表現の自由は民主主義には絶対不可欠のものとされます。考えてみれば当然の話で、皆が話し合って決める、選挙で代表者を決める民主主義においては、”みんな”の判断の前提になる情報が狂ってたらそれまでです。大本営発表のように政府に都合の良い情報ばっかり流してたら、それは政府も安泰でしょう。だからこそ、政府というものはナチュラルに情報統制をしたがります。これは権力者や政府が悪党の巣窟だからなのではなく、人間というのは自分に都合の悪い話は聞きたくないし、知られたくないです。寝小便をした子供がそれをひた隠しにするようなもので、誰だってそういう部分はある。だからこそ第三者からの公正で、時として辛辣な批判はバランスを取るために必要であり、その情報の流通(表現の自由)を阻害してはならないという原則が出てきます。
しかし、最初っから民主主義が錦の御旗になってなかったら、表現の自由もまた弱くなりがちです。中国がまさにそれで、日本では憲法21条2項で「検閲は、これをしてはならない」となっており概ね守られているのですが(教科書検定など問題点はあるが)、中国では検閲アリです。バリバリやってます。「麻生首相は総理の器ではない」なんて書こうものなら、事前に当局からピーっと笛が鳴ってイエローカードを渡されかねない。Reporters without Borders(国境なき記者団)による
世界報道の自由度ランキング2008年度版によると、中国は世界173カ国中167位という凄まじい評価をされています。ちなみに日本は29位、オーストラリアは28位です。
中国のマスコミは、新華社、人民日報、中国中央電視台が御三家なのですが、いずれも政府を公然と批判できず、御用マスコミ状態にあります。経済開放下で続々と小規模のマスメディアが出てきましたが、これらも政府の監視を受けるのは同じです。したがって売り上げの伸ばすためには下世話なスキャンダル記事とかスポーツ新聞的な方向にいかざるをえず、民主主義を守る方向には機能していません。民主主義の最大の弱点は、国民が馬鹿だったら衆愚政治になって機能しないことです。
一般論的に思うに、悪意と愚かさ、善意と賢さは親和性があります。悪意のプロバイダ(供給者)は消費者が愚かであってくれた方が都合が良く、善意の供給者は消費者が賢くないと成立しない。例えば金儲け主義の医師がいたとして、彼が効率よくお金を儲けるためには消費者(患者)が愚かであってくれた方が都合がいいです。大した意味もない検査を大々的に実施し、不必要な投薬をジャンジャンやって儲ける。初動で有効でない治療をするから症状が悪化する。沈痛な顔で入院を勧め、さらに儲ける。優秀な医師は、まずもって問診に力を入れ、患者の顔色や脈でトータルの健康状態を洞察し、検査は必要な部分に抑え、副作用や依存性の強い投薬を避け、そして酒を控えろといった類のお説教をします。ヒマがあれば入院患者のもとを訪れ、雑談をし、じっと手を握って励まします。患者の健康という意味ではこれがベストなのだろうけど、検査も投薬もしないから儲かりません(問診料の保険点数は微々たるものだし、入院患者との雑談は無報酬)。かくして優秀な医師は貧乏し、無能な医師ほど儲けるという逆転現象が起きるのですが、愚かな消費者(患者)は、立派な大病院を信頼し、たくさん検査や投薬をして貰う方を好むから、結局悪貨が良貨を駆逐することになる。以上はカリカチュア(戯画化)した図式であり、必ずしも実態とは違いますが、パターンとしてはお分かりでしょう。民主主義も同じ事で、不特定多数の総意で物事が決まる場合、構成員がどれだけ賢いか、愚劣かで運命が決まるということです。もし為政者が私益を追及しようと思えば、国民は阿呆であってくれた方が都合がいい。だから鋭い批判をするメディアを弾圧し、国民を愚かな状態にキープしてくれるようなスキャンダル系の低次元な報道や番組を黙認する。
しかし、昨今のご時世では大手マスコミやメディア以外に、インターネットという強力なツールがあります。僕個人はインターネットというのは過大評価されているキライがあると思うのですが、検閲をやってる政府当局からしたら恐怖の存在です。なんせ大手マスコミ数社だけだったら圧力を掛けて言うことを聞かすのは簡単ですけど、ネットは数億人が利用しますから、いちいち摘発していられません。それどころか中国政府の威光なんか全然届かない海外では批判し放題です(要するに今僕が書いているようなものですが)。そしてネットを経由してそういった事柄が中国になだれこんでくる。ということで、中国の表現の自由問題はネット規制問題になっていきます。
そのため中国においては昔からせっせとネットの規制をやっています。ネット規制に関する各条例は数十に及び、一説によると数万人規模のネットポリスが日々ネットをサーフィンし、不都合な書き込みを削除したりして頑張っているそうです。もちろん、こういった地味な人海戦術的な手作業だけではなく、その方法はどんどん巧妙になっているとされます。例えば日によって検閲の度合いを変えたり(世界的に検閲問題が注目されるようなときは検閲の手をゆるめていかにも自由にやってるように見せかけるとか)。
技術的なものでは、
金盾(ジンドゥン)というネット検閲システムがあるそうで、巨額の費用を投下して国家プロジェクト並にやっています。その方法はあまりにも技術的すぎて解説を読んでもよく分らないのですが、例えば、特定のIPアドレスをブロックしたり、特定のサイトを表示させないように選択的DNSの書き換えを行い、アドレス名の解決をさせないとか、パケットフィルタリングやHTTPプロトコルに細工をするとか様々です。しかも、ブラウザ上では「検閲によって削除(拒否)しました」とかいう分りやすい結果が表示されるのではなく、404ファイル不存在表示や、より無害なコンテンツを捏造して流したり、一見すると検閲されているとは気づきにくいような芸の細かさです。まあ、国家プロジェクトですからね、そのくらいはやるでしょう。
このネット規制問題は中国国内の問題に留まらず国際的にも論議を呼んでます。なぜなら中国に進出しているGoogle、Yahoo、Skype、さらにマイクロソフトなどの外資企業も関係してくるからです。これらの企業は中国でビジネスを展開する際に中国政府の要請を受け入れ、何らかの形で検閲システムに協力することになりますが、検閲に助力して利益を挙げるのは企業モラルとして許すべきではないという議論もある一方、不完全ではあってもネットインフラが普及していくことが長期的には中国の民主化に寄与するのだという意見もあるそうです。確かに難しい問題でしょう。
このあたりの問題は突っ込んで調べたら面白そうな領域です。国境なき記者団などの国際的な人権組織は警鐘を鳴らしていますし、Googleなどの外資企業の行動をさらに監視する動きもあります。一方、中国の国内的には本当にこんな規制に効果があるのか?というレベルでの興味もあります。中央政府が旗を振っても、地方行政段階で無視されていたり、施行しようとすると役所間や地方VS中央の縄張り争いに発展してグチャグチャになってたりというトホホなレベルの実情もあるそうです。後でも述べますが中国特有の賄賂カルチャーや利権も絡んできそうですね。一方、純粋技術的にはネットを100%検閲するのは不可能で、ファイアウォール外のプロキシ迂回を使えばアクセス可能とか、もっとマニアックなハッキングとか幾らでも出来そうです。一方、弾圧が厳しいほど燃えるジャーナリスト達も沢山いるわけで、投獄覚悟で不正で弾劾している中国人達もいます。このマダラ模様、人間模様は幾らでも小説のネタになりそうなのですが、そんな作品、既に出ているのでしょうか。
ネット規制の問題は、検閲に限らず、また中国に限らず、ポルノ規制や個人のプライバシー保護など論点は多々あるのですが、ここで留意すべきは、中国では未だに堂々と検閲が行われているという点です。21世紀の、そして先進国の仲間入りをしようとする国で未だに堂々と検閲をやってるというのは、考えてみたらスゴイことです。チャイナリスクは、進出企業の苦労話や毒入りギョーザなどでいろいろ語られていますが、しかし、民主制が建前的にも貫徹していないとか、検閲が公然と行われていることに比べたら、そんなことは枝葉末節に過ぎないと思います。なんせ社会の根幹、ベーシックなDOSレベルが狂っているのですから、あとは何が起きても不思議ではないですよ。毒入りギョーザに驚きながらも検閲については無関心というのは、水虫やニキビについては心配しながらも、ガンの告知を受けたことには無関心であるようなものです。ギョーザで一つ驚くなら検閲で百驚くべきでしょう。
ソ連がそうであったように、共産主義下においてはあらゆる宗教は非合理的な迷妄として弾圧される傾向にあります。共産主義自体が一種の宗教みたいなものですから、他の宗教はライバル宗派であり”異教・邪教”扱いされるわけですね。しかし、一方では民族のカルチャーに根深く結びついているので弾圧しすぎて民衆の支持を失っては元も子もないので、そこはテキトーに妥協します。中国でも、一応、信仰の自由はあります。中国の憲法でも保障されています。しかし、戦前の軍国日本にも憲法はあり、人権規定もあったのですから、根幹DOSが非民主的だったら幾ら憲法で保障しようがあんまり意味がありません。中国の信仰の自由も、「共産党の指導に従う限り」というカッコ付きの自由であり、普通そういうものは「自由」とは呼ばない。
中国の場合、信仰の自由で問題になるのが、ダライ・ラマで有名なチベット仏教であり、法輪功であり、キリスト教です。特に中国全体がレッドゾーンにトチ狂っていた文化大革命時期には徹底的に迫害されたそうです。そして、程度の差はあれ、今なお弾圧は続いています。
法輪功の弾圧問題については、正直なところよく分りません。中国政府の見解によれば、法輪功は日本のオウム真理教のような危険なカルト集団であり、信者にマインドコントロールを施し、世上不安をもたらす危険な組織であるから、”適切な”対策が必要だということになってます。法輪功側の主張によれば、気功を用いた健康法に過ぎず、中国政府によって苛烈な弾圧を受けているということになります。平均的な日本人的感覚は、中国不信&宗教不信ですからどっちもどっちで、どうしたもんか?って感じですけど、それが単なる健康法であれ、不穏なカルト集団であれ、政府の弾圧はスゴイものがあるようです。投獄者数万人、獄中での拷問や虐待で殺された人が3000人もいるという指摘もあります。南京大虐殺と同じ話で、正確な実数は不明なのだけど、全くゼロということはないでしょうから、それなりにやっているのでしょう。
問題は、なぜそこまで中国政府はナーバスになるのか、アムネスティなど世界の人権組織や政府を敵に回してまでそこまでやる必要があるのか、です。結局は数の問題なんでしょうね。中国政府のいう”治安”とは、共産党の安定支配のことですから、これを揺るがすほどの勢力に育つ可能性のあるまとまった数の集団は脅威なのでしょう。共産主義という一つの思想、一つの色、一つの権威で社会が染め上がり、その単色性によって成り立ってるような社会の場合、別の色が出てくると単色性が壊れ、ひいては支配の構造が壊れてしまうのが恐怖なのでしょう。蟻の一穴というか、ウィルスのようなもので、どんどん伝播していくのが恐い。これも一人や二人だったらまだしも、数百人数千になると地方レベルで暴動を起こすだけの勢力になり得ますし、そういうことが起きると「なんだ共産党政府も大したことないじゃん」という雰囲気が全土に広まり、そして、、、という恐怖絵図があるのでしょう。法輪功の場合、世界中の信者の数は公称1億人ですから、とんでもない規模です。1億人というのが100倍法螺だったとしても、なお100万人もいるわけで、これだけいたら恐怖でしょうよ。毛沢東だって、最初は十数人で始めたんですからね。
現在の中国で共産主義という純然たるイデオロギーを信じている人なんかそうそう居ないでしょう。だって実態は全然共産主義じゃないんだもん。あるのは、共産党という名前をつけたエリート集団です。このエリート集団が中央集権構造で全土を牛耳っているわけで、大事なのは共産党の権威であり、支配の正当性です。彼らにリードして貰うのが一番良いのだと皆に思ってもらうことでしょう。改革開放でだいぶ色は薄まったとはいえ、尚もファシズム的な単色支配でしょう。だからこそ検閲もできる。でもちょっと考えたら胡散臭い支配なわけで、本当にエリート支配の自信があったらバリバリ自由にしたって良さそうなものなんだけど、本気に自由にしてしまったらどう転ぶか分らない。かといって実験してみるわけにもいかない。苦しいところだと思います。
権力者の権威というのは、いつでもそうですが一種の”魔法”みたいなもので、このスペルバウンドがかかってる間は皆も言うことを聞いてくれるけど、権威が失墜するのも一瞬です。「なーんだ」と思われたら終わり。教室の担任教師の権威が失墜したら学級崩壊が起きるし、それはどんな人間集団でも同じです。日本の江戸時代に260年にわたって圧倒的な権威で支配をしていた幕府の権威も、幕末ではわずか数年で地に落ちてます。イタリアのムッソリーニだって、あれだけ熱狂的に支持を受けていたのに、最後には民衆によって処刑され逆さ吊りにされています。
だからこそ、自分達の”魔法”がきかない集団、別の権威原理で動いている集団が恐いのだと思います。数の恐怖といいましたが、数だけではない。囲碁愛好会の会員が1億人いたとしても別に恐くない。恐いのは全人生、全生活レベルで別次元の権威体系を持つ集団です。なぜなら、こういう集団は優秀な軍隊になりうるからです。死を恐れぬ集団は最強の軍団ですからね。だから恐い。恐いから弾圧する。人が最も残虐になり、攻撃的になるのは恐怖にかられたときです。ゴキブリは恐いから、出てきたらもう偏執的にまで攻撃します。ソファーを押しのけ、タンスの裏を覗いてまで、死ぬまで殺虫剤を執拗に吹きかけます。でもハエや蚊は恐怖が少ないから駆除しそこねても舌打ちするだけで、悠然としている。それが人間心理なのでしょう。また、別系統の権威体系を叩き壊すには徹底した恐怖を与える必要があるから、あえて残虐な弾圧をする。それこそ顔の形がグチャグチャになるくらいやる。
ただし、そこまで弾圧する必要が本当にあるのか?という疑問はあります。人道的云々はおいておいても、政治的テクニックとして逆効果ではないかと。少なくとも世界の人権集団を敵に回しますし、こういうことやってたら世界の一流先進国クラブに入れない。それに法輪功に対する弾圧の苛烈さは、中国のエリート支配層の恐怖感情の裏返しですから、「ふーん、そんなに恐いんだ」と足元見られるリスクもあるでしょう。
ただ、この問題は一筋縄ではいかないです。あとでも述べる予定だけど、中国人の気質は伝統的に政府を信じていないし、個人主義が強いといいます。その意味では同じ北東アジア人である日本人よりは西欧人に近い。一人一人の戦闘エネルギー値が高い。こういった”やんちゃ”な国民が13億人もいたら、それを統治しようと思ったらどれだけの剛腕が必要なのか、1億ぽっちの日本人にはなかなか感覚的に想像できない。ましてや人口2000万ちょいのオーストラリアには分らんでしょう。僕としては、「そこまでやらんでも」と思うけど、それはアマチュアの意見であって、プロ的には「そこまでやらねばならん」のかもしれません。分らんです。
チベット仏教への弾圧は、宗教問題に加えて少数民族問題でもあるし、もっとメジャーな国際的関心を惹きつけています。これも書きだしたら長くなるし、普通に知られているので、ここでは指摘だけに留めておきます。
キリスト教ですが、カトリック350万人、プロテスタント1000万人といわれ、相当な勢力ですが、登録し政府の統制下におかれています。具体的にどういう統制を行っているのかはちょっと分りませんでした。でも、統制下ではない=登録していない、地下教会というのがあるらしく、この信者総数が(例によって不明ながらも)数千万とも1億とも言われています。中国政府はバチカンと国交を結んでいないので、バチカン系の教会は非合法になるらしいです。詳細はよくは分らないまでも、現在人口の7%から10%の中国人がキリスト教に帰依しているようですし、共産党幹部のようなエリート支配層に広がっているようです。メジャーなキリスト教はカルト化してないので(優秀な軍隊になりえないので)、それほど激しい弾圧をしているようでもなく、むしろ中国政府としてはバチカンとの関係修復など、ソフトランディングを図っているとも言われています。要するに全てにわたって要領を得ないのですが、昔は結構弾圧されたけど、最近はそうでもないこと、また人口比でいえば日本よりもはるかにキリスト教的傾向が強い社会になっているとは言えそうです。日本のキリスト教信者数は、これまた正確な数に諸説あるのですが、1%とも3%とも言われていますが、10%内外ってことはないですからね。
以上、中国の問題点、今回は国のシステムの根幹原理というベーシックな部分を書きました。根幹に問題があれば、それが周辺の枝葉にまで波及するのは理の当然であり、次回以降はそのあたりをみていきます。