こればっか書いてて恐縮なんですけど、今回も「グローバリゼーション」です。
自分でも飽き飽きしているのですが、少なくともあと10年世界はこの枠組でいくだろうし、その影響が日増しに鮮明になっていくように思えるからです。現にこの1週間だけでも色々と「進展」がありました。いつくか新たに思うところがあったので書き留めておきます。
グローバリゼーションとは何か?ですが、別にもう詳しい解説はいいですよね。「ミルクを入れたコーヒー」がよく例に挙げられますが、そういうことです。
一応ちょびっと書いておくと、これまでは一握りのリッチな先進国(含日本)と、大多数の貧しい発展途上国という二極分化がありました。しかし戦争も冷戦もなく平和な時代になれば、貧しい国もいつまでも貧しいままではない。発展「途上」なんだから日を追うごとに本当に発展してくる。一方、ネット通信技術などの進歩によって世界の経済はどんどん緊密になり、一体化してくる。別々の容器に入っていたコーヒーとミルクを一つのコップに入れるようなものです。コーヒーとミルクの黒と白は徐々に溶け合い、最後には薄茶色になっていく。
この理屈を、僕ら先進国の市井の生活人のミクロ視点から見れば、ナチュラルに毎日どんどん貧しくなっていくということです。これまでが恵まれすぎてたというか、特権貴族みたいなものだったんだから当然といえば当然。同じ仕事をしてもたまたま先進国に生まれたら日給1万円貰えるけど、たまたま第三世界に生まれたら日給300円しか貰えないというのは誰が考えても不平等。それが是正されていくのですから、人類全体としては喜ばしい話です。でも、斜陽貴族である僕ら先進国としては、厳しい話です。
カレント(潮流)とかトレンドというのは恐ろしいもので、流れがどっちに向いているかというのは時として決定的な意味を持ちます。流れに従っていたら、何もしなくても進んでいってくれるけど、逆流の場合はじっとしてたらどんどん悪い方向に流される。昼間一生懸命泳いで距離を稼いでも、夜に寝ている間にそれ以上の距離を押し戻されてしまったりして、そこがツライ。
もうちょいメカニカルに言えば、同じモノを作るにも、先進国で高い人件費を払って、高い土地代払って、高い電気代払って、高い税金払っているよりも、安い新興国で作った方が得。だから企業はどんどん外に出て行く。いわゆる空洞化だけど、何も日本だけの話ではなく、先進国はどこでもそうです。また出ていくのは工場だけでもなく、サービス産業を含めあらゆる産業が「より安い」場所を目指して出ていく。かくして国内では失業者が増え、不況になり、国内市場が縮小する。さらに先進国はどこでも少子高齢化だから市場縮小に拍車をかける。国内販売だけでは成り立たなくなった企業は海外市場にシフトせざるを得ない。一方政府は、景気対策+高齢者と失業者対策と支出がとめどもなくふくらむ。これを日に日にやせ細る税収でやるのは不可能だから国債という借金経営に走り、多くの先進国はどこも膨大な赤字負債に喘ぐようになる。
以上が予備知識。
GFC2
最近こちらの新聞をみていると、"GFC 2"とか"double dip"というフレーズをよく見かけるようになりました。GFCというのは2007-8年の世界経済危機(Global Financial Crisis)のことです。日本ではなぜか「リーマンショック」とヘンな名称で呼ばれているのですが。「2」というのはその第二幕です。映画の続編のように「パート2」がそろそろ始まるんじゃないかという仄聞です。ダブルディップというのは、景気の「二番底」です(dip=凹み)。
直接的には先週のアメリカの騒動と株価の大暴落です。デフォルト回避のために追加負債を得るため大統領と議会がやりあってました。この「デフォルト」という言葉も最近頻繁に見ますよね。「債務不履行」という意味だけど、より分りやすくいえば「不渡り」です。
普通の会社で手形が不渡りになったら、それは倒産と同義。あなたが弁護士や税理士さんで、クライアントが駆け込んできて「3日後の手形が不渡りになる」と聞いた瞬間に全身の血がすーっと引き、数秒後にアドレナリンが沸騰するでしょう。嵐のような”戦場の日々”が始まるということです。たかが手形一枚支払えなかっただけで何でそんな大事になるのか?といえば、企業活動の生命線である「信用」が崩壊するからです。噂はほぼ一夜にして全取引先に広がり、早朝から人々が詰めかけ、もう仕事どころではありません。それどころか、早い人は深夜から本社や工場に出向き、納品した業者は納入先商品を取り返すべくトラックを派遣したり、ハイエナのような暴力団が濡れ手に粟の利益を目指して社長の身柄を拉致しようとしたり、会社の実印をゲットしようと乗り込んできます。現場では怒鳴り合いやら小競り合いが起きる場合もあります。治外法権状態のまま放置すれば結局ヤクザが仕切るようになるから、あなたとしては一刻も早く自己破産申請なり内容証明を送付して「法が仕切る!」宣言と行動を示さないとなりません。しかし申請するにも段ボール数箱の資料整理やリスト作成、登記簿謄本やら添付資料を用意しなければならず、一方では現場に出て行って押しくらまんじゅうで髪の毛やネクタイ引っ張られたりする修羅場もこなさなければなりません。「アドレナリン」というのはそういうことです。
市井の中小企業の倒産ですらこの騒ぎですから、国家レベルではどれほどのことになるか。だから、デフォルトとは経済的な核爆発みたいなもので、「絶対に避けなければならないこと」です。国家の借金は、国債という手段を用いますが、それが償還(返済)できなくなったら、連鎖反応的に大パニックが起きます。ましてや世界経済の中心のアメリカがデフォルトにでもなろうものなら、どれだけの影響力があるか考えたくないくらいです。オバマ大統領が「ハルマゲドン」と呼んでいたらしいですが、誇張ではないと思います。
先週は何とか合意に取り付け、とにもかくにも破滅は脱しました。やれやれといったところですが、余波があります。アメリカはそこまで追い詰められているのか?という認識が新たになったところで、市場は疑心暗鬼のパニック寸前になります。
2005年あたりに遠因を発する一連のサブプライム→世界経済危機というシリーズものの特徴は、ヒッチコックのようなホラー映画だという点でしょう。わかりやすい単独の原因がポンとあるだけだったら、まだしも対処も予想もできるのだけど、システム全般に広がってしまっているから、何がどうなるか誰も予想がつかない。だから恐い。もう遊園地のお化け屋敷で恐いのを我慢している子供みたいなもので、針でちょっとつついただけで「ぎゃ〜」って泣き出すような感じ。自分は泣かなくても、他の子供が泣いたら、それが全体に感染するから、それが恐い。「いつか、いつか、、」でビビりながら見ているから、何かあると、「すわっ!」と総立ちになるという感じでしょう。
2007-08年のGFC1では、各国首脳が国庫をカラにするくらい財政出動させて、なんとかボヤから半焼くらいに食い止めたのですが、その分、各国の負債はドカンと重くなった。体力のないところがヘタってくる。これが直近1−2年の欧州のソベリン・クライシスで、ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペインの頭文字をとったPIGS問題になります(+アイルランド)。つまりはヨーロッパの儲かってない商店(国々)が相次いで不渡りをだそうかという事態になり、世界が躍起になってカンフル剤を注射したりして延命させている一幕ですね。
こういった経緯を世界の市場や投資家連中はハラハラドキドキしてみているから(したたかにチャンスもうかがっているだろうが)、本家本元のアメリカまで炎上しそうになったので、一段と深刻感が増したというところでしょう。"PIGS R US"という不謹慎なフレーズを見て不謹慎にも笑ってしまった。「ブタは実は俺たちだった」というダブルミーニングですね。
ビビりが感染したオーストラリア
ここ半年くらいオーストラリアの市民がビビっています。
ビビってるから、オーストラリアの株式も「きゃー」と投げ売りが続いて、株価もドカンと落としています。右の写真は、先週の土曜日(2011年08月06日)の新聞の一面トップですが、こうやってマスコミも恐怖感を煽るようなことをするからますますダメになるという部分もあります。どこも一緒だよなって。
しかし、他の先進国に比べてみれば、オーストラリアがそこまで落ち込む理由はないです。鉄鉱石など資源輸出によって中国その他の新興国の成長としっかりリンクしているし、国家財政は、GFCの大盤振る舞いで赤字になったものの早急の黒字回復を目指すという程度のレベルだから、他国からみたら健全そのものです。少子高齢化についても、シドニーはここのところずっとベビーブームだし、人口増えすぎてインフラ整備が追いつかないのが宿年の課題になっています。賃金だって平均して年4%は上がっているし、失業率も5%以下だし、インフレも凄いので公定歩合を上げたりもしてるし。
だから、そんなに悲観するようなファンダメンタルではないにもかかわらず、グルーミーな気分が覆っています。David Jones(シドニーで最も格の高い百貨店)の直近売り上げ統計が愕然とするほどダメダメだったり、天井知らずに伸びてきた住宅価格も取引もここのところ頭打ちか微減だし、あのオージーがせっせと貯蓄に走ったりしています(過去25年で最高の貯蓄率)。そのうえ、電気代がドカンとあがるわ、温暖化対策のためのカーボンタックス(炭素税)が来年から導入されるとかで小売り不況になってます。
理由はほんとにメンタルなものだと思います。
確かに今現在のオーストラリアをみれば良いのだろうけど、世界全体の構図を考えればとても喜んではいられない、不安だ、といったところでしょう。前にも書いたけど、日本に比べればオーストラリア人&社会は世界とのリンクが太いです。もともとが欧米圏、英語圏であり、世界中から移民が集まってることもあり、東京の人が千葉や埼玉を思い浮かべるくらいの至近感でアメリカやヨーロッパを感じる。先進国の斜陽貴族性もよくわかっている、よく「見えている」ということでしょうね。
ただ、「見えている」からこそGFC1のとき、政府もオーストラリア人も、意地になってお金を使いまくってましたね。ここで退いたら不況になるというのが分ってるから、割と誰も彼もがジャンジャンお金を使って景気を下支えした。その同じ国民が今回ここまでビビってるというのが気になります。GFC1よりも2の方がある意味ではキツいです。今度きたら、もうどこの国の国庫も空っぽですからね。逆さに振っても鼻血も出ないという感じで、景気刺激策や救済プランも一回目ほど大規模なことは出来ない。それにオーストラリアの厚生年金(スーパーアニュエーション)は市場投資方式だから、世界がコケるとオーストラリアの年金もコケるという。誰も彼もが普通に投資している国ですから、ダイレクトに痛みが来るというのは分る。
日本独自の歪みとタイムラグ
海外と国内の境に妙なバリアが張られて遮蔽感の強い日本社会においては、これら世界の動きが、妙な形に翻訳されたり、影響もワンテンポずれたりします。大体GFC1のことを「リーマンショック」という、あたかも一社だけ倒産したかのような矮小化しているのもそうですが、2008年の秋に世界が景気回復し始めたときにデフレ宣言を出して日本だけ一人で沈み出すという妙なタイムラグもあります。
今回も「超円高」だけが取り沙汰されていますが、そんなの末端に生じた波紋に過ぎないと思う。なんで円高になってるかといえば、欧米市場が恐くなった投機マネーが日本に流れ込んで、日本国債や値頃感のある日本の資産を買ってるからでしょう。日本の場合、幸か不幸か、何をするにも動きが遅いからそれが結果的に安定感や安心感につながっているといことでしょう。ちなみに、オーストラリアも空前のドル高です。オーストラリアの場合は、資源ブームで先進国の中では抜群に経済が安定して好況なのと、インフレだからリターン率が高いことによります。日豪いずれも高くなってるから、日豪間の為替変動はあまり起きていません。
確かに円高になると日本の輸出企業はもうどうしようもなくなって海外に出て行くしかないでしょう。70円台という嘘みたいな円高ですが、これが90円くらいに戻っても話はそんなに変わらない。というか、海外流出は円高という為替上の理由ではなく、もっと大きな世界の流れに従ったものだから、今の円高は出ていく企業にとっては、むしろ出ていく「言い訳」として使ってるんじゃないかなって気もします。海外に出ていこうとする度に「日本を見捨てるのか」みたいな感情的な反発を食らったりするでしょうから、「だって、しょうがないじゃん」って言いやすいという。
世界は今日からの株価変動を戦々恐々として見守っていますが、日本の各新聞のトップニュースを見てもあんまり危機感ないですね。甲子園の結果とか交通事故とかやってるし。さすがに日経は対応しているようですけど。でも金融庁の「日本の金融システムへの影響は限定的との見解」とか邦銀は米国債を徐々に減らしているか大丈夫だとみたいな記事は、ちょっと脱力します。なんか「乗客に日本人はいませんでした」って感じ。そういう直接的な問題じゃないでしょうに。
斜陽の構造
話を整理すれば、まずミルクがコーヒーに混じり合うというでっかい絵があります。鳴門の渦潮に徐々に引っ張られていくように、先進諸国はどんどん混じり合い、相対的にビンボーになっていく。構造的に落ち目の斜陽貴族は、安目を引いたときの共通パターンとして、何をどうやっても安目になりがち。
景気回復のために公共投資という景気刺激策を打っても、その場限りの効果しかなく、結果して国家負債が累積するだけであり、ひいてはPIGSや今のアメリカのように国家破綻が新たな震源地になりうる。隣の韓国は97年にそれに近い状態に陥り、IMF管理になって凄まじいことになってます。わずか半年で失業率が4倍に跳ね上がるという。しかし、そこまでいったら、そのくらいの荒療治(すなわち弱者切り捨て)をしないと再生できなくなるのでしょう。
また財政赤字は年金その他の社会保障の低下になり、各企業は生き残りに必死だから盛んにリストラして下請破綻や失業を生む。これがまた景気悪化を生みだし、今のアメリカがそうであるように中間層が没落し始め、また若年者の失業率はどこもおしなべて高くなる。韓国でもニートは激増してるし、そもそもニート発祥の地はイギリスだし。80年代の英国病の時代に未来を失った若者がはじめたのがパンクロックであり、ひきこもるか路上で暴れるかの差はあっても大きな経済背景は同じ。
そして、この渦中のアメリカの大企業は空前の好決算を上げているわけです。日本だって格差社会といわれた頃に各企業は空前の利益を上げているし、オーストラリアの銀行などの大企業は大儲けしています。特に石油系。リストラして海外シフトして全ての重荷を切り離して「企業努力」しているからこその利益なのでしょうが、結局切り捨てられた中間層は没落し、重荷の世話をするのは政府であり、回り回って納税者である国民なのだよね。要は面倒なことは国と国民に押しつけて企業だけが儲かってるという図式に、釈然としない思いを抱くのは僕やあなただけではない。
→右はGoogleの画像検索ですが、”protest, finacial crisis, unemployment”で検索したら、世界でどれだけ怒ってるかがビジュアルに分ります。クリックするとその時々の検索画面になるので右と同じ画像にはならないと思いますが、これでもかというくらい続きますよ。
悲観的かもしれないけど、でもこの構造はキモに銘じておかないと、あとで「流れを逆手に取る」という戦略がカマせなくなります。
さて、今の日本を一隻の船だとしたら、他の先進国と並行して航海していたところ、他の船と一緒に徐々に大渦に引っ張られつつある状況にあるということでょう。
これに加えて国内事情があります。各船の中ではそれなりにユニークな事情やトラブルがある。人種や階級差別やら宗教上の問題やらどこも大変。日本の場合は、1000兆円という世界最大級の累積負債がある。国民貯蓄もそれ以上に巨額なのですが、貯蓄は増えないけど借金は増えているから近い将来借金が追い抜いたときにどうなるか?という薄気味悪い時限爆弾みたいなものを抱えています。第二に政治や官僚さらに国民個々人の「腰の重さ」というか、サクサクと事態が進展しない膠原病みたいな体質があります。今「復興政局」とか言ってるわけですが、現政府を擁護する気はないけど、あんなレイムダック政権一つ奪えないで、「辞任すべき」と口先で言ってる人々の「政治力」「実行力」への疑問はあります。第三に今回の地震と原発問題があります。
これらを船の比喩でいえば、自船の何倍もあるような重い貨物船(負債)を引っ張っているところに、船長から乗客まで皆でワイワイ言うけど中々話が進まない。そこへ持って来て、流氷だか暗礁だかの事故で船倉に大きな穴がボコッと空くわ、エンジンの一部が壊れて出力が下がるわ、有毒ガスが発生するわという感じでしょう。で、応急処置や復旧を巡ってあれこれやっている間にも、船はジリジリと渦に引っ張られているという。
船内も船外も難問山積み状態ですが、しかし、まあ、他の国に比べてみてそれほど突出して不幸なわけでもないです。動きが遅いのは自業自得というか、好きでそうしている部分もあるし。でも、当然ながらほっておけば良くなるというものではない。何かしなきゃね。Something has to be done.
斜陽貴族の戦略(1) ローカリゼーション
このように渦に巻き込まれて世界が一つ溶け合うような状況は、見る人によって180度違って見えるでしょう。大雑把にいって、「何もしようとしない人達」にとってみればハードなことなんだろうけど、「何かをしようとする人達」にとってみたらチャンスとも言える。黒と白が大きく溶け合っていってる部分では激しく物事が動き、激しく物事が動くプロセスでは激しくお金も動く。これまでには存在しなかったビジネスチャンスになる。
1970年代の論評とか読んでいると、「日本がいくら良い製品を作っても、周辺諸国がそれを買えなかったら結局売れない。だからまず周辺諸国には豊かになって貰わねば」という話がありました。そんなこと言ってたんだよね。でも、ほんとそうで、誰もお金を持ってないところに売りにいっても徒労なのだ。しかし、ほっといてもどんどん客の数が増えているところで売れば、そしてそこで地歩を築いてしまえば、あとは自動的に売れるようになる。これはかなり美味しい。新興国がどんどん経済的に離陸するにしても、パワープラントを作らなきゃいけないし、道路やインフラ整備も要るようになる。他にもいい服や家電も車も欲しくなるし、エンタメも欲しくなる。需要は山ほどある。今日は無くても明日には出てくる。三菱重工と日立製作所が経営統合という話もあるけど、インフラのワンストップ・ショッピングのようなオールJAPAN態勢にして切り込んでいくという話でしょう。もう遠洋漁業のようなもので、ガンガン攻めて、しっかり稼いで、日本に富を持ち帰ってきて欲しいです。
「流れを逆手に取る」というのはそういうことで、客が増えつつあるところで売っていくことが望ましい。これ、言うのは簡単だけど、やるのは難しいですよね。早すぎたら売れないし、遅すぎたら他の国や企業にシェアを取られてしまってるから手遅れになるし。また、売り方というものもあるでしょう。日本で売ってるモノを右から左に売っていって売れるのか?という。
最近日本のビジネス誌にも「ローカリゼーション」という言葉が出てきました。国際マーケティングによく出てくる言葉らしいのですが、「グローバリゼーションとローカリゼーションを上手にミックスさせろ」という。グローバル・マーケティング・ミックスとか呼ばれるらしいです。マクドナルドの“think global, act local” (世界規模で考え、地域規模で行動せよ)なんかが有名(検索すると山ほど出てくる)。
分りやすい日本語の記事を発見したので紹介しておきます。別の箇所でも紹介したのですが、重複を恐れず書きます。
海外でヒットする日本製品の条件とは?〜
『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?』 (
2011年08月04日新刊JP
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自動車、電化製品、食料品……。世界で売れている日本製品とはどういうものなのだろうか? 異文化の人たちに受け容れてもらえる製品やサービスになるには何が必要なのか?
『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?』(安西洋之、中林鉄太郎/著、日経BP社/刊)では、海外展開している製品を例にしながら、海外市場を開拓する上で必要なものとは何かを提示する。
海外で製品を売るには、ローカリゼーション(現地化)が必要だ。現地に合わせて、言語の変更や法規制に合わせた変更、場合によっては機能やデザインの変更も必要になってくる。
そして、日本の特色を製品に出すか出さないかもポイントとなる。「高品質」「安全」「経済的」など日本企業の特色を出してプラスになることもあれば、そうではないこともある。例えば、「日本」のイメージをあえて出さないで海外展開を成功させているのが、キッコーマンだ。
「日本食」の代表的な調味料の一つである「醤油」。
しかし、醤油メーカーとして有名なキッコーマンは、海外では醤油と日本食をセットでビジネスをしていないという。日本と醤油をセットで売り込んだ方が簡単でいいやり方なのではと安易に思ってしまうが、そうではない。
海外戦略においては何より「肉に合う」ことがポイントなのだ。
アメリカやオーストラリアなどでは、バーベキューをする回数が多い。すると、必然的に肉を食べる機会が多いことになる。醤油は肉の照り焼きに合うようローカライズされ、アメリカで生まれたヒット商品が「TERIYAKI(テリヤキ)」だ。「TERIYAKI」のヒットでアメリカでは、醤油が調味料として半数の家庭に常備されているそうだ。
日本食の「醤油」ではなく、ベースは醤油でありながら、アメリカ人の食生活や舌に合わせて作られた「TERIYAKI」は、バーベキュー用のタレとしてアメリカ市場向けのローカリゼーションされているのだ。
本書では、キッコーマンの醤油の他にも、カップ麺のマルちゃんやトイレでおなじみのTOTO、現代美術家の村上隆氏など「メイド・イン・ジャパン」が世界で成功している例を紹介する。
日本の企業の製品は世界に誇れる品質・デザインのものは多いだろう。だからといって、そのまま売れば世界で売れるとは限らない。その裏には製品をローカリゼーションし、考え抜かれた販売戦略などの企業努力がうかがえる。
海外に行った際には、ローカリゼーションした日本製品を楽しんでみるのも良いのかも知れない。
(新刊JP編集部/田中規裕)
これじゃあ、日本のモノが売れないはずだ!『イシューからはじめよ』著者と出版記念の大放談(
2011年7月29日 日経ビジネスONLINE
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昨日28日から『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?』が書店に並んだ。本サイトでの「ローカリゼーションマップ」連載をまとめて、さらに書き下ろしの文章を加えている。最後のチャプターでは、ローカリゼーションマップの考え方を解説した。異文化市場向けに商品を作る際のヒントを提供できればと願っている。
今回より3回、連載書籍化にちなみ、通常の隔週のコラム掲載の谷間となる週に、新刊本のテーマをめぐるインタビューを紹介していく。ローカリゼーションに詳しい3人の方に原稿を読んで頂いた上で、インタビューしたものだ。直接、書籍について語ってもらうというよりも、本をネタに雑感を語りあうカジュアルなスタイルをとった。
トップバッターは、昨年末から著書『イシューからはじめよ』がベストセラーとなっている安宅和人さん。東京大学で修士号を取得した後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに勤めたが、一転してイェール大学で脳科学の博士号をとる。ニューヨークで9・11を経験してから前職に戻り、現在はヤフージャパンのCOO室長だ。「なかなか味のある本を書かれましたね」と笑いながら会議室に迎え入れてくれた。
富山市の外れにある小さな漁村で生まれ育った安宅さんは、高校卒業後、東京に出て来た。異文化との衝撃的な出会いが、そこにはあった。2時間に1本しか電車が走っていない町から、2分ごとに電車が来る街へ。当然、あらゆることにおいて感覚や価値基準が違う。
東京とは、5年前から同じ所に住んでいる人を見つけるのも難しい「微分の街」だと安宅さんは表現する。いつも変わらぬ故郷はホッとするが、自分が長く住むところではないとも思う。それは、「常に新しいことにチャレンジすることで生きてきた。変わらないのが怖い」からだという。
20代半ばで「呼吸するように」家を買い、30歳になれば墓を買う。そういう故郷の安定した生活で得る「幸せ」が、安宅さんにとっては逆に怖いのだ。
日本にマーケットがなかった!
安宅さんがローカリゼーションと出会ったのは、最初にマッキンゼーに入社した時代のことだった。グローバル企業が扱っている消費財のあるカテゴリーで、特定の商品だけが日本で販売が振るわなかった。クライアントは「なぜ日本だけ売れないのか」と、理由が分からずに悩んでいた。そこで、不振の原因を突き止め、問題を解消するためにマッキンゼーに依頼してきた。
担当となった安宅さんは、世界中から当該カテゴリーの様々なブランドの商品を買い集め、価格やスペックを軸にマッピングしていった。結果、分かったことは、欧州や米国の市場にはこのカテゴリーにクライアントの対抗商品が出回っているのに、問題の商品は、日本にこのカテゴリーの対抗商品がない「真空ゾーン」だったのだ。
「これで分かりました。世界のどこでも市場があるのに、日本だけにはない領域だったのだ、と。その事実を知ったクライアントは最初、『そんなはずはない!何十年も、これでビジネスをしてきたのだ』と驚きましたが、商品のスペック、あるいはポジショニングを変えないといけないという結論が出るのはあっという間でした。この時からですね、ローカリゼーションを意識したのは」(安宅さん)
→ここから先は会員登録しないと読めないのだが、海外からは登録できないという(海外の住所欄がない)、国際化を促す記事を載せながらそれは無いだろうと思うのだが、、、。ご興味のある人は各自続きを。
要するに「逆ガラパゴス」「別ガラパゴス」です。ガラパゴスというのは、日本市場という特定地域に徹底的に対応したローカリゼーションの典型なのだとも言えます。これを世界レベルで売ろうと思ったら、日本独自のローカライズを消さないとならない。日本人にとっては大事な機能でも、世界の皆が「そんなの要らん」というものはどんどん切っていく。「逆ガラ」です。しかし「世界」という名の地域はないから、必ずどこか特定の地域で売ることになり、そのローカル性を突き詰めるという「別ガラ」もまた必要になる。
このあたりはまだまだ日本では未開拓の分野ですし、幾らでも発掘する可能性はあります。「ケニアでは売れても、象牙海岸では売れない」とか、世界レベルの情報が蓄積しているかと言えば全然でしょう。てか、毎週のように進展していっているのですからフロンティアは山ほどある。
付記しておくと、日本独自のローカリゼーションが逆にバリアになって海外企業の侵攻を防いできたという側面もあります。日本語という言語バリアもそうだし、お財布携帯のようなガラパゴス機能もそうです。それがあって海外企業は日本で携帯を売りにくかった。しかし、iPhoneをはじめとするアンドロイドなどのスマートフォン世代になったら、こういったローカリゼーションの防御壁が突き崩されてしまい、日本のメーカーは国内市場でも苦戦するようになる。
斜陽貴族の戦略(2) 貴族性の強調〜日本ブランドの本当の意味
ローカリゼーションの逆ですが、Made in Japanという「日本」をブランドして強く訴求する方法です。ここまでは普通なんですけど、その先があります。海外に長いこといて段々分ってきたのですが、日本製の「製」というところに意味があるのではなく、「日本」というところに意味があるのだと。つまり「優秀な技術と工業製品」に限らないということです。
何度も書いてますが、シェア探しでも本当に日本人は好まれます。シェア先のオージーと会って話をしたり、自分なりに考えていくと、結局「ちゃんとしてるから」なのだと思います。英語で言えば、"decent"なのでしょう。きちんとしている、礼儀正しい、上品な、たしなみの良いなどの訳語がありますが、要するに「ちゃんとしている」。家賃はちゃんと約束通り払うし、キッチンを使いっぱなしの汚いまま放置しないとか、そういうことです。僕ら日本人にとっては当たり前のことでも、世界的には結構レアなことで、かなり価値がある。
そして、それが工業製品にもつながるのでしょう。日本市場は、ある意味では世界で一番売りにくい市場と言えます。なんせ消費者の要求水準が飛び抜けて高い。ちょっとやそっとの品質やサービスでは納得しない。どーでも良いところまでマニアックにこだわるからそれがガラパゴス化を招くのだけど、そこまでマニアックにならずに「常識的なレべル」に留めておくだけでもかなりの世界競争力を持つ。
結局は僕ら日本人のセンスなのだと。日本製が良いのは、まずやたら厳しい日本市場で勝ち抜いてきたからであり、日本人の感性で「こうなると便利」「もっとこうなって欲しい」という発想があるからだと。これはもう「思いつくかどうか」という「天賦の才能」にも近い部分であり、そこにメチャクチャ強力なアドバンテージがあります。これって日本人同士だと当たり前すぎて大した役にも立たないし、自分らの長所にも気づかないけど、でも、凄いことです。世界に持って行ったら天才扱いとまでは言わないけど、かなり有利です。これは重々キモに銘じておいた方がいいです。
ユニクロが中国でも売れてますけど、あれって中国人が中国の工場で作った製品なんだから、まんま中国製なんだけど、でも売れてる。なんでかというと、日本人のセンスを一回通しているからでしょう。日本人が「いい」と言ったものに価値があるという。要するに知的所有権みたいなものなんだと思います。製品ではなくセンスというソフトウェアを売っている。ブランドって本来そういうものでしょう。
だから「日本で売れている」というもの、あるいはヒットしてなくても日本の店の陳列棚に並んでいるというだけで、もう世界的には価値があるのだと思うべきだと。勿論モノにもよるでしょうけどね。そして周辺の国々が経済的に豊かになればなるほど、人と違ったモノ、差別化できるもの、本当に良いモノが欲しくなるでしょう。日本人がヴィトンのバッグを何故か宗教的にありがたがるように。そうなってしまえば美味しい。十数年前に語学学校のクラスメートだったら香港だったか台湾だったかの女の子が、子供の頃から文房具はサンリオ一筋で、値段は3倍するけど、それだけの価値があると熱く語ってました。
今は、そこまで積極的に世界に向けて情報発信してないけど、これからは徐々にそうなっていくし、既にやっている人達も沢山います。極端な話、そのへんの百均で売ってるモノを買ってきて、右から左に通販すればそれだけでも売れるのではないか?と。ここはグローバリゼーションの果実を存分に貰って、ネットで売り、Paypalで決済。昔の貿易業は、やれ信用状だの、通関だの、最低ロットがどうというプロフェッショナルな世界でしたが、今では銀行と郵便局だけで起業できるのだから楽になったものです。ただし、ここで売り方にローカリゼーションがかかりますよ。タイで売ろうと思ったら中間層のニューブルジョワのタイ人に訴求するデザインと文句(もちろんタイ語)でサイトを作らないとならないし、タイの検索システムで上位に上がってくるようなSEOもやらないとならないでしょうが、協力してくれるタイ人などがいたらやれば出来るんじゃないかしらん。でも取りあえず英語で作ってみたらどうでっしゃろ?新興国の富裕層は英語くらい出来ますから。
ということで、僕らはその貴族性を十分に意識して、維持する必要があると思います。
僕が海外に出てきてすぐに思ったのは、日本人って頭(センス)が良いか性格が良いかでないと存在価値がないわ、と。乱暴な物言いであることは承知してますが、しかしね、僕らアジア系以外の大多数の地球人というのは、存在自体が動物的というか、ゴリラみたいなものというのが現場の実感です。ヨーロピアンだけではなく、アフリカ系も、中東系も息苦しくなるくらい良いガタイしているのですね。真剣に喧嘩したら3秒で殺されそうな奴がゴロゴロしている。だもんで、フィジカルな面でいってもダメだなと。知性派か肉体派かでいえば断然知性派でいくっきゃないなと。もちろん日本人でも優秀なアスリートは沢山いるけど、平均値を取ってみたらそうだということです。
だもんで、グローバリゼーションの大渦を乗りきろうと思ったら、大海を緻密に知るということと同等に、「ちゃんと日本人である」ことが武器になるのだと思います。日本人の礼節観念、気ばたらき、勤勉さ。そして美的センスや味覚センスです。すごい逆説に聞こえるかもしれないけど、グルーバル化を意識すれば意識するほど、ちゃんとした日本人であることが大事なのだし、ほとんどイコールであるということです。
でも、この「ちゃんとした」というのがミソです。「そのまんまの日本人」じゃダメ。日本の良いところを見極め、良くないところを落としていくという「濾過作業」が必要です。しかし、そうやって濾過した「ちゃんとした日本人」は、日本社会においてもきちんと受け入れられるのですから、これも究極的には同じことなのでしょう。ちゃんとしてない日本人は、日本社会においてこそ最も激しく嫌われますから。
ああ、ここのところ淡泊に短くまとめていたのに、長くなってしまった。まだまだ書きたいのですが、もうこれくらいにします。
文責:田村