31th.Oct.96初出
2011年07月01日更新

第1章:概説



1.1. オーストラリアとシドニー



 オーストラリア全土を時計の文字盤にたとえれば、大体4時半の位置にシドニーはあります。

NSW(ニューサウスウェルス)州の州都で、太平洋を東に臨む海辺の都市です。人口は約400万人弱。

シドニーは世界三大美港の一つに数えられていますが、メインとなる港湾(シドニー湾)の風景が美しいこともさることながら、より特徴的なことは、その周囲にも複雑な海岸線と入江が広がっている点でしょう。一般に外洋と陸地の接点に「湾」があり、それが内陸に切れ込み「入江」となり、さらに細まって「川」となって続いていくのですが、シドニーの場合、その過程でさらに四方八方に入江が分岐し、その入江がまた細かく分岐し、、、、という具合になっており、最初に地図をみるとかなりゴチャゴチャした印象を受けます(地図が書きにくい都市です→詳しくは土地カンの章参照)。


 入江が多いということは、「水(海)がふんだんにある風景」に恵まれるということで、家の前がすぐに海といういわゆるウォーターフロント立地も多く(やはり人気があるので値段は高いですが)、海洋レジャーが盛んで、至るところにヨットの帆が林立しています。

 そのせいでしょうか、シドニーには、Bay(湾)、Cove(入江)、Beach(浜辺)、Point(岬がついた地名も多いです。波止場からは通勤の足、「海のバス」としてフェリーボートが頻繁に発着しています。飛行機でシドニー上空を通過すると、「緑の芝生と赤い屋根、青い海と白いヨット」が複雑に入り組んでいる美しい光景が見られるでしょう。これがシドニーです。

★海外生活ビギナー向けのオーストラリア

他の海外に暮らした経験もないので比較はできませんが、オーストラリア、シドニーは日本人が生活体験をするには、なじみやすく、且つ面白い所だと思います。こういう表現が適切なのかどうか分かりませんが、「ビギナー向け」ではないでしょうか。

「なじみやすい」というのは、

車が左側通行
生水が飲める/清潔な環境
チップの習慣に殆ど煩わされない
の諸点です。意外と見過ごされそうな点ですが、いずれも無意識のうちに身体に染み付いている部分ですし、毎日必ず出くわす場面ですので、ここが違うとかなり勝手が違うのではないでしょうか。


さらに馴染みやすい点を列挙すると、

概して治安も良い油断大敵ですが→第三章参照)
人々も全体に陽気で且つおっとりしている
移民国家であるので「ヘタな英語」に対しておおむね寛容である
訪れる観光客のなかでは日本人が一番多いので、全くの孤独感を抱くこともない
度量衡が日本と同じ(ヤードではなくメートル法を、ポンドではなくグラムを、華氏ではなく摂氏を使用するなど)
時差が殆どないシドニーで1時間(サマータイムで2時間)しか違いません)

という点でも戸惑わずに済みます。

★世界の箱庭/シドニー

「おもしろい」点は、著名な観光資源の他に、社会の成り立ちです。

オーストラリアは民族混合社会であり、(数え方は色々あるようですが)国民の出身国籍180、民族数や言語数で勘定すれば200〜300に達するとも言われています。

特にシドニーはこうした傾向が一番進んでおり、市街地ではアジア人の比率もかなり高いです。およそ世界中の人々が揃っていると思われるこの「人種のるつぼ」「毎日がオリンピック会場」的な環境は、日本人にとっては刺激的ですし、手っ取り早く「世界」を感じることが出来るでしょう(注:統計によると、96年段階のオーストラア全体の人口に占める海外(=オーストラリア外)出身者の割合は27%ですが、シドニーでは37%が海外出身者であり、27%が非英語圏出身となっているそうです)。

とはいっても比率でいえば圧倒的にイギリス・アイルランド系が多いので、強力な対抗勢力もなく国を割っていがみあうということもありません。もちろん葛藤も問題もありますが、他国に比べれば驚くほど異文化に対して寛容な社会になっていると思われます。白豪主義を捨てたオーストラリアのマルチカルチャリズム政策は「世界の人々は本当に仲良く一緒に暮らしていけるのか」という「人類最大の実験」とも言われますが、学ぶべきこと考えさせられることは多々ありますし、刺激も尽きないでしょう。

ここ2ヶ月ほど、またぞろ昔の人種差別的発言をする議員が出現したりして、国中上へ下への大騒ぎして議論してます。どこの国にも、こういうことを言う政治家や人々はいるものですが、よくこうも連日ニュースのトップになるものだとも思います。それだけに人種や文化に関しては非常に敏感であるとも言えます。


人々の出身国、民族、文化のことを、「エスニックバックグランド(民族的背景)」とオーストラリアでは呼びます。みな等しくオーストラリア人、シドニー住人(シドニーサイダーズと地元では呼ぶ)であると同時に、それぞれが異なるエスニックバックグランドを持っています。メインの民族であるイギリス系であっても、アイルランドはまた違いますし、イングランド、ウェールズ、スコットランドでまた違うし、その違いに誇りを持っています(スコットランド出身だと言う人に「イギリス人(イングリッシュ)ですね」と言ったら、殴られても知りません(笑))。誰もが二重のアイデンティティを持っているのでしょう。さらに、インターレイシャル(民族間)結婚を重ねていくうちに、若い世代ほど幾つもの民族の血を受け継いでいき、何人なのか全く判別つかない美しい顔立ちにも出会います。

ともすれば緊張が高まり、求心力を失いかねない民族ゴチャマゼ状態を、「これは豊かな文化資源なのだ」と逆にポジティブに捉え、そのまま肯定し、大きな連帯を目指すという理想と実践は、確かに世界でも先端をいっているでしょう。オーストラリア人であることを大切にし、同時に各自のエスニックバックグラウンドも大切にするという、「違うけど同じ」の二重構造は、政治課題でもありますが、そこらへんの町角で日常的に見られるありふれた風景でもあります。


この民族混合環境においては、その気になって探せば世界中の文化を味わうことが出来るでしょうし、それが融合することによって新たな創造された文化にも触れられるでしょう。有名なオーストラリアワインにしても、オーストラリア固有(前世紀までのイギリス植民地)のものではなく、イタリア、ドイツ系の移民が開発したものです。紅茶よりも飲んでる人が多いのではないかと思われるほど愛されているカプチーノもイタリア移民が持込んだもので 広まったのは最近の話とも聞きます。スプリングロール(春巻)を知らないオーストラリア人は少ないでしょうし、箸は使えて当たり前です。

市民向けの政府刊行物は往々にして十数か国語に翻訳され、バスに乗れば前後左右で英語以外の言葉を耳にします。オーストラリアは英語圏ですが、各国のネィティブがゴロゴロいるので、世界中の言語を学ぶことも出来ます。言語だけでなく、各音楽、芸術、中国の鍼灸、インドのヨガなど、これまた沢山あります。サーキュラーキーという波止場にいけば、いろいろな大道芸が見れますが、サックスを吹いてる人の向こうでは、胡弓をひいてる人がいます。

目を凝らし、耳を清ませていけば、ここが世界の箱庭であることに気付かれると思います。他民族都市、国際都市やメトロポリタンは、シドニーに限らず世界に沢山ありますが、商業的必要や成功への野心で集まっているのではなく、「ごく普通の世界の人々」がこれだけ集まって、且つのんびりしている都市は、あまり例がないように思います。

★オーストラリア各地との比較

一方、オーストラリア全体でいえば、シドニーは最もオーストラリアらしくない所と言われたりもします。

「オーストラリアらしい」というのは、果てしなく広がる牧草地帯、鉱山地帯や大砂漠地帯のことで、そういう意味では、シドニーは交通渋滞も大気汚染もあり、物価も高く、人々がアクセク働いていて、人情味も薄い都会であってあまりオーストラリア人には人気がないようです。しかし、田舎にいてもあんまり仕事がないので、皆さん嫌とか言いながらもシドニーに押しかけてくるので、人口交通住宅など都市問題の議論が尽きない。日本における東京や大阪のようなもので、これはもうオーストラリアがどうのというより、万国共通の都市化現象(アーバナイゼーション)でしょう。出てくる話題も「歴史的建造物の保存か開発か」「車利用をやめて公共交通機関を利用しましょう」「最近では都会のマンション生活が流行っている」「シドニーのオシャレなスポット」などなど、どこかで聞いたような話が多いです。

しかし、これも相対比較の問題で、人口密度が100倍の日本人の目から見ると、至るところに緑の芝生の公園があるシドニーは「大都会」というより「入江にめぐまれた美しい地方都市」という印象を受けます。またいわゆる摩天楼が立ち並んでいるのは市内中心部のごく一角に過ぎず、一歩都心から離れればなだらかな丘陵住宅地帯が広がっていますし、入江や湾岸に沿ってヨットやクルーザーの帆柱が林立しています。車で1時間も走れば「オーストラリアらしい」風景に戻ります。

シドニーの人口は約400万人ですが、この数は北海道(570万)や福岡県(490万)よりもずっと少なく、静岡県(370万)よりもちょっと多いかなという程度の規模です。異様なまでに青い空と強い陽射に照らされていると、最初は「都市問題」「大気汚染」とか言われてもなかなかピンときませんでした。「車社会の交通渋滞」という点でも、車庫証明も要らず、皆さん家の前の路上に勝手に駐車してます。こちらの感覚に慣れてきて、自分でも車に乗るようになってから、「この渋滞をなんとかしてくれ」「確かにスモッグは出てるな」と思うようになりましたが。


オーストラリアの他の都市地域と比較した場合、シドニーは、グレートバリアリーフやエアーズロックなどの豪快な大自然に囲まれてるわけではないが、その分都会の利便性を備えているので生活するには便利であり、最も国際性が豊かな都市(コスモポリタン)と言えます。観光地の団体客を見てても、市内の漢字の看板の増えかたを見てても、アジアの急成長などの国際動向が実感として分かりやすい。2年前は町を歩いていても子供に「コンニチワ」などと言われましたが、1年前あたりから「ニーハオ・マ」と言われるようになりました。アジア系の顔立ちをしてると中国人かインドネシア人と思われるようですし、自分でも他のアジア人を見て「日本人だろう」とはあまり思わなくなりました。

日本人観光客に人気のケアンズ、ブリスベン、ゴールドコーストなどのQLD(クィーンズランド州)の東海岸地帯は海洋リゾート地域であり、メルボルン、アデレード、パースなどの南・西沿岸地帯の都市は、しっとりと落ち着いた美しい都市であると聞きます。中央大砂漠地帯のアリススプリングス、熱帯雨林のジャングルが生い茂るダーウィンなどの北部地帯、また気候や規模で北海道によく似ているタスマニアは美しい森と湖と山に恵まれています。このように一口にオーストラリアと言っても各地それぞれに特色があります。都会を離れ、大自然に囲まれている地方の小さな町や内陸地帯も良いのですが、まずそこまでたどり着くのが大変ですし、生活のパターンもどうしても限られてきます。結局、一ヶ所に海と山と砂漠と都会の全てが揃っているような都合のいい場所はないということです。


さて、オーストラリアのどこに行くか、どのように旅程をたてるか、転々と各地をつまみ食いしていくか、一個所に落ち着いて生活体験を経験するか、あるいはその両方を狙うか。全ては、あなたの予算と日程と興味との相談になります。
ただひとつ注意しておくべきはその国土の広さです。面積が日本の22倍と聞いてもピンとこないのですが、東部のシドニーから西部のパースまでの距離(オーストラリアの「横幅」ですね)は、日本の九州からタイのバンコクほどの距離があります。西ヨーロッパがすっぽり入るこの広大な国土を横断するには、特急列車で走りに走っても3日かかります。こんな広い土地を限られた日数で転々としていたら、移動時間ばかりになってしまいかねない。

ただしオーストラリアの地形の特徴からして、「各州都は全て海岸沿いにあり、海岸から一定距離進むと森林地帯があり、さらに内陸に入ると砂漠地帯になる」という構造はほぼ似たようなものです(タスマニアには砂漠はないですが)。したがって広大な国土を転々としなくても、どこにいても一通りのものには触れられます。シドニーにおいても、西方(内陸)に車で数時間走ればアウトバックと呼ばれる砂漠地帯にだどり着きますし、海岸線沿いではイルカや鯨も見られます。周辺には森林地帯が広がっていますし、南進すればスキー場もあります。無いのは珊瑚礁とワニくらいかもしれません。これは前述したオーストラリア各地域の多様性と矛盾しているようですが、日本列島が何個も入るような何千キロ単位の大砂漠に触れたいならやはり中央部に行く必要がありますし、濃密なジャングルを体験したいならば北部方面など、それぞれに「本場」があるのと同時に、本場以外では全く触れられないのかというと決してそんなことはないということです。

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