海外旅行・生活における最大の障壁はおそらく言葉でしょう。
英語が堪能な方、身振り手振りですべて押し切ってしまえる度胸のある方はともかく、一般には「言葉の壁」に悩まされます。これをどうやって乗り切っていくか、これが一つのポイントになります。
一つの解決方法は『英語が出来るようになる』ということですが(当たり前ですが)、しかしこれが一朝一夕にはいかない。僕自身、それなりに覚悟していたつもりですが、やはり現実はキビシイ。それでも一歩でも二歩でも勉強しておけば現場でしっかり役に立ちますのでそれはそれで頑張って戴くとして、ここではそれ以外の方法、つまり『英語は自信がないけど、それでもやっていく方法』を併せて考えた方が合理的でしょう。
なぜなら英語が完璧になるまで待ってたら永遠に行けないかもしれませんし、逆に日本に来ている外国の人々は片言ながらも何とかやってます(かなり日本語が喋れる人でも漢字を読める人は珍しい。つまり新聞雑誌はおろか街の看板、標識すら意味不明のまま、ヒアリング一本に頼ってやってることになる→これはスゴいことではなかろうか)。
思うに、なまじとっつきやすい「英語」だから「ちゃんと出来るようになろう」という大それた野望を抱くのであって、これがスワヒリ語だったら最初からそんなことを考えないで、とにかく最低限生活に必要なこと、『全然ダメでも、とにかく暮らす』という方法を必死に考えようとする筈です。本書は英語教本ではありませんから、特に後者(ダメでも頑張る)の観点から記していくことにします。
英語圏出身の人のなかには、現地の人が全く理解してなくてもずっと英語で喋り続けている人がいますが、あの傲慢なまでの根性は見習っても良いかもしれません。外国語が出来なくても別に人道上の過ちを犯しているわけではないのですから、気はしっかり持ってください。無言でいるよりは、「あー」「どうも」でも何か反応を示した方がいい。とにかく一生懸命意思疎通をしようという態度は必要ですし、無言・無反応でいるのは非常にマズイです。見知らぬ人でも「ハーイ」と声を掛け合うこちらの感覚から類推するに、結果的にせよ「黙殺」というのは、僕らが思う以上に不愉快な衝撃を与えるのではないか(上司が話し掛けてるのを無視するくらいの「暴挙」か)。「オマエなんかと話したくないよ」という態度と受け取られても仕方がないかもしれない。これでは、行く先々でかなり損します。
ただそうは言っても、「全然わからないまま何か喋る」というのは、言われてすぐ出来るものではないでしょう。また「フレンドリーな笑顔」を表現しようとしても、「緊張しながらにこやかに笑う」のは至難のワザでもありますので、結果として「不気味なヘラヘラ笑い」になってしまいかねない。
これはもう「技術」の問題で、「言葉の通じない人とコミュニケーションする」という修練を今までどれだけしてきたかによるでしょう。他民族国家出身は子供の頃から慣れてるでしょうから、ここが強いのかもしれない。シドニー大学の英語の先生が言ってましたが、人間のコミュニケーションのうち言語の占める割合は10%以下らしいです(つまり表情や雰囲気などでほとんど通じる)。ところが、緊張しちゃうと顔も引きつって能面状態になるのでますます通じなくなる。挙句の果に、「気持ち悪いヤツ」と宇宙人でも見るような冷ややかな視線を浴びてミジメな気持になったりするわけです。その暗い記憶によって、次回ますます緊張するという悪循環。
これを習得するのは結局「場数」しかないのですが、手取り早く慣れるのは、こっちの英語学校に通うのも方法でしょう。僕が通っていた頃のシドニー大学では30か国から学生が来ていて、しかも全員英語が下手。お互い下手だからこっちも引け目を感じなくて済みますし、互いに何とかしようと頑張りますから、期せずして「通じなくてもメゲずに何とかする」訓練はできますし、クソ度胸も多少はつきます。つまり「英語を習う」というより「言語抜きでコミュニケーションする」訓練が出来るのがポイントでしょう。
もう一点、そこそこ喋っているのに通じない場合の原因を分析すると、「文法が間違ってるから」よりも圧倒的に「発音が悪いから」の場合が多いでしょう。比率で言えば1:99で発音の責任だと思われます。さらに発音の問題のうち、かなりの割合で「単に声が小さいから聞こえない」場合があると思います。英語の場合、基本的に腹式呼吸で喋りますから、「うるさいな」と思うくらい大声だし、また良く通る。普通の日本語の音量(正確には「音圧」だと思う)の感覚では、「怒鳴る」とまではいかなくても、「5メートル先の人に話す」「台所にむかって『お〜い、お茶』と言う程度の大声」を出す心構えでいるとよいと思います。しかし、悲しいかな、緊張してるし、自分の喋る英語に自信がないから、ますます声が小さくなり、さらに泥沼にはまるという、またしても悪循環。さらに悪いことには、英語にはある程度の声が大きくないとちゃんと発音できない音が多かったりします。こうして考えていくと、通じなくても何ら不思議ではないように思います。
というわけで、難しいながらも、根性ひとつ、心臓ひとつで、打率が30%ほどUPするように思います。この「気持の整理」「腹の括りかた」をかなり意識的に訓練しておくと、単語100個覚えるよりも、現場では効率的だと経験上考えます。そしてこれはセールストークのような「技術」です。イメージトレーニングでも上達します。真の敵は、間違った英語を喋って恥をかきたくないという「自分のスケベ根性」でしょう。こいつを徹底的に殺していくトレーニングとして、英語が出てこなくても、喋ることがなくなっても、無理矢理5分間一人で喋り続ける訓練なんかもやりました。体育会系のシゴキとして、「雑踏の中、一人で歌を歌わす」というのがありますが、あれに近いものもあります。
なお、移民国家の良さ(?)で、英語が下手な人がゴロゴロいますので、総じて皆さん下手な英語に対して辛抱強いし、「こんな英語でよく通じるな」と思うくらいカンが鋭いように思いますので、その意味からも最初から100点英語を喋ろうとするのは、実践的には無駄でもあります。
それはさておき、英語が苦手なままやっていく最大の方法は、『英語を喋らず用件を済ます』ということです。一般に言葉が分からないとき人間はどうするかというと、「推測」をします。周囲の状況に合わせて「この人はこうしろと言ってるんじゃないのか」と一生懸命推理します。逆に言えば、物事の仕組や段取を知り、全体の流れが理解できてさえいれば、推測の的中率はかなり上がります。また一言も喋らず用件を済ますことも出来ます。というよりも、日常のことは無言のまま大体用が済んでしまう場合の方が多い(日本でもそうでしょう?)。
システムが分からないからウロウロする、「君はどうしたいのか?」と尋ねられる、しかし言葉が分からないからさらに立往生するというパターンが大体で、最初から段取が分かっていたらかなり助かります。本書では、この視点から、それぞれのシステムをややくどいくらいに述べようと思っていますし、既成のガイドブックが本当の現場では不十分に思えたり、そしてこのノートを書こうと思い立ったのも、もともとはそこが原点です。知識は、確実に語学力の不足を救います。
次に、場面場面で「これ」というキーワードがあるようです。これは実は「文」ではなく、通常は「単語一語」(多くても三語程度)です。この一語さえタイミングよくちゃんと発音できたら、前後の文法が無茶苦茶であっても意味は通じますが、その一語を抜かしたり違う表現でいうと後は幾ら正確に喋っていても中々通じないということが往々にしてあります。
したがって「この場合は大体こう言う」という定型単語を予め知っておくとスムーズに物事が進みますし、相手の言ってることもかなり聞き取れるようになります。これはヒアリング能力以前の問題で、「知らない単語は聞き取れる筈がない」「予想外の単語は聞き取りにくい」ということです。
例えば、買物の場合、商品を指示して包んでもらってさあお金を払おうとする段になって店員さんからよく聞かれるのは、『えにシンえろ?』という言葉です(最初はそう聞こえる)。これは“Anything else?”『ほかに買うものはありませんか?』と聞いてるだけなのですが、僕もしばらくこの言葉を聞き取ることが出来ず『なんて言ってるんだろう?』と謎でした。お金を払って出て行くときには、今度は『さんくさろ』と言われます。“Thanks a lot”(どうもありがとう)と言ってるだけのことです。これらの言葉は殆ど無意識的に発せられる言葉ですので、丁寧に発音してくれるわけでもないわ、人によって言い方が違うわ、短いのであっという間に通り過ぎていくわで、知らないと何がなんだかさっぱり分からない「謎の呪文」になります。
「オーストラリア英語はなまってる」などと良く言う人がいますが(todayがto
dieになるなど)、実践的により気をつけるべきは日本の英語教材は何故か殆どがアメリカ英語であることです。オーストラリア英語は基本的にイギリス英語に近く、アメリカ英語で勉強してると戸惑う部分(単語やスペル、発音が違う)があるということです。例えば、センターのスペルがcenter(米)とcentre(英豪)や、エレベーター(elevator/米)とリフト(lift/英豪)などです。
オーストラリア英語の発音ですが、異論もありましょうが、英米豪のなかでは日本人にとって比較的聞き取りやすい方ではないかとも思われます。例えばアメリカ式のR音をきかせた発音では、waterが「ワラ」、twentyが「テニー」に聞こえたりしますが、英豪式ではちゃんと律義に「ウォーター」「トゥエンティ」と発音します。
なお、オーストラリア独特の癖として「エイ」が「アイ」になったりしますが、よく躓くのがエイティ(80)がアイティになるので90(ナインティ)と区別しにくい程度でしょうか(また90を“ノアィンティ”のように言うので尚更)。なおより正確な分析は森本勉編「オーストラリア英語辞典」P13〜大修館出版P13〜参照。
訛り云々を言うなら、まずこっちの日本語訛りの英語の方がはるかに深刻な問題で(なにしろ通じないのだから訛り以前の問題です)、頑張って数年、多くは一生直らないでしょうから、その矯正に精力を注がざるを得ないというのが実状でしょう。それにメディアの発達で、純然たる古典的なオーストラリア訛りしか話せないという人も少なくなっており、都市部ならば殆ど平均化しているのではないかとも思われます(日本の方言と事情は似たようなものでしょう)。