このHPは、永住にせよ留学にせよ観光にせよ、「そうだ、オーストラリアに行こう!」と決めた人、あるいは既にオーストラリアに来ている人のために書かれてきました。1996年開設以来ずっとそうです。しかし、「行こうかな〜?どうしようかな?」と迷ってる人のためには書いていませんでした。
「オーストラリアに行く」なんてことは自明のことというか、当時はほっといても誰も彼もがオーストラリアに来たのですね。日本人観光客も今の2倍は来ていましたし。だから、改まって考えるまでもなかったし、こちらの視点も「せっかくオーストラリアに来られるなら○○するといいですよ」というシドニー現住民からのアドバイス、という形でやっていたわけです。
しかし、時は流れて十数年。そろそろそういうベーシックな部分についても書くべきかと思いました。なぜなら大きく情勢が変わったからです。
2012年の初稿からさらに月日が流れ、2010年代中盤頃より、さらに進展した状況が出てきています。その点も含めて追記します(2020年)。
上から目線から下から目線へ〜経済状況の逆転
2000年以前は、まだまだ「日本人=金持ち」というイメージが世界に流通していましたし、実際お金持ちでもありました。国際的にも、いまをときめくBRICKsなんてコトバも概念もなく、消息通の間で「中国も最近は頑張ってるらしいよ」と噂される程度のものでしかなかった。余裕のJAPANだったわけです。だから、オーストラリア留学もお小遣い程度のお金で行ける気楽な観光地感覚でありました。僕が留学した頃も、今から思えば最も高額な学校にいったのですが、それでも半年(20週)で40万もしなかったです。「へえ、安いんだ〜」と感心したもんです。当時は日本人はお金持ちだったし、オーストラリアの物価も安かった。
しかし、21世紀になってから情況は劇的に変わりました。簡単に言えば、
経済的にゆとりのある日本人+物価の安いオーストラリア(20世紀)
↓
経済事情の厳しい日本人+物価の高いオーストラリア(21世紀以降)
↓
海外の方が稼ぐチャンスがある
and/or
日本を訪れる外国人マーケットが急成長している(2015年以降)
↓
人生のサバイバルや保険として海外拠点や経験が有用(2019年以降)
ということです。
オーストラリアの物価高騰について
オーストラリアの物価が跳ね上がりました。消費者物価指数などの経済統計ではたかだか1.7倍かそこらですが(それでも十分凄いが)、生活実感では2倍から3倍くらいの感じがします。
どのくらい物価が上がったか〜地元民の感覚
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僕が1994年に最初にやってきた当時に借りたGlebeの2BRのフラットは、家賃週220ドルでした。2012年08月当時、同じレベルのフラットを探そうと思えば500ドル前後します。2017年の更新時でいえば軽く600ドル代はいくでしょう。
「98年版地球の歩き方」を見ると、トラベルテンブルー(MyBus1)がなんと8.4ドルになっています。2012年時点で16ドルです。レッドパス(Mu Multi 1)も21ドルから44ドルにはね上がってますからほぼ2倍(2015年以降Oapl Cardになってるから単純に比べられなくなってますが)。食料品はもっと値上がり実感があります。牛ミンチがキロ4ドルもしなかったのに、今は最高級品だと15ドルもします。魚についてはオージーも盛んに食べるようになったこともあり、高くなってます。
90年代にオーストラリアにワーホリや留学などで滞在していた人が、しばらくぶりに遊びに来たらあまりの物価高騰ぶりに浦島状態で呆然とするのはよくある話。2017年時点でタロンガズー(動物園)の入場料は大人46ドルで、ありえないくらいの料金を聞いて愕然とした即死した知人もいます。98年当時では14.5ドルだったんですよ。僕がきた1994年は10ドルかそこらだった。もうどれだけ物価高騰しているか!
グッドニュースは、皆さんに関係ある諸物価、語学学校、ホームステイ、シェア代、ティクアウェイやフードコートは、この値上傾向に逆らって健闘してくれています。
一方では、コンプライアンスの普及で、日本食レストラン(いわゆるジャパレス)の賃金は2017年以降かなり上がってます。これは大きなグッドニュースだと思います。
90年代中期当時の高めの学校の授業料は週200ドル台前半(240ドル近辺)だったわけで、これがタロンガズー並みに上がってたら今は週700ドルとかになっている筈です。でも300ドル台後半(370ドルくらい)ですから、「頑張ってる」と言っていいです。なんせお客さんが世界の人達だし、長期滞在型だから、ほいほい値上げするわけにもいかないのでしょう。ステイ代も当時180ドルが今260ドルくらいですし、シェア代の値上がり率も似たようなものです。というかシェアについては皆(留学生など)の支出範囲が絶対的に決まっているので、無闇に上げられない。その代わり、以前少なかったルームシェアがデファクトスタンダード化しています。外食についても、上がってはいるけどタロンガズー並のことはないです。テイクアウェイだって2倍はいってないですよ。
留学その他で来られる人は、地元民や観光で来られる方に比べればまだしも恵まれている方だと思ってください。本当はそんなもんじゃないんですよ!ガソリン代も余裕で2倍になってるし、電気代も相次ぐ値上げで生活実感としては2倍くらいの痛みを感じますから。もっとも、最低時給の方も上がっていて、2012年8月には(職種・ケースによって千差万別だが)、ついに時給20ドルの大台を突破しました(2017年で22ドルくらい。ただしその後に上昇率は鈍化して足踏みしてます)。
本当は日本だってそうなるはずだった
こう書くとオーストラリアが狂乱の物価高のようですが、20年スパンでみて、健全に経済成長してたら大体こんなもんなんですね。物価だけが上がってるわけではなく賃金もキッチリあがっている。オーストラリアは、国民一人当たりのGDPも日本を追い抜き、今では最低賃金は時給20ドル、平均年収も800万円とかすごいことになってます。いまこれを書いている日(2011年初稿時)も、20数軒くらいしかない僕のストリートで3軒も1000万円規模の増改築工事がおこなれてました。お隣さんなんか全面改築で、裏庭に水深2メートルくらいありそうなゴージャスなプールを作ってはりました。景気よろしな〜って感じ。
しかし、日本だって同じようにしっかり経済成長してたら相対的には同じだったはずです。
試みに過去の日本の物価賃金の推移を調べてみたら、日本の大卒男子初任給は1995年以降20万円前後で殆ど変わらないか、ここ数年はむしろ漸減しているでしょう。
ところがもっと過去を見ると(資料によってバラツキはあるが)、1955年段階ではなんと1万2000円(12万円ではない)、以下5年ごとに1.6万→2.4万→4万→9.2万→11.8万→14.4万→17.4万(1990年)と着実に上がってます。
特に1965年(2.4万)から1975年(9.2万)の高度成長期の10年間で給料4倍というのは別格的に凄まじいのですが、
おおよそ10年で給料2倍弱、20年で3倍になるのが戦後日本の「常識」
でもありました。
ということは、昔の日本の常識通り or オーストラリア並に推移してたら、90年で大卒初任給20万円だったら、20年後の
2010年頃には初任給60万円、2020年だったら余裕で80万円くらいになってなければ嘘だということです。平均世帯年収だって1000万程度はクリアしたでしょう。今、日本で従来通りに上がっている物価はタバコくらいのものじゃないでしょうか。「失われた20年」といいますが、こう考えてみると、本当に「失われた」んだなって気がしますね。そしてこれからも失われ続ける可能性が大です。
何を長々と言っているかというと、
ちょっと前までの日本人のオーストラリア留学の感覚は、今で言えば初任給60-80万円貰ってる人の感覚だったということです。
つまり、上から目線で余裕しゃくしゃくで足を運ぶ先がオーストラリアであり、海外だったわけです。遊び半分の観光半分、ちょっとお小遣いを貯めれば気楽に来れちゃうという。生活費も安いし〜、帰国後の再就職も不安ないし〜って。今から思えば気楽なもんです。
発想の根本的な転換を
さて、ここでの本題は嘆くことではありません。
問題は情況変化そのものよりも、
僕らの意識改革が足りない点にあります。
勿論以前に比べてはるかにお金が貯めにくくなった日本においては、以前の気楽さは影を潜めているでしょう。雇用(再就職)不安は比較にならないくらい強力になっているでしょう。だから、「行きたくても行けない」「そもそも眼中に入ってこない」「思いつかない」という傾向になっているでしょう。当然のことです。
しかし、それだけでは意識変化としては不十分である、ということが言いたいのですね。
情況がここまで変わっているのだから、留学も、ワーホリも、移住も、もっともっと根本的にコンセプトや戦略を積極的に変えていかないとならないのではないか、ということです。
渡豪資金は貯まらんわ×オーストラリアの物価は上がるわの二重パンチで、状況的にはアゲインストであるように見えますが、
それは20-30年前の留学・ワーホリを前提にものを考えているから逆風に見えるだけのことです。物事には常にプラスとマイナスの両面があり、マイナスだけ見て嘆いているヒマがあったら、プラスを探してちゃっかりゲットした方が良いです。
では、そんなプラス面があるのか?というと、あります。
ある意味では昔よりもリターンが大きくなったとすら言えます。
以下、そのあたりのことを書きます。
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