スペイン 一人旅日記




      マドリから夜行列車に乗り込んで、北部のサンチアーゴ・デ・コンポステーラに向かう。寝台車で眠りこけていた私は、車掌さんに揺り起こされ、寝ぼけまなこで窓をのぞく...。ゆうべまでのスペインらしい赤茶けたほこりっぽい台地はどこにもなく、深緑が目に飛び込んでくる。地面には苔までむしてる。

      『ここは本当にスペインなの?』

      窓を開けると梅雨時の東京のようなだるい湿っぽい風が車内に流れ込んだ。

      サンチアーゴの駅に降り立つと、小雨が降っていた。スペインに来てはじめて傘を使う。駅前のバルのおじさんに荷物を預かってもらい、目的の教会「カテドラル」へと向かった。

      サンチアーゴ・デ・コンポステーラは,12世紀頃キリスト教巡礼の最終地点として信仰を集めてきた街。その中心に「カテドラル」は建っている。早朝。ひとけのない迷路のような路を20分ほど歩くと、小雨の中にどっしりと腰を据えるかのように「カテドラル」は姿を現した。

      −−− 荘厳。

      この一言に尽きる。写真で見たことはあったけど、本物のカテドラルは想像を絶する偉大さだ。柱には巡礼者たちが彫り残した跡がある。多くの巡礼者たちの想いを一手に受けてきたカテドラルには、一種「仙人」のようにうつしみを超越したものを感じさせる。私は雨の中、しばらく時を忘れて立ち尽くしていた。

      重たいけれど、心地よい感動をずっしりと胸にしまいこんで、次なる訪問地ラ・コルーニャへ向かう。ガイドブックによれば、「ガラスの街」といわれており、ガラスの建築物に反射する太陽が美しいのだそうだ。ねらいを夕方に定めた。

      ヨーロッパでは鉄道駅から町中まで非常の距離があるところが少なくない。ここも例外にもれず、駅から新市街まで3〜40分は歩いた。しかし、残念なことに「ガラスの街」といわれる所以であるところのガラスの建築物は、普通の近代建築であり、大都市でならどこでもよく見かけるガラス張りのビルに過ぎなかっ過ぎなかったのだ。確かに夕日が反射してきれいではあったけど。

      『なぁ〜んだ、夕日の時間に間に合わせようと一生懸命歩いたのに...』
      ぶつぶつ言いながら、また鉄道駅まで戻った。

      その日は,近くのビーゴという港街に泊まって、新鮮な魚介料理をたらふく食べようと計画していた。列車の本数は少ない。まだ発車まで時間がくらいある。でも発車予定の列車はもうホームに入っていて、乗客を乗せられる状態にあった。早く乗り込んで座りたい。そう思って、向こうからホームづたいに歩いてきた鉄道員らしきシワシワのおじいさんに確認した。

      「あの、この列車、ビーゴに行きますか」
      「ああ、乗っていいよ」

      さっそく列車に乗り込み、コンパートメント占領体制を整え、少し眠ろうと身支度を始めた。

      すると...コンパートメントのドアをノックする音。あれ、さっきの鉄道員らしきおじいさん。改めて観察してみると、頭つるつる、白いあごひげは伸び放題、80はとうに越してるだろうな。

      じいさんはその黒ずんだ顔のしわくちゃな笑みを湛えて、コンパートメントに入ってくる。

      「どこからきた?」
      「日本です」

      さあ、スペイン人とのコミュニケーションだ。どんなじいさんであれ、旅先での社交辞令の技なら私も多少は心得ている。にこやかに答えた。すると、返ってきた言葉は.....

      「わしと一緒にこの街で暮らさないか?」
      「?????????????????」

      「だから、わしと〜、一緒に〜、ここで〜、暮らさないか?」
      「あの、わ、わたし、旅行が好きなんで..」

      じいさんは、ひるまない。
      「じゃ、わしと一緒に旅行しよう」
      「いや、一人旅が好きなもんで...」

      「じゃ、わしと結婚しよう」
      「!!!!!!!!!!!!!!!!!」

      「な、結婚しよう、わしと」
      「い、いえ..、わたし、日本に恋人いますから...」

      と、いきなり!!
      わたしは何が起こったのか、把握できなかった。

      −−− じ、じいさん、そりゃ、ないよ、こ、こんな、ハードな、ディープ
          キス、あ、あたしゃ、はじめてだよ......

      心の中でそう叫んだけど、言葉にならない。
      す、すごい。すごいエネルギーだ。どうしようもなかった。列車の発車を待つのみだ。ああ、神様。これ以上、強姦なんかしてきませんように。

      確かにキス以上のことはしてこなかったものの、しばらくの間、「テ・キエロ、テ・キエロ(愛してる)」と繰り返すしゃがれ声を聞きながら、おじいさんのよだれを飲みこまなくてはならなかった。

      発車の時間が来た。おじいさんは「またラ・コルーニャに来なさい」と言って列車を降り、そしてホームから手を振った。まるで恋人と永久の別れでもするかのように、寂しそうで、そして、若々しい表情をしていた。

      あのじいさん、今もまだ元気に恋愛してるかな?



    1991年(福島)

★旅行記のトップに戻る



★Studio ZEROのトップに戻る

APLaCのトップに戻る