あなたの性別・ワーホリした当時の年齢を。差し支えなければ
どうしてワーホリに行こうと思ったのですか?
1つ目は外国語サークルにいた(僕が当時2年生だった)頃、4年生の先輩がワーホリでオーストラリアに行って、世界中の友達ができたとか、フルーツピッキングで金を稼いだとかの武勇伝を聞かせてくれたこと。
2つ目は僕の兄貴が僕と同じように大学を休学して世界旅行に出たんですが、その旅の話を聞いたりしていて、海外はあこがれでした。その時からなにか海外がある意味神聖化されたというか、、
で、3つ目は大学生活が楽しくなかったわけではないけど、何か物足りなく、海外に行けばなにか日本の生活がかわるのではないかと思いました。
ワーホリ先としてどうしてオーストラリアを選んだのですか?
なんかある意味消去法なんですが、アメリカはワーホリがないからだめ、カナダは寒くなると荷物を多く持たないと行けないからだめ、ニュージーランドは小さすぎるので旅行のしがいがないのではということでだめ、結局旅のやりがいがあるようなオーストラリアにしました。
ビザ申請について何か言いたいことは?
ビザ申請の時、僕はあっちで働きたかったのでレントゲン検査を受けました。その時その検査結果はだれがオーストラリア大使館に送るのか分からなく、僕は結果なしのまま必要書類を大使館に送りました。でもいつになっても来なく大使館に電話したら検査結果が届いていないとか言われ、病院に電話したらもう送ったからと言われ、すったもんだがあり結局僕がアパートを引き払う3日前にやっと届いたというヒヤヒヤものでした。
ワーホリに関して、周囲の人間(家族、友達、勤務先、恋人)の反応は?
教授と父親が反対しました。「どうしてワーホリ?短期語学留学じゃ駄目なの?」と言われ、言葉に詰まりながらも説得した覚えがあります。
また友達は、周りには休学して海外に行く人がいないから、ある種好奇心のまなざしで見ていました。「1年後にはこいつどんなふうに変わっているのだろう」「なんか面白いネタ作ってきて」 ある意味プレッシャーを感じていました。
ここなんですけど、お父さんや先生は何故にワーホリに反対したのでしょうか(以前のメールでも書かれてましたが)?ワーホリではダメで、留学だったら良いとする理由はなんだったのでしょうか?そして、又、それをSHAIさんはどう説得されたのでしょうか?つまり、留学や観光と目的を決めてしまわないフリーハンドなところにワーホリの良さがあるという認識は、あまり通じてなかったってことでしょうか?
親父はなぜ休学してまで、海外に行きたいのか?本当に英語を勉強したいのなら日本でもできることだし、夏休みを使って語学留学にでも行けば十分ではないか?要は、休学するというリスクを犯してまで、海外に行く必要はないと言っていたと思います。
教授は2・3回オーストラリアに行ったことがあり、その時にうちの大学を休学してワーホリに行っている人に出会ったらしく、教授の彼に対する印象が「無気力で何も目的意識がない。」だったらしく、海外での正規留学(語学留学ではない)には賛成だが、そんなわけのわからないものには反対だ、という考えでした。
助かったことに、前の質問にも書いた、何年か前に大学を休学をして海外旅行をしたうちの兄に助け船をしてもらい、何とか親を説得しました。教授には、親が書いてくれた承諾書(僕が海外に行くのを許す)みたいのを渡して、しぶしぶ認めてくれました。
やはり、目的(予定)がないのが両親やら教授には不安だったみたいです。僕がその時言ったのは、「行ってみないとわからない」。旅行とかでも偶然の出会いとかハプニングとか日本では予想できないようなのがあるから面白いのだと。でも、教授や両親は「行ってみないとわからない」では駄目だ。それは無目的だと。
今ワーホリが終わって思うのは、どっちも正しいと思います。目的がないと駄目だし、その1つの目的に絞りすぎ他の目的を得るチャンスを逃すのもいけないと思います。
なるほど。お父さんや教授のいうこともわかる、、、、、ああ、でも、僕は判らんかしらん、僕がその場に居たら大喧嘩になってしまいそうな(^^*)。単に「チャラチャラ遊んでるだけなら駄目だよ」というだけなら判りますが、「ワーホリ=チャラチャラ」に限ったもんでもないし、それを「限ったもんだ」と思う前提で、単純にこの人達は物を知らないだけなのかな?とか思っちゃいそうですし。いみじくも「わけが判らないから駄目」と言うところからも、要するにワケがわかってない、つまりは知らないだけじゃんとか。ただ、まあ、実際におっしゃられた文脈やその真意のほどは判りませんし、最終的には不承不承ながらも了解されているわけですし、何とも言えませんが。
ただ、SHAIさんがおっしゃる「目的」なんですけど、僕なんかは、「目的」なんぞに何ほどの意味があろうか、語れてしまう目的よりも語り得ぬ漠たるモノを目指すべきであって、さもなくば予定調和の中でチンマリ小さくなっちゃうじゃないかみたいに思うクチです。もっともこれは「目的」の概念定義に関わることで、言葉だけもてあそんでも意味ないのですけど。つまり、目的=やる気、志、なんか知らんが身体がウズウズする感じ、といえば同じ事だったりしますし。
さて、行く前に1年間の大雑把な予定を立てましたか?
語学学校、そして旅行と。なんとなくです。
僕の場合、ワーホリの内容を考えるよりも日本を出るのに時間がかかりました。サークルの引き継ぎ、引越しの手配、試験の勉強とそっちのほうが忙しかったような気がします。だから内容も本当にあいまいなものでした。後の質問に出てくる「行けばなんとかなる」で。
ああ、大学の3年ともなるとサークルでも授業でも忙しい時期でしょうしね。
ところで、語学学校は行かれましたか?
アプラックで紹介されているシドニーのラリンガで9月上旬から10月上旬の1ヶ月、勉強をしました。やはり、日本で培った英語力では自信がないのと、ワーホリでこれから何していこうという情報集めの時間でもありました。語学学校は本でも行っている通りワーホリの準備期間と言っていいのではないでしょうか。
授業自体は先生も楽しく面白かったのですが、日本人が多すぎました。クラス7人中5人(僕を含めて)はちょっとね。僕は違う国の人と知り合いになるためにいったのでもあるから、とても残念でした。
そうですね知らない環境に慣れるにしても1〜2ヶ月はかかりますから。ところでラリングアですけど、SHAIさんのようなパターンの防ぐためクラス内の同国人の人数制限をするようになってます。
ただ、語学学校紹介なんぞをやってて思うのですけど、ワーホリで来られた方の初期というのは、@(実践会話)英語力、Aいろんな国の人と知り合うこと、B(日本人ワーホリからの)生活情報の3点が求められるのですけど、これを同時に満たすというのは至難のワザですよね。3つのうち二つが得られたら、とにもかくにも御の字じゃないかなっていう気もします。
そりゃバリバリに英語が出来たら、学校なんか行かないでバックパッカーに泊って、手当たり次第に話し掛けて、友達しこたま作って、情報も仕入れるということが出来るんだけど、そんなの出来る人なんかマレですもんね。それにある程度の英語レベルに達してないと、クラスにいろんな国の人がいても会話にならずに宝の持ち腐れになったり。中級上くらいまで行かないと中々「会話を楽しむ」というところまで行きにくいというのが現実かもしれませんね。まあ、性格もありますけど。
結局渡航前の英語レベル如何でかなりの程度の現地の生活の方向性というのは決ってしまうのかなって気もするのですね。で、SHAIさんは事前の英語準備はどの程度しましたか?またワーホリできて英語力は伸びましたか?
行く前にも大学の英語演習とか受けてましたけど、簡単な会話ができる程度だと思ってます。
ワーホリ期間中には確かに英語力は伸びましたが、1年行っていてそれだけ?というレベルだと思います。ただ、卑語とかスラングとかブリティッシュとイングリッシュの違いとかいろんなことを知る良い経験になったと思っています。
僕だって「5年いてそんだけ?」ですよ。傷を舐めあってるわけじゃないですけど(^^*)、これは誰でもそう言いますね〜。本音をいえば自分の英語力に満足してる日本人なんか殆どいないんじゃないかな。こちらで育ったりするのでなければね。語学はほんと難しいですよね。TOEIC900点以上の人だって、別に全然ペラペラじゃないですもん。
さて、次に仕事ですけど、お仕事はどのようなことをされましたか?
職を探すとほとんどがジャパレスであったりして、僕は料理店での経験がないと駄目なのかなと思い、ジャパレスはあきらめ宿で住み込みのフリーアコモデーション(フリアコ)をしました。
1軒目はモーテルでオーナーに直訴してフリアコさせてもらいました。2軒目はアデレードの宿で募集の広告を見て電話してOKがでたので働きました。内容は掃除、洗濯、雑用で合計3ヶ月働きました。
特に2軒目の宿ではオーナー、スタッフに親切にしてもらい、そこが企画しているツアーにただで参加させてもらいました。僕は次にオーストラリアに行くときもフリアコかウーフをやれたらいいなと思っています。
すいません、ウーフってなんですか?
それと、この場合のペイですけど、宿代フリーだけでしたか?他のゴハン代とか小遣いとかそこらへんはどうでしたか?
WWOOF(Willing Worker On(?) Organic Farm)という、農場版フリアコみたいな感じです。6時間くらい働いたら、飯がただになるし、得難い農場体験ができるというやつです。僕の友達でも、加入して(30ドルくらい払う)農場巡りをしている人がいました。でも、やっぱりそこのオーナー次第ですって。
また、フリアコに関しては、一軒目のモーテルでは朝飯とオーナーの気分によって、晩飯とかビールをおごってもらいました。2軒目では、朝飯がただ。マウンテンバイク使用料ただ。2週間働くとそこのバッパーが企画しているツアーにただで参加できる。僕の場合、交渉してもう1つのエアーズロックまで行く10日アウトバックツアーがただでした。
次に現地で出会った、オーストラリア人や他の国の人の印象はどうだったでしょうか?
まず変というかくやしいというか、僕はそんなにオーストラリア人の友達はできませんでした。僕のスタイルが旅中心だったせいか、会う人は日本人・韓国人が大半で、そしてイギリス人、オランダ人、ドイツ人、イタリア人くらいですね。オージーの友達は、フリアコで働いてたスタッフとかぐらいでした。
このことに関してですが、日本で考えていたこととは違ったことは、日本語を学んでいるオージーはそんなに積極的ではなかったということです。僕はパースで3ヶ月英語を移民の人と一緒に学んで滞在してましたが、西オーストラリア州と姉妹都市(州?)関係の団体がパースにあり、そこの日本人とオーストラリア人が会って自分の英語力(日本語力)を試そうというのがありました。当初から僕みたいな日本人がたくさんいるんだろうなと思ってたので、そこにいた日本人の数の多さには驚きませんでしたが、なんかそこにいるオージーの人は積極的に僕たちと友達になろうとかいうのではなく、ただ日本語力を試して「はい、さよなら」みたいな人が多かったです。まぁ、僕が外向的じゃないのかなぁ。
でも、日本での英語を話そう会だったら外国人1人対日本人6人とか、こっちから話しかけないと何にもなんないじゃないですか。そのへんは、自分が悪かったのでかついていなかったのか、それともあっちには日本人が腐るほどいたからなのかなんですかね。
あの〜、福島ともときどき話すのですけど、実はオージーもオージーの友達がそんなにいないんじゃないかなって、時々思います。これは西欧系一般の傾向かもしれないけど、インディペンデントでソーシャル(社交的)であるように教育されますが、自立してるってことはある意味孤独ってことだし、社交的ってことは自我を抑えなさいってことでもあるし。だからオーストラリアって社会的、仕事的にそんなにストレスなさそうなんだけど、日本以上にカウンセリングが盛んだったりするでしょ?皆さん結構、悩んでるし、寂しいんだろうけど、あんまりそれを表に出さない、というか出せないんじゃないかと思ったりもするんですよ。
非常に社交的にパーティとかバーベキューとか年中やってますし、仕種や言葉はすごくフレンドリーだけど、付き合いそのものはあんまり濃くないように思います。その場でパッと話してそんで終わりみたいな。日本みたいにサークルのコンパだ、職場の飲み会だとかないですしね。教会に通うのも友達作りのためって部分も結構あるってオージーに聞いたことあるし。普通の新聞に恋人募集のクラスファイドがあるし。
だからその「日本語試して、はいさよなら」ってのは、さもありなんって思います。そのために来てるんでしょうし。
でも、シェア先のオーナーに薦められたテイフでの日本語ボランティアでは、僕一人だったので楽しかったし英語の、そして日本語の勉強になりました。その時に日本の説明(子供の名前には意味がある、シトシトなどの擬音語についてなど)をしました。このことから考えて、日本人は日本語情報に頼りすぎているから一個所に人が集まりやすいのかなぁと思いました。
TAFEのボランティア出来たというのはいい経験ですね。アシスタントティチャーも「プログラム」のように「誰でも可」とパッケージしようとすると相手さんも事情があるし難しいんだけど、自分でトコトコ学校行ったり、地元の人に頼んだりするとスポット的に意外と出来たりするんですね。こっちの人ってそんなに構えてないし、役所の手続みたいにうるさいこと言わないから、案外出来ちゃったりするみたいです。
おっしゃるとおり、日本語情報として出てるようなもの、というかお膳立てが出来てるのばかり探してたら狭くなってしまう部分ってあると思います。それに日本語情報に限らず、英語情報としても「そんなことが出来る」なんて出てないと思います。なぜって「何時誰がいっても出来る」ってもんでもないですからね。僕らがサポートした方でも、幼児教育の現場を見たいというワーホリの方がいましたが、アドバイスとしては、もうそこらへんの幼稚園に出掛けていったり、ホストファミリーに聞いたりした方がいいよと。実際、その方から後にメールを貰ったところ、シェアしている人が知り合いに話をしてくれて、ボランティアで現場に出るようになったそうですから。
だから、これを読んだ読者の方が「ああ、TAFEのボランティアって出来るんだ」と思ったら、それも誤りで、チャンスというのは自分でアプローチして自分で発掘していくしかないんだろうなって思います。そのへん、日本の発想というか、マニュアルとかオプショナルツアー的なものだけを考えるんじゃなくて、もっと偶然を楽しむようにしたらいいのかもしれないなあって思います。
さて、話は変わって、ホームシックはありましたか?
ホームシックは結構ありました。日本での生活が嫌というか少し面度臭くてそれを打開したくてこっちに来たのに、オーストラリアでの生活が苦しいから「日本のほうがよかった」という何か違ったホームシックでした。でも、日本の情報はあっちにいても日本語情報誌やインターネットを使えば楽に入りますからね。そういう点では楽でしたね。
来て初めて気付く日本の良さ。良さというよりも「便利さ」みたいなものが多いですけどね。
でも、ここ数年で日本語情報誌もメチャクチャ増えてきましたし、インターネットも出てきたので随分変わりました。僕ら最初に来た頃なんて、新聞の国際欄くらいが唯一の日本情報みたいなときもありました。TIME誌の日本記事とかね。もう、それを読むのが最大の娯楽みたいな(^^*)。そんなんでもないと、もう本当に果たして日本という国が本当にこの世にあるのか、もしかして沈没しちゃってるんじゃないかとか、それすらも判らんみたいな感じもして、ホームシックというのとは又違いますが、「すごい遠いなあ」とか思いました。今はインタネーットはあるわ、こうして毎日メールは書くわで、全然身近ですから。
あと、カルチャーショックはいかがですか?
カルチャーショックは結構ありましたね。まず質問項目にあるドラッグについてですけど、宿とかで平気(隠れてですけど)にドラッグやっているって正直いって信じられなかったですね。僕はびびってやりませんでした。たしかあっちではマリファナは大丈夫だと思ったんですけど、東南アジアとか持ち込みで死刑というところもあるではないですか。それとシューティングギャラリーの記事とか見ると、まず麻薬を押さえるとこからやらないか?とか思います。でも、シューティングギャラリーについては知識不足なのですが、多分そんな役割だったと思います。
まず「シューティングギャラリー/Shooting Gallery」ですが、僕もそれほど詳しいわけではないのですが、言葉の意味としては「ドラッグをやる場所、溜まり場」を意味するスラングですよね。半ば公然たる秘密のように「あそこにいけば出来る」という形で、あちこちにあるそうです。ただ、一概に「悪の巣窟」であるかというと、必ずしもそう言い切れるもんでもない、というのが複雑なところで。
数ヶ月前だったかキングスクロスで二軒ほどシューティングギャラリーが警察の踏み込みを受けましたけど、これには批判も大分ありました。なぜなら、そこを潰したら、逆に路上の使用・売買が増えるだけで却って治安的にも良くないなど。つまり大っぴらに路上でやられるくらいなら一ヶ所にまとっていてくれた方がいいということで、暗黙の了解で事実上治外法権にみたいになってる部分もあるんですよね。日本の自衛隊やパチンコの換金のように、適法なんだか違法なんだか、法的に曖昧な位置づけだったりします。また、より制度的にリハビリの一環として捉え直し、本人の更生プログラムの策定やカウンセリングなどとリンクさせて機能させようという動きがあるようです。
ところで、オーストラリアで問題視されてるドラッグは、もっぱらヘロインだと思います。あれはシャレにならないですから。薬物乱用犯罪、というか犯罪とか刑事法とかは僕のプロパーですけど、政府や関係者の対策努力というのは、すごいやってるように思います。それだけやっても尚駄目という。新聞などでよく記事や評論がでますけど、ここ20年以上延々と続いてきた対策では結果としてあまり効果を生まない、それを踏まえて次に進もうというのが多いです。刑罰強化だけで何とかなるような簡単な問題じゃない。それは道交法を強化したら暴走族が減るか?というようなもんで。
あと日本人は日本にはドラッグがそんなに無いと思ってるけど、そのかわり日本では覚醒剤(シャブ)が凄いでしょ。ドラッグといってもシャッキリする覚醒剤系とポワワ〜ンとなるトリップ系があるのですが、こっち(西欧系)はトリップ、日本はシャブ。実際、検察庁にいるとき覚醒剤捜査の現場とか見ましたけど、「こんなに蔓延してるんだ」って驚きでしたよ。いちいち新聞に載りませんが、もうそこらへんの普通の家とか「あそこも、あそこも」って感じで関係したりします。で、一般の人に浸透するのは、最初「よく効く栄養剤」ってことで入って来るんですよね。接待麻雀で徹夜とか、大変な人とか多いですからね。「これはキクよ〜」とかいって知り合いからシャブとは知らず貰って、そんでハマったりするんですよ。
ちなみにネットで「平成10年版犯罪白書」を見てきましたが、『覚せい剤事犯の検挙人員は,昭和40年代半ば以降急激に増加し,50年代後半から63年にかけては2万人を超える水準で推移した。その後は減少傾向を示していたものの,平成7年以降再び増加に転じ,9年は1万9,937人(前年比1.4%増)となっている。』とのことです。 やっぱりここにきて又増えてるみたいですね。
ついで言うと非行少年の場合、『薬物事犯中の覚せい剤取締法違反による検挙人員は,昭和57年に2,769人のピークを示した後減少し,平成6年には832人であったが,7年以降増加に転じ,9年には1,601人(前年比11.0%増)と急増し,この間,少年比も上昇している。なお,昭和53年から平成3年までの間,2万人台の高い水準で推移した毒劇法違反による送致人員は同年以降減少が続き,9年には5,057人(同11.6%減)と,ピークとなった昭和57年の約6分の1となっている』ということです。毒劇法ってのはシンナーですよね。つまりここのところシンナーは全然流行らなくなって6分の1まで落ち込み、その代り覚醒剤は平成6年から9年の3年間で倍増してるってことになります。
なんか哀しいなあって思うんですけど、仕事の為にドラッグやるという。日本に帰ると改めてビックリするんですけど、リポビタンDとかユンケルとか、栄養ドリンク剤がメチャクチャ多いじゃないですか。一本3000円くらいするものもあって。オーストラリアってそんなのなかったでしょ?ビタミンCとかハーブ関係とかその種の薬剤・薬用物は豊富ですけど、「ファイト〜、一発!」みたいなCFもやってないでしょ。これ、あんまり言う人いないけど、違うなあって思う部分です。だから、日本ってシャブが流行る下地みたいなのは十分にあるんですよね。シャブって、効能的には精力剤ですから、ただ恐ろしい副作用のあるだけで。
だから、そうやってまで頑張っちゃう日本人からすれば、ただでさえヘラヘラしてるようなオーストラリア人がさらにドラッグやってヘラヘラしてる光景は異様だったするし、ドラッグ問題に対する理解も一般には浅かったりしますが、逆にオーストラリアからみたら、ただでさえ非人間的なまでに仕事してるイメージのある日本人が、犯罪を犯してまでまだ仕事をしようとする光景も同じくらい異様に見えるんじゃないかな。イメージって極端に増幅しちゃうから、ものすごい差があるように思うけど、実際に両方見てるとそんなに言うほど差があるとも思えない、細かく見ていけばそれぞれにモットモな理由あってこうなってるんだろうなって思います。また、オーストラリア人からすれば、皆して酔っ払って、OLさんとかが道端で吐いてる姿とか見たら、なんでアルコールに対してあんなにルーズなのか?あれだってドラッグみたいなもんじゃないか?って思うかもしれないし。
さて、他のカルチャーショックはいかがですか?
オージーや欧米人、インドネシアの人とか結構みんなアカ抜けているように見えました。
僕は日本でもディスコやナイトクラブとか行ったことなかったので、2・3度行く機会がありましたが、恥かしくてあまり踊れず、踊りながらもチラチラ他の人ばかりみてました。僕はカラオケの方がいいなぁ。
わはは、アカ抜けてるとは僕は思いませんが、こっちの人って、踊ったり、楽しんだりすることにそんなに「構え」がないような気がします。すごいナチュラルな感じ。僕もそうですけど、普通の日本人にとって「踊る」ということは、結構「非日常」のことだったりしますよね。「さあ、踊るぞ!、、、でもどうやって?」みたいに、構えちゃう。だから周囲の視線が気になる。たぶんこっちの人は(バリバリにトンガってる人は別として)、もっと自然なもので、「風呂入って鼻歌歌う」くらいの感じで、何の構えもなく楽しむものなんじゃないかなって。
宗教についてもクラスとかで聞かれる機会があり、「何を信じているの?」とか聞かれたら「何も信じていない」か「己を信ずるのみ」と答えてましたが、その時神道の存在を知りました。恥かしい話ですが、参拝とかしていることを神道と呼ぶとは思っていませんでした。そう考えてみると、元旦には神道、葬式とかでは仏教、クリスマスとかではキリスト教というあっちに行って不思議なのに気付きました。あっちでのクリスマスは日本とは趣が違ったキリスト教の教えに基づいた物でしたし、他教徒との結婚を禁止するイスラム教の凄さには驚きました。僕自身、宗教が存在するから戦争(他教徒間の争い)が起きると思ってましたから、その話を聞いて「うーん」とうなりましたね。
宗教は日本にいるとそんなに気にしませんよね。でも、世界的にみればオーストラリア人も結構無宗教な人が多い社会だと思います。ただ、日本から来ると、世界の人が来てるオーストラリアで、いろんな宗教的な話とか聞きますから、へえそうなんだって思います。ホームステイなんかでも、ユダヤ教の人とかも結構いるんですが、肉とそれ以外で流しから冷蔵庫から全部分けてたり、そうかと思ったら豚肉とエビ・カニは駄目って家もあったり。面白いですよね。こっちの人はそれほど狂信的な人は少ないですから、いろいろ体験出来るのは面白いですね。
ただ、数年前は、宗教の話題になると、「日本はそんなに宗教は無いとかいうけどカルト(オウム真理教とか)はどうなんだ?」って話になりましたよね。無宗教のようでいて、いきなりガス・アタックするカルトがいたりして、そういや日本の宗教ってどうなってんのかなって、改めて考えさせられたこともありました。
最後には、オージーは結構家族や友達との時間を大切にしてるじゃないかと思いました。いたるところの公園で休日には家族や親戚とか友達を囲んで、バーベキューとかパーティーをしてるじゃないですか。あれはすごく羨ましいと思いました。日本とは違い、休日は仕事とは別の時間を取るというのがあっちの社会に染み込まれているのはすごくいいなぁと思いました。
その他、あっちでは21歳の誕生日でパーティーを開くとか、裸足でどこでも歩くとか思うことはたくさんありましたが、あっちでは人生を楽しむために生きているってのがみんなに表れていて(ときどき度がすぎるが)本当に勉強になりました。
これは全く同感です。それに馴染んでしまった僕らも完全にオージー化してますし、それがオーストラリアの良さだと思います。それに、これがあるからマルチカルチャルが成立するのかなって気もします。適当にダラけてて、適当に情けなくて、それで気持ちいいという、すごく人間にフィットするカルチャーだから、世界からどんな民族がやってきても、しばらく住んでるとそれに馴染んでしまうという。馴染むのにそんなに努力が要らないんですよね。大袈裟にいえば、民族間の対立や「世界は一つ」というのを体現する理念というのは、実は崇高なものではなく、案外オージー的な「こんないい加減でいいのかなあ、でも、楽だからいいか」という部分、オージースラングでいえば "She'll be right,mate"文化なんかもしれないって思います。
それと、家族の関係ですが、イタリア系とか、中東系とか聴いているともっと濃い家族関係だったりしますよね。前一緒にやってた柏木がレバノン系の家に日本語の家庭教師にいってたんですけど、すごいいい人達だったんだけど、もう入れ替わり立ち代わり30分単位くらいで家に親戚がやってくるらしいんですね。また、娘さんが言うには、デートするにも親族の許可みたいなのが必要で、デートしてても後ろから少し離れて親族がゾロゾロついてくるとか。娘さんはオーストラリア生まれのもうオージーですから、「だー、鬱陶しい」って思ってるみたいで、早く国を出て日本にでも行きたいわってことだったらしいです。
僕らの前の大家さん、マルティーズ(地中海のマルタ共和国)なんですけど、毎週必ず親族が遊びに来てましたよ。オージーでもやっぱり終末は実家に帰ってディナーだし、結婚しても毎週帰ったりする人もいるし、濃いなあって思いますよね。そういう意味では、日本って「家制度」とか言ってるわりには、もしかしたら世界で一番家族関係が希薄なのかもしれないですね。
→Part2に続く