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今週の1枚(10.03.22)





Essay 455 :「海外」という選択(その4)

                参考文献/勇み足の早トチリ


写真は、Abbotsford(アボッツフォード)。って何処?というと、ココです。


 前回に引き続き、オーストラリア攻略法です。前回は、過去を忘れろという話でした。これまで生きてきた日本環境において、あなたなりに快適に暮す生活術を構築してきたのだけど、そんなものは環境がガラリと変われば通用しなくなる。だから過去の成功体験に縛られるなって話です。

 今回は、両目をしっかり開いてオーストラリアの現実を直視し、新たにあなただけの快適な生活術を構築しようという話です。


いわゆるガイドブックや参考文献

 海幸彦、山幸彦の話ではありませんが、海には海のルールがあり、山には山のやり方があります。海から山に移動したら、いつまでも「綺麗な珊瑚礁がない」「サーフィンができない」とか海を懐かしがっているのではなく、山の楽しみ方をどんどん見つけていくのが幸福への近道です。あ、「近道」ではないな、「王道」と呼ぶべきですね。

 山(オーストラリア)の楽しみ方を探すわけですが、まず普通にやることは、オーストラリアの楽しみ方を書いたガイドブックを読むことでしょう。
 ただしガイドブックにも色々な種類やアプローチの仕方というものがあろうかと思います。まずはそのあたりから。


 最初にとっつきやすく、皆さんが手にするであろうガイドブックは、おそらく

  @、「在留届はこうする」等の、いわゆるハウツー系のマニュアル
  A、面白いスポットや美味しい店を紹介しているガイド


 の類かと思われます。
 この種のガイドブックは幾らでも刊行されていますし、WEBもあります。現地でも日本語のコミュニティ誌によるハンドブック(MOVEやDOMOという本)があります(詳しくはワーホリ実戦講座地図編参照)。

 しかし、それだけに留まっていたらいずれは行き詰まるでしょう。まず、情報の絶対量が多くないうえ、現実は刻々と変わりますから。そこでそれだけではなく、以下のものを付加してください。

 B、@Aと同内容であるが、日本人以外の著者によるものです。これはさらに、オーストラリア人がオーストラリア人のために書いたものと、オーストラリア人でも日本人でもない第三国の人(アメリカ人とかインドネシア人とか)がオーストラリアについて書いたものに分かれますが、いずれも有用です。僕ら日本人とは全然違った視点から書かれているから、頭の中のオーストラリア像がみるみる立体的になります。

B-1 オーストラリア人によるローカルガイド

 ただし、オーストラリア人のローカルガイド本というのは、日本の感覚でいえばびっくりするくらい少ないです。僕も最初のころ、さんざん本屋巡りをしましたが、結論的には「ほとんどない」ということでした。日本の場合、「これでもか」というくらい様々なガイド本がうなりをあげていますが、いやあ日本は斜陽とはいえやっぱり出版大国です。

 ちょっと横道に逸れますが、オーストラリアの場合は、そもそも本の絶対数が少ない。ステイ先に送っていったり、不動産のインスペクションなどで、オーストラリア人の家の中には1000回以上入ってると思うのですが、あんまり家に本というものがないよね。ものすごく沢山持ってる人もいるけど、多くは「どうやって暮してるの?」というくらい生活感が無く、インテリアショップのショールームみたいな家が多い。逆に、アジア系の家は、それが日本人だろうが中国人だろうが、懐かしいくらいに雑然としてますね。インテリアもヘチマもないって感じで。だもんで、白人度が高くなるにつれ、そして所得が高くなるにつれ、生活感が消えていく傾向があるようにも思います。で、総革張りの200万円くらいしそうなラウンジセットと、100万円くらいしそうなアンティークの家具のなかに置かれている本というのは、持ってるだけで腕が疲れてくるような重い写真集とか画集が多い。あ、本は少ないけど、絵画は多いですね。

 こんなんじゃ本なんか作ってもそんなに売れないだろうなって気がしますね。だからなのかもしれないが、またこれはオーストラリアに限らず西欧一般の傾向かもしれないが、作家になるというのはとてつもなくハードルが高いようです。同じように教授になるのもえらい大変で、作家と教授になるなら日本の方が簡単だと思います。あ、日本でもっと簡単なのは学士号を取ることですね。バチャロー(学士号)取るなら日本ですよ。遊んでても取れるから。

 で、ガイドブックの話ですが、この種の本も皆無というわけではないですが、本屋を探すよりもニュースエージェンシーを探した方がいいです。新聞社などが年に一回定期的に出すという感じ。売り切れたらそれきり。むしろWEB系の方が情報は充実しているかもしれません。レストランガイドで紹介しているEatbilityなどは、純粋に投稿掲示板ですが、その絶対量の膨大さからいって、SMH社のGood Food Guideよりも使えます。あとはもうサードパーティが懇切丁寧にガイドしてくれるのではなく、直接役所や関係機関に電話したり、WEBページを見た方が早い。こちらでは、「とにかく他人に聞け」というのがベースにあり、他人に聞けば済むようなことをわざわざ本にして出す必要なんかないし、皆も躊躇わずにガンガン電話したり聞いたりするので、ニーズもない。

 あと、CHOICEのように異様にストイックで戦闘的な「暮らしの手帖」のような本もあります。CHOICEについては、エッセイ281番で紹介しています。戦闘的というのは、例えば銀行のクレジットカードの約款が詐欺に近いとか、騙しであるとか主張して、金融界を敵に廻して大喧嘩するのを辞さないわけで、消費者情報誌として徹底しています。駄目な商品は自前の実験室でのデーターを詳細に示して酷評するし、何事もなあなあにしない西欧式喧嘩上等カルチャーの一端に触れられるでしょう。


B-2 日豪以外の第三国人からみたオーストラリア本

 正攻法の社会評論本は次に述べますが、アメリカ人やイギリス人、フランス人などが書いている本で、もっぱら「オーストラリアってこんなにヘン!」的なユーモラスな本が多いです。オーストラリアのことを、ダウンアンダーというのはご存知かと思いますが、そのイメージのとおり、「地球の反対側では皆逆立ちして暮しているんだよ」みたいな、情報というよりは漫談みたいな感じ。

 Robert Treborlang氏の著作が有名(なんかな?)で、「オーストラリア人の常識」という本を読んだことがあります。現代は”How to be Normal in Australia”だったかな。ユーモアがコテコテ過ぎて、実際の生活には殆ど役に立たないけど、それでも「ほう、君らにはそう見えますか」という視点を得ることはいいことです。

オーストラリアにやってきて、「ふーん」とか「へーえ」と思っているのはアナタだけではない。世界中の人が「ふーん」と思っているのであり、ブラジル人が見るオーストラリア、モンゴル人が見るオーストラリア、それぞれに違うのでしょう。オーストラリアVS日本という、ともすれば硬直的になりがちな二次元的なモノの見方は、早いところぶっ壊しておいた方がいいです。その意味で、日本人でもオーストラリア人もない人が語っているオーストラリア観は有効です。それが正しいかどうかは別として、です。


C オーストラリアの社会についてちゃんと解説した、非ハウツー系の本格的な論考

 しかし、真打ちはやはり、これでしょう。メチャクチャ役に立ちます。原理原則なので、ほとんどあらゆる生活局面に通用します。既に、語学学校研究/準備編で述べましたが、リンクを辿るのも面倒なので、重複を恐れず紹介します。

 オーストラリアに住む以上、それもワーホリさんのようにわずか1年とかいう短期ではなく、どうかしたら骨を埋めるかもしれない移住の場合、「オーストラリアとはどういう社会か」というド基礎を押さえておくのはMUSTと言っていいでしょう。オーストラリアという国や社会が成り立っている根本原理は何か、オーストラリア人は何を考え、どういう価値観をもって、どういう生活をしているのか。これは、細々とした@Aのハウツー系なんか比較にならないくらい役に立ちます。ハウツー系情報は、例えば住所が変わった、法律が変わったということですぐに通用しなくなります。賞味期限が短く、射程距離が短い。

 それよりもバリバリ排他的な白豪主義だったのが、なぜ180度転換してマルチカルチャリズムになったのか、それはタテマエだけなのか、具体的には移民に対してどういう施策を施しているのか、そして人々はどう暮しているのかという根本的なところの方が遙かに役に立ちます。またオージーと軒を並べて暮す以上、彼らの愛唱歌「ワルチング・マチルダ」や、”I Love A Sunburnt Country”という詩が意味するオージースピリッツを知っておいた方が、あらゆる局面でのオーストラリア理解を助けてくれるでしょう。そして、それはより正確な現場の理解につながり、あなたの判断や行動を助けてくれます。

 もっとも移住を決意されるくらいですから、過去の僕がそうであったように、このようなオーストラリア社会理解からはいって、「そうだ、オーストラリアに行こう」と思われた人も多いでしょう。そういう方々は、以下のパラグラフはスキップして次に行ってください。

 あちこちで僕が良書として紹介しているのは、杉本良夫氏の著作です。杉本氏は京都出身で毎日新聞記者〜アメリカで博士号取得〜オーストラリアの大学、そして自身オーストラリア国籍も取得され、この国に溶け込んでおられます。該博な知識と豊富な生活経験、そしてジャーナリスティックな客観性と平易な文章からイチオシです。オーストラリアの本は沢山ありますし、僕もほんの一部を読んでいるに過ぎませんので、さらに素晴らしい本が多数刊行されていると思いますが、とりあえず知ってるところで。

 杉本氏の著作は多いのですが、日本人をやめる方法 (ちくま文庫) は僕にとってはオーストラリア移住の最初の一歩になった記念すべき本です。京都地裁からの帰り道、河原町丸太町でバスを待ってる間に、ヒマだから古本屋で買ったのですが、まさか本当にオーストラリアに移住してしまうとは(^_^)。 オーストラリア―多文化社会の選択 (岩波新書) は、マルチカルチャリズム社会について書かれた易しい入門書です。オーストラリア6000日 (岩波新書)もオーストラリア社会を知るには好著だと思います。


D 本格的なオーストラリア社会論で、日本人以外の著者によるもの

 B-1とCを掛け合わせた存在、つまりオーストラリア社会に対する正統派の論考であり、かつ日本人以外が書いた本。

 これは最初やってきたときにあれこれ読みふけりました。そういえば、もう10年以上ほったらかしている文献紹介のページが実はあって(いい加減更新しなきゃね〜)、そのなかの英語文献の章に多少紹介してあります。このページは今を遡ること13年前の97年に作ったのですが、この章に関しては変更する必要がないです。今でも読む価値はあります。

 とりわけ初期の頃にHugh Mackay氏の著作と出会ったのは大きかったです。非常によくわかった。オーストラリアと日本が本質的には何も変わらないということも分かって、それが良かったです。あまりに良かったので、自分で翻訳して紹介しているくらいです(オーストラリア人の肖像)。

 しかし、わざわざ本屋に買い求めにいかなくても、オーストラリアの新聞やネットで、幾らでもこの種の評論はゲットできます。例えばSydney Morning Herald新聞のNational Timesには、コラムやら社説(Editorial)やら投書(Letters)があります。これらは基本的にオーストラリア人がオーストラリア人に語りかけているわけで、彼らがオーストラリアの今の社会をどう思っているか、どういうことが彼らの常識なのかというのがよく分かります。

 あと、B-2とCを掛け合わせた本(第三視点からみたオーストラリアの本格的な社会論)は、これも紹介してますが、Ratih Hardjono著の「White tribe of Asia」が良かったですね。インドネシアのジャーナリストが書いたオーストラリア分析ですが、テキストとして非常に役に立ちました。紹介箇所でも書いたけど、アボリジニと本当の意味で友好関係を築いたのは日本人の漁師達だけだという指摘は、日本人としては知っておいてもいいかも。

E 世界の同志達のことば

 また、世界の各地から自分と同じような思いでオーストラリアにやってきている「同志達」の語ってることは、本当に役に立ちます。なんか「役に立つ」なんて利便的な物言いが恥ずかしくなるくらい魂にズンときます。僕だって、単に同じ日本人というだけの人よりも、思うところがあって故国を出て、現地であれこれ苦労して住んでいる人達の方が、ずっと「俺の仲間だ」って気がしますもん。別にいちいち付き合いませんけど、でも、彼らが頑張ってるから僕も頑張れるってところは凄くあります。つい先日も、知人の結婚式に呼ばれましたが、30年前に共産国ポーランドから亡命して移り住んできた人のスピーチは、胸を打ちました。もう「生きる」ということに対して、真正面から向かい合ってて、すごく真摯で。へらへら生きてたらぶっ飛ばされそうで、久しぶりにいい刺激でした。オーストラリアに来たら、こういう連中があなたの仲間になります。そんな奴らばっかりで国が出来てます。その深みと奥行きを知ってください。そして、あなたがこちらの社会に入っていけば、"Why did you come to Australia?"と必ず聞かれるでしょうから、自分なりの思いをちゃんと伝えてください。

 ただし、これらの言葉はまとまった形でそれほど刊行されているわけではありません。また、あまりにも日常的になっているので、とりたててニュースになるものでもないです。多少なりとも意識的になって、折にふれ接するように、、という一般的なことしか言えません。でも、気をつけていると時々出てきますよ。あるイギリス人のオーストラリア永住権取得物語というのは、新聞か雑誌で読んだことがありますが、面白かったです。たしか「ロンドン郊外、電車で1時間の住宅地に住む銀行員のA氏は、、、」という感じで話が進み、パース旅行で自然の豊かさにガビーンとなったA氏が、「ロンドンなんか人間の住む所じゃない!」と一念発起し、オーストラリア永住を決意、永住権申請のためのポイント集めや、梨の礫のお役所仕事に苦労しながらもついに移住するところまでが書かれていて、まんま日本人と同じなんですね。「同じようなこと考えてるんだなあ」と妙に感心しました。



勇み足の早トチリ

 これら有益な本以上にオススメしたいのが、自分の目で見て、自分で考えることです。
 移住しようという方は、人並み以上に自立心や独立心のある方でしょうから、こんなことは釈迦に説法だとは思うのですが、強調しすぎてし過ぎることはないので、敢えて書いておきます。

 幾ら有益な書籍や情報があろうと、煎じ詰めれば、しょせんは一人の人間の私見であり、主観に過ぎません。あなたがそれと同じように感じるかどうかは保証の限りではない。僕がこのHPで書いていることも、あなたにとってはイチから十まで異論があるかもしれません。それでいいです。むしろそれは素晴らしいことだと思います。

 大切なことは、オーストラリアにやってきてあなたがハッピーになるかどうか、ただその一点だけです。あなたは世界万民を幸福に導くキリストのような使命を帯びているわけではありません。自分と、自分に同行する近しい人々の幸福だけを考えていればいいです。他の人間がオーストラリアに来て幸福になろうが、不幸になろうがどうでもいいです。この点に関しては、思いっきりエゴイストになっていいです(笑)。誰が何を言おうが、「いや、俺はこう思う」というのを確立していってください。そして、「オーストラリアという素材は、このように料理するのがベストである」という自分流のやり方を見つけていってください。

 しかし、手の平を返すように、ここで180度矛盾したことを言いますが、オーストラリアに着いてからしばらくの間(せめて1年間)は、自分が考えていることは、ぜーんぶ間違ってるくらいに思っててください。「誤り」と断定するのではなく、「まあ、ほんとのところは分かんないけどね〜」くらいに保留しておいてください。理由は以下の通り。

 オーストラリアにやってきたばかりの頃は、何を見ても物珍しいでしょう。そして、「ふーん、オーストラリアは○○なんだ」と色々な感想を抱かれるでしょう。ただし、最初に見聞した生の事実と、それを「オーストラリアは○○だ」と思う部分とは違います。後者は自分の「解釈」部分で、それはどう思われようと自由なのですが、出来るならば前者の「生の事実」の部分だけを頑張ってキープされるといいと思います。なぜなら、「オーストラリアは○○だ」と最初の頃に思った解釈というのは、経験を重ねるにつれ修正され、いずれ全部パタパタとひっくり返されたするからです。時として、「最初は○だと思ったけど、だんだん×だというのが分かってきた」と真逆の結論になることも珍しくありません。10年以上過ぎてからやっとそれに気づくということもある。

 あるいは、気づかないうちにボケをかましている場合もあります。以前、オーストラリアに来られた方が、青空に白い月が浮かんでいるのを見て、「へえー、オーストラリアって昼間でも月が見えるのですね」と言っておられました。ご承知のとおり日本だってどこだって昼間にも月は見えるのですが、「なるほど、そういう解釈もアリなんだ」と僕は逆に新鮮な思いがしました。何を見ても、「オーストラリアだから」という解釈になってしまうという。確かにそういうことってあるのかもしれません。

 オーストラリアに来てカルチャーショックを受けたとしても、それが「オーストラリアだから」なのかどうかは分かりません。オーストラリアに限らず西欧諸国一般のカルチャーかもしれないし、西欧諸国一般ではないが英語圏一般のものかもしれないし、単に日本とは違うというだけの海外全般に共通する特徴かもしれないです。また、それはシドニーだけの特徴でオーストラリア一般ではなく、あるいはシドニーのごく一部のサバーブの特徴であって、シドニー一般の特徴ではないかもしれません。あるいは単に出会った人が非常に特殊な人だっただけかもしれない。はたまた事実認識そのものを思いっきり誤解しているのかもしれません。

 語学学校時代に聞いた話ですが、オーストラリアに着いた韓国人留学生がタクシーを利用し、料金はフィフティーン(15ドル)だというのをフィフティと聞き間違えて50ドル払ったら、溢れんばかりの笑みを浮かべたタクシーの運ちゃんからサンキュー!といってハグされた、オーストラリアはなんてフレンドリーなところなんだ!と感激したという。学校でのテーマは「リスニングには注意しよう」ということなのですが、ここでのテーマは、その種の事実誤認は日常茶飯事だということです。

 オーストラリアは自然が豊かですが、でもよく考えてみたら、地球というのはもともと自然が豊かです。別にオーストラリアだけではない。日本だってオーストラリア以上に美しい自然に恵まれています。とっても普遍的なことなんだけど、オーストラリアにいてそのことに気づいたって場合もあります。つまりオーストラリアの特徴ではなく、オーストラリアの環境が触媒になって普遍的な事実に気づかせてくれるわけです。自然の美しさのほかにも、例えば「家族の絆」であったり、「生きる」ということであったり。

 目の前の事実をそのまんま見るというのは、これで結構難しいです。とりあえず何らかの「解釈」とインデックスをつけて、自分の頭の書棚に整理しようとするのが人間の頭の作用ですが、往々にして無理矢理整理しちゃうのですね。でもって、変なところに整理されているから、あとでとんでもない回り道をさせられたりもします。10年くらい住んでから、必死になって調べて、考えて、やっと分かったと思ったら、「ああ、そういえば最初の頃にそんなことがあったよなあ」と。これは恐いです。単に無駄だというに留まらず、みすみすお宝を見過ごすことだってあります。

 というわけで、最初の数年、せめて最初の1年くらいは「オーストラリアは○○だ」と決めつけない方がいいでしょう。

 まあ、何事によらず「決めつける」という行為は100年経とうがダメですけど。僕も、シドニー雑記帳時代から十数年にわたり日記代わりのように書き続けていたこのHPのエッセイでも、初期の「そんなに簡単に分かってたまるか(96年11月)」にはじまって、定期的に思い出したように「まだまだ全然わからない!」という呻きのようなことを書いてます。物事というのは分からんですよ。本当に、ほんとーーに、分からん。知れば知るほど、考えれば考えるほど収集がつかなくなります。でも、だからこそ世界は面白いのですが。

 特に最初の頃というのは、何もかもが未知の世界で不安だから、とりあえず早く周囲の状況を理解したいという思いに駆られ、ついつい勇み足で早とちりもするでしょう。それはしょうがないんだけど、「勇み足をしがちな年頃」だと思っておられるといいです。極論すれば、自分なりの「オーストラリア論」は全部間違ってるくらいに思っていてもいいです。誰だってそんなもんですよ。

Baginspection

 そういえば、日本のどっかの掲示板だったかで、スーパーで買物をしていたら、レジの所でカバンを見せろと万引犯の疑いを掛けられた、日本人だから犯罪者扱いされた、オーストラリアはとんでもない人種差別の国だと熱い主張をしておられる人がいたのですが、ありがちな誤解ですよね。こちらのスーパーのレジなどでは、ランダムチェックをしますし、バッグのインスペクション(カバンの中を見ること)にご協力くださいとレジのところによく書いてあります。レジの店員さんのマニュアルには、おそらくは「何人に一人くらいの割合でやれ」と書いているのでしょう、別に疑うとかそういう主観的な疑念なしに、事務的にチェックしてます。オージーも、僕も、住人達は慣れたもんですから、言われる前から「はい」とカバンの中を見せたりするし、言われても別に不快にも何にも思わない。新幹線の車両で切符の検札をされるようなものですからね。

 およそ人種差別は一番誤解されがちであり、且つ誤解かどうか微妙だったりします。何度も書いているけど、僕個人としていえば、17年住んで未だに差別らしい差別を受けた記憶はありません。そりゃ不快な経験は沢山あるけど、それが差別なのかどうか、ましてや人種に基づくものかどうか。こっちはその種の差別には皆さん敏感ですし、うるさいですが、逆にその感覚で見ると、日本なんて求人広告に性別や年齢を堂々と書いてるわ、賃貸でも外国人お断りとか平気で言うわで、卒倒しそうなくらい濃厚な差別を日常的にしてます。放送禁止用語満載でニュースで読み上げているくらいのショックがあるでしょう。日本はともかく、差別ですけど、単純に英語がヘタクソだから、「あーもー」って顔をされることはありますよ。でもそれって差別というのはちょっと違うでしょ。

 それに単純に人間としての好き嫌いもあるでしょう。こっちにきて「俺は差別されている、ヒドイ目にあっている」という人に何人か会ったことがありますが、詳しい事情は分からんけど、それって単に個人的に嫌われているだけじゃ?って気がしましたね。だって、僕から見てもあまり好きになれない感じの人、、、なんて、遠慮して書いたらニュアンスが通じないかもしれないけど、もうちょいキツイ感情を抱いてしまうような感じの人でしたし。でも、まあ、分からんですけどね。他人が自分に優しくしてくれないのは、差別だとか、不当だとか、モンスターペアレンツみたい論理で思うかもしれないし、真実理不尽な仕打ちを受けておられるのかもしれない。それはもう分からんです。

 分からんけど、移住に限らず、世の中渡っていこうと思ったら、そんなもん気にしてちゃダメでしょう。タフでなければ生きていけない。人間がみな聖人君子であるわけもなく、また僕もあなたも不完全な人間だから、好ましからぬ言動を取ってしまうことだって、マレには(?)あるでしょうよ。そりゃ村八分状態で、町を歩けば常にリンチにあってるとかいうなら別ですけど、10年以上住んでてあったのかなかったかよう覚えていない程度だったら「無い」と言ってもいいだろうし、少なくとも問題点として挙げるほどのことではない。そんなことより他にもっと重要な問題(「お金がない」とか)があるのだから。でも、オーストラリアでその種の差別があるとしたら、911テロ後の数年間、中東系の人(特にレバノン系)に対するもので、最近はインド系かな。しかし、それって順繰りになってて、開拓初期は中国人、次に戦後移民してきたイタリア、ギリシャ系、次にベトナム系、、、という形で、とりあえず新米が割を食うのは世界共通でしょう。日本人に対する差別は特にねえ、、、むしろ逆差別はいろいろ感じるけど(優遇されてるな〜という)。


 話が逸れましたけど、「自分の目で見て考える」ということと、「自分が考えたことを信用するな」というのは、一見矛盾しているようで矛盾してません。むしろ相互補完の関係にあります。

 自分の考えでやっていくからこそ、自分の考えが間違っていたらエラいことです。自分の考えに対する自己検証システムは、自立してやっていこうと思えば必須です。誰よりも自分自身が自分に対する辛辣な批判者でなければ。

 しかし、こういった自己に対する批判的検証というのは、先ほどのべた「解釈」にかかわる分です。解釈以前に、単純に見聞した生の事実というのがあるわけで、その部分は忘れずに大切にされるといいです。

 なぜかというと、オーストラリアの良いところとか、オーストラリアの賢い使い方というのは、えてして解釈などの理屈の部分ではなく、もっとナマの事実の部分にヒントが転がってたりするものです。それはハンバーガーを買いにいったら店のオジサンが他愛もないジョークでケラケラ笑ってて陽気だったとか、そういうことです。

 僕も一番最初に着いた日、泊ったモーテルのフロントに、「後で荷物が送られてくるから受け取っておいてくれないか」と緊張しながら現地英語デビューをしたのですが、そのときのチャイニーズ系とおぼしきおっちゃんの、満面のスマイルと、「ノープロブレム!」という言葉には本当に救われた気分がしました。はたまた、イタリア人の街ライカードを探検したとき、お洒落にキメたいかにもイタリア系というおじいちゃんに道端で出会って、「おお、日本人か!知ってるか?戦争中日本とイタリアは同盟国だったんだよ」とブンブン握手をして、最後には"God bless you!"と言われ、しかし何言ってんのか分らず怪訝な顔をしていると、天を指さし、僕の胸を指さし、「ガッド・ブレス・ユー」と何度も言ってくれました。「だから、なんだ?」というと結論はないのですが、でも、そのときのおじいちゃんの顔や、歩道の陽射しの感じはありありと覚えています。そういう記憶が結局残るんですよね。

 あるいは、人との関係ではなく、風景なども印象深いものがあります。学校に通ってる頃、毎朝大きな芝生の公園を延々突っ切って歩いていたのですが、朝の強い光が芝生に当たり、あたり一面キラキラして、もう目を開けてられないくらいに眩しかった感じは今でも再現できます。ほかにもバスや電車に乗ってるときの空気感とか。もっといえば、「空が青い」「海がきれい」とかそんな生理的な感覚が残ります。

 オーストラリア社会に対する深い深い考察や研究は大事なことですし、怠けずにやるべきです。
 でも、それとは別次元に、空気がカラッとしてて気持ちがいいとか、空がやたら広く感じるとか、老人と子供が幸せそうな顔して歩いているとか、そういった部分が実は永住を決意する柱になってたりするものです。そうとは意識しないのかもしれないけど、でもなってる。

 さて、自分を省みてなんで永住しようと思ったかといえば、やっぱり、このデカくてスカスカな感じが気持ちいいのだと思います。もともと不器用なので、細かいことをチマチマやるのが嫌いなんですよ。だからデカくて、大雑把なのが生理的に気持ちいいんでしょう。「どうしてオーストラリアに来たの?」と聞かれたら、「デカいところが好きだから」と答えるようにしています。



文責:田村


 「”海外”という選択シリーズ」 INDEX

ESSAY 452/(1) 〜これまで日本に暮していたベタな日本人がいきなり海外移住なんかしちゃっていいの?
ESSAY 453/(2) 〜日本離脱の理由、海外永住の理由
ESSAY 454/(3) 〜「日本人」をやめて、「あなた」に戻れ
ESSAY 455/(4) 〜参考文献/勇み足の早トチリ
ESSAY 456/(5) 〜「自然が豊か」ということの本当の意味 
ESSAY 457/(6) 〜赤の他人のあたたかさ
ESSAY 458/(7) 〜ナチュラルな「まっとー」さ〜他者への厚情と冒険心
ESSAY 459/(8) 〜淘汰圧としてのシステム
ESSAY 460/(9) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(1)
ESSAY 461/(10) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(2)
ESSAY 462/(11) 〜日本にいると世界が遮断されるように感じるのはなぜか 〜ぬくぬく”COSY"なガラパゴス
ESSAY 463/(12) 〜経済的理由、精神的理由、そして本能的理由


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