下薗さんの留学体験




下薗さんは、2003年7月から約3ヶ月間シドニーのSpecialy Language Centreという学校に、5歳になる双子のお子さんのを連れて語学留学されました。

「成功する留学」にも体験記をお書きになっておられるようで、目にされた方もおられるかと思います。ここでは字数制限のないHPで、下園さんの率直な心情が綴られているメールを出来るだけ編集しないで、また僕の方からもゴチャゴチャ余計なコメントをつけないで、そのまんま掲載いたします。最後になるにつれどんどん心に響いていく、本当にいいメールですので、そのナチュラルさを出来るだけスポイルしないように、と。





下薗さんからメール(その1)



田村さん
こんにちは。
覚えていらっしゃいますか?
昨年7月〜10月に子どもと一緒に留学した下薗です。

その節は大変お世話になりありがとうございました。
お風呂に入れていただきにいきます〜といいながら、お邪魔できずじまいでした。

もっと早くにメールを差し上げるべきでしたが、日本に戻った当初は身辺整理をしたり元の生活に戻すのに数ヶ月かかりました。日常に戻るとそれはそれで、一日一日があっと言う間に過ぎてしまって。田村さんには何度かメイルを書きかけては保存し・・・が何度も続いてあれよあれよという間に8ヶ月が過ぎてしまいました。ごめんなさい。





Sydneyでの生活は私にとって本当の意味で躍動感のある充実したものでした。
しんどかったのは事実ですが、それ以上に楽しい事のほうが多かったです。


朝5時半過ぎには起きて、子供達を起こしシリアルの朝食を摂らせ、7時過ぎのChatswood行きのバスに乗り込み、駅からTownhallまで電車。そして駅を駆け上がって、George St.からBlackfriars Children Care Centreまで再度バスに乗り、保育園 に子ども達を送って行き、そして早足でSLCへ。学校に着くとまもなく先生が教室に入ってきて授業の始まり。

毎朝「調子はどうだ?」と訊ねる先生に「眠い」「疲れた」というのが私の決まり文句。
午前・午後の授業を終えてから、学校のPCで日本の友達からのメイルチェック。
そして行きと反対のルートでステイ先まで帰る。

夕食までの小一時間は、台所でホストと話をしながら邪魔にならない程度の夕食の手伝い。
食事は1時間強を要したので、3人でシャワーを浴びるのは9時過ぎ。10分で水・・・。辛い。

子ども達がベッドに入った後に、やっと自分の時間。宿題と復習。
そんなわけで睡眠時間は4時間半から5時間。
Artarmonでステイしていた6週間、毎日がそんな生活でした。


さすがの私も一杯一杯になってCityのホテルに移りましたが、真実感激したのがお風呂でした。
6週間もの間、お風呂に入らなかったのは生まれてこのかたありませんでしたから、3人でキャッ!キャ!言いながらバスタブにお湯を張ってつかりました。”しあわせ〜”っていいながら。最高でした・・。
Cityに移ってから。どっちかというと私は郊外で暮らすより、ある程度便利なところで暮らすほうが性にあっているのだと再認識しました。

土曜・日曜には、学校の前やChinatownのそこここで、楽器を手にした人が歌を歌ったり演奏をしたり。食事は簡単だけれど食べたい食材をマーケットで買って調理。ま、たまにはフードコートで買ってきたりもしましたがね。
週末にはManlyやBondai、Fish Marketに出かけたりもしました。
何より、朝起きるのが1時間ほどゆっくり出来たのがうれしかったかな。





肝心の授業のほうは最初は”こんなもんなんだ”と思っていたのが、2週間目終わるくらいから”あれ?判らない!”に変わって落ち込んだこと。それを乗り切ると、今度は又少しずつ理判り始めて、”もっと勉強したい”という思いに変わって・・・。

もう少し資金に余裕があったら、ビザを書き換えて勉強したかったのですが。
一人で留学していたらどうにかなったと思うのです。でも、私が学校をもっと延長するには、子ども達も保育園の延長をしないといけない。なので、せっかく”英語を勉強するのが楽しくなってきた”時に終えてしまわなければならなかったことは、やは り心残りで仕方ありませんでした。





9月24日にはSydneyからGold Coastへと移りました。
日本での夏休みを返上しての留学でしたから、子ども達へのごほうびでした。
国内線で空港に降り立った印象は”あったか〜い”
でも、これが雨が続くわ寒いわで海で泳ぐことは出来なかったんです。波も高かったですしね。
Sydney出発の3日前に取れたバケーションレンタルも、ビーチへは子どもの足で30分近く。
周りにはバックパッカー用の宿なんかがあるだけで、買い物に行くにもビーチに行くにも大変でした。疲れてなんにもしないで部屋にいた日が何日かありました。せっかく楽しみにきたのに、部屋で閉じこもり。妙にプンプン・・・子どもたちにもあ たったりしました。

それでも、Sydneyでの冬を過ごした後の子ども達は、「うみ、いきたい!」「プール入りたい」。
ビーチに出ても波は高いし寒い・・なら宿のプールで。これが、又冷たくて、とても私は入る気がしませんでしたから、その横にあるジャグジーで温泉気分。面白いことに、今まで泳げなかった二人でしたが1人はコツを覚えたのかプカ〜と体を浮かせ て数メートル泳げるようになっちゃいました。収穫、収穫!


又、私が是非子ども達に体験させたかった乗馬を申し込んだ日は、一日中晴天でした。私の心配をよそに、小さい体を馬の背にまたがらせて、一人前に落ちることもなく乗りこなした二人に感激!凄い凄い!私が始めて乗馬をしたのは33歳だった。君達はまだ5才なのに、やるやん!



そんなGold Coastを後に10月5日にBrisbaneへ。
長かったオーストラリアも終盤です。
観光がてらに市内を歩いたり、人口ビーチでは水着をもっていなかったばかりに二人ともパンツ一枚になってはしゃいだりしました。

ここでも、何か思い出になることを・・と考えて、電車に揺られながら”Australian Woolshed”に行きました。羊の毛刈りをみたり牛の乳絞りを体験したり。でも、二人はあまり興味を示されなかったですね。残念でした。

最後の一日はショッピングセンターで買い物をして、ゲームをして・・・。二人ともチープな気に入りの人形を買いました。
沖縄の基地から来ていたネイビーに声をかけられて談話。日本人らしきちっちゃいおばちゃんが双子をつれて歩いてるのが珍しくうつったのかも知れません。又、彼自身に彼の子どもを思い出させたのでしょう。しきりに「かわいいね〜」と言ってくださって。時間がくると映画館に入って行かれました。

10月8日、Brisbane空港から日本へと戻りました。






色んなこと、大変だったことも一杯ありましたが、私は”生きてる”って実感をSydneyで味わいました。

そして、学校で出会ったタイや韓国の友達、言葉の壁も年齢の壁も越えた友人が出来たこと。
学校の始まる前の一週間、怖いもの知らずでバスやフェリーに乗ったり、又道を聞いたり、不動産にアパート探しに行き、現地まで電車で物件を見に行ったり、その帰りに見つけたネットカフェで始めてパソコンをさわったり。

今考えるとちょっと無謀だなと思ってしまうことが、Sydneyの躍動感に包まれてやってしまった自分がおかしくも感じます。こうしようだとか考えもしないのに勝手に行動した、出来た自分が不思議です。でも、どこにいてもなんでも出来るものだと思いました。

生きてるって本当に感じました。だからこそ、私自身IKIIKI/RUNRUNとしていたと思います。(写真を見ると顔つきが違うんです。)


日本に戻って、日常の生活。何だか物足りていません。
これって、贅沢な話かもしれませんね。
でも、やりたいことをやっているのではなく、やらないといけないことばかりのような気がして。きっと何もしなくても”守られている”からそう思うのかも知れませんね。
何か、自分でも何が言いたいのか良くわからないんですけど。

田村さんは、10月に日本にお戻りだったんですね。
久しぶりにHP見させてもらいました。4年ぶりだとか。
そうですね、私もオーストラリアから3ヶ月ぶりに日本に帰ったときに感じたのは”うっ!息苦しい”でした。湿気をこんなに感じたのはやはり乾いた地から戻ったからでしょうか。もう40年以上もここで暮らしていますが、どうもこの感覚は苦手です。
HPの方は、まだ隅から隅まで見ていないのですが、少しずつ拝見させていただきます。





学校を終えたときに「成功する留学」の学校アンケートをDuke(注:デューク井原さん、スペシャリティという学校のスタッフ)に頼まれて出しました。
その絡みから「日豪プレス」の取材を受けて9月号だったか10月号だったかに載せていただきました。プレスさんから送られてくる前に、韓国の友達が見つけてくれて”記念にとっときなよ”ってきり抜きを送ってくれました。

そして今度は、今年始めに「成功する留学」編集部からメイルで原稿の依頼を受けました。
締め切りまで数日しかなかったんですが、やってみようと思って投稿してみました。
何度か、写真や原稿の件でメイルを交わした後、”掲載予定”になっていましたが、先月出版社から「成功する留学オーストラリア・NZ編」が送られてきました。
中を見てみましたら、予定通り私の原稿が掲載されていました。
もし、お時間があって本屋さんに立ち寄られることがありましたら立ち読みしてみてくださいね。


今年は子どもが小学校に入って、何だかんだと忙しくしています。が、出来れば早く仕事をしたいと思っています。
次は何時行けるか判りませんけど、又子ども達を連れて勉強をしに行きたいと思っています。
・・・でも、次回は3ヶ月じゃもったいないから、6ヶ月から1年をメドに。
さあ・・・何年後になるのか・・・。頑張ってお金貯めます。
そうそう、今日は台風6号がやってきています。
21/06/04 mai







下薗さんからメール(その2)

田村さん
メイルありがとうございました。
奥様はお元気ですか?もう一度お会いしておしゃべりしたかったです。
それから、ゆうこさん。彼女はまだ世界一周の旅の途中なんでしょうね。メイルとか交わされてたら、「覚えてますか〜???」って伝えてください。

湯たんぽ、買いに連れて行ってもらいましたね。
ベトナム料理のお店も教えてもらいましたね。もう、何をオーダーしたのか覚えていませんがおいしかったですよ。
何だか今思うと、皆に助けてもらったんだな〜って・・・
おかしいけれど、なんか涙が出てきています。

それから、ホストマザーが出かけたきり帰ってこなくて子ども達の「おなかすいた〜」に困り果てて、HELPの電話もさせてもらいました。あの後出かける支度をして、まさに出かけようって時に彼女が帰ってきて・・・始めて思ったことをぶちまけました。しきりに”I'm sorry”と言う彼女に折れ、持ち帰ったパーティでの料理をいただきました。

あれから1年、湯たんぽが活躍する季節ですね。
あの湯たんぽは結局Sydneyでは使わなかったんです。
なんか、ステイ先の人に遠慮があって。
何をするにしても、一言声をかけないといけない。・・それなら買ったほうが早いとばかりに購入したものの・・・

Cityに移る準備をしているときに、ホストマザーが見つけて「これ、買ったの?家にもあったのに。」って。
気を使いすぎるのもかえって駄目なんだなって思いました。
日本人は(私も特にそうだけど)、遠慮してなかなか思ったことを人に伝えないように思います。でも、言わなければ相手に通じないんですよね。言ってみてどう転ぶかは、やってみないとわからないのが本当のところなんですね。

これって学校にいたときもそう感じました。
日本人は間違いを怖がって自分から発言するのが苦手のようでした。(私も最初はそうだった。)
でも、韓国やタイ・インドネシア・バングラデッシュの人達って、うるさいよ〜って思うくらい会話に参加していましたよ。英語を勉強しに来たのだから、会話しないと間違いも判らない。例え、間違いだらけでも平気なんです。

それと、私が感じたのは他国からやってきている学生は、バイトをしながらでも半年以上の長期に渡って、英語を勉強している人が多かったのですが、私のいた7月〜9月においては短い人で1週間から長い人で3ヶ月。ほかのクラスの人でもう少し長いこといた人がいたように思いますが相対的に短めでした。これって、私の場合も含め”英語の勉強をする”っていう点では無理ですね。短すぎます。

始めの3ヶ月は忘れかけていた”英語”を思い出す期間のように思いました。(私が年をとっていたからそう思ったのかも知れないですけれど。)
そしてその頃からやっと”英語の勉強”が始まるように思います。


それと、日本人はやっぱり日本人同士が固まって日本語で話をして、授業が終わると買い物や観光に出かけてしまう若い人も何人もいましたね。「留学業者に、せっかく勉強しに行くんだから外国の友達を作ったほうがいいですよって言われたけど、ど うせすぐ帰るんだし・・やっぱ、日本人同士のほうが話もできるしね」って子達もいたように思います。

私なんて、そんな言葉を聞いた時には”お金もったいないよ〜”って気になりましたけど。

ある意味では、それはそれで羨ましかったのも否めませんけれど!
だって子どもと一緒だと、学校が終わってから買い物やバーに行ったり観光なんて出来ませんから。
それに費用だって三人いればそれなりにかかっちゃうわけですしね。
もし、私が若い頃に留学をしていたら、やっぱりみんなと同じように楽しんだんでしょうね。(笑)

若いって素敵なことですものね。今だからそう思えるしそう言える。
でも私は今回、子どもと一緒でよかったなって思います。私は子どもと一緒に3ヶ月間を存分に楽しみました。

学校ではタイと韓国の友達がとてもよくしてくれたんです。
相談に乗ってくれたり、お昼を一緒に誘ってくれたり。私一人じゃあそこらへんの食事は多すぎましたから、シェアしてくれる子がいたのは、助かりました。
タイから来ていた20代のカップルが食事に誘ってくれたり、日本に送る荷物も何度かに分けて郵便局に持っていくのを手伝ってくれたり。他には私たちがGold Coastに移る前に、やはりタイの20歳の女の子が自宅に母国料理を作ってくれて、 招待してくれたり。

そして又,別の女の子がタイ料理のお店で、私たち三人を招いてくれてお別れ会をしてくれたり。すてきなプレゼントをくれたタイの友達も何人かいました。
韓国の女の子は、お土産にと韓国のコインと韓国ノリ、こころのこもった手紙をそえてくれました。
子どもを連れているにもかかわらず仲良くしてくれて、みんな私にとって、精神的な支え・心の支えとなってくれました。

日本人の方では、日豪の小林さんがシドニー最後の夜に、私たちだけではとうてい行けなかったレストランに連れて行ってくれました。
保育所で知り合ったお母さんは自宅に呼んでくださって、お子ちゃまが誕生日会に呼ばれている間に、ビーチにどう?って。おこちゃまを降ろされたボーリング場で、うちの子どもたちが「やりたい!」と言い出して、ボーリングデビュー。そのあと DeeWhyBeachに連れて行ってくれました。

又、一番忘れてはならない田村さんには、昨年の3月頃よりPC上で、そしてSydneyでも本当にお世話になりました。
見ず知らずの私に尽力くださってほんとうにありがとうございました。


思い出すと色んなことがありましたよ。色んな人に会いましたよ。
バスの運転手を見て「おっ!かっこいい」って思ったり、不動産屋さんの親切だった年配のご夫婦、キリビリのロッジを訊ねて歩いたこと。1ヶ月いたCityのアパートではフロントの方とも顔見知りに。又、何度もランドリーで会って話をしたハウスキーパーのネパールから来ていた大学生。

Gold Coastのアコモの、一見イカツクてこわそうなおにいちゃんも色々と教えてくれました。
Brisbaneのホテルのおっちゃん、チェックアウト時の精算時に「これおかしい!」って言ったらちゃんと調べてくれて「気をつけて帰りなさいよ」って。(PhoneCall Card使ったのに電話代がチャージされていた)
*実はSydneyのときもそうだったけど、その時点では私もあやふやでそのまま払っちゃったんです。何のためにカード買ったのか・・・・。(苦笑)

おっちゃんいわく、コンピューターがカードを認識しないで、通常の電話代としてチャージしてしまってたそうです。Sydneyでは、かなり電話かけていたんで何十ドルも払っちゃったように覚えています。もったいな〜っ!


私は2003年夏、たくさんの人に出会ってたくさんの人の愛をもらったように思います。
「人」が好きす。「人」が好きになりました。Sydneyが好きになりました。

空港に着いた朝、Dukeが見つからなくてうろうろ・・・不安だったのもいい思い出。
車に乗った彼が教えてくれた言葉、「この国は、皆が幸せなんです。皆が笑って生活出来ます。」って言葉。
これがSydneyを出る時に「本当だった!」って思いました。


実は私は日本にいると、息が詰まりそうになることがあります。うまくいえないのです・・・きっと、わがままなんだと思うんですが”私は私”ってところがあるからかもしれません。例えば100人の人が、同じ答え(考え)を持っているってことってないと思うんですが、そのうちの一人(私)がみんなと違う答えを出したら・・・やっぱり”あの人はちょっと違うよ、変わってるよ”みたいに思われがち、又そう言われる。そんなところが窮屈なのかも知れません。

学校で知り合った友達とは、今でもメイルを交わしています。6人は国に帰って、2人がSydneyに残っています。
韓国の彼女も又、勉学を続けています。
一番親身になってくれた前述のタイのカップルは、3月に帰国して新しい仕事を始めたばかり。来年あたり結婚するそうで「結婚式には来て!」といってくれてて・・・冗談でも嬉しいなって思います。

本当にみんなありがとうって今でも感謝しています。
願わくばもう一度みんなに会いたいなって。


けして嫌なことがなかったわけではないんです。文句言ってたって始まらない。
与えられた情況の中で自分がどうやって行動(生きる)するか、出来るかなんだと思います。私の場合は嫌なこと・しんどかったことなんて忘れてしまえるほど、私の生きてきた中で、一番素敵な・最高の3ヶ月だったって言えるのです。
ほんとうにほんとうにありがとう。

ありがと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!

って叫びたい気持ちで一杯なんです。変でしょ。


本当に皆さんに支えてもらって、私の留学が成功したんだと思います。
わがままを許してくれた主人にも、勿論感謝しているしだいです。

では・・・
27/06/04 mai




★→語学学校研究のトップに戻る
★→ワーホリの部屋のコンテンツものぞいてみる
★→語学学校/無料一括パック現地サポートを見てみる
→APLaCの総合トップに戻る

APLaC/Sydney(シドニー多元生活文化研究会)


4/180 Bridge Rd, Glebe, NSW 2037 Australia
TEL : +61-466-980-743

APLaC(アプラック)は、オーストラリア現地(シドニー)に拠点を構えて、移住・留学・ワーキングホリデー等についての現地情報・無料相談・学校紹介を行っているエージェントです。
tamura@aplac.net




禁無断転載/(但しリンクはフリーにどうぞ!)
Copyright 1996- APLAC.
No reproduction or republication unless Copyright law allows.