ラウンドとは?
”ラウンド”の正式な定義はよくわかりません。定義なんか無いんじゃなかろか。一般的に言い習わされているだけですが、とりあえずは”ラウンド・トリップ”(周遊旅行とでもいうのか)の略でしょう。「オーストラリアのあちこちを廻ってくる」ということで、この”廻る”感じが”ラウンド”なんでしょうね。
定義はともかく、それに込められた意味は深いです。
旅行すればいいってもんでもないし、別にグルリと一周しなければならないものでもない。本質は、それによって何を得たか、どういう素晴らしい体験を経て、どう人間的に大きくなったかという実質面にあると思います。カタチじゃないのですね。”修行の旅””諸国放浪”みたいなもので、A地点→B地点という表面座標上の問題でもないし、旅程表なんか問題ではない。だから、出発したと思ったら次の宿場で、そこの町娘と熱烈な恋に落ち、一生その地で幸せに暮しました、でもいい。逆に、パックツアーのように、ピンポイントに主要都市を飛行機で廻り、観光ツアーだけやってるようなのは、あんまり"ラウンド”っぽくない。いわば、「旅行」と「旅(たび)」の違いです。”旅(
たび)”をしてください。
なぜオススメなのか?
僕のAPLaCを企業体とみれば、語学学校のエージェントではあっても、旅行代理店ではありません。皆がラウンドに出ても僕は一銭も儲かりませんから、効果的な企業活動としては”ラウンドなんか行かないでしっかり勉強しなさい”という方が正しい。にも関わらず、僕はかなり熱心に勧めてます。余計なお世話なんだけど。学校などは、ラウンドに行くための準備として位置づけているくらいです。ある程度英語が出来なかったらディープなラウンドはしにくいですから。
なぜかというと、第三者的な目で見た場合、それものべ千人以上を間近に見てきた経験で言えば、ラウンド前/後では差があるからです。「ほお、人間、成長するもんだ」って。その昔は、僕もそんなにラウンドに注目してませんでした。まあ、せっかくオーストラリアに来たんだから、いろいろ見てきたら?くらいの感じ。ところが帰ってきた連中の逞しいこと、そして人間的に落ち着いて、放っているオーラの違うこと。来たころのオドオドした感じは影を潜め、物腰は静かなのですが、自信がつくと人はここまで変わるのかって感じです。
みんなの写真館でちょっと紹介していますが、こんな写真ですら差は分かると思います。これほど分かりやすい差を10年以上も目の前で見続けていたら、そりゃあ誰でも勧めると思いますよ。
第二に、皆の証言(体験談)です。直筆体験談を見ても、ラウンドの効用は皆さん強調されています。あそこに書かれていることは、実際に体験したことのほんの一部、氷山の一角に過ぎないのでしょうが、それでも「確かに、これだけの経験をすれば成長しなきゃ嘘だよな」って思います。
あの、”成長”とか教育やら道徳っぽい言葉を使ってますが、主観的には楽しいですよ。皆が勧めるのも「楽しいから」というのが第一の理由です。とにかくメチャクチャ楽しい(ツライことも沢山あるけど)、そして気がついてみたら知らずに色々なコトを考えたり、視野が広がったりして成長していたって感じでしょう。その効能はもう言葉にならない、出来ない、表現しようという気にもならない。
以下、
皆の直筆体験談 から、適宜抜粋し、切り貼りしてみました。ムチャクチャ膨大にあるので、本文書くよりも時間かかったし、全然網羅できてないのだけど、まあ雰囲気ってことで。
と書きつつ、自分でツッコミを入れるわけですが、成長といってもそんなにパーフェクトになるわけでもないし、その人の本質はそうそう変わるもんじゃない。「変わってねえな、相変わらず」って部分もある。
ただ、英語で、
You can't change what you are, but you can change the way you are.
(=自分が自分であることは変えられないけど、自分の”あり方”は変えられる)
というように、自分のあり方のバリエーションは広がるでしょう。それが人間としての奥行きを増すってことだと思います。でも、そんなことは別にラウンドしなくたって、裏庭で盆栽いじってたって発見はあるし、成長はある。賢い奴はどんなことからでも成長のキッカケを見いだす。日本で仕事していた方が遙かに成長することもあるでしょう。ただ、一人ぼっちで諸国放浪の旅に出ていると、そのキッカケが分かりやすく、目白押しにやってくるので、やりやすいよってことです。人生の縮図みたいなものをビデオの早回しで体験できるから密度が濃いよ、と。それに日本では中々鍛えにくい部分が強化されるってこともあります。
大都市は最も難易度が高い
そうはいっても一年間ずっとシドニーに居続ける人もいます。そこは個人の趣味とか目的の問題だから良いのだけど、イマイチまったりワーホリになるリスクも高い。「思ってたほどオーストラリアって面白くない、好きになれない」という不幸な感じになっていっちゃうのもシドニー残留組、それもシティ居住組に多いです。情報センター回遊して、ジャパレスで働いて、適当にオージーともパーティやって、やることがなくなってカジノに入り浸って、財産スって帰国、という。ラウンドらしきものをしても、二回目のためにイヤイヤ「懲役三ヶ月」みたいに行ったときだけ、という。
いや、別に誰もがそうなる(まったり)とは言ってません。何かこれ!というものがあれば(仕事でも恋でもなんでも)、シドニーに居ようが、どこにいようが関係ないです。ただ、一般論として、残留してるとまったりする確率が高いと言ってるだけです。
そして、それは根性がないとかそういった本人の素材の問題というよりは、
環境的に攻略しにくいからだと思います。やたら大変なくせにリターンが少ない。ラウンドしてきた人が再びシドニーに戻って攻略しようとしても歯が立たなかったというケースも多いです。構造的に難しいんですよ。このあたりって意外と意識されてないので、敢えて書きます。
学校卒業してやることと言えば、進学を除けば、まあ、働くことでしょう。「海外で働いてみたい!」ってやつですね。ところが都会の仕事は難しいのですよ。まずライバルが多く、競争率が激しい。シティでハイヒールをカツカツと鳴らしてオフィスワークといっても、そう簡単に仕事は見つからない。なぜなら、ワーホリは就労期間が最長半年、学生ビザは週20時間までですからね、最初からハンディがある。高級な仕事になればなるほど、この「どうせすぐに辞めてしまう」「フルタイムでは働けない」というハンデが響いてきます。それに、ビザ的にも英語的にも太刀打ちできるワケのないネィティブがいます。その彼らが失業率○%だって苦戦してるんですから、なかなかお鉢は回ってきません。
※2023年7月以降、学生ビザの労働制限は、週24時間(正確には2週で48時間)になります。
そうなると”誰でもいい仕事”であるカジュアルジョブ、”人材”というよりは”人手”を求めるような仕事になります。でも人手仕事はキャリアにはならんです。「海外でキャリア」という感じになりにくい。そして、そのカジュアルジョブ(ローカルの喫茶店とか現場仕事)ですら、強力なライバルが山ほどいます。多くのワーホリさんは語学学校を出たくらいでしょうし、語学学校でも最上級クラスまでいけるのは一握りでしょう。しかし、シティでは、ビジネス学校の学生、さらに入学基準としてIELTS7〜7.5クラスの大学生がカジュアルジョブ予備軍として数万人単位でひしめいています。そしてシティ中心から周辺にかけてが一番密集度が高い。
そうなると結局、日本語を基軸にして動くことになり、ジャパレスや日系の旅行会社、情報センター系の仕事になります。しかし、中に入ってみれば当然のことながら日本人が多く、環境的には日本で働いているのとあんまり変わらん部分も多い。まあ、それなりに楽しいでしょうけど、「おお〜!」という怒濤の体験は少なく、オーストラリアに来た甲斐度は低めになる。同時に日系などエスニック系の職場は労働基準法守らないところが多いからペイも少ない。ラウンド中の仕事である時給25ドルとか、1日200ドルとかいうケースは少ない。しかも、ラウンド中のド田舎と違って、消費誘惑は多いし居住費が高いからお金が貯まらない。
ぶっちゃけた話をすれば、シティでそれなりに仕事したかったら、とりあえず永住権取れ!話はそれからだって感じです。永住権持ってないと話にならないという仕事が殆どでしょう。最近の労働ビザも、永住権のためのステップストーンみたいな感じだから、永住権にほぼ準じるようなものです。だったら永住権取るかといっても、その永住権がまた難しいわけで、要するにそーゆーレベルなんです。だいたいネィティブのオージーでさえ苦戦してるし、嵐のように応募しまくって職をゲットしてるわけですからね。彼らはいいですよ、時間もたっぷりあるし、失業保険もあるしね。
それでもキチンと仕事をゲットしてきてる人もいます。いわゆる大企業に入って秘書的な仕事をした人もいます。でも、そこでの感想は、「ああ、仕事なんかどこでも一緒だあ」という新鮮味のないものだったりするわけです。そりゃそうですよ、オフィスワークでそんなにガビーン!という体験は得にくい。特殊専門的な仕事で、最前線にいくならともかく。だから、最大の効用(悟り)は何かというと、「海外で働く!」という幻想が、”幻想”だということに気づくということです。
成功例でいえば、日本での建築士としての資格とキャリアを生かして自分で客を取ってきて稼いでいたパターン、メカニックやワイヤーロープ工場などの手の職系のスキルを生かして現地の工場で働いたパターン、自分で起業するくらいの勢いでやるパターン(IT系やフリーで犬の散歩やクリーニングをやる)、プロフェッショナルなダンサーとして舞台をこなしているケース、あとは勿論日本でのシュフ経験を買われて現地の厨房に立つパターン。多くは「世界のどこにいっても食っていける」スキルがあっての話です。だけど、これらの貴重な体験が、日本で役に立つかというとさにあらず。冒頭の建築士さんのケースでも、帰国後の就職の際「海外での仕事は評価の対象にしません」とハッキリいわれちゃったそうです。まあ、本人は分かってたからいいのですけど、一般に日本社会は海外キャリアを重視しません。むしろ意地クソになって黙殺してるくらいの感じ。だから個人的、仕事的な興味を満足させるというのが第一だと思います(それが大きなことなんだけどね)。
大都市で頑張ろうと思ったら、うまいことローカルのカジュアルジョブに潜り込めるかどうかがカギだと思います。そしてこれは人脈(日本人以外の知り合いの豊富さ)がモノをいいますし、運もついてまわります。もっとも、ローカルの喫茶店で働くなら、どーせやるなら今までと違う街でやったらええやん?って、僕なんかは思いますけどね。インド洋を望む静かな町とかさ。ヨーロピアン風の奥行きのある都会が好きならメルボルンとか。
以下に掲げるのは、シドニーやメルボルンなどの都会で頑張った人達の記録です。もっともラウンド前の学校時代と平行してのバイトもあるし、ラウンドと交錯しているケースもあるのですが、都会で頑張るという成功ラインが何となく分かると思います。
実践講座8−3.仕事をしよう!に挙げたものと同じですが、リンクでいちいち見に行くのも面倒臭いでしょうから、ここに掲示しておきますね。
→表示させる
”ラウンド=ピッキング”ではない
ラウンド中の仕事は、いわゆる”ピッキング”のみだと思っている人もいますが、実はバリエーションは豊富です。バーでワイングラス磨きをしてたり、田舎の町のチャイニーズレストランで働いたり、ブルームのマクドナルドで働いたり、パースのウールワースでショッピングカート(トロリーという)集めのバイトをしたり、ハウスキーピングの仕事、リゾートホテルのルームサービスなどなど幾らでもパターンはあります。
ピッキングというのは、fruit pickingからきていて、果実(野菜も)を採集する仕事ですが、畑になってる果実を取るにしても、プルーニング(剪定鋏でチョッキンと切る)、ディギング(掘る)、パッキング(収穫した果実の出荷パック詰め)などなどさまざまです。総じて「収穫作業」ということで、ハーベスティング・ジョブなどといいます。農作業の中の最終段階ですね。しかし、別に最終段階である必要もなく、間引きも作付けもあるし、そもそも”農業”に限る必要もなく、牧畜でも漁業でもいい。さらには第一次産業に限らず、炭坑でも建築現場仕事もあります。仕事なんか無限にあります。ラウンド=ピッキングとするのは、意味のない固定概念だと思ってください。
それと、何もラウンドしたら働かねばならないというキマリはありません。お金があったら別に働かなくても良いのだ。「意地でも働かない、旅に専念」って人もいましたし、多くは懐中が乏しくなるから旅費稼ぎに働いたり、二回目ワーホリが欲しいから働いてるだけです。働くかどうかは本人の自由。むちゃくちゃ自由。働くと言っても無償のボランティアや、給与ので出ないWWOOFなどもあり、働く=お金稼ぎですらないのだ。
二回目ワーホリとの関係
いわゆる二回目ワーホリとの関係でいっても、最初から”ピッキングだけ”とは限定されてません。その対象内容は徐々に広がっていって、いわゆる収穫作業に限らず「季節労働=seasonal work」一般になり、さらに2008年7月以降は「特定の仕事=specified work」まで広がっています。詳しくは、移民局のSpecified Workを参照。
現在、二回目ワーホリについて必要とされる仕事の要件は二つ。
@特定のエリアで行われた、A特定の仕事です。
これじゃ「何のこっちゃ?」って感じですが、何が”特定”なのかは別途示されています。
@のエリアは、郵便番号で「ここはダメ」というエリアが示されています(Regional Australia Postcode List)。
Aの特定の仕事は、前掲のSpecified Workのページに事細かに記されていますが、農業・酪農・漁業・養殖・林業・鉱山・建築などの分野です。付随事務も含みますし、派遣のような形でもよく、また給与が出なくても良い(ボランティでもWWOOF=Willing Workers on Organic Farmsでも良い)。但し、現場のコックはダメとか細々書いているので、出る前に一度キチンと目を通しておくといいです。もっともコロコロ変わりますし、雇われるとき二回目ワーホリの関係をちゃんと聞いておけばいいと思います。
ここでは、かなり多数のものが含まれること、意外とルールが細かいのでちゃんと現場で確認しておくといいよ、ということだけ覚えておけばいいでしょう。
WWOOFについては、2015年08月31日以降にアレンジしたものは対象外になりましたが、その背景などについてはWWOOFとセカンドワーホリのコラムを参照してください。
仕事について都会の論理、田舎の論理
総じていえば、田舎の方が就職難で都会の方が仕事は多いです。これは日本でもオーストラリアでも、それどころか世界史上の一般原則でしょう(中世における都市社会の生成)。でもそれは安定的、固定的な”就職”についてです。将来的に生計を立てるための仕事。でも、ワーホリさんの場合は話が全然違う。最初から最長半年限定なんだから、一般論を持ち出しても意味がなく、安定的ではない、カジュアルジョブ市場を考えるべきです。就職の話をしているのではなく、バイトの話をしているのだ。
不安定なバイト仕事は田舎にも沢山あります。田舎の、特に農場などの場合、農繁期と農閑期の差が激しい。ある時期集中的に人手が必要になり、すぐに不要になる。季節労働です。事務所や喫茶店、工場のようにコンスタントに仕事があるわけではなく、波が激しい。でも、こんなに不安定だったら”就職”にはならない。だから地元オージーの若い人はちゃんとした仕事を求めて都会に出るわけです。そうなると農場においては慢性的な人手不足になり、「そうだワーホリにやってもらおう」ということで二回目ワーホリというご褒美をつけて人手を集めているわけです。逆に人手が足りてる都会エリアは二回目ワーホリの対象にはならない。もうこの時点で、仕事を探すなら対象エリアだってことにが明らかですよね?わざわざ二回目ワーホリというエサをつけてまで人手が欲しいって言ってるんだからさ。逆に都会は「別に人手は要らん」といってるわけですよ。
もちろん都会にもカジュアルジョブは沢山ありますよ。人口が多いだけに絶対量では比較にならないくらい大量の仕事があるでしょう。しかし、上に書いたようにライバルもそれ以上に多い。いいですか、ここでは仕事が多いかどうかという市場調査をやってるんじゃないんですよ。自分が仕事をゲットできるかどうかが問題であり、それだけです。仕事は1000あってもライバルが3000人いたら33%確率になるし、英語力その他で劣後してたら可能性は益々低い。仕事は10しかないけど、ライバルが12人しかいなかったらかなりの確率でゲット出来ますし、農場などのモノを相手にする現場仕事になればなるほど語学力の差は問題にならないからより有利になる。
”違うモノ”を見に来たんでしょ?
次に中々仕事が見つからないでブラブラしてるとしましょう。あるいは仕事が見つかっても、毎日毎日単調な繰り返し。仕事なんかそんなもんですし、そもそも最初からカジュアルジョブの人手仕事なんだから仕事で自己実現なんてレベルにはならない。だから、「あーあ」ってことになっても不思議ではない。それに仕事をしてる時間などは1日の3分の1か半分程度ででしょうから、それ以外の時間もある。
そこで考えて欲しいのですが、同じようにパッとしない時間を過ごすのならば、どんどん環境を変えていった方が楽しくないですか?同じ喫茶店の仕事、注文とってカプチーノを運ぶだけの単純作業をやってるにしても、1年間同じシティのQVBでやってるのと、あるときは海辺の鄙びた村で、あるときはスキー場で、あるときは峠の茶屋みたいなところで働いていたら、毎朝起きたときの風景も違う、夕暮れの散歩時の気分も違う、人々も違う、いろんなものが見れるでしょう。日本の、特に都会育ちの人にとっては、「田舎でのんびり暮す」というのがどういうものか実体験できるわけです。
360度地平線しか見えないところで1か月も暮してたらモノの考え方も変わりますよ。最初は退屈で発狂しそうになったとしても、それを通り越えたところで必ず何らかの質的変化が起きるでしょう。自覚するとしないとに関わらず、サムシングは身体の中に入ります。それをこそ得に来たのではないのでしょうか?日本で体験できるようなことは、日本でやればいいんですよ。わざわざオーストラリアくんだりまで来ることはない。日本では到底得られないようなサムシングを経験しに来ているのではないでしょうか。原点としてね。
まあ、ここは個人の価値観だから押しつけるつもりはないです。ただ、根っこのところがYESだったら、ちゃっちゃと環境や背景を変えていった方がいいと思いますよ。色々見られるし、色々体験すれば、必ずや何かを感じるはずですから。逆に日本に来ている外国人が、東京の繁華街に住んで、同国人の溜まり場に入り浸って、仕事も住まいも全部歩いていけるところで済ませて1年送るのと、北海道のキタキツネから、新緑の奥入瀬川を分け入り、茨城で納豆作りを手伝い、八ヶ岳の山小屋に泊まり、京都の寺社で座禅を組みつつ寝泊まりし、沖縄の珊瑚礁まで全部見て歩き、津々浦々の地元のじーちゃんばーちゃんと世間話をし、人情に触れて過ごすのと、どっちが日本というモノを満喫したと思います?僕は日本にワーホリに行くオージーがいたら田舎に行けといいます(まあ、彼らはほっといても行くけど)。やっぱり日本に行くなら日本の全てを知って欲しい。六本木あたりで不良外人と化しているのもたまにはいいけど、美しい日本を見て欲しいです。つまり、今の世の中、その国らしさが濃厚に残っているのは都会よりも田舎なんですね。都会なんかある意味どこも一緒ですからね。資本主義の原理に基づいて機能的に帰結してるんだからさ。
後でも述べるけど、地方で仕事をゲットするのはそれなりに大変ですよ。大変なんだけど、仮に仕事を得られずに悶々としていたとしても、「そこに居る」ということだけで既に大きなモノを得ているのだと思います。居るだけで丸儲けという。「今日もダメだったか」で浜辺でたそがれていたとしても、目の前には波光を燦(きら)めかせてインド洋に沈むでっかい夕陽が金曜ロードショー状態であるわけで、お金持ちはそれを見るために何十万円も出して来ているわけでしょ。そーゆーことです。
田舎のシステム ”ムーミン谷の法則”
田舎は登場人物が少ないです。もともと人口が少ないし、町と名付けるのが躊躇われるほど小さい。極端な話、何らかの”人工物”があったらそこが町だったりする。ガソリンスタンドと郵便局とパブしかない。コールズもない。そうなるとですね、町の主要な登場人物はみな一軒しかないパブに集まるということで、そこにいけば主だつ登場人物に会えるし、話せるということです。そこで、既に旅慣れたあなたは、もう何百回も繰り返している英語の自己紹介と略歴、オーストラリアの印象などを面白おかしく話し、「仕事探しているんだけど」と言って地元社会に切り込んでいくことが出来ます。必ず成功するとはよう保証しないけど、チャンスはある。
これがシドニーだったら、なかなかシドニー市長のクローバー・ムーアと喋る機会なんかないでしょ?というか、シティにいて地元のオージーとプライベートに接触する機会って、ありそうで中々なかったりします。社会学的には興味深いのですが、もう何重にも人間集団の層があるのですね。中枢エリートから、地元ネィティブ、さらにエスニシティ集落、学生やワーホリ、観光客というよそ者グループと、成層圏と対流圏みたいに居場所が違う。だから接点がありそうでない。でも田舎に行くと、登場人物が少ないからこの層が薄い。イヤでも直接接触できる。つまり地元社会に簡単に切り込んでいけるということです。田舎のよそ者集団は、それはそれでバッパーやキャラバンパークにいたりしますが、それでも人口の絶対数が少ないから、語学学校内みたいにアジア人とヨーロピアンが別々に集落を作ってるみたいなことも少ない。
つまりはムーミン谷や、ひょっこりひょうたん島(といっても知らんよな)みたいなもので、最初から登場人物が少ないから、そこに入ったらイヤでも皆と接触する。せざるをえない。これが、地元社会に入ろうとしながら攻めあぐねているシャイな日本人には都合がいいのですよ。都会のように何重もの層をブチ破って突進していかなくても、普通にしてたらいきなり本丸にですからね。てか、本丸しかない。
あと、ド田舎に行けば行くほど日本人は珍しがられたりします。僕も、パースから数百キロ離れた町でレンタカーのガソリンを入れていたら、近くのオージーが話しかけてきて、「うわー、日本人と話すのは初めてだ」といって握手を求められたこともあります。エスペランスで泊まったB&Bでも、開業以来初めてのアジア人のお客さんって言われて珍しがられた。面白いですよ。何処に行ってもアジア人ばっかという人は場所選定を間違えてませんか?
そこで、日本人はおろかアジア人と喋ることすら珍しいという地元オージーの、100%手加減なしの本物の英語を洗礼を受けるでしょう。皆の体験談でも、英語学校で上級クラスにいたのが、「シドニーを離れたら英語が通じなくなった」と天狗の鼻をへし折られてますから、英語修行としてもいい体験になります。でも、ここで通用しなかったら、これまで英語勉強してきた意味がないから踏ん張ってください。「ラウンド中の方が英語が伸びた」と感じる人が多いです。
ただし、だから学校や文法は不要だと思ったら大間違いですよ。よくあるカン違いなんだけど。ラウンドは、日本人が一番苦手なオーラルの反応性の速さを鍛えてくれるという意味で効果的なワンステップだけど、あくまでワンステップ。必要条件だけど十分条件ではない。それはワーホリ後に進学や永住権、あるいはビジネス現場に行こうとしたときによく分かるでしょう。
シドニーを離れるにあたって
これまで数ヶ月かかって築き上げてきた住まい、友達、仕事などの快適な環境を全部捨て去って、また一人ぼっちでゼロからはじめるのは勇気がいります。単純に面倒臭くもあるでしょう。でも、興味があるなら頑張っていきましょう。後廻しにすればするほど行きにくくなります。
長くいるほど根が生えてきます。良い意味でも悪い意味でもシガラミも増えます。語学学校の終期に仕事なんか始めちゃったら、辞めるとは言い辛かったりします。恋人なんか出来ちゃったら、そしてその相手が学生ビザ等で当地を離れられなかったりしたら、かなり強力な粘着性を発揮するでしょう。また、学校が終わった途端、朝早く起きなくてもいい開放感と喪失感を抱き、じきにそれが常態になり、通学時のように毎朝7時起きなんてテンションを保てなくなります。ギアがだんだん下がっていく。
こういうことって自転車と同じです。スピードが上がってるときはペダルも軽い。でも速度が落ちてくるにしたがってペダルが重くなります。止ってしまったら、ロケット打ち上げくらいの巨大なエネルギーが必要になります。動き続けている間がチャンスで、タイミングを逃すと、根が張り、腰が重くなり、何をするのも億劫になります。要するにしんどくなると。
そうなると、何もそこまでして行かなくたっていいんじゃないかって気分になる。そして行かないことを正当化する言い訳を集めるようになる。やらないための言い訳なんか無限に考えつきます。今は季節が悪い、仕事がない、ちょっと体調が悪い、しまいには仏滅だの、方位が悪いだの、幾らでも考えられます。
いや、別にやりたくなければやらなくてもいいんですよ。そんな義理はないです。でも「本当はやりたかったんだけど、面倒臭くなってやらなかった」というのは、あんまり喜ばしい事態ではないですよね。一生レベルで悔いを残すかも知れない。それがなんだかなと思うだけで、ちょっとしたコツでそれが防げるなら防いだらいいじゃんって思うだけです。
まあ、率直に言って、シドニー時代というのはワーホリにおける現地準備段階に過ぎず、プールに入る前の消毒用の塩素プールに過ぎないって気がします。皆の体験談を見ても、殆どがラウンド中の出来事を書いていて、シドニー時代のことは「学校が終わってから2か月ウダウダしていた」という”ウダウダ”の一言で要約されちゃったりしています。ワーホリというのは二段ロケットで、日本を離れる、シドニーを離れるという二段階発進になってるようにも思うのだけど、まあ、そこは個人の趣味。
さて、以下、もう少し実戦的な仕事の探し方を書きます。
→その2へ進む