はじめに・・・ 日本にいる頃は、よく海外旅行に出かけたものです。 ウチの実家はふつーのサラリーマン家庭だったので、子供の頃は海外旅行なんか夢のまた夢でした。でも、旅行そのものは好きな家族だったので、国内旅行は長期休暇のたびにあちこち行ってました。父が時刻表とにらめっこしながら旅程を立てて、旅館と交通機関を自分で予約して・・・という、いわゆる手作りの個人旅行でした。あれが私の個人旅行スタイルの原形になったのかな?という気もします。が、さすがに中学くらいからは思春期特有の「親と一緒になんか行動してられっか」的アレルギー反応を起こすようになり、「勉強が忙しいから」という都合のいい理由を利用して、家族旅行も遠のいてしまいましたが。 大学に入ってからは、せっせとバイトで貯めた金で、友達と国内旅行。全国各地に散らばった高校時代の友人宅に泊めてもらいながら、放浪してました。初めての海外は20才の時。順当に当時人気だったアメリカを選びました。ホームステイがメジャーになりだした頃で、「ホームステイ4週間+1週間のフリー旅行」というやつ。もちろん一人でね。 ああ、私、旅行は基本的に一人が好きなんです。結婚してからは夫婦で行きましたけど、それはそれで楽しいんだけど、やっぱり一人旅の方が性に合ってるような気がします。 せっかく旅に出るんだから、他人のこと気にしないで、自分の好きなとこに行って好きなように歩いてみたいでしょう。ところが人と行くと、行きたいとこからして違うから衝突しちゃうんだわ。それで、夫婦で旅行する度に大喧嘩して「もう、離婚だああ!」とか騒いでいたものです。今は年とって丸くなったので(ほんまか?)、そんなことはないですけど。 で、はじめてのアメリカ一人旅ですが、もう「大冒険」という感じでエキサイティングでしたね。この旅を契機に、海外一人旅に喜びを見いだしてしまって、翌年も金をせっせと貯めて出掛けるようになります。いわゆる「卒業旅行(当時はそんなネーミングはなかったけど)」からハマったのは南ヨーロッパ。社会人になってからも、毎年有給消化率100%記録を死守し、年平均2回は、脱日本をやっていました。 旅はいつも個人フリー型。一度だけグアム行きパックツアーを利用しましたが「うんざり」でした。とにかく自分で調べて自分の好きなように行動したいクチなので、団体行動&受け身体制ではストレスが溜まってしまうんでしょう。 大抵は、航空券だけ事前に手配して、宿は現地で歩き回って部屋見せてもらってから決めてました。旅程も大雑把には立てるけど、現地情報を仕入れては気分次第でいい加減に移動するというもの。旅行というより、「度胸試し」の赴きが強かったですけど、思わぬハプニングに見まわれたりするのがかえって刺激的で、幸いにも大きな犯罪や事故にも遭いませんでした。 バブル時代はリゾートにもハマって、これはもう冒険ではなくリラックス目的ですから、思い切り贅沢してました。当時はバブル&DINKS(←死語ですか?)ということもあって、お金は溜まるのに使う時間がないという状態でしたから。今から思うと勿体ないことをした・・・という気もしますが。
特にイタリアは超気に入って、何度も通いました。通算したら2〜3ヶ月はイタリア国内に滞在していたことになるんじゃないかな。 なぜか当時はオーストラリアには興味がなく、「どうせコアラとカンガルーの観光国でしょ」みたいなチンケなイメージ抱いてました。そのチンケな国に、一度も行ったことのないまま、いきなり移住しちゃったんですから、おかしなもんです。 シドニー来てからは海外旅行欲もめっきり減退しました。あんなに魅力的にみえたイタリアも、別にねえ、ライカード行けば本場に負けないイタリア料理が食べれるし、食材も自分で調達して作れるようになったし、イタリア移民もそこらに歩いてるし・・・みたいな。リゾートなら、そこらのファームでのんびりすれば近場で安く楽しめるし。それになにより、「半年に一度はパーッと脱日常しないとストレス溜まってやってられない」という環境が一転したのが大きいのでしょう。 去年は久しぶりに里帰りもかねて夫ラースと海外旅行に出かけ、アメリカ→デンマーク→日本と地球を一周してきました。その旅行については、プロパーの「シドニー雑記帳」に掲載しています。 最近は離れているせいか、かえって日本のよさが身にしみて、暇と金があるなら日本の田舎を隅々まで旅行してみたいなあって思ってます。ずいぶん嗜好も変わったものです。 さてさて、「旅行記シリーズ」の内容ですが、シリーズと言いつつ散文、紀行文、講座などスタイルはまちまちです。情報的にも古くなっていますが、眠らせておくのも勿体ないので公開しちゃいます。 99/4/12 福島麻紀子 |
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