柴田和則さん 格闘技&バンドLOVEの柴田青年のわらしべ長者物語 PART 01
撮影日:2010年09月30日
秋田県出身の柴田さんは、シドニー滞在5年を経て、今は格闘技団体K-1のオフィシャルライターとして活躍中です。
県下の進学校に行ったものの全然勉強せず、大学にも行かず、転々とフリーター生活をしていた26歳の柴田青年は、故郷ではダメ人間呼ばわりされ(^_^)、燃えていたバンド活動にも壁を感じ、本人も危機感を募らせておりました。コツコツと週末にNOVAに行き始め、28歳で語学留学。半年でレベル6までいくものの達成感ナシで、延長してケンブリッジFCEまで行きます。ここで自信を得た彼は、ビザ取り学校に通いつつ、100%ローカル環境の仕事&住まいで学校英語を実戦英語にまで高めます。
一旦帰国した柴田青年は、故郷では手の平を返したように凱旋将軍のようになるのですが、やはり物足りなく、シドニーのフリーペーパーの仕事を得ます。最初はワーホリで、次にビジネスビザに切り替え3年編集者として活躍します。専任編集者が彼一人という環境が逆に幸いし、日本ではありえないような取材経験と編集スキルを積む機会に恵まれます。
そして、この数年間の集大成のような「編集+海外・英語&格闘技」というK-1ライターの募集に応募、採用されるに至ります。
これは留学とかワーホリ体験談という小さな枠に収まるようなものではないです。「コツコツやる行き当たりばったり」という人生方法論の話でもあり、「結局好きなことしかやってない」「高校生の頃からなんのブレもない」という話でもあります。そして、誰にでも夢と希望を与える話です。
長いのでゆっくり小出しにしていきます。
Part 01は、日本を離れて留学するまで、9か月の留学、そして1年間のローカルジョブ時代です。
留学するまでの日本での状態
NOVAに通っていたフリーター時代
高校出てから転々とフリーター生活をしていて、さすがに30歳が見えてくるとヤバいなという意識になる。今更親に頼って大学にも行けないし、とりあえずNOVAで週末フタコマ程度&独学で英語をやり始める。これが意外と楽しく、英検準一級も3回落ちつつもあと2点というところまでいけた。
「世間の目」と外人へのビビリ
なまじ進学校を出たので、高卒でフリーター生活をしている柴田青年に世間の目は冷たいです。しかし、海外から帰ってきたらいきなり評価が大逆転していて、戸惑ってしまう。しかし、海外なんか「宇宙」みたいなもので、自分も行く前は(来た直後も)めちゃくちゃビビっていたのでそう思うのも分かる。NOVA時代も外人の先生と道で合っても気恥ずかしくて無視してたくらい。このクリップは爆笑ものです。
1年目〜語学学校時代
楽しかったケンブリッジFCE時代
6か月の留学でついに最上級のレベル6にまで到達したけど、アジア系は自分一人、あとは全員ヨーロピアン環境でまったくスピーキングの速さについていけず、「しょっぱい最上級」体験をします。
「こんなもんか」という達成感の乏しさから、3か月延長してケンブリッジのFCEコースを受講。これが非常に良くて、柴田さんの英語力はワンランクUPします。今でも日常使う英語表現はケンブリッジコースで叩き込まれたものが多いという。
2年目〜100%英語環境での一年間
ローカルの清掃会社、ユダヤ系の小学校の清掃
学校を卒業した柴田さんは、さらにビザ取り学校で滞在を延長しつつ、日本語ゼロのローカル環境で1年間働きます。職場も移民系のロシア人、セルビア人、ネパール人、インドネシア人達に囲まれ、スペイン系のオーナーでシュアをし、英語でTVを見て、英語で本を読んで過します。
語学留学に来てここまでやる人は少ないのですが、しかし、これが大きな意味を持ちます。英語力が中途半端のまま現場に出ちゃうとハンパなまま固まってしまうし、最上級まで行く人は逆に現場を軽視するから教室英語の残滓をまとう。最上級まで極めつつ、さらに実戦重視で1年を費やすところに柴田さんが非凡さが窺われます。
動画では、余り知られていないこちらの小学校の掃除のバイトの様子を語ってもらいました。色々なカルチャーギャップが面白いです。日本人からしたら大した労働でもないのに、他国の連中がブーブー文句ばっかり言ってて、「おまえら、こんなんで文句言うのか?」とびっくりさせられたり。日本にいたらむしろ怠け者と言われていたのに、こちらでは「よく働く」「グッドボーイだ」と激賞されて、日本人がよく働くというのは単なるステレオタイプではなく本当なんだなと思ったりとか。また、子供に掃除させないこちらの学校システムのダメさや、悪童のワンパク度の凄さとか(^_^)。
→Part2に続く
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