今週は中央アジア。というか、アフガニスタンの北方にグルリと取り囲むように存在する、なんたら「スタン」という国名の国々です。
最初は、ここらへんはパスしようと思ったのですが、今回パスしたら次にこのあたりの国々を知る機会なんかいつ来るのか?極端なことを言えば生きてる間にそんな機会はくるのか?というくらいですので、せっかくですので足を伸ばしてやっておきます。
まずは範囲を広めにとった地図をご覧下さい↓
やたらこのシリーズでは地図を使いますが、毎週一回世界地図を見るだけでも全然違いますよっ!
知ってるつもりで意外と位置を誤解してたりしますし、また位置関係を正確に把握するだけで、「多分こういうことかな」と推測が出来ることも多いです。社会科が苦手な人は、通勤や待ち合わせなど暇つぶしにパラパラと地図を見るといいです。解説読むより多くの発見があるし、位置関係が曖昧なまま解説読んでもしっくりこないです。
上の地図、青文字で書いたカザフスタンなどの5つの国が
中央アジア諸国です。右側にある
新疆ウィグル自治区は国としては中国の一部ですが、「中央アジア」として数える場合もあります。左側にある深緑色のグルジア、アゼルバイジャン、アルメニアを
コーカサス諸国ということもあります。
こうして見ると、本当に「中央」にあります。ユーラシア大陸のまさにど真ん中です。地図を見るだけで雄大な気分に浸れそうです。
その昔は、中央アジアにウィグル自治区を加えて
トルキスタンと呼ばれていました。中央アジア五カ国が
西トルキスタン、ウィグル自治区が
東トルキスタンとも称されました。「トルキスタン」は、ペルシャ語で「テュルク人の土地」という意味だそうです。
テュルクというのは、テュルク語系の諸民族の総称であり、中央アジアから欧州付近まで広く住んでいました。
「テュルク」というと気づきにくいのですが、英語で書くと”Turk"です。そう、トルコと同じスペルです。結局、テュルクもトルコも同じ意味で、広大なエリアに散在していたテュルク系民族のなかに、オスマントルコや現在のトルコ共和国に住んでいる人達も含まれるわけです。現在ではエリアも体制もかなり違うので、トルコ共和国の人々のことを「トルコ」(狭義のテュルク)と表記し、テュルク語系民族の総称としては「テュルク(広義)」として使い分けているそうです。でも地図でもわかるように、トルコと中央アジアというのは意外に近いのです。カスピ海の対岸をちょっと行ったらもうトルコですから、同じ民族系だと言われてもなるほどと思います。
さて、再び地図をよく見ると、トルキスタンの地は、北方にはロシア、東方には中国があります。これだけの大国の近くにあって無事に済むはずもなく、トルキスタンは両大国から支配を受けることになります。西トルキスタンにあたる中央アジア五カ国はロシア帝国〜ソ連の支配下におかれ、ソ連崩壊後に独立します。東トルキスタンは、漢や唐の時代にも中国に組み込まれ、またジンギスカンの時はモンゴル帝国支配になり、清朝になると再び中国支配下となり新疆ウィグル自治区として現在に至ります。二つの世界大戦時期に東トルキスタンとしての独立運動もあったのですが、国共内戦後の中国共産党政府に抑えられ、さらに文化大革命時に混乱が起き、天安門事件後の言論弾圧によって独立運動は抑えられ続けています。しかし火種は今でもくすぶっており、チベットと並んで中国のホットスポットになっています。位置関係を正確に把握したら大体の歴史も推測できるわけですね。
せっかくですので、もうちょっとシゲシゲと観察しましょう。日頃は「なんたらスタンの国々」てな感じで、一山なんぼ的に軽く扱われているこのエリアですが(あなたは扱ってないかもしれないけど、不勉強な僕はそう)、よーく見ると結構広いのですね。インドが軽く2個くらい入りそうですし、ヨーロッパとほぼ同じくらいのサイズがあります。スタン系5カ国のなかでは圧倒的にカザフスタンが大きいです。もうカザフスタンだけで残りの4カ国を合わせた以上の広大さです。
もう少しズームインして詳しくみてみましょう。
中央アジア諸国と新疆ウィグル自治区との間に、崑崙山脈、天山山脈、タクラマカン砂漠、カラコロム山脈など、シルクロードが好きな方にはお馴染みの地名が出てきますね。
シルクロード
シルクロード!昔流行ましたよね。「昔」っていつ?というと、かーなり昔、知ってたらトシがバレるくらい昔。80年代ですね。NHKの力の入ったシリーズと喜多郎の音楽によってシルクロードブームが起こりました。喜多郎の音楽はよく使われているので、実はそうとは知らずに耳にしている人も多いと思います。このNHKシリーズですが、今ちょっと調べてみたら、ナレーターが石坂浩二、さらに井上靖、司馬遼太郎、陳舜臣などの超大物ゲストを現地に飛ばして出演させているのですね。かなり豪華なシリーズです。2005年には新シルクロードが放映されています。なんで流行ったのかというと、まあ内容そのものの質の高さ(全30回にわたって放映するだけの濃厚さ)、豪華さもあるのですが、「癒し」「ヒーリング」という言葉が未だ存在していなかったあの頃の日本において、古代西域のロマンチックな癒し的要素があったのかなとも思います。あの頃は僕も馬鹿だったから、見てもあんまり面白いとは思わなかったけど、今だったら面白く見れそうですね。コドモが見るような内容ではないでしょう。
シルクロードは、ご存知のように古代からの東西の貿易回廊として知られていますが、歴史学的には「シルクロード」という表現や発想に対して異論も強いようです。中央アジア一帯を貿易の「通過点」とする見方は、もっぱら東(中国、日本)や西(欧州)の発想に過ぎず、当の中央アジアの人達にとっては自分らのエリアが「通り道」であるという意識はそれほど無かった。彼らの意識は、北方の遊牧民族と南方のオアシスとの関係性であって、東西交通はそれほど重要なものではない、だからシルクロードという東西貿易の視点だけから考えるのは偏っているというものです。
中央アジアの概要
さて、中央アジアの資料をネットで探していたところ、
NHK高校講座第29回中央アジアがダントツに分かりやすく、役に立ちました。30分番組がダウンロードできます。以下、殆どこの授業のノートで済んでしまうという。以前、インドをやったときもそうでしたしたが、専門家がコンパクトにバランス良く、分かりやすくまとめているという意味では、この種の高校講座に勝るものはないです。他にも良い資料があるのですが、部分的にディープすぎて逆に全体像がつかみにくかったり、バランスが悪かったりするのですね。高校講座(中学でも)、オススメです。高校生のガキが見て分かるかどうかは疑問ですが、あなたが30歳、40歳を越えたら見るべし。だって一番良くできてますから。
さて、シルクロードの所でちょっと触れたように、中央アジアは北部の草原地帯(遊牧民)と、南部の水の豊かなエリアの農耕民族との相互交流によって形作られてきています。北部の遊牧民族は、文字通り移動しながら生活するので、定置的な施設に頼らない文化スタイル=音楽や伝説など旅の途上で披露・習得できるパターン(口承文芸)を発達させています。オーストラリアのアボリジニなども似たような類型に属するのかもしれません(ドリームタイムの伝説とか)。南部に水が豊富なのは、東方の高山地帯(天山山脈やパミール高原など7000メートル級の超高峰群)の雪解け水がアラル海に流れ込むからです。
各国の民族構成は、○○スタンという国名が「○○人の住む土地」という意味であるとおり、国名になってる民族が主要民族になりますが、そのレシピーは国によってマチマチです。最も民族濃度が高い順にトルクメニスタンのトルクメン人(85%)、次にウズベキスタンのウズベク人(80%)、タジキスタンのタジク人(80%)、キルギスタンのキルギス人(65%)で、カザフスタンのカザフ人は5〜60%で過半数をちょっと超えたくらいです。カザフスタンは領土が広く、またロシアにも近いことからロシア人が30%ほどいたりしてカラフルな多民族国家になってます。
ソ連から独立した後、独立国としてやっていくために国家的な統合意識を促進しようとします。こういう多民族国家では、主要民族をあまり前面に出すと少数民族の反乱を招いたりして良くないのですが(インドにおけるムスリム、スリランカにおけるタミルなど)、それでも主要民族名を国名にするということをして国民統合を促進しなければならないのでしょうね。伝統文化であるユルト(遊牧民のテント)を国旗の意匠にしたり(キルギスタン)、歴史上の有名な人物にスポットライトを当てたりします。例えば、ウズベキスタンの首都タシケントでは、14世紀の英雄ティムールの銅像や博物館を作ったりしています。
また、宗教も大きな役割を果たしています。ソ連からの独立後、イスラム教の復興が行われています。もともとこのあたりの地はイスラム教がメインだったのですが、アンチ宗教的な共産主義を掲げるソ連に支配されている間、宗教は抑圧されていました。それが独立後、「もうソ連じゃないんだ」という意識の称揚=国家意識の促進のために、ソ連時代に廃屋のように放置されていたイスラム教のムスクを修復したりしています。
さて、独立後、当然のことながら各国ともそれぞれに経済発展を目指すのですが、これまでがソ連という大きな社会主義分業体制にあったため、「キミのエリアはこれね」と産業指定されていたのを、独立国らしくバランスのとれた経済にしなければいけないので一苦労でした。ましてや馴染みのない市場経済に移行させるのですからその苦労は並大抵ではないでしょう。
さらに、こういった経済発展が微妙に民族の伝統文化とバッティングしたりします。現在の世界の経済パターンというのは、農耕→工業→商業という形で発展してきたので、どうしても定住民的な文化なのですね。これが遊牧民族的な生活スタイルに合わない。そりゃそうですよね、皆が皆移動してたらデリバリーも大変ですし、工場や会社に通勤するのも一仕事です。証券取引所が日によって場所が移動するなんてことは考えられないわけです。まあ、そのあたりはソ連時代に強制的に矯正されてはいるでしょうが、片方で伝統文化や民族意識を称揚し、片方でそれと逆行する近代経済化を進めるということをするわけです。尤も、日本だって事情は同じですよね。日本古来の伝統的な醇風美俗やら家父長制的なシキタリがあるわけですけど、それをぶっ壊してきたのは権利意識の伸張よりも、都市型経済の発展でしょう。皆で田んぼ耕して囲炉裏に座っていたら伝統的なアレコレは守られるでしょうけど、お父さんが朝から満員電車に揺られて、給料振り込みだったら家父長制的雰囲気になんかなりにくいですわ。
さて、中央アジア五カ国ですが独立後10年はどこも結構苦戦しますが、90年代末くらいから経済が軌道に乗ってきます。特にカザフスタンの経済成長はすごいものがあります。一人あたりのGDPはロシアを越えるところまできています。都市の映像などをみると、日本とかオーストラリアみたいな感じですね。日本人と殆ど見分けがつかないカザフ人と白人系であるロシア人がごちゃ混ぜになってるところに、日本車のディーラーや建て売り住宅などがあるで(オーストラリアみたいなゆったりした造り)、「ここは何処だ?」って感じです。カザフが発展した理由は豊富な石油資源などですが、カスピ海にある油田は、過去30年間で世界で見つかった新油田の中でも最大級のものらしいです。産出された油田はカスピ海対岸のアゼルバイジャンのバクーからトルコ経由のパイプラインで地中海へ、あるいは北方にパイプラインが延びてロシアや中国に運ばれています。
世界の何処でもそうですが、昔ながらの生活をしていた国=つまり近代化が遅れていた国は、一様に経済的には貧困レベルから出発するのですが、自分の領土に莫大な資源が眠ってるかどうかでその後の展開を大きくわけます。カザフスタンは石油、トルクメニスタンは天然ガスに恵まれているのですが、ほかの3カ国はそのあたりが恵まれず(無いことはないのだが)、綿花や畜産など生産性の低い産業に甘んじざるを得ません。
結果として一人あたりのGDPでいえば、カザフスタンの3700ドルが突出していて、二位のトルクメニスタン1280ドルに3倍弱の差をつけており、第三位以下はドングリ状態で、ウズベク(550)、キルギス(480)、タジク(360)ということで、カザフとタジクで一人あたりの所得差が10倍もあります。とはいいつも、どこもソ連崩壊後のドン底からすれば10年間で1.5倍から2倍の経済復興を成し遂げています。
ソ連時代のマイナスの遺産もあります。カザフスタンの場合、セミパラチンスク(=北方のロシアとの国境付近)の放射能汚染があります。ここは核実験場でソ連崩壊まで400回以上もの核実験をやってきました。しかし、核兵器は国家秘密で、ソ連政府は地元住人に知らせずにいたため、深刻な放射能汚染が広がっているそうです。現在でもカザフ内部でこのエリアが一番ガン罹患率が高いそうです。ちなみにガンの早期発見のための国際支援として日本人の細胞検査士である土井久平氏が支援しています。もう一つちなみに、細胞検査士というのは聞き慣れない仕事ですが、ガンの変性細胞をプロフェッショナルな手法で検査発見するスペシャリストで、日本には約6000人ほどおり、土井さんのように海外に技術援助しに出かけている人も多いようです。詳しくは、
日本の細胞検査士会のHPをどうぞ。
アラル海周辺にも環境破壊があります。ソ連時代に大規模な灌漑が行われ綿花畑が作られたのはいいのですが、そのために天山山脈やパミール高原からアラル海に流れ込む水を途中で取っちゃっているので、結果としてアラル海の水位が激しく低下、以前の6割までに落ち込んでいるそうです。湖底が干上がった部分にある塩分が風によって散らばる結果、周辺農場に塩害が広がります。もちろん生態系(魚類、鳥類)への影響もあります。漁業も壊滅状態だという。
なお、これら五カ国にロシアや中国が上海協力機構という組織を作っています。最初は領土や反テロというハードな意味合いだったのですが、今では経済協力気候になっています。
以下、個々の国々を補充的に見ていきます。