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今週の1枚(09.03.30)





ESSAY 405 : 世界史から現代社会へ(68) 中央アジア諸国〜シルクロードの国々




 写真は、Darlinghurstの路地裏。この写真がなにか?というと、テラスに写ってる猫君が独特の雰囲気をだしていたのですね。哲学的というか、お猫様というか。拡大すると達観した猫上人のご尊顔が見えます→。



 今週は中央アジア。というか、アフガニスタンの北方にグルリと取り囲むように存在する、なんたら「スタン」という国名の国々です。
 最初は、ここらへんはパスしようと思ったのですが、今回パスしたら次にこのあたりの国々を知る機会なんかいつ来るのか?極端なことを言えば生きてる間にそんな機会はくるのか?というくらいですので、せっかくですので足を伸ばしてやっておきます。


 まずは範囲を広めにとった地図をご覧下さい↓
 やたらこのシリーズでは地図を使いますが、毎週一回世界地図を見るだけでも全然違いますよっ!
 知ってるつもりで意外と位置を誤解してたりしますし、また位置関係を正確に把握するだけで、「多分こういうことかな」と推測が出来ることも多いです。社会科が苦手な人は、通勤や待ち合わせなど暇つぶしにパラパラと地図を見るといいです。解説読むより多くの発見があるし、位置関係が曖昧なまま解説読んでもしっくりこないです。


中央アジア地図


 上の地図、青文字で書いたカザフスタンなどの5つの国が中央アジア諸国です。右側にある新疆ウィグル自治区は国としては中国の一部ですが、「中央アジア」として数える場合もあります。左側にある深緑色のグルジア、アゼルバイジャン、アルメニアをコーカサス諸国ということもあります。

 こうして見ると、本当に「中央」にあります。ユーラシア大陸のまさにど真ん中です。地図を見るだけで雄大な気分に浸れそうです。

 その昔は、中央アジアにウィグル自治区を加えてトルキスタンと呼ばれていました。中央アジア五カ国が西トルキスタン、ウィグル自治区が東トルキスタンとも称されました。「トルキスタン」は、ペルシャ語で「テュルク人の土地」という意味だそうです。テュルクというのは、テュルク語系の諸民族の総称であり、中央アジアから欧州付近まで広く住んでいました。

 「テュルク」というと気づきにくいのですが、英語で書くと”Turk"です。そう、トルコと同じスペルです。結局、テュルクもトルコも同じ意味で、広大なエリアに散在していたテュルク系民族のなかに、オスマントルコや現在のトルコ共和国に住んでいる人達も含まれるわけです。現在ではエリアも体制もかなり違うので、トルコ共和国の人々のことを「トルコ」(狭義のテュルク)と表記し、テュルク語系民族の総称としては「テュルク(広義)」として使い分けているそうです。でも地図でもわかるように、トルコと中央アジアというのは意外に近いのです。カスピ海の対岸をちょっと行ったらもうトルコですから、同じ民族系だと言われてもなるほどと思います。

 さて、再び地図をよく見ると、トルキスタンの地は、北方にはロシア、東方には中国があります。これだけの大国の近くにあって無事に済むはずもなく、トルキスタンは両大国から支配を受けることになります。西トルキスタンにあたる中央アジア五カ国はロシア帝国〜ソ連の支配下におかれ、ソ連崩壊後に独立します。東トルキスタンは、漢や唐の時代にも中国に組み込まれ、またジンギスカンの時はモンゴル帝国支配になり、清朝になると再び中国支配下となり新疆ウィグル自治区として現在に至ります。二つの世界大戦時期に東トルキスタンとしての独立運動もあったのですが、国共内戦後の中国共産党政府に抑えられ、さらに文化大革命時に混乱が起き、天安門事件後の言論弾圧によって独立運動は抑えられ続けています。しかし火種は今でもくすぶっており、チベットと並んで中国のホットスポットになっています。位置関係を正確に把握したら大体の歴史も推測できるわけですね。

 せっかくですので、もうちょっとシゲシゲと観察しましょう。日頃は「なんたらスタンの国々」てな感じで、一山なんぼ的に軽く扱われているこのエリアですが(あなたは扱ってないかもしれないけど、不勉強な僕はそう)、よーく見ると結構広いのですね。インドが軽く2個くらい入りそうですし、ヨーロッパとほぼ同じくらいのサイズがあります。スタン系5カ国のなかでは圧倒的にカザフスタンが大きいです。もうカザフスタンだけで残りの4カ国を合わせた以上の広大さです。

 もう少しズームインして詳しくみてみましょう。

中央アジア詳細図

 中央アジア諸国と新疆ウィグル自治区との間に、崑崙山脈、天山山脈、タクラマカン砂漠、カラコロム山脈など、シルクロードが好きな方にはお馴染みの地名が出てきますね。

シルクロード

 シルクロード!昔流行ましたよね。「昔」っていつ?というと、かーなり昔、知ってたらトシがバレるくらい昔。80年代ですね。NHKの力の入ったシリーズと喜多郎の音楽によってシルクロードブームが起こりました。喜多郎の音楽はよく使われているので、実はそうとは知らずに耳にしている人も多いと思います。このNHKシリーズですが、今ちょっと調べてみたら、ナレーターが石坂浩二、さらに井上靖、司馬遼太郎、陳舜臣などの超大物ゲストを現地に飛ばして出演させているのですね。かなり豪華なシリーズです。2005年には新シルクロードが放映されています。なんで流行ったのかというと、まあ内容そのものの質の高さ(全30回にわたって放映するだけの濃厚さ)、豪華さもあるのですが、「癒し」「ヒーリング」という言葉が未だ存在していなかったあの頃の日本において、古代西域のロマンチックな癒し的要素があったのかなとも思います。あの頃は僕も馬鹿だったから、見てもあんまり面白いとは思わなかったけど、今だったら面白く見れそうですね。コドモが見るような内容ではないでしょう。

 シルクロードは、ご存知のように古代からの東西の貿易回廊として知られていますが、歴史学的には「シルクロード」という表現や発想に対して異論も強いようです。中央アジア一帯を貿易の「通過点」とする見方は、もっぱら東(中国、日本)や西(欧州)の発想に過ぎず、当の中央アジアの人達にとっては自分らのエリアが「通り道」であるという意識はそれほど無かった。彼らの意識は、北方の遊牧民族と南方のオアシスとの関係性であって、東西交通はそれほど重要なものではない、だからシルクロードという東西貿易の視点だけから考えるのは偏っているというものです。



中央アジアの概要

 さて、中央アジアの資料をネットで探していたところ、NHK高校講座第29回中央アジアがダントツに分かりやすく、役に立ちました。30分番組がダウンロードできます。以下、殆どこの授業のノートで済んでしまうという。以前、インドをやったときもそうでしたしたが、専門家がコンパクトにバランス良く、分かりやすくまとめているという意味では、この種の高校講座に勝るものはないです。他にも良い資料があるのですが、部分的にディープすぎて逆に全体像がつかみにくかったり、バランスが悪かったりするのですね。高校講座(中学でも)、オススメです。高校生のガキが見て分かるかどうかは疑問ですが、あなたが30歳、40歳を越えたら見るべし。だって一番良くできてますから。

 さて、シルクロードの所でちょっと触れたように、中央アジアは北部の草原地帯(遊牧民)と、南部の水の豊かなエリアの農耕民族との相互交流によって形作られてきています。北部の遊牧民族は、文字通り移動しながら生活するので、定置的な施設に頼らない文化スタイル=音楽や伝説など旅の途上で披露・習得できるパターン(口承文芸)を発達させています。オーストラリアのアボリジニなども似たような類型に属するのかもしれません(ドリームタイムの伝説とか)。南部に水が豊富なのは、東方の高山地帯(天山山脈やパミール高原など7000メートル級の超高峰群)の雪解け水がアラル海に流れ込むからです。

 各国の民族構成は、○○スタンという国名が「○○人の住む土地」という意味であるとおり、国名になってる民族が主要民族になりますが、そのレシピーは国によってマチマチです。最も民族濃度が高い順にトルクメニスタンのトルクメン人(85%)、次にウズベキスタンのウズベク人(80%)、タジキスタンのタジク人(80%)、キルギスタンのキルギス人(65%)で、カザフスタンのカザフ人は5〜60%で過半数をちょっと超えたくらいです。カザフスタンは領土が広く、またロシアにも近いことからロシア人が30%ほどいたりしてカラフルな多民族国家になってます。

 ソ連から独立した後、独立国としてやっていくために国家的な統合意識を促進しようとします。こういう多民族国家では、主要民族をあまり前面に出すと少数民族の反乱を招いたりして良くないのですが(インドにおけるムスリム、スリランカにおけるタミルなど)、それでも主要民族名を国名にするということをして国民統合を促進しなければならないのでしょうね。伝統文化であるユルト(遊牧民のテント)を国旗の意匠にしたり(キルギスタン)、歴史上の有名な人物にスポットライトを当てたりします。例えば、ウズベキスタンの首都タシケントでは、14世紀の英雄ティムールの銅像や博物館を作ったりしています。

 また、宗教も大きな役割を果たしています。ソ連からの独立後、イスラム教の復興が行われています。もともとこのあたりの地はイスラム教がメインだったのですが、アンチ宗教的な共産主義を掲げるソ連に支配されている間、宗教は抑圧されていました。それが独立後、「もうソ連じゃないんだ」という意識の称揚=国家意識の促進のために、ソ連時代に廃屋のように放置されていたイスラム教のムスクを修復したりしています。

 さて、独立後、当然のことながら各国ともそれぞれに経済発展を目指すのですが、これまでがソ連という大きな社会主義分業体制にあったため、「キミのエリアはこれね」と産業指定されていたのを、独立国らしくバランスのとれた経済にしなければいけないので一苦労でした。ましてや馴染みのない市場経済に移行させるのですからその苦労は並大抵ではないでしょう。

 さらに、こういった経済発展が微妙に民族の伝統文化とバッティングしたりします。現在の世界の経済パターンというのは、農耕→工業→商業という形で発展してきたので、どうしても定住民的な文化なのですね。これが遊牧民族的な生活スタイルに合わない。そりゃそうですよね、皆が皆移動してたらデリバリーも大変ですし、工場や会社に通勤するのも一仕事です。証券取引所が日によって場所が移動するなんてことは考えられないわけです。まあ、そのあたりはソ連時代に強制的に矯正されてはいるでしょうが、片方で伝統文化や民族意識を称揚し、片方でそれと逆行する近代経済化を進めるということをするわけです。尤も、日本だって事情は同じですよね。日本古来の伝統的な醇風美俗やら家父長制的なシキタリがあるわけですけど、それをぶっ壊してきたのは権利意識の伸張よりも、都市型経済の発展でしょう。皆で田んぼ耕して囲炉裏に座っていたら伝統的なアレコレは守られるでしょうけど、お父さんが朝から満員電車に揺られて、給料振り込みだったら家父長制的雰囲気になんかなりにくいですわ。

 さて、中央アジア五カ国ですが独立後10年はどこも結構苦戦しますが、90年代末くらいから経済が軌道に乗ってきます。特にカザフスタンの経済成長はすごいものがあります。一人あたりのGDPはロシアを越えるところまできています。都市の映像などをみると、日本とかオーストラリアみたいな感じですね。日本人と殆ど見分けがつかないカザフ人と白人系であるロシア人がごちゃ混ぜになってるところに、日本車のディーラーや建て売り住宅などがあるで(オーストラリアみたいなゆったりした造り)、「ここは何処だ?」って感じです。カザフが発展した理由は豊富な石油資源などですが、カスピ海にある油田は、過去30年間で世界で見つかった新油田の中でも最大級のものらしいです。産出された油田はカスピ海対岸のアゼルバイジャンのバクーからトルコ経由のパイプラインで地中海へ、あるいは北方にパイプラインが延びてロシアや中国に運ばれています。

 世界の何処でもそうですが、昔ながらの生活をしていた国=つまり近代化が遅れていた国は、一様に経済的には貧困レベルから出発するのですが、自分の領土に莫大な資源が眠ってるかどうかでその後の展開を大きくわけます。カザフスタンは石油、トルクメニスタンは天然ガスに恵まれているのですが、ほかの3カ国はそのあたりが恵まれず(無いことはないのだが)、綿花や畜産など生産性の低い産業に甘んじざるを得ません。

 結果として一人あたりのGDPでいえば、カザフスタンの3700ドルが突出していて、二位のトルクメニスタン1280ドルに3倍弱の差をつけており、第三位以下はドングリ状態で、ウズベク(550)、キルギス(480)、タジク(360)ということで、カザフとタジクで一人あたりの所得差が10倍もあります。とはいいつも、どこもソ連崩壊後のドン底からすれば10年間で1.5倍から2倍の経済復興を成し遂げています。


ソ連時代のマイナスの遺産もあります。カザフスタンの場合、セミパラチンスク(=北方のロシアとの国境付近)の放射能汚染があります。ここは核実験場でソ連崩壊まで400回以上もの核実験をやってきました。しかし、核兵器は国家秘密で、ソ連政府は地元住人に知らせずにいたため、深刻な放射能汚染が広がっているそうです。現在でもカザフ内部でこのエリアが一番ガン罹患率が高いそうです。ちなみにガンの早期発見のための国際支援として日本人の細胞検査士である土井久平氏が支援しています。もう一つちなみに、細胞検査士というのは聞き慣れない仕事ですが、ガンの変性細胞をプロフェッショナルな手法で検査発見するスペシャリストで、日本には約6000人ほどおり、土井さんのように海外に技術援助しに出かけている人も多いようです。詳しくは、日本の細胞検査士会のHPをどうぞ。

 アラル海周辺にも環境破壊があります。ソ連時代に大規模な灌漑が行われ綿花畑が作られたのはいいのですが、そのために天山山脈やパミール高原からアラル海に流れ込む水を途中で取っちゃっているので、結果としてアラル海の水位が激しく低下、以前の6割までに落ち込んでいるそうです。湖底が干上がった部分にある塩分が風によって散らばる結果、周辺農場に塩害が広がります。もちろん生態系(魚類、鳥類)への影響もあります。漁業も壊滅状態だという。

 なお、これら五カ国にロシアや中国が上海協力機構という組織を作っています。最初は領土や反テロというハードな意味合いだったのですが、今では経済協力気候になっています。

 以下、個々の国々を補充的に見ていきます。


カザフスタン

カザフスタン国旗
 カザフスタンは「カザフ人の国」という意味ですが、じゃあ「カザフ」って何なの?というと、ペルシャ語で「放浪の民」「独立不羈の者」という意味だそうです。”独立独歩の放浪者の国”かあ、遊牧民らしくカッコいいですね。

 カザフスタンは、ソ連時代からのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領が仕切っています。普通、ソ連支配下から脱したら、新しいリーダーが出てきても良さそうですが、この人は一貫してやってます。まあ、ゴルバチョフに抜擢されたこともあり、もともと新体制派の人なのですが。でもこの人、今もなお大統領をやっており、さらに2007年には憲法を改正して終身大統領になってます。強力なリーダーシップというよりも、殆ど独裁ですよね。

 ただ、独裁なだけに”安定”はしており、石油をはじめとする資源大国カザフスタンの経済成長を成し遂げてはいます。カザフスタンの資源はびっくりするくらい豊富で、採掘量が世界第10位以内にランクされる資源が9つもあるそうです。日本政府も小泉政権あたりからカザフスタンと親しくお付き合いを始め、最近ではカザフスタンからのウランの輸入量をこれまでの1%から30%に飛躍的に増大しようとしているようです。石油枯渇が懸念されるところ、原子力のモトになるウラン輸入先を確保するという国策でしょう。カザフスタンは世界第二位のウラン産出を誇っています(第一位はオーストラリア)。

 ただ、独裁であるということは、インドネシアや中南米でもそうであったように一族支配や御家騒動の懸念があります。実際、次期大統領候でマスコミや党を仕切る娘のダリガと、次女のダンナで資源関係を握るクリバエフとの間でドンパチやってるようです。パパである大統領ナザルバエルも悩ましいところです。三女のアリアも建設業界を握っており、結局は親族支配。しかも、野党の大物サルセンバエフが2006年に暗殺されていたりして、うーん、なんだかキナ臭いところもありますね。もともとはソ連の政治文化の下にあったからなあ、、と、ふと思ってしまったりもします。

 ロシアにも中国にもヨーロッパにも近い中央アジアに位置し、資源がやたら豊富で、ソ連時代からの権力者がおって、一族支配の腐臭が漂いつあるわけでしょ。これだけお膳立てが整ってたら、世界各国の政府、商社、石油などの資源系企業が群がりそうな話であり(もちろん日本の商社なども)、それぞれがビジネスをうまく展開するために権力者親族の誰かに近づき、そこで駆け引きやら、秘密の商談やら、陰謀やら、あんなことやこんなことがありそうですな。どんどん資源がヤバくなっていく21世紀において、一つの注目スポットになる国かもしれません。


トルクメニスタン

トルクメニスタン国旗  トルクメニスタンは、カザフスタンに次ぐ資源を有し、中央アジア第二のリッチな国です。が、国土は必ずしも恵まれているとはいえず、85%が砂漠というツライ立地にあります。

 トルクメニスタンも独裁国家で、その独裁ぶりはカザフスタン以上です。カザフスタンと同じくゴルバチョフによって抜擢されたサパルムラト・ニヤゾフというオッサンが独裁者なのですが、「中央アジアの金日成」と呼ばれるくらい個人崇拝を強要し、個人の趣味丸出しの、まるで中世の王様のような政治体制になります。なんせこのオッサンの好き嫌いで国民生活が決まるという凄まじさで、例えば自分の著書を聖書なみに国民に読ませ、地方の図書館や病院を閉鎖し、オペラや演劇の禁止、若者の髭、長髪を禁止、金歯の禁止、禁煙(自分が病気で禁煙しなくちゃいけなくなったから)、年金禁止、ニュースキャスターの化粧禁止(女性は本来の肌が一番美しいという本人の趣味)、インターネット禁止、で、自分の故郷まで誰も使わない6車線高速道路を建設し、自分の家族の黄金像を造り、、、と枚挙にいとまがないです。笑っちゃうような王様ぶりで、最もアホらしい高校の校則よりもさらにアホらしい規制をバンバンやってるという。それも自分の(オヤジ系の)趣味丸出しだという。あ、高さ14メールの黄金のニヤゾフ大統領像もデフォルトで装備ですね。

 しかし、資源があるということは偉大なことで、こんな茶番をやっててもそれなりに経済発展しているわけです。また、このオヤジも生活物資は非常に安く抑えていて暮らしやすくするなど、やることはやってるわけです。そうそう、それでいて永世中立国なんですよね、この国。

 しかし、こんなオヤジ独裁が続いてたらどうなることか?と懸念されるわけですけど、ラッキーなことにニヤゾフ独裁大統領は2006年に66歳の若さで急死します。人が死んでラッキーというのは不謹慎だけど、でもこのオヤジのやってることはもっと不謹慎であり、そう言われてもしょうがないよ。地方の病院を全部廃止するとか、年金を廃止するとか、ムチャクチャじゃん。死因も「心停止」という曖昧なものだし、死亡時刻も未明だし、一服盛られたのではないかという気すらします(数年前に暗殺未遂事件があるし)。もっとも、この人、エラいところもあって権力の世襲はさせなかったです。だから、急死したあと、後継者をめぐって骨肉の争いが展開されることもなく、ベルディムハメドフが後継大統領になり、オペラ演劇の復活、年金や病院の再開など反ニヤゾフ政策を打ち出しています。

 しかし、このニヤゾフという人、マンガみたいな人で興味ありますね。映画か小説にしたら面白そうです。下手な想像よりもはるかに過激なことをアッケラカンとしてやってるし。

ウズベキスタン

ウズベキスタン国旗  カザフスタンとトルクメニスタンとにサンドイッチにされているのがウズベキスタンという国です。
 この国も独裁国家なんですね。イスラム・カリモフという人がソ連時代から大統領職を続けています。ただし、ニヤゾフみたいなふざけた独裁者ではなく、地道にやってますって感じです。ただ、2005年のアンディジャンの反政府デモを力で抑えたときには死者170名(公式、非公式には500名ともいわれる)惨事を招き、欧米の批判を受けています。アフガン戦争の時はアメリカに軍隊の駐留を認めて協力していたのですが、アメリカが画策した市民革命がポシャり、怒ったカリモフにアメリカ軍は所払いを食らいます。あとで述べますが、この時期、アメリカは世界民主化作戦として旧ソ連支配下の国に革命を起こすように焚きつけていたのですね。グルジア(バラ革命)、ウクライナ(オレンジ革命)、キルギス(チューリップ革命)で独裁体制を倒しています。ところがウズベクでは失敗しているわけです。

 ウズベキスタンは、ソ連時代の綿花栽培という負の遺産を承継しています。ソ連の計画経済によって、実はそれほど栽培に適していない綿花栽培を割り当てられたウズベクは、それゆえ綿花産業モノカルチャーというあまり経済貢献しなさそうな産業しかもっていません。また、これが前述したように灌漑のやりすぎで塩害などの環境破壊を引き起こして農耕自体に悪影響を与えているという。

 しかし、ウズベクスタンはカザフほどではないにせよ、そこそこ天然資源に恵まれています。天然ガス、原油、それに金は世界9位です。ですので、綿花モノカルチャーから資源産業への転換が望まれるところです。

 もう一つ、ウズベクスタンには有望な産業があります。観光です。ウズベキスタンという国名は馴染みが薄くとも、タシケントとかサマルカンドという都市名は聞いたことがあるでしょう。古来、ここはシルクロードの中心地であり、観光資源が豊富なのですね。また、モンゴル帝国直後に勃興した中央アジアの一大帝国・ティムール王朝発祥の地でもあり、豊かな文化遺跡があります。日本からもわりと多くの観光ツアーが出ていますよね。

キルギスタン

キルギスタン国旗    キルギスは東西に細長く、国土の40%が標高3000メートルの高山地帯にあります(最高峰7439m)。あとの60%は平地かというとそんなことはなく3000メートル以下の山であり、要するに国土の9割が山というものすごい山国。中央アジアのスイスと呼ばれているそうです。それだけに砂漠はなく気候には恵まれ、ヨーロッパのような地中海性気候です(といっても冬山の極寒あり)。確かに風景写真などをみると、スイスかカナダみたいです。

 キルギスも最初は独裁体制で、アスカル・アカエフが90年から15年間政権を保持していました。しかし、アカエフはもともと改革派であり、言論や反対政治活動の自由にも寛容であり、ゴリゴリの独裁者というわけではないです。しかし、それでも後期に入ると土地利権の私物化や選挙違反など腐敗が指摘されるようになります。2005年の選挙における不正を反対するデモが地方に起き、それが徐々に波及して結局アカエフはロシアに亡命、後に政権を公式に政権を譲ります。これをチューリップ革命といいますが、なんでチューリップなの?というと、キルギスを代表する花なのだそうです。オランダだけではないのね。ちなみに、同じようなネーミングでウクライナのオンレンジ革命、グルジアのバラ革命があります。その後の大統領選挙でバキエフが当選、民主化を目指す旨宣言しています。

 農業、牧畜がメイン産業ですが、天然資源もあります。クムトゥール鉱山(金)の他、水銀では世界三位の産出量を誇ります。同時に観光にも力を入れています。ヨーロッパや日本からの観光目的の場合には、ビザ不要という措置を周辺に先駆けて行っています。

 伝統楽器の三弦のコムズ、口に咥えて演奏する口琴(テミルコムズ)などは、知ってる人は知っている民族楽器。

タジキスタン

タジキスタン国旗  最後にタジキスタンですが、中央アジアで一番小さな国で面積は日本の4割ほどしかありません。ここもすごい山国で、国土の殆どが山岳地帯です。また、南方にアフガニスタンと広く国境を接し、イランにも近いことから、古来タジク人というのはペルシャ系の民族です。8世紀頃からイスラム教と共に入植してきたらしく、他の中央アジア諸国が日本人のような顔立ちをしているのに対し、ペルシャ系、白人系というかコーカサス系の顔立ちをしている人が多いです。

 タジキスタンの政治状況は、イランやアフガンに近いだけにイスラム原理主義のキナ臭さが舞い込んできており、中央アジアの中では一番ドンパチ度が高いです。91年に独立後、旧共産党系とイスラム原理主義系勢力との間で権力闘争が起きます。さらに、政府内部でも、出身地域や氏族による派閥争いがあります。92年9月には本格的な内戦に突入、反政府勢力はアフガニスタンに本拠をおき、旧共産党系政府はロシアに支援を受けます。国連の仲介による和平会談が行われ、1994年9月停戦合意に至るも、ロシア主導の平和維持軍が国中に展開し、またロシア国境警備隊がアフガン国境に沿って配置されています。ノホホンと14メートルの自分の黄金像を建立し、永世中立を謳っている牧歌的なトルキメニスタンとは全然雰囲気が違いますね。現大統領はエモマリ・ラフモノフという人ですが、1992年以来実質的に権力の座にあったのですが、1994年11月の大統領選挙で当選し、正式に最高権力者となっています。

 タジキスタンは中央アジア五カ国中一人当たりGDPは最低であり、かつ人口増加率が高いので、生活水準は相当低いと言われています。あまりにも高山地帯なので、農業に適した土地はわずか(綿花や小麦が栽培されています)。牧畜は盛んです。天然資源は豊富というよりも多様で、石炭、鉛、亜鉛などのほかアンチモン鉱(工業素材)で世界4位の産出量。また、高山地帯の豊富な水流を利用して水力発電所が、そして水力発電量を利用してアルミニウムの輸出が行われています。

 一応、経済成長率が10%とかもの凄い数字があったりするのですけど、実はロシアへの出稼ぎ労働者の送金分が入ってたり、国内のおける所得の再分配がうまくいってなかったりして、貧困層はかなり貧困らしいです。それに加えて5年にわたる内戦、またロシア側に傾斜することで何でもロシア頼み、あなた任せになってしまって自立性が乏しいなどの問題点も指摘されています。今では、国民の生活物資の多くをロシア、ウズベキスタン、国際的な人道援助へ頼らざるを得なくなってます。

 結局、国際紛争地帯に(アフガンとかイラン)に近いだけに、ロシアの介入を招き、国際的なドンパチに巻き込まれてヘロヘロになっているという感じでしょうか。


簡単なまとめ


 こうして見てくると、似たような国名、似たようなエリアでありながら、それぞれに微妙に国情が違っているのが興味深いです。
 これら国々の特徴を決定する遺伝子みたいなファクター幾つかあると思うのですが、一つは遊牧民族性。遊牧民族というのはグループ単位で移動するのでグループ内、氏姓内での結束は非常に強いけど、定住民族のように恒常的な”隣人”というものがおらず、プラスにもマイナスにも”お付き合い”という契機が少ない。だから、地平線を見ながら暮らすという超開放的なんだけど、文化・政治的には自閉的になりやすいのでしょう。この特性が、この地に強大な帝国を産まなかった(14世紀のティムール帝国くらい)原因でしょうし、ロシア帝国に侵略されたときの抵抗も散発的だし、ソ連から独立したときも集まって強大な国家や経済圏を作るという流れになってないです。

 また、前半に書いたように、少数民族の意識を逆撫でして内乱のリスクを冒してまで主要民族名を国名にしたり、伝統や歴史をフィーチャーしたり、国家統合意識を喚起させようとする各政府の涙ぐましいまでの努力は、それだけ皆てんでバラバラで、中々まとまってくれない遊牧民族的気質の裏返しのような気もします。誰も何も言わなくても、自然とオニギリのようにベタッと集団でくっついてしまう日本人とは全然違う感じがしますね。

 第二のファクターは旧ソ連です。カザフやトルクメニスタン、さらにウズベキスタンでの独裁体制は、結局はソ連時代の遺産なのでしょう。独裁体制を維持するためのKGB系の秘密警察の存在もあり、ソ連的な国民の締め付けがあってこそという気がします。また、ソ連時代の計画経済での割り振り、核兵器実験場での残留放射能や環境破壊というマイナスの遺産があります。

 第三のファクターは資源。カザフスタンやトルクメニスタンは資源大国であるために、逆に経済的に裕福で、その裕福さが民主化を阻害するという、まるで中東産油国のような構図になってますよね。逆に資源に乏しい他の三カ国は、それなりに努力しなきゃいけないし、キルギスタンではチューリップ革命まで起きています。

 第四のファクターはイスラム勢力やロシアなどの国際関係です。最後のタジキスタンが典型ですが、イスラム原理主義者とロシア共産主義エリート階級との間で内戦が起きるし、アフガニスタンやパキスタンという南方のきな臭い国々でのドンパチが波及したりします。

 これらのファクターがそれぞれ組み合わさって、五カ国それぞれに違った国情に展開されているのではないかと思います。



過去掲載分
ESSAY 327/キリスト教について
ESSAY 328/キリスト教について(その2)〜原始キリスト教とローマ帝国
ESSAY 329/キリスト教について(その3)〜新約聖書の”謎”
ESSAY 330/キリスト教+西欧史(その4)〜ゲルマン民族大移動
ESSAY 331/キリスト教+西欧史(その5)〜東西教会の亀裂
ESSAY 332/キリスト教+西欧史(その6)〜中世封建社会のリアリズム
ESSAY 333/キリスト教+西欧史(その7)〜「調教」としての宗教、思想、原理
ESSAY 334/キリスト教+西欧史(その8)〜カノッサの屈辱と十字軍
ESSAY 335/キリスト教+西欧史(その9)〜十字軍の背景〜歴史の連続性について
ESSAY 336/キリスト教+西欧史(その10)〜百年戦争 〜イギリスとフランスの微妙な関係
ESSAY 337/キリスト教+西欧史(その11)〜ルネサンス
ESSAY 338/キリスト教+西欧史(その12)〜大航海時代
ESSAY 339/キリスト教+西欧史(その13)〜宗教改革
ESSAY 341/キリスト教+西欧史(その14)〜カルヴァンとイギリス国教会
ESSAY 342/キリスト教+西欧史(その15)〜イエズス会とスペイン異端審問
ESSAY 343/西欧史から世界史へ(その16)〜絶対王政の背景/「太陽の沈まない国」スペイン
ESSAY 344/西欧史から世界史へ(その17)〜「オランダの世紀」とイギリス"The Golden Age"
ESSAY 345/西欧史から世界史へ(その18) フランス絶対王政/カトリーヌからルイ14世まで
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ESSAY 347/西欧史から世界史へ(その20)〜プロイセンとオーストリア〜宿命のライバル フリードリッヒ2世とマリア・テレジア
ESSAY 348/西欧史から世界史へ(その21)〜ロシアとポーランド 両国の歴史一気通観
ESSAY 349/西欧史から世界史へ(その22)〜イギリス ピューリタン革命と名誉革命
ESSAY 350/西欧史から世界史へ(その23)〜フランス革命
ESSAY 352/西欧史から世界史へ(その24)〜ナポレオン
ESSAY 353/西欧史から世界史へ(その25)〜植民地支配とアメリカの誕生
ESSAY 355/西欧史から世界史へ(その26) 〜産業革命と資本主義の勃興
ESSAY 356/西欧史から世界史へ(その27) 〜歴史の踊り場 ウィーン体制とその動揺
ESSAY 357/西欧史から世界史へ(その28) 〜7月革命、2月革命、諸国民の春、そして社会主義思想
ESSAY 359/西欧史から世界史へ(その29) 〜”理想の家庭”ビクトリア女王と”鉄血宰相”ビスマルク
ESSAY 364/西欧史から世界史へ(その30) 〜”イタリア 2700年の歴史一気通観
ESSAY 365/西欧史から世界史へ(その31) 〜ロシアの南下、オスマントルコ、そして西欧列強
ESSAY 366/西欧史から世界史へ(その32) 〜アメリカの独立と展開 〜ワシントンから南北戦争まで
ESSAY 367/西欧史から世界史へ(その33) 〜世界大戦前夜(1) 帝国主義と西欧列強の国情
ESSAY 368/西欧史から世界史へ(その34) 〜世界大戦前夜(2)  中東、アフリカ、インド、アジア諸国の情勢
ESSAY 369/西欧史から世界史へ(その35) 〜第一次世界大戦
ESSAY 370/西欧史から世界史へ(その36) 〜ベルサイユ体制
ESSAY 371/西欧史から世界史へ(その37) 〜ヒトラーとナチスドイツの台頭
ESSAY 372/西欧史から世界史へ(その38) 〜世界大恐慌とイタリア、ファシズム
ESSAY 373/西欧史から世界史へ(その39) 〜日本と中国 満州事変から日中戦争
ESSAY 374/西欧史から世界史へ(その40) 〜世界史の大きな流れ=イジメられっ子のリベンジストーリー
ESSAY 375/西欧史から世界史へ(その41) 〜第二次世界大戦(1) ヨーロッパ戦線
ESSAY 376/西欧史から世界史へ(その42) 〜第二次世界大戦(2) 太平洋戦争
ESSAY 377/西欧史から世界史へ(その43) 〜戦後世界と東西冷戦
ESSAY 379/西欧史から世界史へ(その44) 〜冷戦中期の変容 第三世界、文化大革命、キューバ危機
ESSAY 380/西欧史から世界史へ(その45) 〜冷戦の転換点 フルシチョフとケネディ
ESSAY 381/西欧史から世界史へ(その46) 〜冷戦体制の閉塞  ベトナム戦争とプラハの春
ESSAY 382/西欧史から世界史へ(その47) 〜欧州の葛藤と復権
ESSAY 383/西欧史から世界史へ(その48) 〜ニクソンの時代 〜中国国交樹立とドルショック
ESSAY 384/西欧史から世界史へ(その49) 〜ソ連の停滞とアフガニスタン侵攻、イラン革命
ESSAY 385/西欧史から世界史へ(その50) 冷戦終焉〜レーガンとゴルバチョフ
ESSAY 387/西欧史から世界史へ(その51) 東欧革命〜ピクニック事件、連帯、ビロード革命、ユーゴスラビア
ESSAY 388/世界史から現代社会へ(その52) 中東はなぜああなっているのか? イスラエル建国から湾岸戦争まで
ESSAY 389/世界史から現代社会へ(その53) 中南米〜ブラジル
ESSAY 390/世界史から現代社会へ(その54) 中南米(2)〜アルゼンチン、チリ、ペルー
ESSAY 391/世界史から現代社会へ(その55) 中南米(3)〜ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル
ESSAY 392/世界史から現代社会へ(その56) 中南米(4)〜中米〜グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ベリーズ、メキシコ
ESSAY 393/世界史から現代社会へ(その57) 中南米(5)〜カリブ海諸国〜キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、グレナダ
ESSAY 394/世界史から現代社会へ(その58) 閑話休題:日本人がイメージする"宗教”概念は狭すぎること & インド序章:ヒンドゥー教とはなにか?
ESSAY 395/世界史から現代社会へ(その59) インド(1) アーリア人概念、カースト制度について
ESSAY 396/世界史から現代社会へ(その60) インド(2) ヒンドゥー教 VS イスラム教の対立 〜なぜ1000年間なかった対立が急に起きるようになったのか?
ESSAY 397/世界史から現代社会へ(その61) インド(3) 独立後のインドの歩み 〜80年代の袋小路まで
ESSAY 398/世界史から現代社会へ(その62) インド(4) インド経済の現在
ESSAY 399/世界史から現代社会へ(その63) インド(5) 日本との関係ほか、インドについてのあれこれ
ESSAY 401/世界史から現代社会へ(その64) パキスタン
ESSAY 402/世界史から現代社会へ(その65) バングラデシュ
ESSAY 403/世界史から現代社会へ(その66) スリランカ
ESSAY 404/世界史から現代社会へ(その67) アフガニスタン


文責:田村




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