僕が最初に来たのはワーホリではなく語学留学でしたが(25歳の年限を超えてたし、そもそもワーホリ制度を知らなかった)、その動機は「暴挙をすべきだから」でした。時代が不透明で、自分もどんどん変わっていくとしたら、いくつになってもやりたいことが出来るような自分でありたい、そのフレキシビリティを得るためには保身にかられて守りに廻ってはダメだ。でも同じ仕事、それも弁護士というなまじ恵まれたポジションにいたら年を取れば取るほど絶対守りに廻るようになるから、今のウチに叩き壊して、ゼロから始めて「ほらみろ、俺は出来る」という自信を得ることが必要だ。そのためのは「暴挙」をしなければならない。それが暴挙であるためには、計算できてはならない。最も不得意で、最も予想がつかない環境で死に物狂いでもがくようなことをしないと暴挙にならない。だからそれまで興味もなく、行ったこともない海外なんかよさそうだな、ってことです。そして、なによりも「暴挙をする」と思ったらワクワクした。もう生理的に快感があって、それが一番デカかった。それに「あの山の向うはどうなってるの?」「もっと別の生き方ってのは出来るの?」という根本的な興味もありました。
これが本質的な理由で、そのあたりを核として二次的、三次的に「やること」が決まってきます。とりあえず語学学校にいったのは、学生ビザ以外に選択肢がないことは勿論ですが、言葉もできなかったら話にならないだろうと思ったからです。それは「日本にいて日本語が出来なかったらどうなるか?」をシュミレートしてみて、「あ、こら、あかん」とすぐに分かった。生きていけんわと。そりゃ無言でスーパーで買物してホテル暮らしをしてるなら出来るだろうけど、そんなゴキブリみたいにコソコソ暮してたら行く意味がない。やっぱ行く以上は世界の連中と「堂々と渡り合う」くらいのことをしなきゃ行く意味がない。「ほらね、俺は出来る」という確認をしに行くのだから、「ほらね、やっぱ俺はダメ人間なんだ」と確認しにいくんだったら逆効果で、やらない方がマシ。だから行く以上は「勝つ」のが絶対条件。「勝つ」といっても曖昧な基準ですが、現実にボコられるのは当たり前だし、ボコられにいくのようなものですが、それでも「絶対逃げない」「ベストを尽す」あたりをやりきったら自分的には「まあ、よしとしよう」と思ってました。
それにクールに考えてみて、学校行かずに日常何するの?といっても、多分数日でネタが尽きるのも予想できた。生活の立ち上げの頃は四苦八苦しながらもやることがあるし充実もするだろうけど、それも一段落したら、毎日毎日勇気を振り絞って街の人達の中に入り込む、、なんてことが実際問題出来るの?この英語力で?とビジュアルに想像してみた。あいつら背高いし、ゴツいし、あんな連中ばっかに囲まれたらビビるだろうなとか(^_^)。だから、やっぱどっか「拠点」がいるわ、対等目線で付きあえるような「居場所」がいるわと。でも、ゴキブリ仲間がおってもしょうがないわけで、やっぱそれなりに刺激を受けるところがいい。上にいかせてくれる場所がいい。
だから学校に行くのはビザ的に既定事項だったとしても、どういう学校にするか、学校で何をするかは、@とりあえずペースメーカー機能。怠け者だから毎朝早く起きる義務をつくらないとダメになる。だから皆勤は当然条件。A行く以上は「楽しい」ところ、それも意味深い面白いこと、つまりは「面白い奴ら」がいるところ、毎日ビビって暮しているという親近感や連帯感は必要だけど、それに負けちゃってる奴らばっかりだったらイヤだと思った。もっともそこまで過大に期待していたわけでもなく、行ってる最中も、別に友達を作らなきゃなんて意識はゼロでした。でも何でも面白かったです。
当時の写真が出てきたので掲げておきます。懐かしい。
クラスは日韓しかいなかったけどそれがイヤともダメとも思わなかった。休み時間に韓国語で喋り続けるクラスメートを見てて、飽きなかった。珍しい風景だったからそれ自体面白かったし見応えあった。「言葉がわからなくても結構何言ってるかわかるもんだな」「怒り方ってのは同じなんだな」とか幾らでも楽しめた。
クラスの中ではわりと飄々としてて、どっちかといえば付き合いが悪い方だったけど、それでも自然と仲良くなったし、最後には大々的に送別会をやってくれて楽しかったです。結構感動しました。
B英語については、「やるっきゃない」の世界であることはこちらに来てすぐにわかった。あとはやるだけ。勉強それ自体は司法試験のやりなおしみたいなものだから、大体のアタリはついた。とにかく初級の1〜2年段階ではいかに全力で駆け抜けるかだけ、膨大な絶対量をいかに短期間に蓄積するかが勝負。資本主義における「資本の原始的蓄積」ってやつで、金持ちはどんどん金持ちになり、貧乏人はどんどん貧乏人になるのが資本主義のルールだから、その分岐点に最速で辿り着いた奴の勝ち。チンタラやったら全部無駄。出来る側に廻れば普通に生きてるだけでどんどん上手になるが、出来ない側に廻ってたらどんどんイヤになる。方法論なんか上級者になってからの話で、入門者は「とにかくやる」的方法論でいい。司法試験でもなんでも、初動の段階でやれ方法論がどうとか予備校がどうとか言ってた連中は全員落ちてるし。
とにかく「やればいいだけ」だから楽でした。視界に飛び込んでくる英文、看板だろうが、シャンプーの注意書だろうが、バスの広告だろうがなんだろうがとにかく読む。バスでもなんでも他人の会話には耳を傾ける。生活環境全てが教材だから、ここまでが勉強という区切りもなし。テレビやラジオは大体付けっぱなしでいつも耳に飛び込んでくるようにする。休憩時間?そんなもんねーよの世界だけど、普通に生きてれば全部勉強になるので、ちょっと意識的になる程度(日常を全て学びの機会に変えていくという意識)でよく、正直「勉強した」という意識もあんまりなかったです。
いずれにせよ英語の「勉強で悩んだ」という経験はゼロです。だって、やることに意味があると100%確信できることはやっててストレスたまらない。英語が「絶対必要」というのは住んでればどんな馬鹿にでもわかるし、僕にでもわかった。そこが分かればストレスなんかないです。かつて自分が勉強した中で一番楽だった。大学入試とか「こんなん意味あんの?」でストレス多かったし(だから殆どやらなかったのですが=正味2ヶ月くらい)。
勉強方法は自分でいろいろ開発したけど、基本としては心理的に一番やりたくないこと(苦手なこと)が一番役に立つので、そちらを優先。また学校での勉強だけで足りるわけはないのは言うまでもないことで、学校40%その他自習60%の四分六法則。「なんて言えばいいのか分からない」のは最大のチャンスで、何時間かかっても調べて、自分なりに英文を作って、現在の自分の最高水準をとりあえずは作る。それを叩き台にして現場でどんどん研磨していく。これは弁護士初期の修行と同じです。
C本来のテーマである「世界はどうなってるのか知りたい」というのは、結構堪能しました。こちらの賃貸システムとか、TV番組の構成とか(ゴールデンタイムに花壇作りとかやってる)、マルチカルチャリズムの本場だったし、何を見ても聞いても「へー、ほー」で飽きなかった。ネットもなかったので、わりと本屋に入り浸っていたけど、それが逆に良かった。ネットだと興味があることしか見ないので視野が狭くなるけど、本屋とかいくとか興味のないこと、知らないことが目に飛び込んでくるから、それが面白かった。「へえ、こんな本あるんだ」とか。ニュータウンの古本屋は良く行っていました。日本の本とかあったり、こちらの「日常の法律相談」という本を買ってきてペラペラめくって「へえ、同じだ」とか。新聞は隅から隅まで見た。広告とか、「くらしのページ」とか、四コマ(ではないけど)マンガとか、訃報とか、企業決算公告とか、知らない料理を取りあえず作ってみたりとか。
D将来のこと=「これから先もここにいるのか」「日本に帰るのか」で、前者に傾いたはのは割りとすぐ。極端な話、最初の数日でもう帰る気なくなってたかも。こんなに面白いとは思ってなかったし、これを堪能制覇するのには100年かかるなというのがわかった。それ以上に、街のたたずまいとか、やたら色彩がクッキリしてる風景とか、気候的にも人間的にもカラッとしているとか、そのあたりが理屈抜きに生理的に気持ち良かったのが最大の理由かもしれません。非常に感覚的な理由だから、一番間違いないと思った。
でもどうやって?というのが謎だったんだけど、とりあえずそれが見えるところまで進むこと、ある程度見晴らしいいところまで行ってからでないと考えられないと思った。後半になってからシドニー大学の法学部を勝手に見に行ったりしてたけど、永住権が取れそうだったので業者さんに話を聞きにいった。当時は永住権がすぐ取れたので、取ったわけですが、それにしてもIELTS6点ハードルはビビってました。過去問を見た瞬間「絶対無理!」と思ったけど、やらねばならないことに無理もクソもないので、とりあえず直前に自習で詰め込み勉強。もう学校も終了した後の滞在期間4週間で結構ドタバタやってたような気がする。
当初の暴挙計画は、正直日本の職場を辞めた時点でもう達成!って感じで、あとは「世界はどうなってるの?」興味だけでやってたような感じ。大変とか、しんどいとか、頑張るとか、、、、まあそうだったんだろうけど、感覚としてはひたすら「楽しい」でしかなかったです。「なんて贅沢な!」「バチが当るぞ」「日本の皆さんごめんなさい」くらいの感じ。「何のために何をする」という手段目的関係はあったけど、それがあまりにもハッキリしていたから(生きていくために→英語を勉強する、現地の全てを知るとか)、逆にもう意識もしなかったし、あまりにもハッキリしてるから何をやっても楽しかったですね。高校までに感じてた「こんなん意味あるんか?」というようなことが限りなくゼロだったから。
書いてて自分でわかったけど、僕の場合は、要は自分が納得できるか/出来ないかが大事で、それだけなんですね。納得できたら、すごい快感の波が押し寄せてくるから、ツライとか大変とかいうネガ感情も押し流されてしまうって感じ。僕の場合はそこがキモだったと思います。ただ、そんなことは18年経って振り返って言ってるだけで、リアルタイムのトップ階層はひたすら感覚的なものでした。むしろ感覚的でありたいと、感性一発!みたいなテーマ意識があったような気がする。「理屈では生きない」みたいな。