現代中国シリーズの3回目です。今回は、よく指摘される中国国内の地域格差の激しさについてです。
どこの国でも地域的な格差はあるものですが、中国の場合は格別に激しく、構造的であり、且つ是正されるどころかむしろ拡大しており、それは農村の貧困問題に留まらず国家全体に波及していると言われます。なにがそんなにヒドイのか、なぜそうなっているのか、解決の目処はあるのか、そのあたりを見てみます。
なお、今回の教科書として、甲南大学の青木浩治、藤川清史両氏がお書きになった
「現代中国経済 10中国の地域格差」を参考にさせていただきました。この章に限らず、よくまとまっていて参考にしています。オススメ。
本来共産主義国である中国に”格差”というものがあってはならないはずです。格差を是正して万民が平等になろうというのが共産主義なのですから。実際、共産主義思想に忠実だった毛沢東時代では、
均富論という思想のもと、全国一律の賃金制度などを導入して出来るだけ格差がつかないようにやっていましたし、実際にも殆ど格差らしい格差はなかったそうです。それがケ小平の改革開放経済のもと、180度方針転換をした
先富論のもと、中国国内に大きな格差というものが生じてきます。
格差ということに関して言えば、毛沢東時代の方が良かったのですが、しかしそれは「皆仲良くビンボー」という意味での格差是正だったわけです。
現代中国編第一回でも述べましたが、毛沢東の大躍進政策は見るも無惨な失敗におわり、数千万という途方もない単位の人々が餓死したと言われています。仲良く貧乏どころか、仲良く飢え死にしてしまうという。これではアカンということで、文革の暗黒期を脱したあと、ケ小平が経済改革を始めたわけですね。
もっとも、毛沢東の大躍進政策の失敗は、なにも格差是正&均一主義だけが悪かったわけではなく、拙劣な農業技術や悪しき官僚主義、不運な気象状況など原因は多岐にわたります。しかし、根本的な発想部分が馴染まなかったという恨みはあったでしょう。各地域によって特性がそれぞれ違うのですから、経済発展のパターンも違ってきます。地の利(交通の便)、地の恵み(地力や自然環境)によって発展しやすいところとしにくいところがあります。同じ農業をやるにしても土地が肥沃なところもあれば栄養分が少ない土地もあります。交通の利便性のあるところは流通や商業に向いているでしょうし、辺境地帯はやはり難しい。計画経済においても、これらの各地の特性に応じて産業や役割を分散させることは可能ですし、むしろそれこそが無駄のない効率的な経済ということで共産主義の強みとすらされていました。
しかし、それほど中国全土をきれいに分業割り当て出来るのか?という問題があります。農業・工業ともに不向きであるという土地もあるでしょう。「土地が農業に向かないから工業ね」といって割り当てたところで、割り当てのための割り当てみたいになってきて、あまり合理性がないということもあるでしょう。特に工業の場合は規模の経済というものがありますから、まとめてせーので作った方が効率がいい、関連設備や部品製造なども出来れば集まっていた方がやりやすい。あちこちに中途半端な規模の工場を林立させても全体の経済効率は良くなりません。特に毛政策は「大而全、小而全(大きなモノも小さなモノも全部ある)」というワンセット主義でやったものだから効率的配置という意味ではさらに離れていきます。第二に、経済成長というのは生き物のようなもので、刻々と変化していきます。例えば、沿岸部が港湾という輸出における地の利を生かして発展するにつれ、商談に訪れる人々のためのホテル産業が伸びたり、外資系の人々との間で通訳や翻訳需要が出てきたりします。そういった需給変化に対応するには、党中央部での年数回の企画会議くらいでは到底追いつかないのでしょう。第三に、最初から均一のゴールを設定していたら、働いても働かなくても収入は一緒ということでモチベーションも下がってしまう。やはり、ある程度ナチュラルに発展させてやり、且つ原動力も人々の自然な私利私欲にまかせておいた方がうまくいくということでしょう。つまりは資本主義です。
ケ小平がやろうとしたのは、こんな餓死者がゴロゴロするような状況で「皆均等に」とかいってても共倒れになるのがオチであり、とにもかくにも最も経済発展しやすそうな条件の整っているエリアで経済発展をうながし、それらが機関車役になって全体を引っ張っていってもらおうということでしょう(「はしご政策」というらしいです)。戦略としては間違ってないと思います。「双軌制」といって国内においても経済発展を特に促すエリアとそうでないエリアとで大きく規制を変えています。そうなれば事柄の性質上、地域格差というものは絶対に生じます。むしろ生じなかったら失敗なくらいです。
ところで、地域格差が生じるのは、何も中国の専売特許でもなんでもなく、およそ経済成長というものを経験しているあらゆる国家社会に共通する現象です。日本だってそうだし、台湾や韓国でも同じことが生じています。しかし、これらの国々では経済成長が軌道に乗るとともに地域格差はどんどん減少していきました。中国の場合は国が巨大なので、途方もない地域格差が生じてしまい、しかもその差はなかなか埋まりません。
では、経済成長によって地域格差はどのようなメカニズムで生じ、そして日韓台ではなぜそれが収縮していったのか、考えてみたいと思います。
ケ小平は、経済発展の条件が整っている東部沿海部に優先的に優遇措置を講じました。典型的なのは経済解放区です。経済政策を仔細に見ていくと、経済だ工業だということでいきなりバンバン工場を乱立させていくという、頭の悪い力任せな手法はとっていません。貧しい状態から徐々に向上していくには、まず農業を充実させ、収益性を高め、資本を蓄積して工業化していくという計画になります。なぜかというと、工業化というのは単に工場を造ればいいというものではない。植物を育てるためには土壌+日光+水分が必要であるように、工業化するためには、膨大な投下資本、工場で働く大量の人々、そして製品を買ってくれる市場が必要です。つまり最初から人口が結構いて、しかも工場で働いてくれて、給料を貰ってモノも買ってくれるという条件が必要。どうしたらいいかといえば、結局農業になるのですね。もともと農業に適した地域をさらに改善し、生産性を向上させれば、資本も貯まりますし、余剰人口というのが生じてきます。農業の機械化を進展すれば、これまで10人でやっていた田植えを一人で済ませられるからです。そうすると残りの人々が工場に働きに行ける。そして、皆の所得水準もあがってモノを買ってくれるようになり、マーケットが育っていく。
中国の場合、長大な河川の河口地帯が肥沃なデルタ地帯として農業に適していました。揚子江流域(上海、江蘇省南部、浙江省北部)、黄河流域(山東省)、広東省の珠江デルタ地帯などです。まあ、大きな川の河口エリアが農業に適し、その土地が発達していくのは古代エジプトのナイル川からそうでしたよね。これに対して上流部や内陸部は、あまり農業には適していないとされています。たとえば石灰岩が多いカルスト台地が中国内陸にあって、有名な観光地である桂林などは、墨絵でお馴染みの風景であるタワーカルストがニョキニョキ生えています。一説によれば、中国における耕地面積は全土のわずか14%らしいです(もっとも日本も似たような比率だけど)。
他方、農業によって地力を養うという方法以外にも交通の利便性を最大限に利用し、流通・商業で稼ぐという方法もあります。国内外の貿易取引です。温州は国内貿易をメインに、福建や広東は外国貿易を主軸にして発展していきます。交易、特に海外との取引を考えてみた場合、港湾施設があり且つ海のメインルート(外国船航路)に近いという条件が必要になります。中国の長い東部海岸線の中でも特に福建や広東が突出したのは、シンガポールや台湾の高雄と並んでアジアのハブ港である香港に近いという地の利があったからだとされています。
このように農業生産の地力が強いこと、商業流通での優位性などから、まず東部沿岸部を経済発展の先兵にさせようとしたのは理にかなっていると思われます。
かくして東部沿岸部が先陣を切って経済発展をするわけですが、これによって当然のことながら内陸の農村部との間で格差が生じます。しかしこまでは、まあ、織り込み済みというか、予測の範囲です。しかし、ある状態Aは別のBという状況を招き寄せ、さらにC、Dに変容し、、という具合に想定内の国内格差も、だんだん雪だるま式に広がっていきます。例えばその一つの要因となったのが外資=外国企業の活躍です。最初の頃は、人件費の安い中国に工場を設置し、製品を輸出するというパターンでしたが、徐々に中国の人々がリッチになるにつれて、市場としても美味しい存在になっていきます。そこで中国人相手にモノやサービスを売って儲けるという第二のパターンが登場していきます。ゆとりが出来るにしたがって、外国製の高級品が欲しくなるのは何処の国も一緒です。日本だって未だにブランド品とか言ってますからね。これは儲かるということで、さらに外資が参入し、経済はどんどん発展していきます。外資といっても、従業員のほとんどは現地の人ですから、現地に給料という形で富が落ち、それが人々の所得をさらに上げ、より肥えたマーケットになっていくという好循環です。それは望ましい展開ではあるのですが、同時に地域格差をさらに広げることになります。
東部沿岸部の工業化が成功し、ドンチャン繁栄していく過程において、内陸部ではどうなっていたかというと、相対的に農業に集中していくことになります。工業で頑張っても沿岸部に勝てるわけないし、もともと農業でも優秀だった沿岸部も工業化が進んで農業生産が少なくなってきますから、その分内陸部で生産して儲けるという。かくして沿岸=工業、内陸=農業という図式が出来てくるのですが、ここで困った問題が起きます。
何かというと、人間が食べられる量は限度がある、ということです。工業品やサービスの場合は、所得が10倍になれば10倍の消費をすることが可能です。テレビも大画面になったり、一人一台になったり、クルマも普通車から高級外車に乗り換えたりすることが出来ます。お酒も自宅でチビチビやっていたのが、座っただけでン万円の高級クラブに通ったり、孫の手でトントンやってたのが高級エステに通ったり、、いくらでも金の使い道はある。しかし、食べ物に関しては、所得が倍になったからといって二倍の量を食べるわけではない。より高級志向、自然食志向になるかもしれないけど、お米の量を10倍消費するというわけにはいかない。むしろ食卓のバラエティが広がり、高級輸入食材を食べたりするので、伝統的でベーシックな農産物消費はむしろ減ったりします。日本でも「もっとお米を食べよう」という掛け声がかかったりしますもんね。
こうなると農業技術の向上などによってガンガン生産してきた農産物が徐々に余りはじめていきます。農産物の価格も下がります。この傾向は今から約10年ちょっと前、1997年頃から生じてきたそうです。大躍進政策で餓死していた頃からすれば今昔の感もありますが、農産物がコンスタントに過剰になってきた。需給バランスの関係で価格は低迷、農家の収入が減っていきます。農家の収入は96年から2000年までのわずか4年で20%以上減少したという報告もあるそうです。かくして、沿岸工業エリアはガンガン経済発展が続きながらも、それが内陸部を引っ張り上げる筈が引っ張り上げられず、農業生産に追い込み、その農業の収益性も悪化しているということで、地域格差はますます激しくなっていきます。
ただし、こういうプロセスは何も中国特有のものではなく、どこの発展途上国でも等しく味わうものです。日本も韓国もそうでした。頭打ちになってパッとしない農村VSガンガン景気が良さそうな都会という図式があり、この図式のもと、人々はどんどん都会に出て行き、都会で仕事をゲットして暮していくようになります。つまり産業構造の変化に応じて、人員の再配置がなされていくということですね。農村で生じた膨大な余剰人口を、大都会が吸収していくということです。日本でもまんまそのとおりで、今の東京の人口をみても、上の世代になればなるほど東京生まれの人の比率が減るはずです。僕らは親が東京に出てきて東京で生まれた第二世代ですが、親の世代は地方出身が多い。農村から都会への大規模な人口移動がおきることによって、農村の人口は減少しますが、ここで大事なことは人が減った結果、農業者一人あたりの耕作面積が大きくなるということです。そりゃそうですよね、家を継ぐ長男だけが村に残り、他の5人の兄妹達は皆都会に出てしまい(この時代は兄妹が多い)、お兄ちゃんは弟達の分の田畑を耕すことになりますから。耕地面積が大きくなると、農業の機械化が出来るようになり、生産性を改善することが可能になります。また、これまでのように一族郎党十数人を食わせるのではなく、長男一家と老親の数名が食べればいいだけですから、一人あたりの所得も増えます。かくして、農村における経済水準もあがっていくようになります。日本や韓国はこのパターンであり、ケ小平らが目指したのも「先発した都会によって農村も潤う」というこの図式でしょう。
ところが中国の場合はそうはならない。これはケ小平が悪いとか、政策がダメとかいうことではなく、単純に人口が多すぎるということでしょう。幾ら沿岸部の工業が発達し、経済が栄えたといっても、まだまだ規模からしたら知れてます。世界に冠たる日本経済ですら、日本の大都会での仕事総人口をかきあつめても数千万人分でしょう。業績10%UPという破竹の経済成長を全分野で達成したとして、新規求人10%としてもせいぜい数百万人くらいしか新たな余剰人員を吸収できません。日本経済ですらその程度のキャパです。しかし、中国の人口13億、現在の農村での余剰人員はざっと1.5億人はいるとされています。もうクラクラするような数字です。これだけの余剰人員を吸収しようと思ったらどれだけ経済成長しなきゃならんか。もちろん後で述べるように中国でも農村から都会へという人口移動は起きています。しかし規模がメチャクチャ巨大すぎるので焼け石に水であり、全体からしたら地域格差は拡大する一方だという。
その結果、中国の都市部と農村部との所得格差は、開放政策が始まった1978年時点でにおいては2.5対1(一人あたりの可処分所得343元対134元)だったのが、85年時点には1.7対1と一旦縮まります。しかし、2005年には3.2対1(10,493元対3,255元)と逆に格差が広がってきています。但し、格差という相対比率は拡大していますが、所得の絶対数は134元が3255元になってるわけで、農村も豊かにはなっているのですね。ただ、都市部の伸びが猛烈なだけに相対的には劣後してしまうという。
そうはいっても、中国政府も「どうしようもないね、こりゃ」と手をこまねいているわけではなく、年々色々な政策を展開しています。中国の中でも最も遅れているといわれる西部に本格的に手を入れる西部大開発というプロジェクトが2000年より始動しています。広範な、日本数個分(10個以上か)のエリアを対象に、電気や水道、鉄道などのインフラ整備を行い、生態系の保全などを目指しているようです。11兆円規模の途方もない公共投資で、西部エリアのDP成長率は、2000年の8.5%を皮切りに、8.8%、10.0%、そして2003年には11.3%に達しているそうです。まあ、多分に大本営発表的な部分を割り引いたとしても、それなりに効果はでています。しかし、もともとのレベルが低いこと、途方もないエリアの広さを考えると、10%成長が数年続いたくらいではまだまだでしょう。しかし、やることはやってるわけです。
また、人口移動が制限されているとはいいつも、大局的にみれば大転換は起きてはいないものの、近くによって見ると奔流のように流れています。中国における農村→都会の人口移動を、民工潮というそうですが、その規模は、99年段階で既に1億人に達しています。日本一個分です。もっとも、全部が全部沿岸部に移動しているわけではなく、うち8割は同じ省内の近隣の町や市街地への移動です。残り2割が省を越えた遠距離移動で、遠距離移動の約半分を吸収しているのが広東省だそうです。1000万人も受け入れているという。東京を一個作ったくらいの人口増だと考えれば、その凄まじさがわかるでしょう。
これは単に農村人口減→都会人口増という人員再配置以上に地域所得の格差を埋め合わせる効果があります。すなわち、お父ちゃんが出稼ぎに出て郷里に送金するので、都会の富が農村に移動しているわけです。その所得の環流規模もすごく、99年の中国のGDPの5%くらいになるそうです。これによって農村部の所得や生活水準も上昇はしているようですが、だからといって地方において産業や経済が勃興するというほどでもないそうです。
最近のニュースでは、2006年からは農業税の全廃を実施しています。農民の土地の税金を廃止することですが、これって中国始まって以来、ほどではないですが、数えてみると春秋時代の魯(孔子が活躍した時期かな)以来のことで、実に2600年ぶりの快挙だそうです。
以上を通じてみた個人的な感想は、中国というのは大き過ぎてしまって、これを一国の問題として考えるよりも、小さな世界として考えた方が分りやすいような気がします。先に述べたように、農村から都市への人口移動&流入制限も、国家間の移民やビザのアナロジーで考えた方がしっくりきます。また、工業化が成功したエリアと、その余波を食らい、割を食らい続けている農村地帯という図式とメカニズムは、そのまま世界の持てる国と持たざる国の差や南北問題に通じるようにも思います。もう構造的に経済原理からそうなってしまう。しかし、あまりにも規模が大きいので、幾ら巨大なプロジェクトを断行し、大規模な制度改革をしても、個々の施策で出来る範囲が限られているという。
また、全体の絵が巨大なので一つの原理でツルツルと全てが説明できるわけでもなく、個々的に見ると相矛盾するような現象が起きたりもします。例えば、農村における余剰人口を都市部が吸収できないから農村が貧困から脱却できないという一つのロジックがありますが、反面では農村から働き盛りがどんどん都会に出て行ってしまうのでますます生産性が上がらないという指摘もあります。農村から都会に人が移動した方が良いのか悪いのかよう分らんという。でも、これ、どちらも正しいのでしょう。一つの原理で全ては説明できず、Aという説明が妥当する場合もあれば、Bという説明の方が正しい局面もあるということでしょう。
農村から都会に出稼ぎに出た”農民工”ですが、全員が仕事にありつけているわけでもなく、都会での失業問題を招きます。また、仕事をゲットできたとしても、劣悪な労働環境で国家の保障も薄いという意味では、外国人労働者の状況と同じようなものです。さらに、当然のことながら全員が全員が適法に都会に出てきているわけではないです。外国労働者の比喩でいえば、いわゆる不法就労をしている人々も沢山いるでしょう。しかし、そういった中国内部における低賃金労働者達の存在が、都会人が嫌がるいわゆる3K仕事をやってくれているわけで、彼らがいないと都市機能が全うできないという構造があるわけですね。日本もバブルの人手不足の頃には、当局も外国人労働者の不法就労を見て見ぬふりをしてましたもんね。
このように、中国の地域格差問題は、ケーススタディとして非常に示唆的です。それは中国独自の問題というよりは、世界の何処にでもある普遍的な問題が普遍的に生じているからでしょう。経済発展、都市の拡大、都市労働者の増大、反比例して農村の衰退と農村への保護政策という普遍的な状況は、当然、日本にもありました。なんせ昔は集団就職とかいって、列車を連ねて農村の労働力が都会に”輸出”されていたわけですから。そして都会の経済発展によって国力を増進し、日に日に苦しくなる農村を救っていくという構造、都会から地方への所得環流が求められたわけですが、日本でこれをやってきたのが自民党ですよね。農村が相対的に貧困になるのを防ぐため、過剰生産を抑える減反政策と補助金、生産者米価を設定し国が農産物価格を買い支え、その他地方に所得を分配するためにバラマキと言われようがガンガン公共工事を発注し、護岸工事やら灌漑やらスーパー林道を造り、ダムを造り、生態系を破壊しても造る。もともとが所得の再配分が目的だから都会のゼネコンに落札されたら意味がないので、地元業者が落札するように、それも順番に平等に落札するように談合をするという日本的風景が生まれてくるわけです。
日本の場合はこうやって自民党があの手この手で都市から農村への所得環流をせっせとやってきたわけで(ついでにその中間段階で政治家や業者で利権転がしやらなんやらで儲けてますが)、それがひいては日本における地域格差の是正につながっていったのでしょう。これが日本という国のメカニズムです。僕は東京生まれの東京育ちですが、生まれてからずっと東京という大都市の人々こそ、一番世間知らずというか、一番日本が分ってないと、自分を省みてそう思います。東京にずっといたら、なんで日本では自民党が強いのか、それこそ戦後ほとんど一党独裁してきたのか、その理由が分らないでしょう。また頭では分ったとしても実感としては分らない。なぜなら都市住民というのは自民党によって利益を受けることは殆どなく、もっぱら収奪の対象とされてきたからです。僕も東京にいる頃はなんで自民があんなに強いのか、どうして自民に投票する人がいるのかよう分らんかったですもん。それに実際、東京くらいの経済と人口があれば、別に国家・政府は要らないぐらいだもんね。だから警視庁と警察庁の違いもろくに認識する必要もないし(警察庁とは全国都道府県警の総本山であり、警視庁とは”東京都警”に過ぎない)。
ということで、中国の問題でありながらも、ちょっと立ち入れば打てば響くように「ああ、日本における○○か」と連想してしまうというわけで、人間社会や経済というのは、非常に普遍的な幾つかの法則によって成り立っているのだなと思うのでした。