◆◇◆◆◆◆序ノ一 妃・橘大郎女の巻 ◆◆◆◆◇◆
−−伝えなければ....!!
信じられない。
あなたが没することなど。
あなたは天子。
−−日出づる処の天子。
この斑鳩の宮は、かの飛鳥の地には、
黒い雲が天を覆っている。
わたしは光を失くした。
倭の国は光を失くした。
わたしはあなたの妃、
橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)。
わたしが、まだ、伊奈部橘女王(いなべのたちばなのひみきみ)と呼ばれている頃から、わたしはあなたの側にいたいと慕っておりました。
そして、今でも−
そして、永遠に−
今年(622年)は、睦月から、不吉なる雲立っておりました。
あなたの愛した菩岐岐美郎女(膳大郎女−かしわでのおおいらつめ)さまが病床につき、そしてあなたまでもが病に倒れた。
如月21日。膳大郎女さまが黄泉に旅立たれ、あなたは後を追うようにその翌日、息をひきとった。
わたしのおばあ様であり、あなたの伯母でもある炊屋姫(かしきひめ)さまが大王(おおきみ=天皇・推古天皇)に即位されたとき、あなたは20歳でありました。
以来、29年間、ひとときの休みもなく、あなたは摂政としてこの倭の国を治めておられた。
あなたがそこにいるだけで、魔法のように光が満ち、人々は神に抱かれるような深い安らぎを覚え、
皇家で、豪族で、あれほどまでに頻発していた、血で血で洗う戦乱も殺し合いもおこりませんでした。
あの俊敏苛烈・権勢並ぶものなしと言われた大臣蘇我馬子殿も、
叡知の深さ図り知れぬと称されたおばあ様(推古帝)も、
いつも『太子、太子』とあなたの姿を捜しまわり、あなたの言葉を聞きたがっておりました。
あなたは、時折、わたしに向かって語ってくれました。
そのときばかりは、いつもは優しい眼差しも、怖ろしいくらい知の鬼火が
燃えているようでした。
『本質に根ざした国交ルートを樹立することによって、天竺から続くシルクロードを我が大和まで導くのだ。文化文明こそがこの国を安定させる術ぞ。
そのためには、俺は、情報流通の流れを変えるぞ。
情報発信地からの第一次情報こそが貴重なのだ。
百済経由の第二次情報では何かが足りぬ。本質が見抜けぬ。
そうだ、隋だ!隋はまだ新しい。
新しさに満ちておる。南栄とは異なる。今が好機ぞ。』
『固定しきったカバネ(姓)だけでは、真に開放的な人材配置が出来ぬ。
人材システムのリストラをなさねばならぬ。冠位を明確にしなければならぬ。
そして、これは人材リストラだけではないぞ。もっと深い意図があることを。橘。わかるか?』
『天皇家の正当性を維持しつつ、この仏教をいかに受容するか−−?
絶対矛盾なこの難題を、歴代の大王は皆避けておったわ。
しかし、俺には、俺のやりかたがある。一歩間違えたら皇家は滅ぶ。また何もしなくとも滅ぶ。
だから、伯母上に申し上げたのだ。「あなたは何もしなくてもよい」と』
『橘。わかるか。
まず迎える準備を整える。
威容をもって迎えるのだ。
あの難波の港を見下ろす上町の小高い丘に、壮麗な寺を建てねばならぬ。
四天王寺と名付けよう。
それからは、流通ルートのインフラの整備だ。この斑鳩と難波とを結ぶ新ルート建設に着手するのだ』
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あぁ、だが、わたしには、あなたが何を考え、この国をどうしようかということを、殆ど何も理解できなかった。
しかし、あなたが時折浮かべる困ったような笑顔は忘れられない。
夢殿
(注:現存するものとは別)に籠もられるとき、あなたの目には底知れぬ黒い陰りがありました。
あなたは何かに深く絶望しておられました。
『なぜだ?なぜ分からぬ?物部氏を倒してまで仏を尊んでおられる馬子殿
ですら、仏のなんたるかがまるで分かっておらぬ。
俺が何のために、何をやってるか、誰も分かってはおらぬ。
当たり前のことを、わざわざ17条にまでくどくどと書いたのは、一体何のためなのか。』
もはや、平癒の祈りも虚しくなりはじめた頃、あなたは枕元でただただ涙
を流すしかないわたしに向かって、何かを言おうとしておられた。
『橘.......』
『..は、はい....』
『伝えてほしい...おば上に...』
『はい、...何と...』
『いつもそなたに言っておったことだ』
『いつも...わたしに?』
『そうだ、あぁ、あれは小春日和の晩秋であったか。斑鳩の里も錦繍に彩られていた。』
『はい、覚えておりまする。太子...』
『そのときにもそなたに伝えたことを...』
『あれは...』
『そうだ、世間虚仮(こけ)、ただ仏のみこれ真実(まこと)であると』
『はい.....』
『何の意味だかわかるか、橘..』
『.......わかりませぬ。ただ、悲しき言葉に聞こえます』
『その悲しさがわかるなら、そなたはこの言葉を理解している』
『いいえ、わたしは、その言葉を口の端より紡がれるときの太子のお顔が、
えも言われぬほどに悲しく思われただけでございます。』
『...そうか...悲しき顔をしていたか。俺は....』
『はい..』
『橘。頼むぞ。必ず伝えてくれ。』
『はい、必ずや。』
−−−『伝えなければ!』
夕闇のとばりがおりてくる飛鳥の里を、わたしは走った。
いつもは見慣れたこの山々。
しかし、太子のおらぬこの大和は、どうしてこのように風景が違って見えるのか。
巨きな魂を失ったこの地は、暗く沈みこんでいくようだ。
『おばあさま!』
『おお....橘の...
わたしはもう69歳になる。この歳になりて太子を失おうとは思わなんだぞ。
これからわたしは、どうしたら良いのだ。どうすれば....
太子はまだ49歳ではないか。何故そのように死に急ぐ....』
『太子より、おばあさまへのお言葉がございます。』
『なんと、太子より...それは、なんと...』
『「世間虚仮、唯仏是真」と』
『せけんこけ....この世の偽りである..と、まこと太子はさように申されたか。』
『はい。』
『なぜじゃ。この世は虚仮どころか、太子によって現実に開かれてきたではないか。
太子はこの世に多くの光を照らしていたではないか...』
『それでも太子には虚仮であったのでございましょう。
太子が胸に抱いておられた光の世は、もっともっと温かく輝いているのでありましょう。』
『太子..おお、太子は何を求めていたのか..』
『あばあさま』
『なんじゃ、橘』
『わたしはあの方の想い、伝えとうございます。いや、伝えねばならないのです。
虚仮なる世間に、あの方の光を伝えねば...』
『うむ、それが太子の遺志ならば...しかし、橘、いかなる術にて伝えるのじゃ』
『絵にいたしまする。太子が夢みておられた天寿の国、太子が逝かれた国のありようを繍帳にいたしまする。
それが、わたしに残されたあの方への唯一の....唯一のすべでございます....!
太子は「伝えよ」と申されました!
だから、わたしは、わたしは.....』
『−−−やるがいい、橘。
采女(うねめ)!采女はおらぬか!
直ちに、繍帷(ぬいとばり)を2帳用意いたせ!
そして一流の大陸の者をあてよ。
ヤマトノアヤノマケン(東漢末賢)
コマノカセイ(高麗加西溢)
アヤヌノカコリ(漢奴加己利)に伝えよ。
おお、そうじゃ、それにハタノクマ(秦久麻)を!』
わたしは一心不乱に太子を想い、太子の抱きし光を追った。
そうしているときだけが、太子に少しでも近づいていられるようであり、今のわたしにはそのこと以外何もすることはなかった。
太子の抱きし世界を形にすることは、ことのほか難しく、わたしは何度自らの貧しさを呪ったことか。
しかし、太子。
わたしは作りまする。
あなたは、夢殿の階段に腰かけて憂い深き眼差しでおられた。
遠く遠くを見ておられた−あなたが見ておられた世界を。
そして、今あなたがおられる、天寿国を。
あなたは、彼の世界をこの世界にもたらそうとしておられた。
もう眠いのか眠くないのかもわからない。
こうして、下絵の形を紡ぎ始めてからどれほどの日々が経過したのだろう。
こうして夢うつつの中にいると、あの太子の声が聞こえてくるようだ。
あぁ...
−−−どくしょうどくしどっこどくらい−−
−−−どくしょうどくしどっこどくらい−−
え?太子?
あれは、太子が口ずさんでおられた「無量寿経」の一節−−−−
独生・独死・独去・独来
そうだ。
いつぞや、太子に教えて貰った言葉だ。
『橘....人はみな、独りで生き、独りで死ぬ。独りで去り、独りで来るものぞ。独りであることを識るなかで、初めて新たな光を見出すことが出来るものぞ。』
『太子、それではあまりに寂しゅうございます。橘は太子とともにいとうございます。独りは嫌です。』
『ははは、橘は独りは嫌か。しかし、人は皆いつかは独りになるものぞ。
独りなること知りしとき、はじめて、俺と同じ光を見ることができる。』
『嫌です。独りはいやです。』
『あはははは。まぁ良い。』
『同じ光を見られても、その光、太子とともに見とうございます。』
『うんうん。もう、良い。わかった』
太子−−
今、橘は独りでございます。
身が細るように独りでございます。
あのとき太子が何を言っていたのか、橘にはだんだんと分かって参りました。
あなたが、何を求めて、この世に何を開こうとしたのか、この橘にもわかってまいりました。世間が虚仮なることも、それゆえにあたたかき光を知ることも。
太子−−−−−−−
あなたとのお約束のとおり、
わたしは伝えまする。
この世に伝えまする。
あなたの言葉、伝えまする
この「天寿国繍帳」、作りまする。−−−−−−−−−−
◇橘大郎女の巻◇
★【橘大郎女の巻】=無粋な補注★
●聖徳太子の妃の一人、橘大郎女は、天寿国繍帳の発願者である。
彼女の居宅は中の宮と呼ばれ、太子の死後、中の宮は寺となり、中宮寺と号した。有名な如意輪観音(弥勒菩薩)像と共に、天寿国繍帳の残欠が所蔵されている。
繍帳銘には『世間虚仮、唯仏是真』と記されており、他にも合計四百字があったといわれる。
●史料によると、橘大郎女は推古天皇に対し、『我が大王(太子のこと)の告げたもうところ、世間は虚仮にして、唯仏のみ是れ真(まこと)なりと、其の法を玩味すれば、謂(おも)うに我が大王は応(まさ)に天寿国の中に生まれたもうべし、しかるに彼の国の形は眼に看(み)がたき所なり、稀(ねがわく)ば図像に因りて、大王の往生したまいし状を
観んと欲す』と申し述べたという。
●聖徳太子が橘大郎女に告げたというこの有名な『世間虚仮〜』という言葉は、おそらく日本人が初めて試みた思想的哲学的省察であり、初めて残した言葉であろうと言われている。この「自分の言葉」を残した聖徳太子は、後世に渡って、単なる政治家ではなく、求道者として悩む側面もあることが伝えられ、多くの日本人の共感を呼び、慕われた。
橘大郎女は、現在までの1370年余にもわたって、確かに太子の言葉を「伝えた」と言える。
※参考文献
『聖徳太子』 :田村圓澄著/中公新書
『読める年表』 :自由国民社
『日本とは何か』:堺屋太一著/講談社
初出:92/10/15 21:17
改筆:97/11/11