オーストラリア社会の分析/Reinventing Australiaより。

1997年1月24日
2008年補訂


●Reinventing Australia(Hugh Mackay著)
ISBN:0-207-18314-7



     という本があります。十数年前オーストラリアにやってきた際、この本を読んでからオーストラリアが「外国」だと思えなくなりました。僕にとっては「目から鱗」本です。 イチ推しします。
     著者はオーストラリアのマーケティングリサーチ組織を運営しており、様々なリサーチやインタビューを通じて、「リアルタイムのオーストラリア人の意識・行動様式」を探っているそうです。1979年以降60本に及ぶマッケイリポートを発表しています。注意してみると、時々マスコミなどでコメントを述べてたりします(2008年現在においても新聞紙上でよく見かけます)。

     その著者がこれまでのリサーチ結果をもとに、総合的に現状レポートしたのがこの本。ともすれば断片的な印象やステレオタイプに引きずられがちな「オーストラリア本」よりも遥かにリアルであり、また自分の経験に照らしてあわせてもかなり当たってると思います。

     事実、この本が総合的に描写した「不安と我慢の限界にきているオーストラリア人像」を裏付けるように、96年春の総選挙で国際指向を推進していた労働党は大敗北し、13年ぶりに保守系連立政権に戻り、以後今までの反動のように、どんどん内向き・保守的・自閉的になってるように指摘されています。また、そういう視座で見てると、ここのところの社会の流れが理解しやすいように思います。


     この本は、これまでのリサーチ結果をもとに、「過去20年のオーストラリア社会の変化と人々の意識」について総合的に現状レポートしたものです。1993年刊行でやや古いのですが、基本的内容は現在でもそんまま通用すると思いますし、昨年以降の保守回帰の動き、移民論争など、むしろこの本で書かれている意識の底流にあったものが顕在化しつつあると言えるでしょう。




     「ラスト・ストロー・シンドローム」というフレーズが、この本の最初の方で出てきます(p11〜)。「ラストストロー」とは、「最後の藁(わら)」という意味で、英語世界の故事(=いかにタフなラクダの背中も、過重な負担には耐えられない。限界ギリギリまできていたら、例えあとワラ一本載せただけでもラクダの背中も折れてしまう)からきています。そのココロは、「我慢の限界を超えさせる最後のトドメ」という意味で、言わんとするところは、ここ20年の急激な社会変化にオーストラリア人はついていけず、大いなる不安に苛まれながら、変化ストレスは蓄積しつつある。昔だったら笑って済ますような些細なストレス(ストロー)でも、切羽詰まった精神状況においては感情の暴発を招きがちになるということです。

    (原文)
    One way of explaning this is to suggest that many Australians are suffering from the Last Straw syndrome, a condition in which so much stress and anxiety is being experienced that even quite minor upsets can feel like one thing too much.

    People who are suffering from the Last Straw syndrome are often puzzled by their own outbreaks of anger ; often feel that the descent into a pit of despair was not really justfied by the event which precipitated it ; often find themselves resolving that they are going to get their lives back under control before they do something drastic or foolish in response to one of those 'last straws'.




    「陽気なオージー」が、なぜ病的になるまで精神的に追いつめられているのか?この本は様々な角度から、オーストラリア社会この20年の経過と現在を実証分析していきます。この本は、前半が状況認識編(The Age of Redefinition/「再定義」の時代)、後半が分析提言編で、面白いのは前半(200頁ほどある)で、変化のポイントを各章ごとに論説してます。本当は全部訳せばいいのですけど、そうなると数百頁かかるので、ここでは各章の最後についている「まとめの数ページ」(「典型的な個人の意見/述懐」という形で示されていて、一番分かりやすくて面白い)、そこだけを訳すことにします。


    なお、この翻訳は、ずっと前にニフティサーブのフォーラムにあった自分の会議室にUPしたものですが、再度修正の上UPします。





男女平等ムーブメントがもたらした、「男」と「女」の変化
New Women & Old Men/新しい女・古い男
−−−−The Story of Caral/キャロルの場合

曖昧になる「家族」の概念
In-Laws & Out-Laws(法律上の家族と事実上の家族)
−−−−The Story of Gwen and Bill(グェンとビルの場合)


進行しつつある社会の階層分化
Divided by the Dollar(貧富の二極分化)
−−−−The Story of Frances/フランシスの場合


もうこれ以上の移民は要らない
Are We All New Australian?/「新オーストラリア人」になること?
−−−−The Story of GEorge/ジョージの場合


政治なんかもうアテにできない
Point of Order!/議事進行に異議あり!
−−−−The Story of Jason/ジェイソンの場合


商業主義にはもううんざり
Managing Invisible Money/「見えないお金」とどうつきあう?
−−−−The Story of Margaret/マーガレットの場合

リストラの嵐の中で(2/1)
Whither the Working Ethic?/何処へいく、「勤労の美徳」?
−−−−The Story of Leo/レオの場合



★→オーストラリア人の肖像のトップに戻る
APLaCのトップに戻る