★語学学校体験談 |
読者投稿−−武末さんの場合(その2) |
The Insitute of Language, University of New South Wales kensington Campus |
※注:この「最初の1週間クラス分けに終始し」という部分が気になったので、武末さんに詳しい状況をお伝えいただけないかメールでお願いしたところ、以下のとおり返信をいただきました。 ●クラス分けに関しては、かなり大ざっぱに書いてしまって誤解を招いてすみません。直接コースはレベル0〜3まであるのですが、私がいたときは、レベル0は1or2クラス、レベル1は2or3クラス、レベル2が4クラス、レベル3は3クラスでした。これはそれぞれのタームの生徒数によって変わってくるのだと思います。で、準備コースは実は専攻別ではなくレベル1〜3までそれぞれ1クラスです。(わー、前に言ってることと全然違いますねー!!) ですので、田村さんがおっしゃるほどには複雑ではないのですが、あまりにも混乱していたためどういう基準で生徒をあっちやったりこっちやったりしているのか、私にはとんとわかりませんでした。先生の説明では、最初の日に登録していなかった生徒があとから申し込んできて、その生徒を適切なレベルに配属するには、そのクラスのボーダーラインの生徒を他のクラスに移さなければならない、ということでしたけど。ただ単に初めのクラス分けが時間的に間に合わなくて、とりあえず分けとくか、程度のものだったというような気もします。 最初の1週間に起こったことですが、初め直接コースのレベル3・Cクラスには20人弱いたのですが、2時間目に「あなたはこのクラスに行ってください」と2、3人の人がレベル3の他のクラス、あるいは準備コースのレベル3のクラスに移りました。直接コースのレベル2に移る人もいました。次の日には昨日見かけなかった生徒が1、2人加わったかと思うと、先生に移るように指示された人がまた2、3人。次の日には最初の日にいた人が戻ってきたり、さらにまた移るようにいわれたり、もう混乱の極みでした。先生と事務方の連絡もいい加減で、あっちのクラスでは「こっちに行け」、こっちのクラスでは「あっちに行け」と言われ、先生もしょうがないから「じゃあこの時間はこのクラスで勉強して、終わったら事務に聞きに行ってください」という...。最終的に落ち着いたのは第一週の金曜日。そのとき初めのクラスにいた人は半分くらいかな。 ※つまり、先生の説明によると、「後から入ってきた人がいたため、トコロテン式にレベルのボーダーラインにいる生徒さんを移動した」ということですね。 しかし、クラスの半数が変更するほどの大移動であり、しかもそれが1週間も続いたという現場の実感としては、そんな「微調整」みたいな話とは思いにくい。やはり『最初の分け方が大雑把過ぎたので、その後チビチビ修正を重ねざるを得なかったのではないか。しかも、修正過程で「伝言ゲームのバトルロイヤル」みたいな無茶苦茶な連絡行き違い状態に陥り、朝令暮改が続いたのではないか』という気がするということですね。僕もそんな気がします。しかし、それでもよく一週間で収まったような。 |
※注:この「約半数が職を失った」という穏やかならぬ部分も気になったので再度お尋ねしてみました。 ●先生の解雇のことですが、私も卒業式の日に雑談のなかで先生に聞いた話なので詳しいことはわからないのですが、これまで大学との契約は実質的に終身雇用の人と1年契約の人がいて、大学側が契約システムを今年から急に変えることになり、1年契約の人は更新できないようになってしまったとか。それで半数の先生は解雇となってしまった訳です。どうしてなのか理由まではわかりません。 話を聞いた先生は、ファウンデーションコース(1年)の生徒はまだ残っているのに、先生が途中で変わってしまうのは問題だと、かなり憤っていました。(当り前ですね) でも以前聞きかじった話では、ここのお給料は相当良いらしく、先生の定着率はそういう点では良かったのではないかと思います。 政府財政のリストラ→補助金カット→大学財政のリストラと波及しているのでしょうか。単なる契約システムの一元化をはかるための過渡期的処置なのか、それともリストラの大鉈を振るったのか、よくわかりません。ただ、今回のアジアの経済危機はオーストラリアの大学、とりわけアジア系留学生の比率が多いとされるNSW大としては厳しいかもしれない。今回の騒ぎで、オーストラリアドルに対して韓国ウォンは2分の1、インドネシアルピーは3分の1まで下がりましたから、留学生にとってみたらいきなり物価が2倍、3倍になるようなものでしょう。留学生数も激減するでしょう。そこらへんの絡みもあってのことなのかな、とか、色々な背景事情を忖度してしまいます。 |
これは質問ではなく意見交換なのですが、一方で武末さんの報告を読ませていただきつつ、他方でこの学校の精密に分岐したカリキュラム/コースを合せ考えると、学校当局、とくに上層部としては、美しい理論的な構想をもっているようですが(アカデミックコースで、ここまでレベル別×分野別でやったりはしない。まとめて一クラスなんてところも沢山ありますから)、どうもそれにスタッフがついてこれていないというか、そんな印象を受けたりもします。笛吹けど踊らずというか。そこらへんどうなんでしょうか?と直截に聞いてみました。 ●−−−というご指摘ですが、うーん、どうなんでしょう、そこまで分析するほどの洞察力がないもんですから...。でも結局のところ、組織の上のほうにどんなに美しい構想があっても、先生個々人の能力ややる気、姿勢にかかってくるのかなという気はします。ここの学校にも素晴しい先生もいれば、個人的には好きだけどどう考えても先生としての資質に欠けるって人もいましたし。 日本的に考えると、たとえば会社で上のほうが美しい構想を持っているとすると、社員に対してそれがいろいろな形で伝えられて社員も会社への忠誠というか帰属意識をもつプロセスが何となくイメージできるのですけど、ここではどうなんでしょう?美しい構想はどうやって末端まで伝えられるのかなあ?何だかオーストラリア人て「会社(仕事)のことより、週末やフィットネスの方が大事!」って思っているような気がするんですけど...。 あは、確かにそういうオーストラリアの一般論でいえば、そうなのかもしれません。特に政府関係なんかはそうなのかもしれません。制度それ自体で言えば、巧みでよく出来ているのだけど、現場がそれに対応できてないとか(ビザを発給する移民局など、行く度に違うことを言われる、というのはよく聞く話ですし)。 ただ、そういう風土を前提にして、それでも末端までキチンと行き届いている組織というのはあると思います。このあたりは論じだすと面白いので脱線しそうですね。例えば、日本企業のロイヤリティといっても、それは会社上層部に対するロイヤリティであって、消費者に対するロイヤリティかどうかは別問題だとかね(上層部に気兼ねして、HIVの資料公開を拒み続けた厚生省のパターンとか、総会屋には手厚くもてなしながら個人客を陰でゴミ呼ばわりしてきた証券会社とかね。 |