はじめて訪れたシチリアの街−−−エンナ。


      夜行列車でローマを後にし、翌朝シラクーサ着。またローカル線に乗り継いで、列車に揺られること5時間。まったくイタリアの汽車はカメよりのろい。しかしシチリアの車窓には飽きることはなかった。起伏の激しい地形に、力強く咲き誇る雑草たち。色とりどりの花たちがやわらかい風に揺られている。どこまでも緑が続く草原に忽然と現れる羊の群れ。汽車が近づいてるっていうのに呑気に線路を横切る。

      「ENNA」という鉄道駅に降り立ったものの、どこにも街らしきものは見当たらない。さっきまでの車窓となんら変わらない草原にいきなりほったて小屋のような駅舎があるのみ。一日数本しかない列車から一緒に降りた十数名の乗客は、それぞれ駅前に止めてあった自分の車でちりじりに消えていった。

      どうしよう??
      旅の初日からこれじゃ、先が思いやられる。しかもコミュニケーションツールは、出発前に慌ててインプットしたカタコトのイタリア語だけだ。

      駅舎の前にバス停とおぼしき札が立っている。ラッキー!!と札に飛びついたが、時刻表らしきものはない。駅の切符売り場のおじさんに聞いてみる。

      「エンナに行きたい。バス、ありますか?」
      「ああ、あるよ。.....」

      この後駅員のおじさんは親切にもいっぱい、いっぱい説明してくれたのだが、ぜ〜んぜんわからなかった。とにかくバスはいずれ来るらしい。バス停に前にしゃがみこんだ。

      すると一人の紳士が近づいてきた。

      「どこに行く?」
      「エンナに行きたい」

      すると紳士は山のてっぺんを指さす。
      「エンナはあそこだよ。」(と言ったと思う)
      今度は足を指さして、ダメダメと首を横に振る。
      「歩いてはいけないよ」(と言ったと思う)

      焦った私は脳細胞をフル稼働させて、『バス』という単語を思い出すべく努力する。

      「バスは?」
      しかし、紳士は首を横に振る。
      「いつ来るかわかんないよ」(と言ったと思う)

      それから、紳士は車に乗り込もうとしていた最後の列車の乗客であった老夫婦を捕まえて、何やら交渉しだした。するとその老夫婦も車を降りてきて、私たちに矢継ぎ早に質問を浴びせだした。

      「イタリア語はわかるか?じゃ、フランス語は?英語か?英語はわしゃ、わからんよ。フランス語ならわかるんだがのぅ。」(と言ったと思う)

      「ようし、じゃ、わしらの車に乗りなさい」と言ったと思ったので、なんだかよくわかんないけど、とりあえず、悪い人でもなさそうだし、という訳で「グラッツエ、グラッツエ」と乗り込んでしまった。

      それからも、早口のイタリア語(だと思う)で、どわわわっと話かけてくる。まぁ、コミュニケーションツールがもう何もないんだから、イタリア語だろうと日本語だろうと同じこと。

      「わしらのうちはこっちの方なんだよ。エンナへゆくには途中で...」

      もう、ギブアップだ。「うん、うん」と相槌を打つのみ。

      老夫婦の車で坂道を登る途中、二又に分かれる岐路で車が止まった。降りろといっているようだから降りた。けど、こんな野原のまん中の三叉路で降ろされたって困るじゃん、一体どうしろってゆうの??

      おじいさんが車を降りてきて、なんか説明している。
      「あっちから来るから、それに乗って...」
      ああ、そうか、ここにバスが来るのか。駅前よりも本数の多いバス停まで連れてきてくれたんだ。どうもありがとう。と別れを告げ、バスを待った。

      ところがしばらくすると老夫婦の車が戻ってきた。

      再び、おじいさんが降りてくる。なんか言ってるけどぜ〜んぜんわかんない。呆れたおじいさんは道を通りかかる車を捕まえようとしだした。
      「ああ、あれはだめだ。ああ、あれもダメだ。」

      たま〜にしか通らない車を捕まえるのは容易ではないだろう、と思って見ていると数台めの車がようやく止まった。おじいさんが交渉している。
      「さぁ、乗りなさい」(と言ったと思う)

      要するに、この三叉路でエンナ方面に向かう車をヒッチハイクしろ、ということだったのだ。と、ここまできてはじめてわかった。

      止まってくれたおにいさんは親切にもエンナで最も見晴らしのよい、古城に連れていってくれた。

      はじめてのシチリアでとてもヒヤヒヤしながらたどり着いた街−−−エンナ。

      おにいさんに連れていってもらった古城の中庭には雑草がみごとに咲き乱れ、古城の上からの景色はまるでシチリアの全景を見るかのように遠く、美しく、心地よく、温かかった。

      あの包み込むような地球の温かさが、人のこころに浸透している、そんな街を、今も、忘れない。


    1991年(福島)

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