スクラップブック(その9)
Marginal Men / 片隅に追いやられる男たち
Sydney Morning Herald紙、98年10月10日付特集記事を適宜翻訳したものです。
リストラによる男性の大量失業の行き着く先は、孤独な男性とシングルマザーの急増を生み、さらなる悪循環をもたらす。それは失業が増加している日本の近未来の姿かもしれない。かなり救いのない暗いレポートですが、目をそむけるわけにはいかないでしょう。既にもう始まっているのですから。(原文はSMH紙のサイトのここにあります)。
They have no jobs, no money, no status -- and no women. Bettina Ardent examines new reserch that reveals a growing underclass of males with little choice but to face life alone.
−その男達には、仕事も、金も、ステイタスもない。そして、愛すべき女性も。
いまオーストラリアでは、人生の孤独に苛まれている男性が増加している。その傾向を明らかにしたレポートをベティーナ・アーデント記者が検証する。
Mark Peelは、アデレードにあるエリザベスという町を思い出していた。そこは、労働者階級の多いやや荒っぽい町で、彼はそこで少年時代を過ごしていたのだ。モナシュ大学に歴史学者になった彼は、数年前に、あの労働者の町がどのように変化したのかを探るため再び訪れた。彼の指揮のもと、数ヶ月に及ぶ対面調査が行われた。それはエリザベスだけではなく、メルボルンのブロードミィードゥ、ブリスベンのイナーラ、シドニーのマウント・ドリットなど同じような特徴を持つ町でもおこなれた。
彼が各町に足を踏み入れるたびに、なにやら妙な感覚にとらわれた。
「より貧しいエリアを車で通り抜けるとしよう。するとこんな感覚に襲われるんだ。”いったい男達はどこにいるんだ?”。ストリートもショッピングセンターも、女や子供ばっかりなんだ。男達は、家に閉じ篭っていて仕事が見つかるのを待ってるんだ」。
これらのサバーブは、住宅開発用空地が散在する集落であり、成人男子の失業率は30%、40%、ときとして60% に達することもある。失業により一家の柱としての役割を奪われた男達は、家庭のなかで自分の立場を維持するのもつらそうだ。しかし、Peelが見たのはそういった男達だけではない。もっと辛い立場、社会の辺境に追いやられ崖っぷちに立たされている男たちもいたのだ。
『32歳になってもまだ母親と一緒に暮しているという男性もいる(注:18歳の成人あたりを境に親許か独立して暮らすのが伝統的なオーストラリアでは、珍しいケース)。資産もないし、職もない、どこにも行くところがないんだ。若い男性のなかでは、将来を絶望して自殺する者もいる。見落としてはいけないことは、あまりの就職難のために、彼らが一人前の男や家庭人になるチャンスを与えられないことなんだ。いま多くの若い男性は、自分が何者にもなり得ずにその一生を終える。だってどこにも行くところはないし、入っていく入り口も用意されてないんだ。』
Mark Peelは、これらの「締め出された男たち」の存在を発見した。家庭生活からも、落ち着いた人間関係、結婚から疎外されてしまった彼ら。この身も蓋もない残酷な事実。金のない男は、アウトサイダーとしての終身刑を宣告されてしまうのだ。
こういった男達は非常な勢い増えてきている。モナシュ大学にある人口・都市調査センターのBob Birrell博士は、近々 "Not so perfect match"と題するレポートを発表する予定である。それは、国勢調査などデーターの分析によって、オーストラリアの結婚(※注)事情の劇的なまでの変動を明らかにしたものだ。
(※注)事実婚を広く認めているオーストラリアにおける原文では、"marrige""single"という言葉よりも、事実上誰もパートナーがいない状態を示して"partnered" "unattached"という言葉を多く使っています。日本語ではこのあたりを的確に意味する言葉が少ないので、適当に訳さざるを得ませんでした)。
彼のレポートは、1986年から96年までの10年間で、単身男性の数が増加していることをまず指摘している。この10年で、これら一人身の男性の割合は、30-34歳の場合は29%から37%に上昇し、35歳−39歳では21%から29%に増えている。
30代のはじめ−伝統的には男は家庭を築きはじめる頃だが−、現在、その年代で結婚しているの男性は実に半分しかいないのである。De Facto(事実婚)もせいぜい10%程度だ。そして40代男性のおよそ4人にひとりは、パートナーがいない。
大雑把にいって、より貧しい男性の方が相手に恵まれない。Birrell博士のレポートによれば、96年に、年収1万5600ドル以下の30−34歳の男性のなかで結婚しているのは僅か半数である。ところが年収5万2000ドル以上の男性の場合、婚姻率は76%にまで跳ね上がる。年齢があがるにつれ、このギャップはますます激しくなる。40-44歳男性の場合、前述の貧困層の65%は一人暮らしのままであるが、逆に同じ年代の裕福な層は87%が相手を見つけているのだ。
いま我々は何も特殊な人々のことを話題にしているのではない。我々の殆ど大部分がこれらの変化に見舞われているのだ。なぜなら、96年度における25-44歳男性のうち年収1万5600ドル以下(前述の貧困層)というのは、全体の20%にも達するのだ。数にして約50万人である(注:人口1800万弱のオーストラリアの50万人だから、人口1億2500万の日本の場合には350万人に相当する勘定になる)。
これらの男性は、最近のオーストラリアの男性の就職事情の悪化−10年間で7%も男性(フルタイム)就業者数が減少している−によって甚大な影響を被っている。なんと30代男性のうち、30%もの人がフルタイムの職に就けないでいるのだ。これらの事情によって男性が一家の柱たりえないことが、彼らがしっかりした家族関係を築けない原因になっているのだ。
Birrell博士によると、フルタイムで就職できている男性は、パートタイムやカジュアルワークしか見つけられない男性よりも、はるかに伴侶を見つけやすい傾向があるいう。
男性の就職とパートナーに恵まれることの相関関係だが、マネージャー(部課長職くらいの意味)のような高いステイタスにある男性は、そうでない男性に比べ、遥かに結婚(ないし事実婚)の相手をみつけやすい。すなわち、96年では35-39歳男性のマネージャーの成婚率は82%に達するが、これが同じ年齢層の失業者になると54%、単純労働職だと66%にまで低下する。
男性人口の広汎な部分に見られるこれらの強烈なトレンドは、就職難にあえぐ地域の男たちにとっては半ば常識化しつつある。メルボルンの困窮家庭救済基金の創立者であるJhon Emblingは、もう30年にもわたって、低所得家庭相手に稼動している。かなり以前から、彼はこれらの「パートナーに恵まれない男たち」のグループが拡大している傾向に気付いていた。彼は、こういった男たちを社会の周辺を浮遊する”漂流者”と呼ぶ。
Embling氏は言う、『80年代から、私はこういった人々が増えてきていることを感じてきました。これはもはや無視できない厳然たる事実として捉えられねばなりません。彼らは巡回牧師のようにいろいろな所に流れていきます。例えば、幾晩か泊めてくれるのではないかとの希望をもとに昔のガールフレンドの所を訪ねにいったり、母親のところに戻ったり。彼らは安アパートや、キャラバンパークや、寄宿舎などを行ったり来りしています。多くの者は、最後には病的な性格や精神に破綻を来したり、あるいは重度の中毒患者になります。誰も彼らを必要としませんし、またどう付き合ったらいいのか分かりません。』
Birrell博士のレポートによると、低所得男性のかなりの部分が、最終的には両親との同居形態に落ち着く。30-34歳の低所得男性の15%が未だに両親とともに暮している。
いったい何が進行しているのだろうか?
Birrell博士は、これらの男性の窮状を「資源理論」ということで説明しようとする。要するに、女性を魅き付け、サポートしうるだけの「資源」を持っていないから、人間関係を形成、維持することが出来ないのだということである。
また、Birrell博士は、アメリカにおける多数の文献が、黒人男性がどんどん家庭生活から締め出されている状況について触れているという。この場合、黒人の子供達は母子家庭で生育することになる。多くのアメリカの評論家は、このトレンドを形成している重要なファクターの一つとして、黒人男性の劣悪な経済的地位と低収入、その結果として再婚しないシングルマザーの元で育つ子供という状況を挙げている。
Birrellレポートによれば、オーストラリアにおいてもアメリカと同じような状況が出現しているのであるが、この趨勢が社会コストにもたらす影響は多大である。男性の精神健康や身体への被害はつとに知られているが、Birrell博士は、さらにこういった一人身の男性とシングルマザーの増加が、国の福祉予算に大きな負担になっていくことを指摘している。
問題をさらに厄介にしているのは、離婚した父親から子供の養育費を徴収することが、その多くが彼自身貧困のため、ほぼ不可能であるという事実である。
Birrell博士は、『財界におけるリストラによって男性の多くは職を失い傷つきました。問題はそこに留まらず、今そのツケが廻りまわって我々社会全体に覆い被さってきつつあるのです。経済環境による男性の失業と、シングルマザーの増加とは、強いコネクションで結ばれているのです。』
いま、オーストラリアでこのような困窮している男性を探し出すのは決して難しいことではないが、彼らにそのことを語らせるのは難しい。ここに40歳の男性がいる。仮にジェームスと呼ことにしよう − 仮名にするのは彼の希望である。彼は長い間のパートタイム生活を抜け出してやっとキチンとした仕事を得ることに成功したのだが、名前(+自分がかつて仕事につけなかったこと)を公にすることで、これまでの苦労が水の泡になることを恐れているのだ。
ジェームスによれば、彼の「資源」不足とパートナーに恵まれなかったこととの関係は非常に明瞭だと言う。『僕にほのかな好意を寄せてくれる女性が現れるとするだろ?でも、いったん僕が失業中であることや、どこに住んでいるかを知ってしまったら、もうそれで終っちゃうんだよ。それ以上知りたがらなくなる』。彼は今、マリックビルの安アパートの一室に住んでいる。その部屋は本当に質素なものだが、それでもこれまで彼が住んできた所よりはマシだ。彼は一時実家に戻ったことがあるが、彼の母親は、失業中の彼をどう扱っていいのかわからず困惑した。しかたなく彼は今のところに住み、しっかりした人生設計をするべくいろいろ努力した。
しかし、彼は自分の家を他の女性に知られることについては非常に用心深かった。『女の人は誰もここには連れてこないんだ。どこに住んでるの?と聞かれたら、いつも嘘を言うことにしているんだ』。
ジェームスは素晴らしい出会いをいたずらに夢想してきたわけではない。独身暮らしが長いといっても、それでもいくつかのほのかな恋愛、また20代には一時同棲していたこともある。そのとき彼女は大学生で、彼は失業中だったが、彼はいろいろな政治問題に関心があったし活動的でもあった。そのときは万事それでうまくいっていたのだが、彼女が卒業するのと同時に、あっさり終わってしまった。それからの10年は、「女性が何に興味を示さないか」を学ぶための期間のようなものだった。この間、彼が女性達から教わったことは何だったのか? ジェームスは言う。『もし僕が女性で素敵な彼が欲しいと思ったとするなら、ルックスなんかそんなに重要な問題じゃないんだ。車を持ってるかとか、いい服を着ているか、要するに金を持ってるかなんだよ。女性が結局金持ちの男になびいていってしまうというのは、いくら否定したくたって否定しきれないんだよ。自分の力で何でも好きなことが出来るという女性なら別かもしれないけど、多くの女性はそうじゃない。そういう女性にとって、人生を少しでも自分の思い通りにしようと思えば、それが出来る力を持ってる男に乗っかりたくなったって不思議じゃないだろ。』
今、ジェームスは、それなりの社会的ポジションにまで到達しつつあるのだが、将来のパートナー探しに関しては決して楽天的ではない。『知らないうちに僕はどこかで何かを諦めちゃったのかもしれない。僕はもう昔みたいに自信が持てないんだよ』。
Paul Whyteは、よく失業ないし低所得の男性を相手にするシドニーのカウンセラーだ。
彼もまた、彼らの社会的孤立感をよく知っている。『こういった人達のなかには、しばしば絶望感や無力感に苛まれている人が多いです。彼らは自分の経済的地位をそのまま内面化してしまうところがあります。女性に関していえば、女性はこういった男性に冷たいですよね。ハッキリ言ってしまえば、しみったれで、強欲で、役たたず、’お断りよ!’てな感じですよ。』
ポールは、彼らに少しでも自信を回復してもらおうと試みるうちに、どんどんとその原因へと遡上していった。彼らは、女性が彼らをどう見てるかということを敏感過ぎるのだ。『女性が彼らのことをいかがわしげにジロジロ見るような、そういった侮蔑的な態度で彼らはこれまで扱われてきているのです。そういった態度は、あたかも”あなたは男失格よ。それも全部あなたがダメだからよ”と言われているかのように感じられ、彼らのハートを傷つけるのです』。
そしてこれは、冒頭で紹介した、労働者階級の各サバーブで生じている経時的変化を分析したMark Peelのレポートのなかにも指摘されている。これらの町に住む男たちは、通例最も伝統的なタイプの男性である。”男というのは強く逞しく、妻子を養うべし”といったタイプである。Peelは言う、『それが、まあ、庶民の男を男たらしめてる部分でもあります。男は外で稼いで、お金を家にもってくる、と。働くことは、彼らにとって人生のカナメであるのです。』
このようなカルチャーを念頭におけば、失業するとかまともな職に就けないということが、彼らの心にいかにハードな影響を与えるか想像できるだろう。そして、多くの福祉ワーカーが指摘するように、この心理的影響というのは、怒りや鬱状態になって現れ、しまいには嗜癖症や自殺にまで至ったりする。
南オーストラリア州のMount Gambierから来たMargana Smith(22歳)は、『彼らはあらゆる感情を詰め込んだバスケットのようなものだったわ』と言う。スミスは失業中の彼とつきあっていたのだが、やがてどうにもならなくなってしまったという。『彼らは、ありとあらゆるゴミのような感情をぶちまけるのよ。彼自身、処理しきれないほどの問題を抱えているから、どうしたって感情的にもなるし、私に過剰に依存してくるようになるわ』。
ところで、女性たちにはどうなっているのだろうか。つまり、それだけ多くの男達が一人身でいるとするなら、それだけ多くの女性達もひとり身でいる計算になる筈である。とりわけ、これまで述べてきたサバーブにおいては尚更だろう。
Birrell博士のレポートによれば、実際多くの女性がひとり身でいるのだが、それは25−34歳の若年層には比較的少ない。この年代層では、単身男性の方が9万人ほど多いのだ(もともと男の赤ちゃんの方が多いという自然の出生傾向(105対100)に加えて、通例女性は年上の男性と結婚するという一般的傾向から、若年男性ほどあぶれがちである)。
35歳を境にこの傾向は逆転して、ひとり身の女性の数の方が多くなる。また低所得エリアの方がこの傾向は顕著である。96年の40代の男女においては、ひとり身の女性の数は、男性よりも3万5000人ほど多い。またこの傾向は低学歴層ほど激しくなる。
オーストラリア統計局の報告によれば、40代はじめまでの独身男女のうち、離婚ないし死別による独身化は、女性の63%、男性の45%である。この全体の傾向を説明する理屈としては、晩婚化、非婚化が言われている。確かに、世の中が豊かになり、高等教育も浸透し、女性の経済的自立などの要因は、人々をして独身でいることのメリットを気付かせるだろう。同じように、富裕な男達は、離婚時の多額の慰謝料のことを恐れて、あまり結婚に食指を動かさなくなるかもしれない。
他方、高所得者層においては伝統的な価値観はまだ存続しており、結婚こそが女性の立場をより強固にするものであるという考えも残っている。とはいうものの、この層においても、独身女性の多くがシングルマザーだったりするのであり、状況はそれほど簡単ではない。35歳までの高所得者層の独身女性の半分以上が実は子供を持っているのである。そして、この比率は低所得者層のそれよりもずっと高い。
高齢層のシングルマザーについていうと、離婚によるものが多い。特に低所得エリアではそうである。しかし同時に、未婚の母の数も急速ないきおいで増えている。オーストラリアの子供のうち27%が婚外子として出生しており、これらのうちの半数以上の子供は25歳以下の母親から生まれている。
96年まで、15−29歳までのシングルマザーの数は10万1224人に達する(10年前は7万5533人であった)。これらの女性のうちの婚姻経験がないものは71%にも達する(同じく10年前は53.5%であった)。そして、現在、未婚のシングルマザーの4分の3が、何らかの福祉手当を受けている。
低所得者男性の失業問題と、これらシングルマザー増加との間の相関関係は明らかである。なぜなら男たちが妻子を養えないからこそ、女たちはシングルマザーにならざるを得ないからである。
Andrew HumphreysはメルボルンのDandenongエリアのソーシャルワーカーである。男性の自殺に関する彼の研究は、低所得男性の悩みを浮き彫りにしている。Dandenong地区はビクトリア州でもっとも自殺率の高いエリアであり、この自殺率は世界的に見てもトップクラスである。この地区の女性たちは、若い低所得男性とは、まだしも一緒になろうと思うようである。『あなたが20代だったら、車を持ってるとか、ルックスがいいとか、ヘアスタイルがどうとかいうことがポイントなんだ。でも、年をとっていくにつれ、扶養家族がいるかどうかがポイントになったりする。プライオリティが変わっていくのです』。ハンフリーは続ける。
『女性たちは、結婚することによって今の境遇から抜け出したいと思うし、甲斐性なしとは結婚しない。要するに自分と同じボートに乗ってる奴とは一緒になりたがらないのです。ちゃんと仕事も持っていて、コモドア(オーストラリアの国産車でクラウンみたいなもの)に乗ってる男がいいんです』。
しかし、その条件を満たすような男は周囲にそれほど多くはない。ハンフリーが仕事柄出会う男達は単に失業中なんだけではなく、そもそも就職出来るだけの基礎能力に欠けてるケースも多い。『このエリアでは、読み書きも満足に出来ない男性が非常に多いのですよ』、ハンフリーはそう言い、さらにその原因となった、困窮家庭にいる男の子達に対する教育システムの欠陥にも言及した。
ハンフリーによると、男性失業問題は、全体の結婚事情に大きなインパクトを与えているという。『いまの女性達というのは、自分よりも稼ぎが少なく、学歴が低く、職もなく、うまくやってく能力も乏しい男達から伴侶を選ばなければならない最初の世代ということもできます』。
福祉関係者との取材を続けるなかで浮かび上がってきた強力な命題がある−彼らの地区においては女性こそが最も強い層になったということである。これはある面では、女の子への教育の質の向上がもたらしたものでもあろうし、別の面ではシングルマザーになることによって色々と鍛えられたということもある。
前述のメルボルン困窮家庭救済基金のJhon Emblingは言う、『シングルマザー達は、世間の荒波をくぐり抜けるために、急ごしらえの教育を受けてきたようなものです。社会がどういう仕組になっているのかいやでも知らねばなりませんし、学校での再教育コースを受けたりもします。これらの努力で、彼女たちは社会のメインストリームに復帰していきますし、またそこで社会人としてのノウハウを叩き込まれます。かくして、非常に元気でパワフルな女性達が誕生することになるのでしょう。彼女たちにとっては、なかなか仕事にありつけないで傷心している男達なんかまるで眼中にないのです』。
Birrell博士の報告でも、男性労働市場の縮小に対して、女性の職場参加比率は非常に上昇していることがうかがわれる。25−44歳女性のうちの就業者比率は、この10年で7%も伸びている(もっとも、その多くはパートタイム職ではあるのだが)。
彼女達も、この全体の趨勢については気付いているとハンフリーは言う。『彼女らは、この男性のシビアな状況に対して怒りを感じています。自分達の周囲の男達は大なり小なり傷つけられている。自分達は、ろくに魚のいない池で釣をしているようなものだとね。』
もっとも、シングルマザー側にも原因がないわけではない。それは彼女達に支給されている福祉手当である。母子手当を受けている女性にとって、低所得男性と一緒になることは、経済的に非常に厳しい打撃と思われている。なぜなら一緒になることによって(合算所得が増えて)、これまで支給されていた母子手当がストップするからである。もっとも、一緒になったからといって、両親の収入額合計が規定よりも低ければ、なおも福祉手当を受けることは可能なのだが。
キャンベラ社会経済モデル国立センターのStinmodと呼ばれるモデルケースを使うと、10歳の子供をもつシングルマザー(ペアレント)の場合、週の可処分所得は247ドルになる。そして彼女が失業手当てを受けている男性と一緒になった場合の両者合わせた可処分所得は342ドルになる。要するにそっちのほうがずっと得なのである。
しかし、それでも多くのシングルマザーは結婚になおも懐疑的である。ビクトリア州のMoeにある福祉ワーカー、Deb Pedrettiはこう指摘する。『これまでの生活で、彼女達は、自分の稼いだお金が幾らで、どの口座に入って、幾ら使ったかを全部把握できました。ところが一緒になれば、お金の使い道や分配に関して一悶着あるだろうし、ダンナが知らない間に勝手に小切手を切ってしまったなんてこともありうるわけです。そして、多くのシングルマザーは、そういった生活を過去に体験しているのです。だからもう二度とあんな生活は嫌だと思うのです』。
統計上、シングルの男女が増えているわけであるが、この上昇数値の幾分かは、福祉手当の支給条件によってもたらされているのかもしれない。
母子手当(正確には単親手当)の規定によれば、シングルなのかカップルなのかの認定について、週に1度恋人が泊りにくるくらいなら、なおも「シングル」認定されることになっている。しかし実際はどうであろうか?前述のDeb Pedrettiは言う。『そんな1泊だけなんてことは滅多にないでしょうよ。私だって、殆ど同棲状態にありながらも、申請上は「シングル」にしている人をいくらでも知ってます』。
一方、本当に経済的事情によって、結婚したくてもできないカップルも多数存在する。低所得男性、とりわけ中高齢層のひとり身の男性のかなりの部分が、かつて離婚し、今なお子供の養育料支払の負担にあえいでいるのだ。
Birrell博士のレポートによれば、一度離婚した男性のなかでは、低所得層の男性の方が高所得層の男性よりも再婚できる確率はずっと低いという。例えば、96年に35-39歳の結婚経験のある年収1万5600ドル以下の低所得男性のうち、24%は離婚してしまっているが、これが年収5万2000ドル以上の層になるとわずか10%に過ぎない。過去10年において、離婚後独身でいつづける男性の数は、低所得エリアでは急速に増えているのに対し、富裕エリアでは殆ど変化はないのである。
オーストラリア国立大学の社会科学研究学校の研究によると、低所得男性は、離婚したのち彼ら自身の生計をたてることすら悪戦苦闘しており、とても養育料の支払まで手が廻らないのが実状である。なにしろ年収1万5000ドル以下の男性の場合、子供の養育料の額は、彼らの可処分所得(生活必須費用は控除)の半分にも達するのだ。
Birrellレポートでは、最近のChild Support Agency(よく知らないが養育料支払に関する官庁であろう)の報告も盛り込まれているが、それによると、登録されている男性のうち46.2%の男性が年収1万6000ドル以下であるという。たしかに、支払義務を逃れるために、所得圧縮操作や意図的に収入を減らしている者も含まれているだろうが、しかしその内実を細かく見れば、大多数の者は本当に収入が少ないのである。
Steve Carrollは、シドニーのロングベイ刑務所の看護夫・教務官である。彼はこれまで養育料不払のためにここに収容されてきた男性を数多く見てきた。彼らの多くは、非常に所得が低く、その日暮らしの生活をしてきた者である。『彼らが養育料をキチンと払えるわけないですよ、生活なんてほんとに目茶苦茶なんですから』。
低所得の男性が離婚後なかなか再婚できないというシビアな状況に追い込まれいるという話は、それほど驚くべきことではないだろう。そして、昔の女性との間の子供の養育費を支払い続けている男と再婚したいというシングルマザーがいたら、それこそ驚きである。オーストラリアの福祉規定では、福祉手当は再婚したカップル両者の所得合算額をもとに支給されるのであるが、そこでは養育費支払分は控除されないのである。そのため、実際には最低限の貧困ライン以下の所得になっても、なんの手当もないという事態にもなりうるのである。
Greg Holmsは、彼の4人の子供が毎月一週間だけ彼のもとにやってくるのを養うために、あとの3週間はバナナ・サンドイッチで飢えをしのいでいる。彼は、コフスハーバーにある気象観測小屋に住み、もっぱら農場労働に従事している。彼の小屋には電気もなければ水道もない。だからトイレも、裏の方に穴を掘って済ませている。
彼の住むエリアは失業率30%にも達し、就職は非常に難しい。しかし、彼は、子供たちと会えるのでこのエリアから外へ出て行くつもりはないという。彼は、近くのバナナ農園で働いているのであるが、これまでの2年間、彼の年収は1万1000ドル程であった。
Holmsは、この先よい伴侶に出会えるという甘い夢を見たりはしない。『もし僕が再婚できるとしたら、経済的条件としては、まずその女性が高収入であること、僕が子供たちの相手をしているときに、一家の生計を支えてくれること、ということになるだろう。そんなこと誰がしたいと思う?そんな面倒臭い関係に入るくらいなら、ただのボーイフレンドとして付き合った方がよっぽどマシだと思うだろうさ』。事実、Holmsは、Susun Fosterという36歳の女性と付き合っている。彼女自身、年金+わずかばかりのカジュアルワーク収入のある両親の面倒を見ている。彼女はHolmsと暮したいと思うが、同時に、ここ当分の間はそんな希望を持ち得ないということもよく分かっている。
このようなカップルは他にも何千組とある。経済的な問題が解決し、彼らが一緒に暮せるようになるためには、何らかの奇跡が必要である。しばらくの間は、コミュニティでなんとかサポートしてあげるしかないだろう。
このような危機的な状況を放置しておくツケは、結局廻りまわってわれわれ社会全体に重くのしかかってくるだろう。それは単に福祉支出が増大するというだけではない。貧困単親家庭で育っていった子供たち、社会の片隅で淋しい生を余儀なくされている男達、彼らの存在が長期的にどのような結果をもたらすのかを考えなければならないのである。
若年者の就職状況は昨今やや改善されているとは言うものの、彼ら新しい世代もまた同じような悲しい道の途上にあるのは否定できないのである。
これらの状況が、政府や社会に向けて発している警告は明瞭である。低所得の子供や若者達を対象にした教育やトレーニングシステムを、徹底的に改善することは焦眉の急である。まともな就職に何の希望も持てないでいる彼らをこれ以上放置しておくことは出来ない。彼らから人間としての基盤を奪うことによって、我々は、彼らを社会の片隅に追いやり、温かい家庭からも締め出しているのである。そして、これは「全ての人にFair Go(公正な機会)を」という我々の社会のプライドそのものを打ち壊す悲劇でもあるのである。
文責:田村
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