「Studio ZERO」とは、知ってる人は知っている、おそらく日本国民の0.0001%くらいの人は知っている、90年代前半に僕(田村)と福島が、ニフティサーブのビジネスマンフォーラムという所の一室を借りてやっていた、「なんでもアリの会議室」でありました。

     当時の文章製造量は、APLaCなんぞの比ではなく、2年前後の期間に、オールテキストファイルで10Mほどにも達しておりました。こう言ってもわかりにくいかと思いますが、やってる本人の感覚でいえば、現在のAPLaCのアップデートのペースの大体10倍くらいのペースかなあと思います。結構なもんです。その分、質は違いますけど。

     何をムキになって書いていたのか、今から思うと不思議な気もしますが、おそらくは「今の仕事も辞めて、日本を離れてオーストラリアに行こうかな、どうしようかな、よし、行こう、そうしよう」という気持ち高まりが、ハイパーテンションを産んで、平均睡眠時間4時間状態で闇雲に爆走することができたのかなとも思いますが、ようわかりません。


     先般、過去のログが手に入ったこともあって、久しぶりに自分の書いたものを読んでいたら、比較的出来のいいものを抜粋してリライトすれば、今の気持ちとそんなに変わらない、むしろ今のほほんとしている状態で書くよりもいいものも散見されることに気づきました。

     というわけで、最近、語学学校研究などデーターものばっかりで、「読み物」が少ないぞよという御指摘も受けておりますところ、過去の資産をリサイクルしたいと思います。







    MAKKYの部屋







    LAY(RAY)の部屋








1997年11月09日新設

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