2010/04/25

錦織さんの3週間体験談 (Part 4)




<14日目:What make you decide to come here ?>



Amyの新しい家がようやく決まった。Amyは、我が家に住むことも視野に入れながらも並行して部屋探しを続け、短期ではあるがシティから近い部屋を1週間の契約でゲットしていた。かなり立地はいい割に低家賃で、家主が韓国人だったということもあり話が早くまとまった。
しかし、数日間の滞在と言う契約で安くしてもらったので、まだ家探しは終わってはいない。
何はともあれ 新しい家で、二人でささやかながらパーティをすることに。


その前に・・・小話。
実は今日は、学校が終わって、一度Juriのバイト先の近くの町、Balmainへ行ってきた。
この町は海も近く高級住宅街なのでなんとなく白金みたいな感じ?!
今オーストラリアは日本と同じでオーガニック食品のブーム。その中でもオリーブオイルやジャムなどが人気のお店を以前雑誌でチェックしていたので、そのお店に行きたかった。
目的は、料理が好きなゆきちゃん(私のお姉ちゃん)にお土産のオリーブオイルを買うためだ。
お店のおじさんに、この雑誌を見て来たよ!って雑誌を差し出したらスッゴイ感動していた。
大分前に取材してもらった雑誌なのに、ここまで来てくれてありがとう〜!って。
お姉ちゃんへのお土産を探している話をしたら、オリーブオイルについて熱弁してくれて、
比較的値段も手ごろなシリーズの中から、フレイバー付のオイルをお勧めしてくれた。
店長さんのお気に入りは「WASABI」。
散々迷った挙句、無難に「GARLIC」にした。うん、美味しそう!!

そして夜は、Amyの家へ。
彼女とは出会って数日だけど、気が合うので本当に色々な話をした。
この日も、なぜオーストラリアに来たのか?と言うお互いの話で盛り上がった。

Amyは3年前にオーストラリアにはワーホリで1年滞在。韓国に帰国後も2年の間、ずっと頭のどこかでオーストラリアのことを考えていたみたい。英語の教師をしている傍ら、ずっとずっとオーストラリアに行くことばかりを考えていたらしい。
2年前にこっちへ来たのは「自分探し」だったと言う。ワーホリの間、既に英語が堪能だったのでアパレル系ショップのマネージャーまで上り詰めてガンガン働きもしたみたい。
そして今、こっちに戻ってきた理由は「Goal」を探すためだと言う。
オーストラリアの永住権を取るため「戻ってきたのよ」と話してくれた。

いろいろ話したの、まとめてみたよ。

@We must decide order what we really want to do everytime.

人生の優先順位を常に意識していることを話してくれた。大好きな家族や友達と別れてこっちの永住権を取りに来ることはちょっとやそっとの決心では無かったと思うのだ。自分の人生、自分の代わりは誰もいないし、自分で決めたことには責任を持たなければいけない、と話してくれた。

AI'm still looking for my own goal.

人生のゴールを今も、もちろん探し続けている。と話してくれた。一生かけて探すものよ、って言ってたな。

BBe positive.
If you say "It's possible", you can do anything.
If you say "It's impossible", you can't do nothing.
Look the blight way.
Then you try to do.

ポジティブに、明るい道を見据え挑戦し続けることが大事。
出来ると思ったらなんでも出来るけど、できないと思ったらそこで終わりよ。


私も話をしながら一緒に考えていた。Amyが家族がどれだけ好きで、どんな気持ちで今ここに居るのかが分かる様な気がした。

「自分の人生。責任を取るのもすべて自分。時間は流れていく。
本当にしたいことは何なのか?時間は止まらない。
どんな時を過ごそうと、時間は流れていく。」

そのとおりだと思った。いつの日か私も、オーストラリアに戻って来たいと思った。
世界が近かった。何でも出来るような気がした。わくわくした。
ただの海外旅行には興味もなくなってしまった。
現地の人と仲良くなって初めてその場所での思い出が出来る。持続する。
寺田さんにシンガポール旅行で教えてもらったことが、そのまま生きている。
一人で旅をしていると、色々な人が話しかけてくれる。
旅の面白さはここにあるのか。
旅、と、住むこと、には大きな違いがあることに私は気づいていないのだと思う。
だからこそ、この国に住んでみたいと思った。

もう、観光地に行くのは止めにして、友達や現地の人と過ごす時間を大事にしよう。

 

<15日目:泣きながら目が覚めた>



昨夜、Amyとのパーティが終わって何となく考え事をしながら自分の部屋でウトウトしていたら、電気つけっぱなしで寝てしまった。
そして朝、泣きながら目が覚めた。夢の内容を今でも鮮明に思い出せる。

まず、野菜売り場の仕分けをどこかの工場で作業していた。隣に居たのは大学時代の友人K。
彼女はスペイン語学科にも関わらず英語が堪能で海外の友人も多い。

その彼女との会話が以下。
K:「あ〜、千絵、そういえばオーストラリア行ってきたんだって!どうだった?」
私:「楽しかったよ、友達もたくさん出来たし。ただ3週間は短かったな〜。」
K:「まあ、いい経験にはなったでしょ?でも3週間で英語が話せるようになるのは無理だね。
  その状況で先生になろうって言うのだから頑張らなきゃね。」
私:「うん。。。。」

次に場面が変わり、今度は大学時代の先輩Hさん登場。
オーストラリアに行く前に飲み会をした。
H:「え〜、お前オーストラリアに行くって決まってたのに、行く寸前に飲み会来たのかよ!」
私:「うん、でも大事な飲み会だったし。」
H:「でもさ、英語を教えるってことは英語のプロになるってことでしょ?
  そんな曖昧な気持ちでいいの?」
私:「分かってるってば。だから勉強してるんじゃん。なんでそんなこと言うの?」

この辺りから図星のことをズバズバと言われ、悔しくて涙が止まらなくなる。
分かってるってば〜と叫んでいると相手が今度は「劇団ひとり」に変わる。

私は「確かに劇団ひとりさんはすごいよ!やさしいし、しっかりしているし。でもね、私だって完璧じゃないのよ!」と泣きじゃくる。もう、かなり意味不明。

最後にジャイアンツの元木選手登場。
本木さんはこう言った。
「でもお前は先生になるんだろう。なら、今のままじゃ無理だな。」と。



ここで、ガバっと目が覚めた。目が覚めたのは泣きすぎて涙が止まらなかったから。
胸が苦しくて久しぶりにあんなに子供みたいに泣いたきがする。
夢の中の自分と、現実の自分が涙でつながっていたと思うと、
昨夜Amyと話したことがそのまま自分の不安とぶつかって夢に出てきたのだと思う。
それにしても、なんと言う面々。豪華すぎて本人にもまだ話していないけど、笑。

確かに、夢に出てきちゃったように、英語がもっと話せたらって何度も思う。
この悔しい気持ち、日本に帰っても忘れたくないな〜。




気を取り直して、いつもより早く目が覚めたことを良しとして、シティの近くのFishmarketへ。

ここは、日本の築地に次いで南半球では有名な大きな魚専門の市場。



新鮮な魚を刺身でも食べられるし、もちろん購入も出来るので休日はかなり、にぎわってるらしい。
今日は平日の朝だからまだ人もまばらであまり居なかったけど、すごい魚の量に大興奮の私。



少し先の方に歩いて行くと、朝市を終えたおじさんたちが集まって朝食を食べていたので、そこに混じって私も一緒に朝食。
Seafood needleって書いてあるから、もう少しラーメンみたいな汁を想像していたのだけど、汁がなんと塩味の魚介のダシをそのまんまみたいな感じで美味しかった!
得たいの知れないものも中にたくさん入ってたよ〜。



授業の後に、ミナとゴメスと私の3人でお茶。


その後、Roofbarという先週も訪れたバーへ。

ミナが「現地の人と友達になりたい〜」と言っていたので、お店をグルグル歩き回って、かっこいいお兄さんと友達になろうと挑戦!
そして発見したのが、スーツ姿に身を包まれた長身の金髪男性!キラーん。
まさしく、たった今お店に入ってきてビールを2つを手に持っている。
おそらく友人を待っているのだろうな〜と思い、「今日は寒いね〜」って話しかけてみたら仲良くなれた!
すかさず乾杯をして話し始めた。

彼はシティの中にある総合病院の救急で働くDoctorでした。とっても紳士で素敵だったな〜。イギリス人らしく、親戚が日本に住んでいることもあって話が盛り上がりました。数分すると背の高いもう一人のスーツの男性が登場。こちらの男性はキリリとした感じのナイスガイ。
今日は、営業マネージャーとの面接があったらしく到着が遅くなってしまったみたい。

遅くなったといってもまだ19時。いや〜、こちらの方は本当に夜遅くまで仕事する習慣がないので素晴らしい!笑
二人は、別の友人が来たから!といって途中で別の場所に行ってしまったけど、

数十分後、きれいなブロンドのお姉さん二人と合流した彼らは楽しそうに別席で飲んでいました。
いや〜、ブロンドのお姉さん、超きれいだった!笑
出来ればそこに混ざって色々話してみたかったけど、次の予定も迫っていたので断念。

次の予定とは、雑誌で発見したサーキュラーキーの近くにあるJAZZ BARに行くこと。
そこのバーは、いわゆる「Blue Note」と言ってとっても有名なジャズマンが集まるバーだったのだけど、日本でも数回足を運んだことのある「Blue Note」と同じでちょっと年齢層も高めで豪華な感じ。

でも、すっごい楽しみにしていたので、チケットを買おうとガツガツ進んでいったら、小太りのおじさんに「どんなのが聞きたいんだい?」って聞かれて「できればブラスセクションのいるバンドが聞きたい」と言ったら「明日のバンドが有名なサックス・トロンボーン・トランペット奏者がいるバンドだから明日来たほうがいいよ!」と。

「ナイスアドバイス、おっちゃん!」

と思い、パンフレットをもらってその日は退散。
ミナは引越しの準備があって一足先に分かれていたんだけど、一緒に付き合ってくれたゴメスもジャズ好きだったらしく、相当二人で興奮していた。笑
明日ミナも誘って三人で行こうと約束。
夜はシティの中にあった、アジアフードのお店でナシゴレンを食べた。
う〜ん、美味しい!!

 

<16日目:ベースメントでの夜>



この日は、オーストラリアに来て一番素敵な夜を過ごしました。
the basementというジャズバーで「JAMES MORRISON」という方率いるジャズバンドを見ました。
Misty / SUMMER TIME / ROUTE 66 など、御馴染みのジャズナンバーから、しっとりした曲・明るく快活な曲までオリジナルも幅広くとっても面白かったの。

とにかく、フロントのMCが最高!!
パフォーマンスって大事よね〜。世界共通。
JAMES MORRISONさん一人で、トランペットのソロ〜トロンボーンのハイトーン、ピアノのメロディアスさ、キーボードでファンク、ぜ〜んぶやっちゃうの。
とにかくすごかった。
SAXの人はアートブレーキーとかと一緒にやった人で、これもよかった〜。
もし、シドニー行く人でジャズ好きな人がいたらお勧めです。

http://www.thebasement.com.au/


この日は朝から、ボーリング行って、街歩いて、カジノ行って、パブ2軒はしごして、最後にジャズバー行って、ハードスケジュール。
ちなみに、パブは語学学校の友達と行ったんだけど、そこでガールズトークに花が咲き、フランスから来てたEmillyとゆっくり話ができた。

彼氏は薬学部のインターンシップでオーストラリアに来るってことで、彼氏にくっついてきたんだけど、料理好きの彼は、家でも家事をやってくれるらしく助かる、とか将来は結婚したいな〜、とか。
当たり前だけど、国が違っても、同年代の女子が考えることって同じね。

楽しい一日でした。

 

<17日目:英語を教えるということ>



今日は土曜。朝9時半自宅を出発して、ペディントンマーケットへ。
かわいいカード、石鹸を購入してご満悦。
昼間はcityでAmyと会い、彼女のシェア探しに奔走。何やかんやで夕方に。買出しをしてAmyの家でご飯。
Chie&Amy special with Chicken とかいって2人で盛り上がった!



食事後、自分からAmyに先日見た、夢の話をしたら、またそこで泣いてしまった私。

Amyは真剣な眼差しで、私の話を聞き終えると、自分が経てきた経験から、英語を習得するのはとても難しいけど、ある日突然話せるようになるよ、 と話してくれた。

I think I'm sure you'll be a good teacher.

とキラキラした目で話してくれた彼女との時間は本当に楽しかった。

韓国での教師経験の長かった彼女と話した、色々な話の内容をまとめてみると・・・・

@pretend like you are good at speaking English If you are not so.

例えば教室の中に帰国子女のことかがいて、ぺらぺらでも、決して先生としての自信をなくさないこと。

AOwn way , Own teaching method

自分のこだわりを持って、自分がいいと思うことをとことんやる。

B英語を教えるうえで大事なこと
・例文はわかりやすく。story仕立てで教えると子ども達にわかりやすい
・なるべく日常に通じる会話にする
・文法で躓くので、名詞・前置詞・動詞・形容詞・副詞・主語・述語・目的語などなど、
 常に意識して教えてあげる。


Amyは自分で作ったプリントを、次の日テストするから覚えてきてね、と指示して、生徒がどの程度理解しているのかを常に確認してみたい、と言っていた。
子どもを評価するのではなく、テストは自分を評価するものだって。
例えば、難しい問題というよりもすごく基本的な問題にして、生徒の今のレベルを確認する。
その子・その子にあわせたレベルで指導する。必ず、どこができていて、どこができていないのか、それを確認することが大事だよ。と言っていた。
実際、これら全てが後に、私が先生という立場になったときに実践の場ですごく役に立ったのだ。


そして、その日は濃い時間を過ごして後に、自宅へ。
自宅に帰ったらMayaとGalの友達がきていた。一緒にスイーツを食べてゆっくり。
その後、Maya/Galと久しぶりにゆっくり話をした。

この2週間どこに行ったの?
千絵の両親はどんな人?
英語の勉強はどう?
日本ってどんな国?
夢で泣いちゃった話もここでしたな〜。
なぜ、英語を勉強するのか?という疑問も投げかけてみた

Maya/Galは人生経験が豊富なのは、いろいろな国籍の人と常に接してきたからだって言ってた。
その経験が全て糧になっていると話してくれた。
日本人は単一民族だからかたよってるよね、とも言っていた。

とっても、濃い一日。
話をして考える。

単純なことだけど、日本にいたときは、一人で悶々と考えている時間が長かったな、と実感。
話すって素晴らしい。



 

<18日目:最後の日曜日はゆっくりと>



オーストラリア最後の週末はゆっくりと。

ちょいと、ボンダイビーチのマーケットへ足をのばし、古本を購入。
天気が良く散歩する人でにぎわってたな〜。

この日は、Maya/Galがお買い物に連れて行ってくれるということで、ペディスマーケットで。ここは大きな大きな中華系の市場。
夜、ジュリが我が家に来て一緒にご飯を食べようという話になっていたので、ここで買い物。
やきそば・肉じゃがを作ったら大好評。
これは、いける!

 

<19日目:BONDI BEACH>



私の住んでいる場所は、ボンダイビーチというシドニーでも一番有名なビーチ。

海岸沿いに散歩ルートがあることを知り、20分ほど散歩。
家の近くに海があって、しかも綺麗で、最高だわ。毎朝ジョギングしたい!

ジョギングしている人がいるのを見て、リクルート時代に、やっきになって、ヘロヘロの身体で鉛のように硬くて重い身体をおしてジムに通ってた頃を思い出す。あのときは、義務感のようにジムに行って身体動かしてストレス解消してたな〜。

満員電車もない。
バスも定員を超えると停留所で止まらずに目的地までひた走る。
ようするに、みんなゆったりしてる。
ばたばたしない。
もちろん、ばたばたしてる人もいるのかもしれないけど、
基本的にバタバタしてない気がする。

昨日の夜の食器を片していたら、Mayaに what are you going ? って言われてしまった。
朝っぱらから食器洗いなんてしないで、こんなに天気がいいんだから散歩でもしたら?って。
全然嫌味っぽくなくて、笑えた。

そういえば、昨日の夜の食事のときに、写真を撮りたい!と私が言ったら、
「食事中は食事を楽しむこと!」って怒られた。そうだよね!




<20日目:Andreyとの再会>



この旅も、いよいよクライマックス。
最後に、劇的な出会いを果たす私。
そのお相手は、ロシア生まれのアンドリュー君。
彼、覚えていますか?
旅の最初のほうで、私のバスの中で道案内をしてくれた優しい彼。
そう、あの彼となんとノースシドニーで再会しました。

仕事終わりのアンドリューとノースシドニーで待合わせ。
夜景がきれいなCREMORNE POINT に歩いて行くことに。
お互い歩くことが大好きだったので結構遠かったけど、サクサク歩いてお話しました。

将来の話・仕事の話・夢の話・音楽の話・映画の話などなど。

最初、私のリクルート時代の話は、全然信じてくれなくて、そんなに長時間働いたら、
千絵は今ここにはいないよ!だって人はそんなに働いたら倒れるでしょ?って。
でも真剣に仕事内容とか話していくと段々、本当なんだと信じてくれて。
こういう話を英語でするって面白い。
感情がこもっているから、聞き取ろうと思うし、話そうと思う。
こうやって英語って上達するのかも、、、そんな風に感じた夜でした。

 

 

<21日目:お父さん>



朝、学校の前にBONDI BEACH〜 BROTIE BWACH までジョギング。
1時間半の道のりだったけど、景色が抜群で気持ちよかった。
いつかお母さんと一緒にこの道を歩いてみたいな、と思ったよ。
その後、急いで学校へ。

その日のself access は behind the news。
携帯電話の電波が人体に与える影響と臓器移植の話題だった。
この日の先生の英語の発音はとっても聞きやすくて難しい話題でもすんなり聞くことができた。

この日も、アンドリューとお茶。
ここでお父さんの話になった。
ロシアに今一人でいるお父さん。
アンドリューは小さいときに両親が離婚しているため、
お父さんが大好きで、今でも一番の親友だと話してくれた。
そのお父さんが今、ロシアに一人でいることはとても辛い、と。
オーストラリアに入国するにはビザも必要だし、いろいろ大変らしい。
でも、諦めないで、いつか一緒に住めるようにしたい、
だって僕の親友だから、って話してくれた。

家族を大事にする、このことがこんなにも人をキラキラさせるのか、
というぐらい、まぶしく見えた!
素敵なことだね。

 

<22日目:最後の夜>



とうとう、オーストラリア滞在最後の夜。24時間をきってしまった。

私の中で大事にしてきた、この3週間が終ろうとしている。

「迷う前にまずやってみる」こと。
「世界には色々な人がいる」ということ。
「英語というより外国語を学ぶのであれば、その文化を知ることが一番の近道である」こと。
「将来の仕事のために」といって留学している人がとても多いという事実。

これを教えてもらった。
自分で気がついたことは、

「リクルート代理店時代にこれがなんの役に立つんだろう、と踏ん張っていた時期があるから、
 一人で行動できるということ。
 苦しいときも、新しい環境に飛び込んだ後に必ず成功体験へ繋がると、信じる気持ちがもてたし、
 これをやったらこれぐらいは大変だろう、だけど楽しいに違いないと、わかった」こと。

リクルート代理店時代に、飛び込み営業で必死に受注したのに、クレームになったり、
辛いことがあったけど最後は仲良くなれるみたいな経験をできたいたからこそ、
ここでも「必死に考えた先には必ず成功体験が待っている」ってわかって。
だから結構大変なときも一人でペースを保ていた気がするな〜。
この3週間で4年分頑張った自分が最高に報われた気がしたよ。
ああ、間違ってなかった!って。

あとは、人との出会いが大事にできたのが良かった!
Amy、 Maya/Gal、 Andrey、 Edward、 Juri、 Gomes、 Sam Yong・・・いろいろな友達ができた。

自分の感情を伝えるツールである言語が、日本語だとどうしてもごちゃごちゃつけたがったり、
話がこんがらがったり、気持ちにブレがでたり、嘘ついたりする。少なくとも私はそうだった。
けど、英語の場合、すごくシンプルで、今の時点でベラベラ話せるわけじゃないから、すごくシンプル。
将来のこととか、なぜここに来たのか?とか、余計な色づけが出来ない分、気持ちや感情が表情・身振りにでるので、
相手にも伝わりやすいのを実感したな。
あと、こっちの人は垣根が低い気がした。
「Hi, how are you ?」って本当にみんなよく使うんだけど、例えばお店のレジの人、駅の人、先生、友達、家族、などなど本当によく使う。でもそんなこと、日本の英語の授業で教えてもらわなかったし、先生から聞いたこともなかった。これが、現地に来て「生で感じること」なんだなって思ったよ。

「how are you ?」って中学校1年生で習うのに、それがどんなシチュエーションで使われるかは知らなかった。
勉強になるわ!

最後の日、朝からManlyへ。
みんなに聞いたら、ここはお勧めスポットだったから、
最後の力を振り絞って行ってきた。笑
生憎の雨模様だったけど、とっても美しい場所だったな。
なんか、神様に会えそうな?!気がした。

平日でしかも、雨降ってて、朝っぱらから散歩している人がいなくて、道に迷って迷って 誰にも聞けなくて 地図片手に頑張った!
帰り道はなんとバスが1時間来ないことがわかり、唖然としていたら、偶然通りかかった老夫婦がManly Beachまで送ってくれた!
本当にこっちの皆様、優しいのね。
そして、1人でいると助けてくれたり、話しかけてくれることが多いのなんの!って。
この老夫婦の方々は、イギリスのウェールズから45年前くらいから移住してきて、毎日、健康のためにManlyを散歩しているらしい。
こっちは、年配でも仲良く散歩しているご夫婦の方が本当に多い!

朝から助けてもらい、なんとか、定刻に学校到着。
学校では集合写真を撮影して、みんなにお別れ。

学校の後は、Amyと Samと図書館へ。
ひろ〜い図書館にしばし感動。夜はみんなで夕食。
アンドリューも参加してくれた!

本当に会う人会う人、みんないい人で恵まれている。
私の笑顔と、いままでの短い人生経験のご褒美みたいな夢の3週間だった。
この3週間で学んだことは本当に大きい。

心と心が触れ合う経験や、友達ができたことは、
本当に幸せです。



<23日目:最終日>



今日は、最後の日だった。
まだ、飛び立つ前の飛行機の中でこれを書いているから、オーストラリアにいることになる。
朝、ボンダイビーチを散歩してお別れを告げ、近いうちにまたここに来よう!と思ったよ。
その後、学校へ。学校のみんなにお別れをして、Amyと本屋さんへ。
携帯電話を返却する前に田村さんにお礼の電話。本当にお世話になりました。

ひとつひとつが自分の手から離れていくのを実感しながら、空港へ。
Maya/Galが空港まで送ってくれた。

Mayaは「Hi」でも「Fine」でも何でもいいから、日本についたら連絡してね、と手紙をくれた。
「私はあなたのママだからね」って。
ママにしては若すぎるし綺麗だけど、とっても嬉しかったな。この一言。
最後はアンドリューも見送りに駆けつけてくれた。本当に、空港まで見送りに来てくれる友達がこの短期間でできたことを感謝したい。

・Please remember this song and .....everything.
How you feel now.

Amyが最後のお別れで私に街のど真ん中で言ってくれた言葉。
近くで路上弾き語りをしているお兄さんのメロディアスな響きと一緒に、
力強い口調で言ってくれたこと。

「今流れているこの曲も、全てのこと。忘れないで。覚えておいて。今、あなたが感じているこの気持ちを。」

本当に嬉しくて、もっと一緒にいたくて涙が止まらなかった。
また、彼女に会いにここに戻ってきたい。
もっと、いろんな経験がしたい、そう思った。


<あとがき>



あの3週間の滞在から1年。
私はまた、あの場所に帰ることにしました。
今回の滞在期間は10ヶ月です。

色々な人の応援と支えがあって、出発することにしました。

あのとき、最後に一番強く感じたことが、

「世界は狭くて、素晴らしい」

ということでした。
どんなに大変なときも、全ての場所に「人」が存在していると思うと安心したし、
困ったり、悩んだり、立ち止まって考えると、あの風景が思い出せる。
今、日本にいてもオーストラリアにいても、あの場所は変わらずあって、「人」が生きていると思うと、嬉しくなる。

自分がこんなにも「人」が好きだということを実感できたのは、
あの旅がきっかけだった気がします。

では、行ってきます!



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