(その7)


マルチカルチャルな食文化


〜地元の新聞記事(Sydney Morning Herald, 15 June 1997) より


97年6月19日



    正確な統計は持ち合わせていないが、オーストラリアの共働き率は日本よりずっと多いはず。オーストラリア人のダンナはよく家事を手伝ってくれるぞ、ということを象徴して、「オーストラリアン・ハズバンド」という言葉はあるけど、実は彼らがやってるのは日曜大工的仕事ばっかで(こりゃ家事じゃなくて趣味やね)、毎日の食事やら洗濯やら掃除やら、面倒なことは皆奥さんが引受けているのが現実らしい。

    で、最近忙しい共働き家庭の奥さんをターゲットにスーパーが「持ち帰り惣菜」のラインナップを充実させているという記事なんだけど、ハッキリ言って「何を今更・・・」という感じがする。こんなおいしいビジネスチャンスを今まで逃していたなんて、なんとドン臭い!?とか思ってしまうのだが、まあ、いいや。たぶん、日本のようにフルタイム勤務でも残業なんてあまりないから、会社帰りに買物して家帰ってからごはん作るだけの余裕はそれなりにあるんだろう。でも、大手スーパーが持ち帰り惣菜ビジネスに着手すれば、潜在需要はあるだろうから、きっと世の奥さんの行動も、家庭の食卓も変化してくるだろう。

    こういった本題とは別に、この記事で注目すべきは、オーストラリアの食文化において、いかに移民によるマルチカルチャル化(多文化混合化)が進んでいるか?というポイントである。持ち帰り惣菜のメニューや、食品売り場に置かれるレタスの種類などから、オーストラリアの多彩な食文化の片鱗が伺えるかとおもう。

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    「ファーストフードがますます早くなる」

    シドニー大型スーパーマーケットの1つであるウールワース、シティ店(シドニー中心部に位置する)が、「持ち帰り用惣菜」に精力を注ぎ、食品売り場を改装中。来月にはオープンの運びとなった。

    これは市場調査の結果、忙しい共働きカップルに増加により、「手間のかからない食事」に対する需要が高まったことで、着手したもの。多民族国家を反映して、タイ料理の「なすと牛肉のカレー」から、果ては「「ワイルドマッシュルームのスープ」まで、多種多様なお惣菜が並ぶそうだ。
    ライフスタイルの変化に伴う「便利な持ち帰り用惣菜」へのニーズが高まっており、既にニュートラルベイ(シドニー市木部の高級住宅街)の同ウールワースでは100種類以上の持ち帰り用惣菜の扱いを始めている。

    この新たな潮流に遅れまいとして、他の大型スーパーマーケットも次々とこの分野に参入しはじめている。ウールワースのマネージャーによると、「これからの5年間、スーパーマーケット業界にとって持ち帰り用惣菜は唯一の大改革部門である」と語っている。別の大型スーパーマーケットであるフランクリンは、2000年までに400万ドル(約400億円)を投入しいて、お惣菜を含めた生鮮食料品類売り場をさらに拡大する予定だそうだ。

    「オーストラリア人は一般的に、”現在の生活を楽しむこと”や”手間のかからない食事”には財布のヒモをゆるめる傾向がある」と、スーパーマーケットでは分析している。
    今やスーパーマーケットは既存のレストランやテイクアウェイの店を直接の競争相手とみなしている。

    市場調査によると、共稼ぎの場合、仕事で疲れて帰宅した後には、食事の支度をする代わりに「便利で手間のかからない食事」を求めている、とウールワースの担当者は言っている。
    「オーストラリアの社会は明らかに20〜30年前とは大きく変化しました。広範囲な選択肢を提供し、お客様がそこから選択していただけること念頭に置いています。レタスを例にあげるなら、5年前には2〜3種類しかなかったのですが、今やウールワースでは18種類以上のレタスを取り揃えています。」


    統計データがないので主観的な感想になってしまうが、シドニーには400万人という人口のわりにはレストランやテイクアウェイの店が多いと思う。手頃な価格(7ドルくらいから)でも手を抜かずに丁寧に作っていておいしい食事が味わえるお店がいたるところにある。それにオーストラリア人は外食好きのようだ。特に週末は家族、友人、恋人と一緒に食事している姿はどこでも見られる風景だ。

    私の住んでいるニュータウンの街は、場所柄(特にいろいろな国籍の人々が住んでいる)のせいもあるが、ネパール料理、アフリカ料理(アフリカ出身の知り合いに言わせると「ありゃホンモノのアフリカ料理じゃないんだけどね」とのこと)に始まり、他民族のレストランがひしめき合っている。もちろん、それだけ競争が激しいので、ちょっと手を抜くと客足が鈍り、数ヶ月くらいで別のレストランに変わっていることもよくある。

    30年前にシドニーに私が住んでいた頃は、白豪主義の真っ只中で、マルチカルチャーのマの時もない時代だったので、レストランのチャイナタウンの中国料理と数か国料理のお店があったかしら、、という程度だった。テイクアウェイのお店はあまり記憶にない。

    当時何人かのオーストラリア人の家庭で夕食をいただいたが、どこの家でも判で押したように肉料理(違いといえば牛肉か鶏肉かくらい)と温野菜(どういうわけか決まってジャガイモ、ニンジン、グリンピース)で、しかもどこの家庭でも同じ味付け(きっとポピュラーな調味料があるに違いない)なので、妙に感心してしまった。オーストラリア人は料理の味がどうのこうのということに関心が薄いのかなあと思ったりしたものだ。

    上述の新聞記事にも書いてあるように、この20〜30年の間に、女性の社会進出=共働き夫婦の増加とともに、移民たちがそれぞれの国の料理を持込み、以前のオーストラリア人には想像もつかなかったほど選択肢が広がった。明らかにオーストラリア人の食文化は移民によって向上させられたといってよい。

    オーストラリア人の友人がこんなことを言っていた。
    「どこの国でもそうだろうけど、新しい食べ物を最初に試したのは若い人達。年配の人はいくら「おいしいよ」と言われてもなかなか口にしようとはしない。孫に勧められて、おっかなびっくり食べてみて、これはおいしいと思っても、やっぱり長年馴染んだ味の方に落ち着いてしまう。」

    そりゃそうだろうな。代々引き継がれてきた同じ料理法で作り続けた味に馴染んだ舌に、突然「異文化のかたまり」みたいな味が飛び込んできたら、受け入れ難いのも当然。でも、せっかくの新しい味を試みるチャンスを逸するのは残念だと思うのだが。

    たとえば伝統的なクリスマス料理(ローストターキーやクリスマスプディング等)についても同じことが言える。若い世代の奥さんが新しい料理方法をと思っても、舅・姑さんにはいい顔をされない。一方、子供からは「毎年毎年同じ料理じゃイヤ」と言われるし、子供と親の世代のギャップに挟まれて苦労を強いられるのだという。

    「おじいちゃんが年の一度だけ台所に入って何日もかけて手間のかかるクリスマスプディングを作ってくれるんだけど、これがまた毎年まったくおんなじだし、メチャメチャ甘いし、もう食べる気がしないのよ。でも、せっかくおじちゃんが頑張ってくれたのに、イヤな顔するわけにもいかないし、食べなきゃ食べないで「どうして食べてくれないの?」と聞かれるし・・・」とボヤキは続く。

    ところで、厳密にいえばクリスマス料理といっても、実際は180数カ国出身の人々からなる国だから、一括りにクリスマス料理とは言えない−−宗教上の理由で「クリスマスなんてトンでもない」と考える人々もいる−−が、ここではあくまでイギリス移民系の伝統的な料理として話を進めることにする。
    オーストラリアのクリスマス料理と比較して、日本のおせち料理についても同じようなことが言えるかもしれない。
    伝統的な料理法はあまりにも味付けが濃い。保存を念頭に味付けした伝統的なおせち料理が、さまざまな味付けに慣れ親しんだ若い世代の味覚と異なるのは致し方ない。

    オーストラリア人の友人は笑いながら言った。「いろいろ問題を抱えるオーストラリアのマルチカルチャー(多文化主義)だけど、一番成功したのは、なんといっても食文化。いろんな国の移民が持込んだ多国籍の料理をどこでも手軽に堪能できるようになったもんね」と。

    よく言われることだが、文化の中で最も浸透しやすいのは食文化。逆に環境適応能力のない人ほど、食べ物の好きキライが激しいとも言われている。日本食以外は食べられないという人は、他人の文化も社会も理解できないカタブツである可能性が高いというわけだ。

    そう考えながら日本の街々の風景を思い浮かべると、日本はなんとマルチカルチャルな食文化を擁した国なんだろうと改めて感心させられる。これだけ異文化を容易に取り入れてきた国なんだから、食文化以外の文化も柔軟に取り入れていけるハズなんだけどなぁ・・・。


    翻訳文責:柏木


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