197頁目、 198頁目、 199頁目、 200頁目、 201頁目、 202頁目、 大学3年終了時に1年休学をとって来られたKさん(女性)は、学校、エクスチェンジ(4人と)、バイト、ラウンド、、と、お腹一杯×2のフルコースで堪能されました。赤いボールペンで書かれた体験記は、行間からは堪能オーラが立ち上がってきて、読んでるこちらも満腹になります。といいながらも、彼女、二回目ワーホリ権利をゲットしてないのですね。働いてた先がジャングルの中の”峠の茶屋”みたいなカフェだったこともあるのですが、そもそもそーんなにシャカリキになって働いてません(ファームも6週間だけだけだし)。しかもラウンド開始時の所持金はわずか400ドル。それでもこれだけ満喫できるということは、是非頭に入れておいてください。どこに秘訣があるのか?というと、Kさんも体験上力説しているように、「ネットで調べるのは時間のムダ!」「ウジウジ悩んだり、せっせと情報を集めるヒマがあったら、現地でどんどん他人に話しかける方がずっと倍意味がある」という法則でしょう。Kさんのこの現場突撃精神は、シェア探しで素敵な”オーストラリアのお母さん”に出会ったことに始まり、シドニー(学校)時代のエクスチェンジ×4人の経験でさらに育まれ(そういえばシドニー大学構内で道に迷ってヘルプ電話をかけてきたのを覚えてます)、ラウンドに出て一気に炸裂し、”オーストラリアのお父さん”に出会ったり、紳士バイキー達と、時速200キロのバイクの後ろに乗って5日の旅をするなどのピークに向かいます。といいつつも、彼女の体験談にはラウンドに関する細かなコツやノウハウも満載されてますので、これから行かれる方はには必読でしょう。 旅先でよく「キミは他の日本人とは違うね」と言われ続けたKさんですが、最初からそうだったわけではないです。むしろ真逆。根が真面目な彼女はラウンドに出る前も色々情報やら計画やらで悩みまくってました。僕の方からは例によって「そんなの出たとこ勝負でいいんだよ」というアドバイスをしたわけですが、「これからプールで遊ばそうというときに、”やっぱり第一レーンから順番に泳がなきゃ”とかイチイチ思わないでしょ?好きなところからテキトーに泳ぐでしょ?それでいいんだよ」と言ったのを覚えてます。Kさんの体験談の冒頭には詳細なオーストラリアの地図と旅程が書かれてますが、計画らしい計画といえば”反時計回り”という一点だけで、あとは手当たり次第って感じなのがわかるでしょう。エアーズロックが”食べ残し”になってるのも、らしいです(^_^)。キチキチやらないで吉。 194頁目、 195頁目、 196頁目、 Nさん(女性)は、来た時点で英語は比較的出来た方でした。一般に英語力と活動範囲は比例するのですが、Nさんもサラリと書いてはいるものの、幼稚園のボランティアを皮切りに、ローカルのカフェ、ヘロン島リゾートでのハウスキーピング→ケンブリッジコース受講、ポートダグラスのハウスキーピングとかなりバキバキと活動しています。「ありえないくらい美しい海で亀と泳」いだと書かれているヘロン島ですが、「どこ?」と思ってみるとブリスベンの北方、ロックハンプトンの沖合ですね。もう思いっきりグレート・バリア・リーフ。リゾートのハウスキーピングの仕事は以前出てきたKさん(168頁以降)もやってましたが、いいお金になるみたいですね。Nさんもケンブリッジコースの軍資金を貯めたと書かれてますが、あれって50万円くらいしますから。 英語力とアクティビティは比例すると書きましたが、正確には「比例する”はず”」で、比例しない人も実は多い。英語が出来るようになるにつれ、逆に体当たり的な行動力がしぼみがちだからです。Nさんも「能ある鷹は爪を隠す」タイプで、本来がそんなにバキバキ進軍するタイプではなく、ワーホリに来るときも「一応3か月観光ビザで様子を見てから」というcautious(慎重)な入り方をしています。でも、石橋を叩いているうちに1年終わってしまっては空しいので「英語できるんだから、ガンガン攻めようぜ!」という感じで最初の数日ご一緒させていただいたのですが、本当によく攻めきった1年だったと思います。You must be proud of it. 不況感漂う日本を離れて、今年はじめには二回目ワーホリでブリスベンに再上陸です。 191頁目、 192頁目、 193頁目、 Kさん(女性)は、おっとりした物静かな方で、国際色の強いことで有名な私大を出て、東京でOLさんをやっていたという、育ちの良いお嬢様的な方でしたが、1年の”修行”で随分逞しくなりました。控えめで物静かな物腰はあまり変わらないのですが、来た当初の”薄幸の美少女"的というか、”か弱さ”みたいなものの代わりに、ズンと腰が据わって「強いからこそ静か」という具合に変わりました。この種の変化をされる方は往々にしてあります。ワーホリ武者修行で皆一様に強くなるのですが、静かな人が1年たったら陽気なラテン系になるってものでもなく、静かな人は1年後も静か。しかしその「静かさ」の質が変わるという。体験が自信を与え、自信が人を造るってことでしょうね。言葉にすると陳腐だけど、目の前で目撃すると「おお」と思いますよ。 体験談をお読みいただければおわかりのように、この方、最初はホームシックでシクシク泣いてました。まあ、人前で泣くようなことはなかったですけど、シェア探しでも決断できないまま2週間ほど滞在しておられました。でも、「高いけどここがいい」と週200ドルのシェア先を決めたのが転換点だったと思います。ワーホリ相場からしたら高いけど、そういう他人の基準を気にしてても仕方がない、自分の基準で決めなきゃいけないってことを得心されたのでしょう。とは言うものの学校卒業後もラウンドに出ずにいて、僕も「え、まだ居るの?」とハッパをかけたものでした。スロースターターなんですよね。ふたを開けてみれば残期間4か月で二回目ワーホリ資格を取り、来年からセカンドワーホリの始まりです。なんでもチャッチャ要領よくやっていく人もいますが、このKさんのように手探りで一歩一歩確かめながら進んでいくのもいいワーホリの過ごし方だと思います。ゆっくりな分、深度が深いというか、確実ですから。さて、2年目はどういう1年にされるのか、楽しみです。 182頁目、 183頁目、 184頁目、 185頁目、 186頁目、 187頁目、 188頁目、 189頁目、 190頁目 たくさん書いてくれたOさん(女性)です。1頁目に伏せ字で”ラ○リ”って書いてますけど、別に伏せ字にしなくてもいいけど、要は日本の留学エージェントの一つです。なんでもお任せサポートをお金を払って頼んでおきつつ、後にAPLaCのHPを発見し、「そうだ他人にやってもらっちゃ意味ないんだ、自分で強くならなきゃ」ということでご連絡をいただきました。実はこのパターン意外と多いです。既に6週ホームステイを申し込んでしまっていたので変則的なスタートになりましたが、遠い遠いコラロイ・ハイツのホームステイ先から頑張って参加してくれました。しかし、彼女と同期でそこにサポートを頼んだ人は皆コラロイ・ハイツ周辺だったそうですが、バラバラのエリアになると送迎が大変だし、まとめてステイ先を確保しようと思えばあれだけ離れないとならないんでしょうかね。コラロイはいいところですが、あそこからボンダイまで6週間通ったというのが、僕的には彼女がもっとも偉大だったところです。本人は慣れちゃってるから全然トピックになっておらず、ステイのことは殆ど何も触れられていませんが。 一生懸命一歩一歩前に進むOさんは、必ずしも要領のいいタイプではないのですが、しかしその誠実さゆえに多くの人に愛されたことでしょう。その真面目さが体験記からもにじみ出ていますが、端折ることなくラウンドを一つ一つ丁寧に書いてくれています。観光もしっかりやっているので、ラウンド&観光ガイドとしてもかなり貴重なデーターになりうると思います。今は一旦日本に戻って一休みをして、いよいよ来月からは2回目ワーホリに挑戦です。最後に来ていただいたとき、「2回目ワーホリ講座」をやりましたが、単なる1回目の延長にはせず、またワーホリを単なる人生の別冊付録的、例外的な体験に終わらせずに、将来において海外を自分の人生にからめていくヒントやキッカケをつかんでください。数年後にはチューリッヒで仕事してて、休日にはスイスアルプスを臨む湖で素敵な彼とワインでも飲んでいる、、なんて感じになっててくださいまし。やれば出来ます。シェア探しよりは楽だと思うよ(^_^)。お疲れさまでした、そしてウォーミングアップは終わったからこれからが本番です。 180頁目、 181頁目 Sさん(女性)です。Sさんは、一見おしとやかなお嬢風なんだけど、実はバイクをぶっ飛ばすライダーだったり、繊細そうで結構タフだったり奥行きのある人です。書いておられますが、筋肉痛になり、痩せまでして歩き廻って決めたシェア先はお金持ちエリアのBellevue Hillでしたね。週190ドルくらいで結構高いけど、家もいいし、何よりも人がいいし、どうしようかなと凄く悩んでおられたのを覚えています。でも、1年経ってしまえば、やりたいようにやって正解だったようですね。金銭面はあとで働いて幾らでもリカバーできるけど、一回しかない経験はリカバー不能ですから。 「10年前に体験したホームステイ先のホストファミリーに、今度は英語を上達させて再会したい」という夢もかない(そうなるともっと上達して会いたいという新たな野望が湧くわけですが)、ケアンズでじっくり暮らし、3つの仕事をかけもちしたり、3か月以上ファーム暮らしをしたり。最初から2年計画なだけに、ゆっくりペースで着々と進んでおられるのがわかります。一旦日本に帰って、来月には2回目ワーホリとしてよりワイルドな西を目指すということで、セカンドステージ、どうかエンジョイしてください。西はいいですよ。波光煌めく壮大なインド洋の夕焼け、まるで水曜ロードショーのような世界を楽しんできてください。 最後に力説しておられますが、彼女のスーツケース、デカかったし、重かったですよね(^_^)。30キロ優にあったし。荷物を預かるときも、「アレをウチまで持ってくるの?無理ちゃう?」といって、何かの折にシェア先までピックアップに行きましたし、このノートを書いたあとも「これ、一人で持って帰るの?」とさすがに家からシティまで車で送りました。普通そこまでせんけど、人道的にしなきゃいけないような気分になるくらいでした。ご本人も書いてますが、荷物はどうか軽めに。 168頁目、 169頁目、 170頁目、 171頁目、 172頁目、 173頁目、 174頁目、 175頁目、 176頁目、 177頁目、 178頁目、 179頁目(添書) 秋田県からお越しのKさん(女性)です。 このKさんは、下記のMさんとTさんと同期生(一括パックが同じ週)なのですが、この時点で登場するということはそれだけ長くオーストラリアにいたということです。2回ワーホリ制度になってしばらく経ちますが、このKさんがこれまでのところワーホリ最長滞在記録です。なんせ、途中のビザ更新に1ヶ月半かかっているので実質2年と1ヶ月半おられました。うち、最初の3ヶ月以外は全部ラウンド。ラウンド期間1年10ヶ月以上というのもレコードです。もっともフリーマントル(パースの南の港町)で彼氏に巡り会い、1年ほど腰を落ち着けられていたので、本人的にはラウンドというよりも「フリーマントル市民」って感じでしょう。 さて、内容面ですが、期間も長い分体験談も長いです。が、注目すべきは「長さ」ではなく「深さ」です。非常に濃厚。何となく月日が経ちましたということではなく、リゾートホテルで働いたり、電気も水道もないオーガニックファームで働いたり、イタリアンレストランとフリアコを掛け持ちしたり、それだけでピークになるような体験を幾つも重ねておられます。また、体験談の描写や考察も深いです。どちらかといえばネガティブな体験を分かりやすくリアルに書いてくれているので、貴重な資料になります。英語が不自由でどうツライのか、文化の壁の違いはどういうストレスになって出てくるかなどです。リゾートホテルでのルームメイトとの喧嘩のくだりは白眉ですが、そのリアルさにこちらにもストレスが伝わってきます。でもって同じ頁で「リゾートバイトは本当によい経験なのでオススメです!」って言われてもなあ、、、って (^_^)。でも、これが本当の姿だと思いますし、そういうイヤな体験をしつつも、それを上回るサムシングを得られるからトータルとしては素晴らしい体験になるわけで、最後の結論部分だけ見ていても本当の実質は見えてこないでしょう。 筆まめなKさんは、学校開始から帰国までせっせとメールで経過報告をしてくれています。主だったメールを抜粋編集して掲載しました。時間があれば体験談と読み比べてください。確かに同じ出来事を書いているのですが、リアルタイムの”報告”における臨場感と心の弾み、振り返っての”考察”の深み、同じ人が同じことを書いているのだけど視点や書き方が違うだけでこうもガラッと印象が違ってくるのか興味深いし、それだけに立体的に捉えられると思います。 さて、長い長い旅を終えて秋田に戻られたKさん。今度はオーストラリアから彼氏が遊びに来るのを心待ちにしておられるでしょう。ワーホリという旅は終わったけど、より大きな旅は尚も続きます。自分がガイジンとして外国で暮らすのと、ホームグランド日本で外人さんを迎えるのでは、不思議な国のアリスのように何から何まで真逆になります。その不思議な体験を積み、深い考察をさらに深くしていってください。 167頁目 Sさん(女性)です。 彼女は本当に手間がかからなかったというか、大人というか、ルックスも行動も歯切れがよかったです。パディントンのヨーロピアンが殆どという長期滞在用の洋館で、3人部屋週100ドルからスタートしました。この宿はあれから別の人も行ってます。学校後はニュータウンに住んでシドニー大学のカフェでバイト。そのあとメルボルンで半年カフェで働きながら暮らしています。 Sさんで印象的なのは、飄々としながらも物怖じしないスタイルで、すっと空気のようにオーストラリアに馴染んでいってるということです。それなりにイロイロあったのでしょうけど、熱血ドタバタ系ではなく、静かに街に溶け込み、住民として日々の生活をするという。こう書くと簡単そうだけど難しいですよ。こんなにナチュラルに溶け込んでる人は珍しいです。「働いて、休みの日は、買物して、美術館巡りや公園、PUBやマーケットや、、、日本のような生活でしたけど、全てが海外なので、何をしても楽しかったかな」と書かれていますが、これだけ自立して、一人でなんでも出来たら楽しいと思います。また、メルボルンもこういう過ごし方をすると真価がわかるでしょう。「大人のワーホリ」という感じでした。 164頁目、 165頁目、 166頁目 Hさんです。彼女は学校でよく頑張りました。4ヶ月の間にレベル2からレベル5までいったのは珍しいです。普通一つ上げるのに3ヶ月かかりますから。それを4ヶ月で3つ上げるというのは並々ならぬ努力のタマモノだと思います。学校でも月間MVP候補までいってます。しかし、どんなに努力しても物理的に無理なものは無理ですから(全くの素人にあと一ヶ月でオリンピックで金メダルを取れとか)、逆に言えばこのくらいのことは物理的に無理でも何でもないということです。過去には1ヶ月でレベル2つ上げた人もいますし、要は本人のやる気でしょう。レベル5くらいまでいけるとラウンドも楽しくなります。ということで、ラウンドも楽しんでおられます。イタリア人の彼氏が出来て、一緒に廻れば、それは楽しいでしょう(^_^)。ピッキングではあまり儲からなかったみたいだけど、これも英語並みに根性入れて儲かるファームを探せば絶対儲かるんだけど、でも、彼氏がいたらそんなことどうでもいいよね(^_^)。 わずか9ヶ月ですが、普通の倍速ペースで英語が上達した速度と密度を考えれば、この9ヶ月は濃縮ジュースのように充実していたと思います。「もうお腹いっぱい、これ以上いたら日本に帰れなくなりそう」という言葉を残して帰国されました。だけど、急速に成長しているから最初と最後で考え方、感じ方がかなり変わってきているんじゃないかな。文中、「英語なんか通じればいいんだ、細かいこと気にするな、要はコミュニケーション能力だ」と書いておられますが、同じことを一番最初の時点で僕が力説しています(だから怒らないって)。その意味が実感としてわかるようになったということであり、分かるようになるためにも初期に頑張っておられたからこそだと思います。これ、最初チンタラやってて英語コンプレックス抱いたままだったら、こうは言えないですよ。知らないうちに余裕をもってモノが見えるようになったということだと思います。ブラボー! 160頁目、 161頁目、 162頁目、 163頁目 愛媛出身、大学&仕事は関西というO君です。彼は理系のエンジニアで、電子立国日本を支えるビジネスマンです。おっとりした風貌と物腰は、そのまま小学校の父兄参観に出掛けても何の違和感もないくらいマチュアな感じです。残業残業で7年みっちり働いたご褒美のように、一切仕事をせずに、旅また旅を満喫されました。オーストラリアとNZ制覇し、数多くのツアーに参加しているのでその分お金はかかったそうですが(1年で総額300万くらいだとか)、まあ、それだけ日本でビシッ!っとミッチリ働いたってことですよね。茫洋とした大人的な風格のあるO君ですが、しかし、ラウンド帰りの彼は真っ黒に日焼けしてかなり精悍になってましたね。あれだったら父兄参観日では違和感あるだろうなー。本文にも書いてありますが、彼のブログhttp://blog.goo.ne.jp/ocean_surf11があります。ブログは別に珍しくないのだけど、1年コンスタントに書き続けているブログ、しかもシドニーに引きこもっているわけではなくオーストラリア+NZを駆けめぐりながら更新し続けているブログというのは珍しい。普通ある時を境にブチッと終わったりするのだけど。その点からも彼の堅忍なところがうかがい知れます。文中でもブログでも英語が伸びないとお悩みのようですが、ガイジンばっかりのツアーに参加しまくって、それで楽しめているんだから、それは伸びてるってことですよ。あとスピーキング能力って、本来的に「おしゃべり」かどうかって地の部分が大きいですからねー。で、おしゃべりだったら人生成功か?っていうと別にそんなこともないしねー。ペラペラ願望は日本人に共通してあるけど、ペラペラ喋ればいいってもんでもないです、実社会では。O君だって、旅先から帰ったらもとシェアメイトに無料で泊らせて貰ったり、少なからぬ好意を受けているわけで、コミュニケーションできない人間に人はそこまで好意を示しませんわ。だから十分「俺は出来る」と思ったらいいです。だって出来てるじゃん。 156頁目、 157頁目、 158頁目、 159頁目 埼玉から来たN君です。来たときまだ21才と若く、元気なN君は、印象が強かったです。スキャンしたノートを見て貰えれば”元気”なことはよく分かると思いますが、非常にパキパキした、英語で言うとクリスプな性格の人です。文中、やたら僕のことを持ち上げてくれて「おいおい」とこっ恥ずかしいのですが、斜に構えた若年寄的な部分は一切なく、砂地に水が染みこむような真っ直ぐなN君でした。こういう人は伸びます。文中書いてないけど彼のエピソードは色々あって、180ドルのシェアが高いといってシェア移動したら結局179ドルだったとか、ラウンドの直前バス代や家賃等がギッシリ入った財布をなくしてバイト一ヶ月余儀なくされたり。あと一ヶ月というところで衝動的に帰国を決意、パースからシドニーに戻ってきたところを、思い直してまたパースに戻ったり。パッショネイトな彼は、直情衝動が強くて、せっかく一番難しいところをクリアしながら果実を得る一歩手前で止めちゃう傾向があって(苦労して入った大学も「詰まらん」といって止めたり)、「一回根性叩き直して、”やりとげた!”って成功体験作るといいぞ」ということで、パースに戻ってしっかり二回目ワーホリの権利をゲットしてます。語学学校中も毎晩9時まで図書館に籠もって勉強するなど、納得さえすれば爆発的なパワーも根気も発揮するわけで、日本でも納得できる人生を作り上げてください。ラウンドに出るとき、クソ重たいバックパックにわざわざバトミントンのラケットを括り付けて、「いやあ、遊び道具があると何かといいじゃないですか」と答えた彼の素敵な笑顔をよく覚えてます。そうそう、文中のイラストがメチャクチャ上手で、自分でつけていた日記もイラスト付きだそうです。才能あるから、出版しなさい。僕買います。でもって、僕は天パーではありません。 154頁目、 155頁目 尾道出身のS君です。まだ若いのですが小学校の先生だったかな。でも、まさに小学校の先生になってもらいたいような素直で素朴な人柄が窺われる体験談です。実は、すぐ上のA君と同じ日にAPLaCに最後の挨拶に来てくれたのですが、皆で”最後の晩餐”のスキヤキの準備をしている最中、「う〜(早く食べたい)」という感じで机に向かって黙々とこの体験談を書いてくれました。ご苦労様です。 S君もシェア探しで苦戦して、一回ライカードに1週間だけリリーフ滞在し、そのあとボンダイビーチに本決まりになったというホップステップパターンでしたよね。メゲずにガンガントライしていた姿を覚えています。わずか9ヶ月半の滞在ながら、ちゃんとラウンド廻ってるし、NZまで足を伸ばしてます。途中、日本からご家族がやってきて色々エスニックなお店に連れて行ったり、友達も沢山やってきたようなので中々に忙しい滞在だったと思います。でも、ヨーロピアンばっかりとリフトしたり、アデレードで電話帳の配達のバイトもやったり、ケアンズのバナナ工場で働いたりしているという、いつの間にかやることはやっているという。彼も今はもう日本ですね。久しぶりの尾道はいかがですか? 146頁目、 147頁目、 148頁目、 149頁目、 150頁目、 151頁目、 152頁目、 153頁目 神奈川出身のグラフィックデザイナーの青木大介さんです。彼はラウンド途中で2回目ワーホリを取り、1年以上旅をしてきて、合計1年5ヶ月に及ぶワーホリ生活を先日終えられました。筆マメで几帳面な彼は、しっかり清書して堂々8枚の力作レポートを書いてきてくれました。彼は、No109のA君,No114のU君とともに「ダンゴ三兄弟」の末っ子的存在で、まだ学校を出たばかりで若いこともあり、同じ時期にAPLaCに来られたお兄さんお姉さん達にモミクチャにされてましたね (^_^)。ご本人も自認しているように、確かに要領よくチャッチャとやっていくタイプではないのですが、時間がかかってもいいから自分のスタイルと納得を大事にするタイプです。今の日本では何かとやりにくいかもしれませんが、自分の個性は大事にしていって欲しいです。というよりも、1年5ヶ月のワーホリ生活を終えても彼の基本的なスタイルは全く変わってなかったです。もちろん来た当初よりも遙かにパワーアップしてますし、成長もしているのですが、人となりそのものは微動だにしていないってところが好感が持てます。彼はラウンド中に実にコマメに近況報告メールをくれました。リアルタイムのラウンド感覚や息吹は、こちらを読んでいただいた方がよく分かると思いますから、これもHTMLに起こして添付しておきます。→青木さんの近況報告メール集(時系列順)。 体験談の内容ですが、さすがきれいに整理され、読みやすく、盛りだくさんです。ドイツ人の相棒と喧嘩するくだりや、残滞在日数が79日しかないのにあと70日ファームで働かないと2回目ワーホリが取れないという状況で見事ゲットするあたりなど圧巻です。が、是非、経過報告メールと合わせてお読み下さい。リアルタイムに書いているだけに迫力が違います。しかし、「英語が出来なくて悔しい思いをしたリスト」は涙がチョチョ切れますな。わかるぞ、その気持、僕も何度も、、。 今はもう約1年半ぶりの自宅でくつろいでいるでしょうが、ゆっくり英気を養ってまた旅立ってください。今度は人生ラウンドです。難易度もっと高し (^_^)。 青木大介さんのワーホリ終了5年後の考察 (2013年10月10日追加)
+PLUS 三大豪華付録 補充質問・回答+ワーホリ後の近況+ラウンド写真集 (2013年10月10日追加) 青木大介さんがワーホリで来られたのは2006年8月(丁度7年前)。二回目ワーホリを取得し、1年5ヶ月のワーホリを終えて帰国されたのが2008年1月。「その後の体験談も募集してます」という本ページ冒頭の呼びかけに応じて、帰国後5年半以上経過した青木さんが書いてくださったのが本稿です。 本稿は「体験談」というよりも、時を隔てることでその体験の意味をより深く咀嚼し、また発酵させ、それが現在の自分にとってどういう栄養素になっていったか?についての「考察」です。一種の論文や研究レポートみたいなものです。 それは「青春を振り返って懐かしむ」という回顧趣味ではないです。全〜然違います!必須過程だといってもいい。なぜなら、これをやらなかったら必死こいて経験してきた意味が半減するからです。これはゴハンに似ていて、食べる過程で「おいしい」「楽しい」思いはしますが、食べたあとに消化しなかったら食事の意味が半減する、てか食べているのに栄養失調になるという愚かなことになりかねない。 要するに、「行って、ほんで人生どう変わったの?」ということですね。一過性の享楽で終わって、Before/Afterで全くなんの変化もないんだったら、行くだけ無駄というか、苦労した分だけ損でしょう。 でも、消化といい、成長といい、言うほど簡単ではないです。変化/成長って毎日ちょっとづつ生じるので、あたかも子供の頃に背丈が伸びるのと同じく、リアルタイムの生理実感としては限りなくゼロでなんですよね。ついつい自分が苦労してゲットしたものを見過ごしてしまいがち。これって、すご〜く勿体無いです。武器や資産があるのに気づかないのと同じですから。やっぱり定期的に過去を振り返って、「何がどう変わったか」「何を得たか」をしっかり考察するといいと思います。これ以上は、Always think what you've got!というエッセイで書いた内容と重複するのでこのくらいで。 ワーホリを終えて能天気に余裕の笑みを浮かべている青木氏(右端)ら先輩に挟まれ、来たばかりで不安に打ちひしがれている吉田氏(中央)の図 ところで、5年前に彼がAPLACを訪ねてきて最初の体験談を書いてくれていた、まさにそのとき!最近の体験談の吉田宏隆さんが、ワーホリの最初数日間を過ごしていたのですね。奇しき因縁というか(それほどのものでもないが)。ラウンドも終えてオーラの違う青木さん達が「眩しく見えましたね〜」と吉田さんも述懐しておられました。あのときの皆が、5年後にはこんなに立派な論稿を書くようになってるわけで、それを目の当たりにしている僕の気分は小学校の先生みたい。 さて「研究レポート」の内容ですが、非常に良く出来ている、、、というよりも「APLACいらないじゃん」って感じですね。ほんと、これだけ読んでおけば、このHPの他の箇所については読まなくても良いんじゃないかと。もちろんパーソナリティに応じて視点や表現は違うのですが、内容そのものはかなり同じ。というよりも、客観的な事物(英語とか海外とか)が同じなんだから、誰が体験し、誰が書いても同じになって当然なんですよね。同じことを、手を変え品を変え、表現を変えて、色んな人が言っているという。これって別に英語、オーストラリア論に限ったことではないのでしょうけど。 でも、同時に「よくぞここまで」とも思います。青木さんも(僕もそうだが)、英語/海外初心者が陥りがちな落とし穴に、全〜部律儀にハマっています。そこに石があればとりあえずつまづくし、そこに溝があればちゃんとハマる。そしてそれがミスであることに気付く→改善する→一階梯上にいくということを丹念に続けておられる。同じ体験をしたからといって同じ認識に到達出来るとは限らない。途中で自滅したり、世を恨んだり、アサッテの方向に飛んでいっちゃう人だっているでしょう。 その青木さんが来たばかりの頃の写真。
不安のせいか、ガッツポーズがどことなく弱々しかったりして。
この論文も、最初にメールをいただいてから半年近くかかっています。特に、+PLUSで掲載した僕が出した難易度の高い補充質問にも1ヶ月半以上も真摯に考えこんで書いてくれています。その後の付録写真や解説のお願いは、ほとんど数時間で返答がきたからレスポンスそのものは早い人なんだけど、それだけ仕事の早い人がじっくり1ヶ月以上考えこむ。「時間がかかっても」というのはココです。普通だったら面倒になって、適当に「やっつけ」仕事で誤魔化したりするんだけど、青木さんはそれをしない。彼の秘密はココでしょう。だからこその異常に高い吸収率であり、5年以上経過しても全くブレが感じられなかったりする所以だと思います。 ところで、本文中に散りばめた写真は、時系列になっています。これが単なるBefore/Afterだけではなく、そうなっていく過程がびっくりするくらい明瞭に出ていて、人の顔/オーラというのはこうやって変わっていくのかというドキュメンタリーのようなものです。最後は「リオの少年」になってるもんな。 また、「+PLUS」も面白いですよ。補充質問・回答では、名フレーズがボンボン出てきて、僕個人がラインマーカーを塗りたいところは赤大文字にしてます。最後のオマケのラウンド写真は、大量にあるうちから僕が「ここは?」と興味がわいたものを幾つか抜粋して、青木さんに解説していただいたものです。ラウンドを考えておられる方、参考になります。 135頁目、 136頁目 今年1月に来たKさんの10か月目の中間報告です。三重の人ですが、書いてある文体や発想・ノリが関西で、「無駄なくらいの度胸がつきました。アウトバックに水着で放り出されても生きて帰れる気がします。いや、それは無理だけど」という下りで笑ってしまいました。 Sydenhamの中古家具屋の二階の倉庫みたいなところに、押しかけ女房作戦(※)でシェア先をゲットした時点で、ユニークなワーホリライフになることが半ば約束されたようなものでしたね。よう飲んでたみたいで、終電に間に合ったことなしと。セカンドワーホリも楽しんでください。体験談完結編を期待します。 ※こっちが気に入ったシェア先で、相手(オーナー)が煮え切らないとき、神妙に結果を待ってるのではなく、「すみません、もう一回部屋を見せてください」と何度も押しかけ、顔を覚えて貰い、親しくなり、なんとなく「こいつが住むのかな」と相手に思って貰い、なしくずしにしていくシェア探しの高等技術。殆ど冗談みたいな戦略だけど、やってみたら上手くいったという (^_^)。 132頁目、 133頁目、 134頁目 I君です。彼は風貌もそうですが、行動もスマートで、ちゃっちゃとツボを押さえてソツなくこなしてる感じがします。まあ、本人的には滑った転んだで、地獄も見てるのでしょうけど、ハタから見てる分には何というか危なげがないというか。英語も出来る方で、学校に入ったレベル5でした。ラウンドも、東海岸一帯で終わる人も多いなか、最初から西方面に行き、仕事も比較的スムースにゲットし、WAを中心にラウンドの美味しいところをしっかり堪能しています。大体西の方に行った人の方が深いラウンドになる傾向がなるような気がします。人口密度も低いし、仕事の競争率も低いし、大自然凄いし。 この体験談は、実は一回書き直して貰ってます。最初サラサラと書いて貰った分でも良かったのですが、改善の可能性がかなりあったし、書き直す時間もあったことから、「ここをこう」と十数項目指摘して「まあ、面倒臭かったらいいけど」と言ったら、「いや、やります!」とキッチリ良いモノに仕上げてくれました。書き直しを求めるのは珍しいのですが、なんか能力の出し惜しみのように思えたので。本人にしたら全くそんなつもりはないのでしょうが、無意識レベルでオーバーヒートを防止するためのリミッターが掛かってるような気がしたんですよね。だから外しちゃえと。 127頁目、 128頁目、 129頁目 佐賀のKさんです。じっくり日本で書いた体験談を郵送してくれました。この人も印象強かったですね。書いてある内容もかなり面白いし、僕も知ってることが多いので、横から「あ、これはですね」といちいち注釈入れたくなったりして。天真爛漫というか、読んでみたら分かると思いますが、文章というか書いてある内容よりも、もう文面それ自体からオーラがほとばしってるような感じがするでしょ。そういう人です。こういう人がオーストラリアや海外には向いているのでしょうね。ただし、天然100%のようでいながら、実は筋目の通ったいい育ち方してるなあとも思います。故郷の佐賀の写真も見せて貰いましたが、町中の人に愛されてるって感じで、古き良き日本でした。一見ドタバタしてるようで立居振舞に卑しさがないところだったり、実は日舞の名取だったりすることもあります。あと、129頁目130頁目に手紙の添え書きをつけておきますのでご覧下さい。体験談本文を書いてる人とは思えないくららいオーセンティックな正統派の手紙だったりします。 ガードが甘くてよくトラブルに巻き込まれる反面、それに倍するパワーで解決してます。よくヘルプ電話がかかってきたのですが、携帯紛失して不正使用された分が請求されたときも、「今からでも警察に届け、出来るだけ多くの人に一筆書いて貰ってそれらの書証を束にして電話会社と交渉してごらん」というアドバイスを地道に実行するあたりが凄いです。諦めないのね。見事不正使用分は払わなくて良くなったし。もともと生きるパワーのある人だから、変に矯めるよりも伸ばした方がいいと思いますし、それがオーストラリアでものの見事に開花したようです。アルバニーで5つのバイトを掛け持ちするとか、ラウンドに出て一層パワーアップしたあとは、アジアを一人旅して回っています。僕はイケイケで背中を押してましたけど、本当に危なかったらそうはしないです。天然のようでいながら、実は賢いし、僕なんかよりもずっと常識人だと思ってましたから。旅先のラオスからも絵ハガキを送ってくれましたので、これもオマケにつけておきます。131頁目。日本では保母さんをやっていたKさんですが、そのへんの子供よりもパワーありますね。というか、こういう保母さんに育てられた子供は幸せって気がします。 122頁目、 123頁目、 124頁目、 125頁目 新潟出身のIさんは、東京で働く看護士さんでした。真面目で、気が強くて、だから心配性で、感性の鋭いIさんは、よく印象に残ってます。ああ、方向音痴だというのも記憶に残ってます (^_^)。ここに体験談書いてくれている人は全員覚えてますけど、人間って本当に一人一人全然違いますよね。今さらだけど。Iさんも、強いんだか弱いんだか、賢いんだかオッチョコチョイなんだかよう分からん不思議な人で、ある一定方向の打撃には強いがある方向には弱いという不思議な材質で作ったガラス細工のような人柄が、「聡明そうな少女」の面影を残したルックスに宿っているという。 シェア先はMarrcikvilleで、部屋は広いわ、ジャグジー付きだわでお値打ちだったと思いますが、そんな設備よりも、「オーストラリアのお父さん」と呼べるだけのシェアメイトに出会えたのは最高の収穫だったと思います。お送りするとき僕も会いましたが、本当に優しそうな、思慮深そうな小父さんでした。下に住んでいる小母さんも見るからに優しそうで。 (本当の)お父様が手術することになり急遽日本に一時帰国されますが、日本から帰ってきたときのIさんの不安そうな顔が忘れられないです。最初にオーストラリアに来たときよりももっと不安そうでしたもん。なんで日本に帰ると誰も彼もこうも心配性になるかな?って感慨を新たにしたくらいです。でも、よく勇気を出して戻ってきてくれました。おかげですっかり逞しくなって、「とにかく何とかなります!トラブルも慣れます!」と力強く言い切ってくれています。そうやって言い切れる瞬間を持てたということを、どうか忘れずに。また日本に帰って弱気になったりするだろうから (^_^)、そのときは自分の書いた文章を読み直してください。 116頁目、 117頁目、 118頁目、 119頁目、 120頁目、 121頁目 堂々6頁の力作を、予めパソコンで書いてきてくれた、Kさんご夫妻です。最初の二枚(116&117)が旦那さん(M君)、次の2枚(118&119)が奥さん(Hさん)、最後の2枚(120&121)が一年間の行動記録です。 1年に1−2組くらいカップルで来られる方がコンスタントにおられます。そして最初は地獄のカップルシェア探しになるのですけど(カップルOKのシェア先が3分の1以下くらいしかないので)、Kさんご夫妻もかなり探しておられましたね。200本近く電話されていたと思います。それでもRozzelでシェアを見つけ、さらに後日Earlwoodという渋いエリアに移られました。 予めPCで打ってきただけあって文章は練れていますし、面白いです。M君の英語論は、よく分かります。ほんとちょっといい気になったと思ったら、すぐヘコまされるんですよね。僕なんか13年いるけど、未だに凹まされるぞ。Hさんは夫婦として、女性としての視点で書かれており、同じ体験をしながら角度が違うとこうも違うかっていい例です。 最後の2頁の1年の行動歴は、行動前にチマチマ1年の計画をたててる人は必読でしょう。いかに計画なんか無意味かということを知るために、です。全28項目あるうちシドニーは1(+1)項目でしかないです。この1項目で、彼らは200本近い電話をかけまくりシェアをゲットし、さらに移動し、バイトをしては悪徳レストランにハマり、僕が勧めて裁判沙汰におよび、学校ではついていけずに涙目状態だったのですけど、それらの体験がわずか1ー2行分のボリュームしか占めないわけですね。ラウンドの最初の予定も、バンダバーグから急遽タスマニアへ大幅チェンジしてますし、いいファームに当たればいきなり7000ドル叩き出すわけで、その場その場の判断力、行動力、要するに現場処理能力が全てであるということです。なお、彼らのレストラン〜裁判沙汰の顛末は「特別寄稿体験談/アルバイト先との給与支払トラブルを労働委員会を通じて解決した事例」 を参照ください。 カップルで来られる方は沢山いますけど、僕の知る限り、カップルで来られて別れたという人は一人もいません。日本の恋人なり置いてきて後日別れたという例は山ほどありますが、二人で来られると逆に絆は強くなるでしょう。なんせこんなに一緒にいることはないですし、「無人島漂着状態」で力を合わせてやっていくわけですから。そのかわり喧嘩は山ほどしますよ (^_^)。これは皆さん言いますね。喧嘩するほど仲がいいってことでしょう。Kさんご夫妻も、どうか末永くお幸せに。今は静岡のご実家で、次の構想を練っておられるでしょう。オーストラリアはM君のイニシアチブだったらしいので、今度はHさんのイニシアチブということで、また面白い体験を積んできてください。 114頁目、 115頁目 上のNo109と「ダンゴ三兄弟」の同期生、U君です。彼も又おもしろいキャラで、東京ではラッパーとしてガンガンやっていたそうです。ラッパーというのは、要するに詩人でもあり、作家でもあります。この1年でラウンドしながら膨大な短編小説群を書いていました。最後に全部読ませていただきましたが、これはお世辞抜きに素人仕事ではなく、一定以上の水準をキープしてしました。不思議なタッチの小説で皆さんにもお見せしたいくらいです。出版社に送っておられるようで、もしかしたらパブリックに出るかもしれません。 「とにかく旅をしたかった」U君は、「旅人」として過ごしました。思うに、「旅行者」になるのは簡単なんですけど、「旅人」になるのは難しい。彼にとっては、英語学校も、ラウンドも、ピッキングなどの仕事もメインの目的ではなく、「旅を彩るヒトコマ」なのでしょう。この体験談も、「ワーホリ体験情報」としてではなく、大きな意味で紀行文なのだと思います。本人は、「うわー、全然書けない、小説書くより難しい!」と恐縮しきりでしたが、そんなことないですよ。まあ、制作者サイドからしたら永遠に不満は残るものでしょうが。旅の心象は、おそらくは小説というスープの中のダシのように溶け合っているのでしょう。 111頁目、 112頁目、 113頁目 日本で一級建築士としてご自分の事務所を構えてバリバリやっておられたMさんです。30代に入ってしまったのでワーホリではなく、こちらの大学院に留学されるためにこられ、1年間ミッチリ英語を勉強されました。最初の半年は基礎を付けるために一般の英語学校でゼネラル英語を、後半の半年は目指す大学院のある付属英語学校で進学英語をやられました。1年間の英語学校を終わった時点で一旦帰国されていますが、この1年、現地に暮し、経験し、感じたり、考えたりしただけで「もう、十分意義があったし、別に大学院なんかいかなくてもいいかも」という心境になっておられました。この気持はとてもよく分かるし、僕もこちらの法学部の院に行こうと思ったことはないです。ちゃんと暮していけばそれだけで十分に知的に刺激的ですし、目も開かれますから。 Mさんはとても気さくで陽性のキャラの人で、学校でも月間MVPに選ばれるくらい人気者でした。30代過ぎて「今さら学校は、年齢が、、」とウジウジ思ってる方は発想を改めてください。大体年長者の方が人気者になったりしますから(人生経験、職歴があるから話が面白いし、人柄も練れているし)。僕から見ても、Mさんの感性は、そのへんの大学生よりもはるかに瑞々(みずみず)しく、素直に感動し、素直に考えるから、ものすごく実りのある一年になったと思います。このビッシリかかれた3枚のノートも、「まだ序章」らしく、「あとは日本に帰ってから書いて送ります」という話だったんですけど、待てど暮らせど来ないので、見切り発車で未完原稿を載せちゃいます。これだけでも十分なボリュームと価値がありますし。それに日本に帰っちゃうと、Mさんのような頑張り屋さんは、また日本の環境で頑張っちゃって原稿どころではないと思います。 果敢にシェア探しに挑戦していたMさんは、「僕は緊張すると声が大きくなるんですよ」と照れ笑いを浮かべながら、"sorry?"と叫んでましたね (^_^)。彼のようにプロのスキル&視点と子供のような感性を併せ持ってる人にこそオーストラリアを体験していただきたいです。同じことからも深く感じ、深く学べますから。学校の中ではウチ出身の後輩達のいい兄貴分として面倒を見ていただきました。彼と同時期に来た人達は、APLaC出身同窓生のつながりができ、mixiの同窓サイト「タムラック」が出来ているのも彼の存在あってこそだと思います。本当にありがとうございました。 137頁目、 138頁目、 139頁目、 140頁目、 141頁目、 142頁目、 143頁目、 144頁目、 145頁目 ★(追補) 帰国されたMさんから追加原稿を頂きました!それも堂々9ページ。合算12ページはぶっち切りで歴代最長です。「よくそんなに書くことがあるなあ」と驚かれる方もいるでしょうが、Mさんにすればこれでも感じたことの数十分の1でしかないでしょう。ある程度社会経験を積んだ人=つまり社会を見る視点を沢山持ち、それを掘り下げて考えることが出来る人で、且つそれを文章で表現できる人が、十分な時間を与えられれば幾らでも書くことはある筈です。僕自身にしたって「これは伝えねば」と感じたことだけを書いてるだけで、このAPLaCというホームページ全体の分量になっちゃうんですから。Mさんの1年は、二つの学校に通い、二つのシェア先を経験し、最後に小旅行を行ったという、波瀾万丈のワーホリさんに比べれば、ある意味シンプルな留学生としてのものです。そうであったとしても、書いても書いても書ききれない高密度の体験をされているわけです。結局は本人の感性と咀嚼力なのでしょう。これからオーストラリアに来られる人にお伝えしたいのは、ほんの数十行の留学体験、ワーホリ体験しか読んで「分かった気」にならないで下さいってことです。ダイジェストはしょせんダイジェストですし、どんな経験も端折ってしまえば「良かった」「楽しかった」という4−5文字になってしまうわけで、そんな結論だけ集めていても本当のところは分かりません。どうかじっくり腰を据えて、Mさんのズシッと密度の濃い体験談をお読み下さい。こちらでの日常生活の、ザラザラした質感みたいなものが伝わってくると思います。 109頁目、 110頁目 Aさんです。Aさんの来られた週は男ばかり3人という珍しい週で、僕は勝手に”ダンゴ三兄弟”とか呼んでましたけど(ごめんなさい)、ヒップホップのラッパーのUさん、グラフィックデザイナーのD.Aさんと、このドラマーのAさんという多士済々でした。フジロックフェスティバルに参加するために、先陣を切って帰国されたAさんですが、着いた当初、果敢にシェア探しに挑戦されていた姿が思い出されます。クージーの坂の上のいいシェアを見つけられました。あの坂の上の風景は僕も印象に残ってます。ちなみに通っておられたボンダイ校ではレベル2が一番下だけど、シティ校にはもっと初級のレベル1があります。そういやボンダイと言えば、丁度半年目頃にボンダイジャンクションで偶然会いましたね。これからNZに行くんだって逞しい笑みを浮かべていたのが印象的です。来たばかりのときの写真がありますが、会う毎に精悍になっていってますよね。働いたファームの数でいえばかなり多い方じゃないでしょうか。図書館に籠もって英語頑張ったり、キャラバンパークでミルキーウェイに感動したり、ど真ん中直球のワーホリの一年だったと思います。お疲れさまでした。そろそろ待望のフジロックですね。Enjoy! 106頁目、 107頁目、 108頁目 イタリア人の街ライカードでご機嫌なシェア生活を始めたIさんです。もともとある程度英語の素養があったIさんは、途中でケンブリッジのコースに行き、見事修了。シェア先、学校その他の交友関係もヨーロピアン系中心になり、またローカルのレストランでも働いたりして一頭抜きんでたワーホリライフになったのですが、上に行けば行くほど壁も又厚く、英語が出来る人ほどそうなるのですが、1年のワーホリのあとは「もっとちゃんと英語をやりたい!」とのことです。セカンドワーホリの権利はゲット出来ても、留学しようかなあとか言っておられました。でも、3ヶ月のファームでのオレンジサッカーは心温まる話で、仕事メインに考えている人にもファームはオススメしたくなるゆえんです。最初からある程度英語の出来る人の方が意外とワーホリで伸び悩んだりするのですが(なまじ出来るので”なりふり構わずチャレンジ!”という具合に心が吹っ切れない)、Iさんはその陥穽にはまることなくチャレンジングな日々を過ごされたと思います。最後は、サリーヒルズのクラウンストリートで、フランス料理のシェフのお母さんのところで美味晩飯付きシェアを楽しんでおられたIさんですが、またオーストラリアでお会いして、英語の難しさを嘆き合いましょう (^_^)。でも、「考えていたことの半分も出来なかったけど、思ってたより100倍くらい楽しかった」というのは名言だと思います。 104頁目、 105頁目 上のMさんと同期(たまたま同じ週に来られた)Yさんです。本当にこの二人は良いコンビで、シェア探しのときも、またウチに遊びにきてくれるときも、ラウンド前後に荷物を預け/引き取りにくるときも一緒でした。Yさんのシェア探しもよく覚えてます。日曜の夕方に先にシェアの決まったMさんを送りに行った帰路、連絡を取り合ってYさんと合流、夜中のStanmoreからEnmore〜Marrickvilleを一緒に歩き、最後にニックさんのシェア先にたどり着いたのでした。「このおっさんに出会ったとき、”こいつだ!”とピンクのニット帽に運命を感じました」と書いてますけど、そうかあのとき僕の横で運命を感じていたわけね。このニックさんは僕もよく覚えているけど、いかにもニュータウン近隣住人っぽい、いい感じの人でしたね。「知ってるかい、このコ、電話先でシェア代値切ったんだぜ(→本当は英語がわからず聞き返していただけなんだけど)。日本人には珍しいよね」「いいよ〜、別に大した値段の差じゃないし、その代わり僕に日本語教えてくれよ」とか会話を交わしていました(Yさん、覚えてるかな?)。ところで、ラウンド帰りの暫定シェアの週25ドルというのは僕の知る限り最低記録ですが、ゴキ26匹というのも(ToT)。。。 101頁目、 102頁目、 103頁目 Mさんです。ノートを読んで「日本人の謎のおじさんが一人でやってるなんて想像できず」という下りで爆笑してしまいました。なるほど、そっちからそう見えるわけね。参考になります (^_^)。そうそう、心配性気味のMさんの「大丈夫ですよねー?」という口癖フレーズが耳に残ってます。でも、やってきたことは、とても心配気味の人とは思えないくらい堂々としたものです。シェア先もブライトン・レ・サンズという渋くもカッコいい選択をしたし、大手旅行代理店でしっかり3ヶ月以上デスクワークをこなしたと思ったら、ピッキング(というかディギング)でカボチャ堀りも堪能したり。土色に染め上げられたジーパンや、「シドニーに着くまでいくらシャワーを浴びても泥が落ちた気がしなかった」という何気ない感想なんかにもベテランワーホリの風格を感じてしまいます。最後の方は、シドニーの高級ホテルを借り切ってお誕生パーティーを開いて50人以上(半分はオージー)に祝ってもらったり、十分すぎるくらい堪能されたと思います。最後に、「なんかもう帰るなんて信じらんない」と涙ぐんでおられましたが、さて、今は日本に戻って何を思っておられますか? |