日本に戻りワーホリビザを取得後、WWOOF体験をするべくオーストラリアに戻ってきた。WWOOFをしようと思った理由は、お金をあまりかけずに旅を出来て、かつ自然を満喫できるからだ。
Outback含めてオーストラリアの自然にはかなり興味があったので、自然が豊富と聞いていたWestern Australiaに行こうと最初から決めていた。
そこから東海岸のシドニー目指して一年かけて旅をしていこうかな、と漠然と予定を立てた。どうせ旅をしている間に予定なんてコロコロ変わっていくだろうから、大まかにだけ。
注:↓長谷部さんの手記に基づき、今回のWWOOF3箇所を図示しておきました。
1軒目 デリック in Boshack 2011年6月上旬
オーストラリアに来る前に日本でWWOOFの本を手にいれ、入国する2週間前からパース近辺のホスト20件くらいにメールを送ったがOKをもらえたのは2,3件で、Boshackのホストであるデリック以外は希望した日から2週間くらい後なら大丈夫という返事だったのでデリックに決めた。
※住んでいた寝床
Boshackは簡単に言ってしまえば、アウトドア体験のできるキャンプ場サイトだ。
といっても、日本のキャンプサイトとは規模が違って広さは東京ドーム数個分のレベルである。
シンガポールからの家族やオーストラリアの小学生が社会科見学に来て、動物に餌をやったりアボリジニのブーメランやビジリドゥを体験し、希望者はテントで宿泊もできた。
カンガルー、クロコダイル、エミューの干し肉体験というのもあって私も食べてみたが、ビーフジャーキーの味と変わらなかった。
場所はパースから車で2時間くらい離れてて、最寄りの町でさえ車で30分かかる場所にある文明から隔離されたようなところだった。
電気は電線ではなく発電機を使って得るし、水もメインは雨水で飲み水は別に用意していたし、シャワーを浴びるのにも薪を使って暖炉のようなシステムで温水を作らなければならなかった(そのため、シャワーは3日に一回)。
しかし、町から離れた辺境地だったから自然が本当に綺麗で景色を眺めながら散歩をするのは楽しかった。また、星や虹がくっきりと見えるのには驚いた。
ホストのデリックはeasygoingなおじいちゃんだった。この人との会話で英語の洗礼を受けた。
何を言っているのか聞き取れないし、こっちが言うことも向こうが聞き取れない。
ネイティブの人(しかも高齢者)との会話がここまで難しいとは知らず、語学学校のIELTSクラスである程度英語が使えるようになったという自信がポッキリと折れた。そのため悪い癖で、英語ができないことからくる気後れがこの後しばらく続いた。
※シャワーのために薪を燃やして温水にしているところ
初めてのWWOOF体験でそのときはあまり気にしなかったが、ここでは休日も無く毎日8,9時間は働かされた。一応、WWOOFでは一日6時間まで、週42時間以内の労働時間が決められているにもかかわらず。しかし、空き時間があっても電気がほとんど使用できず、町にも簡単に行けない場所だったため、散歩をするかテントで休むくらいしかできなかったので結果的には良かったのかもしれない。
仕事は、動物の餌やりからボートの掃除、ベッドメイキング、体験ツアーの手伝いなど色々とやった。
印象的というか嫌な思い出が、朝から6時間くらい働いて遅めの昼食を取っているときに、その日初めて会ったデリックの娘がデリックに「この日本人、ちょっと借りていい?(Can I borrow this Japanese?)」と聞いて、食べてる途中にもかかわらずベッドメイキングをやらされたことだ。ようやく取れた休憩を途中で止められた上にこっちには何も聞かずにまるで物のように扱われて、「なんでこんなにされてまで働かないといけないんだろう」などと思った。文句、というかせめて昼食が終わるまで待って欲しいくらいは言えばいいのに、気後れで何も言えずに従っていた自分が情けない。
結局、ここの環境が辛くて10日間で出て行ったけど機会があればまたここで働いてみたいと思ってる。
デリックも良い人だし、自然も綺麗だし、何より依存しがちな文明の利器や都会の便利さから距離を置く修行になる。
2軒目 サヒマ in Denmark 2011年6月中旬
パースに戻り、他のホストを探したらパースから400kmほど南のDenmarkという町に住んでいるサヒマからOKをもらえたので、途中マーガレットリバーで鍾乳洞観光をしつつ、バスでDenmarkへと向かった。
※マカデミアンナッツとその中身
彼女の家もまた広く、サヒマ・サンクチュアリという名前をもっていて日本の大きな公園くらいはあった。
ここでの仕事は主に、ガーデニングと果物の収穫だった。
ガーデニングといっても、落ち葉拾いや雑草取りばかりだったがたまにGardenerの人が新しい植物を植えに来たのでそのときはその手伝いをしてた。
果物は、りんご・みかん・グレープフルーツ、そしてマカデミアンナッツを収穫してた。
マカデミアンナッツなんてチョコレートの中に入っている状態でしか知らなかったので、栗みたいに殻があるとは思わなかった。取れたてのを食べさせてもらったけど、甘くて全然硬くなくまるで果物みたいだった。
※寝床と外トイレ
サヒマは50代くらいのフランス系アメリカ人で若いときにオーストラリアに来て、時間をかけてこのサンクチュアリを徐々に開拓していったらしい。
彼女からは私の英語のダメなところとコミュニケーション不足を指摘された。
私の英語には "to" や "for" がほとんど入っていなく、「I went to a town to buy food for myself」ではなく「I went to a town」だけになっていた。
それまでは言いたいことを伝えることに焦点を当てていたので短い文をいくつもしゃべっていたけど、それからは長い文をしゃべるように意識するようにした。
そして、ネイティヴとの会話がうまく成立せず、すっかり気後れし、会話をするのが怖くなっていた私は、もっとコミュニケーションを取るよう指摘された。
お互い無言で黙々とマカデミアンナッツの殻を剥いているという状況が何度もあったのだから当たり前だ。
そのときはもう、何を話せばいいのか何て言えばいいのかわからなくなり、借りてきた猫のように黙っておとなしく仕事をしていた。
指摘されてからはコミュニケーションを取ろうと努力したが、指摘されたのが出て行く2日前だったためもっと早くにやっておけばよかったと後悔した。
ここに滞在中、自転車でオーストラリア一周をしている日本人に偶然会った。
そのときは、時間があまりなくてそれほど話さなかったが自分も自転車での旅が大好きなのですっかり意気投合した。
彼はパースからスタートして南側ルートという私と同じだったので、その後お互いの移動手段は違ったが別の町で別の季節で2回ほど会った。
私のコミュニケーション能力に問題があったが、サヒマは優しく、料理もおいしかったのでできたら長く滞在したいなと思っていたのだが、次のWWOOFerが来るからという理由で2週間ほどで出て行くことに。
※果樹園と野菜園
サヒマのところを離れた後、隣町のAlbanyへとハーベストジョブを探しに行った。
デリック、サヒマと毎日無給で7時間8時間も働くことに嫌気が差し(この考えは後に変わる)、どうせ働くならお金が欲しいと思い仕事を探すことにした。
しかし、町唯一のハーベストジョブ紹介所のバッパーで「無い」と言われる。
見つからないなら違う町で探せばいいや、とインフォメーションセンターに東方面へ行くバスの予約に行ったら週2回しかバスが無く3-4日待たなければならなかった。じゃあもう西オーストラリア州はいいから南オーストラリア州へ飛行機で行こうと思い、パース行きのバスチケットを買った。
飛行機でアデレードまで飛んだあとは、何日もバッパーで過ごしながらハーベストジョブを探すのは嫌だったので、それと並行してアデレード近くのWWOOFホストにも連絡して両方面から滞在先を探した。
バッパーでアデレード観光しながら探した結果、3日目にワイン生産地で有名なバロッサバレーのWWOOFホストからOKをもらい、二つ返事で向かった。
そのときもまだ無給仕事に抵抗があったけど、じっとしているよりかはとにかく動くべきだと思ってバロッサバレーへ行った。
3軒目 ウェイン in Tanunda 2011年6月下旬〜9月上旬
ここでのWWOOFは今までの2件と少し違っていた。
ワイン用ぶどうとオリーブオイル栽培者のホストであるウェインはドライフルーツで有名な Angaston に住んでいて、WWOOFerは仕事場である Tanunda の Vineyard の敷地内に住むという WWOOFよりも住み込みのハーベストジョブに近かった。
仕事は雑草取りから Vine pruning(ぶどうの枝の剪定)までいろいろやった。
ただ、ここは食事を自分で買って用意する代わりに週に6時間働くだけで良いというものすごく甘いところだった。
その空いた時間で、自転車でワイナリー巡りをしたり、家に置いてあった初心者向けのワインや科学の本を読んでいた。
※Vine yard 収獲の時期が終わっているため何も無い状態
ここで初めて他のWWOOFerにも出会った。日本人女性とイタリア人男性とオージーのおっさんと共同生活を3ヶ月近く過ごしたけど、とても楽しかった。
初めて住居に行ったとき、おっさんがウェインからもらったワインを飲んですでに出来上がってて「まぁ、座って飲めや」とすすめられ、ろくにWWOOFや住居の説明を受けずにそのまま夜中まで酒を飲んだ。
基本的にオージーはフレンドリーに接してくれるけど、このおっさんはそれ以上に陽気でフレンドリーだったためすぐに好きになった。
私よりも2,3日前に住み始めたにもかかわらず、すでに住み慣れた主の雰囲気をもっていた。
何でもオーストラリアを旅している途中、立ち寄った Tanunda という町のバーでイタリア人男性と意気投合して旅の資金を貯める目的で一緒に滞在することになったそうだ。
このおっさんとの一番印象に残っている会話がその人生観だ。
彼が若いころ母親の仕事の手伝いで老人ホームに勤めてたとき、長い人生を送ってきた多くの先輩たちに人生を生きるコツを聞いたら、その答えが「Have a fun in your life(人生を楽しめ)」だったそうだ。そのアドバイスどおり、彼は本当に人生を楽しそうに生きていた。
※ワインの空き瓶がたくさんあるキッチン
住む部屋が一緒だったイタリア人男性も素晴らしい若者だった。
気さくでいろいろ気が利いて、一緒に話をしていて気持ちの良い人間だった。
住み始めて1週間くらいしたころ、彼が仕事の同僚(彼はウェインとは別の賃金が出るVine pruningの仕事をしてた)を家に呼んでパーティを開いてそれに誘われたのだが、風邪と気後れから断ってしまった。気後れしたことに後悔して、その後の別のパーティには積極的に出るよう心がけた。
会ったときから彼は英語がかなりしゃべれていたが、英語の習得にとても一生懸命だった。
彼が英語についてオージーのおっさんに聞いて、それに便乗して私や日本人女性もわからないことについて質問してちょっとした英語勉強会が開かれることもよくあった。
滞在中、2軒目のDenmarkで会った日本人の自転車旅行野郎がアデレードにまで来たことを聞いたので Tanunda に招待して一緒にワインを飲んだ。
Denmarkから約2ヶ月の間で様相も態度もすっかり旅人になっていて、誰にでも気軽に話しかける姿は、気後ればかりしていた自分にはまぶしく見えた。
楽しいWWOOFer仲間との共同生活とサヒマのアドバイスのおかげで、知っている人に対してのコミュニケーションはある程度取れるようになっていたが、知らない人に対してはいまだに人見知りだったので、もっと積極的にならねばと刺激を与えられた。
なぜだか記憶によく残っているのが、ウェインとは別の Vineyard で賃金が出る仕事(時給$20+ワインという素晴らしい仕事だった)としてpruningをしたときだ。
休憩を挟みつつもただひたすらに5,6時間も枝をハサミで切るのは単調だったので、MP3プレイヤーで音楽を聴きながらやっていた。そのとき聞いてたのが植木等の「無責任一代男」と筋肉少女帯の「再殺部隊」で、オーストラリアの青空の下だだっ広いVineyardで個性的な音楽を聴きながら黙々とハサミで枝を刈っている自分という構図が奇妙というか何だかおもしろくて一人心の中で楽しく笑ってた。オーストラリアに来たときは自分がこんな場所でこんなことをやっているなんてまるで想像しなかったな、と思いつつ。
※ワイン製造室
ここでの生活は大きなターニングポイントになった。
まず、それまでは「オーストラリアの観光や自然体験」に主眼を置いていたのだが、だんだんと旅の目的が「人との交流や経験を積むこと」に変わっていった。
同居したWWOOFerとの楽しい生活とあまり気後れせずに会話ができたこともさることながら、ワイナリー巡りで試飲しながら店員さんと雑談したのも楽しくて、もっともっといろんな人と交流したくなった。
同時に、今までの雑用仕事ではない新しい仕事は、「もっといろんな経験を積みたい」というモチベーションにつながっていった。例えば、草刈りの機械の使い方を覚えたり、本や実物(Vineyardでの仕事やワイナリー・樽製造の見学など)でワインについての興味を持ったり、しょっちゅうビールやワインを飲んだおかげでより自分にとっておいしいビールやワインを探すようになったり、など。
また、仕事の賃金に対しての考えが変わり始めたのもこの時期だ。
週6時間労働でそれ以外は自由時間という、とてものんびりとした生活を送ったおかげで、あくせくせずにゆったりとした気持ちで仕事について考えられるようになった。
大変なこともあるけれど仕事を通して新しい経験を積むことは、お金以上の価値があると思えるようになった。
加えて、この後も続くWWOOF生活で移動以外ではほとんどお金を使う機会がないという経験から、お金がそんなに無くてもやっていけるという感覚が自然と身についていった。
結局、3ヶ月近く滞在してそろそろ違う場所に行きたくなったので出ることにした。
→ラウンド編(その2)WWOOF編(2)へ続く
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