2002年09月21日

高木さんの留学体験


   高木さんは、日本で英会話学校に通われており、2001年の1月から3ヶ月SELCに短期留学されました。帰国されたあとも、英語の勉強を継続されているわけですが、高木さんには日本での英会話学校、シドニーでの英語学校、それぞれの差異、また自分が勉強するにあたっての意識の変遷や、英語観そのものへの変化などについて語っていただきました。

 現在日本でも沢山の方が英会話学校に通っておられると思います。日本で勉強していることに比べて、海外まででかけて語学留学することとの意味と実効性は実際どんなものなのだろうか?と考えておられる方も多いと思います。高木さんの省察は、それらの方々への有益なサジェスチョンになると思います。








高木さんからメール(その1)

田村様
お忙しいのに、さっそくのお返事ありがとうございます。

> ときに高木さんの場合、日本の時の英語の勉強、現地での勉強、また帰ってから
> の勉強と続くわけですが、それぞれのジョイントというか、質の違うものをどう
> 組み合わせてどう継続させていけばいいか、そのあたりの経験的所感などがあり
> ましたらお聞かせください。


留学以前
10ヶ月ほどNOVAで勉強しておりました。正確にはさらにその10ヶ月ほど前からですが、その時は仕事をしていて、あまり行っていなかったので、やってなかったに等しいです。
そもそも、私は学生時代から、英語は苦手で、卒業後の10年以上英語からは遠ざかっていました。しかし、NOVAに行くようになり、英語を学ぶ楽しさを知りました。その意味でNOVAには感謝しています。楽しく学べるということは、とても重要なことだと思います。

SELCに入った時は、なんで文法なんてやらなあかんねん。読み書きもいいねん。と思ってました。
NOVAは会話中心で読み書き文法はほとんどやってなかったので。でもすぐに、自分のその方面の力が欠けているかが分かり、英語を学ぶにあたり、しゃべりだけ、できればいいと考えるのは間違いだと思うようになりました。なんせ、"of course"が1つの単語か2つの単語かさえ、分かっていなかったのですから。で、すぐに反対に、NOVAはなっとらん。と思うようになりました。やっぱり、教師の質が違う。密度が違う。


帰国後
NOVAに復帰しましたが、ずっと不満に思っていました。マネジャーに話もしましたが、基本的なNOVAの方針は変わりませんので。 で、最近考えを改めました。文法の本やNHKラジオ、映画のビデオを使って家でも勉強できる、NOVAは実践の場だと。会話だけは、家で1人ではできませんから。家で勉強して、分からないことを、NOVAの先生に質問したり。(あまり、期待してはいけませんが。)今日もNOVAでおしゃべりして楽しかったわ、またがんばって勉強しようってね。

でもそんなもんに、高い金払うのはどうかってことになりますが、なんせチケットがまだまだ残っているので。
他に、もっといい学校もあるだろうと思いますが、いずれにしても万能な所はないでしょうから、できるだけ自分にあったところを見つけ、後は自分がうまく利用することだと思います。

留学にしても同じですよね。自分がいかに学ぶかが一番大事だと思います。
日本に居ても英語は学べます、でもまとまった時間が取れるのであれば、留学した方がだんぜん効率はよいと思います。週20時間授業を受け、家で復習、宿題をし、日常会話も英語。この環境を日本に居ながら作りだすのは至難の技です。金銭的にも、自己管理上も。
そんな中、日本に居ながら英語を上達させている方は立派だと思います。まっ、できる人ってのは、何やっても、どこでやってもできるんでしょうが。
というわけで、3ヶ月の留学体験を経て、私の英語学習感も、変わりました。

***********

他にも変化があります。
自分の意見を持ち、それを言うようになった、という点です。

先の、苦情めいたことを言うというのもそうですが。日本人はぶつぶつ文句言う割に直接をそれをぶつけない、という傾向があると思います。言わなきゃ改善もありえない訳で。シドニーの学校では、教師に不満があったら言う。クラスがいやなら、他に代えてもらうよう言う。授業料が高けりゃ言う。
これ基本です。

しかも、相手に納得してもらえるよう、うまく言わなけりゃ聞き入れてもらえないので、まずは自分の考えをしっかり持つことが大事で す。もちろん、授業料が高いと言っても、負けてもらえる訳ないですが、相手に不満に思っていると知らせることも大事だと思います。
誤解のないように言っておきますが、単に授業料が高いと文句を言ったわけではなく、出身国により授業料に差をつけていると知り、不公平じゃないかと言ったのです。でも、これも、シドニー在住のいとこに、「それ、学校に文句言ったの?」と当たり前のように聞かれて、初めてあっそうか、言うべきなんだ、っと思った次第です。

あと、学校ではmini debateの授業もありましたし。学校行ってると、ほんと日本人はシャイだと言われるのがよく分かります。
帰国してから、NOVAの先生達にしばしば「今日はKUMIと話ができてよかった、自分の意見を述べられるのはすばらしいことだ。」というようなことを言われるようになり、たぶん、留学経験で自分が少し変わったんだろうなと思っています。もち、十分の思ったことを表現する英語力がアップしたのもありますが、根本の問題はそこではないと思います。

この辺の感覚や、文化的背景なども、やはり日本に居てはなかなか学べないことだと思います。英語を学ぶにつれ、こういったことを身に付けていくのも大事でしょうから。


PS. web pageの英会話雑記帳、先日初めて読ませていただきましたが、目からウロコです。

"How are you going?" 私もこの表現をSELCの先生が授業中に言うのを聞いたことがあり、インターネットで生徒たちが調べものをしている最中に1人1人に言って回ってたので、「調子はどう?うまくいってる?」という意味なんだろうな、とは思っていたのですが、気になっていて、帰国してからNOVAの先生に聞いたのですが、2人に聞いたら2人とも、そんな言い方しない、と言っていました。1人はカリブ系英国人でしたが、もう一人はオーストラリア人だったと思うのですが。やっぱ、言うんですね。限られた人たちの間で使われているのでしょうかね。後に、他の先生に聞くと、そういう言い方もすると言っていました。

"ネタふりの現在完了と、語りの過去形"過去完了や完了進行形も含め、この辺のニュアンスというのは、日本の学校教育ではほとんど教えてもらった記憶がありません。だから、シドニーで、「えーそうだったのー!」と絶叫したことしばしばです。でも、未だに自分の中での使い分けはファジーです。 "ネタふりの現在完了と、語りの過去形"というのも、知りませんでした。でも、実はNOVAのテキストで"A FUNNY THING HAPPENED TO ME"というダイアログで、A funny thing happened to me last Friday. と始まって、次はI'd gone to Chicago to do some shopping. となり、しばらく過去完了が続き、突然過去形になって続くんです。なんで?と思い先生に聞きましたが、過去完了の部分は過去形でもいいわよ。とのことで、私としては釈然としなかったんです。田村さんのコラムを読み、もしかして、過去完了の部分は話の前置き部分、なんでシカゴに行ったのかとか、そのあと予定があってとか。過去形になるところから、具体的にどういうおもしろい出来事が起こったのか、という話になるということでは、と。どうでしょう、この推測?


英語って奥が深いですよね。nativeに聞いても、彼りゃにしたら、何でそんなこと聞かれるのか分からないわ、とか、自然にしゃべってるからなんでなんて考えたこともないわ、って感じのこともあるだろうし、英語生活日本人でないとうまく説明できないことがあると思います。

さらに長くなり、すみません...





田村からのお返事(英語論についてのみ一部抜粋)

> 田村さんのコラムを読み、もしかして、過去完了の部分は話の前置き部分、なんでシカゴに行ったのかとか、そのあと予定があってとか。過去形になるところから、具体的にどういうおもしろい出来事が起こったのか、という話になるということでは、と。どうでしょう、この推測?


僕もそう思います。
多分日本語でいってたら、
「そんでさ、そのときにはスデに○○も送っちゃってたしさ〜、彼女もそのこと全然聞いてないわけだしさ〜、また都合の悪いことに、そういうときに限って上司も休暇中だったりするわけで、もう準備メチャクチャだったわけ。」
みたいな前提事実の説明は過去完了で押さえておいて、
「で、そんな状況のなかで、例の彼がやってきたわけよ。もう、怒ったのなんの」
とその時点での話になるのでしょうね。


ただ、いちいちそこまでネィティブも過去と過去完了をわけてないとは思いますけど。
多分、法廷での証人尋問だったらちゃんとやるでしょうけどね、前後関係ハッキリさせないとまずいですから。

ところで、過去形といえば、
"Do you ?"
で聞くべき現在形の疑問文を、わざわざ
"Did you ?"
で聞いたりしますよね。

僕も最初なんで過去形で聞くのかな?と思ってたのですが、モノの本によると、軽い敬意を表す意味でわざわざ過去形にして聞くときもあるそうです。「なるほど」と思ったりもしました。

ただ、なんとなく曖昧に使ってるだけの場合も多いと思います。日本語でも結構曖昧ですよね。

出掛けに
「ハンカチ持ってる?」
と現在形で聞けばいいのに
「ハンカチ持った?」
と過去形(現在完了か)みたいに聞いたりしますよね。

インドネシア語には時制が無いとかいう話を聞きましたが、時制、時制と気をつかってるといかにも論理必然的に時制が決まってくるような気もしますが、でもね〜、人間が生きていくうえにおいて、時制なんか要らないっちゃ要らないのかもしれませんね。
だって、言うまでもなく、タイムマシンがないんだから、人間なんてどーしよーもなく現在時点にしか存在できないわけですしね。
誰だって過去の出来事の結果として現在にあるわけだし、未来にむけて現在があるわけだし、そのうえで現在時点で喋るしかないんだったら、過去も未来も全部現在になんらかの形でつながってるとは言えるわけですし。

「あ、財布忘れた!」
と叫ぶ場合、
家を出る時点で「財布を持っていくのを忘れる」という過去の出来事があるわけですけど、より大事なのは「今、現在財布を持っていないこと」だと思うのですね。
だから、「あ、財布がない。(しまった、忘れてきた)」というのが正しいのかもしれません。
ほんでもね〜、過去の「忘れる」という行為が、どうしようもなく密接に現在の「持ってない」に関連してるから、ここまで密接だったら、もうどっちでもいいって感じですよね。「忘れた」といえば自動的に「持ってない」ということになるんだから、より特徴的・限定的な「忘れた」だけを叫べば足りるわけだし。
その意味では、僕らは、過去も現在も一体のものとして考えてますよね。

時制っつっても、時間の隔たりが今の自分にとってどういう意味があるかですよね。その意味によって、時間的差を強調したり、どうでもよかったりすることもあるのでしょう。
だもんで、フレキシブルといえばフレキシブルなのですが、いー加減といえばいー加減なのでしょう。

長くなっちゃいました。





高木さんからメール(その2)


> > しかし、NOVAに行くようになり、英語を学ぶ楽しさを知
> > りました。その意味でNOVAには感謝しています。楽しく学べるということは、
> > とても重要なことだと思います。
> ★そのとき感じた英語を学ぶ楽しさってどういうことでしょうか?
> というのは、英会話学校行ってても、やっぱり苦痛でしかないとか、あんまり楽
> しくないって人もいるのですね。
> 高木さんは、どういうところで「楽しさ」を感じたのでしょうか?


私の場合、たまたま、英会話が趣味になったのであって、もしかしたら、他の何かが替わりに趣味になっていたかもしれません。

2年前に会社勤めをやめたのですが、英会話はやめる半年前に始めました。
張り切って始めたものの、仕事の後は家事、週末は主人と時間を過ごすという生活の中で、勉強する時間はなく、楽しむ気分的余裕もありませんでした。退職後3ヶ月間はボーとしていてNOVAもさぼっていました。でも、これ以上間を空けると、オーラルチェックを受け直さないといけない、となってしぶしぶ出かけたのです。

そしたら、おもしろかった。なぜか。
たぶん、何かを楽しむこころの余裕と、たいくつした生活に誰かとおしゃべりするという刺激が、楽しいと思わせたのでしょう。
しかし、その後も楽しいと感じている理由は、“おしゃべり”+“純粋に学ぶ喜び”だと思います。
知らなかったことを知る。できなかったことができるようになる。
誰からも強要されることなく、やりたいと思うからやる。やりたくないときはやらない。
だから、楽しい。

私の人生の中で、常に勉強とは、多かれ少なかれ、何か強いられてやるものだったので、“勉強するのが楽しい”という感覚は新鮮で、幸せなものでした。
こんなふうに思うのは、私だけなんでしょうか?

それに、私は学生時代、英語が大苦手で、特に辞書を引くのが大嫌いで、実際、胸がむかむかしてできない。という有様でした。 学ぶことが楽しくなかったら、とても継続するのはつらいものだし、無理です。当時の私に、現在の私の姿が想像できたでしょうか?

> > でもすぐに、
> > 自分のその方面の力ェ欠けているかが分かり、英語を学ぶにあたり、しゃべり
> > だけ、できればいいと考えるのは間違いだと思うようになりました。
> なんでSELCに入ってから、「いや、文法も大事だわ」という気になったので
> しょうか?
> といいますのは、SELCのようなオーソドックスな学校(大体がそうですが)
> に入ってて、日本と同じように文法やらされて、「文法ばっかりだから実践的で
> はない、役に立たない」という不満を漏らす日本人が後をたちません。
> そういう人に限って文法が出来ず、また英語そのものも出来なかったりするので
> すが、高木さんは、どのような契機で、カシコくも「いや、文法、ナメたらあか
> ん」ということに気づかれたのでしょうか?

たぶん、一般的な日本人は、読み書き文法はできる方々ばかりなので、文法を再学習することに不満を感じるのでしょう。
でも、申し上げたとおり、私は英語できない人だったし、大学出て、10年以上も経ってるので、学習したわずかなことも忘却の彼方だったので。

シドニーに行って、文法上のことで、“目からウロコ”ということはたくさんありましたが、理由は、私がそんな風だったからだけでないと思うのですが。

例えば、will と be going to。 私の中では両者はイコールだったのですが、willと be going toでは大違い(ちょっと大げさ?)と言われ、びっくりしました。私の記憶では、学校で will =be going to と習ったはずなのですが。賢い田村さんの記憶ではどうですか?

他には、完了形とか。Is it raining? No, but the ground in wet. It has been raining. というのを習った時、え?現在完了進行形だから、過去のある時点から現在もまだ、その事象が続いているということではないの?と思いとても驚きました。
やっぱり、こんな風に思うのは一重に私がおバカな学生だったからでしょうか?
こういう驚きを重ね、私が教った文法と実際違うし奥が深い。と思うに至った次第です。

でも、帰国後NOVAの先生に、文法大事だ。とか言ったら、口をそろえて文法なんて。という感じの反応でした。

また、シドニーのNZ人のフラットメイトやいとこに、何年もシドニーに住んでる日本人の友人より私の文法の方がよいと言われ、とても驚いたこともありました。だって、わたしも彼女を知っていますが、だんなはオーストラリア人だし、そちらの大学で学び、今もシドニーで仕事をしているような人ですよ。

もちろん、私には彼女の英会話はパーフェクトに見えていたのに。私なんか、彼女の半分も会話できていないのに。
つまり、文法できても、しゃべれるわけじゃないし、反対に文法がイマイチでも、会話に問題なしなのですよね。
ただ、単語知らないより、知ってた方がいいし、文法できないより、できた方がいいし、第一、知らなかったことを知るのは喜びがいっぱい。
それに、記憶力の悪い私には、単語一個覚えるより、文法は応用がきくから使い慣れれば忘れにくいし便利、と思うのです。


> > で、すぐに反対に、NOVAはなっとらん。と思うようになりました。やっぱり、
> > 教師の質が違う。密度が違う。
> ★そんなに教師の質や密度が違いましたか?どこがどう違いますか?


NOVAの先生達は、基本的に素人だと感じます。本来は、英語を外国人に教えるには、ということを専門的に勉強した人でないと、ちゃんと教えられないと思います。また、経験が豊富であれば、「これは日本人生徒にありがちな発音の問題だけど」とか言って、きめこまかく教えてくれます。

SELCの先生も、皆が皆優秀とは言いませんが、優秀な先生がいることは事実です。
特に、上の方のクラス、そしてgeneralよりEAP、EAPよりcambridgeになるほど先生の質はよいようでした。
NOVAで、上述したような文法をおそわったこと、ありません。また、文法をやったとしても、こまかなことはやりません。例えば、reported speach。NOVAでは、せいぜいHe said the hotel was close to a ski area. He said he likes skiing.ぐらいです。

でも、SELCでは例えば、I asked him if he had finished eating, and advized him to catch a taxi to go to the airport. など、いろんなパターンを習いました。

でも、NOVAの意図するところも分かるのです。つまり、基本的に文法はできているという前提。あくまでも、実践重視、意思疎通が大事。短い時間(1授業たったの40分)で、文法あれこれやるのは無理、それだけで1授業終わってしまう。それより、1つのフォームを使ってしゃべり、それを身につける。NOVAの枠組みの中では、そうするしかないでしょう。

ただ、10人のうち1人か2人でもいいから、“目からウロコ”のような説明ができる人がいてくれると、助かるのですが。
一方、海外留学では週に20時間も授業があるし、会話実践は、授業外でも行われるから、授業で習ったフォームを身につける時間が十分ある。

文法ばっかり、と不満に思う人がいる別の理由は、会話実践時間が足りなくて、文法を使いこなすのが追いついていかないから、文法やるより会話やってよ、と思うのかもしれませんね。

3ヶ月間、完了形、完了進行形、reported speachは延々SELCでやってた感がありますが、それだけ文法的にわかってても、使いこなすのが難しいからだと思います。
特に、しゃべりこなすのは難しいです。とにかく繰り返し使うように心がけ、慣れるよりないと思っています。


> > 帰国してから、NOVAの先生達にしばしば「今日はKUMIと話ができてよかった、
> > 自分の意見を述べられるのはすばらしいことだ。」というようなことを言われ
> > るようになり、たぶん、留学経験で自分が少し変わったんだろうなと思ってい
> > ます。もち、十分の思ったことを表現する英語力がアップしたのもあります
> > が、根本の問題はそこではないと思います。

> これは、いい話ですよね。
> 英語をやるというのは、単に語学ということを越え、その底にある人間関係構築
> /コミュニケーションメソッドの方法を向上(ないし多様化)させるという重要
> な機能もありますよね。
> ★ときに、このようにナチュラルな自己主張、「主張」というほど強いガンガン
> した感じではなく、自己「存在」に近いと思いますが、そのような態度が出来て
> くるに従って、逆に日本で暮らしにくくなったりしませんか?(^^*)
> 例えば、ハッキリものを言うのでビビられるようになったとか、周囲がウジウジ
> してるように見えるようになったとか。まあ、そこまでマンガのようなことでは
> なく、何らかの変化みたいなものはありますでしょうか?


暮らしにくくなった、なんてことは全くありません。英語しゃべっている時は思考回路が英語環境モードになってるのではないかと思います。

第一、日本にいて、日常会話で「君は死刑制度についてどう思う?」なんて、聞かれることないと思いません?だから、「そんなこと考えてみたこともなかったわ。いやあ、なんて答えたらいいか。」と、困ってしまうことになるのではないでしょうか?
また、「賛成なんて言ったら残酷人間みたいだし、他の人はどう思っているのかしら?」と、もしかしたら周囲の反応を気にしたり。

でまた、日本語ってオブラートで包んだような表現がいっぱいあって、それをそのまま、英語で表現しようとすると難しいのでは。

また、NOVAの先生も日本人生徒の習性は心得てるし、1対1のレッスン以外では突っ込んで聞いてくることはあまりありません。 でも、ある時、私がオーストラリアに行く前でしたが、生徒が5人ほどいたとき、先生が「神戸空港建設についてどう思うか」と尋ねたことがあり、まさに私は「そんなこと考えてみたこともなかったなあ。」とビックリしました。他の生徒もまごまごしていました。

次に「何か主張のためにデモをすることについてどう思うか」と聞かれ、同じことを思いました。

例えば、隣の奥さんとしゃべってて、「お生まれになった新宮様のお名前が、愛子様に決まったそうね。」と話したとして、「で、あなたは女性の天皇制に賛成なの?私は賛成よ。」なんて、会話にはならないですよね、普段。

なったとしたら、「女性の天皇も認められるようになるかもしれないっていってるわね。女性の時代ですもの、ありえるわよね。」と、婉曲表現になることでしょう。長くなりましたが、以上経験的所感です。このように、田村さんと意見交換ができて幸せです。







 突っ込んだお話が出来て、僕も幸せです(^^*)。
 ありがとうございました!
 これからも頑張ってくださいね!






 以上の非常に貴重な所見をお書きいただいてからUPするまで半年が経過しました。遅れたのはヒトエに私田村の忙しさにかまけていた責任です。申し訳ない。さて、今回いよいよUPのための編集をする際に、高木さんに最終チェックをお願いしましたところ、最新の所感として書いてこられたのが以下の部分です。これまた貴重な所見ですし、着実に前進し認識を深めておられる様子が窺われます。三日会わざれば刮目して見るべし、ですね。






高木さんの最新所感


さて、今も、英語の勉強は続けておりますが、この頃は、国民性や文化の違いについて、いろいろと考えるようになってきました。同じ英語を話す人達といっても、アメリカ人、イギリス人、ニュージーランド人などなど様々で、各々違いがあると感じるようになってきたからです。もちろんアメリカ人という「くくり」すら、大雑把なのですが。

前回、私にとって英語が楽しい理由は、“おしゃべり”+“純粋に学ぶ喜び”だと書きましたが、“異文化を知る”というのも加わった気がします。言葉が通じなくても心の交流はできると申しますが、言葉の理解が深い方が、よりお互いを知り合えるのは事実だと思います。何よりも、文化と言葉は密接に関係していて、言葉自体が文化の一部なのですから。

単に、言葉が通じるから、相手の言わんとすることがよく理解できる、という単純な問題だけではないと思います。
関連して、英語力や文化的背景等の理解が不足しているために、相手を傷つけてしまっているのではと、気になります。自分の言いたいことを、英語に訳してしゃべれればいい、というものではないと痛感しています。

シドニー滞在で得たのは、語学力や海外滞在経験だけではありません。向こうで知り合った友人が日本に遊びに来て、彼らの目を通して日本を再発見したり、友人を通してまた別の友人ができたりして、日本に居ながらinternationalな雰囲気です。そんなわけでますます、異文化への興味が深まっています。

また最近、“発音が大事”ということにも目覚めました。読み書き会話、何よりも発音が大事という考え方です。正しい発音ができなければ、100%の聞き取りはできないというのです。また、正しい発音ができれば他のskill upがだんぜん楽になる、というのです。こういうことを書いてあるWebPagesに書いている人が何人かおられます。それを見て、私も「あっ!」と思い当たることが多々あり、発音の練習を始めました。


あと、以前、「意見をはっきり言っても、暮しづらいことは全然ない。」と申し上げましたが、今は、やっぱり暮しづらいと思っています。
理由のひとつは、対外国人にたいしては、前述の文化の違いによる誤解の発生の懸念と、英会話教室などでは、いくら英語でしゃべっていても、まわりの人は先生以外日本人ですから、英語でしゃべってても、ほとんどの人は当然、日本人モードでしゃべってますから。

帰国してから、1年半が経ちましたが、今も英語の勉強は続けておりますし、あの時よりもまた上達してると思います。でも、留学3ヶ月間の上達を、日本での上達と比較すると、日本での1年分に丁度相当するくらいではないかと思います。密度が濃い分、上達のスピードが違いますね。





 ありがとうございました!



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