前回は、韓国の古代=三国時代(高句麗、新羅、任那)からはじめました。三国のうちの新羅が中国(唐)と組むことで、他の二国(百済、高句麗)を滅ぼして半島を平定し、統一新羅という国を作ります。しかし、今度は連合国の新羅と唐の関係が悪化し、冷戦状態になったところ、両国の中間地帯に渤海という新たな強国が出現します。以後北は渤海、南は新羅という時代が続きますが、どちらも徐々に国内秩序がヘタレてきます。新羅の場合は、国内の諸豪族が反乱し、旧百済、旧高麗がそれぞれ後百済、後高句麗を名乗り、後三国時代と呼ばれる戦乱の時代になります。一方渤海も、背後で支持してくれていた唐がガタガタになったことから足腰が弱まり、同じ満州系の契丹という国に滅ぼされてしまいます。ここまでが前回の歴史。
後三国時代(新羅、後高句麗、後百済)の三つ巴え戦国時代の朝鮮半島を統一したのが後高句麗です。後高句麗の将軍・王健がクーデターを起こして国主となり、後百済、新羅を平定して半島統一を成し遂げます(936年)
また、高麗は、契丹(遼)に滅ぼされた渤海遺民を受け入れ、領土も渤海の一部を接収し、現在の南北朝鮮とほぼニアリーの領土になります(北朝鮮東部は取れてないけど)。朝鮮が朝鮮として一国になるのは、この高麗からでしょう。統一したのち国名を
高麗といいます。高句麗から「句」の字が抜けただけですね。といっても、もともと「高麗」というのは、後高句麗の名前だったのですが、ややこしいので日本では「高句麗→高麗」と分けており、中国では「高麗→王氏高麗」と呼び分けているそうです。英語名のKOREAの語源になったのもこの高麗です。
高麗建国の頃の日本はどうなっていたかというと、醍醐天皇の時代で、まったりした平安文化に浸かっています。西暦930年頃というのは、夢枕獏氏の「陰陽師」に出てくる安倍晴明や源博雅が生まれた頃ですね。ヨーロッパでも思いっきり中世のまっただ中にいます。お隣の中国では五代十国という戦国時代が徐々に宋によって統一されていく時期にあたります。
高麗は1392年までの約450年間も続く大王朝です。
陶器で有名な
高麗青磁を生み出したように文化や学問が栄え、また女性の地位もかなり高く、良い時代だったようですね。いわば朝鮮における平安時代のような感じでしょうか。ただ、日本の平安時代は藤原荘園経済システムの疲弊と武士階級の勃興という国内的要素で自壊し、次の時代に進んでいきますが、半島国家である朝鮮のツライところは、常に常に北方の侵略に苛まれていたことです。
ちょっと前にも書きましたが、このエリアの歴史というのは朝鮮VS中国の二極ゲームではなく、その中間にある満州系の国との3極ゲームとして理解した方がわかりやすいと思います。
「満州」というと、第二次大戦の頃に日本が作った傀儡国家「満州国」を思い出しますが、”満州”というのは日本人の造語ではなく、もともとの地名です。位置的には現在の中国東北部と北朝鮮の北方とロシア領を含むあたりですが、このあたりの住んでいる人達を総じて満州族といい(古くは女真、オロチョン族、ウィルタ族など)、その言語でManju(マンジュ)と読んでいた地域名を、中国人が漢字で「満州」と当て字をし、それが日本に伝わっています。ちなみに英語に伝わった場合は、”Manchuria(マンチュリア)”といいます。
余談ですが、その昔、坂本龍一が甘粕大尉役で出ていた映画「ラスト・エンペラー」の英語ヴァージョンでも”マンチュリア”って言ってましたね。しかし、あれはいい映画でしたねー。特にラストが印象的で、思いが胸に迫ってしばらく口がきけず、ホケ〜っとします。坂本龍一の雄渾&哀切な音楽がまた良くて、気持ちいいウルウル状態にしてくれます。あの人のメロディワークは天才的ですね。戦メリもそうだけど、映画のときにちょっと聞いただけだというのに、20年以上経っても瞬時にそのメロディを思い出せるという凄いです。一回聞いたら一生忘れないくらいメロディの力が強い。
さて、この満州族ですが、民族的には、モンゴル→満州→朝鮮→日本というツングース系民族の流れがあり、言語的にはウラル・アルタイ語族系です。まあ、このあたりは例によって諸説入り乱れているのですが、モンゴルから日本にかけてというのは、比較的民族的にも言語的にも近しい存在と言えるでしょう。中国(漢民族)とはハッキリと異なるグループだと言っていい。それは、韓国語と日本語の多くの共通点=文法もSOV系だし、発音も大まかに近く、同じような単語が多いことからも何となく頷けます。中国語の文法がSVO系でむしろ英語に近い。また言語サウンド的にも、中国語の発音は四声があったり、母子音のバリエーションのずっと多かったりなど日韓語とはハッキリ異なります。ところが文化的には中国文化が周辺に浸透しているので、そのへんがゴチャマゼになってわかりにくいのですけど。
この満州エリアに古来多くの国家が出来ていますが、高麗はこの北方の動きに常に翻弄されることになります。ここで中国に思いっきり巨大な帝国が出来て満州エリアもガッチリ支配してくれたら、高麗としては楽です。中国とだけつきあっていればいいからです。しかしこの時期、乱世(五代十国時代)を統一した覇者であるべき
宋という国は、残念ながらそこまで強くはなく、満州エリアまでは征服できませんでした。だから、満州エリアは満州人の国、
契丹が仕切ります。契丹という国は、途中で
遼と改名し、さらに契丹に戻しています。ややこしいことしないで欲しいのですが、契丹=遼です。
この契丹(遼)が高麗にとってはうるさい。高麗建国の頃から何度も何度もしつこく攻めてきます。高麗は、撃退したり、友好関係を結んだり、和戦両様のかまえで凌ぎますが、鬱陶しいことこの上ないでしょう。
しかし、この契丹が西の方でウィグル相手に遠征しているスキに別の部族である
女真族が台頭し、契丹を滅ぼしてしまいます(1125年)。女真族というのは一時期日本にも攻めてきてます(
刀伊の入寇、1019)。契丹を滅ぼした女真族は
金という国を打ち立てます。金は、高麗方面ではなく中国方面に攻め入るのに夢中だったので、高麗は金に朝献をしつつ比較的安定期を迎えます。
このまま推移してくれたら高麗も良かったのでしょうが、ここで世界史上の一大暴風雨が登場します。チンギス・ハンのモンゴル帝国。この世界史シリーズでも何度か書いてますが、人類史上文句なく、ケタ外れに最強でしょう。
右の図は、世界に冠たるモンゴル帝国グループ図ですが、もう地図の縮尺が違いますよね。中央アジアはおろか、中近東、東欧、ロシア、中国まで攻略しています。
征服されなかったのは、日本とヨーロッパの西部くらいです。それも強かったから撃退できたのではなく、たまたま。日本の場合は台風ですし、ヨーロッパの場合はモンゴル軍が勝手に進軍を止めただけです。モンゴル軍は、ハンガリーまで攻め滅ぼし、1241年のワールシュタットの戦いでドイツやポーランド等の連合軍をあっさり撃破してます。ここで止ったのは、二代目のオゴタイ・ハンが没したからです。本家の跡目相続を睨んで全モンゴル軍が固唾を呑んだから、ヨーロッパ軍などの辺境地のザコなど眼中になくなっただけだという。どのエリアのどの帝国だって決して弱いわけではなく、それなりに強かった筈なのですが、殆ど問答無用でやられてます。なんかもう人間と人間の戦いという気がしませんね。異星人の侵略というか、家畜の屠殺のように機械的に粛々と殺しているという。
そのモンゴル帝国が出現してきたのだから北東アジアもひとたまりもないです。
当時、女真族の金は中国北部に攻め入り、当時南北に分裂していた北宋を併合し、事実上
北宋にもなります。ところがモンゴル帝国は怒濤のように金や北宋を押し流し、高麗に迫ります。高麗もそれなりに抗戦したのですが、やがてモンゴルに服属します。
モンゴル軍(の一部である東方軍)は、占領した北東アジアエリアの国名を
元とし(1271)、南宋を併合して中国全土を統一します。モンゴル帝国と書いてますが一枚岩の軍団だったのは創業者チンギス・ハン時代で、彼の死後は後継者の連合体のようになり、また後継者がコロコロ病没します。そのため創業時のような圧倒的な強さではなく、ちょっと攻めては中央の権力争いをやり、またヒマをみつけては攻略を続けるという効率の悪いことをしてます。元は、チンギスの孫である第五代ハーンの
クビライが仕切ってます。その勢いに乗って日本に攻め入って来たのが有名な
元寇です(1274、81年)。
元がやってくる前の高麗は、王家や文臣があまり真面目に政治をしないということで、武臣(軍人)がクーデターを起こして政権を奪取して治世をする
武臣政権が続いていました。皮切りになったのが1170年のクーデターですから、奇しくも同じ時期の日本と似たような経緯を辿っています。日本で藤原政権から武家政権に移る頃、例えば平清盛が実権を握るキッカケとなった
保元・平治の乱は1156、59年ですから殆ど一緒ですね。高麗を平安時代になぞらえて理解するのは、この点でも有益でしょう。違うのは、日本の場合は以後ずーっと武家政権が続いたのに対し、朝鮮では王家が政権を再奪取する点です。といっても、けっこうセコい奪回の仕方なのですが、、、。
元が高麗を支配する際、日本の武士に相当する武臣達は、奮闘むなしく強大な元に討ち滅ぼされてしまいます。これによって高麗国王だった忠烈王はタナボタ式に政権を回復します。でもって、この忠烈王という人が相当したたかで、自分の後ろ盾になってくれる元を徹底利用するわけです。日本侵攻である元寇もこの忠烈王の積極的な進言によるものだと言われています。「日本を攻めなはれ、今はチャンスでっせ」と言うわけですね。しかし、元寇といってもモンゴル人達は指揮命令するだけで、実際に戦場に出るのは被征服民族である金とか南宋とか高麗の人々です。また軍艦の建造やら補給をやらされるのは最前線の高麗です。元寇によって高麗経済はボロボロに疲弊しまくるのですが、何故そんな亡国の進言を忠烈王がしたのかというと、虎の威を借る狐的に政権を回復したから、虎にはずっと居て貰いたかったのでしょう。ひどい王様もいたもんで、これならなるほどクーデータも起きるでしょう。
元寇の後も忠烈王は活発に策謀を巡らします。今度は元王クビライに願い出て、皇女を嫁さんに貰います。娘婿になっちゃうわけですね。長いもののは徹底して巻かれろ、巻かれるだけではなく一体化してしまえという方針で、これが功を奏し、以後歴代高麗王は元の宮廷で育てられ、元宮中内で勢力をつけていくようになります。虎の威を借るどころではなく、虎になってしまえというわけです。
しかし、そこまで元と一体化するということは、元が滅んだら共倒れになるリスクを抱えることでもあります。そして、元の勢いは意外と早く衰え、14世紀中頃に高麗王(恭愍王)は落ち目の元に三行半を叩きつけ、独立し、北方を奪回します。ドライなもんです。ただ、それで高麗王朝が再び栄えたかというとそうはなりませんでした。なぜなら実力がないからです。元が衰えるということは、世が再び乱れていくということで、中国大陸では紅巾の乱という反乱が起きます。そして朝鮮半島南部では倭寇の度重なる襲来に悩まされるようになります。しかし、こういった乱世を統治する力は高麗王には無かった。その力があったのが武臣であった高麗武士達であり、彼らは団結し紅巾賊を蹴散らし、和冦に打撃を与えます。
一方、中国では元に代わって
明が興ります。高麗国内では明派と元派とに対立していたのですが、武功をあげてニューリーダーと目されていた
李成桂がクーデターを起こして実権を握り、1392年に自ら国王に即位し、新たな王朝を築きます。これが李氏朝鮮であり、ここで高麗は滅亡します。
倭寇
東シナ海沿岸を荒らし回った日本の海賊集団として知られていますが、別に日本人だけでもなかったようです。朝鮮半島から対馬、九州との間の襲撃、略奪などの行為は、遡れば統一新羅の頃からあったようです。その頃は半島から日本にやってくるというパターンです。大体、世が乱れて貧しいエリアから豊かなエリアに襲撃するというパターンですね。
北九州と朝鮮半島の中間に対馬という島があります。中間地点にあるがゆえに板挟み的悲哀を味合う、琉球と同じパターンですが、この対馬が元寇の際にボコボコにやられます。略奪、虐殺、拉致のやられ放題。かといって日本政府が何をしてくれるわけでもない。末端地に対する中央政府の冷淡さというのは現在も昔もあまり変わらないですな。
前期倭寇は、もともとは元寇被害の報復&防衛だったといいます。報復し、連れ去れた家族を奪回するという。しかし倭寇集団はどんどん大きくなり、半島内部で数千人で城攻めをしていたというから、単なる海賊ではなく一個の軍団みたいなものです。この頃になると、もう純然たる日本人集団というよりは、高麗やモンゴルなど寄せ集めの荒くれ集団になっていたようです。しょせん寄せ集めなので、正規の軍隊がやってきたらもろく、李成桂に撃破されます。また、明からはときの日本政府(足利幕府)に「なんとかせんかい」と要請がなされ、ちょうど南北朝合一を果した足利義満は倭寇討伐をし、これを機会に明との貿易を始めます(勘合貿易)。
しかし、当時の日中経済関係(勘合貿易)は貿易寧波の乱(1523)などのゴタゴタによって険悪化し、やがて途絶します。正規の経済ルートが無くなったら、闇のルートの登場です。すなわち密貿易が盛んに行われるようになります。この密貿易集団が後期倭寇といわれています。この時期になると、どの国の生産力も向上し、貿易が大きな利潤を生むようになっていったのでしょうね。明は対日本以外にも海禁政策といって私貿易を禁止していたから、なおのこと密貿易は儲かった。もう昔のようにわーっと押しかけていって田畑の作物を略奪するという原始的なものではなく、もっとビジネスライクになっていくわけです。折しもこの頃になると西欧人(ポルトガルやオランダ)も来るようになってます。そうなると、ビジネスチャンスをつかめとばかり、日本人に限らず中国人などが動き回るようになります。
こういった時代背景において、先日にやった
台湾の章で出てきた鄭成功のお父ちゃんなんかもいるわけです。中国の貿易商人(というか半分海賊)が平戸にやってきて日本人女性と恋に落ちて鄭成功を産んだという。このようにアジアの海を舞台にした活発な展開は、日本の戦国期から江戸初期に続き、多くの日本人が東南アジアに行ってます。タイの山田長政や、フィリピンの呂宋(ルソン)助左右衛門などなど。