以下の文章は、今から20年以上も昔の、APLaC初期のものです。ただの趣味サイトとしてボチボチやってた頃に、よくメールで質問をいただいたことに答えていたものです。その頃は、学校紹介してコミッション貰ってエージェントしてビジネスやって、、、なんてのは全然なく(そもそも知らなかった)、単にイチ体験者として答えていたものです。
これまで学校体験談の一隅に納めておいたのですが、ひさしぶりに読むと、「そういえば、オーストラリアの語学学校ってこんな感じに授業やるんだよ」って、ド基礎の部分を前面に出しておくのを忘れてました。別に知らなくたって良いのでしょうが、でも知らないよりは知っておいた方がイメージが正確になって良いでしょう。
僕とPart2の福島が通っていたのはシドニー大学付属で、色々な学校を知ってしまった今となってはあんまりオススメできないのですが、それでも当時書いたものを敢えて無修正で載せます。妙に編集加工してしまうよりも、その方が一次情報として価値があると思うからです。
ただし、永住権取ってまだ1ー2年というホッペの赤い頃に書いているので、今から読むと「あー、わかってねえなあ」ってあれこれ突っ込みたくなる部分もあり、それは別に分かりやすくツッコミをいれておきました。でも、好き勝手にボロクソ書いてるから、読んでて面白いですよ。
なお、英語圏における英語教育のスタンダードやコミュニカティブメソッド、教師の資質や資格など本格的な話は
英語の勉強の仕方(その3)でミッチリ書いてますが、ここでは大雑把に「こんな感じ」というイメージをつかんでもらうことを主目的とします。
1.田村編
う〜ん、学校によって違うという気もするし、結局は同じことかと思ったりもするし、難しい質問ですが、知ってる範囲でいってみましょう。
僕が行っていたのは、シドニー大学のELICOS(エリコス)センターという大学進学のための付属英語教育設備ですが、まあ、基本的には語学学校と変わらないでしょう。入学したのが今(※最初のこの文章を書いた1997年頃)から約3年ほど前の話ですけど、本質的には大差なかろうと思います。
(※2017年現在から比べても「大差ない」です。)
カリキュラム的には、10週間をワンクールとして、年に4クール。年間の52週のうち余った12週間はお休みというかインターバルですね。つまり10週間やって、2〜3週間お休み、で又10週間というサイクルだったと記憶してます。入学はこの10週間単位でやってまして。僕の場合は2セットとりました。一応入学式とか卒業式とか簡単なセレモニーもあったりしますし、最初に試験があってクラス分けもしてました。でも、ここらへんは語学学校によってシステムは違いますし、随時入校/随時卒業システムの学校もありますし、どちらかというとそっちの方が多いかもしれません。
というか、10週ワンクールなんてかったるくも硬直的なシステムをやってるのは、万事がお役所仕事の大学系くらいでしょう。本家の大学のセメスタ(学期)日程にシンクロさせているだけです。10週間クラス替えのチャンスがないといのは、英語学校的にはあまり良くないシステムだと思う。
当時のコースは、もっぱらオーラル(会話)重視のゼネラルコース、ビジネスユースのためのビジネスコース、大学進学を念頭に置いたアカデミックコースの3つがありまして、それぞれ上級/中級/初級というクラス編成がされていたのですが、実際には希望者数の関係で、ビジネスコースなんか1クラスしかなかったかな。ゼネラルが一番多かった。
クラスの人数は、平均すると12〜3人前後ですが、これも全体の学生数やクラス分けの関係でかなり差があります。人数少ないほど、居心地はいいですね。十数人ともなると、もう椅子もキツキツだったし、順番も中々廻ってこないし、あんまり良くなかったという記憶があります。
授業は基本的には午前部で、人数多いときは午後部も作ってました。朝の8時半だったかな、結構早めに始まって、途中20分休憩があるだけで、あとは午後1時ちかくまでぶっとーしでやってました。ヒトコマが結構長くて(2時間前後だっけな)、慣れるまで大変でした。
授業の内容ですが、日本の英会話教室って行ったことがないので比較ができないのですが、「よくも、まあ」というくらい、あれこれ手を変え品を変えやってました。正直感心しました。
大雑把な指針みたいなのは学校が作るのでしょうが、個別的な現場指導は全て教師に一任されていて、その裁量の範囲はすごい大きかったように思います。もっともこれはオーストラリアの教育全般に言えることで、とにかく生徒を退屈させたら失格という感じで、皆の興味の赴くまま、そのノリを重視して、単元の順番なんか気にしないでどんどんやっていきます。これは「本人が楽しんでるときが最も学習効果が上がる」という教育理念によるのでしょう。だから教師にとってはシンドくて、「今日はここまで」という予定なんかあってなきが如しで、オーディエンスの反応を窺いながら臨機応変にカリキュラムを変え、年間トータルとして帳尻を合わすという高度なテクニックを要求されたりするらしいです。教えられる側としては非常に良いです。
教師の裁量が広いので、教師の資質もシビアに問われることになり、いい先生に巡り合えたら面白いわグングン実力つくわということになります。僕の行ってた頃も、5週間に1回、生徒による教師の査定アンケートがなされたり、個人面談で授業に対する要望を聞くということが1コースに最低一回はありました。授業中、学校当局の人(教頭さんだったかな)がクラスにやってきて、授業風景を細かにチェックしてました。教え方や生徒が詰まらなそうにしてたらクビということでしょう。先生も大変。
ただ、実際問題、恐ろしい程教え方の技量の差というのはありますね。1クラスに2人先生がつくというシステムだったので両方ハズレという確率は低く、また自分の場合、都合4名の教師はいずれとも良かったのですが、オプションという課外授業で当たった教師は概して不作でしたね。一回授業出ただけで、「二度と出るか、こいつの授業」と思って後全部サボり倒したのもあります。もう「人間的に好かん」という感じでしたが、なんか人間的度量と教授技量というのは不思議なことにパラレルだったような気もします。関係ないようでいて、関係あるのでしょう。
「他人の気持ちや痛みが分かる」という人間的度量は、「分からない人の気持ち」を一生懸命理解し、「こういう順番に言うと理解しやすいだろう」という方法論に開拓に結びつくのではないでしょうか。最も優れた技量を持っていた先生は、同時に最も優れた心理洞察者でもあり、その授業は「多分、アナタはここが分からないんでしょ?」と驚くほど的確な指摘と、目からウロコのワンポイントアドバイスと、上質なユーモアと温かい思いやりに満ちてました。出来ない教師はその反対で、説明は一人よがりで無内容だわ、不出来な生徒にイラだちを隠さないわ、だから生徒も反発して雰囲気悪くなるわでメロメロですね。本気で理解してもらおうという真摯さが全然なかった。
今から思うと、甘ったれたこと書いてますね、僕も。その後、海外で生きていこうと思ったら、イヤな奴にも冷淡な奴にも人間的に好かん奴にも当然出くわすし、そいつらと上手くやっていかないと前に進めない。学校にいってると、つい受動的になって、気分もコドモになって、「優しくないとイヤ」「面白くないとイヤ」みたいな感じになるのだけど、適当にイヤな先生がいた方がいいですよ。卒業したらシビアな現場に行くんだし、結局現場で役に立たなかったら幾ら勉強しても意味ないんだし。
授業の具体的内容ですが、おそらく数十パターンあったと思いますが、「こんなのやってたなあ」と思い出せるものを列挙してみますね。
- 先週末何をやっていたか隣同士で1分間づつ報告し合う。さらにパートナーを替えて、ほぼ全員と喋れ。終わったら、指名して「○○さんは何をしてた?」と聞く。大変そうでいて10分ほどで全行程終わり(手際がいい)。
- 英語の曲(ビートルズとか色々)の歌を聞かせ、虫食い状態の歌詞カードの穴を埋めさせる。同じくヒアリング→穴埋めパターンは、TVのニュースの録画ビデオ、ラジオの番組(ねるとんみたいな番組だった)、空港でのアナウンスを録音したテープなど色々あった。
- クラスを二班に分け、代表選手一人づつ前に出て黒板を背にして立ち、教師がこれまでにやった英単語を黒板に書き(選手は見えない)、残りの連中が自分の代表者にあれこれヒントを言って当てさせるゲーム(これが結構盛り上がる)。
- しっかり準備させてのディベート。自分の意見と反対意見側に立たねばならないコントラクティブ・ディベートなども。
- 2人一組で背中合わせに座り、一方が他方にある人物の描写をし、他方が聞いたままそれをスケッチする。同じように「描写英語」としては、映画スターの写真を黒板にズラズラと張り、一人づつ自分の好きな俳優女優の写真の特徴を述べ、周囲の連中が「あの写真のことを言っているのだ」と当てるというゲーム。目撃者の証言をもとに、モンタージュ写真を作ったり、犯人の絵を当てたりするというパターンもあった。
- ヒトコママンガの絵を20枚程、同じく英語の諺を書いた短冊を20枚バラバラにシャッフルして、どの諺がどの絵に対応するか当てる。
- 短編小説のコピーをセクションごと十数分割した紙片を全員に渡し、各自自分の紙片の内容を把握する。その後、「自分のストーリーは」と内容を述べ、誰のパートの次に誰が来るかと推測し、全体の正しい順番を当てる。他人の喋る内容をしっかりヒアリングできてないと、支離滅裂になる。
- 各チームの代表者が、簡単な模型オモチャを与えられ、これを分解し、その構造をよく把握する。その後、完全にバラバラにしたパーツをチーム全員の前に置き、口頭による指示のみで全員に組み立てさせ、早く組みあがったチームの勝ちというゲーム。「その赤くて小さいパーツを、白いボディの上半分に、逆さまに付ける、、、、ああ、違う違う!上の方だって、君から見たら右の方、わかる?ああ、逆さってのはそーゆー意味じゃなくて、上下ひっくり返して、、、」という指示を全部英語でやるわけで、なかなかにスリリング。
これと似たようなタイプで、身体の動きを説明するというものもあった。ラジオ体操の動きを指示したり、ヨガのポーズみたいなのを言葉だけで説明して相手にさせるといったもの。
- 番号を振った紙片に将来の出来事を書き、相手に御神籤のように引かせる(確か未来形の文法習得の時間にやった→予言の類は未来形で書くから)
- ある短編小説の前半部分だけ教師が読んできかせ、後半部分は各自が想像を逞しくしてストーリーを展開して完結させよというライティング。同じくライティング関係では、自分の略歴、毎週日常のことを書いてこいというジャーナル、書評、新聞の投書などなど書かされる。書くのは時間がかかるので、大抵はアサインメント(宿題)。
- 一応文法のテキストもあり、練習問題(宿題)の答えあわせをやったりもする。ただし、これに費やす時間は1日に10分程度(詰まらんからでしょう)。テキストや補助教材は全て貸与形式で、授業料以外のテキスト代を払った記憶はない。またコース終了後返さないといけないので、各自、自分のつけた鉛筆の印などを全部消しゴムで消すという面倒臭い作業があった。
- スピーキングでは、毎日1〜2名、皆の前で3分間スピーチをしていた。テーマは与えられることもあるし、自由であることもある。「私の住んでた町のついて」「私の家族」あたりは定番だが、だんだんネタも切れてくるので、大変。
- そこらへんの町角に貼ってあるポスターや広告を持ってきて、その独特な用法や単語を
解説し合う。
キリがないのでこの位にしておきます(あとは福島がフォローしてくれるでしょう)が、大体1日にこれらのことを、5〜10パターンほどやりました。場面転換が早いので、退屈はしないですね。ちょっとクールになって授業風景を見ると、幼稚園児のようなことをやらされてるわけですが、これがやってみると結構面白いし、「英語を喋る目的」をその場その場で巧妙に設定してますので、「あ〜、そこ、それは違う!」とか思わずナチュラルな頭のまま英語喋っちゃうように仕向けられている。つまり、「英語を喋るために英語を喋る」というナンセンスなことはあまりやらない(そんなこと現場ではありえない)。それを時間中ほぼひっきりなしにやらされるので、英語喋ることの抵抗感はなくなるし、日常の現場に繋がっていくような気がします。
今から考えても、というか今だからこそ分かるんだけど、本当に巧みな教授法だと思います。教え方に関しては実にプロ!って感じです。技術というのは本人が自覚しないような形で自然と身につくのが最高なんだけど、そのあたりはスゴイです。単なる「知識の伝授」は教え方としては非常に原始的であり、効率的には最悪。だから「机に向わないと勉強した気がしない」という下らない固定観念はすぐに捨てること。日本語だってそんなことして覚えたわけじゃないんだから。
なお、テストや成績査定も一応はありました。週に一度、「今週のまとめテスト」みたいな小テストがありましたが、これで生徒を採点しようというのではなく、みんなの理解度を把握するために行っていたのでしょう。最初のクールの最後に試験やったような記憶もありますが(次のコースのクラス分け資料になるのでしょう)、2クール目はやった記憶ないです。一応、修了証書らしきものもあり、通信簿の通信欄のようなコメントが書かれていました。でも、語学学校出たことや、そこでの成績など何の資格にもなりはしないし(せいぜいは学生ビザの要件である「90%以上の出席」をしたことの事実証明程度しか役に立たないでしょう)、気にするだけ無駄です。
当時の学生ビザ条件は出席率90%だった(2017年現在は80%でゆるくなってる)。
シドニー大学エリコスセンターでは、シドニー大学に進学するための、特別なILETSテストが行われていて、その為の補講もやられてましたが、かなり難しかったようです。このシステム、今でもあるのかどうか分かりませんが、大学内部の都合でやってるだけという気もするし、あまり意味ないんじゃないかな。だって、そこで受けなくたって、一般のILETSテスト受ければいいんだし、一般の方がどっちかというと平易で点取り易いようだったし、汎用性もある。シドニー大学のコレは、難しいわりに合格してもシドニー大学進学以外の用途には使えないから、どう考えても意味ないんですけど。まあ、大学付属機関としては、立場上それやらないとマズいとか、それなりの成果をアピールしないとならないという学内政治上の配慮もあるんじゃないかな〜、と僕は睨んでるのですが。
今考えてもケッタイなシステムでしたね。実際、本番のIELTSで合格水準の点を取りながら、シドニー大学専用IELTSを受けさせられている人とかいて、矛盾を感じます。プライドがお高い学校ですから、「ウチはそこらのIELTSとは違うんだ」って感じなんかなって思います。
日本の英会話教室と違うのは、推測なんですが、日本人が少ないということかな。それでも結構いますが、日本人以外の人と上記の各タスクをやる場合、「通じなかったら日本語喋る」という反則が出来ない、何がなんでも英語で喋って理解しないと話が先に進まないという緊張感はあります。それはメリットかもしれない。
また日本人同士だと、下手な英語でも理解できてしまいます。下手であってくれた方が(棒読の日本式発音)むしろ分かりやすい。日本の英会話学校だと、ネイティブの先生も日本に住んでて日本人の癖を呑み込んでいるから理解してくれる。ところが、同じネィティブでも、現地では「日本人英語」に対する理解なんかないから、日本で通じても現地では全く通じないということになりがち。さらに、これが他国の人だと、それぞれに母国語にバイアス掛かった英語の頭になってるので、日本人英語ではまず伝わらない。ネイティブなら理解してくれる程度の発音でもダメなので、徹底して純正な発音を心がけないと、教室での作業一つとっても話がイッコも進まない。同様に相手の英語も壊滅的に聞き取りにくく、これに比べればネイティブの発音など嘘のように美しく聞こえる。つまりは、大リーグボール養成ギブスのような効果がある。ただ、実際に世界に出てみれば、英語を喋る人口のうち、英語ネィティブが喋ってる場合よりも、非ネィティブが喋る場合の方が、人数的には多いと思われるので、「発音に難アリの他国の人の英語」を聞き取る訓練をしてカンを鋭くしておくと、実際にはすごい役に立つと思う。特にアジア系の英語は(日本も含めてだが)、クセが強いので慣れてないと英語とは思えないときもあります。
これは本当にそうで、あとで現地で暮すときに何が役に立ったかといって、各国訛りの英語に慣れているというのが大きかったです。最初はショッキングなくらい聞き取れないけど、これに慣れておかないと、現地生活も、海外での仕事も出来ないといっていい。それに訛りの強い人というのは、それほど英語が出来ないので、逆に言えばネィティブがよく使うスラングとか簡略化した言い回しがなく、ストレートな英語なので、慣れてしまえば意思疎通率はずっと高いのだ。これに対してネィティブ英語独特の「全部言わなくてもわかるでしょ」攻撃はかなり手強く、現地生活23年、いまだに敗北を続けています。よく英語の出来る人が「1対1で話す分には支障はないけど、ネィティブ同志が話されるともう全然わからない」と言うけど、本当にそうですよ。
最初何の手違いか、中上級クラスに入れられてしまって往生しました。なんせ、こんだけまとまって英語に接するのは生まれて初めてだわ、先生の言ってることがイッコも分からんで皆と違う課題をやってたりするわ、いや、もう、授業時間の長く感じられること。朝が辛かったですね(^^)。これも、2クール目に入ると随分と楽になりましたけど。
効用としては、英語というものに初めて接するにあたっては、いい導入部だったと思います。特に学生時代から一貫して英語なんか全然やってなかったので、ほぼ幼児のような頭のまま、これだけ纏まって現場英語を触れたというのは良かったのかなと。中学のときはまあまあやってたけど高校になると何やってたのか全然思い出せないくらいだし(寝てたりサボって喫茶店とか行ってたのは覚えてる)、大学入試も英語は捨ててましたから。
半年終わって、ビザ用にIELTSテストという英語検定試験を受けたのですが、一応総合で6.0までいきました。ただ、スピーキングが7.0、ライティングが5・0ということで、しっかりした文法や書き物は今だに大の苦手ですね。反面、元来お喋りで、喋るのが仕事ということもありますし、現地着いたその日からとにかく喋らなきゃ何も始まらないことから、スピーキングに関してはそんなに苦労したという覚えはないです(発音は別ですけど)。おそらく文法知らんことや、知ってても間違えることが悪いと全然思ってないという性格にもよるのでしょうが、スゴイ英語喋ってましたね。be動詞と一般動詞、複数単数、時制、ここらへんはオール無視。「そんなこと気にしてる場合ではない」という感じ。なんというか、とにかく「相手に待たせたら悪い」「コミュニーケションとして成立しなくなっちゃう」という部分に注意が集中して、「とにかく俺は頭に浮かんだ言葉ボンボン並べとくから、あとはそっちの方で適当に組み立ててくれや」という感じです。その方が相手に取ってもやりやすいんじゃないかと思ったのですけどね、現場での印象としては。待たせるとすごいイライラしてる感じなんだもん。
「イライラ」云々は、これは僕の自意識過剰ですね。後でだんだん分かってきたけど、そんなにイライラしてないです。それどころか、誰かのヘルプに付いていって僕が翻訳しようとしたら押しとどめられて、「彼に喋らせてあげましょうよ、自分で喋らないと英語は上手くならないから」って言われたことが何度もあります。一生懸命やれば、それはオーラとして通じ、わりと優しく見守ってくれてたりします。まあ、もっとも、人によりけりなんだけど。
で、半年(20週間)語学学校行ってたわけですが、それ以上はもう通う必要性感じなかったです。これはそれだけ上達したからというよりも、ここから先は教室英語やっててもダメなんじゃないかなと感じたのですね。だって、教室だったら何言ってるか大体聞き取れるようになるんだけど、一歩町に出れば、相変わらず壊滅的にわからないんだもん。このギャップはでかいですね。それだけ現場のレベルが高いというか、それだけ分かり難い英語喋ってるというか(スラングや不明瞭な発音とか)。ある程度から先は、何かを勉強してどうこうという感じではなく、時間かけて現場の英語に徐々に慣れていくしかないのでしょう。
20週で十分だと思ったという、これが超甘いんですよね。その後、「あああ、もっと通っておけば良かった、、」と何度後悔したことか。確かに卒業後、現地に住み始めてからもかなり英語は勉強したし、朝から晩までやってはいたのですが、最後まで残ったのは文法、そしてカッチリしたライティング。こればっかりは自分では中々出来ないです。英語の本当の恐さを知るのは、現地に住み始めて5-6年経ってからでしょう。真綿で首を絞めるように、基礎力の重要性をことある毎に思い知らせるという。でも、その頃には仕事や生活もあるから、まとまった時間学校に通うなんてことは出来ないです。宝くじが当ったら、今からでも学校行きたいですよ。マジに。
マトメとしては、語学学校は導入部分としては有用だと思います。それだけでは足りないにしても、最初から現場一本でやるとなると、取っ付きにくいし、そうそう喋る機会も与えられないし、それはそれで又大変でしょう。
なお、大学進学を考えておられるならば、学術タームやエッセイ(論文)の書き方、独特な用法など沢山ありますし、これらは日常生活ではあまり登場してきませんから、キッチリ習っておかれるといいでしょう。ビジネス英語も、決まり文句や独特の符丁ばかりの世界なので慣れれば簡単だといいますが、慣れてないとイッコもわからない。それぞれの分野や用途があるということでしょう。
どの語学学校がいいか?というのは難しい質問です。どの教師に当たるか、どんなクラスメートに恵まれるかによって全然違ってきます。途中でクラス変わったり、学校変わったりするのも、よく行われている手ですし、入った後でも結構修正はきくでしょう。「日本人が少ない方がいい」とかいう基準も聞きますが、関係ないんじゃないかなあ。そりゃ100%日本人だったら前記のメリット(他国の英語と接する機会)はないけど、クラスでは英語の頭になってるから日本人同士でも結構英語で喋ったりしてましたし、半数が日本人だとしてもそんなに問題ないんじゃなかろか。一人もいないと却ってしんどいかもしれんし、逆に自分以外全員韓国人で韓国語ばっかり飛び交ってるということもあるわけだし。
わはは、あんまり参考にならんアドバイスばっか述べてますね。学生ビザを取ってしまったら、学校を変えるのは非常に大変だし、授業料は返ってこないし、あんまりお試し的にやらない方がいいです。やるとしたら観光ビザで入って3か月だけ通って様子を見るということですね。でも僕自身、学校に慣れたのは2ターム目以降(11週目以降)でしたから、それまではあたりかハズレかわからんです。
結局、今思うのは、当たりとかハズレという発想を変えることですね。そもそも自分自身の感じ方がどんどん変わっていくわけですから。そうやって静止的・固定的に捉えずに、もっと流動的に考える。例えば、半年後にローカルカフェの仕事をゲットした場合、イブニングコースに変えてもらえるか?とか、どうしても教師やクラスメートと合わない場合に他のオプション(別のコースとかホリデー取るとか)があるか、そしてそれを相談できる日本人カウンセラーはいるか、それを相談できる気さくなエージェントが日常の現場にいるか、またその人のことをいい人だな、話しやすいなって思うかどうかが一番大事な気がします。
つまり状況は常に変わりうる、では変わったときに対応しやすいかどうか、です。
僕ら自身はエージェント通さないで勝手に申込こんで、現地生活も誰のヘルプもなく全部自分で家借りて、家具買ってとかやってました。それはそれで大きな意味はありましたけど、今から思うと、ものすごく損してる部分も多いんです。楽とか苦労とかいうレベルではなく、当時の感覚では絶対無理と思ってたことも、客観的にには全然可能なんですよね。それを言ってくれる人がいなかったから、全体の進行が数年遅れたってことはあります。あのとき「出来るよ、簡単だよ」って言ってくれる人がいたら、また状況は変わったと思います。損したーと思うのはそれ。これはエージェント選びにも関わってくるんだけど、語学学校の選択サポートというのは、実際には半分以下しかなくて、本当に大事なのは現地生活が始まってから、気楽に相談できるかどうか、またその答えが自分の力を伸ばしてくれるものであるかどうか(保身的な安全策しか言わないのではなく)、だと思います。
★その2(福島の体験談)に進む
参考
視点は変わって、当時の僕が、何を思ってオーストラリアくんだりまでやってきて、リアルタイムにどういう意識を持って日々を過していたかということを書いた
コラムも紹介しておきます。
右の写真は、そのコラムに掲載した写真。クラスメートに帰国パーティをやってもらったときのスナップです。