しがみついたらあかん
何か一つのパターンに囚われてしまうこと。これは、数ある「失敗」のパターンの中でも大きなものだと思います。固定観念や先入観に囚われて、せっかくのチャンスを見逃すとか、タイミングを失うとか、幾らでも言われていることです。でも、分かっちゃいるけど止められないというか、この種の「囚われ」「しがみつき」の難しさは、囚われていることに自分では気づかないことでしょう。「ああ、俺は囚われているな」と気づいたら、もう解決に向かっているのですが、気づかないから難しい。
絵柄としては、樹上のコアラ君です。木の幹にしっかり爪を立てガッシリしがみついている。でもって、しがみついている木が腐るなり、切り倒されるなり、何らかの事情で徐々に傾いていて、このままいったら木もろともバタンと倒れて一巻の終わりになりそう、だからさっさと木から滑り降りて避難するなり、別の木に登ったりすれば良さそうなものなんだけど、それをしない。まだしっかり爪を食い込ませたまましがみついている。ほんのちょっとづつ木が傾いているんだけど、「大丈夫だよね」「気のせいだよね」「世の中こんなもんだよ」とか言い聞かせながらそれでもしがみついている。
本当のコアラ君は野生動物の叡智をもっているので、こんなにアホな筈はないでしょうが、アホなのは僕ら人間様の方です。これ、やっちゃうんですよね。傾いた木にしがみついている図。
なぜしがみつくのか?
その心理を考えてみると、一つには現状がそこそこ快適であること、あるいは不快ではあるが我慢できない程ではないこと。もう一つは、この現状を手放してしまうと暗黒世界に真っ逆さまに落ちていってしまうような恐怖感のあることです。特にこの恐怖感の強さが問題です。恐怖感が強ければ強いほど可動範囲も選択肢も狭まるし、決断力も行動力も落ちるから、必然的に成功率も落ちる。また恐怖感が強いほど、比較の問題として「それよりはマシ」となるから、いかに現状が耐え難くとも耐えてしまう。
僕らは一生学生、一生修行だとか言いますが、何を学んでいるの?何を修行しているの?というと、僕個人の意見をぶっちゃけて言えば「幸福の達人になるため」だと思います。
お金が必要だったらチャッチャと稼ぎ、無人島に打ち上げられたらチャッチャとサバイバルできるという実務能力もさることながら、どんな人とも胸を開いて友達になって肩を組んで痛飲できる人間力。素晴らしい芸術や人のイトナミ、自然の造形に触れたら口もきけないくらいに感動し、至福感を味わえる豊かで研ぎ澄まされた感性。些細なことから鋭く本質を見抜く透徹した洞察力。常に新鮮な驚きと喜びに包まれて生き、仮に冤罪で死刑に処せられ、自分の命があと数分に迫ったとしても、「死んだらどこに行くのかなあ、うふふ」とワクワクしている、、こんなの仙人レベルに無理なんですけど、でも、そうなったらいいなあ、という。
幸福の達人とは、
「森羅万象から喜びと感動を引き出してくるのが上手な人」「その識見・精神が卓越している人」のことでしょう。で、そのための「修行」とはなにかといえば、まあ「生きてること全て」なのでしょうが、ここでいえば
「恐怖感を見切ること」だと思います。
Aという事態になったら、もう大変、もう死ぬっきゃない、この世の終わり、おおお、考えるだに恐ろしい、失神しそうだ、、、なんてビビっているんだけど、本当にAってそんなに恐いことなの?「幽霊の正体見たり枯尾花」と言いますが、単にしょーもない見間違いじゃないの?錯覚じゃないの、思い過ごしじゃないの?
ということで、そのあたりを「見切る」ことが出来るかどうかです。
見切るためには、その恐怖が事実に裏付けられているかどうか、そしてその強度・確度が正確に査定出来るかどうか。また他のケースや可能性と比較ができる該博な知識と世間智をもっているかどうか。沈着冷静な肝っ玉も必要でしょうね。火災の際に、周囲を炎に包まれながらもパニックにならず、建物の見取り図を思い浮かべ、火勢と煙の動向を見て、クールに避難経路を判断し、果断に実行する。
この恐怖の見切りが出来るかどうかで、コアラしがみつき度も変わってくると思います。
視野を広く、発想を柔軟にすれば、「やばいかも」と思った時点で、あるいはそうなる前から他の選択肢を探すことが出来る。この際木を変えようかな、あの木あたりは手頃だな、でも待てよ、そもそも何で木にしがみついてなきゃならないんだ?とか色々考えることも出来る。
僕が日々やっている仕事で、皆さんにシェア探しやバイト探しのサポートをするときも、全く同じ事を言います。「しがみつくな」「しがみつかないで済むようにしろ」と。四苦八苦して家探しをするのですが、やっとのことで「きたー!」というナイスな物件に巡り会ったりするのですが、このあたりの「数撃てば当る、絶対当る」という大事なコツを身体で覚えることが一つ。同時に、しかし!この程度の物件だったらいつでも又探すことが出来る!という自信は、それ以上に大事です。
なぜなら、この自信がないと、たまたまのラッキーにしがみつくようになるからです。現状を単なる幸運によって得たのか、それとも実力によって得たのか。この認識の差は巨大です。勿論幸運も預かっているのですが、しかしその幸運も自分で呼び寄せたもの。あれだけ数撃てば幸運だって確率的に来るはずで、確率的に当然に来るようなものは既に必然であって、幸運ではない。ゆえに幾らでも同じようなレベルの物件を探すことが出来る、と。この自信がないと、次にまた同じような良い所を探す自信がなくなります。今の住まいを手放したら真っ逆さまだぞという恐怖感が湧く。
しかし、家なんてものは結局の所、住んでみないと分からない。住めば色々と不満も出てくる。イヤなら家を変えればいいんだけど、でも、恐怖感に縛られているとそれが出来ない。じっと我慢するしかない。この「我慢してる感」がクセモノで、そうなれば益々フラストレーションが募る。些細なことも実際以上に苦痛に感じる。人間心理とは面白いもので、逆にいつでも出て行ける、いつでも探せると思えば、我慢してる感がないから、冷静に判断できる。人間、自分の意思で決めたものは、そんなに不満を感じないのですが、押しつけられたり、選択の自由がないとどんなことでも不満に感じる。また、実際にそれだけの自信があれば、本当にイヤになったり、あるいはイヤでなくても新しい可能性を求めてどんどん家を変えて、ヴァージョンアップしていける。片や恨みがましい目でシクシク泣きながら住み、片や鼻歌混じりの上機嫌でどんどん新しい環境をエンジョイできる、、この差は巨大ですし、積もり積もれば生きてるか/死んでるかくらいの差になります。
これはバイト探し、職探しでも同じで、イヤだと思ったらどんどん次を探せる、見つけられるという自信があればこそ、平常心を保てるし、その職場で学ぶべき事柄もちゃんと学べる。でもラッキーで見つけた感が強いと、「次はない」と思うから、どんなにイヤでも我慢するしかないし、イヤでないこともイヤに感じる。この原理は、ひいては人生の組立てそのものにつながる。同じ事なんですね。だから、同じ何かを達成するにせよ、完全に制覇するのが大事で、妙なラッキーやヘルプに支えられすぎると次が無くなる。人生というのは甲子園のように勝ち抜き戦ではなく、ペナントレースのような長期戦であり、連続ドラマです。1日や1週間で人生が終るという、ウスバカゲロウや羽化した蝉ではない。いかに次につなげていくかが大事。一つの結節点で「完全マスター」をしておけば、次につながる。だから視野も広くなるし、長期レンジで組立てられることができる。
今の話でいえば、「恐怖の見切り」が出来る。今の家、職場を手放しても、別に真っ逆さまに落ちるとは思わないし、実際落ちない。通路側の席に座っていたけど、外の眺めが良くなったから窓際の席に移動するという水平移動でしかなくなる。落下恐怖はない。なぜ恐怖が無いのかといえば、さんざんやり尽くして、そのあたりは自分の庭のようにコントロール可能だからです。
ゆえに「しがみつかない」=完全マスターして恐怖をコントロールできるようになること=は大事なコツだと思います。
なあんて、エラそげに書いてますが、そんな大したことではないです。「どうすればいいんだろうね」と皆と一緒に考えているうちに「ああ、なるほど」と思い至ったことを伝えているだけです。ほんと僕にとってもいい修行になってます。
各国のケーススタディ
この原理は全ての場合に普遍的に通じるとは思いますが、今の時代で言えば、日本社会における「今までのライフスタイル」「人生攻略法」が(人によっては)「コアラの木」になっているんだろうなと思います。まあ、これは日本に限りません。
お勉強頑張っていいガッコに入って、就活頑張っていい会社入って、婚活頑張っていい結婚をして、、という、一種の「人生攻略法」があるわけです。今もありますし、それ自体は永遠に不滅だといってもいいでしょう。が、昔は国民全員乗れるくらいに巨大なフェリーであり、文字通り「大船に乗ったような気持ち」で頑張っていれば良かったのですが、段々船の規模が小さくなってきて、全員が乗れるとは限らなくなりつつある。
傾けば傾くほど木にしがみつきたくなるのがコアラ人情というもので、椅子取りゲームの椅子の数が減るほどに競争は激烈になってくる。もし負けたら(木から落ちたら)奈落の底という恐怖感が尚更そのゲームを過熱する。
しかし、その恐怖感はどこまで正しいのか?あるいは「しがみつく」という方法論は正しいのか?そのあたりを考えてみる必要があると思います。
日本の場合
先月(12年5月)にパナソニックが本社7000人を一気に半減する旨の報道がありましたが(報道段階ではあくまで「検討」だけだが)、ソニーが1万人のリストラを検討し、NECも1万人。この種の報道はあまりにも多いので、段々慣れっこになってしましましたが、改めて調べてみると、直近2か月でも以下の通り。
ジャスダック上場で半導体やLCDの検査・計測装置を手掛ける「日本マイクロニクス」は、希望退職者の募集による150名の人員削減
東証1部上場でディスプレイ・太陽電池・半導体などの製造装置を手掛ける「アルバック」は、4月26日付で公表していた希望退職者の募集に879名が応募
東証2部上場の電気機器メーカー「日本アビオニクス」は、早期退職者の募集による200名の人員削減
東証2部上場でCD・DVDなど家電向けテストメディア製作の「アルメディオ」は、4月27日付で公表していた希望退職者の募集に24名が応募
東証1部上場の電子部品商社大手「UKCホールディングス」は、希望退職者の募集による60名の人員削減
東証1部上場で光ファイバーや光学システムなどを手掛ける「モリテックス」は、4月27日付で公表していた希望退職者の募集に28名が応募
ジャスダック上場のバイオ企業「セルシード」は、5月18日付で公表していた希望退職者の募集に30名が応募
オリンパスは、2014年3月期末までに全世界で2700名規模の人員削減を実施
東証1部上場の不動産業「昭栄」は、4月27日付で公表していた希望退職者の募集に15名が応募
東芝は、グローバル生産体制の再構築を目的として、テレビの国内生産を終了し海外生産のみに移管
東証1部上場で資格取得の予備校を運営する「TAC」は、希望退職者の募集による50名の人員削減
東証1部上場の部品メーカー「千代田インテグレ」は、2月14日付で公表していた早期退職希望者の募集に84名が応募
東証・大証1部上場の鉄鋼メーカー「中山製鋼所」は、大阪市大正区の本社工場内にある厚板工場の休止と、それに伴う200名規模の人員削減
東証・大証1部上場のメガネ販売チェーン「愛眼」は、希望退職者の募集による60名の人員削減
東証1部上場でワイヤーロープ・スチールコード製造の「東京製綱」は、希望退職者の募集による3割の人員削減
東証1部上場でディスプレイや太陽電池などの製造装置・検査装置を手掛ける「ブイ・テクノロジー」、全社員の10%の希望退職者の募集
東証1部上場の消費者金融大手「アイフル」は、3月19日付で公表していた希望退職者の募集にグループ全正社員の約18%に相当する341名が応募
東証1部上場の輪転印刷機械メーカー「東京機械製作所」は、4月10日付で公表していた希望退職者の募集に52名が応募
東証1部上場で光ファイバーや光学システムなどを手掛ける「モリテックス」は、希望退職者の募集による30名の人員削減
東証1部上場でディスプレイ製造装置など精密機械製造の「芝浦メカトロニクス」は、希望退職者の募集によりグループ人員の約1割を削減
東証1部上場で腕時計や精密機器の製造を手掛ける「セイコーホールディングス」は、2月14日付で公表していた希望退職者の募集に522名が応募
ジャスダック上場のメガネ販売チェーン「メガネスーパー」は、2月27日付で公表していた希望退職者の募集に455名が応募
他にも沢山あるけど、「直近2か月(2012年4月中旬〜6月中旬)& 東証1,2部・ジャスダック上場」という有名企業に限定しても、ざっとこれだけあります。数千人というメガトン級は少ないけど、しかし、どこもかしこもという感じで、着々と足下が浸蝕されている感じはします。また業種はさまざまですが、特に日本のお家芸とも言えるハイテク、精密製造業系に削減が目立ちます。
これだけ見てると、いよいよ木が傾いてきて、いよいよ船が縮小してきて、いよいよ椅子取りゲームが過熱しそうで、そりゃあ死にたくもなるわなって話ですけど、でも、本当にそうか。そこで海外に目を転じて、考えるネタを拾ってきましょう。これも、直近のニュース記事という限定付で拾ってみました。
韓国の場合
このような家電業界の凋落はお隣の韓国のサムソンやLGに喰われたものだと言われ、実際にもシェアを奪われていますが、韓国では皆この世の春を謳歌しているかというと、話は全くの真逆で、日本の大卒者の就職難がさざ波に思えるくらいの大波になっているようです。このことは以前にも紹介しましたが、最近もまた似たようなレポートを見ました。「日韓で就職難を苦にした学生の自殺が増加」というショッキングなタイトルでお読みになった方も多いでしょうが、趙章恩氏の日経ビジネスオンラインでの
2012年6月13日付の記事です。
詳しい記事全文はリンクを辿っていただければ良いのですが、この種の記事はいつまでもサイトに残っているかどうか分からないので念の為に以下に転載しておきます。
→記事を表示させる
産経新聞が6月9日、就職に失敗して自殺する大学生の数が初めて1000人を突破したと報道した。自分の価値が認められず、激しく落ち込み、自殺する学 生が増えているという悲しい記事であった。就職難が改善される見込みのない韓国から見て、他人事とは思えない。韓国の新聞も産経新聞の記事を大々的に引用 した。テレビのニュース番組も、主なニュースとして紹介した。
ところで、産経新聞が取り上げた「(日本の大卒者の)就職率は2011年91.0%、2012年93.6%」という数字にびっくりした。就職率が93%を超えているのに就職に失敗して自殺する人が増えているというのは、就職できないことが問題なのではなく、他に何か原因があるのではないかと思わずにいられない。
というのは、韓国の大卒就職率はここ10年以上50〜60%に過ぎないからだ。
韓国の文部省にあたる教育科学技術部が2010年8月と2011年2月に2年制と4年制大学を卒業した全国556大学の卒業生55万9000人の就職率を調査した結果、2011年6月時点での就職率は58.6%※だった。地方大学の場合、就職率が20%未満のところもあった。民間のシンクタンクが発表した2011年6月時点での4年制大学新卒者の就職率は45%前後である。
しかし肌で感じる就職率はもっと厳しい。教育科学技術部が発表する就職率は非正規労働、つまり契約職も含まれているからだ。各大学にある就業相談室が発表する就職動向を見ると、正社員として就職できる学生は30%前後にすぎない。これもソウル市内にある名門大学の場合である。韓国は企業の数が少ない。新卒を募集している会社は大手財閥グループとベンチャー企業ぐらいしかない。中小企業は経歴社員(中途採用)を優先する。韓国の就職難は自分が行きたい会社に行けなかった、というレベルの問題ではないのだ。
成績向上と「スペック向上」に奔走
韓国の就職の第1関門は書類審査である。ここでは大学での成績と、英語の力が最も重要だ。大学の成績が良くないと書類で落とされる。日本では、就職試験を受ける際に、大学の成績表を提出する必要がないと聞いて驚いた。大学での成績が悪くても良い企業に就職できる機会があるとは羨ましい。
書類審査では「スペック」も重視される。このため学生は、就職難の中で生き残るため、サークル活動はせず、就職の役に立ちそうな「スペック積み」競争を始める。「スペック」とは海外語学研修、企業の各種公募(例えば広告コピー、マーケティングアイデア、論文など)に応募して入賞すること、政府機関におけるインターン勤務、履歴書に書き込める資格(例えば、情報処理産業技師、電子商取引管理士、ワードプロセッサー1級、インターネット情報検索士など)の取得、企業が評価しそうなボランティア活動などである。
韓国では、正社員と非正規社員の給料格差がとても大きい。大手企業に就職する新卒の給料は20万円前後で、日本と大きくは変わらない。しかしコンビニや食堂でのアルバイトの時給は5000ウォン(約360円)前後である。物価が急騰しており、アルバイトの給料だけではやりくりできない。フリーターという職業は成り立たないので、家族の世話になるしかない。韓国の会社員は40〜50代で定年を迎える。定年退職した親の退職金は、就職できない子供の面倒を見るのに使われる。家族全員が貧困層になるのは時間の問題だ。
■筆者より
読者の方から以下の趣旨のご指摘をいただきました。
本文中にある、日本の大卒者の「就職率93.6%」(文部科学省、「大学等卒業者の就職状況調査」、2012年4月1日現在)と韓国の「就職率58.6%」(韓国の教育科学技術部、2011年6月時点)を比較するのは適当でない。日本の就職率の分母が「就職希望者」であるのに対して、韓国の就職率の分母は「全卒業生」だから。就職希望者は、卒業が近づくにつれて減少する傾向がある。日韓の比較には、日本の文部科学省が「大学等卒業者の就職状況調査」とは別に発表している「学校基本調査」が適切である。こちらの分母は「全卒業生」。これによると日本の就職率は61.6%(2011年5月1日現在)。
ありがとうございます。ご指摘に、感謝いたします。
ご指摘をふまえて補足させていただきます。
韓国の「就職率58.6%」は派遣などの非正規雇用者を含みます。その内訳は不明です。
ただし、ソウル市内の名門大学の発表を見ると、卒業生のうち正社員として就職できた割合は30%前後です。ソウルにあるその他の大学や地方の大学ではさらに低い割合が推測されます。このため、「大学等卒業者の就職状況調査」の結果を対比しても日韓の就職率にはやはり大きな差があると思われます。
筆者がこのコラムで伝えたかったのは、日韓両国の学生に、先を見て、生き続けてほしいということでした。日韓の比較が主旨ではありません。
韓国でも就職難を苦に自殺が増加
韓国でも就職できないことを苦に自殺する20〜30代が増えている。
韓国の統計庁が発表した「2012青少年統計」によると、2010年15〜24歳の死亡原因1位は故意の自害(自殺)だった。交通事故や癌より多かった。青少年人口10万人当たり13人が自殺した。自殺の原因は成績と進学だった。また15〜24歳の8.8%が「この1年の間に自殺しようと思ったことがある」と答えた。
韓国の15〜24歳の世代は一人っ子が多い。英才教育や早期留学といって小学生〜中学生の間に海外留学を経験した人も多い。親の多くは教育熱心だ。子供に対する親の期待は大きく、本人のプライドも高いだけに、自殺という極端な選択をしてしまうように見える。志望する大学に入れなかった、行きたかった会社に採用してもらえなかった、すべては自分に非があると、自分を責めて自殺に走る。
求人サイトのサラムインが求職者802人を対象に調査をしたところ、86.8%が「スペック積みのストレスを感じている」と答えた。64.1%がスペック積みストレスの過程で「自信をなくした」と答えた。「人に会うのが嫌になった」「飲酒・喫煙量が増えた」という人もたくさんいた。サラムインは、求職者に対して「他人と比べない」「不合格になっても自分を責めない」「自分を信じてあきらめない」とアドバイスしている。これは日本の若者にも通じるアドバイスではないだろうか。
国内がダメでも海外がある
韓国では、国内がだめなら海外で就職すればいいと、前向きに立ち直る人が少しずつ増えてきた。
産業人力公団が公開した国家別就職統計によると、公団の紹介で海外に就職した人は2011年に4057人だった。国別に見ると、中国が1978人、オーストラリア976人、カナダ783人、日本326人といった具合だ。職種は事務・サービス職が3141人と最も多い。これにIT341人、建設59人、医療57人などが続く。年齢は29歳以下が2757人と最も多かった。40歳以上も246人いた。
5月31日に行われたKB金融グループ主催「2012KBグッドジョブ就業博覧会」には、韓国の企業だけでなく、中近東地域からも20社が参加して大盛況となった。6月11日には大韓貿易振興公社(KOTRA)主催の海外就職博覧会が開催された。世界129カ国の企業が参加した。就職できるのであれば地域は問わないほど、韓国は切羽詰まっている。これに比べれば日本の学生はまだ夢も希望も持てるではないか。目の前のことで自分を責めないで、もう少し人生を長い目で見てもらいたい。
この記事でも分かるように、韓国の若者の就職難も日本以上に大変だということです。文中にあるように就職率の統計の取り方で数値は変わってくるものの、日本の場合の就職率は、分母を「希望者」に限定すれば93%など高率だけど、「全卒業者」に広げれば61.6%と低率になる。しかし、韓国の場合、全卒業者を分母にしても58.6%であり、しかもこの数値は非正規雇用を含むので正社員に限定すれば実際には30%前後であり、それすらソウルの名門大学の話で、それ以外になるともっと下がる。さらに、正社員と非正規との賃金格差が激しく、正社員の給与は20万で日本と変わらないが、コンビニバイトなどになると時給360円ほどであり、物価も高騰しているので「フリーター」という生き方そのものが成り立ちえない。したがって実家の世話になるのだが、韓国の会社員の定年は40-50代と早く、いつまでも実家の世話になるわけにもいかない。
ということでサムソンやLGが世界で快進撃を続けようとも、母国の若者達はえらいこっちゃで大競争に追い立てられている。その結果、ストレスが嵩み、自殺率も高い反面、逆に海外に目を転じており、今月11日に行われた海外就職博覧会では世界129カ国の企業が参加したとのこと。
筆者の論旨は、「だから日本の若者はまだしもチャンスがあるのだから希望を捨てずにいてください」という温かいものなのですが、その思惑を超えて、いろいろと考えさせられます。韓国を日本の近未来像だと思ったら(別にそうなると決まったものでもないのだが)、ますます落ち込むという逆効果もある。それに、
国内の企業がいかにバンバン発展しようが、その恩恵を国民が受けるとは限らないという疑問にもつながる。アメリカでも、アップルやグーグルが飛ぶ鳥を落とす勢いで伸びつつも、国内の長期失業者の数はあえりえないくらい増えてしまっているし。
ま、このへんは過去に何度でも書いてますので耳にタコでしょう。話の成り行きで紹介しているだけです。
でも韓国の事例は意味深です。だって、ソニーやパナソニックが再び力を付けて、韓国のサムソンを追い抜いたとして、それでめでたしめでたしになるかというと、逆にもっと就職事情は悪化して、自殺者が増えているかも知れないわけですから。ま、そうなるとは限らないし、前提条件が日韓で違うのでおそらくは違った展開になるとは思います。でも、その企業が強くなるためには従業員の底上げが必要で、そのためにとびきり優秀な人材だけを採用し、あまり生産性の高くない従業員はどんどん馘首し、アウトソーシングに廻した方がいいという経営メカニズムがあるとして、それを徹底できるかどうかが企業の優劣を決めるとするなら、その企業が強くなればなるほど働く側としてはキツイ話になるという反比例の関係に立つことになります。
日本の家電企業が海外展開で凋落しているからリストラ・就職難になっているように見えるのですが、平均的で凡庸な人材でも雇うという「労働者に優しい」企業だからこそ、世界市場で負けていると言えなくもない。だから強くなるにためには、これまで以上に労働者に辛くあたる企業になる必要があり、だからリストラをやってるんだと。そう思えば、日本企業が強くなることが良いのかどうかという。
オーストラリアの場合
一方、オーストラリアですが、OECD諸国の中では経済的にかなり優等生なオーストラリアであってもリストラの嵐や中流層の浸蝕は進んでいます。オーストラリアではクォリティペーパーと言われている新聞(SMH、The Age)を統括するFairfax社では、先日、1900人のリストラを発表して波紋を投げかけています。詳しい内容は、
Fairfax to shed 1900 staff, erect paywalls を参照していただきたいのですが、最も注目すべきは記事の末尾つけられている読者のコメント欄です。なんと、半日もしないあいだに395コメントも投稿されています。しかも、ばーっと読むと結構シリアスに書いている。確かに「波紋」です。
内容的にはネットに押されているので、収益構造をネットに転換し、ペイサイトにするともに、従来の伝統的な新聞紙をタブロイドサイズにし、同時に国内の印刷工場を即座に二つ閉鎖、編集部や記者などもリストラの対象にする。1900人という数値そのものは、ソニーの1万人などに比べれば大したこと無いように感じるかも知れないけど、人口が日本の6分の1しかないオーストラリアの、それも製造業ではなくメディア産業におけるリストラですから、日本でいえば朝日新聞や読売で数千人規模でリストラするというくらいのインパクトがあります。ちなみに日本のマスコミ業界も大変だと思うのですが、どの程度リストラやってるのか調べてもよく分からんかったです。2年前の記事で「朝日は約5500人いる社員のうち2〜4%を希望退職で減らす方針」というのが出てました。
さらに、これにツイストがかかっているのが鉱山ブームでいきなり世界一の大富豪になってしまったラインハルトというオバハンが、同社の20%近くの株式を取得し経営に口出しする気満々なので、取締役会も戦々恐々としたり、民主主義におけるメディア機能が資本に蹂躙されような事態を許して良いのか論とか、色々出てます。
ま、それはともかく、ここで確認すべきは国の経済が良かったとしても、大リストラが行われることがあるということです。というか、西欧圏ではそんなことは当たり前で、オーストラリアに来た当初、国内の大企業が空前の利益を上げつつも大リストラをやってるの見て、「おお、そうなんだ」と驚いたもんです。アメリカの最近のニュースでは先月(12年5月)にHP(ヒューレット・パッカード)が2万7千人という途方もない人員削減をしたそうです。事業不振が理由なのだけど、会社自体は赤字にもなってません。それでもやる。
以上見てきて何となく分かるのは、
@、リストラ・就職難と、その国の経済が好調/不調であることとは必ずしも関係ない
A、同じくその企業の業績の良し悪しとは必ずしも関係ない
B、つまり「不況だから」リストラがあるとは限らない。だから好景気になってもリストラ・就職難はありうる。
しかし、これって意外なようで、考えてみたら当たり前のことでもあります。
リストラは、リ(再)・ストラクチャリング(構築)ですから、再構築する必要があれば再構築するものであり、再構築にあたって不要部分が出てくればカットするのは当然。また、就職(企業側からみれば求人採用)は、人を雇った方が良い(より儲かる)と思われる場合は雇うし、雇っていてもあまり儲からないのであれば雇わない(クビにする)ということです。これも、まあ、当たり前の話です。
要は経済的な必要性があるかどうかだけの話で、その必要性と景気や企業業績の良し悪しとは必ずしもイコールではない。それは確かに景気が良くなれば需要が増大し、一般に人手が要るようになるから、リストラも減るし就職も比較的楽でしょう。一般的にはそう。しかし、それは「そうなる場合が多い」という属性レベルのことで本質ではない。景気が良かろうが無駄な部門は無駄であり、業績が悪化しようが必要な部門に人が足りなかったら増員する。要は必要かどうかです。
そしてその必要性は何によって決まるのかといえば、大きな経済の流れです。ほんでもって、その経済の流れは何によって決まるかといえば、時代の流れであり、人類社会のありかたが、どんなメカニズムで、どう変わっていくかです。
ヨーロッパの場合
次に、つい先日というかこの週末版の現地の新聞SMHに面白いコラムがありました。
The pain in Spain is another euro refrainというもので、ヨーロッパ危機についてのものです。昨今のギリシャ危機において、「EUきっての経済優等生で働き者のドイツVS劣等生で怠け者のギリシア」という構図があるわけですけど、しかし、この構図は統計的には大嘘だそうです。
統計によると、ギリシャ人の平均年間労働時間というのはOECD諸国のなかでもかなり長い。2010年統計で、ギリシャ人労働者は年間2109時間も働いている。これに対してドイツ人労働者は最も短く年間1419時間しか働いていない。単純に労働時間でいえば、ギリシア人の方がドイツ人よりもよっぽど「働き者」だと。ちなみにオーストラリア人も1686時間で、そんなに働いているわけではない。日本人が年間どれくらい働いているのかは調べてませんが、調べたところでサービス残業が当たり前の日本で「統計数値」を出すことにどれだけ意味があるのか?って気もしないでもない。
それはそうと、ここで分かるのは、大事なのは労働生産性であり、額に汗して長い時間働けば良いというものではない、つまり
「(量的に)頑張れば良いというものではない」ということです。物事の決定因子はもっと別のところにある。
もう一点、このコラムで面白かったのは、冒頭のジョークともつかぬ各国首脳のコメントです。2010年段階で、スペイン蔵相は「スペインはギリシャとは違う(大丈夫だ)」と言ったそうです。で、当のギリシャ蔵相は、その年「ギリシアはアイルランドとは違う」と述べていたそうですが、それに対してアイルランド蔵相が「ええ、アイルランドはギリシャ領内に存在しませんからねえ」と当意即妙に答えたという、今から思えば目くそ鼻くそ的なコメント応酬があったそうです。
でもって、昨今のスペイン危機でスペイン首相は「スペインがウガンダのようになるわけではない」と主張したのに対して、ウガンダ外務相は「ええ、ウガンダもスペインのようにはなりたくありません」と答えたという。最後のウガンダの切り返しが本当かジョークかよく分からないそうですが、しかし、いずれであれ、これは意味深な問題を含んでいると筆者は言います。アフリカのウガンダという国、国民の3分の1が貧困以下のレベルに喘いでいる国は、国民一人当たりのGDPで30倍にも達する経済大国スペインのようになりたいと思うに決まっている----とは必ずしも言えないのではないか?と。
ここでお勉強になるのは、
「経済的に豊かになれば良いのか?」という問い掛けです。
これまで、経済的に豊かになることは、ほぼ無条件で良いことだと思われてました。そりゃそうかもしれない。食うや食わずだと栄養失調になるし、病気になってもろくな設備もないんじゃ死ななくても良い人が死ぬことになる。これは不幸です。でも、経済的に豊かになるために、あれこれ積上げていく過程でだんだんと無理が出てくる。労働時間も長期化するし、家族関係も希薄化するし、子供時代からお受験やらされる。江戸時代は、言うまでもなく100%オーガニックだったのに、今ではオーガニックに高値が付く。結局また自然農法のように何もしない(本当に何もしないわけではないが)のが一番だという皮肉な話にもなってる。食品加工や産地偽装など、食の安全は経済の発展とキッチリと反比例の関係にたっているかにも見える。また、金が儲かればいいなら、何も働かなくてもバクチで儲けてもいいんだろ、巨額の資金と高等数学をかけあわせれば簡単に儲かるよとばかりにイケイケでやってたら、サブプライムでコケて大赤字を出し、勘定書が政府に廻され、発端から数えればもう5年くらい経ってるのに、どんどん事態はヤバくなっているという。
原始においては、経済も豊かさも僕らの幸福のよい友達で、二人三脚で頑張ってました。日本の戦後30年くらいまではそうでした。経済が発展すれば楽しいぞ、頑張ればイイコトあるぞと。確かにそのとおりだった。ところが相棒だった筈の経済君は、マラソンで言えば35キロ地点あたりから僕らの横からすっと抜けだし、一歩リードし、二歩進み、だんだん距離が広がっている。今では「おーい、待ってくれえ」と僕らは経済君(好景気君)を追いかけているんだけど、追いかければ追いかけるほど無理が広がり、不幸になってる、なんのこっちゃ?みたいな。
再びコアラの木
風呂敷を広げてしまったので畳むのが大変なのですが、さて冒頭のコアラの木です。
しっかと掴まっている木が不気味に揺れているように感じたとき、「揺れてる!もうダメだ、もう死ぬしかない」とか思わずに、なんで揺れているか?という大きなフレームを冷静に見極めることでしょう。バッファローの大群が暴走しててゴンゴン木にぶつかってるからいずれはポッキリ折れるかもしれないのか、下で誰かが木を切っているか、あるいは木そのものが虫や何らかの浸蝕を受けて腐ってきているのか、はたまた単に強風で揺れているだけなのか、そのあたりの構造的なものが見えるかどうかです。逆にいえば、それが見えれば、今は全く揺れてなくても、遠くの方から火山の溶岩が流れて出てきていずれは焼かれるかもしないとか、大雨で土壌ごと地滑りを起こすかもしれないとか、そういうことも分かる。つまり揺れているにしてもその原因が大事であり、ひいては揺れている/いないは本質的な問題ではなくなる。
さて、ここで問題です。問1:僕らはコアラなのだろか?
問2:ではいったい僕らは何にしがみついているのだろう?
僕の答は、問1については、人によりけりだろうけど、おおむねYESであり、問2については、過去の人生攻略法(頑張って豊かになり→幸福になる)であり、資本主義経済(or その固定的な使い方)だと思います。表裏の関係で僕らの「恐怖」とはなにかといえば、人生攻略法に失敗することであり、経済的に成功しないことでしょう。
でも、それでは「恐怖の見切り」としては不十分です。もっと広く、もっと立体的、構造的に恐怖を分析しなくては。
原点になる部分、何のために生きてるの?どうなりたいの?部分ですが、仮にこの部分が冒頭で述べたように「幸福になりたい、幸福になるのが上手になりたい」ことであるとするなら、物質的な豊かさというのはチャッチャとお金を稼いだり、無人島でサバイバルしたりという「実務部門」です。なんのために?といえば、腹が減っては戦ができないからです。寒かったらとりあえず辛いからです。とりあえず生物的に必要な条件を整える。なんのために整えるのか?といえば、これも書いたように「森羅万象から喜びを引き出す」ためです。いくら綺麗な風景を見てても餓死寸前だったら鑑賞できませんからねえ。
ということは物質・実務部門は、森羅万象から喜びを引き出す作業の土台作りというか、その作業ができる程度に整っていればいいということでもあります。パレードを見物したいけど、前に群衆がいるのでよく見えない。そこで良い視界を得るために、どっかから椅子なり台を調達してくるような作業レベルでしかない。この程度の「準備活動」など、人生全体の兵力配分でいえばいいとこ20%くらい割いておけばよく、ここで100%燃え尽きてしまったら、台は調達したけど疲れて見物できないというアホなことになる。
ということで実務部門(経済部門)においては、楽しく暮らせる物質基盤を、出来るだけ少ない労力で得ることが命題になります。それこそ「チャッチャ」とやればいいのであって、やること自体には意味はないのだから、簡単に出来たらそれに越したことはない。そこで戦後日本や資本主義社会で考案された「攻略法」は、良いガッコ→良い会社方法論です。正社員、それも大企業の正社員になれば、同じ投下労働力に対してリターンが大きい。どっかの統計で見ましたが、非正規雇用を一生続けるのと正社員とでは生涯年収で3倍もの差があるらしく(これは理論値に過ぎないし、今どきそんなに優遇されている正社員がどれだけいるか疑問だが)、その意味でもより大企業に正社員に入るために、良い学校に入ること、ひいてはお受験から頑張ることが王道的な正着、「先手7六歩」みたいな定石だった。
つまり必死に頑張って勉強して、ガッコ入って、正社員になってというのは、それが人間的・倫理的に正しいからではなく、「一番楽ちんで効率的だから」という、単なる作業能率の問題でしかないわけでしょう。また、それをすること自体に意味があるのではなく、「準備なんだからチャッチャと片付ければいいのさ」的な下位レベルでの話でしかない。
だとしたら、正社員になり、またあり続けることに全精力を使い果たし、人生を味わう部分がしょぼくなったら、何の意味もないということになる。せっせとジャガイモの皮を剥いて、そのまま放置、みたいな。そして、また、正社員になるのが異様に難しくなったり、正社員になったとしてもいつリストラされるか分からんし、退職金も雀の涙とかいうなら、従来に比べて投資効率が悪くなります。投資効率が良いからこそ、この方法が定石でありえたのですから、投資効率が悪くなったら、そんなもん大した価値もなくなります。にも関わらず、そのあたりの吟味を怠り、この方法論だけに固執しているとすれば、それは「しがみつきコアラ」なのではないか?と、いうわけです。
このような状況変化があった場合、戦略を組み直さねばならない。
具体的内容は人それぞれでしょう。たまたまお勉強的に優秀な知能を授かった人は、従来通りのエリート道を進むのが最も投資効率が高いことになる。しかし、万人に通用する定石ではなく、投資効率の損益分岐点を下回る人には「損なやり方」にもなる。ゆえにこの方法論「だけ」に固執しているのは賢明ではない。また金を稼ぐ方法論は、何も給与所得者になるだけが全てではない。もともと日本の全労働者のうちの給与所得者の割合は(統計や数え方にもよるけど)半分にも満たなかったような気がする。
他方、自分が心から仕合わせになるためには、こんな物質的基盤は本当に必要なんだろうか?という、個人レベルでのリストラもありえます。企業がリストラするなら個人もしなきゃね。本当に冷暖房完備じゃないとダメなの?とか、本当に駅から至近でないとダメなの?そのくせ健康のためにフィットネス通うくらいだったら毎日30分歩いて通った方が良くはないかとか。ちなみに僕自身は、iPhoneとか全然興味ないのですが、あれって結局「暇つぶしグッズ」でしかないように思えるからです。長距離通勤してヒマを持て余しているならともなく、僕のように自宅で仕事してる人間にとっては、「出先で暇つぶし」をしなきゃいけない機会が極端に少ない。それにヒマツブシなんか100万年やったところで、自分の感性がそんなに磨かれるような気がしないし、幸福になれるような気もしない。ネットもそうですが、たまに日本に帰ったり、旅行したりしたときは、極力ネットはやりません。仕事関係でメールのチェックとかは適当にやりますが、それだけ。勿体ないじゃん。せっかくの故郷、せっかく旅先、それこそ「森羅万象」に触れたいですよ。意味なくそこらへんを歩き回ってるだけでも楽しい。絶対新しい発見があるし。
こんなのは人それぞれですので無限のバリエーションであると思いますが、視野を広く取って、持ち駒を多くすれば、選択肢も自ずと増えるし、やりくりもしやすくなる。お金がなければないなりに楽しくやるようにチューニングすることもできると思います。
以下、生活保護振興論と正社員全廃論を補充で書きましたが、補充といいながら本編くらいの長さになってしまったのでカットします。また、述べます。
文責:田村