といって僕もそれほどロシア文学に詳しいわけではないです。高校時代の頃に、カッコつけてドストエフスキーの「罪と罰」、トルストイの「アンナ・カレーニナ」を読んだくらいです。ツルゲーネフの「初恋」は、その昔の漫画「愛と誠」に出てくるから知ってるけど、漫画に出てきたから知ってる程度で、読んだかどうかすら記憶にない(多分ないと思う)。チェーホフの「桜の園」も名前だけ。なんか書いてて情けなくなってきましたね。「馬齢を重ねる」といいますが、なんか高校のときから文化的に全然進歩してないんじゃないかという。
ともあれこの程度の僕がロシア文学についてエラそうに書くようなことは何もありません。ただ、ロシア文学は世界的にも有名だと。でも、なんでそんなにロシア文学が有名なのか、何が良いのか。日本にもロシア文学ファンは多いですよね。検索してみたらたくさんのサイトがロシア文学を熱く語っておられますし、出版点数も多い。もしかしたら国別の文学では一番人気があるかもしれません。そりゃ絶対量としてはアメリカやイギリスなどの英語圏や、ドイツやフランスの文学も沢山入ってきているのでしょうが、「○○文学」という形でカチッとカテゴライズしやすいのはロシア文学。なんでなんだろう?
思うにロシア文学=特に黄金期と言われる19世紀はそうだと思うのですが=の特徴を一言でいうと、もうド真ん中の豪速球というか、超本格派という形で分りやすくもカテゴライズしやすいからではないか。ロシア文学の作風は、「華麗な都市生活の中で浮かぶ孤独の陰をアンニュイなタッチで描いた、、、」なんて、こましゃくれた、チャラい作風ではなく、「人間とはなにか!?」「悪とはなにか」「人はなにゆえ不合理な社会で生きていかねばならないのか」という思いっきり大上段です。「この技法は新しい」などというテクニックに走るわけでもなく、ひたすらテーマ本意。テーマもこれ以上ないくらいド本流。
目を逸らすことなく社会の不正や不合理、人間の愚かさ、そして惨めな日々の生活、その中で芽生える気高い魂、そして挫折、煩悶、、、、という物語が延々と続きます。作品も長いんですよね。僕の文章も長い方だけどロシア文学に比べたら蚊とんぼみたいなもんです。たまたま主人公が安酒場に入ると、隅のテーブルで酔いつぶれているアル中親父がからんできて、「ダンナあ、聞いてくだせえ。あたしゃ、たった10コペイカで自分の娘を叩き売っちまったんでさあ、、」などという聞いてて辛くなるような身の上話が始まり、しかも本筋に関係なさそうなアル中親父の述懐が延々10頁くらい続くという。
「罪と罰」はその中でも”息をつかせぬスリリングな展開”という評価になってますが、それでもしんどいよ。文庫本で上下で1000頁くらいあり、しかもそれは何十年も前の文庫本。嘘みたいに活字が小さい。しかし、日本の本の活字はどんどん大きくなってきますよね。ひさしぶりに新刊本を見たら「これは子供用の童話か?」と思うくらい活字がデカくなってる。なんで?高齢化してるから?本屋が実質値上げしたいから?ともあれ細かい字で、改行もろくにないようなドデンとした重い文章の塊が1000頁。すごいよ。そうそう、それでまた主人公のロシア名前が覚えにくいんですよね。「罪と罰」の主人公もロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフといって、通常は「ラスコーリニコフは、、」と出てくるのだけど、人によって呼びかけかたが違うし、愛称として省略変形する。お袋さんなんかは、「おお、ロージャ」と呼びかけたりするから、ロージャ→ロジオン=ラスコーリニコフという関係がピンとこないから、「誰、それ?」と慌てて本を読み返すという。
にも関わらず「罪と罰」は面白かったですね。なんせ読んだのが高校の時だから殆どストーリー展開を覚えてないのだけど、なぜかズシッと心に残る。あんまり心に残ってるから、自宅にあった本をオーストラリアまで持ってきているくらいです。頭脳明晰だけど貧乏でピーピーいってる大学生ラスコーリニコフは、近所でも有名な因業な金貸しの老婆を殺害します。その理由が独特で、社会に何の寄与もしないような老婆が金をもっているくらいなら、自分が金を持ち、大学を卒業して出世して多くの人々を救った方が遙かに社会にとって有益だから、です。彼なりの屈折した正義のために殺人を犯すのですね。そこまで確信犯的にやっているのだから、犯行後も涼しい顔で知らんぷりしてればいいのだけど、人間ってそんな具合には作られていない。頭がいいから世間的にボロを出さずに過ごしてますが、内心は地獄。あれこれ煩悶し続けるわけです。この七転八倒に悩み抜く描写が凄い。出口のないまま死ぬまで悩み続けなければならないという、このあまりの無間地獄さに、読んでる方も気が狂いそうになります。実際、これを読んだときに、「ああ、もう絶対に人だけは殺すまい」と思いましたもんね。あとでこんなに苦しむものかと。
最後には自首して裁判にかけられ、日頃の行状も良かったこと(友人を助けたり実は善行をしている)、盗んだ金を一銭も使ってないこと、一切の弁明をしようとしない潔い態度などから寛大な刑になり、シベリアに懲役にいきます。行くんだけど、それでもまだ悩むんですよね。まだまだ心の底からあの殺人が悪いことだとは思えず、最大の問題は犯行後の煩悶に耐えられなかった自分の心の弱さだという。あんまり反省していない。いや、自首するまですっごく悩んでるんですよ。自首前にも大地に接吻してたりして、いかにも改心して大団円のようだけど、しかし尚も反省していない。そして、最後の最後に、彼をずっと慕ってくれていた娼婦ソーニャの愛に打たれ、突如脱皮するように人間が変わるのですね。言ってしまえば「愛は勝つ」みたいな陳腐な話なのだけど、それを臭く感じさせないだけの圧倒的な量感と、それまでの煩悶地獄のリアルな描写があります。
愛に目覚めたラスコーリニコフだけど、でも老婆を殺害したことを反省したのかというと微妙なんですね。どちらかといえば未だ反省してないよな。だからこの物語は「人を殺すのは悪いことです」というツルンとした勧善懲悪ものではない。それにそんな通り一遍の価値感が通用するほど現実は(当時のロシア社会も)一筋縄ではいかない。そーゆー当たり前の価値観世界にハメこんでいるのではなく、もっと根本的な部分、難しく言えば人間の実存というか、人が生きているってどーゆーことなの、人間がそこに存在するってことはどういうことなのかという部分を語ろうとしているのでしょう。簡単に言ってしまえばヒューマニズムなんだけど、そう言ってしまうと全然伝わらないという。あまりの直球ぶり、あまりの剛速球ぶりに伝える言葉がないという。
「罪と罰」は、金もコネも何もない、しかし頭脳明晰で優秀な若者が、独特の屈折した価値観を持ちながら腕一本で世の中をのし上がっていこうという物語なのですが、僕はこの種のパターンの小説がわりと好きです。スタンダールの「赤と黒」なんかまさにそれですよね。また、実在の人物を描いた高木彬光の「白昼の死角」なんかいいですよね。戦後日本で山崎晃嗣という東大生が、高利貸しをやってのし上がり、破綻して青酸カリで自殺する実話です。勉強からセックスまで分刻みでスケジュール管理し、6名の女性と付き合いながらも「○○用」と用途分け分類し、遺書においても「警察に通報して検視を受けろ」と実務的な指示を残し、且つ遺体は焼却のあと灰と骨を農家に売却することまで指示し、「そこに金のなる木が生えたら結構」とまで書き残した人物は実在しています。同じ系譜では、僕が司法試験を受けようと思った最初のキッカケとなった石川達三の「青春の蹉跌」があります。母子家庭に育った主人公が、「この社会の全ての門は権力を持つ者にだけ開かれている」と喝破し、クールに司法試験を突破していくプロセスがリアルでスリリングです。これらの作品の共通点はいずれも途中で挫折して破滅することですが、最後まで成功してしまうのは大藪晴彦の「蘇る金狼」というのがありますね。いずれの主人公も、ものすごい偏った価値観を持ちながらも、その価値観にだけは誠実で、おっそろしくストイックです。そのストイックさが、通り一遍の善悪観を寄せ付けないぐらい、水晶のように冷たく美しいから、惹かれるのでしょう。
「罪と罰」もその系譜なのですが、ただ違うのは、その主人公の特殊性と波乱満ちたストーリー展開でオチをつけていない点です。ここがヒューマニズムなのだろうけど、生身の人間がそんなにスカッと割り切れるわけがないという部分を、これでもかと書き込んでいる。主人公達は、いずれも頭脳明晰なだけに、この社会の仕組みや歪みが通常の人よりもクリアに見え、余計に見えてしまう分だけ独特な価値観に赴いていきます。しかし、若いだけに観念が先走ってしまうのですね。頭でっかちになる。人間というのは頭脳だけではなく、肉体も感情もあり、それがゆえに鈍重であり、ときとして愚鈍にさえ見える。その愚鈍さを嘲笑う主人公は、やがてその愚鈍さに復讐される。あれだけ周到に考えて犯行に及んだラスコーリニコフは、いざ実際に殺害をしてしまうと(予定外の殺人までやってしまったこともあるが)、感情的なパニックに襲われ、盗った金を使わずに隠してしまいます。全然予定と違う。こんなにも自分の肉体と感情が反応してしまうとは考えてなかった。つまり自分=「人間」というものについての理解が甘かったわけです。
だからラスコーリニコフも、最後まで犯罪についての反省はしないが、「罰」だけを望んで自首する。その罰は、自らの論理を自らが裏切ってしまったこと、己の心の弱さこそが罰に値すると思ったのですね。まだ頭デッカチなのよね。しかし、その観念先走りという頭と身体・心のズレが徐々に収束していきます。そうさせたのがソーニャの愛情、まさに愚鈍なばかりの愛なのですね。かくして観念と現実が徐々に整合していき、文字通り「真人間」に再生していったあとに、本当に罪に対する悔悟がやってくるのでしょう。「罪と罰」の末尾には、「一つの世界から他の世界に移っていき、今まで全く知らなかった新しい現実を識る物語が、始まりかかっていたのである」と結ばれるわけですね。
なぜロシア文学は王道をいくのか?
ついつい「罪と罰」を語ってしまいましたが、ロシア文学の直球度の話でした。
では、なぜ、19世紀黄金期のロシア文学が、かくも社会と人間のありようについて1ミリも逃げずにガチンコで受け止めるのでしょうか。重いといえば重い、しんどいといえばこのくらい書くのにしんどいテーマはないのに、その人類の根本テーマみたいなものを求めるのか。なぜにかくも”全的”なのか。
それは正しく解析するのは、浅学非才な僕の手に余るのですが、一寸の虫にも五分の魂、アホはアホなりに考えてみました。
結局はロシアという国と社会の特殊性になるでしょう。まあ、そう言ってしまえば何だってそうだけどさ。
これまで過去のシリーズで概観してきたように、ロシアというのはキエフ・ロシアが出来たと思ったら、ジンギスカンのモンゴル帝国にドドドと蹂躙され、支配されます。いわゆる「タタールのくびき」ですが、これが延々200年以上続きます。その間、西欧ではどんどん文化や社会が進歩するのだけど、ロシアだけ切り離されたようにモンゴル支配下におかれます。だからルネサンスもミスるし、宗教改革もミスってしまいます。この遅れが、西欧諸国に対するロシア独特の後進性というツケになって現れるのですが、同時に240年も余計に中世をやってきただけあって、中世的な色合いが濃厚に社会に染みついていきます。但し、この種の遅れは、文化にとっては必ずしも悪いことではないです。社会の進展というのは、もっぱら政治経済システムの進展ですが、進展すれば文化が開けるってもんでもないんですよね。むしろ社会的には停滞しているくらいの方がじっくり熟成したりします。
タタールのくびき以後、開明的なピョートル大帝が登場し、一気に西欧化を進めます。これは日本の明治維新に似てますが、日本の明治維新を一人でやってしまったような天才的な皇帝です。西欧の文化がどっとロシアに入り込み、ロシア人も数百年分の遅れを取り戻すべく貪欲に学びます。フランス文学、ドイツ文学を熱心に研究し、吸収し、すぐに追いつき、凌駕するくらいになります。それは多分に熟成されてきた中世的文化の蓄積があったからでしょう。それは同じ日本人としてもわかります。日本も鎖国していた260年間、西欧文化から遮断されてきたわけですが、その間に爛熟した江戸文化が登場します。都市生活者が増え、浮世絵、歌舞伎という町人文化が発展し、日本人の芸術センスは落ちるどころか磨き抜かれ、庶民レベルまで浸透します。その蓄積があるからこそ、明治維新=文明開化でどっと西欧文化が洪水のように入ってきても、旺盛な食欲で消化しきってしまい、鴎外、漱石など新しい日本文学が作られていきます。また、だからといって日本古来の俳句や短歌が廃れたかというと、子規、啄木、与謝野晶子らによってむしろ隆盛を迎えます。だから多分ロシアもそうだったんだろうと思います。
しかし、日本文学がお得意の私小説というミクロで個別な方向に行くのに対し、ロシア文学は社会の不正や人間存在の不合理など巨大なテーマに行きます。どうしてこうも違うのか?ここがロシアという国の不幸だと思うのですが、ロシアというのはタタール支配、イワン雷帝の暴君的支配に続き、ピョートルからエカテリーナの開明的西欧的な王様ですら不合理な中世システムの根本改革は出来ていないです。農奴という名の奴隷制度が延々と続き、どうしようもない身分差別があります。西欧の市民革命や近代人権思想も入ってきているのだけど、社会経済システムに関しては中世が長すぎたために革命的なパワーにまで育たない。この点、日本は明治維新の四民平等でおっそろしく簡単にクリアしています。西欧で100年くらい、ロシアでは結局できなかったことを、わずか数年でやってのけてしまう。だから、西欧や日本では、政治のことは政治でやればいいし、経済のことは経済でやればいい。あえて文学がやるべき領域は少ない。日本の文学で社会の不合理に真っ正面からピントを合わせたのは、多喜二の「蟹工船」やらのプロレタリア文学くらいでしょう。あと、ドストエフスキーと作風が似ている安保時代の高橋和己くらいか(まあ数えだしたら沢山あるけど)。
ロシアでは政治も経済もはかばかしく進展しないから、文学者がこれを引き受け、知識階級の責任として真正面からこれらに取り組んでいったのだという。これは僕の発想ではなく、そのような指摘を読んだのですが、なるほどと思いますよね。と同時に、こういった社会の不合理が目の前に分りやすく展開されればされるほど、人は深く物を考えます。南の楽園でビール飲んでたら、あんまり「人間はなにゆえ、、、」などという重いことは考えないでしょう。人間性を否定するような悲惨な現実を見れば、心が痛むけど、この心の痛みは何なのだ、なぜ痛むのか、なにがそんなに大切に思えるのか、人間の何がそれほど大事なのかを考える。人間性そのもの、ヒューマニズムそのものを考えるようになるでしょう。目を逸らせられない。
ドストエフスキーも波乱に満ちた人生を送ってます。医者の息子として生まれ、若くして華々しく文壇デビューを飾ったものの、文芸よりも政治活動に足をつっこんだため政治犯として逮捕されてしまいます。そして「お灸を据えるため」、死刑を宣告され、死刑執行直前に恩赦で許されるという権力による茶番を体験させられてしまいます。これはかなり過酷な体験ですよね。執行する気もない死刑を宣告し、さんざんビビらせておいて直前で許すなんて、およそ権力がやっちゃいけないことの最たるものでしょう。その後、シベリアに懲役に行かされ、出所後は軍隊に入れられます。かなりハードな分野を渡り歩かされます。ただそのハードな過程が、彼の人間としての深化に繋がったのでしょう。現実のロシア民衆、ロシア文化に触れ、西欧の物質文明のチャラさを知り、「そんなに簡単に割り切れるもんか」という深い洞察、あまりにも深すぎるので自分でもよく分らないというレベルまで人間実在の深海に潜っていきます。
東方文化仮説
もう一つ、ロシア文学が人間存在や倫理という王道に向かう理由としては、ロシアと西ヨーロッパの文化圏の違いがあるのではないかと思われます。西洋文化といっても、西欧のラテン・ゲルマン系のローマカトリック系文化と、東欧からスラブ系のギリシャ正教会的文化があると言われます。話は東西のローマ帝国、キリスト教会が東西に分かれた頃にまで遡ります。西ローマ帝国が滅んだあとも東ローマ帝国(ビザンチン帝国)は長続きします。このシリーズの初期の方でさんざん書きましたが、西ローマ帝国というパトロンを失ったローマ教会は、新パトロンをゲットするためにゲルマン民族と手を結んでいき、ラテン&ゲルマンの西ヨーロッパ社会の原型が出来ていきます。ところが東のビザンチン帝国はなまじ帝国が強いもんだから皇帝=教皇という完全な祭政一致が取られます。パトロン探しに必死にならなくてもいいわけですし、それどころかパトロンと教会が同一だったりします。
このような社会状況の違いが延々数百年以上続けば、同じキリスト教文化であっても変わってくるのは当然です。以下、未消化のまま備忘録のように殴り書きしておきますが(だからあんまり真に受けないで下さい)、東方の教会は、皇帝という世俗権力と教会が一体化しているので、そんなに突き詰めてキリスト教の教義を深めるというか、いじくるというか、そういうことはしてないんじゃなかろうか。一方西のローマ教会は、西ローマ帝国滅亡というパトロン消滅の危機を迎え、ゲルマン民族と提携するなど懸命の営業努力をします。ここで必死に営業努力をする反面、自分達はプロの聖職者であるという、職人的要素が強くなってくるのだと僕は思うのですね。
この東西の差異が、例えば東方においては台頭してきたイスラム勢力から「偶像禁止じゃなかったのかよ?」と文句をつけられると「そ、そうでしたよね」と偶像禁止令を出しちゃったりするところに現れます。外交問題がそのまま教義問題に直結するという。一方、西方では、粗野な(と彼らが思っている)ゲルマン民族に教え込まないといけないから、たくさんの”教材”や”宣材”が必要であり、神様の荘厳な世界を分りやすく示すには偶像は必需品だったりします。ビジュアルで示した方が分りやすいもんね。この差が、西においてはルネサンス以降のダビンチその他の優秀な宗教画や宗教音楽の発展につながり、東においては、あくまで挿し絵的・記号的な意味しか持たせず、芸術作品として一人歩きさせない(作家名も表示されない)、”イコン”(パソコンのアイコンはイコンの英語読み)につながっていくのでしょう。
あ、なお、東方のキリスト教のことを、東方正教会とかギリシャ正教とかいろんな言い方をしますが、実は微妙に定義が違うようですが。東方面全部ひっくるめて言う場合、わりと初期の段階で分離した(451年のカルケドン公会議)非カルケドン派などの東方諸教会も含むのですが、東方”正”教会になるとこれらは排除し、東ローマ帝国(ビザンチン)本家の流派を差し、且つギリシャ地方を中心に栄えていたからギリシヤ正教とも言います。が、正教会はローマカトリックの中央集権一本化体制とは異なり、各国毎に本家を置けますので、東方正教会=ギリシャ正教でもないんですよね。ゴッチャに呼ばれることが多いですが。ちなみに、ローマカトリックの「カトリック」というのは「カトリケー=普遍的な」という意味、正教会の「オーソドックス」は「正しい賛美」という意味で、別に相反する意味でもないし、流派の違いの本質を表しているわけでもないそうです。
さらにこの東西の差ですが、東方は性善説、西方は性悪説という興味深い指摘を見付けました。西方(カトリックやプロテスタント)では、人間の原罪は非常に深く、キリストが死んだくらいでは許されないと考え、だからこそ常に神のサポートが必要だとする。しかし、東方ではキリストが人類の贖罪をやってくれたのでもう償いは済んでいると考える。ゆえに、東方ではクリスマスよりも復活祭を盛大に祝う(許されたんだし)が、西方ではクリスマスの方を盛大に祝う。この西方の厳しさ、「人間はまだまだ許されていないのだよ」という意識が、西欧に(人間は不完全なケダモノなんだから)秩序や規律という意識を育ませ、論理性あふれる人権思想や法体系を産んでいったのかもしれません。と同時に、宗教職人としての教会側の営業戦略もあったのだと思いますね。なんせ神がいないとダメなんだから、神の専属代理人である教会に帰依しないと絶対に救われない、だから教会は絶対に必要です、という流れになるわけですよね。そこでつけ上がって贅沢三昧、金がなくなったら霊感商法さながらに免罪符なんかを売りまくっていたことからルターが宗教革命を起こしてプロテスタントが登場するという流れになるわけですね。でも、プロテスタントであっても「神のサポートは絶対必要」という意味ではカトリックと同じです。
ところが東方では、皇帝が片手間に教皇をやってるわけで、そこまで突っ込まない。まあ、片手間といっては言い過ぎだろうし、別に教義的に浅いわけでもないのだけど、ローマ教会のような必死の営業努力という必要性はなかったわけです。だからプロフェッショナルな洗練が少ないといえば少ないし、いじくり倒してないから原始宗教に近い感覚がまだ残ってるのではないか。西方のカトリックなどが論理的・倫理的と評されるのに対し、東方は神秘的・感性的と評されたりするのもその表れではないでしょうか。
さて、この東西の違いがロシア文学とどう関係するかですが、東方正教会は本家であったビザンチン帝国がイスラム教国であるオスマントルコによって滅亡させられてしまうという大波乱を受けます。ビザンチン帝国滅亡前に、東方キリスト教はスラブ系民族に伝わり、ロシアに伝わっています。だから正教会は、当初はギリシャ正教会が栄えていたのですが、途中からはロシア正教が後を継ぐような形で栄えます。ローマカトリック的な職人的洗練もツイストも受けず、また宗教改革の洗礼も受けていないロシア正教は、それがゆえにわりと原型に近い素朴な形で伝わっているのではないでしょうか。もっともロシアに伝わったキエフ公国は、モンゴル軍の支配を受けてしまうことになりますが、これが逆に西方の十字軍的な影響を排除し、原型を留める結果になってます。その後ピョートル、エカテリーナの西欧文化導入やらで、ロシア正教は政治の動向に翻弄され、その後のソ連共産主義で弾圧されで可哀想なくらいイバラの道になるのですが、逆に言えば巨大な教会権力が一枚岩的に存在し、教理を洗練させていくことも難しかったと思われます。そしてロシア文学黄金期においては、社会も教会も乱れていたのですが、だからこそ魂の救済を求める声は強く、多くの聖人もまた現れています。
何が言いたいかというと、ロシア正教というのは、西欧におけるカトリックよりも民衆(特に無学な民衆)にとってより身近な存在であり、取っつきやすかったのではないかと。カトリックはプロフェッショナル集団ですから、素人が神のことを自分の勝手な思い入れで引き寄せて解釈したり信じたりということはしにくい。餅は餅屋でプロに任せないと。しかしロシアの場合は、もともとが神秘的な色彩のある東方教会であり、且つ教会権力そのものが翻弄されたり腐敗したりなので、素人でもわりと気軽に入って行きやすかったのではないか。自分の良心や魂の救済と宗教とを、プロフェッショナルで複雑な手続き抜きにしてダイレクトに結びつけやすい。
これ、僕が勝手に今推測してるだけですよ。真に受けないでね。でもね、トルストイとか見ててもそう思うのですよ。トルストイという人は、貴族の生まれで、クリミア戦争にも従軍し、作家として世界的にも賞賛を浴び、大人気を博して印税だけでも大富豪になるという恵まれた人生を歩みます。が、農村や庶民の生活の悲惨さを知ったりして社会救済、慈善事業にいそしむようになり、最後には全てを投げ打って聖人的な生き方をしようとして、財産をめぐり家族間で骨肉の争いを演じ、最後は巡礼のさなか田舎の駅で哀しく死んじゃいます。人間存在の意味を問う過程でロシア正教を訪ねたけど分らず、聖書を読みふけって自分なりに信念を持ち、教会教義批判をしてロシア正教から破門を食らってます。食らってるのだけど、彼がキリスト教徒でなくなったわけではないです。当時のロシア正教会はキリスト教を正しく伝えていないと批判してるだけですから。さて、このことは二つのことを意味しています。一つは、トルストイは教会の権力や権威に従っていない。逆に言えばトルストイを従わせるほどの力が教会にはなかった。第二は、教会や教義の力を借りずに、トルストイは自分だけの考えで神を考えたことです。
さてそうなってくると、人間存在の深淵に肉薄し、人間の魂をギリギリまで見極めようとする大作家の良心的なイトナミと、神や信仰の観念というのはかなりの程度オーバーラップしてくると思われます。つまり「餅は餅屋」で任さずに、「自分の餅は自分で作る」という感じですね。このように、大権力になっていないロシア正教の状況が、ある種の取っつきやすさ、別の言葉でいえば「ツッコミ易さ」を産み、「自分の倫理は自分で考える」「魂の救済は教会にお任せ、にはしない」というロシア文学の王道的特徴に関係してくるのではないか、という当てずっぽうの推論でした。
ドストエフスキーは政府に逆らって死刑直前までいってますし、トルストイは上流階級〜作家生活大成功というキャリアに関わらず、本人が必死に模索して辿りついた思想は無政府主義的で過激なものだったりします。トルストイの非抵抗主義は、ガンジーにも多大な影響を与えたと言われます。だから、当時のロシア文学の巨匠達は、偉大な文学者であると同時に、偉大な政治活動家であり、同時に偉大な宗教家(倫理を深く考える人)でもあったのですね。
このように政治、経済、宗教など他の分野が未発達であるから、作家が全部自分でやらなきゃいけない、またやればやっただけの大きな社会的影響力があることによって、ロシア文学は「人間とは〜」という超王道派をいったのではないかという話でした。もう一つ、中世的色彩が残り、社会の不合理が強く、西方よりも洗練加工されていない東方正教会文化圏であったことなどが、彼らをして豊かな民族的啓示を与え、魂の救済分野に大胆に踏み出させたのではないか、と思ったりします。本当かどうか知らんけど。あなたはどう思いますか?
ああ、ロシア文学だけではなく、バレエとか(全然知らんけど)、音楽とか(これもあんまり知らんけど)も調べようとしたのですが、文学だけで終わってしまいました。
ということで晩秋の夜長、本格的なロシア文学なぞはいかがですかと書いてシメようとしたら、晩秋なのは南半球のオーストラリアでした。日本ではこれから梅雨でした。失礼。
文責:田村
★→APLaCのトップに戻る
バックナンバーはここ