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今週の1枚(10.05.17)



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Essay 463 : 「海外」という選択(その12)

経済的、精神的、そして本能的理由




 写真は、冬枯れ時期(8月頃)のMarrickvilleの裏手からEarlwood方面の住宅街。冬といっても常緑樹が多いから季節感乏しいですけど。



経済的・政治的移民

 人々が生まれ育った祖国を離れて、見も知らぬ異国に移り住むからには、それ相当の理由あってのことでしょう。古来、多くの移民は、「故郷では暮らせない(にくい)」という物質的&ハードな理由で国境を越えていきました。例えば、大飢饉や天災があったり、異民族に征服されたり、国内の政治体制が激変したり、宗教上の理由で迫害されたり、、、、。

 4-5世紀のヨーロッパで起きたゲルマン民族大移動は、中央アジアの遊牧民フン族の侵攻によって各エリアの部族が逃げ出し、それが玉突き衝突のように波及していったと言われます。アメリカ建国の父祖であるピューリタン(清教徒)達は、祖国イギリスでの宗教上の迫害によってメイフラワー号に乗りこみ新大陸アメリカを目指しました。ベトナム戦争後の社会主義化を恐れた人々がベトナム難民として、あるいは中東・イスラエルの難を逃れてパレスチナ難民が、ここオーストラリアにも沢山来ています。ソ連のチュエルノブイリ原発事故で故郷に住めなくなった人達、旧ユーゴスラビアの紛争、中国の天安門事件、人々が故郷を追い立てられる出来事は、古今から枚挙にいとまがありません。

 そのような災害レベルのイベントではなく、単純に経済的によりよい職や暮らしを求めて移民する動きも古代から今日まで連綿としてあります。より賃金の良い先進国エリアにやってこようとする人々の流れは、米国とメキシコの国境にせよ、ヨーロッパ諸国の移民流入にせよ、日本やオーストラリアへの蛇頭の暗躍にせよ、世界中のあちこちで日常的に行われています。かつて日本からも、ハワイやアメリカ西海岸、ブラジルなどの南米諸国に移民していきました。

 移民の本質は何も”国境”を越えるかどうかではなく、居住場所を変えることに状況を良くする一種の”転地療法”である以上、国内移民もあります。かつての北海道の屯田兵、満州開拓団なんかもそうですが、より直近には集団就職なんてもあります。地元に適当な進学先や就職先がないので卒業後大挙して大都市での職を求める。かつては年中行事のような出来事で、集団就職列車なんてもあったくらいです。昭和29年4月5日15時33分青森発上野行き臨時夜行列車がその皮切りとされ、以後昭和50年まで21年間にわたり集団就職列車は運行を続けていました。


精神的移民

 このような物質的・経済的なハードな理由で故郷を離れて移り住むことを経済的(政治的)移民とすれば、高度成長を終え先進国になった日本人がオーストラリアやその他の海外に行くのは、このカテゴリーには入らないでしょう。最近は落ち目とはいえ、それでも日本は世界的にも低失業率の国ですし、単に食えればいいだけだったらそれほど難しいことでもない。少なくとも言語バリア、ビザバリアを乗り越え、場合によっては不法労働者として監獄行きのリスクを負ってまで外国で働かなければならない”経済的”理由は乏しいでしょう。

 日本からオーストラリアにやってくる人々は、経済的移民ではなく、もっぱら精神的移民だと言われたりします。
 別にオーストラリアに来たからといって格段に収入が上がるわけでもなく、どちらかというと格段に下がる場合の方が多かったりするのだけど、要は「ゼニカネの問題」ではないわけです。では何の問題か?といえば、心の問題です。日本にいるよりも、海外(オーストラリア)にいる方が「気持ちがいいから」いるという。

 「気持ちがいい」というのも抽象的な言い方ですが、その内実は人によってさまざまでしょう。日本社会のチマチマした人間関係がうざったくなったという人もいるでしょう。馬車馬のように企業戦士として働くだけの人生がイヤになったという人もいるしょうし、子供を育てたり老後を過ごすのに好環境ということもあるでしょう。

 ちなみに僕の場合、あまり上記の理由は該当しません。もともと自分勝手なB型ですから、日本の人間関係でそんなにイヤな思いをした記憶がないです。B型だから鈍感なんでしょうか、それほど人間関係で苦しんだということはないです。幸か不幸か子供もいないし、企業戦士という点も自由業の弁護士だったからそれほど厳しくもありませんでした。「じゃあ、なんで来たのよ?」といえば、これまで書いてきたように、乾坤一擲「うおりゃ!」と行くこと自体に意味があったのと、あとは「だだっ広くてスカスカなところが好き」という生理的理由がかなり強いです。「同じモノばっかり」というのが嫌いで、おもちゃ箱みたいにアレもコレもあった方が好きという理由もあります。整理されたモノカラーよりも取っ散らかったフルカラーの方が好きだという。要は、かなり感性的、生理的な理由が強いです。しかし、いずれにせよ「気持ちいいかどうか」というゼニカネとは異なったレベルでの話です。

 これに敷衍して2−3書いておくと、オーストラリアも「馬車馬のように働く」現状はあったりします。出世競争など、仕事が「競争」的色を帯びてくることを、英語ではラットレース(rat race)と言います。ラットというのはよく実験室にいるネズミのことで、ネズミの競争のようにアクセクした日々の生活を送ることを言います。”The trouble with the rat race is even if you win, you’re still a rat. And if you lose, you’re a loser-rat."「ラットレースの問題は、仮にあなたが競争に勝利したとしても、あなたがラットであることに変わりはないことだ。そして、もしそれに負けたら、”負け犬(ネズミ)”になることだ」という文章をネットで拾いましたが、切ないですよね。でも、このラットレースという言葉、最近オーストラリアではよく見かけます。

 17年前に最初に来たときから一貫して思っているのですが、「オーストラリアの日本化」というか、オーストラリアはどんどん日本みたいになってます。この調子でいけば、あと10年もしたら日本と変わらなくなるかなと思ったのですが、甘かったですね。日本とオーストラリアの差はそんなもんでは縮まらないです。というか、オーストラリアが日本に近づく以上に、日本がさらにディープなところにいってしまったのかもしれません。

 ただ、まあ、オーストラリアのライフスタイルが、「ビール飲んで、グダイマイとか言ってればいい」ってわけでもなく、それなりアクセクはします。遠距離通勤もハンパな距離じゃないですし、通勤時間2時間なんて人もシドニーでは珍しくもないでしょう。とにかく不動産が日本の比ではないくらい高い。なんせ猛烈な勢いで人口が増えてますから、建てても建てても追いつかない。これに比例して交通渋滞も凄いものがありますし、都心の駐車場も馬鹿高いです(2時間で3000円とか)。

 子育てに関して言えば、僕自身に体験がないのであまりコメントできないのですが、まあ、ハタから見てても、こっちの方が子供は幸せそうだなって気はします。もっともオーストラリアだって、いじめはあるし、私立と公立の格差はあるし、託児所だって妊娠がわかった時点で即予約という話も聞きますから似たり寄ったりと言えなくもないです。しかし、何というか全体の雰囲気が良いような気がします。それは例えば乳母車は大体男が押すし、階段にさしかかると大抵誰かが助けてくれるということで、全体的に育児に対するコミュニティの理解とサポートが日本よりもずっと手厚い。また、子供を大事にしようという意識は、日本人のそれよりも遙かに徹底しているように思います。ちゃんとした企業だったら育児休暇などもしっかりしてます。ペデフェリアやチャイルドポルノに関する規制や処罰も、日本なんかよりも格段に厳しいですしね。単にオーストラリア国内だけではなく、東南アジアまで出かけて悪さをしたような場合にもしっかり処罰されています。また、ネットでチャイルドポルノを集めていると、いきなり自宅のパソコンを押収されたり。

 そういえば体罰は絶対にダメです。どんな理由があろうともダメ。でも、これ、僕は西欧人独特のヒステリーに近いと思ってます。喫煙を目の敵にするあたりもそうですが、潔癖すぎというか、はっきりいって病的だというくらい僕は批判的に見てます。なんというか、西欧人って、東洋人に比べて思考や概念に「遊び」が少ないですよね。曖昧なところが少ない。良くないからダメ、ダメだからダメ、それだけ、という。人間って、もうちょいルーズでいい加減でしょうというのが東洋的世界観なんだけど、そこが妙にキチキチし過ぎている。清濁合わせて飲まない。「ダメなんだけど、でも、いい」という範囲が狭い。仕事はあんなにいい加減にやってるくせに、あるエリアになると妙に潔癖。人生は数学じゃないんだからそうそう割り切れない。割り切れない端数の部分がどうしても出てくるのですが、じゃあその端数をどうするのというと、カウンセリングなんかで対処しているという。

 それはさておき、日本における出る杭は打たれる式&異物は排除方式で割を食ってツラい思いをしているくらいなら、こちらの方が環境は良いと思います。総じて弱者に優しい社会ですから。「優しい」というか、弱いことを理由にして他人を馬鹿にしようとしない、そりゃ皆無ってことはないけど、日本ほど程度がキツくはないです。また、違うことに寛容だから、大抵の個性は受け入れてくれますし、そもそも最初から「違う」とすら思ってないようなフシもあります。身障者の方への配慮などを見ていても、身障者だから配慮しようという思考方法ではなく、身体の一部が不自由なことなど単なる「個性」としか思ってない、先週のラグビーの試合で名誉の負傷をして足をひきずってる程度にしか思ってないところはあります。子供が(大人もだけど)、ベーシックに必要とするのは、あるがままの自分を受け入れてくれるかどうかだと思うのですが、その点では良いでしょうね。

 そんなことよりも問題は、子育てが終った後です。子供のうちにこちらに来てしまったら、英語がネイティブレベルに伸びますが、その反面日本語が難しくなります。相当努力しないと、日本語が上手にならない。また、日本の社会システムにも慣れない。言葉も頭の中も外国人になってしまうので、そこが問題(悪い意味ではなく)かもしれません。子供は日本人ではなく、オーストラリア人・外国人になるわけで、日本に対する郷愁や日本人同士のツーカーの感覚などは親と子で共有できなくなります。そこは覚悟しておいた方がいいかと。それさえクリアできたら、あとは英語ネィティブであること、幼少の頃から世界に親しんできていることのアドバンテージは巨大でしょう。

   オーストラリアに来てから気づいたメリットは、これは過去回に書いたのですが、自然が豊かであることがこんなにも気持ちいいということに気づいたことと、メシが美味いこと。それに世界がこんなにも面白いとは思わなかったですね。というよりも、海外のことなど遠い世界の出来事で、それほど興味もなかったのですが、近くでいろいろ見てるとやっぱり面白い。相撲でもコンサートでもTVで見ているときはそれほど好きでもなかったのだけど、一回間近でライブで見てしまうと、やっぱ凄いわ!とファンになるということが良くありますが、そんな感じ。別にそう親しく交流しているわけでもないのだけど、こうも毎日毎日いろんな民族の人を見かけ、知らない食べ物や風習を見てると、「ほお〜」と思いますよ。興味が湧けば知識も増えるし、増えるに従ってジグソーパズルが段々完成していくように、徐々に世界全体の姿が浮き上がってくるのは知的興奮を誘います。

 それと、、、、、そうだ、スポーツやゴルフをやるのが好きな人は、環境いいですよ。特にゴルフ場は近くに沢山あるし、パブリックだったら料金も安い。ただしゴルフそのものよりも、その後の風呂だのサウナだの一杯飲むだののアフターゴルフが好きな人にとっては、日本のクラブほど設備が整ってるわけではないので(そういうところもあるけど)期待はずれになる可能性があります。

 えーと、それから、ゲイとかレズビアンの人も、シドニーは住みやすいでしょう。サンフランシスコと並んでシドニーは有名ですし、マディ・グラなんてイベントをやってるくらいですから。もっとも昔からそうだったわけではなく、キリスト教圏では同性愛は犯罪扱いされる部分もあり、差別や迫害は日本以上にキツいです。だから、マディグラというのは本来的には「同性愛者の人権擁護の抗議デモ集会」であり、初期においては警官隊と衝突するくらい政治性の強いものでした。今日でも本質的にはシリアスな草の根レベルの世界シンポジウムであることに変わりはありません。単にお祭りパレードやって終わりじゃないのですよね。しかし、それがお祭りパレードになってしまうくらい、シドニーでは同性愛者の存在が当たり前になっていますし、僕もこちらに来てからより普通にそう思うようになりました。ある人がゲイだというのを聞いても、もう「趣味は釣りです」と言われた程度の感慨しか湧かない。つまりは個人の趣味。シェア広告でも、堂々とゲイとかレズビアンであると書いてあるし、実際、ゲイの男の人のところに(ストレートな)男性がシェアやホームステイで行き、二人だけで暮すなんてこともザラにあります。その住み心地の良さもあって、こちらにやってくるゲイやレズビアンの日本人も結構おられるという話を聞いたことがあります。


 ダラダラと羅列的に書いてますが、このあたりをひっくるめて、クオリティ・オブ・ライフ(生活の質、生活水準、暮しやすさ)と言うのでしょう。生活水準というと、物質的なインフラ整備に力点が置かれがちですが、単に物的なレベルに留まるものではなく、その結果として「住んでいて気持ちいいか、ハッピーになれるか」という主観的部分がポイントになるのだと思います。そして、事柄が主観なだけに、統一的に目で見える基準はないです。Aさんがオーストラリアに移住した理由と、Bさんが移住した理由は必ずしも同じではない、というよりも同じである筈はないと言っても良いくらい本来的にバラバラなのでしょう。

 したがってオーストラリアに移住しようという人は、他人の意見や情報だけでは足りず、自分にとってのオーストラリア、自分だけのオーストラリアの使い方をお考えになること、何よりも実際にやってみての「使用実感」が大事な要素になると思います。服に着心地があるように、住むにも住み心地があり、この「心地」部分が大きい。



本能的理由=知りたい、やってみたい欲求

 と、これだけで終ってしまったら、読んでいるあなたも楽でしょう。別に何も目新しいことも書いてないし、いつもに比べて非常に淡泊風味ですから。しかし、残念ながらもうちょっと続きます。目新しいことを書いちゃいます。

 何かというと、移住の理由の中には、「やってみて納得する、確認する」という要素が実は大きいんじゃないかという話です。

 多くの人の場合、オーストラリアに移り住む(海外移住)というのは、生まれて初めての試みでしょう。中には既にあちこちの国に移民してきたというジプシーみたいな人もいるでしょうが、日本人の中では少ない。期限付でいずれは帰国するという旅行、留学、企業赴任などのケースは多いでしょうが、半永久的な「移住」を何度もやってる日本人は少ないでしょう。ということは、海外移住を考える場合、「やったことのないことをやってみる」という初チャレンジになります。

 なぜそんな冒険的な試みをするかというと、上に述べた経済/精神的理由もあるでしょうが、どうもそれだけでは足りないような気がするのです。もっと他に、第三のカテゴリーがあるんじゃないかと。

 社会に出てそこそこやってれば、自分の人生がある程度見えてきます。まあ、本当に見えてるのかどうか、それが正しいのかは別として、何となく見えてきたような気はします。そこで、「なんかもっと他の可能性はないんか?」と考えているうちに海外移住に思い至ったというケースも多いでしょう。さて、この場合、経済事情を向上させるとか精神的環境を良くしたいという上記の理由もあるでしょうが、それと同時に「どんなもんだか知りたい」「一回やってみたい」という欲求もあると思うのですね。それは「海外に住む」ということを知りたい・やりたいということもあるでしょうが、「自分の人生ってどのくらいフレキシブルなのか知りたい」という要素もあるかもしれません。さらに一個の人間として自分が世界にどのくらい通用するのか知りたいという要素もあるだろうし、それによってどう自分が成長していくか知りたいという視点もあるでしょう。

 要は「知りたい」「やりたい」ということです。

 このHPを作り始めた頃、なぜオーストラリアにやってきたかを自分自身で書いてますが、

 なんで?といえば、「あの山の向こうはどうなっているのか」という素朴な好奇心であり、根本的に違った展開と可能性がありそうな予感からです。うまく表現するのは難しいのですが、ずっと同じTV番組を見ていて、ふと、「裏番組は何をやってるのだろう?」と気になってちょっとチャンネルをかえてみた、というのが最も当時の心境に近いかもしれません。about us)、

 というくだりがあります。まさにそういった「知りたい」という動機付けがあります。

 そして、先ほど移住した後の結果よりも、「うおりゃ!で行くこと自体に意味があった」と書いたのも同じ趣旨です。自分の人生で「うおりゃ!」という180度の方向転換を自分に出来るかどうかを知りたかったし、孤立無援のサポートゼロ状況で「自分がどれほどのものか」というのも知りたかったです。

 日本人で移住を考えておられる方の中には、実はこういう「知りたい欲求」、あるいは単に「やってみたい欲求」に突き動かされている方も結構おられるのではないかと推測します。そこでは経済事情や生活水準という結果は決定的に重要な要素ではないです。そりゃお金が稼げるに越したことはないし、オーストラリアでのびのびやりたいという精神欲求も大きな動機にはなるでしょうが、それよりも自分の可能性を知りたいとか、人生の展望を広げたいとか、とにかく現状に風穴を開けたいとか、そういう面も大きいと思います。

 なぜなら、経済的理由は先ほど述べたように良くなるとは期待しにくいですし、生活水準というのも英語が出来ない、現地事情が分らない、コネがないというないない尽くしでスタートするわけですから、よほどの資産を用意していない限り、いきなり快適ライフになるとは思いにくいでしょう。ぜーんぜん言葉が通じない中でぽつんと孤独をかこっていても、それほど楽しそうにも思えないでしょうしね。いざ、自分の人生がかかってきたら、そのあたりも真剣に考えるでしょうし。

 知ること、やること、それ自体に意味があるという考え方ですが、実はこれって移住に限った話ではないです。就職、転職、結婚、転地、自発的に行うことは何でもそうだと思います。いや、そういった人生のビッグイベントに限らず、いつも入るラーメン屋で、その日に限ってそれまで食べたことない「この、スタミナラーメンっての、ください」って初注文をするときもそうだと思うのですよ。何だか知らないけど、いつもと違うことをやってみたくなるとき、です。

 なぜいつもと違うことをやってみたくなるのか?それは単なる好奇心かも知れない。ではなぜ好奇心というものが湧いてくるのか?それは、僕が思うに、生物として最も根源的な本能の一つなのでしょう。自分を知りたい、自分の可能性を知りたい、自分が置かれている状況をより全体的に把握したい、もっと良くなれる可能性はあるのか、ないのか、それを知りたい。

 新しい家に引っ越してきた猫が、まず周囲を綿密に探検するように、自分と自分の周囲を探検し、新しい可能性を模索する。あなたが新しい街に引っ越したら、やはり周囲を探検するでしょう。ましてや無人島に漂着したら島内を調べるでしょう。自分の置かれている状況を知り、可能性を知ることは、より良く生きるために初歩のステップであり、それゆえ本能的な欲求とも言えます。

 そして何か思いついたら、とにかくそれをやってみたくなったりします。例えば、なんかの拍子に部屋の模様替えをしようかと思い至ることがありますよね。カーテンとかよく見るとかなり薄汚れているし、クリーニングしてもダメだな、いっそのこと変えようか、この際ぱっと明るい色にしようか、そうすると全体にチグハグだな、大体なんでこんなところに本棚があるんだ、全然使って無いじゃないか、、、とか考えているうちに、芋づる式にアイデアが湧き、猛然と創作意欲がわき上がってくるという。そうやって燃えてきたら、やってみたくなる。とにかく現状を変えて、新しい可能性を試してみたくなる。

 一方では、毎日同じ事をやっている日常のルーティンというものには、ある種の麻酔作用があると思います。同じフレーズを延々と繰り返す音楽や宗教儀式が人をトランス状態に陥らせるように、単調な列車のゴトンゴトンという音が人を眠りに誘うように、あらゆる反復行為が本質的にもっている麻酔作用です。しかし、列車の停車時のガクンというショック、目的地に着いたときに車のハンドブレーキをキッとかける音などで目が覚めるように、何かの拍子で麻酔で醒めるときがある。麻酔が切れると、本能的な好奇心が頭をもたげ、自分と環境を知り、自分の可能性をもっと広げたいという気分になるのでしょう。

 海外に行ってみたいというのも本質的にその延長線上にあるのだと思います。「行ってどうする?」というよりも、まずは知りたい、見てみたい、試してみたい、やってみたいということです。

 ここで象徴的に思い出すイメージがあります。手塚治虫の「火の鳥」の、あれは黎明編だったか、かなり最初の方の古代の話、そのラストシーンです。主人公とその妻が火山の噴火や地震などによって九死に一生を得たのはいいけど、そこは井戸の底のような地底で、上方に小さく空が見えるだけの悲惨な立地でした。崖をよじ登って脱出することは不可能。しかしわずかな日光で植物は生えており、辛うじて生き永らえていける。井戸の底のような岩場で主人公と妻はまた子供をもうけ、家族として暮し始めます。月日は流れ、やがて赤ん坊は逞しい若者として成長し、そしてある日、息子は決然として崖を登り始めます。苦心惨憺のうえ、やっとのことで穴から這い出た息子は、世界のあまりの広さに愕然とし、感動するというシーンです。

 なかなか感動的な話なのですが、生まれながらにこの井戸底に暮してきた息子が、この穴の向こうはどうなっているのだろう?と思い、命がけでトライする部分がポイントなのですね。家族と一緒に井戸底におれば無事に生きていけるのに、失敗すれば転落死は免れないのに、それでも登りたい、外を見たいという。この欲求は、これはもう本能的なものなのでしょう。

 そして、それは我々の祖先が、原始的なカヌーや舟で南太平洋や日本海を乗り越えてやってきたパッションに連なっていくのでしょう。古代における祖先達のイトナミは、やること自体に多大な危険が伴っていたし、仮に行き着けたとしてもそれで今よりハッピーになる保証なんか全く無かった。それにも関わらず、人々は冒険の旅に出た。なぜか?やっぱり知りたかったんでしょうねー。やってみたかったんでしょう。そのくらい強い、強い欲求だったのでしょう。


 前段で述べた経済的理由や精神的理由は移住した後の生活という「結果」を求めてのものですが、これら「やってみたい」という理由は、結果ではなく、「行為」自体、やることそれ自体に意味があります。したがって、「やった!」というだけで満足し、しばらくしてから帰国しちゃったりすることもあるでしょうし、またそれで良いのだと思います。

 僕なんかもまさにこのパターン=やってみることに意味がある=であり、あらゆるものをブッチして遂にオーストラリアにやってきた!という時点でピークに達していたのでしょう。あとのことは”残務処理”といったら大袈裟ですが、「来ちゃった以上はやらなきゃね〜」みたいなノリもありました。そこから先は、このシリーズ第二回(日本離脱の理由、海外永住の理由)に重なっていきますが、こちらに来てから又新たに住み続ける理由を発見したということです。

 ということで、経済的、精神(生活)的理由も大きいのですが、実はこの本能的な部分もかなり大きいのではないか、という話でした。



文責:田村


 「”海外”という選択シリーズ」 INDEX

ESSAY 452/(1) 〜これまで日本に暮していたベタな日本人がいきなり海外移住なんかしちゃっていいの?
ESSAY 453/(2) 〜日本離脱の理由、海外永住の理由
ESSAY 454/(3) 〜「日本人」をやめて、「あなた」に戻れ
ESSAY 455/(4) 〜参考文献/勇み足の早トチリ
ESSAY 456/(5) 〜「自然が豊か」ということの本当の意味 
ESSAY 457/(6) 〜赤の他人のあたたかさ
ESSAY 458/(7) 〜ナチュラルな「まっとー」さ〜他者への厚情と冒険心
ESSAY 459/(8) 〜淘汰圧としてのシステム
ESSAY 460/(9) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(1)
ESSAY 461/(10) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(2)
ESSAY 462/(11) 〜日本にいると世界が遮断されるように感じるのはなぜか 〜ぬくぬく”COSY"なガラパゴス
ESSAY 463/(12) 〜経済的理由、精神的理由、そして本能的理由


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