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「英語が出来る」というのはどの程度のレベルを言うのか?




今現在の英語力は限りなくゼロに近いと思うのですが、語学留学をして英語が出来るようになるためには、どのくらいの期間通学すべきでしょうか?

最初に現実的な時間感覚を

 この問題は超難しく、どうしても抽象論になります。抽象論だから意味がないとか間違ってるとかいうことではなく、本当にそうだから仕方ないです。じっくり読んで下さい。ちゃんと読んでいただけたら納得はしていただけると思います。

 しかし、そういう原理原則ではなく、留学期間を考えるための大まかな目安が欲しいという方もいらっしゃるでしょう。そこで最初に超アバウトですけど、現地滞在&留学生のお世話をして20年以上の経験から、「だいたいこんな感じ」というのを申し上げます。

 前提として、何が「平均」なのかわからないけど、とりあえずモデルとして、

 一人でオーストラリアにやってこれる程度のメンタルや向上心の強さ、
 勉強能力は、ど真ん中の偏差値50くらい
 年齢は、最高に勉強をしただろう受験時代からちょっと時間がたって忘れてしまったという25〜30歳くらい
とします。

 このくらいの人は、現地の語学学校に入って、プリ・インターミディエイト(中初級)(プラスマイナス1レベル)くらいでしょうか。
英語の基礎能力としては、
現在完了がHave + 過去分詞であることは知識としては知っている(聞いたことがある)
しかし、
「現在完了受動態で例文を作ってみろ」と言われたら、う!と詰まってしまうくらいのレベル。
 社会メンタル特性としては、数年以上の仕事経験があって、そこそこシンドい目に遭って、誰とでも一応話せて、対人恐怖症ではないくらい。

 このくらいの英語&人間特性をもった人が、以下のレベルまでいけるにはどのくらいかかるか?ですが、

(1)現地のジャパレスで英語が出来ないからキッチンハンド(皿洗いとか)に廻されてたのが、英語接客ができるホールで働けるようになるまでが、、、うーん、、、3ヶ月から半年くらいですか(店によるけど)。

(2)ジャパレスではなく、現地のローカルカフェなど100%手加減抜きの英語環境で金が稼げるカジュアルにいくためには、半年以上は必要かなーと思います(英語力よりも、メンタルとか社交性が重要なんだけど)

(3)ビザ取り学校などではなく、ちゃんとしたカレッジやTAFEレベルだったら最低1年くらい
(ビザ取りだったら半年でいけるけど、その代わりビザ取り学校に併設されている英語教室に3ヶ月いけと言われるかな)

(4)大学や大学院くらい(IELTS6.5〜7.5レベル)だったら、1.5〜2年くらい。

(5)英語力だけではないけど、看護師の方が資格コンバート&永住権申請をするために、現地の1-3年の看護コースを受講して(IELTS6.5)、英語試験(OET=IELTS7相当)に受かって、その間にもアシスタントナースとして働いたりして、最後の申請までいけるのは、英語力と経験とを合わせて3〜4年で行けたらかなりスムーズな方でしょう(ビザ手続時間は除く)。

(6)現地の正社員クラスのオフィスジョブ、IELTS7はもとより8でも心許ないなってレベルだったら、それ以上かかります。来た時点で既にIELTS6を日本で取ってきた人でも、8までいくのに3年以上かかってますし、それでも就職に苦戦します(これも職種により、人によりだが)。

(7)メカニックとか手の職系で457 or TSSビザ(労働ビザ)を取るのはIELTS5点で、そこから186のENS(雇用者指名永住権)にいくにはIELTS6点必要であり、これが大きなネックになってます。
仕事もスポンサーもわりと早く見つかるでしょうが、このエリアは若いときから勉強が苦手な人が多いので、本格的に仕事に入る前に出来れば1年通って英語、少なくとも先にIELTSの5は欲しいです。可能ならば先に6をとっておくとあとが楽です(てか取らないとゴール直前で難破するケースが多い)。


(8)ただし、あとにも書きますが、地元のオージーとほっこり楽しい時間を共有するには、英語力ゼロでもいけます。幸せにはなれますからご心配なく\(^o^)/。とりあえず着いたその日に人生変わりますよん。


 以上は、かなり大雑把な数字です。人によって半分になったり二倍になったりもするでしょう。とりあえずの目安として。
 多くの人は、「そんなにかかるんか?」と思うかもしれませんが、その理由について、以下ゆっくり解説します。

英語力の目標水準が「0→無限」という「禅問答」になってしまう件

ハードルの個人差がありすぎる

 超厳密に答えるなら、その答は、「0日」から「一生無理」まで無限にあり得ます。いっそ回答不能といっても良いくらいです。
 なぜなら、それは設問で言われている「英語が出来るようになる」というゴールを、どの地点に設定するかによって激しく変わってくるからです。

 よく「あの人は英語が出来る」とか「ペラペラだ」とか言いますが、一体どの程度のレベルをもって「英語が出来る」と言われているのでしょうか。また、どの程度のレベルをもって「英語が出来る」とすべきでしょうか?これは実は超難問であり、基準や局面をどう捉えるかで答は無限に変化します。

 これまでAPLaCに来られた方々のうち、もう100%といってもいいくらいの人が「いやあ、英語は、、」とおっしゃられるわけです。で、聞いてみると、等しく「出来ない」と言っていても、そのレベルは実に千差万別。TOEIC957点の人が来られましたが、その人でも「英語は苦手です」「出来るようになりたい」と言ってました。要するに人によって「英語が出来る/出来ない」の基準が徹底的にバラバラだということです。

 しかし、まあ、こんな禅問答のようなことを言っていてもラチは開きませんから、もう少し現実的に絞り込んで考えていきましょう。

要求水準が逃げ水だから一生満足できない

 まず、日本である程度みっちりやってこられた方が、「英語圏の生活環境で、四苦八苦しながらも最低限の事柄については、何とか意思疎通が出来るようになる」を目標にされるのであれば、3ヵ月程度でも出来ると思います。

 しかし、実際に自分がそのレベルにまで達してしまえば、「四苦八苦しながら何とか」というようなレベルでは到底満足できなくなったりします。確かに意思疎通そのものは出来てはいても、その深さや正確さが納得できなかったり、意思疎通に達するまでの道のりがお粗末すぎて泣きたくなったりもするのです。僕もオーストラリアに来た最初の数ヶ月、街で煙草を買う度に、「タバコ、くれ、タバコ、それ、それ、隣、そう、タバコ、そう。もう一つ、二つ全部」みたいな、まるで猿人がウホウホ吠えているような自分の英語を思い起こしては、帰り道に苦い涙にむせんだものです(-_-;)。「かー、情けない、、、」と。

 人間の欲求というのは果てしないもので、着いた当初は意思疎通が出来ただけで「通じたあ!」と無邪気に喜んでいたものですが、数ヶ月もしたら「もうちょい何とかならんのか、、、」と我が英語力が情けなくなります。かくして、「もうちょい何とか」と言い続けるうちに、目標ゴールはどんどん先になります。永住権を取って、現地生活も3年を過ぎ、ある程度は出来るようになっても、憮然としています。「3年もいてこれかい?かー、情けない」と。時は流れて、この原稿を最初に書いてる時点でなんと17年目ですが、「かー」というトホホ感は益々加速しています。

 別のコラム「逃げ水を追いかけて」で書きましたが、英語に対する欲求はまさに青天井であり、無間地獄のようなものです。自分のレベルが10上がれば、ゴールも10どころか20くらいあがるので、万年渇望感に苛まれるようになります。TOEIC900点の人が「全然、、」と口ごもるのも、別に謙遜していっているのではなく、そのレベルの人には心底そうとしか思えないからでしょう。

 これを「どのくらい勉強すれば?」という冒頭の質問に置き換えれば、3年が10年でも全然足りないでしょう。ネィティブ同様になるのは一生無理だと思います。

コトバはなくてもコミュニケーションは出来る

 片や、これも別の項で繰り返し書いていますが、人間のコミュニケーションのなかで言語の占める割合は20%にも満たないのですから、言葉を全く使わなくなって、ある程度の意思疎通は出来ます。それはもう、ペットの犬や猫とのコミュニケーションを考えてみたらおわかりでしょう。言語ゼロであっても豊かな友情を築くことは可能ですし、むしろたやすいと言ってもいい。

 だから、「英語なんか出来なくてもいい」=「留学期間ゼロ日」という回答も、まんざら開き直ってるわけでも、奇をてらっているわけでもなく、物事の一面真理でもあるわけです。

 以上、一生無理説も、そもそも英語不要説も、それなりに真理ではあります。間違ってはいません。

 でも、そう言ったからといって何の解決にもなりませんよね。相変わらず禅問答状態であることに大した違いはない。
 そこまで究極的・哲学的な回答でなくていいから、もうちょっと、その、常識的で実戦的な回答はないんかい?という気になります。


「実用的に必要な意思疎通が出来るレベル」という具体的基準はどうか?

 「実用的に必要な意思疎通が出来るレベル」という基準があります。
 「用が果たせる」かどうかという機能面に着目するわけで、例えばお店でショッピングをしたり、郵便局や銀行や病院で必要最低限度の会話が出来るというレベルです。この多くは「定型フレーズ」と「定型ボキャブラリー」を押さえておけばある程度はいけます。例えば、ファーストフードのお店に入って、"would you like to takeaway or eat here?"と聞かれます。これはマクドナルドで「お持ち帰りですか、こちらでお召し上がりですか」と聞かれるのと同じことです。だからこういうフレーズを沢山知っていると、ある程度生活は楽になりますし、このHPの生活体験マニュアルでも基本的な定型文は上げておきました。

 ただ、これもウラがありまして、定型文で用が足せるのは「スムースにいった場合」だけです。一旦トラブルになって、面倒臭い状況説明をしなければいけないようなると、定型文なんかでは到底追いつきません。僕も、電話代金の請求がおかしいので電話して問い合わせたことがありますが、死にました(^_^)。「前月の繰り越しが、3頁目の右上の数字になる筈で」「基本料金は毎月確定しているのだから」「だからこの部分は、この部分というのは2頁目の中段あたりにある」「二重に課金されているように見える」とか全部英語でやるわけで地獄の時間を過ごしました。インターネットの接続がおかしく、電話で問い合わせながらコンピューターのセッティングをチェックするなんてのも、結構キツイですよね。でもって、外国というのは万事いい加減だから、この種のトラブルが日常茶飯事だったりします。

それで楽しいか?

 もう一点。そういう定型文が出来るようになって、「それで楽しいか?」と言われると自ずと別問題なんです。つまりそれだけだったら友達が出来にくいのです。友達というのは、あなたのユニークな個性を好ましく思ってくれるところから始まります。あなたのユニークさ、個性を表現しなければ分からない。でも、ユニークさというのは、ガチガチの定型フレーズの対極にあるようなものです。「こちらでお召し上がり、、」を百万回唱えてもあなたの個性は表現されない。

 それに、「ねえ、動物園って楽しい?私はなんか捕らわれた動物たちを見てると悲しくなるんだけど、あなたはどう思うの?」って聞かれたりしたら、定型文だけ準備していても答えられません。いや、これは実話で、聞かれたのは僕ですが、何も答えられず、「イエー」と力なく頷いてるだけでした。あの情けなさは今でも覚えてますね。

 だから、頻出定型フレーズを幾ら覚えても、ロボットみたいなもの、喋る自動販売機の「オ釣リヲオ受ケ取リクダサイ」といってるだけの存在に過ぎないんじゃないかってなるわけです。したがって、定型フレーズが使いこなせたら生活は確かに楽になるのだけど、だからといって楽しくなるかというと、それは自ずと別問題だったりします。ツライですよね。


 あとですね、「日常会話くらないなら何とか、、、」という言い方がありますが、ある意味では日常会話くらい難しいジャンルはないです。日常会話=雑談と考えてみれば、雑談のテーマなんか森羅万象の全てであり、それこそ核融合の話から、株の話から、恋ののろけ話から、育児、税金、ガーデニング、無限にバリエーションがあり、ボキャブラリーだけでも百科事典並みに要求されるからです。


大まかに期間に換算すると、、、とりあえず半年

 さて、これを期間に換算するとどうなるでしょう。
 オーストラリアの語学学校の一般論としていえば、日常定型フレーズが大体こなせる程度の力量に達するのがレベル4(インターミディエイト)くらいで、豊かな自己表現の世界に入っていくのがレベル5くらいです。そして、一般にレベル4と5の間には大きな断層があると言われ、4まではいけても中々5レベル以上にはいけないと言われます(もちろん学校によってマチマチですが)。

 これを期間に換算すると、大体レベルが1上がるためにはフルタイムで学校に通って10週から12週間かかると言われます。約3ヶ月ですね。多くの日本人は大体レベル2−3くらいからスタートしますから、2から始めた人は3か月でレベル3、もう3か月でレベル4、さらに3か月でレベル5に達するということになり、半年から9か月くらいというラフな数字が出てきます。

 しかし、スタートラインも人によって本当にマチマチです。レベル1から始める人だっていますし、いきなりレベル6という人もいるわけです。レベル1の場合、ABCが書けないってことはないですが、「現在進行形」という単語そのものが「そういえば、遠い昔に、、、」というくらいの感じです。多くの人は、「現在進行形というのは知っている。それがBe動詞+ingだというのも知っている。ただ使えといわれたらよう使わない」という感じだったりしますから、レベル2か3かな?という。もっとも、中学高校で英語をキッチリやってたら潜在的にはレベル5はあります。やれ不可算名詞だ集合名詞だって概念も知ってるし、関係代名詞と関係副詞も一応やってるわけですし、そこそこ大学入試でシリアスになればこれらことは一応は頭に入っている筈ですから。だから、こういう人は潜在的に持っているレベル5知識を、海外生活という実生活で賦活させ温めるのに2−3ヶ月かかるって感じでしょう。

 そこで冒頭の質問に戻るのですが、「どのくらい?」という問いに対しては、僕だったら「とりあえず半年やってごらんなさい」と答えるようにします。もちろん半年でバッチリ!なんてことはないですが、半年もやれば大体自分がどの程度のところにいて、それぞれの目標に対してあとどのくらいかかるか、ということもわかるでしょう。

 もうちょいシリアスに言いますと、ビジネス・専門学校に進学し、学生ビザを延長してもう少し滞在を延ばすというのであれば、レベル5前後までいってればビジネス学校入学の射程圏内に入るでしょうから、通学期間は半年から一年くらいでしょう(もちろん現在の英語力いかんですが)。ところが、大学進学など、IELTS(という英語試験)で7点クラスを求められるのであれば1年でも厳しいでしょう。大体レベル6でもIELTSで6点取れるかどうかですし、IELTSで1点伸ばすためには1年かかるとすら言われてますから、1年〜2年というくらいの高度な英語力を求められます。

 また、永住権取得のための英語点ハードルも年々高くなっていますので、大学と同じくらいの期間かかると思っていてもいいでしょう(もちろん永住権の取り方にもよりますが=いろいろなルートや要件があるので)。


英語の本当の姿

英語脳とは情報処理システムそのものを変えること

 僕も全然やってこなかったクチなので、こっちきてから「新発見!」したわけですが、語学の能力というのは、とんでもなく領域が広い。琵琶湖だと思ってたら太平洋だったというくらいで、ほどなくして「あ、こら、頑張ってどうかなるとかいう問題じゃないわ」「完璧になるのは一生無理だな」と悟ってしまいました。

 話が長くなるので詳しくは英語の学習方法シリーズ等を参照しただきたいのですが、語学というのは「車の運転」「ピアノ」のような特殊技能を身につけるという話ではなく、自分がこれまで生きてきて蓄積してきた何兆ギガもありそうな全情報なり世界観なりを、全部別の言語世界にコンバートすることを意味してると思います。もうWindowsからMacに乗り換えるようなもので、OSが違う。

 例えば、「Sorry」=「すみません」一つとっても、日本語で「すみません」という場面と英語でSorryという場面はかなり違うので、単純に置換えてどうにかなる問題じゃないです。ひとつひとつ局面に出会って身体で雰囲気を覚えていくしかない。主語と動詞の語順が逆というのも、単にひっくり返せばいいのではなく、もう最初から頭でその順番で思考するということが出来ないと(つまり情報処理方法そのものを変えないと)、英語脳にはなりません。

 あるいは僕ら日本人に片手を突き出して「指は何本?」と聞けば、「指なんか5本に決まってるだろ」と思いますが、英語では指(finger)は4本です。親指はサム(thumb)であってフィンガーではない。拇指と他の4本とを明確に区別しているわけで、そういう具合に世界が見えてなければならない。つまり、日常的に見えている世界の見え方から、情報処理の方法から、何から何まで変えないとならない。DOS総取っ替え、脳味噌総とっかえというのはそう言う意味です。

 比較的取っつきやすい技術論、例えば発音ひとつとっても、母音子音あわせて30以上ある英語の発音、どれ一つとっても日本語と同じものはないです。LとRだけの問題じゃない。それ聞き取れるようになって、今度は自分で無意識的に再現出来るようになるには、気が遠くなるくらいの習練が必要です。寝言でもキチンと発音できるようになってないと現場で使い物になりませんから。

出来ない人ほど夢見るおとぎ話

 一般に英語出来ない人ほど、英語学習に対する幻想が強いようです。子供を留学させる親御さんとか、「現地に半年もいれば出来るようになるでしょう」とか言うわけですが、僕に言わせれば、そんなのはもう「日本昔話の世界」です。鶴を助ければ機を織ってくれるとか、亀を助ければ竜宮城にいけるとか、そのくらい非現実的だと思います。基準設定としては、そうですね、「東大入る」「甲子園に出る」くらいに考えたらいいと思います。あなた自身、これから半年みっちりやれば東大入れると思いますか?勿論、入れる人は入れるかも知れんけど、一般論としては無理という程度。

 というわけで、「そんな簡単に英語なんて上達してたまるか」ということを、重ねて強調しておきます。ここは強調しすぎてし過ぎることはないと思いますし、あなたの英語力が伸びれば伸びるほど、絶望的なまでのタスクの難度を知るでしょう。

 先ほど「とりあえず半年」と書きましたけど、順当に半年くらいやってれば、そこそこのレベルにはいけます。言ってることが矛盾しているようだけど、半年の前の自分、日本にいる平均的に英語が出来ない日本人からみたら、もうケタ違いに出来るようになっていますよ。自信持っていいです

 が!その頃になっているとゴールもケタ外れに遠のいています。先ほど「琵琶湖だと思ったら太平洋だった」と書きましたが、手漕ぎボートで対岸まで行くつもりが、実はカルフォルニアまで行かねばならないのに気がついたという感じです。それは確かに絶望的な気がするかもしれないけど、でも同時に、英語習得というものに対するかなりマトモな距離感も得られているでしょうから、あとは各自が設定するゴールに対してどのくらいやればいいのか、何となく分かるようになると思います。

 同時に、英語力ボロボロであっても生活くらい出来るし、幾らでもハッピーになれる、ということも併せて強調しておきます。コツさえ掴めばシェア探しなんて楽勝に出来ます。「英語出来る→生活出来る」という思考経路がありますが、そーゆーダンドリでは物事進みません。英語ができないまま生活が否応なく始まり、悪戦苦闘しているうちに、得難い出会いがあり、人情にジンとなり、日本で普通に暮している以上に幸福になれたりもします。しかし、相変わらず英語は出来ないままだという、ね(^_^)。

 そう、全ては同時並行的に進展していくのです。確かに英語はメキメキ伸びる。伸びるけど、それ以上にゴールは急速に遠ざかる。しかし英語が出来ないなりに生活は始まり、そこで泣いたり笑ったり豊かな日常もまたあるわけです。

 僕としては、そういう実感を得られたら、つまり英語を取り巻く本当の姿が見えるようになったら、もうそれだけで十分人生が変わるだけのインパクトを得ていると思います。片々とした技術がどうのというよりも、そういう大きな部分が得られるかどうかが大事なのではないでしょうか。で、それに至るのが大体半年くらいであり、だから、半年、と。

ネイティブだって英語が出来ない

 以下、ちょっと余談を書きます。
 目を転じて、英語ネィティブの連中はどうかというと、オーストラリア国内で問題になっていることは実は「英語が出来ない」ということです。国民のリテラシー(読み書き能力)が年々下がってきているということで、抜本的な学校教育改革をしようとか言ってます。だから、ネィティブだって英語出来ないわけです。実際スペルなんかメチャクチャいい加減な人多いですし(こちらでは日本では珍しい「スペル辞典」という辞書が売られているくらい)。

 これは要するに「最近の若いもんの国語力の低下は目を覆わんばかりで、、、」というよくある話で、日本と同じです。おそらく世界各地で同じ事が言われているでしょう。しかし、国語(英語)力が落ちている筈の彼らは、テレビのギャグ番組見て完璧に理解してゲラゲラ笑ってるわけですが、逆にTOEIC900点以上取れる日本人が同じ番組見てもおそらく殆ど分からんと思います。僕だって、あんなスラングと流行語の嵐のような英語、全然分からんですよ。

 このように「英語(言語)が出来る」というのはどういう状態を言うのか?です。これが本当に分かってるようで分からないんです。

「英語が出来る」というパーソナルな基準 村上春樹の基準

 余談ついでにもう一つ。
 「どのくらいで英語ができるようになったといえるか」という点に関して、村上春樹さんのエッセイでも触れられてました。さすがに上手な基準で、「英語で電話をする場合、事前に単語を調べるとかいうことを一切しないで、いきなり受話器をつかんでダイヤルできるようになったら、英語が出来るようになったといいんじゃないか」と書かれてました。

 これは言い得て妙というか、「なるほど」と思いました。英語の電話ってイヤなものですから(電話英語は対面英語の3倍難しいと思う)、今の僕でも英語で電話をするのは気が重いです。だから、事前に用件を整理したり、キメになりそうな単語をちょっと思い出したり、ブツブツ予行練習したりするのですよね。これが何の準備もなくいきなり電話できる、いついかなるときもそうできる、となると、かなりの熟達度だと思います。確かにこれは一つの基準になりますよね。

 語学学校的な基準でいえば、レベル5(アッパー・インターミディエイト)までいけば、一応「英語が出来る」方に入ると思います。もちろん学校によりけりですが。お世話をしている皆さんにも言うのですが、レベル5までは行ってください、と。レベル5で黒帯、初段くらい。ネィティブからみたら、大体「英語が出来る奴」として頭数にいれてくれるでしょう。レベル4以下は、言っちゃ悪いけど、ネィティブからみたらペットの犬や猫みたいなものです。何も馬鹿にしているとかそういう上下関係ではなく、「機嫌のいいときはフレンドリーに相手をしてくれるけど、機嫌が悪かったり、シリアスな局面ではあんまり構ってくれない」という意味です。

 まあ、より本質的な基準で言えば、英語の本当の恐さと厳しさが分かってきたら、英語が出来るようになったと言っていいと思います。「日本昔話」にすがっているようでは、まだまだ。





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