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ESSAY 392 : キリスト教+西欧史(56) 中南米(その4) グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ベリーズそしてメキシコ
写真は、North Sydneyから望遠で捉えたハーバーブリッジ。今年も、じゃなかった来年もNew Year Fireworksが行われるわけですが、橋には大きなパネルが架せられ、毎年違ったテーマのデザインが施されます。この写真ではまだ作業がなされてませんが、今頃にはもう下準備も済んでいるでしょう。今年は、 "midnight creation storm" 、創造を産み出す嵐とでもいうのでしょうか、「ふむ?」というテーマです。ま、見てのお楽しみです。しかし、このパネル、いつも思うのだけど橋の東側(オペラハウス側)にしか設置されておらず、反対側からはよく見えないんですよね。両側やって欲しいな。
もう年の瀬なんですけど、あとちょっとでお正月なんですけど、ぜーんぜん季節感無くいきます。
中南米編の第四回目です。今回は中米。中央アメリカです。
グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ + パナマ、ベリーズ
「中米」というと、かつて中米連盟を構成していたグアテマラからコスタリカまでの5カ国に、後年コロンビアから独立したパナマ、英領から独立したベリーズ、それにズバ抜けて大きなメキシコが含まれます。まずはグアテマラ〜コスタリカの5カ国を見ましょう。
これらの国々のサイズはコンパクトで、5カ国全部合わせても42万平方キロというから日本よりもちょっと大きなくらいです(日本は37万)。人口3300万人というのは日本の約3分の一。それぞれが隣り合って密集していることから、その歴史や特徴はある程度のところまでは同じです。
歴史についていうと、スペインの植民地から独立&メキシコ帝国の一部になる(1821)→しかしメキシコがコケたので再び自分達だけで独立、中米連合をつくる(1823)→仲間割れ、バラバラ独立(1839)→以下各国それぞれの歴史をたどる→途中、ニカラグアの対ウイリアム・ウォーカーの国民戦争の時だけ一致団結して戦う(1856、、あたりはいずれの国も共通しています。
これら中米諸国は一様に貧しいのですが、そのなかでもコスタリカとパナマが良く、グアテマラとエルサルバトルが中位につけ、ニカラグアとホンジュラスは最貧国に喘いでいます。中米の経済は、総じて未だにバナナ園かコーヒー園という農業から脱却できず、このモノカルチャーが大土地所有制度という旧来の弊風を生存させ、それが貧富格差を産み、犯罪や政変などの社会不安を生みます。
またアメリカに近いだけあって、アメリカの都合や意向によって翻弄されるという大国近隣諸国の哀しい宿命を背負ってます。アメリカはこの地にユナイテッド・フルーツ社というバナナ会社を持っていて、この会社の利益に反することをする国はアメリカに意地悪されます。また、第二次大戦以降の冷戦時期は、近くにキューバがあることもあり、反共戦争の場としてCIAが暗躍します。古い格差や構造を改めるためには、どうしても左系の社会改革をする政権があらわれるのですが、そうなると反共のターゲットにされてクーデターを起こされてしまうという。冷戦後はNAFTAなどの新自由経済主義やグローバリゼーションが訪れますが、逆にこれがまた貧富格差を助長するという。まあ一連の中南米セットメニューがここでも展開されるわけです。とくに80年代のメキシコ通貨危機のあおりを食った時期は、中米における「失われた10年」とも呼ばれ、この時期に各国経済は大きな打撃を受けます。が、90年代後半以降、また着実に伸びつつあります。
中米は範囲が狭いわりには、中央部に高山地帯があり、開発が遅れているのが幸いして濃密な自然が手つかずで残っています。また、マヤ文明など古代文明の遺跡も数多く残っているところから、エコツアーや遺跡ツアーなど観光資源としてのポテンシャルはかなりのものがあり、これを活用しようという動きが活発です。ネットで検索すると日本人の旅行記も数多く見受けられます。
グァテマラ
中米連合の仲間割れの原因は、エルサルバトルの自由派(モラサン将軍)とグアテマラの保守派(カレーラ)の主導権争いでしたが、結局カレーラが勝利して連邦は解体、グラテマラは独立します。カレーラは保守政治を敷きますが、意外と先住民の権利保護(共有地保護)などの善政を敷きます。カレーラの死後、先住民共有地は解体、コーヒー栽培のための大土地所有が進み、コーヒー農園で働くため1893年にはラテンアメリカへの日系移民の第一号もやってきます。
20世紀前半は独裁政治で社会が荒みますが、第二次大戦後は「グアテマラの春」と呼ばれる民主的な社会になります。が、それも束の間、アメリカのバナナ大企業ユナイテッド・フルーツ社の土地にも農地改革をしたので、アメリカが怒ってクーデターを起こさせます。「なんちゅうことすんねん」って気もしますが、これが中米の現実。以後、冷戦時代はアメリカの反共政策によってCIAが国をひっかきまわし、その挙げ句に1960年からグアテマラ内戦になり、25万人の死者を出して、83年にようやく終熄、96年に正式手打ち(政府とゲリラ)。グアテマラの20世紀は、アメリカの都合によって振り回されているといってもいいでしょう。
グアテマラには、マヤ系など先住民族の比率が高く、またマヤ&スペイン時代の遺跡や文化も濃く残っているといいます。裏を返せばそれだけ近代化・経済発展が遅れているということで、恒常的な貧困問題は大きいです。しかし、観光的にはむしろこの未開発なエキゾチックさは魅力であり、もっとも安くスペイン語留学が出来る場所として若い旅行者には有名ですし、世界一周の旅を志す若者は、まずグアテマラでスペイン語を習って、、という「定石」があるとも聞いたこともあります。
エル・サルバドル
独立後、独裁や政変が続いたエルサルバトルですが、1960年代にやっと安定したと思えたのも束の間、隣のホンジュラスと
サッカー戦争
が起きてしまいます。この経緯はフクザツなのですが、1960年にこのあたりの諸国が集まって経済協力します(中米共同市場)。第二次大戦後工業化を始めたエルサルバドルが相対的に抜きんでて工業製品を作り、投資がなかったホンジュラスは単に商品を買うだけの従属的な存在に置かれていました。また、エルサルバドルの工業化といっても、古い大土地所有(「十四家族」という言葉に象徴されるような寡頭大土地所有)を改めずにやったため自国労働者の再配置が巧くいかず、隣のホンジュラスに30万人ほどが農業移民として出稼ぎに出てました。ホンジュラスとしては農民は押しつけられ、製品は買わされで、なんか上手いことやられているような不満がありました。1962年にはホンジュラスで農地改革があったのですが、エルサルバドル農民にはその恩恵が与えられなかったことでエルサルバドル側でも不満が出てきます。どちらも悶々としているなか、1969年の両国のサッカーの試合を契機に不満が爆発、選手団宿舎前の小競り合いから戦争になってしまいます。戦争そのものは100時間で終わったそうですが、戦闘機が空中戦をやり、エルサルバドル陸軍がホンジュラスに攻め入ったりしてかなり派手にやったようです。
この戦争以後、ホンジュラスはエルサルバドル製品をボイコット、エルサルバドル農民も強制的に追い出します。製品は売れないわ、失業者が30万人も増えるわで、エルサルバドル社会はグチャグチャになり、テロが相次ぎ、内戦状態になります。また、アメリカのレーガン政権が反共政策の一環としてテロを繰り返す極右勢力に大幅な支援をするから状況はいよいよ混迷します。7万人の死者と100万人の亡命者を出したこの内戦も、1992年に国連のPKOを受けるなどして終結。
エルサルバドルは四国ほどしかない小国で、そのわりには人口が多く、また人々も勤勉で知られています。92年後、二度の大地震とハリケーン被害にもメゲずに頑張って経済復興している過程にあります。火山と地震が多く、国民が勤勉なところから「中米の日本」という言い方もあるそうです。オリバー・ストーン監督の「サルバドル」という映画もあるそうです(未見だけど)。ちなみに、エルサルバドルという国を漢字で書くと「救世主国」になります(他の書き方もあるけど)。サルバドル=サルベイダー=救世主という意味からです。
ホンジュラス
世界で最初に「バナナ共和国」と呼ばれたのはホンジュラスです。「バナナくらいしか産業がない貧しい小国」という意味で一般的に使われたりもしますが、中南米の場合もっと具体的です。アメリカ人のマイナー・キースという実業家がバナナ園を興し、
ユナイテッド・フルーツ社
を立ち上げます。輸送のための鉄道や港湾設備も自己資本で整備するのですが、バナナというのは傷みやすく、熱帯雨林で収穫して即港から出荷してしまうので、地元経済への恩恵が少なく、先進国の搾取の好例として説明されたりします。ユナイテッド・フルーツ社は、莫大な資本と影響力でその国の支配層と繋がり、また本国アメリカともつながっていることで、結果的に中米諸国をアメリカの属国化させます。上で述べたようにグアテマラで農地改革が行われそうになると、同社はCIAと結託し、反政府クーデータを起こさせたりします。なんというか時代劇に出てくる悪代官と癒着している越後屋みたいなものですかね。
ホンジュラスはこのバナナ共和国第一号であり、政変でゴタゴタするとバナナ利権を守るためにアメリカが出てきて調整したりします。1929年の世界恐慌によってバナナ産業が打撃を被り、労働争議が活発になったときも、アメリカとバナナ会社の支持を背景に軍事政権が独裁します。60年代は上記のようにエルサルバドルとサッカー戦争を行い、その後はニカラグアのコントラ戦争のためのアメリカ軍の駐留基地になり、親米軍事政権になります。民政移管するのは93年になってからです。
このようにアメリカのバナナ&反共政策に翻弄されているホンジュラスですが、軍事独裁系の政権が続きながらもそれなりに安定していて、他国のような悲惨な内戦は起きていません。しかし、ニカラグアと並んで中米でも最低ランクに貧しく、世界レベルでも最貧国の一つに挙げられています。貧しく、経済開発が進んでない分、手つかずの大自然という観光資源には事欠かないという方程式はここでも健在で、ホンジュラスは、中米のマヤ文明を代表するコパン遺跡、カリブ海のバイア諸島はダイビングスポットとして有名らしく、ロアタン島には高級リゾートホテルが立ち並んでいるそうです。
ニカラグア
ニカラグアには
ウィリアム・ウォーカー
という野心家のアメリカ人がやってきます。この人はアメリカ南部の傭兵あがりで、冒険家とも言われますが、本業は医師だったりします。ヨーロッパにも留学してたりしてそれなりにインテリなのですが、「自分の国を持つ」という彼なりの国盗り物語を夢想し、実行しちゃいます。30歳のとき(1854年)に部下45人を連れてメキシコの一部で勝手に国を造りますが、あえなく当局に制圧。その後、懲りない彼は、援軍を求められるままニカラグアに赴き、ここで快進撃をして軍の最高指令に収まり、さらには大統領になっちゃいます(56年)。わずか2年で本当に国をとっちゃったりして、考えてみればロマンのある時代ですな。ただ大統領になった後がよくなく、故郷のアメリカ南部のように黒人奴隷制度を導入し、英語を公用語にし、アメリカ人が土地を取得できるような法律にしてアメリカ化を進めようとします。あまりに異質な文化を強要しようとするウォーカーに対して、このときばかりは近隣中米諸国が日頃のいがみ合いも忘れて一致団結、
国民戦争
を起こし、ウォーカーの天下は1年で潰えます。
1927〜1933年には、中米独立の英雄アウグスト・サンディーノが、アメリカ軍海兵隊相手に世界最初にゲリラ戦を挑み(
サンディーノ戦争
)、今なお対アメリカのシンボルになってます。36年から79年まで延々43年もサモサ政権が独裁します。三代続いたサモサ政権は「王朝」と呼ばれます。この独裁腐敗に立ち上がったのが
サンディニスタ民族解放戦線 (FSLN=Frente Sandinista de Liberacion Nacional)
であり、79年にサンディニスタ革命を起こします。大衆の力で独裁政権を打ち破ったと言うことで本来は賞賛されても良いのですが、反共政策を唱えるレーガンはこれを潰そうとして、反政府組織コントラを後押しし、ニカラグアは内戦状態になります。このコントラ戦争は、レーガン政権時の「汚い戦争」のなかでも最たるもので、国際司法裁判所によって全面敗訴しながらもアメリカはこれを無視し続け、コントラ支援に血道をあげます。しまいには、イランへの武器売却資金をコントラ支援にあてるというイラン・コントラ事件というスキャンダルまで発生、比較的評価の高かったレーガン政権における大きな汚点になっています。
1988年に内戦が終結し、以後政権交代や汚職スキャンダルなどがあるものの、内戦は起きておらず、通常の民主制のなかで進んでいます。2007年からは16年ぶりに元大統領のオルテガが大統領に返り咲いています。
コスタリカ
コスタリカだけは、他の中米諸国とはかなり違います。ワタクシごとですが、以前「オーストラリアの永住権が取れなかったらコスタリカかなー」とか半ば冗談半ばマジに言ってたこともあるのですが、経済や政治の安定度は抜群です。しかし、それ以上に世界の人々をして「コスタリカに学べ」と言わせ、コスタリカ詣でをさせているだけのユニークな国家運営をしています。
地図を見ても分かるようにコスタリカはグラテマラから一番離れています。それがどうした?というと、スペイン統治時代、このあたりはグラテマラ総督府の領内で、離れているだけに一番総督府の締め付けがゆるかった地域です。また、人口も疎らで言うならば過疎地帯でした。しかし、この過疎ぶりが後になってこの国の大きな財産になるんだから、世の中何が得するのかわかりません。人口過疎で密林地帯だったため、大規模農家が居なかった。殆どが中小規模の農家ばかりで、これは中南米を苦しめ続けている根本問題=社会構造に歪み=大土地所有・寡頭支配が存在せず、且つ民主制を基礎付ける中産階級の豊富さを意味します。そのためコスタリカでは、独立以後、ほぼ一貫して民主的な政治が続きます。
いち早くコーヒー栽培を進めたコスタリカでは、首都サン・ホセをパリ風に格好良く建造します。そういえば「サン・ホセへの道」って曲がありましたよね。バカラックだったかな、コスタリカにあったのね。それはさておき、コーヒーの他には、ジャングルを切り開いてバナナ農園も広げますが、しょせんはモノカルチャー、大恐慌で打撃を受けます。ここで政治が乱れたりするのですが、そこはコスタリカ、ファシズム政権が生まれそうになったらこれを選挙で落とし、社会保障の充実をはかりつつ、アメリカとも良好な関係を結びます。第二次大戦後、選挙をめぐって内戦が勃発しますがこれも6週間で収束、完全に親米路線を貴重にするとともに、1949年の憲法で、トラブルのもとになる軍隊を一切廃止してしまいます。この軍備放棄憲法は今なお健在で、日本の憲法9条(自衛隊を解釈合憲にしてるし)以上の平和憲法と言われています。
この画期的な方針で、以後コスタリカには軍事クーデーターは起きなくなります。と同時に膨大な金食い虫である軍備に予算を割かなくても良いことから、福祉や教育など民政予算が充実します。なんで軍備放棄が出来るのかというと、それなりにトリックがあります。まず親米路線を貫いているのでアメリカがガチャガチャ攪乱することがない。また、中米機構の集団安全保障に加盟しているから他国の軍事援助を期待できる。さらに軍備はないけど、警察の装備を強力にしています。ロケット砲まで持ってたらそれは警察ではなく軍隊であるという指摘もありますが、警察と軍隊の間をファジーにしてるのですね。そして徴兵制度はあるんですね。いざとなったら徴兵するという(実行されてないけど)。実際、隣のニカラグアからクーデター崩れの攻撃を受けたりするのですが、そのときは中米機構軍と警察力で撃退しています。
また、コスタリカは内政外政ともにクレバーで、アメリカ追随といいながらも、ニカラグア内戦でアメリカが泥沼干渉を続けたときには、アリアス大統領はアメリカに明確にNOといい、紛争解決に尽力しています(あとでノーベル平和賞ももらってます)。また、最近では今回のイラク戦争を支持したものの、最高裁が違憲判決をし、アメリカ支持を撤回しています。親米路線を貫きつつも、要所要所はキメているのですね。コスタリカは政治の安定度から中南米の亡命者の避難所になってます。難民も多く受け入れています。そのクレバーな国際戦略を評価され、中南米諸国の外交官や研修生を養成所もあり、国連の平和大学の本部もコスタリカに置かれています。
これといった資源もなくジャングルに覆われていて人口すら乏しいコスタリカですが、政治が安定し、軍備に金を掛けないとこれほどまでに成長するのかといういい例です。コーヒー、バナナの農業国時代でも寡頭支配じゃないから富が国民に分配されますし、その後外資導入を積極的に図ります。政治が安定してるから外資も来ます。90年代後半にはインテル社もコスタリカで操業してます。コスタリカには定年後ゆったり暮らしたいアメリカ人が移住してたり、日本人もそこそこ住んでますし、日本人学校もあるそうです。
民主的な政治を安定させ、軍事に手を染めず、民政に力を入れ、経済的に成功しているコスタリカは、それゆえ第三世界のお手本として「コスタリカに学べ」という潮流があります。それどころか先進国でもコスタリカに注目する国は多いです。コスタリカと同じく、常設軍備を持たない国は実は意外に多く、カリブ海の諸国のほか、リヒテンシュタインやアイスランドもそうです。
地震が多くて勤勉なエルサルバドルが「中米の日本」という指摘もありますが、この資源がないけど平和憲法で頑張ってるコスタリカも日本のようです。というか軍備を持たなくてもいいようにする国際政治のクレバーさでは負けてるでしょう。ある種、日本の理想像を一部体現しているような感じもします。
とはいつつも、手放しでコスタリカを賞賛する傾向には疑問を投げかける向きもあります。非武装中立といっても武装警察への予算は結構なものだったりしますし、発令されてはいないといっても徴兵制もあるし、コントラ問題でアメリカにタテついたときも色々裏事情もあるようです。そもそも親米政権ってポリシーがどうよ?って批判もあるでしょう。社会的な不公正や問題もまだまだ山積しているようです。アラを探せば幾らでもある、と。
でもねー、それはそれで現実の政治なんだから、アラなんかある程度あって当然だと僕は思います。コスタリカを理想的な平和国家として無批判に称揚するのはオトギ話的に危険だとは思うし、そういう批判的な視点は大事だけど、あって当たり前のアラを探してそれを理由に鬼の首でも取ったように逆転的に全面ダメ評価をするってのも鏡像的にオトギ話でしょう。なんだかんだ言っても、あれだけ近隣諸国で軍事クーデターや内乱が起きているのにも関わらずコスタリカでは起きておらず、これといった独裁政権もなかったのは事実ですし、頑張ってるといっていいんじゃないでしょうか。
僕としては、軍隊の有無よりは、国民のバランス感覚に注目したいです。1936年にコルテス大統領がファシズムに走りそうになると、40年の選挙で社会民主系のグラルディア政権を当選させ労働法や社会保障を充実してます。しかし、41年の日米開戦時には親米路線からアメリカよりも先に枢軸国に宣戦布告しています。ファシズムに陥りつつも社会保障を充実させ、かつ宣戦布告するという、左と右を同時に且つ機敏に使いこなしているでしょう。左なら左一色、ファシズムならファシズム一色にならない。一国の動きとして、これって出来そうで出来ないですよ。続いて48年の選挙無効宣言から内戦になるのですが、普通中米だったらここで数年の泥沼になるところが6週間で終わらせています。その直後、不満勢力がニカラグア(サモサ独裁王朝)と結託して攻めてきてこれを撃しているのですが、その時期に軍備放棄をしているのですね。戦乱が終わったばかりのときに、しかも勝ったとき、軍備放棄をするというのは尋常な判断じゃないです。普通、将来の備えにもっと軍備増強するでしょうに、そこをしない。55年にはまた不満分子がニカラグアと結託して攻めてきますが、ここでも「ほら言わんこっちゃない、やっぱり軍備は必要だ」という世論にならないんですね。
ニカラグア内戦でのアメリカのコントラ戦略でも、アリアス大統領がアメリカにNOと言ったのもポーズに過ぎないという批判はあるのですが、ちゃんと米軍基地は撤去してアメリカを怒らせ、経済援助も減らされています。アリアスが偉いというよりもアリアスを選んだ国民(経済援助は減るけど中立を選択)が偉いというべきでしょう。当時の国民アンケートでは83%が軍創設に反対してます。また、アリアス大統領も具体案をもって近隣諸国に説得に廻っています。だからこそノーベル平和賞をもらってるし、ハーバード大学など世界の50の大学から名誉学位を授与されてます。日本の歴代総理で外国の大学から名誉学位をもらうほど政治学的に評価されている人っているんかな。
2003年には、イラク戦争を一旦支持しながら、最高裁の違憲判決で撤回させられた経緯も面白いんですね。これは最高裁判事7人全員一致の判決でしたが、訴えたのは誰かというと多くの一般国民だったそうです。ネットで調べていると、コスタリカでの憲法裁判は誰でも気軽に訴えを提起できるようです。この点いろいろ紹介されているのですが、資料的価値がありそうな
コスタリカ憲法裁判所が出しているパンフレットの翻訳
がありました。中々面白いのですが、違憲性審査はさすがに高度な形式と弁護士の署名が必要らしいのですが、公共への告発は確かに電話一本で訴えが出来るとあります。また、外国人であっても誰でも出来る。これが活用されてるかというと、メチャクチャ活用されているそうで(年間1万件以上)、かの国では小学校の頃からかなり徹底的に憲法教育をやるようです。自分の頭を使って考えさせる教育をやることで、局面局面で判断が出来る国民を作っていこうということでしょう。制度が良いこともさることながら、その制度を使いこなす国民の考える力というのが決定的に大事なのでしょう。どんなに素晴らしい制度を作っても国民が馬鹿だったら意味ないですもんね。
なお、調べていたら、
参議院憲法調査会・コスタリカ・カナダにおける憲法事情及び国連に関する実情調査 概要
という日本の参議院の議事録がありました。日本の議員先生がコスタリカまで行って調査してきたもので、読んでみるとこれが中々面白いです。ここで、
ルイス・フェルナンド・ソラノ・カレラ最高裁判所憲法法廷長との会談のページ
があるのですが、「国民の関心が高いことに加え、手続が容易だからである。例えば、手数料がいらないし、また、非常にインフォーマルな形のものも受け付ける。FAXでも、子供が手書きで申請してもよい。学校の近くの川にごみがたくさん捨てられているとして、子供が庇護申請をしてきたことがある。それは、子供たちの権利の侵害であると判断されたので、その所属する町に整理を命じた」とソラノ法廷長が答えてますね、たしかに。ほお、日本の議員先生も結構仕事してるじゃんと思ったのですが、なんでこういう面白いことが日本のマスコミでは報道されんのかな。
パナマ
パナマは、ご存知
パナマ運河
のある国です。パナマ運河があることで成り立ってる国というよりも、パナマ運河のために作られた国です。アメリカがパナマに運河を建設しようとする際、コロンビア政府に拒絶されたので、パナマエリアの人々に軍資金を渡してコロンビアから独立させた(1903)のがパナマです。ゆえに、強烈なアメリカの影響を受け、通貨も一応バルボアという単位があるもののその紙幣はなく、アメリカドルが流通してます。
ところがパナマ国民もアメリカべったりの状態に反発を示すようになり、またスエズ運河のエジプト国有化などが刺激になり、パナマで反米運動が活発なります。77年には期限(99年末)付で運河をパナマに返還する新運河条約も結ばれ、実行されています。もっともアメリカ離れをしたパナマが自主独立の民主国家を築き上げたかというとそうでもなく、第二次大戦前後を通じ政情は不安定で、特に83年に軍最高指令になった
ノエリガ
は自ら麻薬ルートを私物化し、88年の大統領選に負けてもこれを認めずに居直ったので、アメリカ軍のパナマ侵攻を招き、逮捕の末、アメリカで懲役40年の刑を宣告されています(2007年に釈放)。
パナマ運河とアメリカ軍の基地の存在によって、パナマはいわゆる”基地経済”という特殊な構造を持ちます。ジャングルを切り開き、バナナを作って、、という他の中米諸国とは違う経済発展をしており、運河に伴う国際金融業が強いです。また、リベリアと並んで船舶税の安いタックスヘイブン地として便宜置籍船を集めこれも外貨を獲得に役立ってます。中米のなかではコスタリカとともに経済はよく、第三次産業従事者が70%にものぼってます。平地が少ないので農業は盛んではなく、また開発が乏しいことが逆に世界の十指はいる自然保護大国になり、様々な大自然が残っている国でもあります。ゆえに観光資源が豊富ということでもあります。パナマには日本人学校もあります。
ベリーズ
ベリーズは1981年にイギリス領ホンジュラスから独立したばかりの新興国です。元首がイギリス女王で、その代理人である総督がいるという体制はオーストラリアと同じですね。もともとは素ペイン植民地時代が下敷きになっているのでベースはラテン文化なのですが、英領時代も長かったためイギリスの影響も強いと言われます。公用語はスペイン語ではなく英語ですし。イギリス文化系であり且つアフリカ系黒人が多いので、中米的というよりは、海を隔てたジャマイカに近いと言われてます。
メキシコ
さて、真打ちメキシコの登場です。
メキシコは、上の中米諸国とはうって変わって大きな国ですし(日本の5倍)、アメリカに直に隣接していることもあり、複雑な性格を持ちます。ありていにいって国情も経済も良くないのですが、同じくアメリカに隣接するカナダに比べて、なんでこうも違うのか?と思ってしまいます。
1810年にメキシコ独立戦争が始まり、1821年にメキシコ帝国が独立を果たしますが、なんで独立したのに「帝国」なの?という素朴な疑問が湧きます。ここがトリッキーなところなのですが、この時期宗主国のスペインはナポレオンに征服され、ナポレオンの兄ジョゼフがスペイン王になります。この新王に対して、「お前なんか王様じゃない」という旧王にロイヤルだった連中が”独立”といってるわけで、別に先住民族などの一般大衆が立ち上がったわけではないです。21年のメキシコ帝国も、先王フェルナンド7世を招く予定が「メキシコなんか行きたくない」と断られちゃったので、仕方なく保守派の親玉を皇帝に据えただけです。が、こういう帝国的なやり方はすでに時代遅れであったのか、わずか2年でメキシコ帝国は崩壊します。
次はアメリカに領土をブン取られます。1836年テキサス共和国独立(→アメリカ編入)、1846年米墨戦争敗北によりカルフォルニアを取られてしまいます。メキシコ人は多数アメリカに移民したり、合・非合法で働いたりしてますが、「くそお、ここはもともと俺らの土地だったのに」というメンタリティがあるとかないとか聞いたことがあります。しかし、その憎きアメリカに次は助けてもらいます。敵はフランス。ナポレオン3世軍に攻められ、1863年に第二次メキシコ帝国(フランスの傀儡帝国)を作られちゃってるのですが、これをアメリカの援助で3年後に撃退したときから、アメリカに借りを作り、以来親米的な路線で進みます。
以下、過去に
シリーズ(33)/第一次大戦前夜〜メキシコ革命
でも触れたように、先住民インディオ出身のファレス大統領が農地改革などをやったのも束の間、ディアスがクーデターを起こし長期独裁政権を樹立。土地を地主に返還して、地主階級をベースにアメリカ資本を導入、近代化を図るも、寡頭支配状態で近代化をはかると貧富の格差が益々拡大するのはこれまで中南米の歴史でみたとおり。そのため1910年に革命が起き、マデーロが大統領になって改革を実行するものの、右派のウェルタ将軍のクーデーターよって暗殺。さらに、三派の革命軍が共同してウェルタを追放したのも束の間(1915)、今度は内ゲバになり、結局カランサが実権を握り、憲法制定、いわゆる
メキシコ革命
です(1917)。
メキシコ革命は他の中南米諸国のお手本になりましたが、カランサ自体が憲法を無視して独裁政治をはじめたものだから、またグチャグチャになります。以後、オブレゴン大統領→暗殺→カジェス(腐敗)とモタモタしたのち、ようやく1934年にラサロ・カルデナス大統領というマトモな人材が出てきて改革も進み、1940年にメキシコ革命はここにおいて完了したと言われています。しかし、当時の外の世界は第一次、第二次大戦をやってたわけですが、メキシコではそれどころではなく、革命以来30年もグチャグチャになっていたわけです。ちなみに「世界大戦どころではない」のは他の中南米諸国も同じで、今こうして見ていると、あれって所詮は世界大戦ではなく「北半球大戦」だったのかもしれません。もちろん中南米諸国でも大戦に参加してる国々はあるのですが、あれも親米路線の表れとしての、”お歳暮”的な付き合いで参加してるだけみたいです。日本がイラク戦争に自衛隊を送っているのと変わらんです。
さて、その後、カルデナス大統領の
制度的革命党(PRI)
の一党独裁がなんと71年間続きます(2000年まで)。石油と銀という資源輸出で外貨を獲得し、工業化を図るのですが、その過程でインフレや貧富の格差は拡大。1994年のNAFTAの自由貿易でアメリカのトウモロコシ生産に負けて国内の農家に打撃がいきます。そのため最貧州からサパティスタ国民解放軍(EZLN)が蜂起、政府軍とにらみ合ってる状況です。
メキシコは大きな油田を持つ産油国であり、銀もオパールも産出します。国土も広く、人口も1億人を越える堂々たる大国です。スペイン語国としては本国スペイン以上の大国です。また有名なアカプルコやカクランなどビーチリゾートを持つ観光国家でもあります。大消費地アメリカに隣り合ってるので、安価な労働力を生かした家電製品をアメリカにせっせと輸出もしています。だからポテンシャル的には凄いものを持っていて、BRICsのブラジルに次ぐ力を持っているとされ、ゴールマンサックスの大胆な予想では2050年はGDP世界5位になる(現在でも14位)そうです。ちなみにこの予想では、そのとき日本はインドネシアにも負けて第8位だそうです。
これだけの潜在力を秘めながらモタモタしてるのは、これも中南米に共通する植民地時代の負の遺産があるからでしょう。大土地所有エリート層、混血層、インディオという身分社会から始まってるのは決定的なハンディでしょう。そのうえスペイン・フランス・アメリカという大国が入れ替り立ち替り干渉するという荒れた土壌では、国内にうごめくあらゆる利権集団の争奪戦になりがちです。メキシコの場合、制度的革命党(PRI)という政党が70年以上独裁するわけですが、このPRIは日本の自民党によく似ていると言われます。つまりは国内利権集団の連合体で、国の中の諸勢力の利益配分を全部党内でやってしまうという。これをやってるから50-70年代はクーデターも起こらず、メキシコの奇跡と呼ばれる高度経済成長を果たし、東京オリンピックの次にメキシコオリンピック開催まで漕ぎつけています(1968)。しかし社会の根本的な歪み(格差)は是正されていません。
1980-90年代は経済的に苦しい時期でした。累積する対外債務により、IMFの勧告を受けて緊縮財政や新自由主義経済導入を導入しますが、これによって国民生活は一層窮乏します。92年には経済推進のために農地改革を放棄したり、アメリカとの自由貿易圏NAFTAを締結することで農村を中心にさらに貧困層が広がります。緊縮財政によって財源が無くなったことで、自民党的バラマキ集団であるPRIも指導力を失っていき、2000年には政権を譲り渡すことになります。また、社会格差と貧困の広がりによって、麻薬や犯罪が蔓延していきます。
メキシコの麻薬組織はコロンビア並みに強力になっていき、近年ではコロンビア組織を越えるとまで言われています。麻薬組織同士の激しい抗争が起き、麻薬組織による買収汚染は警察上層部にまでおよび、捜査情報が右から左に筒抜けという状況です。このあたりは、映画の「トラフィック」などでも詳しく描かれています。2006年に大統領になったカルデロンはアメリカの支援のもと気合いを入れて麻薬撲滅戦争を推進します。警察はアテにならないから軍隊を動員して取り締まりにあたりますが、現場では手榴弾やバズーカ砲まで登場するということで、もはや「取り締まり」の域を超えて文字通り「戦争」状態になっています。比例するように治安も悪化し、誘拐の件数も増え、皮膚下に埋め込む発信器チップが売り出されているという新聞情報が最近ありました。
一方、92年のNAFTA発効日、「NAFTAは貧しい農村地域においては死刑宣告に等しい」として、チアパス州において
サパティスタ民族解放軍(EZLN)
が武装蜂起しました。経済のグローバル化を背景に、木材のグローバル商業化や石油やウラン資源発掘のため、同地の先住民の大規模強制立退が行われようとしていました。これに武装抵抗したのがサパティスタですが、メキシコ当局は空爆で応酬、サパティスタは対話路線に入ります。この対話路線というのが世界最先端というか、インターネットを通じて全世界に主張を発信し支持者を獲得するという方法です。サパティスタの主張は、「先住民への差別廃止、民主化推進、経済グローバル化反対」という至極もっともなもので、またスポークスマンをつとめる
マルコス副指令
という謎の人物(常にスキー帽をかぶって覆面をしている)が、もともとは白人のインテリ哲学者であったというだけあって表現豊かに語るので、彼はチェ・ゲバラの再来とまで言われるスーパースターになってるようです。彼は事実上のリーダーなのですが敢えて副指令と言うのは、「真の司令官は人民である」というポリシーによるものであり、マルコスという名前も交戦中に死んだ友人の名前とも言われています。
サパティスタの活動は、貧しいメキシコの農村において圧倒的な支持を得て、メキシコ当局もチアパス州に対して手を出せないところまで勢力が伸びています。しかも、世界的な新自由主義グローバリゼーションに反対するという主張は、メキシコだけではなく世界中の国々に支持者を増やしています。理想主義&ロマンチックな民衆のために戦う古き良き左翼ゲリラのイメージは確かにチェゲバラと重なりますし、また覆面してても目鼻立ちがえらいハンサムなんですよね、この人。レーガンから始まりブッシュに受け継がれているグローバリゼーションを苦々しく思っているのは世界人類の半数以上でもあろうし(近年の経済危機でさらにその数は増えたでしょう)、世界中に支持者のサイトがあります(”Zapatista ”や”Subcomandante Marcos”で検索すると山ほど出てくる)。2000年以降のメキシコ政府も、サパティスタを弾圧するのではなく対話を図り、これによって政権の人気を得ているところもあります。
メキシコと日本の関わりは実は古くて深いです。古いところでいえば、徳川家康の頃まで遡り、難破船をメキシコまで送っているし(1609)、1613年は伊達政宗の遣欧使節で支倉常長が途中メキシコに立ち寄って歓待を受けてます。それに明治以降において、日本が不平等条約解消のために鹿鳴館を建てたり背伸びしていじらしい努力をしているとき、一番最初にタメに平等条約を結んでくれたのはメキシコです。近代日本の恩人のような国で、そのためメキシコ大使館の所在地は日本の心臓部永田町に置かれています。永田町にある外国大使館はメキシコだけです。1800年代末には大量の日系移民がメキシコに渡っています。戦後は、多くの日本企業が、数百社という単位でメキシコで事業展開をしています。特に日産自動車は、現地に深く関わっています。
メキシコも、ブラジルと同じく、日本人的には知らないようで案外よく知ってます。メキシコ料理のタコスはファーストフードとして世界中に広まってますし、メキシコ料理屋さんは日本の諸都市でも普通にあるでしょう(むしろシドニーの方が意外と少ない)。華麗なる空中戦を誇るメキシンカン・プロレス、ルタ・リブレ は、プロレスファンなら絶対知ってるでしょうし、別にそれほどファンではない僕でも往年のミル・マスカラスは覚えています。あと、ボクシングもメキシコは強いですよね。
この項の冒頭にも書きましたが、同じようにアメリカと直に隣接しているにも関わらずカナダとメキシコというのはどうしてこんなにも違うのでしょう?まあ、歴史的、文化的、経済的、政治的、地政学的、、、と理由を挙げていけば幾らでも考えられるのですが、現象としてみると北に行くほど透明感が増し、南に行くほど”濃い”ですよね。アメリカ国内でも同じ傾向があるような気がします。これってヨーロッパでも同じで、北欧諸国よりは地中海のラテン諸国の方が何となく濃いです。なんで南に行くと濃くなるのでしょうか?もっともこの法則はアジアでは微妙です。確かに東南アジアなんか濃そうなんですけど、じゃあ朝鮮や日本が透明感があるかというと微妙ですよね。
中南米シリーズが思わず長っ尻になってるのも、これらの国々が濃くて面白いのですね。たしかにメチャクチャな部分は多いし、悲惨な状態だったりもするのだけど、根が陽気な人達だからでしょうか、「救いがない」って暗い感じにならないんです。乱雑なカオスが、陰惨な方向にいかずに、エネルギーとして感じられるという。クセのある面白い友人の家に遊びに行ったら、部屋の中がとてつもなく散らかっていたというか、高校時代に根城にしていた散らかり放題の部室というか、なにかしら陽性のカオスを感じます。中南米が好きな人は、たぶんそのあたりに惹かれるのでしょうか。
短く済ますつもりが、また結構長くなってしまいました。良いお年を。
過去掲載分
ESSAY 327/キリスト教について
ESSAY 328/キリスト教について(その2)〜原始キリスト教とローマ帝国
ESSAY 329/キリスト教について(その3)〜新約聖書の”謎”
ESSAY 330/キリスト教+西欧史(その4)〜ゲルマン民族大移動
ESSAY 331/キリスト教+西欧史(その5)〜東西教会の亀裂
ESSAY 332/キリスト教+西欧史(その6)〜中世封建社会のリアリズム
ESSAY 333/キリスト教+西欧史(その7)〜「調教」としての宗教、思想、原理
ESSAY 334/キリスト教+西欧史(その8)〜カノッサの屈辱と十字軍
ESSAY 335/キリスト教+西欧史(その9)〜十字軍の背景〜歴史の連続性について
ESSAY 336/キリスト教+西欧史(その10)〜百年戦争 〜イギリスとフランスの微妙な関係
ESSAY 337/キリスト教+西欧史(その11)〜ルネサンス
ESSAY 338/キリスト教+西欧史(その12)〜大航海時代
ESSAY 339/キリスト教+西欧史(その13)〜宗教改革
ESSAY 341/キリスト教+西欧史(その14)〜カルヴァンとイギリス国教会
ESSAY 342/キリスト教+西欧史(その15)〜イエズス会とスペイン異端審問
ESSAY 343/キリスト教+西欧史(その16)〜絶対王政の背景/「太陽の沈まない国」スペイン
ESSAY 344/キリスト教+西欧史(その17)〜「オランダの世紀」とイギリス"The Golden Age"
ESSAY 345/キリスト教+西欧史(その18) フランス絶対王政/カトリーヌからルイ14世まで
ESSAY 346/キリスト教+西欧史(その19)〜ドイツ30年戦争 第0次世界大戦
ESSAY 347/キリスト教+西欧史(その20)〜プロイセンとオーストリア〜宿命のライバル フリードリッヒ2世とマリア・テレジア
ESSAY 348/キリスト教+西欧史(その21)〜ロシアとポーランド 両国の歴史一気通観
ESSAY 349/キリスト教+西欧史(その22)〜イギリス ピューリタン革命と名誉革命
ESSAY 350/キリスト教+西欧史(その23)〜フランス革命
ESSAY 352/キリスト教+西欧史(その24)〜ナポレオン
ESSAY 353/キリスト教+西欧史(その25)〜植民地支配とアメリカの誕生
ESSAY 355/キリスト教と西欧史(その26) 〜産業革命と資本主義の勃興
ESSAY 356/キリスト教と西欧史(その27) 〜歴史の踊り場 ウィーン体制とその動揺
ESSAY 357/キリスト教と西欧史(その28) 〜7月革命、2月革命、諸国民の春、そして社会主義思想
ESSAY 359/キリスト教と西欧史(その29) 〜”理想の家庭”ビクトリア女王と”鉄血宰相”ビスマルク
ESSAY 364/キリスト教と西欧史(その30) 〜”イタリア 2700年の歴史一気通観
ESSAY 365/キリスト教と西欧史(その31) 〜ロシアの南下、オスマントルコ、そして西欧列強
ESSAY 366/キリスト教と西欧史(その32) 〜アメリカの独立と展開 〜ワシントンから南北戦争まで
ESSAY 367/キリスト教と西欧史(その33) 〜世界大戦前夜(1) 帝国主義と西欧列強の国情
ESSAY 368/キリスト教と西欧史(その34) 〜世界大戦前夜(2) 中東、アフリカ、インド、アジア諸国の情勢
ESSAY 369/キリスト教と西欧史(その35) 〜第一次世界大戦
ESSAY 370/キリスト教と西欧史(その36) 〜ベルサイユ体制
ESSAY 371/キリスト教と西欧史(その37) 〜ヒトラーとナチスドイツの台頭
ESSAY 372/キリスト教と西欧史(その38) 〜世界大恐慌とイタリア、ファシズム
ESSAY 373/キリスト教と西欧史(その39) 〜日本と中国 満州事変から日中戦争
ESSAY 374/キリスト教と西欧史(その40) 〜世界史の大きな流れ=イジメられっ子のリベンジストーリー
ESSAY 375/キリスト教と西欧史(その41) 〜第二次世界大戦(1) ヨーロッパ戦線
ESSAY 376/キリスト教と西欧史(その42) 〜第二次世界大戦(2) 太平洋戦争
ESSAY 377/キリスト教と西欧史(その43) 〜戦後世界と東西冷戦
ESSAY 379/キリスト教と西欧史(その44) 〜冷戦中期の変容 第三世界、文化大革命、キューバ危機
ESSAY 380/キリスト教と西欧史(その45) 〜冷戦の転換点 フルシチョフとケネディ
ESSAY 381/キリスト教と西欧史(その46) 〜冷戦体制の閉塞 ベトナム戦争とプラハの春
ESSAY 382/キリスト教と西欧史(その47) 〜欧州の葛藤と復権
ESSAY 383/キリスト教と西欧史(その48) 〜ニクソンの時代 〜中国国交樹立とドルショック
ESSAY 384/キリスト教と西欧史(その49) 〜ソ連の停滞とアフガニスタン侵攻、イラン革命
ESSAY 385/キリスト教と西欧史(その50) 冷戦終焉〜レーガンとゴルバチョフ
ESSAY 387/キリスト教と西欧史(その51) 東欧革命〜ピクニック事件、連帯、ビロード革命、ユーゴスラビア
ESSAY 388/キリスト教と西欧史(その52) 中東はなぜああなっているのか? イスラエル建国から湾岸戦争まで
ESSAY 389/キリスト教と西欧史(その53) 中南米〜ブラジル
ESSAY 390/キリスト教と西欧史(その54) 中南米(2)〜アルゼンチン、チリ、ペルー
ESSAY 391/キリスト教と西欧史(その55) 中南米(3)〜ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル
文責:田村
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