Bじゃあ、4週間を17週間にしたくらいで差が出るの?
OK、英語が必要なのもわかった、英語習得がそれなりに大変なのもわかった、でもだったら4週間を12週(3か月)ないし17週間(4か月)に伸ばしたところで大差ないんじゃないのか?同じように出来ないままだったら、取りあえず日本人の友達を作るための4週間で十分じゃないのか?という疑問を持たれる人もいるでしょう。それはそれでスルドイです。
確かに12〜17週間程度の英語力が素晴らしいかと言われたら、それほど大したことはないです。20週を越えてくると、そこそこカタチになってくるとは思いますが。だから本気で英語やりたかったら、学生ビザでミッチリやったらいいと思います。しかし、そうはいっても17週もやれば、最初の4週程度から比べれば飛躍的に伸びます。4歳児と10歳児くらいは違う。完璧にはほど遠いのだけど、初動に比べれば格段に楽になってる筈です。
またワーホリだったら最初から17週間という制約があるわけで、その制約のなかで考えた場合、現実的なターゲットは
「乏しい英語力ながらも、少しでも世界を広げて楽しめるようになるにはどうしたらいいか?」です。
こちらで暮す生活パターンを考えてみると、
全てが悪循環になっていくライフサイクルと、全てが好循環になっていくサイクルがあります。とある分かれ道ポイント=分水嶺(英語力+経験値)を境にして、それを越えると物事が良い方向に転がって世界がどんどん広がっていくけど、その分水嶺まで達しなかったら、生活は閉鎖的なサイクルにはいってしまうという。ほんとにパラレルワールドの世界です。このあたりについては、
ワーホリ実戦講座(2)で述べてますが、重複を恐れずここでも書きます。
具体的に言います。その「分水嶺」とは何かというと、例えば
「英語で電話して、(じっくり十数件以上見学して)日本人以外とのシェアを決められるくらいの能力」だと思います。この分水嶺は結構高いです。電話英語は対面英語の倍以上難しいですから。その必要性が嵩じて、今ではシェア探し特訓が一括パックサポートの中核的位置すら占めています。
パラレルワールドの分水嶺〜運命の分かれ道
このボーダーを越えることが出来ると、日本人以外と暮すことになります。それも選び抜かれた好環境のシェア先になります。日常嫌でも英語を使うようになるし、また英語を喋りやすい環境(人)になってるはずです。一方、学校を除いて、普通に暮してたら意外なくらい英語を喋る機会なんかないです。英語なんて「体術」「体育」ですから数をこなさないと駄目だし、1日でも休めばキッチリ落ちる。だから、自分である程度英語が日常に接せられる環境を構築しておいてやる必要があります。日常的な英語環境を構築してしまえば、普通に暮していくだけで徐々に慣れていきますし、また次のステップも見えてくるでしょう。
「英語で電話してシェアを決める」ということが、ある程度気楽
(っていっても気楽にはならんでしょうから、最初の頃ほど「悲壮な決意をしなくても」という程度)にできるようになってきますと、
何にでも応用がきくようになってきます。例えばシェア先のオージーなり留学生に誘われてパーティーにいってみるとか、バイトを紹介してもらうとか、色んな生活のノウハウを教えて貰うとか。出会ったオージーがたまたまボランティアをやっていて、その人から活動内容を聞いたり、参加の仕方や窓口を聴いたり。APLaCのホームページで初期の頃集めたレストラン情報その他も、オージーや他国の留学生から教えてもらったのが殆どです。一回教えて貰えば、二度目は自分で出来る、三度目は応用が利くということで、どんどん広がっていきます。
こちらの社会は、キチンとしたパンフや情報が整理されているのではなく、通常電話番号がポンと書いてあるだけで、「詳細は電話して聴け」というのが殆どです。WEBサイトがあっても更新してなかったり、結局は個別に問い合わせるしかない場合も多い。逆に出来るようになってくると、どんどん情報も集まるし、道も出来てきます。ラウンドや旅行先でも次の宿の予約はもとより、インフォメーションセンターで色々な情報を引出すこともできるし、バックパッカーの宿で他の連中から話を聞いたりすることも出来ます。こちらの人は気軽に何でも教えてくれます。店にいって目当の物が無かったら、「どこにいったら入手できますか」と聞いたらいいです。気軽にサラサラと住所書いて渡してくれたりしますよ。
それに、こちらは日本ほど堅苦しくないので、例えばチャイルドケアに興味があったら、トコトコとそこらへんの幼稚園に入っていって聴けばいいです。「見学してもいいですか」「ボランティアで手伝えることはありませんか」「やらせて貰えそうな所はありませんか」などなど。そうやって自分のテリトリーを広げていくうちに、いろんな関係がマトリクスのように絡み合って豊かになっていきます。
仕事にしたって、日系バイトと現地(英語)バイトとでは、一時期ほどの格差はなくなりましたが、それでもかなり時給が違います。しかも労働法が貫徹されているから、土日の割り増し賃金、公休日ともなると倍くらい出ます(時給50ドルのダブルペイもある〜奪い合いになるが(笑))。シェアにしても、人口比率数百分の1の極小マイノリティ日本人社会で探してるよりも、数百倍広い市場で探した方が有利なのは言うまでもない。
そうやって社会との接点を設けていけば、そこからまた友達の紹介やら何やら別の接点が出てくるわけで、どんどん世界が広がっていくという。要するに好循環になっていくわけですね。
一方、この分水嶺を越えられないと、前に述べたように、日本人環境どっぷりになってしまいます。
それはそれで気楽でいいのですが、そのままいってたら本当に英語に接する機会がなくなってしまいます。また、友人も日本人、それも類友でその種類の日本人が殆どになってしまい、
それが当たり前になっていく。日本人同士で行動すると、そこで対外的に英語を喋る役目を果すのは、どうしたってグループ内で一番英語が巧い人になりがちでしょう?だから、出来ない人はいつまでたっても喋る機会がないから、益々出来なくなる、そのうち喋ろうという気も起きなくなってくる。そんなこんなで
「とりあえずこれで毎日楽しいんだから、それでいいじゃん」みたいになっちゃう。この時点で初志貫徹どころか、初志自体がどっかに消えて、「何しに来たの?」状態になる。
ワーホリのモチベーションというのは、一番最初に空港に降り立ったときが一番高く、あとは時間がたつにしたがって下降線をたどります。人間てのは弱いもので、誰だってしんどいことはやりたくない。だから、最初の燃えてる時期、アドレナリンが出まくってる時期に、集中してスキルを磨き、ハードな環境も構築して慣らしていかないと、興奮が冷めるにつれどんどん意欲は低下していきます。鉄は熱いうちに打てです。後になればなるほど出来なくなってくる。崖から飛び降りるのはイキオイが必要ですが、ふと考え込んでしまうと、もう恐くなって出来なくなってしまう。足がすくむ。今日やらないことは明日にはもっとやらない。
これは、ある意味では「時間のとの戦い」で、モチベーション(「覚悟」と言い換えてもいい)が下降しきる前に、人工衛星を打ち上げて衛星軌道に乗せてやらないとならない。ある程度の高さまでいってしまえば、落ちてこなくなる。これは技術習得、あるいは人生そのものの「損益分岐点」みたいなもので、分岐点を超えられるかどうかが決定的に重要です。例えば「自転車に乗れる」のも同じで、一回マスターしてしまえば、あとはほっておいても一生乗れます。20年ぶりに乗ってもすぐにカンが戻る。しかし、マスターする前に止めてしまったら、結局ゼロに戻ってしまう。しんどい分だけ丸損で、投下資本の回収率はゼロです。
4週、12週と17週で違うか?
さて、ここまでの話は、英語が出来る/出来ないの生活の落差一般論であり、4週 or 17週論ではありません。したがって
問題は、その「分水嶺」まで4週間だったら厳しくて、17週だったら出来るのか?ということになります。これに対する僕の答えは、
「おおむね(頑張れば)YES」です。
人によって個人差はあるでしょうが、まず従来の17週を例にとって考えてみます。17週を3つに分けてみると、最初の4週間(一ケ月目)は、前述のように英語(生活)環境に突入して揉まれる「ボコボコ期」。このあとの2か月目は現地の生活にも慣れ、クラスの英語環境にも慣れ、一ヶ月目ほどドギマギしなくなります。かといって英語が出来るというのは程遠い感じで、とりあえずは最初の環境激変が鎮静し、淡々と学校に通うという「淡々期」。そして、10週目以降になってくると、多少は積極的に英語を使うようになり、クラスの中では、取りあえずは言いたいことが言えるかな?くらいになると思います。初動の英語レベルにもよりますが、12週は微妙に厳しいけど、プラス5週で17週にしていくと収穫率はかなり上がると思います。
英語学校というのは(なんでもそうだけど)、後になればなるほど日本人以外の友達も増え、交流も深まり、徐々にモトが取れるようになってますから。
僕としては、この3〜4ヶ月目が結構大事だと思います。ここで一気にある程度のレベルまで持っていってカタチにしておくこと。習い事というのは、ある一定のレベルまで乗ってしまえば、そうそう実力は下がらないけど、そこまでいかないと元のモクアミになってしまう。
英語でいえば、英語で聞いて、英語で考えて、英語で答えるという。知覚→思考→表現の一連の過程で、日本語をカマさないで全部英語だけでやってしまうこと。一ヵ月目はこれが壊滅的に出来ないから、なかなか苦しい。それが2ヵ月目くらいになると、徐々にそういった回路が頭に「発芽」してきます。でも、まだ「時には作動することもある」という貧弱な回路にすぎない。これを3ヵ月目に自覚的に「使えるレベル」までもっていってやらないとならない。それは日常的にガンガン使うことによって養われますから、ここを先途と、昨日覚えたばかりの単語でも言い回しでも積極的に使ってみて、自分の血肉にしていってください。
17週間やれば誰でも分水嶺を越えられるか?と言われたら保証はできません。
しかし、学校以外での自習( それは外国人の友達とお喋りなどが効果的)をしっかりやることを条件にすれば、平均的な人類の適応能力があれば、そこまでいける程度の時間的ボリュームはあると思います。少なくとも「とっかかり」くらいは掴めるようになると思います。あとは、掴んだとっかかりを放さないようにしてどんどん進んでいくことでしょう。「おっかなびっくり自分から話し掛けられる」というレベルから、さらに多少ゆとりを持ちつつ話し掛けていけるところまでは行くこと。卒業後は実社会ですから、ラウンドにせよローカルのバイト探しにせよ、自分から動いていかないと何も始まりません。
12週と17週の違いは成功率の上昇の差だと思います。とりあえず12週でカタチにはなるけど、まだ半熟卵状態なので、あと数週でも固めておくと成功率はどんどん上がると思います。ほんとは24週ワンセット単位で語られる留学を、半分(12週)でいいかみたいな「未熟児」「早産児」ですので、もともとが無理目の話です。可能ならば安全係数を高めたい。リアルに考えてみて、12週終わった時点でラウンド行くならとっとと行くべきです。ここでウダウダやってると機会を逸する(バイトとか辞められなくなるとか)。でも12週だと不安が強いから二の足踏んだりして、冒険にも出ない、かといって学校もないから日本人職場でバイトするだけになってしまって、この期間がマイナスに作用する場合もあります。
逆に4週間でここまでいけるか?というと、これはかなり苦しいと思います。多くの場合は元のモクアミで、結局、「安物買いの銭失い」になる可能性が高いと思います。もちろん4週間でも伸びるには伸びますが、畑耕して、タネを蒔いて双葉が出てきたくらいで終了って感じになりがちなので勿体ないです。
ついでに、僕がやっているサポート
(一括パック)との関係について書いておきます。
→MORE
ピュアに企業経営的にいえば、これはもう、とにかく学校紹介に専念すべきです。だって収入は学校紹介料(コミッション)しかないんですから。シェア探しサポートなど一銭にもならないことは、適当にJAMSなどの日本語掲示板を教えておけば良いのです。しかし、全くの不採算部門、最大のリストラ対象部門である「シェア探し特訓」が、逆に年をおうごとに、まるで意地になっているかのように充実しまくっています。何故か?採算度外視にすべきなくらい、その必要があるからです。
第一に、24週単位で考えるべき学校に17週とか12週しか通えない致命的ハンデを取り戻すためです。多くの日本人の英語は、英語基礎知識や技術以前に、「外人と接する絶対経験量の不足」という大きな問題があります。英語がかなり出来る人でもペーパードライバー状態が多い。だから、学校に通っても、最初の1−2ヶ月は英語&外人環境に慣れるための「捨て玉」みたいなものだというのは上述しました。
ところがシェア探しで数日間に集中して50本なり100本電話をこなし、十数件見学に廻り、そこらへんの人に道を聞き、また聞き、さらに聞きとやっていって、のべ30人、50人と外人に接していけば、この1〜2か月分の効果があり、この初動の「慣れ期間」を一気に短縮できます。正統な英語知識は増えないんだけど、「英語の使い方」やコミュニケーションのカンはものケタ違いに良くなります。それに、英語が出来る/出来ないでこんなにも違うかということをイヤというほどストリートで実感するから、モチベーションや真剣度が全然違う。学校に入った後もかなり頑張って勉強するようになります。これで17週でも実質24週分以上の効果を得るということです。なんとなく「最初は学校から」で通った場合と比較すれば雲泥の差といってもいい。
第二に、年々日本人ワーホリにとって環境が厳しくなってること。これも幾つかの要素がありますが、まず日本の社会環境が年々よそよそしくなって、「知らない人に話しかけるのは犯罪です」みたいな感じになってること。コミュニケーション能力というのは知らない人に話しかけてナンボですから、錬成機会がどんどん減ってる。同じく「人を見る目」を養う能力、ダイナミックな人間関係構築能力も乏しい。こちらでは言葉も文化も違う連中ばかりだから、ほんとに「魂の激突」みたいな付き合いをしないと前に進めない場合が多いです。皆の体験談でも、ラウンドして、砂漠のど真ん中でクルマを停めて、同行のドイツ人と炎天下の下で何時間も罵り合いをした経験が書かれてますが、そういう経験や強さです。ここが練習不足なら最初にドカンと集中して人間にふれあう機会を設けた方が良い。
第三に、独仏をはじめとするワーホリ全体数の激増と、彼らが二回目ワーホリを取るためにファームに進出していることです。彼らはガタイがいいだけではなく、押しが強いですし、平均的な英語力はかなりあります。つまり強敵が増えているので、ラウンド先のファーム仕事の競争率が高まっています。かといって都会のローカルジョブはさらに厳しい。ネィティブの若いオージーをはじめ、ケタ違いの英語力を有する大学・院やビジネス学校への留学生がいます(全学生ビザ滞在者中の日本人比率はわずか2%以下)。都会のローカルジョブをゲットするには、彼らと戦わねばならず、それだけの基礎力を語学学校時代に培わねばならない。
四つ目は、日本の雇用(所得)環境の劣化によって、こちらで稼ぐ必要性が以前より増して高まってること。オーストラリア人の給与はここ十数年で倍近く伸びてますし、物価もそれに比例して上がってます。しかし日本人の相対所得は年々減っている。要するに経済的に苦しくなってるわけで、ジャパレスからはじめるにしても、何が何でも(と言ってもいいが)、ローカル仕事や、「良質な」ファームジョブをゲットしなければならない。しかし、上に述べたように世界の強豪が山盛りいる。ワールドカップみたいなものですね。だからこそ、初動の立ち上げ時期に鍛えておき、とにもかくにも分水嶺を乗り越え、好循環サイクルに持って行く必要がある。
まあ、明確にこうやって戦略にしてやってきたわけではないのですが、日々の感覚として必要性に応じつつ「もうちょっと」を続けているうちに、リストラに逆行して自然とそうなってしまったって感じです。
90年〜2000年代は、そんな問題意識もなく、のほほんと「最初はホームステイ」とかやってて良かったし、それでいて皆もラウンド先でマグロ漁船乗ったりして、結構イケていたんですよ。でも、今はそんな牧歌的な感じではなくなってきたから、やっているということです
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