ナイチンゲール さて、クリミア戦争においては、有名なナイチンゲールが活躍します。この戦乱において最も著名な個人といえば彼女かもしれないです。 フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)は、イギリスの富裕階級出身のいわばお嬢様で、子供の頃から英才教育を受けていました。子供の頃に慈善訪問した際に貧しい農民の暮らしにショックを受け、なんとかしたいという思いを抱いたと言われます。これだけだったら善良なお嬢様のナイーブな想いでしかなかったのですが、それをバリバリ実現していくところが非凡なところでもあります。 彼女が27歳の時、ローマ旅行で保養所のシドニー・ハーバート所長と知り合います。医療機関との接点が出来た最初でしょう。31歳のときドイツに渡り、ここで看護教育を受けます。33歳、ハーバート夫人の紹介によってロンドンの病院に就職します。無給。当時の看護婦は、殆ど召使い同然の扱いであり、特別な医療知識も不要と思われていました。それだけにこの裕福な家からしたら”賤業”のように受け取られ、このあたりで家族と険悪になります。「物好きにもほどがある、いい加減にしなさい」という母・姉と、理解者の父。ここでクリミア戦争が始まります。 クリミア戦争に参戦したイギリス傷病兵がいかに悲惨な状況にあるかについての報道がなされ、世論が湧く。34歳のナイチンゲールは従軍を決意します。おりしも旧知のシドニーハーバードが戦時大臣になっていたことから、軍当局からの正式な要請として、38名の女性を引き連れ戦地に赴く。しかし、現地戦場では官僚的セクト主義によって「お前らなんか要らん」と意地悪をされる。しかしここでメゲずに、便所掃除が無管轄だったのでまずは便所掃除からはじめ、それをキッカケに強引に現場に割り込んでいく。またビクトリア女王の支援もあり、また実際に世話をうける傷病兵らの支持もあり、徐々に存在感を増していく。 ナイチンゲールは病院内の死亡率の殆どが院内感染によるとして衛生問題を指摘し、改善。これにより死亡率は激減する。これらナイチンゲールの活躍を苦々しくおもう軍医長などの政治的イヤガラセが陰に陽に続く(例えばクリミア半島は辞令に含まれていないから行ってはいけないとか)。クリミア戦争終結後、国民的英雄に祭り上げられるのを嫌ったナイチンゲールは、偽名で帰国。 帰国後、10年ほど病床に伏すが、それでも膨大な資料を分析し、詳細な病院改革案を政府機関に提出。基金がたまった段階でナイチンゲール看護学校を創立。以下、イギリス国内に看護士養成システムが普及していく。60歳以降になるとあまり外に登場しなくなり、80歳で失明。87歳で女性で初めてMerit勲章を授かり、90歳にして永眠。故人の遺志で、墓碑銘にはイニシャルのみ記載。 これが略歴です。もっとも世間受けする部分は、「クリミアの天使」と呼ばれた、戦時病院での甲斐甲斐しくも超人的な働きぶりでしょう。看護士を「白衣の天使」と呼ぶ語源にもなってます。しかし、彼女はこの「天使〜」的な善玉イメージを嫌っていたようです。「そーゆーことじゃなくて、あーもー!」って苛立ちがあったようにも見受けられます。 ナイチンゲールの略歴を見ていくと、「天使のような清らかな魂」というようなイメージではなく、@群を抜いて優秀であること、A上流階級出身であるからコネがあること、が特徴的です。大体、Aがなければハーバード大臣と知り合うようなキッカケもないでしょうし、ビクトリア女王という雲の上の存在との接点なんかあるはずもないです。それがなければクリミアにも従軍できないし、帰国後の看護システムの構築にも支障があったでしょう。しかし、それ以上に@優秀性がずば抜けていますよね。クリミアに従軍したとしても、仕事ができなければ単に足手まといに過ぎないでしょう。荒々しい戦場において一目置かれるだけの仕事ぶりと実績を残していること、病院改善のためのガンガン提案交渉し、相手を承諾させるだけの弁が立ったこと、官僚的壁に阻まれても便所掃除という一点を見つけ出し、そこを突破口にするしぶとさ、どれをとっても一級品のビジネスマン、政治家レベルの力量は備えていたのだと思います。その有能さが、単に心が優しいお嬢様の道楽趣味で終わらさなかった所以でしょう。 ナイチンゲールは、これは本気でこういう事業をする人にみな共通する点でもありますが、個々人の自発的な善意というものをそれほどアテにはしていません。またアテにすることは良くないとすら思ってますし、そう言ってます。いわゆるボランティア的善意だけでは限界があると。ちゃんと制度化し、税金もふんだんに使い、システムとして精錬させなければうまく機能しない、と。リアルな現実を見つめ、現実を改善しなければ意味がないという徹底したリアリストでもあるからこそ、他人(多くは政府や役員)を説得させるために、独自の資料編纂を行った優秀な統計学者でもあります。その必要に迫られたから画期的な統計技法を編み出したのでしょう。視覚にうったえるグラフなど今日でも使われているそうです。つまり、現実を引き出すためには、政府などからお金を引っ張ってこなければならない、そのためには優秀なプレゼン技法が必要であり、そのための統計技法を開発・駆使するということです。そこまでやる人、出来る人はマレでしょう。また、彼女は病院建築においても非凡な才能を発揮しています。つまり、この人は現実を動かすためには何が必要かよく見えていたのでしょう。そして、必要とあれば、大胆に、しぶとく断行するという。 ナイチンゲールは、生涯に150冊本を書き、手紙を1万2000通書いたと言われます。看護に関する所見はもとより、病棟建築、統計学、社会福祉までその範囲は広汎です。著書150冊もさることながら、手紙1万2000通というのは凄いです。殆どが看護現場からの問い合わせの類だったらしいのですが、これだけ出来る人というのはマレだと思います。 もう一歩深く突っ込んでみますと、政府がナイチンゲールらを戦地に派遣したのは、一種の政治的ポーズだったと思われます。戦地の悲惨な状況が国内世論を騒がしている状況において、ナイチンゲールら「白衣の天使」が甲斐甲斐しく負傷兵を看護しているというイメージを大衆に与え、ガス抜きに利用しようとしたのではないかとも推測されます。なぜって、38人くらい送ったくらいで焼け石に水だと思われるからです。だから現場においても彼女らをマスコット扱いしておけばいいわってな調子だったのでしょう。ところが、ナイチンゲールは問題の所在を的確に見抜いてしまいます。死亡率が高いのは、病院の不衛生のほか、食糧状態が悪いとか、要するに陸軍の官僚的無能さに起因するのであって、ここを改善しないと意味がないと主張するわけですね。そんなことを発表されたら、政府の無能さを露呈することになり藪蛇になってしまいます。だからこそあれこれイヤガラセもしたのでしょうし、無理やり「白衣の天使」的イメージを作ってそれを大衆に浸透させようとしたのでしょう。ナイチンゲールの本当の苦闘は、これら官僚的無能さと隠蔽体質との戦いだったと思われます。なんのことはない、「白い巨塔」と同じ問題です。 |