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そうだ、オーストラリアに行こう! (2)

オーストラリア留学/ワーホリ/移住の新しい局面
 ---時代が変わった---


発想の根本的な転換を(承前)

 @、お金を使う場所→稼ぐ場所

 日本でお金を貯めにくくなった分、賃金の高い現地ローカルでの稼ぎ甲斐が出てきました。最低時給20ドルですから。消費先としてのオーストラリアではなく、出稼ぎ場所としてのオーストラリアということです。まあ、「出稼ぎ」というほど持って帰れるわけではありませんが、「資金不足は現地で稼ぐ」という方法が以前よりも有用性をもってきたということです。

 もちろんローカルで働くためのハードルは高いです。ジャパレスは(多少改善されたとはいえ)一般に低賃金のままですから。しかし、ローカルハードルの高さそのもの(英語力など)は以前と変わらないのだから、リターン率が上がっておいしくなっています。この点は、予算について03実戦講座で詳述しました。あれは一見トリッキーな奇策のように見えるかもしれませんが、実は正道です。時代が真逆になれば発想も真逆にすべき。

 下のAとも連動しますが、今は海外の方がお金を稼ぎやすい&貯めやすい経済潮流になりつつあるでしょう。日本が足踏みしている間に、世界の人々、それも日本人の数倍、数十倍の人数の人々がお金持ちになりつつあります。お金というのは金持ちが沢山いる所で稼いだ方が効率が良い。その経済原理に則って、日本企業もどんどん海外シフト(生産のみならず販売拠点)を進めているわけです。仮にあなたが日本国内で日本企業で就職したって、海外勤務になる確率は以前よりも高くなっています。

 「貯めやすい」〜オーストラリアのロングテール社会


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A、海外経験の市場価値の上昇


 昨今、巷で噂されている、いわゆるグローバル人材という概念があります。

 これもまた、例によって言葉だけが先行して、内容がイマイチよく分からないのですが、要するに「(地球上の)どこであれ、誰とであれ、うまいことやっていける力」でしょう。「海外・外国人リテラシー」と言い換えてもよいですが。

 こういったスキルは身につけておいて将来的にまず損はないでしょう。「マスト」とまでは言わないまでも”準標装備”くらいにはなりつつあると思います。自家用車のエアバックくらいの感じ。

 国内市場が充実していた一昔前の日本では、「海外慣れスキル」なんぞを習得しても、それを活かす場面が限られていました。が、今やその局面が国内外に広がっています。つまりはオーストラリアで習得したスキルの市場価値が上がっているということです。

 今やお飾りみたいにTOEIC800点取ってればいいという話ではなく、ぼんぼん現地に行かされるだろうし、また現地との英語での業務連絡もやるでしょう。日本にいても多国籍の上司、同僚&部下達とうまくやっていかねばならない。

 現実感のない話かもしれないけど、あなたが稼働するであろう将来30年の間(人によって違うけど)、上司、同僚、部下、顧客、取引先、、これら全てが100%日本人オンリーであり続ける可能性ってどのくらいあると思いますか?日本で老舗のお豆腐屋さんをやっていたとしても、外国人観光客が「ファンタスティック!」とかいって買いに来ます(そういう意味では京都の町屋のグローバル対応はとっても進んでます)。彼らに受ける商品作りや、日本の伝統を正確に理解して貰うための説明、そのための慣れ、スキルは必要でしょう。

 お隣の韓国のサムソン電子は90年代から毎年200人以上の社員を世界各国に送って、1年の間仕事抜きに(給料は出る)言葉や文化を学ばせており、この制度で来ている韓国人ワーホリも結構いました。そのココロは、英語だけ出来ても戦力にならないからです。いかに現地ローカルに溶け込めるか、現地の生活習慣を学び、マーケティングや販売に活かせるかという実質面を見ている。

 一昔前の留学やワーホリが、どこかしら「優雅なお留学」「海外でフラフラ遊んでた」というネガティブな視線で見られがちだった状況に比べれば、今後は自分がサバイバルするための当然の戦略というポジティブな見られ方をするでしょう。

 まあ、一足飛びに何もかもが変わるわけもなく、変化には10年、20年かかるでしょうが----と、これも前に書いたのですが、そんなに時間はかからないでしょう。てか、もうこんなこと書く必要すらないかも。
 

B、生活の(一時)避難地・拠点としての海外

 日本の将来について、僕は必ずしも悲観してませんが(素材はいいものありますから)、しかし楽観もできないと思ってます。累積する1000兆円を超える債務、キナ臭い雰囲気、格差の拡大、大地震その他の天災、倫理的な劣化と閉塞く状況、介護や医療などの福祉面など数えていけば気分が重くなります。

 が!嘆いていても話は始まらないです。
 社会の全体と個人の生き方はまた別ですし、社会が閉塞気味だからといって、付き合いよく自分の将来も閉塞しなければならない義理はない。だから僕も20年以上前にこっちに来たのですけど。

 生活拠点が2つ以上あるのは何かと有利です。一つしかないと一蓮托生で巻き込まれかねないのですが、2つ以上あると「AがダメならBでいく」という具合に、「プランB」がありえます。また、2つ以上あるとミックス形態というのもありえる(A80%、B20%とか)。

 具体的にいえば、例えば日本がちょっとヤバくなりだしたら、その期間だけ(家族だけでも)海外に避難することもありえます(てか、富裕層はとっくの昔にやっている)。別に永住する必要もなく、そのときだけでいいです。それだけでもかなり違いますから。

 その際、全然知らない外国だったら、実際上意味ないと思います。行くこと自体リスキーにすぎるからです。勝手がわからないから、だれか水先案内してくれる人に全部頼るって話になりますが、水先案内といっても限界あるでしょうし、なにかに全面依存すること自体危険だと思います(喧嘩したら一人ぼっちで投げ出されるわけで、絶対服従せざるを得ず、そうなると形が悪くなる)。

 しかしワーホリなり留学なりで勝手知ってるところ、今もなおその頃の知人がいるエリアは、初動不案内のリスクがない分、断然有利でしょう。生活費もかなり圧縮できるから(そのノウハウを知ってる)、予算的にもかなりやりやすくなるでしょう。

 そういう場所を一つでも作っておくと良いと思います。人生の組み立てがしやすくなりますから。

 

C、日本での急成長エリア

 これは2015年ころから爆発的に伸びてます。中国人の「爆買い」でおなじみですが、そういう問題ではないです。オーストラリア人も爆買いしてるし、他の国の人もやっている。ただしわかりやすくデパートに群がっているわけではないから、わかりにくいだけで。

 以下のグラフは【2017年】日本の旅行収支・訪日外国人数推移をグラフ化(1996年〜)」 という記事からキャプってきたものですが、


 2015年ころから「爆発的」 と言って良いくらい、日本を訪れる外国人の数が増えているのがわかると思います。

 先日、とある業界筋から聴いた話ですが、統計的には既に、

 ★日本からオーストラリアに来る人数(日本人観光客数)よりも、オーストラリアから日本に行く人数(オーストラリア人観光客数)の方が逆転して多くなった。隔世の感がありますが、昔は日本人10にオーストラリア人1もなかったと思う。それが逆転、55:45くらい?

   ★オーストラリア人が日本滞在中に使うお金は平均25万円。日本人が日本で1年で使う額(家賃や税金など固定経費を除く)は125万円で、要するにオージー客5人集めたら日本人一人×1年分に匹敵する。かなり美味しい。

 ★日本人の年間海外旅行客数よりも日本にくる外国人訪問客数の方が多い、これも大逆転で、昔は圧倒的に”輸出超過(海外旅行する日本人の方が多い)”で、よほどの親日家〜物好きでないと日本なんか来なかったという印象があります。

 この流れは爆買いの一過性ではなく、2017年時点のレポートでは、彼らの東京滞在時間が少なくなっており、東京からすぐに地方に流れている傾向があるようです。つまり、初めてのおのぼりさんというよりは、リピーターになってる場合が増えてきている。

 直近統計(2017年上半期)によれば、「前年同期比17.4%増の1375万7300人と、5年連続で過去最高を更新した」とのことで、上のグラフの右端以降、さらに伸びていることがわかります。【図解・行政】訪日外国人数の推移による記事をキャプってこれも貼っておきます。


 さて、こういった「お金が集まるエリア」にどうアクセスするか?ですけど、もちろん従来の観光業界もあるでしょう。ただ、それだけではないです。

(1)日本企業が日本観光をやるとは限らない。高度成長時の日本の場合もそうですが、日本人が海外旅行をしてそれで現地で儲かるのも日本企業(日系のホテル、土産物屋)でした。同じことが今の日本でも起きてます。中国人観光客を連れてくるのは中国人旅行会社であり、日本現地でも中国系企業がさらっていくでしょう。ニセコや白馬でも、オーストラリア資本が大量になだれこんできて、オーストラリア人がホテルを建ててせっせと開発してくれています。

 そういう状況で就職、起業しようと思ったら、純粋日本的なビジネス慣行では無理であり、海外慣れしている、世界一般の感覚に慣れている人が重宝されるでしょう。現に、APLACの卒業生でもニセコのオーストラリア企業にはいって、結構えらくなってる人もいます。

(2)個人レベルでの動き
 今は世界的に消費者のテイストが変わってきているといいます。物を買うというよりも「体験を買う」方が多いし、ネットやSNSの進展で、個人志向の消費者も増えてます。だから定番の名所旧跡ではなくても、個人的な趣味で、「なーんもない」田舎に行きたいとか、そういう傾向です。

 これは日本人も同じで、例えばフランスやイタリアに行くにしても、パリやローマというド定番にいって買い物して終わりというのは古い世代で、若い世代ほど消費が洗練されているから、南プロヴァンスがいいとか、いや誰もしらないような田舎の田園風景と、その土地のワインで癒やされたい、味わいたいって人は多いでしょう。また、それが可能になるくらい、ネットには情報が満ち溢れてますから。

 ということは、日本のあなたの故郷、日本国内ではただの田舎でそれ以上でもそれ以下でもないところでも、外国人からみたら魅力的に見えるかもしれないし、また魅力的に見えるようにすることは可能でしょう。実際、よくぞこんなところまで!ってところまで外人さん行ってますからね。ヨーロピアンは海外慣れしてるし、物怖じしないから、どんどん行くのですね。

 ならば、村おこしでもいいし、自分が相続したどっかの田舎の空き家を活用してAirbnbのような起業をすることもありえるでしょう。

 ちなみに余談ですが、僕が思うに、Airbnbを単に「民泊」、脱法的な民宿みたいに思うのは発想が30年古いです。あれは世界的な広告サイトであり広告代理店なのだと。電通みたいなもんだと。なぜなら、外国人訪問客が買うのは別に宿泊だけではないですもん。地元の特産の工芸品でも、特に癒される体験でも、パワースポットでも、なんでもいいんですよ。現に、京都では外国人の多くが、着物を着て喜んでますからね。今や着物を着てたら外国人だという(笑)。

 その際、あなたが個人で何か始めたとしても、それをどうやって世界の人に伝えるか?です。Googleの検索だけだったら心もとないです。だから始めたところで誰も知らない。その点、Airbnbのアクセスは群を抜いていますし、とりあえずあそこに乗っけておけば膨大な人が読むわけです。そこにホストの紹介とか写真を延々書き込む欄があり、さらに自分の自前のサイトの名前を載せておけば、興味のある人はそれでピンポイントでググって読むでしょう。そこでさらに地元のあれこれのコースを載せて売ればいいです。

 他にもValableなど個人ガイドのサイトもあります。もうむちゃくちゃたくさんのサイトがあります。


 ただ問題は!世界に向けて発信する際に、いかに魅力的な英文が書けるか、です。いかにも日本人が作った英作文が並ぶなか、「お、これは」というこなれた英文を書けば、それだけでも親近感はわくでしょう。

 また、いかに魅力的な自分になるか、もあります。例えば、シドニーのどこそこに1年住んでましたってなったら、同じシドニー、同じサバーブの人だったら、この人とは話が合いそうだってことにもなるでしょう。また海外生活体験があったら、自分らのこともわかってくれるだろうというなんとはなしの安心もあるでしょう。
 さらに、彼らとうまくやっていくためには、こっちもそれなりに異文化理解が無ければなりませんし、外人慣れしておく必要があります。外人とのシェア生活(それでいい思いをすること)は必須教程くらいに思ってていいかも。

 その意味でも海外にしばらく暮らしてみることは、それ自体が、将来的にメシの種になりうるということです。それをどう活用するかどうかは、個人の才覚ですけどね。でもそういう道はあろうし、現にそれをやって成功している人は結構いますから。

   

D、まずは出塁 ベルトコンベア型→ビリヤード型

 以上みたように世間の動きが激しくなってきましたが、「そんなの一部のエリートの話だから関係ない」とか思ってませんか?でも、それはちょっと違うと思いますよ。なぜなら、これだけ海外と密接に連動するようになったら、どこの大学を出たとかいうよりも大事なのは「現場で使えるか/使えないか」でしょう。海外で学閥なんか振りかざしても何の役にも立たないのだから、基準はより実質的になっている。

 第二に、身軽な個々人が、何をするのも足の遅い日本の企業や政府”ごとき”に先進性で負けてどうする?です。もっともっと彼らの先を読んで、彼らの先にいけばいいです。もっと広く、自由に考えた方が成功率は高まります。

 なにも日本の企業に就職しなければならない義理もないし、シビアな言い方をすれば、海外に出れば成功するって甘いものではないから、日本の企業だってどれだけ生き残れるか分からないのです。また進出先の企業に呑み込まれて日本企業ではなくなったりもするでしょう。あのシャープですら台湾企業に呑み込まれ、東芝もバラバラに解体されている現実からすれば、それは荒唐無稽な話ではない。さらに、グローバルに適応して生き残っていく過程で、すでにカルチャー的に「日本企業」であることをやめざるを得なくなるでしょう。つまり、日本だとか外国だとかこだわること自体がナンセンスになっていく。

 これまでは日本=オーストラリアという二点間の「行ったり来たり」だけを考えていました。オーストラリアで何かを得て日本で活かすか、オーストラリアに住み続けるか。Aの就職・活躍機会の世界的拡大を前提に考えれば、そういった二点的なものの見方はもう古く、多極的な展開を視野にいれるべきでしょう。

 つまり、オーストラリアに行くのは、あくまでも「第一歩」に過ぎない。野球で言えば 取りあえず塁に出る ようなものです。塁に出てしまえば、盗塁だの、ヒットエンドランだの、送りバントだの、策はまた色々あります。もちろん日豪でチャンスを見つけるのもアリですが、それにとらわれず、第三、第四の国も視野に入れておく。というか、そのための第一キャンプがオーストラリアなのだくらいでいいと思います。

 もう少し視点を広くとれば、これまでのような日本型終身雇用が過去のものになるにつれ、ベルトコンベアのような一直線のライフプランは難しくなっているという現実があります。英語や留学についても同じで、英語習得→英語教師になる、あるいは外資系就職という点と点を結んだ単線型プランではなく、あちこちで様々な出会いや経験を経て、二重三重にクッションをおいて方向性を変えながら進んでいくビリヤード型のキャリアプランになっていくように思います。絶対そうなるとは言わないし、そうすれば絶対成功するというものではないでしょうが、そういう発想は頭に入れておいて損はないでしょう。
 例えば、ワーホリでオーストラリアに来て、ラウンド先で意気投合した仲間と今度はNZ、ヨーロッパやアジアを回り、そこでひょんなことから仕事があったり、恋が芽生えたりして数年滞在。一段落したところで帰国し、当時のコネを利用して輸入会社を起業したり、現地の人の日本観光旅行をお世話する仕事を作ったり。この世に仕事のネタは星の数ほどあるのですが、問題は人脈です。採用してくれる人に出会うか、販路や流通がスカッと通るかどうかです。そのためには数百という単位での出会いが必要でしょうが、それが楽しく出来る自分になるのが大事なのでしょう。気がついたら、日本国内で働いてはいるけど、九州出身なのになぜか北海道のニセコでオーストラリア人の経営の居酒屋のマネージャーをやってました、みたいなこともあるかもしれない。

 もともと人生というのはそういうものなのでしょう。僕だってまさか自分がオーストラリアでこんな文章を書いてるとは夢にも思ってませんでした。でも、ビリヤード型が本来の姿で、これまでのベルトコンベア型の方が硬直していて不自然なようにも思います。日本の、それも高度成長期に見られた一時的現象に過ぎないと。ビリヤード型は将来が見えにくいので不安だとは思いますが、いつコケるか分からないベルトコンベアに乗ってるよりはマシだという考え方もあるでしょう。

 ビリヤード型の良さは、多少何かに失敗しても幾らでも失地回復の機会があることです。先の見えない時代ですので、こういうときは一歩一歩確実に塁を進めていった方が、一発ホームラン(一生安泰コンベア)を狙うよりも実は確実だと、僕は思います。まあ、好球が来たらホームランを狙ってもいいですよね。でも、ホームランしか無いわけではない、というのは知っておかれた方がいいのではないでしょうか。

 というわけで、オーストラリアに行ったからといってオーストラリアにこだわる義理はないし、そこで身につけた諸技能・経験をストレートに何かに反映させようと、あまり思い詰めない方がいいと思います。「取りあえず出塁」「敵情視察」くらいの感じでいいのではないかと。一度日本を離れて海外に住み、その居心地が良くて第二の故郷みたいに思えてきたら、そのときのあなたは、今とは全然違ったあなたになっているでしょう。見えている風景も考え方も自然に変わるでしょう。

 ピンとこないでしょうが、一回外に出てしまうと、海外Aから海外Bへ移る心理的ハードルは低くなります。オーストラリアからアメリカに行くのは、東京から大阪に引っ越すくらいの距離感であり、オーストラリアからNZだったら神奈川から千葉くらいの感じです。まあ、人によるとは思いますが、日本→海外が一番心理的距離が長いです。

なぜそう感じるのか?について突っ込んで考えてみました : 
ESSAY 460/「”海外”という選択」(9) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(1)
ESSAY 461/「”海外”という選択」(10) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(2)
ESSAY 462/「”海外”という選択」(11) 〜日本にいると世界が遮断されるように感じるのはなぜか 〜ぬくぬく”COSY"なガラパゴス

 

E、感動率上昇と自信

 一転してメルヘンチックなことを書きます。
 でも、でも、でも、就職だ、キャリアだ、世界情勢だとかいっても、本当に大事なのはこっちだし、オーストラリアにやってきて一番実りが大きいのは実はココの部分だと思います。

 20年も成長しない(むしろ縮小)日本の感覚というのは、閉塞感による軽い拘禁性ノイローゼになっても不思議ではないです。今に比べれば、バブル感覚が抜けず極楽トンボのラテン系で、人情味もまだ厚かった「昔の日本人」である僕らでさえ、20年近く前にオーストラリアに来たときの、世界の広さと楽しさ、オーストラリアの大らかさと魂への優しさみたいなものは強いショックでした。

 ギャップの広がってる現在、以前にも増してオーストラリアはあなたにとって大きな癒しになるだろうし、視野がバコーンと広がる楽しさ、生きていく喜びをも与えてくれるでしょう。万人がそうなるとは保証できないけど、10年以上皆を間近に見ていた経験で言えば、この変化率(ハッピー度上昇率)は、昔よりも今の方が強くなっているように感じます。

 個人的に言えば、このリターンが一番大きいと思ってます。経済なんかどーでもいいってくらい。
 一括パックでシェア探しのお手伝いをしていますが、たった数日間なんだけど、しっかり顔つき変わりますから。それが一年経って武者修行を終えてきたら、もう別人。まさに「刮目してみるべし」です。

 このあたりを表現するのは難しいのですが---ありのままの自分をそのまま受け入れ、ごく自然にレスペクトしてくれる。「あ、今のままの自分でいいんだ」とフワフワ不安げに浮いていた心が、スッと接地する何ともいえない安らぎ。見知らぬ他人からの無償の善意のぬくもり。ただ生きているだけで幸せになれるというか、、、

 あ〜も〜、どう書いても嘘くさく聞こえるんだろうな(笑)

 いや、別にそんな難しいことでも、大したことでもないです。「息を吸ったら吐くといいよ」というくらいごく当たり前の人間の生理なんだけど、なぜか最近の日本ではそうなってないようで、、、知らない人に話しかけたり、楽しく喋ったりするという普通の行為が何故かありえないように感じるのなら、なんかちょっと変ですよ。息を吸ったまま吐いてないんじゃない?というか、右利きなのに左手で箸を持ってない?というか、それじゃあ大変でしょう。だいたい、「うつ」が国民病みたいに広がってる社会が「まとも」である筈ないでしょう。

 この点は、2017年の改訂時においてより声を大にして言いたいです。だって、僕がやってる範囲ですら、年々”鬱”率というか、「え?なんでそんなところで立ち止まってるの?」「なんでそんなに世界を黒く描いているの?」という度合いは強まってますから。

 それはもう「助ける」とかいうおこがましい話ではなく、ただ単純に真実、いや単に事実を知ってほしいなって思います。そんなに思うほど、悪い世界じゃないよと。人と人とが助け合って、心が温まるとか、それって単なる「オトギ話」じゃないよ、普通にいくらでもあるよ、と。

参考 : 
ESSAY 457 /「”海外”という選択」(6)〜赤の他人のあたたかさ
ESSAY 458/「”海外”という選択」(7) 〜ナチュラルな「まっとー」さ〜他者への厚情と冒険心

 あと、単純に損得勘定のキャリアでいっても、鬱々としたネガティブモード満開で物を考えていても、「俺なんかに出来るわけない」となりがちでその発想や行動力に限界があります。しかし、自信がついたら世の中の見え方も変わるし、健全な意欲も出てきます。そうすれば自然と行動力も出てくるでしょう。僕も先輩に、「落ち込んでるときに作戦を立てるのは絶対止めろ」と言われましたね。何もかもがダメっぽく見えて、みすみす勝機を逃すからです。勝つための思い切った一歩を踏み出すことが出来ず、「まだまだ」とか言ってるうちにチャンスそのものが逃げてしまう。ゴール前でパス回しばっかりやっててシュートが打てないようなものです。
ビリヤード型ステップアップの実例とケーススタディ

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まとめ

 以上のことを一言でまとめてしまうと、現実味が増した ということに尽きるでしょうか。

 昔に比べて資金面その他でオーストラリアに来にくくなっているのですが、一生懸命にやれば以前よりもその現実的なリターンは大きくなってきているます。その昔は、誰もが比較的簡単に来れたけど、その分見返りも少なく、全体として「趣味の留学」みたいなニュアンスもなきしもあらず。

 超簡単に図式化すれば、

 ちょっと前まで : 来るのは簡単 but リターンは少ない
 これから先   : 来るのが大変 but リターンは大きい


 それだけに、以前に3倍増量!ってくらいに真剣にやれってことだと思います。
 「リターンが大きい」って言っても、来れば自動的に得られるってもんじゃないです。英語にしても「とりあえず学校に行って」なんてぬるいレベルではなく、「なにがなんでもモノにしてやる!」くらいの気構えでいて正解でしょう。

 なぜなら、ローカルで働けるくらいの英語力、少なくともカフェなどのカジュアルジョブがゲット出来るくらいのレベルにならなければ、金銭面にせよ就職機会にせよ上記のリターンは得られないからです。リターンが得られないならば、単純に渡豪コストが上がってるだけに金銭的損失は大きいし、また以前よりも大きく膨らんだチャンスをみすみす逃すという逸失利益も大きくなってます。うだうだ、まったりやっていると、昔以上に損をするということです。

 そして、これは、英語だけ勉強してれば良いというものではないです。めっちゃ誤解されがちだけど。

 英語だけ教室的に上手になっても、おそらくはローカルジョブは無理でしょう。カフェですら難しい。レベル6(最上級)ですら一人でシェア探し出来ない人だってゴロゴロいるのに。

 冒頭で書いた「グローバル人材」というのは、単に「英語のテストの点が良い人」ではないです。アウェイ感にビビリながらもガンガン斬り込んでいける勇気であるとか、誰もが思わず好きになってしまうチャーミングな人間性とか、誠実さであるとか、要するに道徳の教科書に出てくるような人間としての立派さ、そしてあなたの人間性を「表現する力」みたいなものが、現場では一番モノを言います。語学力と同時に、ここを鍛えておかないと。

 海外経験のある人に、就職などで光が当るようになったのは朗報ですが、それだけに即戦力としてシビアに期待されているということです。「行ってきました」だけでは評価されず、そこで何をしてきたか、何を得たかを鋭く問われるでしょう。大企業になるほど海外留学経験者や海外現場で辛酸を舐めてきた社員はゴロゴロいるでしょうから、英語力にしても、単にTOEIC○点なんて「お飾り」ではなく、彼らの前で「ちょっと喋ってみて」とやらされたりするかもしれない。本格的な外資系だったら、TOIEC以前に応募から面接まで、何からなにまで全部英語なのも珍しくもない。また、現地社会についてどれだけ深く洞察出来たかというあたりも突っこまれるでしょう。「なんだ、1年も行ってきてこの程度か?」と思われたら、ほんとに逆効果ですからね。

 ということで、こちらで語学留学や英語をモノにしようと思われるならば、就職の際に、「英語は出来ますか?」と聞かれて、「できます!」と即答できるだけのレベルまで来てください。なかなか「できます」とは言いにくいのですが、だからこそ「出来ます」と言える人(本当にその実力のある人)には希少価値があります。

 また、海外勤務になったとしても、海外に「飛ばされる」という「島流し」感覚を抱くのではなく、「おお、他人のお金でまた外国に行けるぞ!」と小躍りするようになってください。「現地のローカルに溶け込むのは慣れてますから、出来ると思います。○○は行ったことがありませんが、楽しみです。やらせてください」と言えるように。
メンタル面での初動の難しさ
 一方、初動が難しくなってきていると思います。一昔前の日本は、望めば誰でも正社員になれたし、社会経験や人生経験を積む機会も資金を貯める機会も与えられました。日本人自体が人間慣れして楽天的でもあり、且つ経済的にも余裕があったので、オーストラリア現地生活を始めるのは今よりはスムースだったと思います。ところが、今は、社会経験に基づいた人間力、資力、そして学力、いずれも十数年前に比べて若干下がっているようで、それだけに初動のギャップは広がっているように感じます。

 僕もそうでしたが、海外に出るときというのはどっかで「舐めてる」部分があり、身も蓋もない現実に直面したら誰でも多少は心が弱くなるでしょう。そのとき試されるのは「打たれ強さ」です。また、現地に慣れてきても、まったりせずに、日々チャレンジし続けられるかどうかは、それなりに意志力の強さが必要です。

 いずれもメンタル管理なのですが、これは気をつけて気をつけすぎることはないと思います。
 ここをしくじると単に「行ってきただけ」になってしまいがちだし、ヘタすれば「行かなかった方がマシ」というトホホの事態もないわけでもない。どういう場合かといえば、英語・外人トラウマが増大し、来る前よりも恐くなり、ダメ意識に打ちのめされ、一方では自堕落な生活が身について社会復帰できなくなるというパターンです。これ、恐いですよ。

 だから、メンタル管理は大事だという所以です。最初は不慣れただからちょっと不安定かもしれないけど、軌道に乗ってしまえば、昔よりも大きなモノを獲得できるようになってるように思います。

 僕も一括パックで、やれシェア探しだのなんだの付帯する仕事が増えてます。昔はペーパーワークだけで済んでたのですが、一銭にもならないことを何をムキになって?と自分でも思うのですが、やはりその必要性を感じるからです。特にここ1〜2年は、立ち上げ1〜2か月のメンタル面でグラつく場合もあるので、人間味のある温か〜いサポートが以前よりも求められているように感じます。

 やたら根性とかいうのは最悪ですもん。シェア探しでも五体満足で帰ってきたら「大成功!」だと言いますし、携帯なくしたり失敗するほど「勉強熱心だなー」と褒めますよ。これはよいしょしてるんではなく、心底そう思ってるからです。そんな何かも最初から上手くいくわけないじゃん。自分なりに1ミリでも前に進めたならば、それはもう大成功なんだと思いますし、なかなか本人的にはそう思えなかったりもするから、そんなことないよ!とは言います。


 念のために付言すると、戦闘能力が低下してるからといって人間として価値がどうのという話ではありません。「ゆとり教育」がどうのとか言われますけど、昔っから書いてますけど、僕は「ゆとり」を評価する部分もあります。若干子供っぽくなったかもしれないけど、その分素直になったというか。より海外に通じ易くなったと思いますよ。海外そのものがゆとり社会ですからねー。

 その意味でいえば、いざ海外にでてみたら、古い世代の方がなにかと「構え」がちで馴染みにくいんですよね。素材として難がある。だってさ、どっかの国でどっかの国の人とカフェでお話をする場合に、「日本の経済力は〜」とかいちいち思ってたりするんだもん。それじゃ打ち解けられないよ。

 有能だけどこすっからい奴よりは、多少難アリでも素直で「いい人」であった方が良いです。結局大きく伸びるのは後者ですし、実はオーストラリアをはじめとするグローバル親和性があるのはそちらですから。つまり能力面よりは人間面です。


 以上をもう一回整理すると、
 @、観光/遊興→就職/実益性へのシフト
 A、より真剣にやるべし
 B、メンタル管理の重要性
 C、海外での成果を査定される
 こんなところですか。長々すみません。

 ところで、海外だ国際化だかいっても浮き足立つことはないです。単純にチャンスが増えてるだけです。
 あなたと日本の関わりそのものは何の変化もないです。海外で飲む味噌汁の美味さに、昔も今もないです。その意味ではグローバル化もヘチマもない。むしろ海外に来た方がちゃんと日本人になれるような気がします。日本の良さもよく分かるし。僕もオーストラリアに長いこと居ますが、それでも日本人らしい部分=約束の時間は守るとか、100貰ったら120返すとか、義理人情で動くとか=は全然変わってないどころか、強化されているかも。良さを再認識したものは、やっぱり大切に守るようになりますから。イタリア人がオーストラリアに来てもパスタを捨てないように、中国人が飲茶を忘れないように、どこにいてもあなたはあなた、日本は日本です。



INDEX

 Part 01 : 上から目線から下から目線へ〜経済状況の逆転
オーストラリアの物価高騰、本当は日本だってそうなるはずだった


 Part 02 : 発想の根本的な転換を
@お金を使う場所→稼ぐ場所、Aスキル価値の上昇(日本企業の海外シフトと海外留学生や英語スキルの市場価値の上昇)、Bまずは出塁ベルトコンベア型→ビリヤード型、C感動率増加、D実例とケーススタディ、Eまとめ