールに合わないと怒鳴られる。そしてそのルールの細かいことといったらもう。家中にカメラが付いてるんじゃないかってくらい常に見張られていて、休み時間に部屋でくつろいでいようが深夜に爆睡中だろうが、必要になるともちろんノックもせずに部屋におばあが飛び込んできて手伝わされます。人に厳しく自分にはめちゃくちゃ甘いおばあちゃん。

私の後から来たワーホリの子たちで一日と持たず辞めてった子は数知れずでしたが、私はバイオレットが大好きだったし、おばあの横暴にも慣れてきたらうまく付き合えるようになってきたので、感覚がマヒしてたと思います(笑)

ここは電波もない山奥で、電話をかけたかったら家から徒歩20分くらいの見晴らしのいい丘に行かないとかけられないような田舎でした。隣の家の人は神経質だから(誰が言うねんw)と言われましたが、そもそも隣に家などなく、目を凝らしてやっと見えるくらいでした。

家からの景色。この丘の向こうに神経質な隣人が住んでいます。(たぶん。笑)

ここでは犬の世話と散歩がお仕事で、くしゃみは止まりませんでしたが天職でした。

この子達のお世話がお仕事!

ある日犬の散歩(大型犬4匹+バイオレット)に行っていたとき、上空を鷹が飛んでいるのに気付きました。町にいたころフランス人の女の子が鷹の羽を持って、「これは世界で一番危険な動物なのよ」と言っていたのを思い出し、何としてでもこの子達を守らなければと近くに落ちていた大きな木の枝を振り回し、「うおおおおおおおお!」と叫んで追い払いましたが、後からその話をすると、鷹は目がいいので遠くからでもサイズ感が分かるらしく、人間がいる場所には近づいてこないとのことでした。(笑)

その他にも、
近くに毒蛇が住んでいたり、
見たこともないサイズの狂暴な蟻に犬が襲われたり、
何千ものバッタに襲われたり、
そのバッタをおやつとして食べてる犬が居たり、
野生のカンガルーに後ろから3回も蹴られたり、
夜になると零れ落ちそうな星空に5秒に1回くらい流れ星が見えたり、
虹が二重で見えたり

して、田村さんの言っていた「(オーストラリア全体の巨大さからみたら)シドニーなんて点だよ!点!」という言葉の意味が少し分かったような気がしました。

この頃からはもう鏡を見ることも容姿を気にすることもなかったので、穴の開いたスウェットにチャックが壊れて全開のジーンズを履いて毎日過ごしてました。(笑)


大型犬たちの散歩

こんな感じでブッシュファイヤーが始まるのかなあと思った光景。(おじいに消してもらいました)



深夜の出産にも何度か駆り出されました。(なんでいつも出産って深夜なのでしょう?)


虹が二重に見える町


野生のカンガルーに餌付けできる場所に連れて行ってもらって、カンガルーに胸倉をつかまれる。(笑)
この後写真の中の子たちの3倍くらいあるカンガルーに後ろから3発蹴られました。痛すぎてマジでヤバイと思いました。


メルボルン

【Sueという男】

生活は快適でしたが、このままでいいのかと思っていた頃、ギリシャ人のIriasが一緒にここを出ないか?と言ってきました。もっとたくさんの経験をしたかったし、居心地のいいところに居すぎてはいけないと思っていたので、二人で移動することにしたのです。

Iriasがメルボルンでファームの仕事を私の分も含めて見つけてくれて、大好きなバイオレットにお別れをいう事になりました。それはもう号泣しました。

ManjimupはPerthから6時間くらいの場所で、私たちの飛行機は深夜だったので、6時間移動後、空港で10時間待ちやっとメルボルンに到着!

が、その時がイースターだなんて全く気付かず、バッパーはどこも信じられないくらい高く、一泊50ドル払って30人男女混合ドームシャワー室1つというスーパーぼったくり宿に2泊することになってしまいました。イースター明けにすぐに仕事が始まるのかと思いきや、しばらく待つことになり安いバッパーに移動。2週間くらい住みましたが、ここもまあまあひどかった。。。

毎晩のようにお酒を飲んで共有ルームで暴れる人たち。関わりたくなかった私は早めに部屋に行って寝ていましたが、お酒に酔った男が部屋に入ってきて走り回り暴れ回り、私の下のベッドに勝手に入って震度5くらいでベッドを揺らしてきて、ひたすら寝たふりをしていましたが、あまりにひどいのでもう寝ました。(嫌なことがあると寝るタイプw)

朝起きたら部屋にモップがあり、床が広くなっていて、なんか嫌な予感がすると思ったら、昨日の男があの後床で小便をしたとのこと。幸い私の荷物は無事でしたが、まあまあショッキングでした。

2週間経っても一向に仕事が始まる気配がなく、こんなことならあと2週間バイオレットと一緒に居られたのに、、とイライラが募り始めました。

そして衝撃の事実発覚。Iriasが再度職場に連絡したところ、もう一人(つまり私)も男だと思っていたとのこと。すごい力仕事だから女の子には無理。女の子用の仕事もあるけど今はいっぱいだから、何週間か経って空きが出たら連絡をくれるとのことでした。ここで私はもう見切りをつけ、近況報告で連絡を取り合っていたクレアおばさんに伝えると、「いつでも帰ってきていいんだからね」と言ってもらえ、Manjimupにトンボ返りすることになりました。(悪魔のクレアおばさんとはとっくにものすごく仲良くなっていました笑

私は昔からのあだ名であるSueという名前を使ってラウンドに出ていましたが、Iriasが仕事をゲットしたとき友達のSueも一緒にいい?と聞いたそうです。Sueなんて男いるかーーっ!

メルボルンの図書館

ここでお別れとなったIrias。こう見えて19歳です。


再びMunjimup→一旦Sydney

【ローカルオージーライフ】

メルボルン、、ずっと行きたかったのに嫌な思い出が多く、いつかリベンジしたい!!といまだに思っていますが、さておきManjimupに戻りバイオレットと再会しました。

バイオレットはしばらく私にしがみついていて、ああ帰ってきてよかった。と思いました。

クレアおばさんの娘さんのフリーマーケットの出店を手伝い、4日間一緒にテント生活をしたこともありましたが、気を遣ってしまい寝返りが打てず、明け方やっと寝落ちかけると4時くらいにKookaburraという見た目はかわいいけどめちゃくちゃ狂暴な鳥が爆笑するんです。それはもう集団大爆笑で、この4日間は貴重でありなかなかきつい4日間でした。

5月にシドニーに戻る予定があったので、今回はきちんとお別れをして、半年ぶりにシドニーに戻りました。

Nannupという町でフリーマーケット出店のお手伝い

早朝に大爆笑するKookaburra

おばあが連れてってくれた橋の上を列車が走る町Busselton

お別れに私の大好きなアイスケーキを用意してくれたジョンとクレア。
最終的には大好きなオーストラリアのおじいちゃんおばあちゃんになりました!



SA州アデレード〜Mildura/Renmark

【Don't go to Mildura】

友達との楽しい旅行が終わり、また一人で旅立つのは1回目よりもきついものがありました。次はアデレードと決めていましたが、飛行機ですぐに到着するのがつらかったので、シドニーからアデレードまではバスで移動しました。(24時間くらいだったかな?)アデレードに到着し、割とすぐにGumtreeでファームの仕事が決まり、ウキウキで移動しました!

Milduraに到着するとボスが迎えに来てくれていて、スーパーでしばらくの食糧を調達し、シェアハウスに移動しました。私が着いたときはまだ7〜8人くらいしかいませんでしたが、きれいな家だしみんないい人そうでよかったー!と楽観的に思っていました。
(初日ベッドに横たわるとWelcome to HELLの落書きが目に入りましたが。笑)


徐々に人が増え、あっという間に28人までになり、一つのシェアハウスにバストイレはたった2つという状況に疑問を感じ始めました。そして28人中アジア系は私1人でした。

最初の数日は楽しく過ごしていましたが、なかなか仕事が始まらないことに不安を持ち始めました。

ある日、イタリア人の女の子(Fede)と私がボス(Don)に名指しで呼び出されました。訳も分からないまま車で4時間くらい連れまわされ、途中電話で誰かに「今後ろに彼女乗せてんだよね〜」と言っているのが聞こえました。Donが車を降りた隙に「売り飛ばされるわけないよね?」と半泣きでFedeに聞くと、私よりずっと年下の彼女は「そんなこと私が絶対させないから!」と慰めてくれました。おうちに着くまではひたすら不安でしたが、結局パシリに使われただけで何とか無事着いて一安心だと思っていた時、事件は起きたのです。

誰かが何かおかしいと言い始めDonのことを調べると、彼は過去にニュースでレポートされていました。バックパッカー狩りです。

私たちが気付いたことに気付いた彼は、家に怒鳴り込んできて30分以上怒鳴り散らしました。私はパニックで何を言ってるのかさっぱり分かりませんでしたが、殺される!と思ってしまい、部屋で一人で泣きながら震えていました。(ここでも18歳の子たちに慰められました。情けない、、、)

Donは家のWifiを取り上げ、私たちが何も調べられないようにしました。Donの怒鳴り散らす様子を隠し撮りしていたイギリス人がまず家から追い出され、その夜のうちに何人か逃げるようにいなくなりました。私も怖くて逃げたかったですが、何もない田舎町で夜に放り出されることも怖くてひたすら震えていたことを覚えています。

Donは自分がブラックリストに載っていることを知っていたので、代わりの人間を雇い、今回求人を出したのです。イギリス人のBillyはDonに雇われたボスでしたが、実情を何も知らず、事実に気が付いてからは応募の電話をしてくる人にここには来るなと伝え、Donには誰も応募してこないと言いみんなを守ってくれていました。しかし、そんなBillyにもDonは気付き、Billyも追い出されてしまいました。

近くのスーパーに行き、Donという名前を伝えただけで、「いますぐに警察に行きなさい。あいつはヤバイから」と言われました。毎日突然やってきては怒鳴り散らすDon。一人また一人と追い出されていく仲間。

どうしていいのか分からずひたすら怯えていましたが、ここのみんなはすごく強くたくましくて、「こんなにひどい状況だったらさ、飲むしかないよね!」とみんなでパーティーを開いたのです。

生き残りメンバーでリベンジパーティー

Donにばれないようにこっそりと、みんなでパーティーの準備をしました。飲んで笑っていろいろ話して、Donが来たら電気を消して急いで寝たふりをして。パーティの途中で、カナディアンのAndyがこのクレイジーな状況を即興ラップにして歌っていた光景がずっと心に焼き付いています。うまいし早いし意味はほとんど分かりませんでしたが、「なんだこの状況、最高じゃん!」と思いました。

この次の日に仲良しのFedeと何人かでついにここを脱出しました。すっごく怖かったのですが、と同時に最高な友達に巡り合えたのも事実で、オーストラリアでの一番いい思い出も一番最悪な思い出も、あそこで過ごした10日間くらいだと思っています。

ちなみにここでベッドバグにやられますが、どうやらこのベッドバグもDonが仕組んだものだったみたいな裏話がありました。真相は分かりませんが、顔の横をベッドバグが歩いているのを見た時の寒気は一生忘れません。
Don's Backpackers


脱出成功!


【脱出成功からの真逆の環境】

私は、Milduraから近い場所でワーキングホステルを発見し、電話したらすぐにオッケーが出たので、Renmarkという町に移動しました。

オーナーのおっちゃんはオージーでしたが、残りは全員アジア人(台湾・香港・韓国・日本)で、ほぼ全員ネイティブ+ヨーロピアンの環境から来た後の衝撃は大きかったです。どうやらオーナーがアジア人好きで、欧米系はすべて断っているとのこと、、、

ちょっと前まではあまりに英語が早すぎて全然ついていけなかったのに、ここでは英語が上手だからという理由でパッキングの仕事が決まりました。(皮肉なもんです) これは最高に当たりファームでした。

仕事面でももちろんですが、ホステルのみんなも信じられないくらい優しくて、あったかい人たちに囲まれて本当に幸せでした。一ヵ月くらいしかいられませんでしたが、サプライズ誕生日パーティーを開いてくれたり、アデレードの空港まで(3時間くらい)みんなで送ってくれたり最後にたどり着けた場所がここでよかったです。

ここでMilduraから逃げてきたというと、全員にびっくりされました。Milduraには行っちゃいけないって調べなかったの?って。ああなるほど。と思いました。

アジア人は口コミとか調べるのが得意な人が多いからMilduraに行っちゃいけないことをみんな知っていて、だから私はひとりだったんだなと。調べたら即出てきました。"Don't go to Mildura"と。(笑)
でも、あんな経験できないから、調べないで行ってよかったなと今でも思います。



すぐに仲良くしてくれた台湾香港メンバーたち

Renmarkは夕焼けがいつも絵具で塗ったみたいにきれいな町でした。


サプライズで計画してくれた誕生日パーティー

ひたすらあったかくて最高のメンバーでした!

オージーオーナーのMatt。出発前泣いちゃうくらい情に厚い、優しいおじちゃんでした。


【まとめ】

ラウンドに出る前に田村さんにもらった言葉「死ぬな」は物事を決めるときの指針となりました。

例えば韓国版田村さんに今すぐ電話をかけろと言われたとき、メルボルンで身動きが取れなくなった時、何か嫌だなあとか辛いなあって思うことがあったとき、あの言葉が浮かび自分自身に問いかけたのです。

「私これやったら死ぬかな?、、、いや、死なないな」

そう考えたらできることはたくさんありました。

苦手なことをするときすごく嫌な気持ちになるんですけど、死ぬかな?って考えるとそれじゃ死なないんですよね。辛いことだってありましたけど、それだけじゃ死なないんです。じゃあ、できるじゃん!やってみよう!と思って前に前に進むことができたんだと思います。

だからこそ、Milduraではやばい、逃げなきゃと思いましたが、、、(-_-;)
これは帰国後もずっと指針にしていて、言い訳をつけて逃げようとする自分を止めてくれています。

体験記を書くまでえらい時間がかかってしまいましたが、年月を経て余計なものがそぎ落とされ、いまでもしっかり覚えている思い出たちが残ってくれたのではないかと、、、思うことにさせてください。本当に遅くなりすみません。。。

このオーストラリアを機に本当にたくさんのことが変わりました。

まさか自分が!の連続ですが、あの日あの時田村さんに連絡させていただいたことが人生で大きなターニングポイントです。

オーストラリアでは、これでもか!ってくらい人と運に恵まれて、最初から最後まで人に助けられてもう感謝しかありません。月並みで申し訳ございませんが、どこの国の人たちもみんなあったかくて優しくて、どの一瞬を取っても貴重でかけがえのない時間となりました。

この後行ったカナダもなかなか強烈で面白い経験ができましたが、今でもオーストラリアが一番好きでだからこそまたあの地に帰りたいと強く思っております。

ということで、また田村さんにお会いできるように頑張ります!


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