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今週の1枚(09.03.09)





ESSAY 402 : 世界史から現代社会へ(65) バングラデシュ


 写真は、シドニーのサバーブ(Erskinville)でのランチタイムの風景。公園で書類に目を通しながら食事をしてるビジネスマンと、おそらくはこれからジムに向かうであろう、いかにもマッチョなお兄さん。


バングラデシュ地図
 パキスタンの次は混迷のアフガニスタンに行くつもりだったのですが、そういえばバングラディッシュとスリランカがあったな、、と気付いてしまいました。

 折も折、先日、パキスタンでのクリケットの試合でスリランカチームがテロ被害にあっており、オーストラリアでは連日報道されています。そうでなくても、スリランカのタミールタイガーあたりも国際的には常識だよな、、、でもよく知らないな、、、勉強した方がいいかな、、、次の機会なんか当分なさそうだし、、、と思い直して、やることにします。

 前回と同じ地図を使い回ししましょう。最初によーく地理関係を確認しておきましょう。

 バングラデシュはインドの右上。
 スリランカはインドの右下の島ですね。昔はセイロン島といいました。




バングラデシュ
バングラデシュ国旗
 バングラデシュの国名ですが、バングラディッシュではなく、バングラデシュだそうです。”ディシュ”の方が”dish”みたいで言いやすいのですが、”デシュ”。”デシュ”というのは「国」という意味だそうです。「バングラ」は「ベンガル人」という意味で、バングラ・デシュで「ベンガル人の国」。

 バングラデシュの国旗は日本の国旗によく似ています。背景色が違うだけで、これも日の丸っていえば日の丸ですね。西パキスタンから独立する際、パキスタンの”三日月と星”に対抗してデザインされたそうです。背景色の濃緑は豊かな大地でありイスラムの色(緑)よりも濃くしてます。赤は昇る太陽であると同時に独立戦争の犠牲者の意味もあるそうです。赤丸はセンターではなく、やや左に寄らせてます。

 バングラデシュが日本と似てるのは国旗だけではなく、人口数&人口密度も似てます。似てるというよりも越えてます。日本も人口密集国ですが、バングラデシュはそれ以上。人口1億5000万人以上というのは日本以上ですし、これだけの人口が日本の40%しかない国土にひしめいているので人口密度は日本の二倍以上!

 しかし、世界は広いもので、バングラデシュ以上に人口密度の高い国、エリアがあります。一位はマカオ(1平方キロあたり17951人)、二位はモナコ、以下シンガポール、香港、ジブラルタル、バチカン、マルタ、バミューダときて世界9位(国としては5位)にバングラデシュがきます。しかし、シンガポールやモナコ、香港など小さくて開発されているエリアが人口密度が高いのは当然で、ある程度の広さのある国でみればバングラデシュが世界一でしょう。次に目ぼしい人口過密国は、台湾、韓国、オランダ、インドときて、日本は33位(国としては21位)です。こうしてみると日本もそれほど過密というわけでもないのですね。まあ、「過疎化対策」とか言ってるくらいですからねー。

 ちなみに、逆に人口密度の低い国、スカスカな国はどこかというと、やっぱりオーストラリアでしょう。1平方キロあたり2.7人(日本は339人)は世界228位(国としては191位)で、オーストラリアよりもスカスカな国はナミビアとモンゴルくらいです。


ベンガルの民
 バングラデシュはパキスタンとともにインド独立の際に、イスラム教国であるパキスタン(東パキスタン)として独立しました。このエリアにはイスラム教徒が多かったからです。しかし、バングラデシュのアイデンティティはイスラム教国というだけではありません。もっと古く、強いアイデンティティとして「ベンガルの民」というものがあります。

 ベンガルというのは、バングラデシュにプラスしてその西隣のインドの西ベンガル州(独立の際に東ベンガル州が今のバングラデシュになった)、さらに周辺地域を含む広大なエリアです。ベンガル虎とからベンガル猫が有名ですね。地図を見ても分かるように東西交通の回廊部にありますので、インド古来のドラヴィタ人、アーリア人、そしてアジアのモンゴロイド民族の混血になっており、ベンガル人という民族的まとまりはないです。見た目の個体差も大きい。また、ヒンドゥー教やイスラム教が入り交じっているので宗教的母体もない。じゃあベンガル人を基礎付ける条件は何かというと、「ベンガル語を喋るかどうか」らしいです。

 日本の場合、日本領土=日本列島=日本語=日本民族=日本文化と何もかもが揃ってるから、これが揃わなくなる状態というのが中々理解しにくいのですが、世界的に見れば揃ってる方がマレで、いっそブキミなくらいです。「○○人」というアイデンティティの柱になるのは、場合によって様々で、例えばユダヤ人の場合はユダヤ教徒かどうかだったかな。あそこも長年の流浪で世界中で混血が進んでるから、人種的に括るのは難しいようですね。中国人の場合も、内陸部の少数民族や海外で長年活躍している華僑の混血など、カチッとした定義があるようでないので、中国語を喋るかどうかだったという話を聞いたことがあります。

 ということでバングラデシュではベンガル語が公用語です。住民のベンガル語使用率は98%なのですから当然でしょう。しかし英語もまた準公用語としての地位を与えられており、官公庁や教育機関ではふんだんに英語を用いるようです。イギリス植民地時代の遺産ですね。

 ただイギリスのマイナスの遺産もあります。もともとベンガル地方で一つだったものを、イギリスが統治をしやすくするためにベンガル州を分割し、意図的にヒンドゥーとイスラムとの対立を煽りました。一枚岩に団結されたら困るから仲間割れをするようにし向けるわけですね。いわゆる分割統治というイギリスのお家芸です。その結果、せっかく「ベンガル人」という宗教を越えた人々の結びつきの基盤がありながらも、ヒンドゥVSイスラムという不毛な図式になってしまいました。

 バングラデシュのアイデンティティは、インド独立当時においては「イスラム教」であり、その後「ベンガル」という基本に立ち返ります。70年の大型台風(サイクロン)の直撃を受けた東パキスタンは死者数十万人の被害を出しています。バングラデシュ救済のためにジョージ・ハリスンがコンサートをやってましたね。しかし、西パキスタンの災害救助があまりにも少ないことから、翌年の選挙で反西パキスタンの野党が圧勝し、西パキスタン政府がこの選挙結果を認めないことから独立運動が高まり、内戦状態に突入、さらにインドの軍事介入を招いてバングラディッシュ独立戦争=第三次印パ戦争=が起きます。結果的にはインド軍の圧勝で、バングラディッシュは独立します。1971年のことです。

 バングラデシュ国民は、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒という3グループに分かれるようです。イスラム系が一番多い(現在9割)。独立初期においてはイスラムというコンセプトで(西)パキスタンと合流したものの、その後のパキスタンからの独立戦争(第三次印パ戦争)によって、イスラム教的なポリシーは後退し、宗教の自由を謳っています。だからイスラム”教国”ではない。

 (西)パキスタンはアフガニスタンやイランに近いからイスラム教徒が多いのはわかるけど、なぜ1600キロも離れたミャンマーの隣、東南アジアと言っても良いようなバングラデシュにイスラム教が根付いたのでしょうか?その答は海だそうです。海上貿易の要所となり、イスラム系商人の頻繁な往来を招き、イスラム教が徐々に広まっていったと。その下地の上に、インドを支配するイスラム帝国=ムガール帝国が出来て、このエリアのイスラム化が促進されたのでしょう。今でも、古くからの港町であるチッタゴン(東南部=右下=の海岸線)あたりでは、首都ダッカに比べて、住民のイスラム度が高いようです。

 もっとも、宗教の自由とは言いながらも、イスラム教徒によるヒンドゥー教徒への迫害は結構強いようです。イギリスからの独立前には3割近くいたヒンドゥー教徒は、二度にわたる独立戦争と、その後の人権侵害などによってインドに渡り、今では10%を切ってます。

 
水に浸食されている国
バングラデシュ航空写真  バングラデシュは世界でも最貧国に数えられるほどメチャクチャ貧しく、また衛生状態もかなり悪いという、リッチで潔癖性の最近の日本人からしたら悪夢のような土地かもしれません。

 しかし、バングラデシュの地形や気候を見ると「それも、しょうがないかな」と思ってしまいます。

 右の図は、Googleの航空写真に僕が国境を書き入れて作成したものですが、南からは海、そして国土中央部を走る大河ということで水に浸食されているような国です。この豊富な水源によって、大昔には農業が盛んで「黄金のベンガル」と言われたり、水上交通の便の良さから商業都市として栄えたこともあります。

 しかしそんな「水(川、海)があったらラッキー」なんてのは大昔の素朴な経済での話です。川が氾濫したら自然に耕せるからラッキーだよねというのは、古代エジプトのナイル川の話ですが、近代の集約的農業においては川は氾濫したら困るわけです。そのため中国では古代王朝から治水事業が行われ、日本でも営々と治水が行われています。江戸時代に今の岐阜県で薩摩藩士による宝暦治水が行われています。日本の場合はやり過ぎで、治水事業が本来の目的から離れて公共事業の利権プロジェクトと化し、河口堰なんて作ったりしているのは周知のとおり。それはともかく、どの国も鬼のように治水に努めてきたのですが、さてバングラデシュの場合、未だに年中行事のように洪水が起きてます。しかし、地形をみたら分かるように、これだけブッ太い川が縦横に流れていたら生半可な治水工事でどうにかなるものではないです。オーストラリアの山火事と同じで、ここまで自然の力が圧倒的だと卑小な人間の力ではどうなるものでもない。

 それだけではないです。熱帯エリアにあることから、年がら年中サイクロンがやってきます。竜巻もあります。海嘯(潮津波)なんてのもあります。2004年の大洪水では、なんと国土の60%が洪水に覆われるというと、日本でいえば本州が全部水没するくらいの桁外れの大被害に襲われています。この規模の巨大さを考えたら、人力でどうこうというレベルではないのが分かると思います。せっせと耕作しようが、インフラを整えようが、何をしようがせーので水浸しです。国家開発という点からしたら、まさにザルを水を掬ってるような厳しさです。さらに(まだある)、連続してやってくる水害系の天災によって、森林破壊、土壌劣化、浸食という国土のベーシックな部分にも被害が及びます。まさに水に浸食されているという。

 それに加えて、言うまでもないけどバングラデシュは暑い。水浸しの国で暑かったら衛生状態が良くなるわけがないです。コレラや赤痢の流行が度々起きています。バングラデシュの人達は、もともとこういう国に生まれ育って、高い乳幼児死亡率を乗り越えて生き残ってきた強い人達な筈なのですが、それでもコレラや赤痢は別格としても、下痢その他の病気に頻繁にかかるというのですからそのリスク率はかなり高いでしょう。上下水道などのインフラ整備が必要なのですが、それが進んでいないから感染率も高い。またインフラ整備をやってる最中、天災がきて押し流してしまうという。

 さらに(まだまだある)、祟られているのかと思うような不運は、地層にヒ素を含んでいることです。政府が頑張って飲料水確保のために井戸を整備しているのですが、この井戸水がヒ素に汚染されていたため、ヒ素中毒者が発生し、発ガンの危険すらあるという。

 以上のように難易度が高い初期設定に加えて、人口はムチャクチャ多く、人口密度も世界トップクラスに高いというわけですから、貧しくて不衛生になったとしても、「まあ、無理ないかな、、」と思ってしまうわけです。

貧困のループ
 バングラデシュは世界有数の最貧国ですが、国が貧困になるというのはどういうことか?という、最近では日本でも(どの国でも)他人事ではなくなってる話になります。

 まず、絶対的に貧しいから、どうしても食事の質が劣化し、栄養状態も良くない。だから疾病にかかりやすい。そうなると労働もままにならず、生産性も上がらない。いきおい子供の労働力に頼らざるを得ず、そうなると子供が学校に行けないから次世代も無学のままで、また知的生産性が上がらない。腕力の弱い子供の生産力に頼るので、頭数が必要であり、自然と多産・子だくさんになる。人口はますます増加し、一人あたりのGDPはまた下がる。そうすうと栄養状態はさらに悪くなり、疾病に、、、という貧困ループです。

 これはバングラデシュのみならず、世界の貧困国に共通してみられる傾向です。貧困の本質は何かと言えば、絶対的な貧しさではないと思います。単にカロリー摂取量、日々の平均労働量とか、衛生状態とかそういった絶対的基準でいえば、平安時代の貴族の方が今の日本人よりも絶対的に貧困だったかもしれません。そんなのは時代の基準によって違う。じゃあ相対的なものかといえば、日本でいくら貧しくても第三世界にいけばリッチな部類に入るわけですから、これも決め手に欠ける。では貧困とは何かといえば、この貧困ループ性、「悪循環」だと思うのです。ハマってしまったら抜け出せなくなる蟻地獄のような悪循環ループ性が、貧困の本質ではないかと。だから、日本の格差社会の新しい貧困もそうだし、アメリカでも同じだと思うのですが、絶対的なレベルではなく「一回ハマったら這い上がれない」という絶望性が貧困というものの本当の恐さだと思います。

 ところで元来は同じ国だったインドが最近羽振りが良いのに比べて、パキスタンやバングラデシュは貧困に喘いでいます。これは別にインド人やヒンドゥー教徒が勤勉だったというよりは、歴史的・構造的なものです。植民地時代、ムガール帝国の力を弱めたいイギリスは、被支配民族のヒンドゥー教徒を優遇し、イギリス文化や高等教育を施しています。またイスラム教徒の方も西欧式文化に馴染めませんでした。こういったイギリスの差別的政策の果実として、ヒンドゥー側にはケンブリッジ帰りの超インテリであるガンジー、ネルーら独立革命からその後のインドを導くリーダー達が育ってます。インドのエリート層は伝統的にイギリス的文化を共有しており、また大英帝国傘下のインド帝国という無形財産を承継しますが、イスラム系のパキスタンやバングラデシュは何も持たず、多くの国内難民を抱えてのスタートになります。これが大きなハンデになります。インドがITなどで伸びていったのも、アメリカで成功していた印僑など海外エリートが国内エリート層をビジネスチャンスに導いていったことによります。つまり、インドは貧困というループから抜け出すための手段を持っており、時宜を得てそれを生かし得たということです。

 さらにバングラデシュの場合、これにもう一ひねりあります。その昔は「黄金のベンガル」と呼ばれて景気の良かったこのエリアも、イギリス植民地政府に搾取されてました。特産品はジュート(インド麻)という梱包資材の素材なのですが、イギリスはベンガル人に生産だけさせ、利潤率の美味しい加工部分はイギリスが持っていってしまいました。結果、バングラデシュは工業化の技術も契機も持ちません。独立後も同じことが繰り返されます。東パキスタン(バングラデシュ)が植物を育て、西パキスタンが加工して稼ぐという。これでは経済が離陸するための工業化のキッカケがないです。

 なにかのキッカケがあれば、この貧困ループから抜け出せるのですが、昨今のバングラデシュの希望といえば、貧困国であるがゆえに労働力の安さになり、中国→インドに続いて、世界の工場になりうる可能性があることです。中国人もインド人も相対的にリッチになってくれば賃金も上がるので、より安い労働力を探し求める動きが出るわけですね。ちなみに経済のグローバル化の本質はコレだと思います。浸透圧というか、塩分濃度の均等化というか、全てが平均化していこうという自然の摂理ですね。貧しい国があれば、労賃が安いから工場がやってきて経済発展する糸口が与えられる。その分先進国本国では空洞化が起きて失業問題が発生する。かくして数百年もやっていれば世界が均一になっていくのでしょう。だからグローバル化が進むということは、これまで相対的にリッチな国は限りなく貧しくなるということですが、必ずしもそうなってないのは、第三世界における搾取があるからであり、巨大多国籍企業の独り勝ち状態があるからです。

 ちなみにオーストラリアでも、最近この問題が起きています。@オーストラリアの地場アパレルメーカー(パシフィック社)が大量のオーストラリア人労働者の首切りを行い、A操業の一部を賃金の安い中国に持って行き、BしかしCEOは多額の給料をぶんどっている、という、まるで図解のような分かりやすい三位一体状況が、不況の足音に怯えるオーストラリア人の目の前の展開されました。当然オージーは反発しますね。会社の前で、現役の消防士までがデモに参加して話題を振りまいています。

政治状況と貧困
 1971年の独立のヒーローはシェイク・ムジブル・ラーマンという人でした。独立後、総選挙を通じて憲法や議会など国家の基礎が築かれますが、ここで天災。73-74年に大飢饉に襲われ、ラーマンは非常事態宣言を出し一党独裁体制に入ります。公約は遅々として進まないことから、75年に軍事クーデーターが発生、ラーマン首相は射殺。戒厳令。同じ年にまたクーデターが発生、陸軍参謀総長ジアウル・ラーマン(またラーマンという名前なのだが)が大統領になり、実権を握るのですが、81年に暗殺されちゃいます。

 副大統領サッタールが選挙に勝って大統領になりますが、翌82年には陸軍参謀長エルシャドによる無血クーデターで倒れます。このエルシャドは当初軍事独裁制を敷きますが、86年になると自由化し、自らも軍を退き、自分の党から立候補して大統領になります。しかし、民主化が進むと、反対勢力も活発になり、80年代末から90年代に反政府運動が激しくなり、90年12月にエルシャドは退陣。ようやく民主選挙によって、カレダ・ジアが初の女性首相となります。暗殺されたジアウル・ラーマン大統領の未亡人です。この時期、大統領制から議院内閣制に移行し、民主主義が根付き、経済成長率は4.5%と好転します。

 ところが国家全体の経済(マクロ経済)が良くなっても直ちに国民の生活が良くなるわけではありません。例えば緑の革命によって農業生産性や収穫高が上がったとしても、個々の農民は高額の農機具のローンに追われて却って生活は苦しくなったりするわけです。国家を代表するような大企業が国の経済を引っ張り、大儲けするとしても、その利潤を従業員に還元するかというと、まあ、しないんですよね。明治時代の女工哀史のように、大正時代のプロレタリア文学のように、マクロ経済の進展期には貧富の格差は増大し、貧困者はさらに貧困になるという現象が起きる。

 したがって政治も不安定になります。政党間の争いが激化し、ストライキが頻発し、総選挙は何度も延期されます。1996年の総選挙も、主要野党が全部ボイコットしてるような状況だったため、与党が勝ったとはいえ政情不安は収まらず、ジア首相は辞任します。続いて総選挙が行われ、野党アワミ連盟のハシナ・ワゼドが首相に就任し、以後5年ごとの選挙で政権が変わります。近年の動きでは、2007年に党内対立のために非常事態宣言が出されてますが、08年には無事総選挙が行われ、またアワミ連盟が勝って2009年1月にハシナ新内閣が発足しています。

 こうやって経緯を見ててもよく分からないのですが、近年の政治情勢を簡単に言ってしまえば「二人の女の戦い」ということです。バングラデシュの二大政党は、バングラデシュ民族主義党(BNP)と野党のアワミ連盟(AL)ですが、前者の党首カレダ・ジアは、暗殺されたジアウル・ラーマン元大統領の未亡人であり、後者の党首ハシナ・ワゼドはクーデターで殺害されたジブル・ラーマン元大統領の娘です。「ラーマン」という名前の元大統領が二人いるので頭が混乱するのですが、要するに殺された二人のラーマン元大統領の未亡人(ジア・BNP党)VS娘(ハシナ・AL党)ということです。この二人の女性が交互に政権を奪取し合って争っているという図式ですね。

 ちょっと待てよ、イスラム教だったら女性の地位は低いはずだろ、なんで国の最高権力者が二人とも女性なのだ?という疑問が湧くのですが、これはイスラム教として読み解くよりも、封建社会的な主家の血筋という点で読み解くべきでしょう。一族の者が出てこないと地盤がまとまらないという。田中角栄の娘で田中真紀子が出てきたようなものですが、イチ議員の代襲相続レベルではなくいきなり国家元首レベルに話がいってしまうところで、バングラデシュの政治状況がなんとなく分かります。形の上では民主主義になっているけど、実質的には封建時代の国盗りゲームだったりするわけですね。またデモやゼネストが行われていると何となく民主主義っぽいのですが、実態は野党側の半ば暴力的な与党攻撃であり、お金で人夫を雇って騒ぎを起こすという(”ハルタル”と呼ぶそうです)。ちょっと前のタイでの空港占拠事件のようなパターンです。

 したがって政治腐敗もひどく、世界各国の政府の腐敗をチェックしているNPOであるトランスパレンシー・インターナショナルが、2004年度に、バングラデシュを世界の腐敗政府ワースト1に挙げていることです。その後ワースト1の汚名は免れていますし、しょせんはイチNPOの意見に過ぎないのですが、それを差し引いても相当なものでしょう。前回やったパキスタンや中南米と事情は同じで、あまりの腐敗のひどさに軍部が立ち上がってクーデターを起こしているわけで、軍部の方がまだしもマシだという。2006年も軍部の力でアハメド暫定内閣が総選挙の管理と汚職撲滅の捜査をやってるわけですが、ジアとハシナという二大女傑は、いずれも収賄等で逮捕されています。


   貧困も政治腐敗も、相互に関連しているのでしょう。
 バングラデシュの乳幼児死亡率は1000人あたり97.6人。ちなみにユニセフの統計である5歳児未満の死亡率をみると、バングラデシュは73人で世界ワースト57位です。日本は4人で世界182位(逆に優良な順で並べたら日本は同率5位)。平均寿命は98年の統計によれば、56歳で微差で女性の方が短命です。ということで健康状態が良くない。さらに教育でいえば、識字率は男性で半分、女性に至っては4分の1に過ぎません。失業率は40%に達すると言われています。

 このようなハードな生活環境では乏しい生活資源の奪い合いにならざるを得ず、徒党を組んで勢力争いに発展し、これが政党、政治になっていくという戦国時代さながらの様相を呈します。今日の世界は資本主義であり、資本主義というのはお金持ちがよりお金持ちになるゲームです。最初に膨大な資本投下をして設備投資をし、高い生産性を実現し、大きな利潤を生み、さらに設備投資をし、、という好サイクルにもっていけるかどうかです。バングラデシュは世界から多大な援助を得ており、政府も関係者もそれなりに計画を立て、インフラ整備を試みていますが、肝心の政治システムが腐敗していたら、開発資金は誰かのポケットに収まってしまい、非常に効率が悪い。

 「貧困」というのは、国にGDPとかいうことだけではなく、富を生み出し、国民に富を行き渡らせるシステムが正しく稼働しているかどうかなのでしょう。バングラにはこれが欠けている。日本はバングラデシュにおける最大の援助国ですし、多くの日本人が現地にいってヘルプをしています。バングラデシュの人達も非常に親日的だといいます。現地に出かけた日本人のサイトが沢山あり、そこに現場のダメダメ度が書かれていたりするのですが、まずもって官僚のやる気がない。これは世界的にも有名らしいです。次に租税収入が低い。特に税金を集めるシステムがダメで、所得税法人税ともにごく一握りの者が払っているだけで、本来払うべき富裕層は脱税しまくっている。地方行政が薄い。数千数万人の役人がいてもいいくらいの日本の都道府県レベルの自治体をわずか数十人、数百人でやっており、それもサボるから中央の政策が地方に浸透しない。政治の腐敗・非効率は政府だけではなく、警察、司法にも及ぶ。タカリのような警察の検問によって物量は阻害され、給料未払いで裁判をかけても長引くので無意味であり、働かない方がマシとすらいえる。ゼネスト(ハルタル)が起きると国全体が止まる。うかつに外に出たら暴徒に襲われるから出れない。結果として、いくらお金を援助して、立派な計画を立てても現場が動かず、システムとしての体をなしていない。インフラ整備も未熟なままなので、年柄年中停電しており、病院でも国際空港でも停電するという。そして、冒頭で書いたように、定期的に、洪水、サイクロン、竜巻、海嘯が襲うという。

 このようにダメダメな状態なのですが、だからといってバングラデシュの人達は不幸の極致でのたうち回っているわけでもないし、陰険姑息な人だらけってわけでもないようです。考えてみれば、経済的発展と人生の幸福とはあんまりリンクしないんですね。日本だって昔は悲惨なものだったし、寒村では当たり前のように女の子を人身売買に出していたわけです。敗戦直後などは、核兵器二発を食らって、大都市は荒野にされ、ナチスと並んで人類の敵ナンバーワン、皆殺しにされても文句は言えないくらいの状態だったわけです。それでも昔の方が家族が家族として温かく機能していたし、寅さん的なコミュニティもあったという人もいます。個人の歴史を振り返ってみても、金回りが良くなった中年時代よりも、GDP的には比較にならないくらいビンボーだった青春時代の方が人生的には豊かだったりもするのですね。わからんのですよね。

 それに、日本にいると分かりにくいけど、意外と日本人は世界では人気者です。少なくともアメリカ人よりは遙かに好かれています。それもこれも植民地時代に(無謀にも)ロシアに刃向かっていったからだし、戦後ゼロから這い上がってきたからです。だから、NHKの「おしん」という連ドラが世界的に流行ったりしたわけですね。僕が通ってた語学学校のクラスメートにバングラデシュ人がいましたが、「おしん」は見てた、感動したと言ってました。バングラデシュの人達は総じて親日的だといいますが、単に援助大国だけだからではないと思います。

 僕が日々やってる仕事でも、シドニーでバングラデシュ人の家でシェアした人は結構いますが、いずれも温かく迎えられ、ラウンド後に無料で泊めてくれたり、誕生日にお祝いをしてくれたりという、ほんのりしんみり体験をしています。素の人は良いのでしょう。逆に人が良いからこそ、こすっからい連中にいいように搾取されたりしてるのでしょう。また、こんなハードな環境で黙々と頑張っていること自体、勤勉である証拠でもあるでしょう。


NGO大国バングラデシュ

 最貧国バングラデシュには世界中から支援のための民間団体、NGOが集まっており、NGOのメッカのような国です。

 端緒は70年。20世紀最大の天災といわれたサイクロン被害(死者50万人)の復興コンサートをジョージハリスンが行い、また1970年代というカルチャー(ヒッピー、反戦ムーブメント)も手伝い、世界の目がこの地に注がれます。多くの復興支援が各国から寄せられていたわけですが、71年独立、75年独立の英雄ラーマンの暗殺など政治的混迷が続くなか、世界の支援の手法は、政府間援助よりもNGOに傾いていったそうです。なぜなら、政府間でやっていても、腐敗官僚や行政システムの非効率性によって実効性に乏しく、直接現場で活動するNGOの方が優れていると認識されていったからです。

 以後30年にも及ぶ地道で継続的な活動の結果、いまやNGOはバングラデシュの実質的な行政システムになっているといっても過言ではないでしょう。単に医療、食糧の配布事業に留まらず、インフラ整備、商品流通や協同組合なども手がけています。その活動分野は多岐にわたり、殆ど全ての社会サービスをカバーしているといってもいいです。思うにこれを政府主導でやると「民営化」「民間活力の導入」になるのでしょうね。そうではなく、NGOが頑張って活動するので、事実上政府の職分を肩代わりするようになっているという。

 BRAC(Bangladesh Rural Advancement Committee)というマンモスNGOがあります。首都ダッカに20階建てビルを持ち、スタッフ数11万人(有給専従スタッフだけでも2万5000人)、年間予算450億円という大企業並の組織であり、活動のなかの教育部門だけでも国内3万校、110万人の生徒にプログラムを行っています。

 貧困だろうが、天災が多かろうが、”人材””逸材”というのは確率論的に一定の比率でどこの国にもいます。BRACのファザル・ハサン・アベド総裁は、グラスゴー大学を出て、バングラデシュのシェル石油の財務関係取締役までやっていたバリバリのエリートですが、71年の独立戦争とその後の国民の窮乏、政府の非効率を見かね、私財を投げ打って農村開発に取り組み、BRACを立ち上げます。生業を助けるための小口貸し付け(マイクロファイナンス)をいち早く実施しています。貧困に施しを与えるのではなく、貧困から抜け出すのを手伝うというスタンスです。アドベ総裁はつい先日(09年1月)日本に来て講演をやっていますが、彼の話によると、とにかく女性に貸したそうです。バングラデシュの女性は、識字率こそ低いけど頑張り屋さんで一家の大黒柱になってるケースが多い。男に貸してもバクチですったりして非効率だけど、お母ちゃんに貸せば必ず有効に使ってくれるということです。分かる気がしますね。

 彼が活動を始めた当初、乳幼児死亡率は252人。赤ちゃんが4人生まれたら1人はほどなく死ぬという状態だったのが、経口保水塩の作り方を伝授したり予防接種をすることで、この死亡率は62人まで激減。これに平行して、女性が平均7人子供を産んでいたのも、今では2.7人まで下がり、人口急増を抑えています。この団体はまた、800万人に昨年度だけで12億ドルを支出し、小額貯蓄プログラムも行い、累計2億 8000万ドルが預金されています。マイクロファイナンスでは、毎週少額を分割払いしてもらっているところ、貸しっぱなしではなく、毎週現地のスタッフが直接返済してもらい、有効活用するためのアドバイスなども行っています。さらに、農業や酪農支援として、入手の難しい種のゲットを代行したり、牛乳の集荷、民芸品の流通販売までも行っています。講演の内容については、東京財団フォーラムの該当ページ参照。あるいはココ

 僕も日本にいた頃、ちょっとばかりNGO、NPOと関わりを持ったことがありますが、そこで感じたのは、ボランティア団体であればあるほど一流のビジネスセンスが必要とされ、大企業でも十分以上にやっていけるだけの人材が必要だということです。なぜなら単に利潤を上げれば良いのではなく、人々の幸福を現実に増進させなければならないという、営利企業以上に高い目標水準を持つからです。また、優秀なNGOほど、どこからも紐付きではない自主財源を持つべきだから、ガンガン稼ぐべきだとも思ってます。稼いだお金でさらに人助けをすればよいのですから。その意味でいえば、このBRACは教科書のような存在で、もともと多国籍企業の現地重役だった人が、それまでのキャリアを投げ打ってやってるだけに活動はシビアです。マイクロファイナンス事業のコストは、1ドル融資するのにわずか6セントであり、これは世界的にも類例のない低コストだそうです。

 余談ですが、理想論をいえば、究極的には営利企業もNGOも同じ到達点になるような気がします。企業にも社会的使命・責任というものがありますから、これをお題目ではなく真面目に実践したら、それはとりもなおさずNGOなんですよね。例えば、松下幸之助の水道哲学などです。BRACも松下の伝統的社風と同じく、幹部社員でも入社1年目は貧しい人達と共に暮らす現場廻りをさせているようです。

 アベド氏のBRACには偉大なる先達がいます。アクター・ハミド・カーン博士という人で、彼もケンブリッジ大学出身のパリパリの英領インドの国家公務員でした。まだ第二次大戦中の頃です。彼は政府のあり方にキレて辞職し、故郷で貧しい生活を送ります。農村開発アカデミーという団体の総長に就くと、人々と寝食を共にして頑張ったそうです。カーン博士はパキスタン国籍だったので71年のバングラデシュ独立を機にパキスタンを離れますが、今でも博士がいた村々では彼の写真を掲げているそうです。パキスタンに戻った博士は、貧民街の自助組織を作り上げ、今日のNGOの偉大なる先駆者になります。

 もう一人、バングラデシュといえば紹介すべき人物がいます。ムハマド・ユヌス氏とグラミン銀行です。この人も渡米して経済博士号をとっているパリパリのインテリですが、地元の大学の学部長になるも、マイクロファイナイス事業=グラミン銀行プロジェクトを始めています。もっぱらマイクロファイナンスの創始者と言われていますが、時期的にはBRACの方が早いとは思います。が、マイクロファイナンス一本で頑張り、最初はなかば軽侮されていたイトナミを育て上げ、2005年には国連をしてマイクロファイナンス年を宣言させ、2006年には銀行共々ノーベル平和賞を受賞しています。マイクロファイナンスは、前述のBRACと同じく女性に貸し付けています。現在、このシステムは広く開発途上国で行われいますが、やはり女性を対象にするという路線は変わらないようです。全世界で7000行、リアルタイムの顧客は1600万人、累積顧客数は5億人とも推定されています。


 以上見てきたようにバングラデシュは、最貧国であり、気候や地政学的にもあまり恵まれず、政治腐敗もひどいのではありますが、それだけに傑出した人物が傑出した事業を行ったり、世界中から集まったNGOが活動を展開しています。また、近年は堅実に経済成長を続けており、また人口増加率も減少しつつあることから、徐々に上向きにはなっているようです。もし、この国が本格的に離陸を始めていったら、膨大な人口は膨大な内需市場を意味しますから、 インドの後を続いていくかもしれません。

 うう、スリランカまでやろうと思ったら、バングラデシュだけで燃え尽きてしまいました。



過去掲載分
ESSAY 327/キリスト教について
ESSAY 328/キリスト教について(その2)〜原始キリスト教とローマ帝国
ESSAY 329/キリスト教について(その3)〜新約聖書の”謎”
ESSAY 330/キリスト教+西欧史(その4)〜ゲルマン民族大移動
ESSAY 331/キリスト教+西欧史(その5)〜東西教会の亀裂
ESSAY 332/キリスト教+西欧史(その6)〜中世封建社会のリアリズム
ESSAY 333/キリスト教+西欧史(その7)〜「調教」としての宗教、思想、原理
ESSAY 334/キリスト教+西欧史(その8)〜カノッサの屈辱と十字軍
ESSAY 335/キリスト教+西欧史(その9)〜十字軍の背景〜歴史の連続性について
ESSAY 336/キリスト教+西欧史(その10)〜百年戦争 〜イギリスとフランスの微妙な関係
ESSAY 337/キリスト教+西欧史(その11)〜ルネサンス
ESSAY 338/キリスト教+西欧史(その12)〜大航海時代
ESSAY 339/キリスト教+西欧史(その13)〜宗教改革
ESSAY 341/キリスト教+西欧史(その14)〜カルヴァンとイギリス国教会
ESSAY 342/キリスト教+西欧史(その15)〜イエズス会とスペイン異端審問
ESSAY 343/西欧史から世界史へ(その16)〜絶対王政の背景/「太陽の沈まない国」スペイン
ESSAY 344/西欧史から世界史へ(その17)〜「オランダの世紀」とイギリス"The Golden Age"
ESSAY 345/西欧史から世界史へ(その18) フランス絶対王政/カトリーヌからルイ14世まで
ESSAY 346/西欧史から世界史へ(その19)〜ドイツ30年戦争 第0次世界大戦
ESSAY 347/西欧史から世界史へ(その20)〜プロイセンとオーストリア〜宿命のライバル フリードリッヒ2世とマリア・テレジア
ESSAY 348/西欧史から世界史へ(その21)〜ロシアとポーランド 両国の歴史一気通観
ESSAY 349/西欧史から世界史へ(その22)〜イギリス ピューリタン革命と名誉革命
ESSAY 350/西欧史から世界史へ(その23)〜フランス革命
ESSAY 352/西欧史から世界史へ(その24)〜ナポレオン
ESSAY 353/西欧史から世界史へ(その25)〜植民地支配とアメリカの誕生
ESSAY 355/西欧史から世界史へ(その26) 〜産業革命と資本主義の勃興
ESSAY 356/西欧史から世界史へ(その27) 〜歴史の踊り場 ウィーン体制とその動揺
ESSAY 357/西欧史から世界史へ(その28) 〜7月革命、2月革命、諸国民の春、そして社会主義思想
ESSAY 359/西欧史から世界史へ(その29) 〜”理想の家庭”ビクトリア女王と”鉄血宰相”ビスマルク
ESSAY 364/西欧史から世界史へ(その30) 〜”イタリア 2700年の歴史一気通観
ESSAY 365/西欧史から世界史へ(その31) 〜ロシアの南下、オスマントルコ、そして西欧列強
ESSAY 366/西欧史から世界史へ(その32) 〜アメリカの独立と展開 〜ワシントンから南北戦争まで
ESSAY 367/西欧史から世界史へ(その33) 〜世界大戦前夜(1) 帝国主義と西欧列強の国情
ESSAY 368/西欧史から世界史へ(その34) 〜世界大戦前夜(2)  中東、アフリカ、インド、アジア諸国の情勢
ESSAY 369/西欧史から世界史へ(その35) 〜第一次世界大戦
ESSAY 370/西欧史から世界史へ(その36) 〜ベルサイユ体制
ESSAY 371/西欧史から世界史へ(その37) 〜ヒトラーとナチスドイツの台頭
ESSAY 372/西欧史から世界史へ(その38) 〜世界大恐慌とイタリア、ファシズム
ESSAY 373/西欧史から世界史へ(その39) 〜日本と中国 満州事変から日中戦争
ESSAY 374/西欧史から世界史へ(その40) 〜世界史の大きな流れ=イジメられっ子のリベンジストーリー
ESSAY 375/西欧史から世界史へ(その41) 〜第二次世界大戦(1) ヨーロッパ戦線
ESSAY 376/西欧史から世界史へ(その42) 〜第二次世界大戦(2) 太平洋戦争
ESSAY 377/西欧史から世界史へ(その43) 〜戦後世界と東西冷戦
ESSAY 379/西欧史から世界史へ(その44) 〜冷戦中期の変容 第三世界、文化大革命、キューバ危機
ESSAY 380/西欧史から世界史へ(その45) 〜冷戦の転換点 フルシチョフとケネディ
ESSAY 381/西欧史から世界史へ(その46) 〜冷戦体制の閉塞  ベトナム戦争とプラハの春
ESSAY 382/西欧史から世界史へ(その47) 〜欧州の葛藤と復権
ESSAY 383/西欧史から世界史へ(その48) 〜ニクソンの時代 〜中国国交樹立とドルショック
ESSAY 384/西欧史から世界史へ(その49) 〜ソ連の停滞とアフガニスタン侵攻、イラン革命
ESSAY 385/西欧史から世界史へ(その50) 冷戦終焉〜レーガンとゴルバチョフ
ESSAY 387/西欧史から世界史へ(その51) 東欧革命〜ピクニック事件、連帯、ビロード革命、ユーゴスラビア
ESSAY 388/世界史から現代社会へ(その52) 中東はなぜああなっているのか? イスラエル建国から湾岸戦争まで
ESSAY 389/世界史から現代社会へ(その53) 中南米〜ブラジル
ESSAY 390/世界史から現代社会へ(その54) 中南米(2)〜アルゼンチン、チリ、ペルー
ESSAY 391/世界史から現代社会へ(その55) 中南米(3)〜ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル
ESSAY 392/世界史から現代社会へ(その56) 中南米(4)〜中米〜グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ベリーズ、メキシコ
ESSAY 393/世界史から現代社会へ(その57) 中南米(5)〜カリブ海諸国〜キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、グレナダ
ESSAY 394/世界史から現代社会へ(その58) 閑話休題:日本人がイメージする"宗教”概念は狭すぎること & インド序章:ヒンドゥー教とはなにか?
ESSAY 395/世界史から現代社会へ(その59) インド(1) アーリア人概念、カースト制度について
ESSAY 396/世界史から現代社会へ(その60) インド(2) ヒンドゥー教 VS イスラム教の対立 〜なぜ1000年間なかった対立が急に起きるようになったのか?
ESSAY 397/世界史から現代社会へ(その61) インド(3) 独立後のインドの歩み 〜80年代の袋小路まで
ESSAY 398/世界史から現代社会へ(その62) インド(4) インド経済の現在
ESSAY 399/世界史から現代社会へ(その63) インド(5) 日本との関係ほか、インドについてのあれこれ
ESSAY 401/世界史から現代社会へ(その64) パキスタン


文責:田村




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