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今週の1枚(10.04.26)



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Essay 460 : 「海外」という選択(その9)

オーストラリアにいる方が"世界"を近く感じるのはなぜか (1)




 写真は、シドニー空港。延々内装工事ばっかりやってるシドニー空港ですが、先日国際線の出発ロビーに行ったらガラス張りのカッコいいものになってました。写真そのものはどってことないようで、上下左右の反射と、何となく夢の中の風景のような雰囲気が面白くて選びました。妙にひっかかるヘンな写真ということで。


 今回は、オーストラリアにいると、なぜか、世界を身近に感じる、世界にダイレクトにつながってるという点について書きます。これは錯覚なのか、本当なのか。なぜそうなるのか?


非日本・オーストラリア・世界の三層構造

 オーストラリアに最初に来たとき、「やあ、外国だあ、海外だあ!」とそれなりの感慨を抱くのですが、この感覚は微妙に三層構造になっていると思います。

 @、「ここは日本ではない」という脱日本、非日本という感慨
 A、「海外」や「世界」の中にいるという感覚
 B、オーストラリアにやってきたという感慨

 着いた当初は、この3つを明確に分けることは不可能です。なにもかもがゴッチャになり、カタマリになって感じられます。そして時が過ぎるにつれて、薄皮が剥けるように徐々に三層が分離していく、、、筈なんですけど、このあたりは非常に微妙な話になります。

 というのは、未だにAとBの区別が曖昧だからです。自分が「オーストラリアにいるぞ」という感覚と、自分が「国際的な場にいるぞ」という感覚が混じり合ったまま、あまり分離してこない。

 非常に分りにくい話なので例を挙げて順次説明しますね。

 例えばあなたが、会社の転勤でこれまで仙台に5年間住んでいたとします。そして新たに辞令をもらって今度は熊本支部に転属になったとします。5年も住めば仙台も「第二の故郷」みたいな親しみを覚えるでしょうし、そこから離れたら「ああ、もうここは仙台じゃないのね」という脱・仙台感覚があるでしょう。これが@です。しかし、これは時と共に徐々に薄れていきます。何年経っても「ああ、もうここは仙台じゃ、、」とはいちいち思わなくなる。それと反比例するように、毎日熊本城や阿蘇の山を見上げて暮していけば、徐々に熊本が自分の町として親しく感じられていくでしょう。これがBです。そして広く「世間」ないし「日本のどっか」にいるという感覚がAです。

 さてこの場合、@仙台にいようが、B熊本にいようが、Aの「日本のどこかにいる」「世間を渡り歩いている」という感覚にそれほど違いはないでしょう。そりゃ仙台から日本を見るのと、熊本から見るのとでは微妙に視点の違いはあるでしょうが、それほど大きな差異にはならない。なぜなら仙台であれ、熊本であれ、日本のどっかであることに変わりはないからです。つまり、@仙台→A日本、B熊本→A日本はほぼ等距離であると。

 ここまでは分ると思うのですが、@の思い入れが深い場合は微妙に違ってきます。
 大学進学なり就職を機にして生まれ育った自分の家を出て、どこかアパートを借りて住み始めたとします。このとき、@ここはもう慣れしたんだ実家じゃないんだという感覚、A「世間に出ている」という感覚、B新しい所に住んでいるという感覚が、上に@〜Bに対応します。この場合、@の感覚はそう簡単には消えません。生まれて初めて一本立ちをした!という感覚が鮮烈であればあるほど、全ての世界は「もう実家ではない」として感じられるでしょう。だから@とA「広い世間」は殆ど同義であるし、Aの世間とB新しい住まいも殆ど同義になり、@ABがゴチャゴチャに一体化しています。

 ところが、これも時間が経てば経つほど、いちいち実家のことを思い出さなくなるし、「ここはもう実家ではないのだ」という離脱感覚も薄らいでいくでしょう。逆に、アパートの部屋が「自分の城」として温もりのある存在になる。そして、A(世間)との距離感ですが、どうしても実家から世間を見るときよりも、アパートの自室から世間を見る場合の方が世間が近く感じられるでしょう。なぜなら、世間に出る=アパート(新居)に住むという同義関係が出発点ですからね。しかし、それも時の威力によって変わっていく。時が経ち、心理学でいう「延長自我」がアパートの自室に染みこんでいくにつれ、その部屋はかけがえのない自分の場所になり、やがて心地よい”穴ぐら”感を生みます。そして自室が温かくなる分、それだけ冷たい世間との距離が出来てきます。これが好きな人と世帯を持って、二人だけの愛の巣なんぞを作ろうものなら、愛の巣と世間とはかなりキッパリと隔絶されていきます。かくして、まず大きな世間(A)があって、世間の部分として@(実家)があったり、B(自分の新居)があったりするのだというフラットな認識、3層が分離していくわけです。

 わかりにくいですかね?

 要は、@であれBであれ、広い世間(A)の一地点という点では同じであるということです。思いっきり抽象的・幾何学的に言えば、座標上の任意の点Aと、同じく任意の点Bとは、等しく座標上にあるという意味では等価値だということです。食パンのある部分に生えたカビAと、別の部分に生えたカビBは、同じパンの上に発生したという意味では等しいと。カビAの方が、カビBよりもパン全体により距離が近いとか、パン全体をよりよく感知しうるとか、そーゆーことはないよと。

 この客観的には明々白々な事実を、しかしそうは思わせないのは主観です。「それまで慣れ親しんだ」とか「見知らぬ場所への違和感」という主観的な要素によって近くなったり、ゴッチャになったりしているに過ぎない。そして、そういった主観も、徐々に時間と事実の積み重ねによってフラット化していき、平明な客観に近づいていく。つまり、仙台にいようが、熊本にいようが、実家にいようが、愛の新居にいようが、等しく日本社会のどっか、世間のどっかにあることに変わりはなく、どこかがより世間に近いということはない。

 ところが!
 日本とオーストラリアに関する限り、あまりそういう具合になっていってくれない、なんでじゃ?というのが本稿のテーマです。


オーストラリアの方が世界に近い

 慣れしたんだ日本を出て、英語もろくすっぽ知らず、世界のこともあんまり知らず、いきなりオーストラリアにやってきたわけですけど、その衝撃は、「実家を出て独立した」というイベントの数倍に匹敵するくらい強力なものです。それが強力なだけに、@(ここは日本ではない)、A(私は今”海外”にいます感覚)、Bオーストラリアにいますという3つの感覚がゴチャッ!とミックスされ、コマ結びのようになります。

 しかし、これとて時の魔力(=ありていに言えば人間の適応性と、記憶における健康な忘却能力)によって、いちいち「ああ、ここは日本ではないんだ!」という感動は薄れてきます。だんだん、オーストラリアやシドニーが「わが町」になり、自分のフラットや自室は「俺の部屋」になります。@が薄れ、Bが強まる。ここまではいいです。

 問題はですね(”問題”なのかどうか分らんけど)、いつまで経ってもAとBが分離しないのですよ。僕は1994年に来ましたから、今年でなんと17年目になります。17年も住めば、@ABがきれいに分離してても良さそうなんだけど、AとBがまだひっついている。つまり、「私はいま"世界”にいます」という感覚と、「オーストラリアにいます」という感覚があんまり分離してこない。

 別な言い方をすると、日本にいるときよりも、オーストラリアにいる方がよりよく「世界」を感じられる気がする。なんか、もう、えらく身近に感じるのですよ。隣町の隣町のそのまた隣くらいに世界があって、自転車に乗ってシャーッって行ってこれるくらいな感じ。

 で、思うのですよ。これは、おかしいじゃないかと。

 最初の10年くらいは、日本離脱ショックがまだ残っているかもしれないけど、17年ですよ。17年といえば、故郷の実家を離れて東京に出てきて17年も暮しているようなもの=大学入学を機に東京に出てきた18歳の青年が、そのまま東京に住み続け、今年で35歳、課長になって妻と子供二人くらいいてもおかしくないくらいの年月です。その頃に、「ああ、ここはもう実家ではないんだ」とかいちいち考えないよね。もう東京の方が自分の町になっているでしょう。実際、今の僕からしたら、オーストラリアやシドニーの方が全然「自分の町」だし、日本はもう「帰る」存在ではなく、「行く」場所です。日本の方がよっぽど外国で、ちょっと緊張しながら乗り込むような感じ。17年前に卒業した小学校を再訪問するような感じ。

 そして、日本であれ、オーストラリアであれ、この地球という球面座標上の任意の一点であることに変わりはないです。食パンカビのAとBと同じ。オーストラリアにいようが、日本にいようが、世間(世界)との距離は等しく感じられねばならない筈です。客観的にはそうなんだから。

 いや、純粋に経済や政治でいえば、日本の方が世界に近い。なんせ国連の常任理事国への距離も近いし、G7時代からその一角を占めてきたし。オーストラリアなんか人口2000万ちょっと、世界の”辺境”といってもいいような位置にあるし、幾ら景気がいいといってもトータルの経済力でいえば日本とは比べものにはならないし、世界経済における存在感も、G7をG20まで広げてようやくお呼びがかかる程度のマイナーな存在です。

 日本はかつて経済力でナンバー1だとか2とか言われており、日本国内の都市でいえば東京か大阪かくらいのものでした。今はズルズルとポジションを落としているとはいえG8のメンツであることに変わりはなく、ポジション的には札幌か福岡くらいでしょう。それに比べて、オーストラリアはもっと田舎であり、そのポジションは、そうですね、長野県とか、岡山県とか、静岡県くらい?わりと有名で栄えているけど、日本の8大管区(札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、高松、広島、福岡)の地域首都にはちょっと足りないくらいの感じじゃないですかね。

 にもかかわらず、オーストラリアに居た方がずっとずっと「私はいま世界にいます」という、グローバル・ポジショニングなGPS感覚が強い。逆に日本に行くと、このGPSの信号が途絶えてしまうかのように、「今地球のどこかにいる」という感覚がかなり綺麗サッパリ消えてしまう。なぜだ?

世界博覧会

 日本はともかく、オーストラリアでは本当に「世界」を近くに感じます。
 一つには世界に冠たる移民大国であり、特にシドニーは200民族いると言われてますから、ありとあらゆる人種が普通にいます。この「普通にいる」というのが凄くて、家の近所のスーパーの売り場が、国際空港のロビーや国際シンポジウム会場になってるようなものです。あまりにも色々いすぎるから、逆にすぐに慣れて気にならなくなりますけど。最初の頃は、イラクから来たとか、バングラデッシュだ、チリだ、ブルネイだ、、で、「わー、○○人の人、本物を初めて見た」とか興奮してますが、それも段々驚かなくなります。もう「佐賀県出身」と言われているくらいの感じで、リアクションも「ふうん」くらいになる。

 もともとマルチカルチャルが国是なのですから国際色豊かにならなければ嘘です。上智大学か、大分の立命館アジア太平洋大学のようなものですね。SBS放送というNHK第二みたいな国営放送は、マルチカルチャル局として成立し、朝から各国現地のニュースをそのまんま流してます。最近のプログラムは、朝の5時5分から韓国、日本、香港、中国、ドイツ、イタリア、フィリピン、スペイン、ギリシャ、フランス、インド、アラブ、ロシア、トルコ語の現地ニュースが流れています。また、普通の国営放送(ABC)のニュースを見ていても、オーストラリアローカルのニュースと、国際ニュースがチャンポンに流れています。国内スポーツ選手のスキャンダルのニュースをしたかと思ったら、次に南米のどっかで地震があったと伝え、次にメルボルン郊外で犯罪があり、国連の話になり、ヨーロッパの選挙の話になり、オーストラリアの政府の発表になり、、、という感じ。さらに、ほとんど毎週のようにシドニーにどっかで世界各国のフェスティバルが行われ(日本フェスティバルもある)、APLaC全体のコンテンツで紹介しているようにサバーブ別に民族色が違ったり、怒濤のように世界各国の本格的なレストランがあり、食材店がある。

 朝から晩までこう世界がゴチャ混ぜミックスジュース状態になっていれば、いやがおうにも国際的な感覚は盛り上がります。というか、それこそのがシドニーのアイデンティティであり、もっといえばそれこそがコスモポリタン(国際都市)の名に値するのでしょう。

しかし、それだけではない

 でも、それだけではないと思います。

 それだけだったら、例えば日本の大阪で万博があったとか(古いですね)、国際大会があったりとか、その程度の話の筈です。世界の人々が一同に会しているから国際的な雰囲気が盛り上がりはするのだけど、そのことと、先ほど書いたグローバル・ポジショニング感覚とは微妙に異なるような気がするのですよ。それはその場所が国際的な雰囲気に満たされているだけのことで、だからといってその場所が本物の国際社会とリンクしたり、コネクトしたりしてるというのとは違うのではないか。すっごい分りにくい事書いているのですが、博覧会的に国際色が豊富であったとしても、それは「国際的な事物が豊富に見聞できる場所」でしかなく、今地球上のどっかにいる、世界とつながってるという感覚とはまた別だろうと。

 うーん、どういう比喩でいうとわかりやすいかな。例えばですね、どっかのデパートで北海道物産展が行われ、サケとかイクラとかジャガイモとかジンギスカン、アイヌの木彫り、富良野や大雪山の映像を見て北海道気分を満喫したとしても、だからといってあなたの世界観が変わるものでもないでしょう。それを機に北海道の動静がやたら気になるとか、そうはならない。国際博覧会や国際イベントに参加して、そのときは世界を感じたとしても、日常的に常に世界とコネクトされるようになるものでもない。オーストラリアが国際色豊富な事・人物で埋め尽くされていたとしても、それはオーストラリアが一種の万博会場になってるだけのことで、気分は確かに盛り上がるけど、だからといって直ちに自分が世界にチャネリングされるというものでもない。

 もちろんそういった事柄は、国際的な世界観を養う良いキッカケになるでしょうし、「気分が盛り上がる」のと「世界観が変わる」のとは紙一重の差だと言ってしまうことも出来ます。だから、大きな影響力は持つでしょう。だけど、それだけではなんか足りないような気がするのですね。そんなに話は単純ではないのではないかと。

 実際、オーストラリアに居ると、自分が今この瞬間にも地球の上に乗っかってるという意識が芽生えます。もしかして僕一人の特殊感覚なのかもしれませんけど、24時間そういうポジショニングでモノを考えるようになる。日本にいるときのポジショニングというか、「今ココにいる」という位置感覚は、大阪に住んでた頃はせいぜい近畿地方の地図が頭にある程度だったのだけど、こちらに来ると世界地図が頭の中にある。その頭の中の世界地図を前提にした「いまココ」感覚がある。地球があって、人々がいてって感じで物事を考えるようになる。

 考えるからこそ、このエッセイの内容も、「およそ人間というモノは」という普遍的なところから切り込んでいく場合が多いし、それが今の僕の特徴的な思考パターンにもなっています。また、だからこそ世界シリーズ100回とか書こうと思うようにもなる。ごく自然ななりゆきです。

 では、なぜそうなのか?です。なんでそんな具合に思えるようになるか。


仮説その1 無国籍人〜個人として受け入れるから

 このシリーズの3回目だったかに書いたように、日本を離れた時点で強度に同族的な日本人集団から外れてしまいます。関西弁でいえばハミゴ状態になります。もう昔のように「まんま日本人」ではなくなっている。ある衝撃的な体験をしてしまうと、「もう昔のような自分になれない」ということですね。仮に日本に戻ったとしても、帰国子女的な、準外人みたいな存在になる。自分のアイデンティティと、日本人としてのアイデンティティが以前のように一致しない。かといって、オーストラリアにきたらバリバリオージーになるかというと、そんなこともないです。どこまでいっても、おそらくは一生、どっかしら「よそ者」感覚は消えてなくならないでしょう。つまり、国を移転することによって、どこか特定の集団への同族的帰属意識はゆらぎ、どこの誰でもない、まさに自分だけのアイデンティティになります。無国籍人になるという。

 それは悲しいことではなく、むしろ集団幻想から覚醒できたという慶賀すべき出来事だと思うのですが、ことの良否はともかく、自分をすっぽり包み込む同族集団が無くなるということです。そうなると、自分のポジショニング感覚はドライで客観的な、「地球があって、自分がいる、それだけ」というものになる。なぜならば国境線が自分のアイデンティティと全然リンクしないんだから。オーストラリアに住んでいたとしても、「今はたまたまオーストラリアにいるけど」くらいの感じになる。

 この感覚は日本人には分りづらいかというと、全然そんなことはなく、類推すれば誰でも分ると思います。例えば、子供の頃から転勤族などで引越が多く、日本各地を転々とした人は、自分の帰属集団(故郷)が無い、あるいは土地への帰属意識はそれほど強くないでしょう。僕も関東や関西に住んだので、特定の地域的な帰属意識もアイデンティティもないです。そういう人にとってみれば、生まれてこの方広島生まれ&育ちで、当然のように広島カープのファンになってる人とは「あ、違うな」と肌合いの違いを感じるでしょう。転職を重ねて来た人は、その会社しか知らない生え抜きの人の忠誠心を持ち得ないでしょう。それどころか、地元に生まれ育ち、現在も住んでいるにも関わらず、例外的に大学4年間東京で暮していただけでさえ、その東京体験によって「東京帰り」となり、微妙に帰国子女的な居心地の悪さを感じることもあるでしょう。つまり、「他を知ってる」という経験によって、生え抜き純血種の感覚(=特定集団・地域への帰属意識と自分自身のアイデンティが無邪気に一致する感覚)とは異なる感覚を生むわけです。

 今の日本社会、特に東京や大阪など大都市に住んでいる人は、「俺は福島県人だ」などの出身地アイデンティティや、「東京都民」という現在アイデンティティをそれほど強固に持たないでしょう。ナチュラルに「日本人」という広がりのあるアイデンティティになる。それと同じ事で、どこの誰でもない「俺は俺じゃ」という認識を国際レベルで持ち、特定エリアへの盲目的帰属意識が無くなってしまえば、地に足が着くポジショニング感覚は、結局のところ、地球レベルに求めるしかないです。

 それがどうした?というと、先ほどの@ABでいえば、@の生まれ育った国(環境)と、Bの現在の環境とは微妙にニュアンスが違うということです。 @は住んでる環境と自分の自我が渾然一体となるけど、Bは@ほど住んでいる場所に自我が同調しない。土着性が湧かないから、自我はふわふわ浮遊することになり、今たまたまBにいるけど、基本的にはA(広く世間・世界のどこかにいる)だよという感覚につながり、AとBの違いが曖昧になる。というか本質的にその差はないくらいの感じになる。ゆえにナチュラルに、@からA(世界)を見るときよりも、Bの方がAを近しく感じるのだ、という説です。

 ここまでは分りますか?
 先に挙げた日本国内の仙台・熊本の例では、もともとどちらもB的な存在であるから、それほど強い自我の土着性が芽生えず、時の経過と友にフラットになります。実家・東京の例は、それよりも実家の帰属性が強いから時間がかかりますが、それでも所詮は同じ日本国内ということで、やがては平坦化する。しかし、さすがに国が違ってくると、ちょっとやそっと時間が経っただけでは、そこまで@とBが等質になってくれない。自分が日本人だと思っていた強さで、自分のことをオーストラリア人だと思えるようになるには、かなりの年月が必要ですし、年月が経てばそうなるのかどうかすら疑問なしとしません。だから、B(オーストラリア)の土着性の薄さが続く限り、BとAが似通ってきて、結果としてオーストラリアと世界が近しく感じるのではないかということです。難しいですね。

 でもって、オーストラリアの場合、それにさらに一段ヒネリがかかります。

 周囲にいる人々も、自分と同じようなタイプ=ボヘミアン系の無国籍系が多いということです。特にシドニー、特にウェストの方に行くと、自宅で英語を喋ってない世帯が85%とかそのくらい濃厚にエスニック系ですから、今まで書いてきた文脈で言えば、「どこの誰でもない」連中の巣窟でもあります。出身民族のアイデンティティも、オーストラリア人としてのアイデンティティもありながらも、100%盲目的ではなく、「結局、どこにいようと私は私でしょ」という、どっかしら突き放した醒めた感覚があります。こういう人達って接してて楽なんですよね。それこそが自分と同族民族なのだから。これが、田舎にいって100%のドオージーばっかりだったら、やっぱりソコソコ疎外感は感じるでしょう。ましてや、オーストラリア外のどこか濃厚な同族的な国に行ったら、強烈な異物感を感じると思います。

 この突き放した無国籍感覚というのは、オーストラリアの移民社会にある種共通していて、(A)地球・人類レベルの広大スカスカな普遍性と、(B)「自分」という核になるアイデンティ、極大と極小、その両極だけでやっているという。しかし、この両極しかないというのは非常にやりやすいです。なぜなら、誰とでも共通の土俵を設定できるし、誰に対してもオープンになれますから。それがオーストラリア独特の風通しの良さと、独特のフレンドリーさや優しさを生んでいるのだろうと思います。

 そしてこの無国籍感覚、人間一般と個々人しか視点がない感覚というのは、とりもなおさず「世界市民」としての感覚そのものです。世界の何処にいっても、おそらくこの両極感覚だけでやっていくでしょうから、結局の所シドニーにいるのも、世界のどこにいるのも感覚が同じということになり、これが世界とシドニーの等質感覚を生みだし、距離を近く感じさせるのだと思います。

 もう一点、同じ移民社会だとしても、民族的な差別がキツいところになると、被差別民族は自己防衛のためにイヤでも団結せざるを得なくなり、寄り添い合って暮すようになります。そしてその反作用として、旧来の民族的アイデンティティは、本国にいる純血種の連中よりもどうかしたら強固になります。オーストラリアでも歴代移民に差別はありましたし、死語になったけど民族別の蔑称もありますが(wogsとか)、しかしそれほど強烈なものでもなかった。アメリカのようにイタリア系移民に対する差別の反動としてマフィアが生まれたというゴッドファーザー2の世界はそれほどありません。

 オーストラリアの場合、移民でやってきた人々がおっかなびっくり暮らし始めた頃、差別もあったけど、同時に優しくもされた。どちらかといえば後者の印象の方が強かったのかもしれません。「人は自分が受けた扱いと同じ扱いを、他人に対してもする法則」によって、彼らは後から入ってきた移民にも優しくする。こう好循環が連綿と連なって今日に至り、日本人ワーホリがシェア探しをするときに優しく接してくれる人が多いという現象に繋がっているのでしょう。

 そして、この場合の「優しさ」とは、おそらく民族単位でその人を扱うのではなく、前述の両極性、つまり(A)「同じ人間だろ」という連帯感と、(B)その人の個性にのみ着目して接するという点に本質があると思います。つまり、太郎だろうが花子だろうが一括りにして「日本人」として接するのではなく、太郎なら太郎の個性、花子なら花子としての個性に話しかけるような接し方です。純粋に個人として見てくれる。もちろん民族的なものはありますが、それは属性にすぎず本質ではない。英語で「エスニック・バッググランド」といいますが、言い得て妙で、まさに「背景」でしかない。前景ではない。

 そういった人間の集合体がオーストラリアであり、それこそがかつての白豪主義から政治と民意で180度方向転換してマルチカルチャル(多文化主義)になったオーストラリアの新しいアイデンティティなのでしょう。マルチカルチャル政策にはなんだかんだ批判もありますが、それでもすっかり定着したとは思います。かつて「ニュー・オーストラリアン」と呼ばれた戦後の移民達も、今では改まって「ニュー」とも呼ばれなくなってますしね。

 以上を整理すると、単に博覧会的に世界各国の人々や事物が集まっているだけではなく、それにプラスして一人一人がボヘミアン的な個人として動いているという要素があると。博覧会場の比喩でいえば、世界各地の出店ブースがあるのだけど、エスニックのブース単位で強固にグループ化しているわけではなく、ブースから出てきて、あっちこっちに個人として動いている。民族文化の豊富なりソースがありながらも、それに縛られずに個人として動く。対立する暴走族グループ同士のように、グループの一員として動き、相手をも他のグループの一員としてしか見ない、、、わけではない。

 個人として動き、個人として接するのは何故かといえば、皆国境を越えて無国籍人になってるからであり、且つそういった個人のあり方を容認し、むしろ称揚するような社会にオーストラリアがなってるからだということです。

 これは将来的に日本が移民を受け入れる(人口や年齢構成的に受け入れざるを得ない)場合に、覚えておいて良い「秘訣」だと思います。

 過去にも書きましたけど、僕がオーストラリアにやってきた理由(沢山あるけど)の一つとして、日本にいたら到底学べないことを学ぼうと思ったことがあります。あの時点(90年代前半)においてすら、遠からず日本は移民を受けいれるか、逆に自分が移民になって出ていくかくらいの国際社会との混じり合いを経験するだろうし、そのときに必要なスキルは、多種多様な民族や人々とどう仲良くやっていけるか、その技術になるだろうと思いました。そして、世界に移民国家は数多くありながらもオーストラリアくらい上手にやってる国はないということで、なんでそんなに魔法のように皆がニコニコやってやれるのか、そこが不思議で、そこを学びたいと思ったわけですね。日本にいたら学べませんから。そして、これは書いたように、その秘訣は滞在数日で「なるほどね」とすぐ分りました。

 要は「気にしない」ことです。
 民族や外人が数百という単位でウジャウジャいたとしても、そんな文化や民族の差なんか意識せずに、目の前にいる個人に個人として接すればそれで足りるということです。差別したり弾圧したりというのは論外ですが、妙に腫れ物に触るようにやっててもダメで、そういうやり方は移民集団の疎外感を助長し、彼らをして強固なグループ化させることになり、社会にエスニックゲットーを作ることになる。こうなると悪循環で、ヘタしたら北アイルランドやパレスチナのような千年戦争的な泥沼になる。地域やグループにリンクした差別が中々なくならないのは、今の日本でもまだまだ同和問題が残っていることからもお分かりでしょう。逆に階級みたいなものは、一見強固に見えながらも時代が変われば、かつての士農工商のように嘘のように雲散霧消します。何が残り、何が消えるか?それは、個々人のアイデンティティと何らかの土地やグループとの間に強固なリンクを張らせるかどうかであり、このリンクを張らせたら厄介になるのでしょう。むしろその鎖を解除するように、個々人として分解させていけばいい。オーストラリアは、この「分解酵素」みたいなものが強いのでしょう。

 ということは移民政策というのは、本質的に内政であり、受け入れ側の意識改革がどれだけ進むかによって決まるということでしょう。今程度の段階で「中国人に侵略される」とかピーピー言ってるようなレベルでそういった受け入れが出来るか、グループではなく徹底的に個人として接するということが出来るかというと、かなりツラいもんがあるけど。でも、まあ、個人の意識なんか3分あったら変わりますからね。それがどんなに生まれ育った強固なものであっても、なにか個人的なガビーン!が一発あったら嘘のように変わりますから、そんなに絶望視はしてないけど。


 ということで、これがオーストラリアにいる方が世界が近く感じるのは何故かという問いに答える、仮説1でした。
 いかん、仮説1だけで終ってしまいました。

 仮説2とか3とか色々考えてはいます。例えば、オーストラリアは歴史が浅いということ、英語圏文化だということ、生粋のオーストラリア人において海外生活体験者の比率が高いこと、現在の国際的なシステム論理とオーストラリア国内の論理がほとんど同じであること、文化的トレランス(許容性)が高いという文化的に強靱な胃袋をもっていること、単純に「あんまり細かいことを気にしない」という性格であること、などなど。また続きを書きます。


文責:田村


 「”海外”という選択シリーズ」 INDEX

ESSAY 452/(1) 〜これまで日本に暮していたベタな日本人がいきなり海外移住なんかしちゃっていいの?
ESSAY 453/(2) 〜日本離脱の理由、海外永住の理由
ESSAY 454/(3) 〜「日本人」をやめて、「あなた」に戻れ
ESSAY 455/(4) 〜参考文献/勇み足の早トチリ
ESSAY 456/(5) 〜「自然が豊か」ということの本当の意味 
ESSAY 457/(6) 〜赤の他人のあたたかさ
ESSAY 458/(7) 〜ナチュラルな「まっとー」さ〜他者への厚情と冒険心
ESSAY 459/(8) 〜淘汰圧としてのシステム
ESSAY 460/(9) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(1)
ESSAY 461/(10) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(2)
ESSAY 462/(11) 〜日本にいると世界が遮断されるように感じるのはなぜか 〜ぬくぬく”COSY"なガラパゴス
ESSAY 463/(12) 〜経済的理由、精神的理由、そして本能的理由


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