今週の1枚(07.10.01)
ESSAY 330 : キリスト教について(その4) 〜ゲルマン民族大移動
写真は、別にゴルフ場ではありません。ただの公園。それも名もないといっていいくらい地味な公園です。オーストラリアに住んでていいなと思うのは、こういう緑の広大な空間がボコボコあちこちにあることです。そして、大抵誰もいない。このスカスカ感が癒されます。参考までのこの公園の場所をいうと、公園の名前はDenistone Parkで、Denisitoneというサバーブにあります。West RydeとEast Woodの間にある地味な駅ですね。
4週目を迎えるキリスト教シリーズですが、面白いですか?興味のある方からは好意的なメールをいただいたりしますが、ぜーんぜん興味のない人もいるだろうなあ、普通のエッセイの方がいいのかなあ、と、多少の迷いもあります。実際、アクセス数減ってるし (^_^)。
でもやります。たしかに取っ付きにくいだろうし、かなりの程度「お勉強」的要素もあるのですが、だからといってヌルい内容にする気はないです。理由は幾つもあるのですが、一つには、読者や視聴者のニーズに合わせるというマーケティングをやりすぎて、合わせるというよりも必要以上に「迎合する」ようになり、段々と発信者と受信者との間で「お気楽なのが一番さ〜」「頭使うのはシンドイよね」という生ぬるいカルチャーが醸成され、相互にフィードバックやってるうちにどうしようもなく低劣化するという白痴化スパイラルみたいなものがあると思うのですね。僕はこーゆー傾向が大嫌いなので、意地でも逆らいたいというのが一つ。このスパイラルの一つの到達点が安倍政権の発足だったのではないかという気もするし、せっかくしっかりコケてくれてるんですから、今がいいチャンスでしょうと。
それに冷静に考えてみて、僕の書いてるエッセイごときが難しいわけないですよ。どうみても気楽に読み流せる低レベルの雑文でしょう。これ以上下げるわけにはいかない。地球レベルで考えれば、いわゆる”大卒”の書く文章としては僕のレベルが最下限でしょう。なんせ、大学(短大、専門学校含む)卒=セカンダリー(高校)以上のターシャリー・エデュケーションを受けて何らかのディグリー(学位)を持ってる人間というのは、自他共に認めるインテリであり、それなりのレベルを期待されるわけです。第三世界出身の大卒なんて超秀才ですしね。日本にずっといるんだったら阿呆のままでいいかもしれないけど、一歩外出たら(居場所や立ち位置ににもよるけど)それなりのレベルで構えてないと真剣に馬鹿だと思われちゃいます。その緊迫感を日本に伝えることが、まあ、海外に住んでる同胞としての一つの義務でもあろうかと。
あとはですね、いきなり卑近な理由になりますが、今さら他のネタを探すのが面倒臭いって部分もあったりします (^_^)。
あと、キリスト教と銘打ちながらも、やってる内容は宗教論というよりもキリスト教を取り巻く歴史や社会的な実体論になってます。これは、根っこにあるのが「キリスト教を知りたい」というよりも「(キリスト教がバックボーンになっている)西洋を知りたい」って部分ですので、どうしてもそうなってしまいます。西洋もねー、子供の頃から色んな形で親しんでたりするし、今だって西洋文化の国にいるわけですけど、いつまでたってもよく分からない。”日本人or外人””「外人だったら全部同じ”という日本人独特の「画素数2ピクセル」みたいなとんでもない粗雑なパースペクティブがつきまとうわけです。これで良いわけないのであって、もうちょい立体的にハッキリクッキリ見えんもんかな?というのが原点です。だから、キリスト教という西洋を中心に世界で一番売れているヒット商品の構造を考えてみれば、多少は分かるのではないかなってことです。
本当はですね、このうえにイスラム世界を理解したいし、インドのヒンドゥー社会、他のアジア諸国の小乗仏教、南米の構造、中央ロシアやアフリカの構造なんかを、自分なり「まあ、要するに、○○ってこっちゃ」というところまで理解したいです。で、10年くらいかかって予習して分かった気持になってから、世界一周旅行でも行きたいですね(金とヒマがあったらだけど)。今行っても勿体ないというか、「なんでこんな建物があんの?」というのが 分からないで見てても感動が薄いし、それが貧乏性の僕には勿体ないような気がするのですが、あなたはそう思わないですか?
こんなことなら、20歳くらいのときに世界一周しときゃよかったですよ。分からんまでも一回自分の目で見ておけば理解度は格段に違いますもんね。惜しむらくは、当時の日本(今もだけど)には、西欧の若者のようなその種のカルチャーが周囲になく、思いつきもしなかったです。だから、今の20歳くらいの日本人には是非世界一周してきて欲しいですね。周遊チケットも20万円くらいなんだし、働けばいいんだし。で、一周したら何事もなかったように普通に就活し、普通に仕事し、普通に日本で生活してください。そういう人が日本に増え、実権を持つようになれば、日本も変りますよ。多分。
さて、キリスト教の発展史を辿っていくと、古代ローマ帝国の滅亡後の東ローマ(ビザンチン)帝国&西欧中世王権の展開という、モロに世界史になってしまい、これを避けて通るわけにはいかなそうです。しかし、まあ、いい機会ですから、腹括ってやりましょか。世界史選択してなかったから苦手だし (^_^)
と思って下調べを始めたのですが、これがやりはじめて2分で「だー!」とまた放り投げたくなりました。複雑過ぎ!登場人物(民族・王朝)多過ぎ!
高校の時に世界史の授業やって興味を惹かれなかった理由が、今わかったような気がします。日本史は、いわば日本国内のモノゲームであり、ゲーム構造がシンプルなんですね。Aが天下を取ったあとにBが勃興し、やがて逆転し、その後Cが出てきて、、という。大体が二極ゲームなんです。古代の崇仏派vs排仏派、藤原氏と天皇家の微妙な関係、源氏と平氏、北条と足利、南北朝、関ヶ原、倒幕と佐幕、近世になっても日清、日露、、と、大体対立二者の力学構造で話が動いていく。だから分かりやすい。
そういえば、日本人というのは1対1のスポーツを伝統的に好むという話を聞いたことがあります。日本は格闘技が異様に発達している国ですが、相撲、柔道、剣道、合気道、古武道どれも原則は一対一です。日本古来のもので集団でやるゲームというのは平安時代の蹴鞠くらいじゃないですか?イギリスのようにラグビーやらサッカーが発展した形跡がない。ものすごい集団志向性を持つ日本人なのに好むスポーツは個人競技というあたりが実は興味深いです。本当は日本人ってメチャクチャ個人主義的じゃないのかしら、とか思っちゃったりして。明治以降ベースボールが日本に入ってきて(現在の野球の日本語訳を考えたのは正岡子規らしいし)、あっという間に日本人に受け入れられますが、野球も集団ゲームでありつつも、局面局面ではピッチャー対バッターという一対一のタイマン構造を取りますよね。「巨人の星」その他の野球漫画も大体がライバルのタイマン勝負をメインに据えています。
最近はサッカーが流行ってますから何とも言えなくなってますが、本来日本人は、あーゆーピッチをあちこち走り回って、一体何処が「戦場」で、どこにタイマン構造があるのか分かりにくいゲームというのは好かん筈です。ビールを飲みながらどっかと座って相撲の立ち会いを観戦するように、ゆっくりした間合いで徐々に「気」がみなぎっていき一瞬のスパークに至るという、剣道的な盛り上がりを好むのではなかろうか。チャンバラなんかも、ぴたっとにらみ合ってにらみ合って、タメてタメて、臨界点になって一瞬に勝負が着くというのがカタルシスでしょう?サッカーやラグビーのように、ああも年がら年中忙しなく動き回ってたら「気の充実」もヘチマもないわけで、向いてないんじゃないか?って気もしますね。その向いてないサッカーが日本で流行ってますが、これは100年単位の長い目でみれば一過性のモノなのか、それとも日本人が変質していってるのか、それとも元々あった日本人の潜在能力に火が付いたのか、単なる偶然なのか。あなたはどう思いますか?
さて、日本史というのは、このようなタイマン構造を持つ日本人的メンタリティに合っています。ゆっくりじっくり二つの対立する勢力の攻防と興亡をおっかけていけば、そこに自然と馴染みやすいストーリー展開があり、そうすれば平家物語のような「もののあはれ」すら感じられるわけです。壇ノ浦の平家の滅びの美学と感情移入は、山伏姿で逃避行をたどる義経に受け継がれ、そして五稜郭で戦死していくトシ様にまで流れていくわけですな。
でも、世界史はそーゆーのナシです。世界史はサッカーです。それも選手が100人くらいいるサッカーです。そしてボールが10個くらいあるサッカー。選手多すぎ、ボール多すぎ。だから焦点が定まらない。同時並行的に全ての物事がマルチに展開し、刻一刻と変化するという複数当事者の動的構造として捉えないと、なにがなんだか分からないです。だから、取っかかりがないまま「その頃インドでは」といきなり場面が飛び、ついていけないまま結局やたら暗記暗記暗記になってしまうという。だから詰まらないのでしょう。
しかし、これ嘆いても、愚痴っても仕方ないです。事実はそう展開しているのだから。単一民族文化の僕ら日本人には、この種のマルチ&マトリックス展開構造をすっと理解できるだけの頭のフォーマットが出来ていないのですが、これが出来ない限り国際政治なんか分かるわけもないし、将来の下らない戦禍を避けるためにも国際政治は「分からん」では済まされないでしょう。
古代ローマ帝国が滅んだ頃以降の西洋の勢力図というのは、「古代ローマ帝国がありました、滅びました、おわり」というシンプルなものではありません。古代ローマ帝国があったころから、北方にはゲルマン民族という強大な連中が荒野を駆け回っています。これが北方の脅威であり「ローマ対北方」という勢力図があります。同時に南と東には中東諸民族の興亡があります。7世紀以降は強大なイスラム帝国が出来ます。これらの連中の3極、4極、5極ゲームのようなものが始終展開されたりするわけで、そう思って見てないとワケがわからなくなります。
次に同じ場所に同じ民族がずーっと居るわけではないです。日本史というのは、古代から現在まで日本の現在位置はほぼ変りません。遠い昔に、縄文民族と弥生民族、騎馬民族征服とかありますが、基本的に昔の日本人は僕らの祖先であるというアイデンティティの合致があります。だから、日本の歴史は日本人の歴史であり、日本列島の歴史であり、どこまでいっても「仲間の歴史」です。でも、世界史は違う。あるエリアに異民族がドドドと押し寄せ征服し、あるいは皆殺しにしたりします。そして、その繰り返し。これを日本史に置き換えれば、その昔日本列島にはインド人が住んでいて、そのあと中国人が住んで、そのあとロシア人が住んで、そのあとにようやく僕らの先祖の日本人が南方からカヌーに乗ってやってきて日本王国を作りましたみたいな感じなのでしょう。だから、そもそも「民族」とか「国家」という概念が僕ら日本人とは違います。というか僕らの方が特殊過ぎるのでしょうけど。
さて、開祖以来しいたげられてきたキリスト教も、300年代になるとこれまでの苦労が実って花開き、ローマ帝国という「大旦那」をみつけて特権的地位を認められ「やれやれ」といったところですが、そう思った矢先このパトロンが倒れちゃいます。まあ、もともとガタガタだったわけですけど、大領土を統一出来なくなり、西と東にローマ帝国が分裂します。これもヒドイ話で、ローマ帝国でキリスト教の独占支配を認めた異教禁止令が出たのは392年ですが、その3年後にはローマ帝国自体が東西に分割されちゃいます。以後、西ローマ帝国は衰亡の一途を辿ります。
分裂した地点での東西ローマ帝国の実力は、どうも圧倒的に東高西低、東が強かったようです。なんとなくローマがあるイタリア付近の西ローマ帝国の方が本家っぽく見えるからエラそうに思うのですが、それだけに腐敗や権力闘争もひどい。一方、東ローマ帝国は現在のギリシャあたりを中心にしたエリアにあり、文化、生産力その他で優位にありました。ここも誤解しがちなんだけど、今の中東やイラク戦争などを見てると、「優秀で進んでいる西欧と、封建的で遅れている中東エリア」という固定観念に縛られますが、ヨーロッパがヨーロッパとして世界史を引っ張りだすくらい政治・文化・経済的に優秀になるのはルネサンス以降の近世の話です。長い世界史のスパンでいえば、比較的最近の話に過ぎない。それまではシルクロードの回廊であるメソポタミア、エジプト、ギリシアという古代文化を擁する中東エリアの方が圧倒的に進んでいたし、後でも述べると思うけどイスラム世界の方がよっぽど先進的でした。
ということで分裂以後はキリスト教も東ローマ帝国において盛んになり、西ローマの方は国そのものが無くなってしまいます。東ローマ帝国ですが、当時の本人達は単に「ローマ帝国」だと思ってるだけで、自分らが「東」だなんて思ってなかったでしょう。西ローマ帝国が衰亡したあとも、「ああ、西の方の領土が減っちゃったなあ」くらいの感じだったかもしれません。東ローマ帝国では、皇帝がキリスト教の最高権力者を兼任するという究極の祭政一致である「皇帝教皇主義」になり、首都であるコンスタンティノポリスの総主教は「世界総主教」としての格式を持つようになります。ちなみにコンスタンティノポリスというのはラテン語の読み方で、英語ではコンスタンティノープルであり、現在のトルコのイスタンブールです。
西ローマ帝国の滅亡の遠因はフン族の来襲によります。
先ほど、ローマ帝国は常に「北の脅威」があったと書きました。これがゲルマン民族です。キリスト誕生以来これまでの話は、イスラエル、トルコ、ギリシャ、イタリアという、要するに地中海沿岸の話でした。西洋古代史は大体地中海沿岸でドンパチやってるわけです。でも、その頃もっと北の方=つまり今のドイツ、ポーランド、チェコ、デンマークなど北欧とかそのあたりですが=では誰が何をしていたか?というと、もちろん人々は生きていたわけです。この人々のことを「ゲルマン民族」と呼びます。ゲルマンというのは今のドイツあたりのエリアを、ローマ時代「ゲルマニア」と呼んでいたことに基づくそうで、本人達は「俺たちゃゲルマン民族だい」と思ってたわけではないです。ゲルマン民族の中に、さらにゴート族だとか、フランク族とか色んな部族がいて、それが彼らのアイデンティティです。
もともとはライン・ドナウ川流域の北方に居たわけですが、そのあたりに広く散在し、離合集散し、移動し、ときどきローマ帝国にチョッカイを出したり、平和裡に帝国内に入ってきて溶け込んでいった人達もいるそうです。西暦9年という、まだキリストが子供だった頃ですが、このときにトイトブルクの戦いというのがあり、ライン川の北を攻めてきたローマ軍を打ち破り、以後ローマ帝国もここより北には侵略する気分を失ってます。このライン川というのが、昔からローマ・ラテン文化圏とゲルマン文化圏の境目なんでしょう。
さて、北の方に強大な民族が居て、普通は住み分けているけど時々襲ってくる、絶えず気になって仕方がない、、、という状況は、ローマ帝国だけではなく、どこでもあります。すぐに思いつくのは中国。中国の歴史は、北方の遊牧民族とのイザコザの歴史であり、秦の始皇帝が気違い染みた万里の長城を作ったのもそのためです。あれだけの大皇帝でありながら、あれだけの労力をかけて、宇宙空間からでも肉眼で見えるという大建造物を作ったということは、それだけ恐怖心も強かったのでしょう。「北から恐いおじちゃん達が攻めてくるぞ」という恐怖感ですね。実際単に恐怖なだけでなく、宋はジンギスカンに攻め滅ぼされ元になり、明もまた満州族に滅ぼされ清になってます。日本でも、「ロシア(ソ連)が攻めてくるぞ」という「北の脅威論」は江戸時代から戦後まで連綿とあります。
しかし、この恐くて強いはずのゲルマン民族よりも、もっととんでもなく強い民族が現れます。なんか「北斗の拳」などの格闘漫画の「敵キャラのインフレの法則」みたいですが、本当に出てきたのですね。それも、「アッティラ大王率いるフン族」という、まんまマンガというかゲームみたいなネーミングで出てきます。ウソみたいだけど本当なんだから仕方がないです。
このフン族ですが、さんざん荒らし回ってロシアから東欧+ドイツあたりまで含めた超大帝国を築いたアッティラ大王が、40歳の時に急死してからあっさり消滅してますので、未だに正体はよくわかってないそうです。いや、本当だって。呼び名の感じから、中国北方にいた「匈奴」じゃないかという説もありますが(当時の中国語ではフンヌと発音したらしい)、よく分からないそうです。大親分が亡くなると仲間が四分五裂するのは遊牧民族系にはよくある話らしいです。
この大軍団によって、「北の恐いおじちゃん達」であるゲルマン民族も「きゃー」といって逃げまどいます。難民化し、ドドドと移動を始める。これが世に名高い「ゲルマン民族大移動」というやつです。「やつです」なんて僕もエラそうに解説してますけど、1時間前に「そうか、そういうことだったのか」と改めて知ってる次第ですから大したことはないです。忘れてるなあ世界史、ってか、最初から理解してたかしら。
ともあれ、このフン族発の「ビリヤード現象」「玉突き衝突」がゲルマン民族大移動の事情であり、西ローマ帝国滅亡の遠因です。といって、フン族がやってきてローマ帝国をグシャッと潰していったわけではなく、展開は結構複雑です。フン族の活動というのは実は375年頃に始まっており(ゴート族を侵略し民族大移動の原因を作った)、それからアッティア大王の死である453年まで4分の3世紀ほどありますから、一世紀弱の時間をかけて徐々に起きていったわけです。433年には攻めてきたフン族にローマ帝国は現在のハンガリーのエリアを割譲し、ここがフン族の国家になります。その翌年アッティラが兄弟ブレダとともに王位に付き、445年にはブレダを殺したアッティラが単独の王になったあたりで、短期間に急に勢力を拡大します。東西ローマ帝国にも何度も攻め入ります。447年には東ローマ帝国から賠償金をせしめます。しかし、451年カタラウヌムの戦いで西ローマ帝国と痛み分けになりますが、メゲずに翌452年に西ローマ帝国に攻め入ったところで、東ローマ帝国の皇帝教皇レオ一世の説得によって引き上げています。この「説得に応じて」というのも嘘臭く、本当は軍団内部でマラリアが集団感染したせいだという説もあります。453年、40歳のアッティラは自分の結婚式の席上に倒れ(脳溢血ともいわれている)、他界します。で、フン軍団は後継者争いで四分五裂し、そのまま歴史から姿を消します。
これがフン族、アッティラ大王の流れですが、ジンギスカンのモンゴル帝国→中国征服(元の成立)→日本侵略(元寇)のヨーロッパ版みたいなものなのでしょう。ジンギスカンの軍団も泣く子も黙るくらい恐しい軍団だったらしいですが、どうもこのあたりの遊牧民族というのは、カリスマ的指導者を戴いて一旦火がつくと、途方もなく強大残虐になるようです。征服する際には降伏すら許さず皆殺し。死体に紛れて生き残る人間がいるかもしれないというので、老人も赤ん坊も、それどころか犬や猫まで全ての首を切りピラミッド型に積み上げて、侵略していったとか。フン族の場合も、「通ったあとはペンペン草も生えない」という慣用フレーズのとおり住民徹底皆殺し、それもわざわざ残虐なやりかたで殺したそうです。この問答無用の残虐さに、戦争慣れしている筈のゲルマン民族もローマ帝国もビビりまくったのでしょう。もし、日本侵略の元寇も、台風にやられて沈没なんてミスがなかったら、日本民族もその時点で皆殺しにされていたかもしれません。
そういえば、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」だったかな、満州戦線でロシア軍配下のモンゴル兵による残虐な拷問シーン(生きたまま皮を剥ぐ)が、これでもかというくらい延々細かく描写されますが(気分悪くなるよ)、そこで彼らの上官であるロシア軍将校が、「人を殺すということに対する彼らの情熱は途方もないものがある。かつてロシアを襲ったときもわざわざ手間暇かけて木材で舞台を作り、その下に生きたロシア人を入れ舞台で踊って彼らを圧死させた。なぜそんな面倒臭い殺し方をするのか理解できない」と恐怖と嫌悪のまじった声で言うシーンが印象的です。この普段は温厚で優しいけど、いざキレると際限なくキレ続け、途方もなく残虐強大になってしまうというのは、ツングース系民族の一つの特徴であり、ツングース系民族というのはモンゴル系だけではなく朝鮮、そして日本民族も含むといいます。なんのことはない僕らもそうなんだと。そう思うと第二次大戦中の大陸での日本軍の行為なんかもつながっているのかもしれません。ともあれ、遊牧民族恐るべし、です。東も西も1000年に一回くらい生じるこの連中の大暴風に巻き込まれ、死にそうな目に遭ってるのが世界の歴史のようです。
さて、このフン族の強大なエネルギーによって、玉突き状態にゴート族などの各ゲルマン民族が動かされ、東西ローマに大きな影響を与えます。フン族や、ゴート族等ゲルマン民族ですが、この活動が活発になるにつれ、東西ローマ帝国は防衛に追われ、同時にこれらの「蛮族」達を自分達の傭兵にして使っていたようです。あるときはゴート族の侵入を防ぐためにフン族を雇って働いて貰ったり、上記のカタラウヌムの戦いではフン族と対決するためにゴート族の力を借りたりしています。そうこうしているうちに、単なる傭兵だったこれらの蛮族達が軍部を握るようになり、最後には皇帝の座を奪うようにもなります(帝位簒奪者)。475年、アッティラの腹心だったオレステスは、ユリウス・ネポス皇帝を追放し、自分の息子をアウグストゥスを皇帝であると宣言したかと思ったら、今度はゲルマン系スキリア族の傭兵オドアケルに新皇帝がおっぽり出されちゃいます。新王になったオドアケルは、東ローマ帝国皇帝に対して、「西ローマ帝国の皇帝位なんか要らんわ。俺は今からイタリア王じゃい」と中指突きだして宣言し、このとき(476年)西ローマ帝国は名実ともに消滅します。じゃ、その後はオドアケルの天下になったかというと、彼も東ゴート族のテオドリックに攻め滅ぼされ、結局ローマのあるイタリア半島は東ゴート王国になります。
ね?かいつまんで書いただけでも登場人物多すぎでしょ?こんな細かい経過はどうでもいいのですが、要は、西ローマ帝国末期は、周辺の「蛮族」連中に好き勝手にやられ放題だったということです。
ところで、「蛮族」ってのもすごい差別的な用語ですが、このあたりの歴史の記述を調べていると、どうもそういう表現をするのですね。これは中国において周囲を蛮族呼ばわりしている感覚と全く一緒ですね。何となく分かるのですが、帝国の興亡のパターンというのはどこも同じなのかもしれません。まず、@肥沃な大河や沿岸部は作物が取れ、商業も活発ですから「いい場所」であり、ここをめぐって争奪戦が繰り広げられ勝ち抜いた最強者が大帝国をバーンとおったてます。A大帝国は絶頂期を迎え、王族貴族は贅沢三昧やってるうちに、政治は腐敗し、軍隊は弱くなります。B中央の華やかな帝国から「野蛮な連中」と馬鹿にされていた周辺地域の連中が逆に粗暴な強さを発揮し、老朽化した大帝国を攻め滅ぼす。というパターンがあるのでしょう。中国もしかり。
日本も、最初は軍事的に強力だった天皇家が力で大和朝廷を作り上げた頃は強かったけど、段々内紛ばっかりやるようになり、藤原氏に牛耳られる頃になってくると、東方・北方の脅威が気になってきて、坂上田村麻呂を征夷大将軍として派遣して蝦夷(関東以北のアイヌを含む現住日本人)を封じ込めようとします。その後幕府を開く連中は皆この征夷大将軍になりますが、これって「東北方面の野蛮な連中を征伐する作戦司令長官」という意味です。平安時代にのほほんと貴族文化が花開いているうちに、関東の方から平将門の乱が起こりこれを平定したと思ったら、平定するために利用していた身分の低い武士階級の連中がいつの間にか勃興し、平氏が実権を握るがあっという間に貴族化、さらにもっと獰猛強大な板東武者を引き連れ源頼朝がやってきて実権を取り、ついでに首都機能も鎌倉に移転しちゃってます。このパターンをもっと平易にすれば、初代=実力で一代で財を築く、二代目=ボンボンで遊びすぎて身上を傾ける、三代目=実力派の番頭に追い出されるってな感じなんかもしれません。ああ、歴史は繰り返す。
もう一つ、ここで押さえておくべきことがあります。このゲルマン民族大移動が現在のヨーロッパの骨格を作っていったということです。
ゲルマン民族とは狭義にはドイツ民族周辺を指しますが(だから、ドイツのことを英語でジャーマン=ゲルマンって言う)、広義には北欧も含め「ライン川の上の方にいた人達」です。彼らが「フン族が来たでー」といって、あっちこっちに逃げまどうのですが、西ゲルマン・フランク族がガリアに行き、後にフランク王国を建国し、これが現在のフランスの母体になります。北西ドイツ周辺のアングロとサクソン地方にいた連中が海を乗り越えブリタニアという島までやってきてアングロ・サクソン七王国を作ります。これがイギリスの土台。北イタリアには東ゴート族やロンバルド族が、今のスペインには西ゴート族が入り込みます。現在においては、ドイツ・オーストリア・オランダ・スウェーデン・ノルウェー・デンマークなどに住む人々、イギリスのアングロ・サクソン人・ベルギーのフラマン人・フランスのアルザス人・イタリアの南ティロル人がゲルマン民族の末裔らしいのですが、まあ、それから1000年以上経過していますし、これだけサッカー状態で各民族入り乱れてドカドカやってるわけですから、ナチュラルに混血したり薄まったりはしているでしょう。
ゲルマン民族の人種的特徴は、これも多種多彩なので一概には言えないけど、大雑把にいって、身長が高く、金髪、碧眼、彫りが深く、毛深いということで、要するに僕らが思い描く「白人」です。彼らの先祖が4−5世紀の頃にフルーツバスケットか椅子取りゲームのようなことをやって、ヨーロッパ全土で「席替え」をした、そのドサクサのあおりを食って西ローマ帝国も消滅したというのが大事なところだと思います。
さて!わかってます、「これのどこがキリスト教やねん?」ってことでしょう?
そうなんですよ、僕も早く書きたいのですけど、この「せっかくつかんだパトロンが倒産した」みたいな西ローマ帝国消滅から、絶大な教皇権力を誇る神聖ローマ帝国までの移行期が難しいところなんですよ。巨大な帝国が安定して存在してました&その中で庇護されヌクヌクと育ちましたっていうなら話は簡単なんですけど、そうじゃないんですよ。ローマは四方八方から「蛮族」に襲いかかられてもみくちゃにされているわけですから、そこからどうやって広まっていったのか、ここはじっくり考えたいのですね。でも、それを書くためには前提になる時代背景を書かねばならず、それだけでもう今回一本終わってしまいそうです。
さて、西ローマ帝国の消滅をもって、大きな人類史的な区分としては「古代から中世へ」といわれます。人によって数え方は違うけど、1000年ほど続く「中世」です。この「中世」というのも分かりにくい時代で、やたら長いわりには透明度が低く、照明もなんか暗い。人によっては「暗黒時代」ともいうし、確かに異端審問とか、妙に不気味な時代でもあります。むしろ、ソクラテスとかピタゴラスがいた古代ギリシアや、シーザーやクレオパトラがいた古代ローマ当たりの頃の方が、なんか明るいし、人々の行動も合理的に見える。また、ダビンチ以降のルネサンスからの近世は、コロンブスが大航海をし、フランス革命があったりして、全部現在に地続きにつながってる感じがして取っ付きやすい。この真ん中の中世部分だけが、なんか見通し悪いんですね。「中世ヨーロッパ」というだけで、鬱蒼とした黒い森、そびえる古城があって、グリム童話の世界というか、スピリチャルというか、オカルティックというか。
キリスト教も、この不透明な中世を潜り抜けることによって、天麩羅の衣がつくように妙にデコラティブに肥大化します。また、全欧州+中東を舞台にした複数ボールサッカーのような複雑な政権闘争をキリスト教会は総じて巧みに遊泳します。それがゆえに政治権力への過密着、さらに権力との同一化も起き、内部に紛争を生じ、その反発で原点に戻ろうという動きも起きます。
そしてこれらの経過によって獲得された特徴が、現在のキリスト教に微妙な陰影を与えていると思うわけです。キリスト教について書こうと思って調べた始めたとき、そのあまりにも多面的な顔に途方に暮れました。これまで書いたように民族を越えて伝播していく力、ヘビーデピューティーなアウトドア宗教のたくましさ、聖書や神学論争など精緻な思考体系、さらにこれから触れるゴシック建築などの複雑な様式美、修道院などの禁欲的で清貧な生活姿勢、王権との癒着による徹底した腐敗、冒険的な布教者や殉教者、十字軍や異端審問、魔女狩りなどの愚行を生み出す狂信性、マザーテレサやシュバイツアーを生み出す精神的土壌、、、一筋縄では語れないです。これらを表面的・羅列的に見ていくよりも「なんでそうなったのか」が知りたいですし、そうなると歴史的展開というのを丁寧にみていかないと分からないと思うのですね。
あと、話があっちこっちに飛ぶような余談が多いのですが、すみません、こうやって既知の知識と比較することで共通部分を因数分解のように抜き出したり、リンクを張ったりして、「ふむ、要するにこういうことか」と確認していきたいのですね。これは個人的な思考のクセのようなものです。
ということで前途遼遠な吐息をつきながら、続きます。
文責:田村
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